ロシアがウクライナに侵攻してから一年が経った。プーチンが言うところの「特別軍事作戦」はどう見ても「戦争」であって、戦争を知らない世代が殆どの現代にあっては衝撃的であり、その惨劇は新聞紙上の一面を賑々しく飾り立てて来た。しかし一年経てば、人道に対する脅威には心が痛むが、日常となる。
この一年を回顧する特集記事の一つは、「逆流する世界」と書いた(TBSによる)。確かに「逆流する」と言いたい気持ちはよく分かるが、それは日米欧を中心とする西洋史観に立つ偏った見方に過ぎなくて、世界はなお歴史観という意味では跛行状態にあるのが現実だ。そして、パンデミックが世界を変えたわけではなく単に歴史の歯車を速めただけだと言われたように、プーチンの戦争もまた世界を変えたわけではなく歴史の歯車を速めただけだと言える。それは大雑把に言えば、世界が、先進国と言われて来た日米欧の西側諸国を中心とする自由・民主主義の第一世界と、ロシア・中国・イラン・北朝鮮などから成る権威主義の第二世界に加え、両者から距離を置き、両者から利益を得ようとする強かな第三世界に分かれつつあるという現実である。これ自体は、これまでも論じられて来たことだが、これまではかつてリー・クアンユーが語ったように第三世界は米・中の間で踏み絵を迫られたくないという消極的な意味合いが強かったのに対し、今や自律性を強めつつあることが新たな現実だと言える。国連総会でロシア非難決議に表れる通りの世界の分断である。
私たちは、古代ギリシアの哲学に学び、人類は必ずしも進歩するわけではないと知りつつ、それでも近代の歴史に学び、歴史は進歩するという考え方に慣らされて来た。しかしそれは西洋を中心とする狭い世界の物語に過ぎない。確かに、リベラルな現代から振り返れば野蛮とも言える、ダーウィンの進化論に支えられて大国が小国を搾取して世界を牛耳ることを恥じない帝国主義の成れの果てに、二度の世界大戦を経験するという反省を踏まえて、戦争を違法化し、国際連盟に続き国際連合という、大国による権力政治と対極をなす国際的コミュニティを築き上げる知恵を身に着けたつもりになっていた。しかし、それは第二次大戦後の戦勝国たる西洋世界によって規定された平和の秩序に過ぎない。その中核をなす国連・安全保障理事会の常任理事国の中に、19世紀的な大国政治へのノスタルジーを捨て切れない中国やロシアが同居し、欧米がもたもたする間に、パワーバランスが中国や第三世界に傾きつつあり、ロシアに至っては、ソ連という帝国崩壊のルサンチマンを抱えて虎視眈々と復活を狙う始末だ。
こうしてパンデミックに加えプーチンの戦争によって、西側・第一世界の民主主義のレジリエンスが問われている。
そんな中で、もともとアングロサクソンのアメリカ嫌いのフランス人エマニュエル・トッド氏が、「この戦争は単なる軍事的な衝突ではなく実は価値観の戦争」でもあり、「西側の国は、アングロサクソン的な自由と民主主義が普遍的で正しいと考え」るのに対し、「ロシアは権威主義でありつつも、あらゆる文明や国家の特殊性を尊重するという考えが正しいと考え」ており、「中国、インド、中東やアフリカなど、このロシアの価値観のほうに共感する国は意外に多い」と語った上で、「世界が多極化し分断しても、それが不安定な世界だとは限りません。ロシアの言う『あらゆる文明、あらゆる国家がそれぞれのあり方で存在する権利を認める』世界が支持され、実現するなら、ロシアが勝者になると考えることもできるわけです」「米国が一国の覇権国家として存在し、無責任な行動をとる世界のほうがむしろ不安定化を招くでしょう。この状況は早々に終わらせるべきです。そのためには米国が自分の弱さを認めるしかない。そうしないと『終わり』は来ないのだと思います」と主張される(*)。
その考え方自体は一考に値するが、だからと言って、ロシアの行動を正当化出来るわけではない。私はかねて氏の人口論には敬意を払って来たが、最近の氏は、民主主義を拡大解釈して政治制度を超えて経済的な平等をも含む社会的な観念として捉え、アメリカが民主主義を国是とするばかりに、その社会的分断を移民社会によるものではなく民主主義の後退と捉えるところを、苦々しく思っている。
そんな氏と池上彰氏の対談を掲載するAERAは、日本の、とりわけ安倍長期政権で傷ついた日本の民主主義や立憲主義を悲観し、間接的に批判しているつもりになっているのだろうか。トッド氏がアメリカ嫌いのためにレンズを曇らせているように、朝日新聞系列も安倍嫌いのためにレンズを曇らせているように見える。そのために肝心の問題・・・戦後のリベラルな国際秩序が危機に瀕しているというのに、アメリカを中心に築き上げられて来たばかりに、的を外した議論がなされているように思えて仕方ない。問題はそこではない、と言いたいのだが・・・。
(*)「『中立』の立場で見るウクライナ戦争の背景とは?」https://dot.asahi.com/aera/2023022100040.html
「ウクライナ戦争に勝者はいない『みんなが負ける戦』」https://dot.asahi.com/aera/2023022100058.html
「ウクライナ戦争後の世界『米国の崩壊』もあり得る」https://dot.asahi.com/aera/2023022200058.html