風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ブリュッセル同時テロ・続

2016-03-30 23:18:29 | 時事放談
 英紙タイムズ(25日)は、ブリュッセル同時テロの犯行グループが、原子力関連施設から放射性物質を盗み、放射性物質が含まれた「ダーティー・ボム(汚い爆弾)」を人口密集地域にばらまく計画を立てていた可能性があると報じた。日本でも無縁ではなく、ISに加わろうとしたとして、24歳の日本人が、トルコ国内で治安当局に拘束された。
 ISの前身は「イラクのアルカイダ」だったが、今はアルカイダと関係がない。アルカイダにあっては、欧米をイスラム世界に対する敵と位置付け、テロを政治的なメッセージとして半ば目的化し、地域を問わずグローバルに展開している。しかし、ISにあっては、地域の支配が目的のため、敵は欧米だけではなく、イラクではアサド政権を、また同じスンニー派でもクルド人を、反対勢力であれば誰でも敵と位置づけ、必ずしもイスラム対欧米といったグローバルな視点はなく、テロも単なる手段でしかないとされてきた(このあたりは川上高司氏の所説による)。ところが・・・。
 ISが支配地域を広げるシリアやイラクの政情が悪化するのに伴い、安住の地・ヨーロッパ大陸を目指す難民は昨年だけで100万人に達し(UNHCR:国連高等難民弁務官事務所)、今年に入ってからも増える一方で、既に13万人(同、3月初旬)を超えているらしい。難民の増加に伴い、地元民とのトラブルも増え、極右勢力や主権主義者が掲げる反難民・反EUの主張に対して支持が広がっているのは周知の通りである。
 パリで同時テロが起きた後は、パリに向かう航空便やホテルの予約が急減したほか、周辺の観光地への客足も減ったので、今回も、ベルギーを中心に再び観光ビジネスに影響が出る可能性が高い。また、難民問題で揺れる欧州にあって、このブリュッセル同時テロの実行犯が移民や難民によるものか不明ではあるものの、移民・難民排斥を訴える欧州各国の極右政党にとっては「今回のテロで明らかになったのは、(人の移動の自由を保障する)シェンゲン協定と寛容な国境管理がいかに危ういかということだ」(英国独立党(UKIP)のスポークスマン)などとコメントするなど、格好の材料になっている。UKIPはEU離脱も訴えており、6月23日に予定される英国のEU離脱を巡る国民投票に向けて勢いづきそうである。フランスの極右政党「国民戦線(FN)」は公然と「難民の中にテロリストが紛れ込んでいる」と主張し、難民受け入れを即時停止すべきだと訴えている。第二次大戦中のナチスの蛮行への贖罪と反省から難民受け入れに最も積極的なメルケル首相の足元でも、反難民・反EUを標榜する極右政党「AfD(ドイツのための選択肢)」が3月の州議会選挙で躍進し、メルケル首相への風当たりが強まっている。既に、EU加盟国の中で、スウェーデン、デンマーク、オーストリア、ノルウエー、ベルギー、フランスも国境審査を再開している(三月中旬時点)。「一致団結してテロに立ち向かう」という言葉とは裏腹に、EU加盟国同士の壁はさらに高くなっている。移動の自由を保障したEUの理念は今や、風前の灯だ。まさにテロ組織の思うつぼであろう。
 折しもニューズウィーク日本版(4月5日)は、「欧州テロの時代」とタイトルし、「統合の夢から覚めつつある欧州を待ち受けていたのは、自国がテロとの戦争の最前線になるという悪夢のような現実だった」と書きたてた。AP通信によると、ISは欧州攻撃用に400~600人の戦闘員を訓練しているという。ISは、2014年夏のピーク時と比べ、イラクでは支配地域の40%、シリアでは20%を失ったと言われ、支配地域の大幅縮小で「イスラム国家」再興のスローガンが説得力を失ったISは、支持者を繋ぎ留めるために実行力をアピールする必要があるだろうとも言われる。ISにとって、欧米社会へのテロは目的化しつつある。
 日本の税関ホームページには次のようなメッセージが出ている。「本年4月以降、伊勢志摩サミット及び関係閣僚会合がそれぞれ開催される予定です。税関におきましては、伊勢志摩サミット等を標的としたテロ行為を未然に防止するため、テロ関連物資等が不正輸入されることがないよう、輸入貨物の検査及び船舶・航空機の取締り等の水際対策を強化しております。税関検査に対するご理解とご協力をお願いします」。欧米そして日本とテロとの長く重苦しく憂鬱な戦いが再び始まろうとしている。
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ブリュッセル同時テロ

2016-03-26 13:41:54 | 時事放談
 事件の夜、パリのエッフェル塔をはじめ世界各地の観光名所はベルギー色(ベルギー国旗を形成する赤・黄・黒)にライトアップし、犠牲者を追悼するとともにベルギー国民との連帯を示したそうだ。昨年11月のパリ同時多発テロでは世界各地がフランス国旗の三色にライトアップされたように。
 4日前、ベルギーのブリュッセル国際空港で、その一時間後にはブリュッセル中心部の地下鉄駅を出発した直後の車両の中で、立て続けに爆発が起き、34人が死亡し約250人が負傷する大惨事となった。この連続攻撃について、ISがネット上で犯行声明を出し、攻撃対象は「慎重に選定」したと述べ、「イスラム国に対して同盟している十字軍各国」はさらにひどい目に遭うだろうと警告したという。
