風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

戦後70年談話

2015-02-25 00:39:56 | 時事放談
 安倍首相が今夏に出す戦後70年の「安倍談話」について議論する有識者会議のメンバー16人が発表されました。菅官房長官によると、有識者懇談会の役割は、「談話を書くことを目的にしたものではない。政府が談話の具体的内容を検討するに当たり、意見を伺いたい」と説明したそうで、その報告書を「参考」に、最終的に談話を作るのは、あくまでも政府だとの考えを強調したそうですが、見たところ、案の定、保守色の強い人選になりました。朝日新聞デジタルの記事では、人選について特にコメントはなく、菅官房長官の「懇談会では多様な視点から議論をいただくので、幅広い分野の様々な方々に委員の就任をお願いした」という説明を淡々と引用するにとどめていますが、同じ記事の中で、「戦後50年の村山談話でも60年の小泉談話でもこうした有識者会議は開かれておらず、小泉内閣の元高官は『首相の談話を出す際に有識者会議を置く理由が分からない』と語る」などと、他人の口を借りて、さりげなくイヤミを書き添えることも忘れていませんでした。
 それはともかく、中国や韓国には、保守色の濃い談話になるのではないかとの警戒感が強いようですし、かねて「河野談話」は従軍慰安婦の強制連行を確認できない中で作られたにもかかわらず、記者会見で(強制連行を)認めたことが批判されてきた河野洋平氏が、今日、名古屋で開かれた共同通信の講演会で、「歴代内閣が継承してきた日本の歴史認識が10年刻みで変わることはありえない。どういう文言で談話を書くかは決まり切ったことだ」などと、戦後50年の村山談話で明記された「植民地支配と侵略」への反省を継承することを暗に求めたのは当然のこととして、連立を組む相方の公明党・山口代表も、村山談話や小泉談話で使った「植民地支配と侵略」や「痛切な反省」というキーワードを守るべきといった同様の趣旨の発言で牽制しており、集団的自衛権の議論でも明らかになったように、アジアで活発に布教活動する創価学会の意を受けたかのように絶対平和主義を貫こうとする公明党を抑え込めるのかどうか、野次馬的に注目されます。
 だからと言って、リベラル派が警戒するほど、戦前の日本をおいそれと正当化できるものではありませんし、戦後秩序にチャレンジすることなどあり得ません。もとより安倍さんにそのような意図があるわけがありませんし、そもそも今回の談話の最大のオーディエンスは、彼らが気にする中国や韓国ではなく、欧米だと思うからでもあります。なにしろ中国は、アメリカを排除し、日本を孤立化して、自らの覇権のもとにアジアの秩序を求める外交方針に大きく舵を切りました。昨年、久しぶりに日中首脳会談が実現しましたが、中国の国内事情を見る限り、日本をたたくことで求心力を求める政権運営、つまり今年も中国の反日攻勢が厳しくなることは間違いありません。その意味でも、語りかけるべき相手は、中国や韓国ではあり得ず(どうせ無駄なことですから)、談話は、飽くまで安倍政権が進める価値観外交の延長で、またその一つの総括として、位置づけられるべきものです。安倍さん自身は「侵略」や「謝罪」といった言葉に言及したくないそうで、私もそろそろ日本人の誇りを取り戻して欲しいと思いつつ、欧米に寄り添い、どう穏当なものに落ち着かせるか、ちょっと野次馬的に楽しみではあります。
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横浜マラソンへの道(6)

2015-02-21 01:03:31 | スポーツ・芸能好き
 先週末のことになりますが、2月15日、青梅マラソンを走ってきました。
 JR青梅線河辺駅界隈をスタート/ゴールとして、青梅線沿いに奥多摩の山をなだらかに上り、川井駅界隈で折り返して、なだらかに下る、30キロのコースです。風が強い日でしたが、走っている間は山陰のせいか気になりませんでした。寒さもさほど厳しいものではなく、真冬のマラソン日和だったと言えます。
 特徴の一つは、「田舎の大会」と言ってしまえば甚だ失礼なのですが、狭い道に1万2千人がひしめきあい、スタートから1時間くらいは大渋滞で、抜け出すのが大変でした。しかし、良い意味でも「田舎の大会」で、沿道に立って声援を送って下さる地元の方々が多く、言わばお祭りの一つなのでしょうか、子供たちや養老院のお年寄りまで車椅子で観戦してくれただけでなく、いろいろな方の差し入れも多彩で、水あり、バナナあり、チョコレートやパンやみかんやヤクルトまで頂いて、大会当局側の給水所が限られていましたし、11時半という、お腹が空き始めるタイミングでのスタートでしたので(昼近くのスタートは寒さ対策でしょうか)、大変助かりました。
