今日のタイトルは、日露戦争で連合艦隊が出撃する際、大本営に向けて打電された文章の最後に、秋山真之が書き加えた有名な言葉だ。視界良好で戦闘準備は万端整っているけれども、「浪高し」つまり作戦の第一段「主力決戦前夜、駆逐艦・水雷艇隊の全力で、敵主力部隊を奇襲雷撃」は行われないことを大本営に即座に理解させた(Wikipedia)とされる名文だが、このブログではそんな意味深なものではなく、象徴的に使っているだけだ。思えば昨年、緊迫した朝鮮半島情勢が、今年に入って一転して融和に向かうかと思われたが、年末にかけて韓国がとった対応によって、日本にとっては分断された朝鮮半島情勢が極めて厳しいものになり得ることを予感させる一年となった。分断された、という意味は、南・北だけでなく(その南・北は融和しつつあるが)、南自体が東・西(慶尚道・全羅道)に分断され、波乱要因になりかねない(現に今、南・北融和で混乱していると思う)ということだ。
20日午後3時頃、能登半島沖で、韓国海軍の駆逐艦が海上自衛隊のP1哨戒機に火器管制レーダーを照射した事件は、(6年前にあった)中国ならいざ知らず、一応、準同盟国とされる(あるいは日米同盟の相方である米国が米韓同盟を結ぶ)韓国だということに驚かされ、しかし日本を仮想敵国と見做す韓国ならそれもあり得るかも…と思っていたら、謝罪し責任者を処罰するどころか、どう見ても理不尽な言い逃ればかり、しまいには非は日本にあるかのように言い立て、決定的証拠となる(しかし機微なところは当然隠しているであろう)動画が公開されても、韓国・国防省自らが「客観的証拠と見なせない」と(もっと手の内を明かせと言わんばかりに)言いがかりをつけるようでは、もはや形式的とはいえ準同盟国とは言えず、驚きを通り越して呆れてしまう。その間、元徴用工裁判のときと同じで、青瓦台は沈黙を保ったまま、メディアは大騒ぎ(笑)。かつての日本の「穏便に済ませる」謝罪外交のなれの果てがこれかと思うと、遣り切れなくなるが、民主主義国家の装いをひっぺがすと、事大主義の薄絹をまとった儒教国が姿を現し、なるほど中国や北朝鮮の言いがかりと似たようなものだと感じてしまうのはそのためだろうと、諦め気味である。
その間、なかなか興味深い報道があった。韓国・国防省の関係者談として、日本が自ら「Navy」を名乗るのが公開されたのは「初めて」であり(実際には過去、多国籍軍での任務中にはJapan Navyと自称している)、「背景と意図を分析して」おり、さらに続けて「軍隊を持つことができる『普通の国』を夢見る、日本の野心が明らかになったとの分析も出ている」という。なるほど、韓国では、第二次世界大戦での大日本帝国は「侵略国」として近隣諸国に多大なる被害と労苦を与えた罰として、軍隊を持たせてもらえない中途半端な(普通ではない)状態にさせられているのだと今でも思い込んでいる(思い込みたい)ようだ。確かに日本国憲法は日本が独立する以前に与えられたものだが、独立した後も捨てなかったということは、国民の意思として平和国家を主体的に選び取ったものでもあるという歴史的事実を、韓国は認めようとしないようだ。これじゃあ、ことあるごとに日本の軍事大国化を非難するわけだと合点する。挙句には、韓国の与野党こぞって、日本政府の対応の背景には、最近支持率が下がっている安倍政権が問題を政治利用する意図があるとする論評を相次いで発表したが、こんなことで支持率が上がるほどヤワな日本ではないことを知らないようだ。敵対国(日本)に対して「してやったり」で支持率があがると、最近支持率が下がって困っている文在寅政権なら政治利用しかねないと、韓国人は思っているからであろう。これは、南京の城壁内で、城下町で街を囲む城壁などない日本では考えられないことなのに、大日本帝国陸軍は同じように虐殺をしたのだろうと思い込んで中国人が非難してきたのに似ている。