 イスラム過激主義の「セル」(テロ組織の小集団)は各地に広がっているが、中でもブリュッセルの「セル」は活発で、パリ同時テロの際にも拠点と目され、実行犯が最後に逃げこむ舞台となった。特にブリュッセル市街南西部にあるモロッコ系住民が多いモレンベック地区は、そうした活発な「セル」の主要拠点の一つである。そのモレンベック地区で、今回のテロが起きる4日前、パリ同時テロの実行犯の一人(兵站担当)を含む5人が拘束され、テロが起きる前日、ベルギー当局は記者会見でベルギーとフランス両国の連携の成果を誇ったばかりだった。この容疑者逮捕と今回のテロとの関連は不明だが、逮捕に対するテロ組織(IS)からの報復だったとの見方がある。計画中だった攻撃が逮捕によって時期が早まったかも知れない。
 ブリュッセルとパリは、それぞれベルギーとフランスという隣国の首都だが、両都市は僅か150キロしか離れていない。隣の国だから・・・と日本人はつい思いがちだが、東京から福島ほどもないし、西に行けば箱根の先の富士宮ほどの近さである。
 あらためてベルギーという国をWikipediaで調べてみると、なかなか複雑な構造である。ナポレオン戦争後、1830年にネーデルラント連合王国から独立し、以来、単一国家だが、オランダ語のベルギー方言とも言うべきフラマン語が公用語の北部「フランデレン地域」と、フランス語が公用語の南部「ワロン地域」とにほぼ二分される(この他にごく僅かながら南東隅にドイツ語が公用語の地域もある)。“ほぼ”というところがミソである。それぞれオランダ語系住民とフランス語系住民の対立(言語戦争)が続いたため、20数年前の1993年、連邦制に移行した。この連邦制がややこしいのである。地理的な区分である“地域”と、言語的な区分である“共同体”の“二層”構造になっており、日本人には想像しづらい。すなわち、上記の北部「フランデレン地域」と南部「ワロン地域」と「ブリュッセル首都圏」(面積は極小)という三つの“地域”のほか、「フラマン語共同体」と「フランス語共同体」と「ドイツ語共同体」(面積は極小)という3つの“言語共同体”による“2層”構造で、計6つの組織で構成される。但し、北部の「フランデレン地域」と「フラマン語共同体」は首都ブリュッセルを除いて領域が重なることから公式に統一され、政府・首長・議会は共通しているため、本来6つのベルギーの連邦構成主体は、事実上5つだという。実際、南部の「ワロン地域」には「フランス語共同体」と「ドイツ語共同体」が含まれ、“ほぼ”重なるが完全には領域が一致しないため(「ドイツ語共同体」は極く狭いのだけど)、それぞれに首相がいて政府がある。そして首都であるブリュッセルでは、「フラマン語共同体」と「フランス語共同体」の双方に自治権が与えられている。ああ、ややこしい・・・一応、Wikipediaから絵を抜粋しそのコピーを添付する。
 こうしたややこしい構造は、ブリュッセルの扱いで揉めたことが発端のようだ。1932年の言語法によってベルギーが「フラマン語」地域と「フランス語」地域に分けられた際、ブリュッセルは特別地域として両言語併用の2言語地域とされた。1970年にベルギーが「フラマン」、「ワロン」、「ブリュッセル」の3地域に分けられることになった際、「ブリュッセル」はフランス語系住民が多く(85%)、総人口では劣勢(39%)なフランス語系がベルギー3地域の内2地域で優勢を占めることになるのを、フラマン語系(オランダ語系、総人口の60%)が嫌ったらしい。その結果、南東部の片隅の「ドイツ語」共同体にも行政府と議会を設け、「地域」と「共同体」(言語区分)の二本立ての政府を作ることで両勢力に妥協が成立したのだという。
 現在、ブリュッセルに、ベルギー連邦政府(中央政府)とブリュッセル首都地域政府が置かれているのは理解するが、「フランデレン地域」共同体政府(=フラマン語共同体政府と統合)や「フランス語共同体」政府の政府・議会も置かれている。フランス語とオランダ語の公式な2言語地域として、街中にある看板、標識、駅名などは、フランス語、オランダ語の二ヶ国語表示が義務付けられているほか、市民は話す言語によって学校などが異なり、フランス語、オランダ語話者に対する文教・言語政策についてはそれぞれ「フランス語共同体」政府と「フランデレン地域」共同体政府が担当するなど、錯綜する。ブリュッセルには欧州連合(EU)の諸機関や北大西洋条約機構(NATO)の本部もあり、様々な国際機関や国際企業が存在するため、これらの関係国出身者が多く住むし、近年は旧ベルギー植民地(コンゴ民主共和国、ルワンダ、ブルンジ)だけでなくマグリブ(特にモロッコ)、トルコ、イラン、パキスタン、南アメリカなどからの労働者も増え、国際色豊かで多民族的な地域となっていて、イスラム聖戦主義者たちは紛れやすい。そのわりには、警察の管轄が分かれ、防犯カメラ・システムはロンドンやパリに比べるとかなり手薄と言われる。つまりブリュッセルは、イスラム聖戦主義者たちにとって「十字軍各国」の象徴的なところであり、目立つがために攻撃のしがいがありながら、攻撃に弱いため、攻撃しやすいところと言えそうである。
 今回のテロは、EUの関連機関が集積するビルからほど近かったこともあり、EU大統領は「ブリュッセル、ベルギー、EUは一丸となってテロに対抗する」と一致団結することを宣言したし、オランド仏大統領も、「狙われたのは欧州であり、世界中のあらゆる人々に関係する問題だ」と、世界各国が協調してテロとの戦いに臨むよう呼びかけた。EUがISのテロによって連帯するのは、ISがシリアやイラクの政情を悪化させるのに伴い発生する難民によって、EUが足元で分断の危機にあるせいでもある。長くなったので稿を改める。
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サクラ咲く・続

2016-03-23 00:27:41 | 日々の生活
 もうちょっとサクラのネタを。