 特徴のもう一つは、やはり山道はタフだったということです。前半、上り坂を駆け抜けながら、キツイと感じつつも、一体どれくらい上っているのかよく分からないまま、とにかくこの前半をなんとか凌げば、後半、だらだらの下りは勢いで流せるのではないかと安易に考えていたのですが、下り始めると、こんなに上って来たのかとあらためて驚くほどの勾配で、実際に股関節がガチガチに固まって、もはや流すだけの体力は残っておらず、完走するのに3時間18分もかかってしまいました。30キロなのに「マラソン」と称するのを非難する声なきにしもあらずですが、なかなかどうして、チャレンジングなコース・レイアウトで、ハーフ・マラソン慣れしてしまっていたのと、年明け以降は走り込み不足で、週一にとどまり、先々週は海外出張による運動不足も加わって(週一の練習はコンスタントに続けていたのに、筋肉痛になるほど衰えました・・・日本の社会では「歩く」ことが多いものですね。
 この記録は、25キロ付近で、急に視界が白く飛んでしまって、十数分間、歩いたせいでもあります。ちょうどTVドラマや映画などで、真夏の海の映像が、光が溢れて色彩が薄れて行くのに似ていて、他人のゼッケン番号が読み取れなくなるほど、目に映じる風景が白く眩しく霞んで行きました。突然の白内障?などと良からぬ思いに囚われて不安を感じ、暫く歩いてみたものの、なかなか治りそうにないので、結局、ちまちま走り始めるうちに、いつの間にか元に戻っていましたが、後日、マラソン好きの同僚に話したところ、低血糖ではないかとの診断でした。以下はそのときのアドバイスです。

 視界が白く飛んだという事であれば、瞳孔が開いたのだと思います。瞳孔散大は、低血糖や低血圧でも起こります。10分ほど歩いても治らなかったのであれば低血圧ではなく低血糖でしょうか。お昼頃のスタートなので空腹で血糖値が低い状態になっていたのかもしれません。血糖値が低い状態の時に「バナナ」「チョコレート」「パン」などを大量摂取すると血糖値が急激に上がり、それを抑えるためにインスリンが分泌され、返って血糖値が下がってしまいますので、気を付けないといけません。低血糖の症状としては、瞳孔散大の他に手指の震え、脱力感、冷や汗、寒気、眠気等に加え思考能力の低下、意識の酩酊などの症状もあるので、要注意です。私は、フルマラソンの時は「ブドウ糖」のタブレットをポケットに入れてます。やばいかなと思った時に口に入れますが、これも一遍にいくつも食べるとよくありません。15分くらい時間を空けて食べた方がいいですね。

 人間の生命の営みは、化学反応によって成り立っているという素朴な科学的事実を、あらためて感じました。マラソンを走るときの限界あるいはリスクというものをしっかり把握し手当しておく必要があることを、我々ど素人の市民ランナーは肝に銘じるべきでした。
 ただ良いニュースもあって、足裏のマメ対策に、普段、練習で使っている靴で走ったところ、30キロという距離にも関わらず無傷でした。アシックスの“ライトレーサー”というモデルで、勝負靴として購入した、そして過去三ヶ月三度のハーフ・マラソンで足裏にマメを作った同じアシックスの“ターサー”というモデルの、“弟分“と言われています(”弟分”とは要は廉価版の意味)。同じメーカーの同じサイズですが、モデルが違うと、こうも結果が違ってくるものでしょうか。いずれにせよ、走り方の問題ではなく、どうやら靴が足に合っていなかっただけのようだと判明して、ちょっと安心しています。
 大会運営上、必ずしも問題なしとしませんが(例えば預け荷物は事前予約制とは気づきませんでした)、地元民と一体になった独特の雰囲気は、マラソン好きの同僚が「昭和の雰囲気を感じる大会」と形容したように、まさに、なんだか昔懐かしい、また帰って来たくなる(実際、コース途中のある地点では毎年「帰ってこいよ」の唄を大音量で流しているようですが(苦笑))と思わせる大会でした。
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訪欧(下)オランダよもやま話

2015-02-18 00:51:15 | 永遠の旅人