日本に対しては何を言っても許されるという(日本人にとっては摩訶不思議な)韓国人の意識は、小国意識のなせる業(ワザ)と言われてきた。いまどき、世界システムとしてのウェストファリア体制下で大国も小国もないだろうと思うが(中国のような権威主義国家であれば、大国を嵩に小国に対して露骨な圧力を加えるが)、事大主義で儒教国家の韓国では、歴史的に隣国に対する(日本人にはなかなか理解し辛い)怨を膨らませて来たのだろうか。単なる国民意識の違いで済ませられればよいが、そしてこれまではまがりなりにもそれで遣り過ごして来たが、期せずして北朝鮮の存在感が実体を遥かに超えて高まる昨今、韓国を含む朝鮮半島情勢、ひいては東アジア情勢は油断ならなくなってしまった。その序曲となる年だったと、後年、記憶される年になるのだろうか。
前回に引き続き、同盟関係に不穏な動きがある年の瀬である。
20日午後3時頃、能登半島沖で、韓国海軍の駆逐艦が海上自衛隊のP1哨戒機に火器管制レーダーを照射した事件は、(6年前にあった)中国ならいざ知らず、一応、準同盟国とされる(あるいは日米同盟の相方である米国が米韓同盟を結ぶ)韓国だということに驚かされ、しかし日本を仮想敵国と見做す韓国ならそれもあり得るかも…と思っていたら、謝罪し責任者を処罰するどころか、どう見ても理不尽な言い逃ればかり、しまいには非は日本にあるかのように言い立て、決定的証拠となる(しかし機微なところは当然隠しているであろう)動画が公開されても、韓国・国防省自らが「客観的証拠と見なせない」と(もっと手の内を明かせと言わんばかりに)言いがかりをつけるようでは、もはや形式的とはいえ準同盟国とは言えず、驚きを通り越して呆れてしまう。その間、元徴用工裁判のときと同じで、青瓦台は沈黙を保ったまま、メディアは大騒ぎ(笑)。かつての日本の「穏便に済ませる」謝罪外交のなれの果てがこれかと思うと、遣り切れなくなるが、民主主義国家の装いをひっぺがすと、事大主義の薄絹をまとった儒教国が姿を現し、なるほど中国や北朝鮮の言いがかりと似たようなものだと感じてしまうのはそのためだろうと、諦め気味である。
その間、なかなか興味深い報道があった。韓国・国防省の関係者談として、日本が自ら「Navy」を名乗るのが公開されたのは「初めて」であり(実際には過去、多国籍軍での任務中にはJapan Navyと自称している)、「背景と意図を分析して」おり、さらに続けて「軍隊を持つことができる『普通の国』を夢見る、日本の野心が明らかになったとの分析も出ている」という。なるほど、韓国では、第二次世界大戦での大日本帝国は「侵略国」として近隣諸国に多大なる被害と労苦を与えた罰として、軍隊を持たせてもらえない中途半端な(普通ではない)状態にさせられているのだと今でも思い込んでいる(思い込みたい)ようだ。確かに日本国憲法は日本が独立する以前に与えられたものだが、独立した後も捨てなかったということは、国民の意思として平和国家を主体的に選び取ったものでもあるという歴史的事実を、韓国は認めようとしないようだ。これじゃあ、ことあるごとに日本の軍事大国化を非難するわけだと合点する。挙句には、韓国の与野党こぞって、日本政府の対応の背景には、最近支持率が下がっている安倍政権が問題を政治利用する意図があるとする論評を相次いで発表したが、こんなことで支持率が上がるほどヤワな日本ではないことを知らないようだ。敵対国(日本)に対して「してやったり」で支持率があがると、最近支持率が下がって困っている文在寅政権なら政治利用しかねないと、韓国人は思っているからであろう。これは、南京の城壁内で、城下町で街を囲む城壁などない日本では考えられないことなのに、大日本帝国陸軍は同じように虐殺をしたのだろうと思い込んで中国人が非難してきたのに似ている。
日本に対しては何を言っても許されるという(日本人にとっては摩訶不思議な)韓国人の意識は、小国意識のなせる業(ワザ)と言われてきた。いまどき、世界システムとしてのウェストファリア体制下で大国も小国もないだろうと思うが(中国のような権威主義国家であれば、大国を嵩に小国に対して露骨な圧力を加えるが)、事大主義で儒教国家の韓国では、歴史的に隣国に対する(日本人にはなかなか理解し辛い)怨を膨らませて来たのだろうか。単なる国民意識の違いで済ませられればよいが、そしてこれまではまがりなりにもそれで遣り過ごして来たが、期せずして北朝鮮の存在感が実体を遥かに超えて高まる昨今、韓国を含む朝鮮半島情勢、ひいては東アジア情勢は油断ならなくなってしまった。その序曲となる年だったと、後年、記憶される年になるのだろうか。
前回に引き続き、同盟関係に不穏な動きがある年の瀬である。