 一週間ほど前の日経夕刊コラムに、宇宙飛行士の山崎直子さんが、4月初旬に宇宙に行ったため、宇宙でもお花見が出来たらと、花びらを塩漬けにした「桜茶」を持って行き、宇宙船の中で浮いた水の球の中に入れて、水中花を作った、などと風流なことを書いておられた。そして、海外の仲間にお花見や桜の開花予想習慣について話すと、まさに、風流だねと驚かれたと書いておられた。桜前線などの造語は、日本人ならではだろうし、春一番や木枯らしが吹くといった、季節の移ろいにこれほど敏感な民族は、世界広しと言えどなかなかいないだろうと思う。
 ボストンにいた頃、戦後のブレトン・ウッズ体制を生んだ会議が開かれたニューハンプシャー州北部のマウント・ワシントン・ホテルが建つあたり、所謂ホワイト・マウンテンズ(ホワイト山地)は、紅葉がきれいなことで有名で、実際に行ったことがあるが、その季節になると人が集まると言っても、アメリカのような閑散とした大陸国で集まるのだから、たかが知れている。シドニーにいた頃、春(11月頃)になると、ジャカランダが明るい紫の花を咲かせて、目を惹いたが、これも人々が開花予想をするところまで行くわけではなく、せいぜい咲き始めて、ああそういう季節になったか、と事後的になぞる程度だ。
 ところがジャーナリスト(中国ウォッチャー)の中島恵さんが今日の読売新聞(Web版)に「なぜ中国人は日本で花見をしてみたいのか?」というタイトルのコラムを寄せている。中国には桜の開花予測というものは存在しない、日本独自のものだと断りつつ、春浅き日から開花予測をチェックする中国人がおり、その中国人に言わせれば、中国人にとっての日本のイメージの第一は桜、次いで富士山、そして温泉、さらにラーメンと続くらしい。なんとなく納得させられる。要は中国で見られる日本関係の印刷物などで、イメージ写真によく使われるのが桜と富士山で、定番中の定番であり、定番の日本を体験してみたい、桜をバックにたくさん写真を撮って友達に自慢したい、ということのようだ。
 言わば、初めてパリに行って、エッフェル塔や凱旋門やシャンゼリゼ通りを訪れない日本人はいないのと同じ、あるいは初めてニューヨークに行って、自由の女神やマンハッタンの摩天楼を訪れない日本人もいないのと同じ、と言うのは言い過ぎであろうか(まあ、桜の方が、文化的で多少は高度な趣味かも知れないが)。中国人には、日本の田園風景も美しくて感動に値するものだと聞いたことがある。実際、中島恵さんによると、同じ桜の木とは言え、日本と中国では周囲の風景が大きく異なり、中国の桜は土壌や気候によるのか、枝ぶりが大きく育つことが多く、日本のように顔の間近まで枝がはうようなシチュエーションは少ないらしく、日本の桜とは趣が異なるそうだ。日本というハイ・クォリティの国の文化的な憧れ・・・つまり今はまだ希少価値があるに過ぎないと言ってしまえば身も蓋もないが、今は中国人の中でも裕福な部類の人たちが日本を訪れているわけで、庶民レベルまで桜を愛でる日本人のようなことが、今後も中国人の間で続くとはやはり思えないのである。
 日本人は、風や波によってユーラシア大陸から隔絶された日本列島に住むガラパゴス種・・・なのかも。
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サクラ咲く

2016-03-21 23:21:59 | 日々の生活
 今日、東京管区気象台はサクラ(ソメイヨシノ)の開花を発表した。平年より5日早く、昨年より2日早い観測だそうだ。サクラの開花日は、標本木で5~6輪の花が咲いた状態となった最初の日を言うらしく、標本木のある靖国神社で、気象庁の担当官が8輪の花が開いたのを確認し開花宣言するニュース映像を見た。「お待たせしました。桜の開花です」・・・こんな儀式があったとは知らなかった。
 子供の頃は何とも思わなかったのに、日本人にとってサクラは格別だと見直したのは、ほんの10年ほど前のことだ。当時、ほぼ赤道直下の常夏の国・マレーシアに暮らして、南国の花は原色鮮やかで、南国の果物は甘みが強烈で、いずれも刺激が強いのが物珍しかったが、一年経ち二年経つと、却って物足りなくなり、咲き誇ってなお淡いサクラの花の色や、控えめな桃や柿の淡い味わいが、なんとも奥床しく無償に懐かしくなったのだった。
 そして、その頃、吉田満著「戦艦大和の最期」を読んで、死地に赴くべく出発した戦艦大和が、離れ行く祖国の地に咲き誇るサクラを遠く望む場面で、乗組員が先を競って双眼鏡を手に取り、見納めになるであろうサクラを見やる健気な姿が、不覚にも涙を誘ったのであった。彼らが瞼に焼き付けようとしたのは、もはや現に見るサクラではなく子供の頃に見た故郷のサクラだったかも知れない。そして、咲き始めの可憐さと、咲き誇る華麗さと、散り際の潔さの美学に、自らの人生を重ね合わせようとしたかも知れない。
 サクラは、咲き始めてから1週間程度で満開を迎えると言われる。今週後半は寒の戻りがあるが、週末から来週にかけて、花見が楽しめそうだ。これで見納めというわけでもないのに、風に舞うサクラの花びらには、心が千々に乱れてしまう。なんと罪深い花か。
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爆買い中国の行方

2016-03-18 00:23:07 | 時事放談
 数日前の日経によると、米ホテル大手のスターウッド・ホテルズ・アンド・リゾーツ・ワールドワイドは、マリオット・インターナショナルによる買収に合意していたが、対抗馬が現れたことを発表したらしい。詳細は明らかにされていないが、WSJによると、2014年にマンハッタンの高級ホテル・ウォルドーフ・アストリア・ニューヨークを約19億ドルで買収すると発表したことで注目された中国保険大手の安邦保険集団が主導する企業連合という。シェラトン、ウェスティン、セントレジスなどの高級ホテルを展開するスターウッドと、マリオットと、いずれのメンバーでもある私は、両者の合併を心から歓迎していたのだったが、とんだ邪魔者が入ったものだ。