 次の訪問地オランダ・アムステルダムで到着したのはスキポール空港・・・なんだか聞いたことがあるなあと、微かな記憶を頼りにググってみると、マレーシア航空第二の悲劇、昨年7月17日、クアラルンプールに向かって飛行中にウクライナ上空で何者かに撃墜された、あのマレーシア航空17便が飛び立った空港でした。オーストラリアで開催される何かの会議に出席するというので多くのオランダ人が搭乗していて犠牲になったのでしたが、あらためて調べていみると、乗客・乗務員298名中、実に192名ものオランダ人が含まれており、乗客らの遺体が帰国した2014年7月23日をオランダではおよそ半世紀ぶりとなる国民服喪の日として定め、各地の公共の建物ではこの日、半旗が掲げられることになった、とあって、これが日本人だったら・・・と思うと、まさに大惨事でした。
 さて、オランダ到着にあたっては、同じEU域内のイタリアからということで入国審査がなく素通りで、まさに国内線に搭乗した感覚でした。ところが、その次の訪問地ロンドンの入国審査は、同じEU域内でも厳しく、パスポートをぱらぱらめくってチェックを入れながら、訪問目的は何か?何の仕事か?何日滞在か?どこの会社か?勤続何年か?と畳みかけるように質問を浴びせられました。勤続何年なんて関係ないだろうと思うのですが、役人の言うことに抵抗するつもりはありません。このあたり、オランダとイギリスの国際政治上の立ち位置の違いを象徴するようです。
 そのオランダに降り立ったのは、私にとって生まれて初めてのことでした。もっとも、いつものように空港とホテルとオフィスの間を行き来しただけで、風車すら目にしませんでしたので、訪れたという実感はありません。従い、以下はただつれづれなるままに・・・
 オランダという国に対して、日本人として親近感を覚えるのは、江戸時代に鎖国(最近では国を閉じていたとは言わないようですが)中も交易を続けた唯一の貿易相手国だったせいでしょう。子供の頃から、チューリップ、風車、木靴などといった可愛らしいイメージと繋がりますし、同じ王国(立憲君主制)という事情もあります。近くでは、皇太子・雅子妃一家の長期静養を受け入れてくれたこともありました。こうして両国は一見良い関係を保っているかに見えますが、実は第二次世界大戦中、日本が蘭印(現インドネシア)を占領したのが、戦後のインドネシア独立(つまりオランダの植民地放棄)に繋がったと見られて、オランダでは暫くは反日感情が強かったという話を聞いたことがあります。昭和天皇は戦争犯罪人と見なされ、1971年にオランダを歴訪されたときには卵を投げつけられる事件が起こるなど混乱もありました。2007年には下院で慰安婦問題謝罪要求決議が採択されるなど、今も是々非々で厳しい追及は続いています。
 しかし、前回のコーヒーの話を引っ張りますと、コーヒーが初めて日本に伝えられたのは、17世紀初頭、オランダ商人によってと言われ(実際に普及するのは20世紀に入ってからのことでしたが)、オランダ人もコーヒー好き、正確に言うと、北欧人こそコーヒー好きと言うべきです。ある統計によると、ルクセンブルクがダントツの1位で、1人1日平均8杯飲んでいる計算になるそうです(飽くまで計算上の話で、個人輸出があるとか、ドイツ、ベルギー、フランスに囲まれた小国で、嗜好品に掛かる消費税が低いため、周辺諸国から買い物客を呼んで、数字かさ上げに貢献しているといった話もあります)。2位以下は、フィンランド(3.3杯)、デンマーク(2.6杯)、ノルウェー(2.5杯)、スイス、スウェーデンあたりは2杯以上、ドイツ、オーストリアが1.8杯前後と続き、確かに北欧系の国が多いですが、絶対量のスケール感にはピンと来ないかも知れません。因みに日本はずっと下って30位で、1人1日1杯弱、飲む人は1日に5杯も6杯も飲むでしょうし、飲まない人もいて、平均すればこんなものかと思います。緑茶の約3倍の量が飲まれているというのは、多いと見るか、まあそんなものと見るか。
 さて、北欧ではコーヒーが日常的によく飲まれ(などと言って、オランダは一般には北欧に入りませんが)、学校では学生は講義中にもコーヒーを飲み、職場でも頻繁にコーヒー休憩があり、街には親しみやすいカフェが多く、屋内でも暖かいコーヒーが大切なひとときを演出する・・・冬が長い北欧ならではと言うべきでしょう。日本人は「深煎りの苦めのコーヒー」を好むのに対して、北欧のコーヒーのプロたちは最高品質の豆を使用した(とは余計ですが)「浅煎りの酸味があるコーヒー」を好むと言われます。実際のところ、“節酒”政策としてアルコール類の価格を高く設定して、コーヒーが多く飲まれるように仕向けられた・・・といったあたりの俗説が、案外、的を射ているのかも知れません(コーヒー1杯は約1ユーロですが、アルコール類はその5~6倍もするらしい)。