 NYのウォルドーフ・アストリアと言えば、Wikipediaによれば、かつて同市を訪れる歴代アメリカ大統領や、日本の昭和天皇をはじめ各国・国王などの元首クラスの賓客が数多く宿泊する超高級ホテルとして知られており、アメリカ政府は42階のスイートルームをアメリカの国連特命全権大使の公邸として借り上げていたというし、アイゼンハワー大統領やフーヴァー大統領、ダグラス・マッカーサー元帥などが自邸として使用したこともあったという。中国資本の買収により、大規模な改修を行なう予定とされると、盗聴器が仕掛けられる可能性が取り沙汰されて、数十年間にわたって国連総会の時期に利用してきた米国国務省は、昨年から防諜を理由に利用しないことに決めたらしい。もしスターウッドが中国資本に買収でもされたら、私ごとき、重要情報とは何の縁もない男でも、なんだか心穏やかではいられないのだから、中国ブランドの信用のなさには困ったものである。
 その中国資本は、世界中で様々な爆買いに手を広げ、世界中で懸念が広がっている。
 オーストラリアのターンブル新政権は、昨年11月、中国企業が売却を計画していた世界最大規模の牧場について、安全保障上の理由から承認を拒否したことが報道されていた。そう言えば、私がシドニーに駐在していた2008年にも、オーストラリア軍施設に隣接する敷地内に通信機器を敷設する工事を中国企業が請け負うのを、政府が承認しないことがあったものだ。
 アメリカでは、昨年10月、ハードディスク駆動装置(HDD)大手の米ウエスタン・デジタル(WD)が、半導体メモリー大手の米サンディスクを約190億ドルで買収することを発表した。サンディスクと言えば、東芝が2000年にNAND型フラッシュ事業で提携し、合弁会社を設立して四日市工場を共同運営してきた間柄である。サンディスクの買収には、WDのほか、DRAM業界3位の米マイクロン・テクノロジー.も興味を示していた。マイクロンと言えば、2013年にエルピーダメモリを買収し、デジタル機器に欠かせないNAND型フラッシュとDRAMの両方を手がける総合メモリ・メーカーである。これだけ聞けば、米国企業同士の買収案件ということで終わってしまうが、驚くべきことに、これらの買収合戦の裏に、清華大学が出資する中国政府系の半導体大手・紫光集団がいる。
 中国は、半導体自給率を高めるため国家IC産業発展推進ガイドラインを策定し、紫光集団はその先兵隊という見方がある。その紫光集団は、米ヒューレット・パッカードの子会社H3Cテクノロジーズ(もとは華為と3Comの合弁会社)を55億ドルで買収し、半導体封止・検査大手で世界最大の台湾・力成科技の株式25%を取得して筆頭株主となり、半導体受託で世界大手の台湾TSMC株式の25%取得にも乗り出しているとされる。そして昨年夏、マイクロン買収を打診し、更に9月にWD株式15%を38億ドルで取得して筆頭株主の座につくことで合意した.。マイクロンとWDと、いずれがサンディスクを買収しようと、紫光集団としてはサンディスクを経由して東芝の技術にアクセスできる可能性があったわけである。
 ところが三週間前の日経によれば、紫光集団はWDへの資本参加を断念すると発表した。この件に関して、米当局が調査に入ることを決めたためという。同じ記事の中で、紫光集団によるマイクロン買収も、その後「その件には答えられない」(紫光の趙偉国董事長)という状態が続き、進展はないと見られている。
 もはや中国マネーは単なるビジネスにとどまらず、国家の安全保障に直結し、米国では当局の認可の問題で中国企業によるM&Aが実現しない例が増えている。実のところ、昨年9月の米中首脳会談で最大の議題は米中投資協定だったと解説する研究者がいる。日本では殆ど報道されていない事実だが、中国はシリコンバレーの企業や技術へのアクセスを望み、オバマ大統領に拒否されたらしい。あの時の習近平国家主席の不機嫌な顔の原因はどうやらそこにあったらしいのである。日本でも経済産業省の機構改革があり、外資(ターゲットは中国資本とされる)による主に日本国内の中小企業への投資を審査する機能を強化していくらしい。
 5日から北京で開かれていた中国の全国人民代表大会(いわゆる全人代)は、2016~20年の中期的な経済社会政策の方針を定めた「第13次5カ年計画」を採択した。この5カ年計画を通じて小康社会(まずまずゆとりのある社会)を実現すべく、5つの原則を定めている。その第一にあるのが「イノベーション(革新的発展)」であり、第二は「釣り合いのとれた発展(協調)」、以下、「環境に配慮した発展(緑色発展)」「開放的発展」「共に享受する発展(共亨)」と続く。中所得国の罠を抜け出すためにはイノベーションによる産業高度化が必要であると認識するのは正しいが、中国人は技術を育てるというまどろっこしいことは苦手で、手っとり早くカネで買うか、さもなくばサイバー攻撃で盗もうとする。そんな中国のやろうとしていることは、米国や日本をはじめ世界中がお見通しである。かつてソ連は「第13次5カ年計画」が始まった年の瀬に崩壊したのだったが、中国の「第13次5カ年計画」そして中国共産党の統治はどうなるだろうか。
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民主くん失業か

2016-03-15 00:17:43 | 時事放談
 民主党のマスコット・キャラクター“民主くん”は、民主党と維新の党の統合後の新党名が「民進党」になることに決まって、失業(転職)する(あるいは改名する)可能性が高まっているそうだ。私は“民主くん”に義理立てするほどの縁はないが、全くもって不憫である。何がって、これほど国民から愛想をつかされた民主党を応援するために命名されたことが、である。
 新党名については、民主党が提案した「立憲民主党」と、維新の党が提案した「民進党」のどちらが相応しいか、それぞれご丁寧に調査会社を起用して世論調査を実施したらしい。その結果、いずれの調査会社も5ポイント程の差をつけて「民進党」に軍配が上がったという(民主党の調査では民進党24.0%、立憲民主党18.7%、維新の党の調査では民進党25.9%、立憲民主党20.9%)。民主党の幹部の中には、「民主」の看板が予想以上に評判が悪い現実を突きつけられ、動揺を隠しきれないというが、何を今さらである。そんな感度の鈍い民主党だから、民主党政権下で「友愛の海」などと呑気なことを言って中国に擦り寄ってアメリカの怒りを買い、日米同盟を最悪の危機に陥れても気が付かなかったのかも知れないし、日米同盟が弱体化したと見るや、2012年7月、メドベージェフ首相(当時)が北方領土を訪問し、それを見ていた李明博大統領(当時)も翌月、韓国の大統領として初めて竹島を訪問しても、それをゆさぶりと受け取らず、さして危機感を募らせなかったのかも知れない。おめでたいものだ。
 菅義偉官房長官は記者会見で、綱領より先に党名が決まったことに対し、「党名よりも政策に関する議論が本来あって然るべきだ」と、政策不在の党名決定に疑問を呈したというが、もっともな話だ。また、自民党中堅議員によると、千葉県内のイベントに参加するため来日中の台湾の民主進歩党(民進党)関係者が「せっかく政権交代を果たすのに、日本の民主党が民進党に変わったら我々のイメージが悪くなる。やめて欲しい」と語ったと言い(産経Web)、なかなか良く出来た話だが、本当かどうか知らない。
 日本には昔の名前にこだわり続ける大御所がいる。言わずと知れた「日本共産党」である。大正11(1922)年、ソ連共産党が世界に共産主義を広めるために設立したコミンテルンの日本支部として結成され、その後自主独立路線に転じて、ソ連が崩壊した後もなお共産党を名乗り続け、間もなく100年になる。古色蒼然としているが、合従連衡を繰り返し名前をころころ変える他の政党に比べれば却って潔いとも言える。が、万年野党として、政権を獲る意欲も能力もなく、無党派層の受け皿たり得ないという点では変わらない。
 日本の政治には困ったものだ。トランプみたいなのが現れてヘタに受け皿になっても困るのだけど。
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3・11から5年

2016-03-12 23:18:03 | 日々の生活
 今年の3・11はあの日と同じ金曜日で、一巡したということは、月日が経つのは早いものだと思う。そして人間の記憶はよくしたもので、心を健全に保つために、5年前のあの日のことは記憶の片隅に追いやっている。
 しかし、それは忘れようのない心の疼きである。午後2時46分、東京にあってすら、かつて感じたことがないほどの大きな揺れに動揺し、港区の36階のオフィスから遠く東京湾を眺めながら、私の世代らしく「日本沈没」の漠然とした恐怖を、東京を直下型地震が襲った場合に遭遇するであろう壊滅的な状況に対する虚無を、ぼんやり感じていた。味気ない非常食をかじっていたら、たまたま外出していた同僚がマクドナルドの暖かいハンバーガーを大量に買い込んで差し入れてくれた。これほどマクドナルドが有難く思えたことはなく、それほど心は沈んでいたのだった。その日はオフィスの会議室で、椅子を並べてコートを羽織って仮眠し、翌日、36階の階段を降り、動き出した電車に乗って帰宅して、ようやく一息ついたのだったが、二日ぶりに湯船につかると、地震の揺れなのか、36階の階段を力なく降りた時の揺れなのか、湯に浮かぶ身体が今なお揺れを覚えていて眩暈を感じ、被災地でもないのに、心が負った傷の深さを思った。
 その後一ヶ月ほどは、地震や津波よりも、放射線被害の恐怖に怯えることになる。新聞や雑誌や関連書籍やネットの記事を読み漁り、「共感疲労」と自ら判断せざるを得ないような気もそぞろの状態に陥った。災害時に被災地に入る医療関係者やボランティアによく見られる現象で、相手の境遇に心を寄せて考え過ぎるあまり、自分のエネルギーがすり減ってしまう状態である。
 ようやく落ち着きを取り戻すと、あらためて、地震、火山噴火、台風、豪雨などの自然災害とともにある日本列島の自然環境の厳しさを、その中に住まう日本人の国民性を思った。西欧文明は自然を超克しようとして大きな壁にぶちあたっているが、日本は自然を畏怖し、自然と共存しようとする。普段は謙虚で淡白なほどの国民性も、またこれほどの危機的状況に置かれてなお、欧米の人々だけでなく中国の人々ですらも驚嘆した、暴動一つ起こることなく周囲を思いやり、少ない救援物資を略奪することなく辛抱強く待って淡々と分かち合う民度の高さは、間違いなくこの国の風土が育んだものだろう。