 繰り返しますが、もとよりオランダを北欧に括るわけには行きませんが、訪問した当日も雪化粧に覆われ、凍てつく寒さを体感し、コーヒーの美味しさも実感しました。それにも関わらず、アンティークなホテルには暖房がなく、震える一夜を過ごしました。上の写真は、そのホテルの部屋から見た明け方の可愛らしい街並みです。
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訪欧(中)イタリアのコーヒー

2015-02-14 00:16:23 | 永遠の旅人
 イスタンブールから、再びトルコ航空で、次の訪問地イタリア・ミラノに向かいました。
 ミラノには、かつて個人旅行でドゥオーモや「最後の晩餐」のある教会を見に行ったことがありますが、今回は、到着したマルペンサ空港から、そんな市街地をかすりもせず、市街地を越えて対面にあるリナーテ空港界隈に到着した頃には、夜8時をまわっていました。その日はホテルで食事を済ませて寝るだけ。そのため、丸一日のイタリア滞在で印象に残っているのは、コーヒーの話です。
 イタリアのコーヒーと言えばエスプレッソ。初めて本場の味を口にしたのは、かれこれ四半世紀前、個人旅行でローマを訪れ、折角なので「ローマの休日」よろしくスペイン広場で先ずはアイスクリームを食べてから、傍のコンドッティ通り86番地、1760年に開業したという歴史的なカフェ・グレコに立ち寄ったときのことでした(なんともミーハーな行動パターンです)。ゲーテやスタンダールやイプセンやアンデルセン、音楽家ではリストやメンデルスゾーンも訪れたという、伝説のカフェのエスプレッソですから、日本の喫茶店のように、サイフォン式なのか、さもなければ気難しそうなオヤジが自らとぽとぽ湯を注いでくれるのか・・・と思いきや、機械式だったのには驚かされました。しかも、量が少ない。しかし・・・実に美味い!
 今回、昼食をとりながら、イタリア人の同僚から聞かされたコーヒーの話に、再び驚かされました。スタバ?のテイストなんて邪道。コーヒーは飲むのに30秒とかけるものではない・・・と。
 さらにイタリアにはスタバが進出していないと聞きましたので、ググってみると、確かに一店も出店していないという記事がぞろぞろ出て来ました。寄せられたコメントに曰く、イタリアにはとにかくチェーン店が少ない。飲食業が深夜営業できないのが法律でも定められているので、チェーン店が進出しにくい。独自のバールの文化が根付いている。カフェ文化がとても浸透していて、各都市に美味しい本物のカフェバーがある。イタリアのバールは基本的に立ち飲みで、エスプレッソ一杯が日本円で約90円と格安なので、とても気軽に入れる。立ち飲みでクイッっと飲んですぐ出て行ってしまう。等々。まさに。
 そう言えば、オーストラリアのシドニーでも、イタリア移民のカフェが街中にあって、駐在していた6年ほど前、「スタバ撤退」のニュースを聞いて、さもありなんと納得したものでした。そして私はご多聞に漏れずイタリアン・コーヒーの虜に・・・。そうは言っても、オーストラリアは原理主義ではありませんので、エスプレッソを「ショート」と呼ぶのに対して、ダブルあるいは馴染みのサイズのコーヒーを「ロング」と呼んで、普通に提供していました。私は「ショート」ではどうしても物足りなくて、いつも「ロング・ブラック」。
 さりとて、その昔、「違いが分かる男のゴールド・ブレンド」なんてテレビCMがありましたが、私に違いなど分かろうはずもなく、イタリアン・コーヒーも好きですが、スタバ・フリークでもあります。念のため。
 本日の話題はイタリアでしたが、上の写真は、トルコ航空の機内で振舞われた菓子。イスタンブールの空港で見つけて、つい買ってしまいました。
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訪欧(上)トルコ航空

2015-02-11 01:00:16 | 永遠の旅人
 最近、すっかりアジア出張づいていたのは、実は意図的で(苦笑)、この歳になると時差ボケが辛いので、過去二回のアメリカ出張を部下に押し付けていましたし、欧州も(私自身の苦手意識から?か)なんとかく遠ざけていました。今回は逃れられず、西方向への時差がありますが、先週一週間、欧州に出張していました。まずはトルコ・イスタンブール訪問の印象です。