 そして今、歴史に謙虚に学ぶことの重要性を思う。今朝、辛坊さんの番組「ウェークアップ!」で、南三陸町が高台に居住区を移転している様子を伝えていたが、遅きに失したと言えば怒られるだろうか。また、私たち自身の自己責任にも思いを馳せる。先日、災害を振り返る講演を行った建築学の専門家は、建築基準法など、最近起こった問題に対処するだけであって、将来起こることまで安全を保証するものではない、だから自分のことは自分で守れと、ごく冷静に当たり前のことを諭していた。お上のやることに余り反抗することがないのもまた国民性であるが、それはまあよしとして、お上に依存するほど国民性が劣化したのは、明治以降のことではないかと思う。開国した当初、野蛮と思われていた日本を訪れた欧米人は、一様にその精神性の高さと文化レベルに驚嘆した。危機的状況でこそ、本領を発揮する。3・11は、自然災害の悲惨さとともに、それを克服する日本人を見ながら、本来、日本人がもつ潜在的な強さに思いを馳せるときであってよい。
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青梅への道ふたたび(6)

2016-03-09 00:31:13 | スポーツ・芸能好き
 瀬古利彦さんによると、生活の中でいかにマラソンに不用なことを省いていけるかが最後の最後で勝負を分けるのだそうで、1970年代後半から80年代にかけて、修行僧のように黙々と走り抜いて絶対的な強さを誇った瀬古さんの面目であろう。しかし私は普段の生活を1ミリたりとも崩すことなく、ただ走る。高校時代、陸上部で中距離を専門にしていた頃、あの若さでも筋トレやマッサージをこまめに欠かさなかったが、この歳になって体力が衰えてなお、身体を全くケアしない。そのため、疲れが抜けないし、ただ走るだけの身体が出来上がり、上半身はすっかり筋肉が落ち、体幹もさほど鍛えられていないように思う。食生活は、マラソンを再開する前の習慣のままで変わらず、体重を10キロ落としても筋肉が増えたせいか、最近はむしろ常に飢餓感を覚えるようになった。そして練習は、ここ二年ほどはレース1ヶ月前になると週一を週二(週末に17キロ、週日に帰宅後10キロ)に増やしているが、ただ漫然と走るだけだ。
 こうした、自然体の、と言えば聞こえはよいが、何とも無防備なトレーニングでは、どうも記録的に限界にぶち当たっているように感じる。しかも備えがないものだからレースを走り終えた後の身体へのダメージは大きい。一昨日、温泉につかったとき、乳首はシャツで擦り切れ(時にはゼッケンが血まみれになる)、股間は股ずれで、いずれもヒリヒリした。左足の人差し指の爪は、青梅マラソンの時の靴ずれで、爪の中が血マメのように赤黒く染まり、死んでいる(数週間後には爪がポロリと抜け落ちる)。走るときの足や膝には体重の三倍の重圧がかかると言うから、歩幅1メートルとして42195歩の負担は決して小さくない。
 もう少し科学的に対策を考えた方が良さそうだ。何しろ、年々齢を重ね、同じ練習を繰り返しても体力とともに記録は落ちる一方なのだ。量を増やすのが難しければ(そりゃ他にもいろいろやりたいことがある欲の固まりなので、これ以上マラソンに時間を割くのは難しい)、質を上げるほかない。ということで、いろいろ課題がある。
 先ずは足に合う靴を選ぶことが必須だ。私の場合、ワン・サイズ大きかったようで、42195歩の末の靴擦れの影響ははかり知れない。また、フルマラソンを1回走っただけでも、靴のミッドソール部分のクッショニングが落ちるし、アウトソールの左右も多少なりとも擦り減って、本来靴が持っている機能が劣化するので、反発力、クッション性、グリップ力などの観点から、レースでは(意外なことに履き慣れた靴ではなく)真新しい靴を履くことを勧められる。
 カーボローディングに代表されるように、レース前は予め炭水化物を多く摂っておくことを勧められる。アメリカではレース前日の夜に主催者側がパスタ・パーティを開催することがよくあるのは、炭水化物摂取が目的だろう。また、本番のレース前(及び10キロ毎)だけでなく、走り終わった後や、普段の練習の後、更に就寝前にも、ジェル状の栄養補給(タンパク質、とりわけアミノ酸摂取)を行うのが、筋肉の疲労回復やコンディショニングに有効らしい。レースでは、低血糖や脱水症状により瞳孔散大することがあるので、こまめに水分を摂るだけでなく、万が一のためにブドウ糖のタブレットも欠かせない。
 練習では、ビルドアップ走により、漫然と走るのではなく、また疲れたら手を緩めるのではなく、後になるほどスピードを上げるなど、身体に負荷をかけるトレーニングが重要らしい。とりわけ10キロを毎日走るより、週一回、ゆっくりであっても長距離走ることが重要らしい。今回の静岡マラソンでは初めて腰痛を抱えて走ることになったが、普段から体幹を鍛えておけば、こうはならなかったかも知れない。
 レースの後や練習の後、知人はプロのマッサージ師に時々通って疲労回復に努めている。特に今回のように青梅マラソンから二週間しか間が空いていないような状況では、ダメージ緩和にもっと気を遣うべきだったのだろう。レースの二週間前にやったものは疲労として残るだけで、何かトレーニングをやり始めたとしてもレース本番には結びつかないため、レース二週間前からは、徐々に練習量を減らして疲労回復に努めることが大事らしい。
 レースを走っている最中や走り終わった後、市民マラソン・レベルでは心肺機能に負担はなく、胸から上は至って元気で、専ら足腰の筋肉や足・膝の関節にダメージがある。煎じ詰めれば、足腰を鍛え、地面との接点である靴をよく選び、走っているときのガス欠を避けることが出来れば、何の問題もないわけだが、その道のりは口で言うほど平坦でも簡単でもない。生身の人間の限界に至る力が試される競技だけに、ダメージは大きいが、その分、奥が深いし、それをどうマネージするかが問われ、ひとそれぞれに工夫がある。そのあたりにマラソンの魅力があるのだろう。
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青梅への道ふたたび(5)

2016-03-06 22:53:46 | スポーツ・芸能好き
 今日、静岡マラソンを走って来た。静岡市役所静岡庁舎前(駿府城址界隈)を8時20分にスタートし、安倍川を越えてそのまま海に出て、海沿いを清水港まで走り、JR清水駅東口がゴールとなる。比較的フラットで、市街を交通規制して走り抜ける爽快感がある。晴れた日には、レース後半、正面に雄大な富士山が聳え、真っ青な駿河湾を望みながら富士山に向かって走るのが、静岡マラソンの醍醐味とされるのだが、残念ながら曇り時々雨で、それどころではなかった。しかし謳い文句に惹かれて、1万人を越えるランナーが集まって、壮観である。
 フルマラソンになって三回目の大会のようだが、前身は1976年から開催されていた静岡駿府マラソン(但し最長でもハーフマラソン)で、歴史があるだけのことはあり、運営はよくOrganizeされていた。給水ステーションに比べて給食ステーションが少ないのが玉に瑕で、そのためここぞとばかりにアンパンを食べ過ぎて胸焼けしてしまったが、バナナのほか地元の久能石垣イチゴ(と思われる)が出されるのは嬉しい。ほかに沿道の駐車スペースを使ってカレーやおでんがふるまわれたが、並んでまでして食べる気にはならなかった。
 私にとって、今シーズンは、二週間前に行われた青梅マラソンでの記録へのチャレンジが主目標で、今日のレースはオマケだった。ブログ・タイトルが青梅になっているのはそのためだ。しかしオマケと思っていたら、見事にしっぺ返しを食らってしまった。この二週間で、十分に疲れが抜けず、身体が重くて、10キロ地点で既に20~25キロ走ったかのような疲労感に見舞われ、5時間を切るのがやっとの状態だった。生涯12回目のフルマラソンで、走り込みは足りないながらも全て完走、全て5時間未満の記録を絶やさないために、へろへろになりながら走り続けるのがこれほど辛かったことはない。この4年間、毎シーズン、一歩前進、二歩後退、のような有様で、別途総括しようと思うが、フルマラソンを甘く見過ぎていたかも知れない。
 今回は知人の運転する車で出かけたのだが、朝が早いために前の晩に御殿場で一泊し、それでも早朝5時には出発する長い一日となり、ちょっと疲れてしまった。そこで、折角だからと、帰りに三保の松原のホテルに立ち寄り、温泉につからせてもらって一息入れ、更に遅めの昼食は、清水名物・桜エビのかき揚げ蕎麦にシラスのかき揚げ丼(ミニ)をつけ、ご満悦であった。日本のマラソンでは初めてのちょっとした遠出となったが(アメリカではボストンからNY Cityマラソンへ、サクラメントからサンディエゴ・マラソンへ遠征したことがある)、旅行のような楽しみが味わえて癖になりそうである。
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爆買いの諸相(下)

2016-03-03 01:10:33 | 時事放談
 「爆買い」で垣間見える中国人のマナーの淵源について、ビックリ・エピソードをググってみた。
 かつてソフトブレーンを創業し、今は生活の拠点を北京に移した宋文洲さんによると、この5年間で家政婦さんの給料は3倍近くになり、2009年には月に1500元で雇えたが、2014年になると月に3000元でも雇えなくなったという。そして、所得が上がったことを示すエピソードとして印象的なのが「家政婦さんも子供を連れて飛行機で帰省するようになった」ことで、「彼女にとって飛行機は初体験のようだったが、貧しい地域から来た家政婦さんが汽車ではなく、飛行機に乗って帰れるようになった」のだと感慨深く述べておられる。
 産経Webによると、不慣れな航空機への搭乗で中国人客が相次ぎトラブルを起こしているため、業界団体の中国航空運輸協会が「違反者はブラックリスト(黒名単)入りさせて情報を共有する」などとして中国人向けに10項目の警告をまとめ、厳守するよう呼びかけたらしい。そこで禁止される行為とは・・・

(引用)
 1.空港カウンターなどをふさぐ行為=昨年バンコクで重慶行きの便が遅延したことに怒った中国人客がカウンターをふさいで空港職員を吊し上げ、大声で中国国歌を歌い続けて脅迫した
 2.空港や機内での乱暴な言動=昨年ユナイテッド航空機内でエコノミー席の中国人がファーストに変えるよう執拗に迫り乱闘騒ぎを起こした
 3.客室乗務員らへの暴行や脅迫=昨年バンコク発南京行きの便でサービスに難癖をつけた中国人客が激高して客室乗務員に熱湯をかけてやけどを負わせた
 4.客室乗務員の指示の無視=シートベルト着用や着陸直後の携帯電話、荷物の引き下ろしなど
 5.勝手に非常ドアを開ける行為=国内便だったが中国人客が到着時に人より先に降りたいとの理由や、離陸待ちの機内で外の新鮮な空気を吸いたいとの理由でそれぞれ勝手に非常ドアを空けてしまった
 6.無理に搭乗しようとゲートを突破=手荷物の重量オーバーによる追加料金を拒否した中国人の女が無理やり搭乗しようとして大騒ぎし、ゲートを突破して職員に取り押さえられた
 7.空港施設の破壊行為=2年前に国有企業の幹部が雲南省でフライトに乗り遅れたことに腹を立てて空港の設備を破壊し、逮捕された。
 8.ニセの爆破予告=3年前に立て続けに中国の航空会社に5件の爆破予告があり緊急着陸するなどの事件となったが、いずれも「社会に不満をもつ中国人」のしわざで逮捕
 9.滑走路などへの立ち入り=3年前にフライト遅延に怒った中国人客が上海と広州でそれぞれ滑走路付近に飛び出して抗議活動を行い、拘束された
10.航空スタッフへの業務妨害や他の乗客への迷惑行為=飛行中にトイレが満杯だったとして機内の通路で小さな子供に平然と大便をさせた中国人の母親など
(引用おわり)