 欧州出張・・・などと無造作に言いましたが、一般に調査会社などの統計資料で欧州・中東・アフリカをひとまとめにしてEMEA(Europe, Middle East and Africa)などと呼び、私の会社でも販売テリトリーはこの区分に沿っているように、トルコはもとより欧州ではなく、アジアと欧州のどちらのニオイをも感じさせつつ(言語的にはアジア系であり、政治・経済的には欧州寄りで、NATO加盟国であり、EU加盟も申請しているのはご存知の通り)、外務省の区分では中東に属します。歴史上、ギリシャやローマの文明が栄え、イスラム大国だったこともあり、その目に見えない資産は小さくないでしょうし、ISISの問題であらためて注目されたように、シリア、イラク、そしてイランとも国境を接し、現代の国際政治にあっても独自の外交を展開して隠然たる力をもつキーとなる国・・・などと想像するのですが、実際のところもそうなのでしょう。
 成田からイスタンブールまで、アジアの東端(極東)から西端(極西)まで移動するのに要する時間は、実に13時間、ロシアから西南方向へ抜けるルートと、欧州から東南方向に抜けるルートの交差点という地政学的要衝にあって、イスラームの国でありながら世俗国家として発展・・・すなわち政治が宗教から分離されるなど、独特の立ち位置を見せます。現に空港やタクシーの中から流し見ただけですが、イスタンブールの街並みは、つい日本人が想像しがちな、モスクが独特の佇まいを見せるような中東的な印象はまるでなく、むしろ白とレンガ色が基調の整った街並みはアジア的でもあり欧州的(あるいは地中海的)ですらあります(それはイスタンブールがボスポラス海峡を越えた欧州側に位置しているせいかも知れません)。女性の衣装は、中東の民族衣装のように黒っぽいわけでもありませんし、マレーシアの民族衣装のように華やかなわけでもありません。
 そうした異文化交流の現実を如実に感じさせたのが、今回利用したトルコ航空でした。初めての搭乗であり、しかも人質事件があって、土地柄、何かと心配されたのですが、同僚から航空会社の総合満足度ランキングで2013年度4位にランクされたと聞き、ちょっと期待していたところ、期待を十分に上回る内容でした。先ずは搭乗後、大き目のサイコロ大の餅状の菓子が一粒振る舞われます。ピスタッチオをこねてあって、歯ごたえが良く、甘さ控えめで意外に美味い。アジア系の航空会社ではよくピーナッツの袋が振舞われますが、こちらの方がなかなか洒落ていると思います。そして何より食事が美味い。アジアのテイストに、欧州の洗練が加わって、アメリカ系航空会社はもとより、コテコテのアジア系航空会社よりも、ずっと美味しく感じたほどです。世界三大料理などと言われるのは、日本人には余り実感が伴わないものですが、こと機内食に関しては伊達ではありません。さらに今どきエコノミー・クラスであるにも係らず歯磨きセット(アイマスク、靴下、耳栓、ハンドクリーム入り)が手渡されました。先々月、プライベートでマレーシアに遊びに行ったとき、利用したユナイテッドは、LCCでもないのに、アルコール類を有料にしていてガッカリしたばかりだったので、天国のようで、ビールに赤ワインと、存分に食事を楽しみました。どうやら人件費高騰の欧米を尻目に、アジア系(新興国)航空会社はコスト圧力のもとでもサービス競争にまだ余力があると見えます。
 僅か一日の滞在で、相変わらず空港とホテルとオフィスの間をカンパニー・カーで移動するだけの出張でしたので、残念ながらこれ以上のネタがないのはなんとも寂しい限りです。日本では余り報道されることがない?のですが、土地柄、自爆テロは絶えないようで、イスタンブールでは1月にも二度あり、イスタンブール県は外務省によって黄色(要注意)にマーキングされ、会社の人事からもわざわざ連絡シートを書かされて注意喚起されていましたので、実のところ、無事、脱出できてちょっとホッとしたというのが偽ざるところでした。因みに、航空運賃を極力安くあげるため、金曜夜の帰国便もトルコ航空で、ロンドン発、真夜中にイスタンブールで日本行きに乗り換え、ロンドンのオフィスを出てから自宅に到着するまでドア・トゥ・ドアで実に23時間の長旅になり、トルコ航空のサービスを存分に楽しみました腰がイカレテしまいました(溜息)。
 上の写真はホテルから見たイスタンブールの街並み。
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