 ところ構わずの傍若無人ぶりが目に浮かぶ。特に10番目は強烈だが、中国では路上だろうが地下鉄車内やプラットホームだろうが普通に「大便小僧」がネット上で話題になるようだ。故宮(紫禁城)内の故宮博物院でもお構いなし。産経Webは、ところ構わず用を足す「中国式用便」と呼ぶ。タイ北部の寺院ワット・ロンクンでは、以前から中国人ツアー客の「文明的でない」行為に悩まされていたが、とうとう「破天荒なトイレの使い方」に寺院側が激怒し、中国人ツアー客の拝観を禁止したことがあるらしい。的を外すほか、小のところで大をする、水洗用の水をためた水槽に使用後のトイレットペーパーを投棄する、トイレットペーパーをリュックに入れて持ち帰る、極めつけは使用済み生理用品をトイレの壁に貼り付けていく女性もいたという。いやはや中国人恐るべし。話としては実に興味深く面白いが、その場には居合わせたくないものだ(苦笑)。
 尾籠な話はこれくらいにして・・・中国の地下鉄車内は、案の定「悪マナー」のオンパレードだそうだ。車内での飲食は珍しいことではなく、車内でラーメンを食べる女性を携帯電話のカメラで撮影しようとした乗客が、女性にラーメンをぶっかけられる事件がネットで紹介されたらしいし、ホームでサトウキビやヒマワリの種や落花生を食べては、食べかすを散乱させ、上海市は車内での飲食を禁じる政策を導入しようとしたところ、出勤途中に朝食を摂れなくなる(!?)と通勤客から反対の声があがって見送られたらしい。産経Webは、ところ構わず食べるという、こちらの「中国式」も改まりそうにない、などと言っている。地下鉄、路線バス、切符売り場などで乗客同士のけんかは日常茶飯事で、北京の地下鉄で、乗客4人が混雑した車内で「押した」「押された」などといった小競り合いになり、数駅にわたって殴り合うけんかになったこともあるという。日本でもないわけではないが、中国では激しく、人騒がせだ。
 車社会となった中国では、ドライバーも歩行者も交通法規やマナーと無縁らしい。そもそも譲り合いの精神など中国人の辞書にはなく、自分勝手が徹底される・・・というのはよ~く分かる。高速道路などの合流点では、割り込みが横行し、相手の車の進路をうまく塞いだ方が勝つので、つばぜり合い・・・というのは、私も華人社会のマレーシア・ペナン島で毎日格闘したものだ。高速道路から出る場合も、出口用の車線にお行儀よく並ぶことはなく、走行車線を走って出口手前でいきなり割り込むドライバーが横行するというのも、よく目撃したものだ。渋滞で停車中の車からはペットボトルやごみ袋、食べかすなどが次々と投げ捨てられ、路上はあっという間にゴミ捨て場になるというし、長時間の渋滞で、我慢できなくなった人が路肩で用を足して悪臭が漂う・・・またしても尾籠な話になってしまった。一般道でも、自動車は赤信号で止まるべき横断歩道で、「行ける」と思えば警笛を鳴らして突っ込み、あるいは歩行者を蹴散らして突き進み、歩行者も、赤信号でも一定の人数が集まれば片側3車線の道路でも渡ってしまうという。似たような話は中国営業担当の知人からよく聞かされた。
 海外でも、中国人の本領発揮で、インド洋の島国モルディブでは、中国人旅行者がホテルの部屋でカップ麺ばかり食べるため、湯沸かしポットを撤去したところ、「(人種)差別だ」と大騒ぎになり、中国ではモルディブ旅行をボイコットする動きが広がったという。エジプト・ルクソールの古代神殿で15歳の少年の落書きが判明したのは、まだカワイイものだが、世界各地で品位のない振る舞いが余りに顰蹙を買うものだから、3年ほど前、国家観光局は「文明的旅行者であることは、国民一人一人に課せられた義務である」といった書き出しで始まるガイドラインを中央政府のウェブサイトに掲載し、「道に唾を吐かない」「ゴミのポイ捨てをしない」「列の順番は守る」「歴史的価値のあるものを傷付けない」など、小学校の校則のような禁止事項を列挙して、自国民のマナー改善に乗り出したらしい。「公共秩序の遵守」「環境保全」「他人の権利の尊重」「礼儀をもって接する」といった旅先での振る舞い方も具体的に列挙し、「適切な娯楽を見つけるべきだ」と節度ある行動を求めてもいるらしい。繰り返すが、学校の校則ではなく、中央政府のウェブサイトである。
 政府の、ということでは、2008年8月、北京オリンピック開催にあたって、北京市当局が、市民のマナー向上のために「外国人に聞いてはいけない8つの質問」を纏めていたのを思い出した(シドニー滞在中のブログに掲載: http://blog.goo.ne.jp/sydneywind/d/20080808)。

(引用)
 「個人のプライバシーや家族のこと」
 「収入や支出について」
 「家族の財産について」
 「年齢や結婚の有無について」
 「健康状態について」
 「家族の住所・出身地について」
 「政治や信仰について」
 「性生活について」
(引用おわり)

 どんなに親しい仲でも聞かないだろう・・・というような質問が含まれるのには驚かされる。これを街行く見知らぬ外国人にいきなり聞くというのだから、厚顔無恥もいいところで、やはり中国人は大物である。以前、日下公人さんが言われていたように、古代世界に住んでいた中国人が、中世や近世・近代を経ることなく、いきなり現代社会にタイム・スリップしたような感覚かも知れない。また、漢民族国家というのはまやかしで、唐代末の混乱で漢民族は絶滅し、農耕民族ではなく、西方や北方の遊牧民族や騎馬民族がその後の中国人を形成していると言われるから、性格が激しいのであろう。私たち現代人が唖然とするような、否、私たちを楽しませてくれるような光景は、当分、なくなることはないかも知れないから、諦めた方がよさそうだ。
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