風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

日本人横綱誕生

2017-01-28 23:30:01 | スポーツ・芸能好き
 稀勢の里が大相撲・初場所を制し、過去の安定した戦績も評価されて、久しぶりの日本人横綱誕生となった。若・貴、武蔵丸(ハワイ出身、後に帰化)のあと、朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜とモンゴル出身が続き、貴乃花が引退した2003年1月以来14年にしてようやく日本出身横綱不在(日本人横綱としては武蔵丸が引退した2003年11月以来13年)に終止符が打たれることになる。大相撲を盛り上げているモンゴル出身力士には感謝するものの、日本人としては、そして40年来の大相撲ファンとしては、やはり日本人横綱を待望していたと白状せざるを得ない(なお、報道では日本出身横綱と言われているところ、ブログ・タイトルは敢えて日本人横綱とした。正確に言うと、三代目・若乃花が1998年夏場所後に横綱に昇進し、武蔵丸が(1996年1月に帰化した後)1999年夏場所後に横綱に昇進したので、日本出身横綱として19年振り、日本人横綱として18年振りということになる)。
 稀勢の里については、大関昇進を果たしたときに「角界の大器晩成」というタイトルでこのブログに取り上げたことがある。調べて見るとあれから5年も経っている。優勝力士に次ぐ成績を残すこと実に12度、何度もあと一歩の悲哀を味わいながらなかなか果たせず、大関昇進後31場所目にしての優勝は(琴奨菊の26場所を超えて)歴代で最も遅い記録だそうだ。まさに「大器晩成」である。
 若い時から注目はされていた。十両昇進は貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(17歳9ヶ月)で、新入幕も貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(18歳3ヶ月)、更に三役昇進は貴乃花、北の湖、白鵬に次ぐ年少4番目の記録(19歳11ヶ月)と、スピード出世で早くから好角家の期待を集めてきた。朝青龍の全盛期、2006年の九州場所では、立ち会いで横綱としては異例のけたぐりを見舞われ、翌2007年春場所では、送り投げで投げられて倒れた後に軽く膝蹴りを受け、2009年初場所では、寄り切られた後、ダメ押しの二発を見舞われるというように、暴れん坊・朝青龍から目の敵にされた。白鵬との因縁も浅くなく、2010年の九州場所二日目、寄り切りで破って63の連勝記録を止め、翌2011年の初場所11日目、押し出しで破って23で連勝を止めるという巡りあわせになった。
 実は大関に昇進するときにも、千秋楽の結果を待たずに審判部が会議を開いて臨時理事会開催を要請し(理事会で大関昇進が見送られた例がないことから)事実上大関昇進が決定して、一部のマスコミ関係者から疑問の声があがった。そして今回も千秋楽を待たずして同様の動きがあり、横綱推挙となれば大関ほど簡単には行かないものの、「大関で二場所連続優勝」の原則から外れるため、甘いのではないかと疑問視する声があがっている。確かにこのあたりの判断には議論があろう。しかしかつて内館牧子さんが言い放ったように「大関で二場所連続優勝して横綱昇進」を必須の条件とするなら横綱審議委員会の存在意義はない。横審の内規では、原則のほかに「二場所連続優勝に準ずる好成績を上げた力士を推薦することが出来る」とし、何よりも基準の第一に「品格、力量が抜群であること」を謳っている。5年務めた大関としては何度も優勝争いを演じたことはもとより、先場所の12勝という数字自体はやや物足りないものの三横綱を倒し、一年を通しても三横綱を差し置いて(優勝のない力士としては初の)年間最多勝を手にしたという意味で、力量は申し分ない。もし稀勢の里のことを言うなら、日馬富士や鶴竜が横綱に昇進したときの基準も振り返ってみるべきだろう。
 過去の勝率を調べてみると、ここ一年、年間最多勝も取った稀勢の里の成績が優れているのは当然だが(稀勢の里0.822に対して、日馬富士0.720、鶴竜0.693と差は歴然)、横綱の二人が大関時代より成績を落としているのは問題ではないだろうか(例えば横綱になる前の一年間の大関・日馬富士の勝率0.756、鶴竜0.733)。確かに横綱に昇進する直前、日馬富士は二場所連続して全勝優勝の快挙を成し遂げ、鶴竜も優勝は一度ながら二場所続けて14勝を挙げたが、二人ともその前の場所は一桁勝利にとどまる。その意味で(勝負は相手あってのことで、数字だけ見ても仕方ないのだが)、うまく一瞬の流れを捉えて横綱の座を捉えたと言えるが、その前後の成績を見れば、「大関で二場所連続優勝して横綱昇進」が絶対の基準とは思えない(私はかねがね、日馬富士が横綱であることを疑問視してきたが、このご時勢に4人も横綱が出ること自体が問題と言えなくもない)。
 そして、品格である。「何度もファンを裏切りながら、それでも背中に受ける声援はやまない。稀勢の里が愛されるのはなぜか」と自問し「勝っておごらず、負けて腐らず。2人の父(注:実の父と相撲界の師匠)から教わった『もののふ』の心は国技の根幹でもある」と自答して賛辞を贈る記者がいる。昨今珍しい中卒たたき上げで、「自分は力士。土俵の上でしか表現できないから」とほとんどテレビ番組には出ず、「不器用で古風な力士の雰囲気を身にまとうが、普段はよく話し、よく笑う好漢」と評する声もある。横綱昇進伝達式の後の会見で、目指す横綱像を問われて「横綱は常に人に見られている位置だと思う。稽古場もそうだし、普段の生き方も見られている。もっともっと人間的にも成長して尊敬されるような横綱になりたい」と答えた。お相撲さんらしいお相撲さんだ。
 昨日、明治神宮で行われた奉納土俵入りには約1万8千もの観衆を集めたらしい。その最多記録は1994年11月26日の貴乃花の2万人だそうだが、それに近い人数だったことには驚く。かつて八百長問題などで揺れた角界だったが、相撲人気を取り戻し、最近は相撲好きの女性が「スー女」などと呼ばれるほど新たなファン層も獲得した上、やはり日本人横綱への期待が高まっているのだろう。白鵬にも衰えが見える今、精進し、横綱昇進に疑問の声を吹き飛ばすように、堂々とした横綱相撲で魅了して欲しいものだ。

(参考)横綱になる直前一年の成績
稀勢の里 13勝 13 12 10 12 14 計74勝16敗 勝率0.822
鶴竜    10勝 10  9  9 14 14 計66勝24敗 勝率0.733 (昇進後 9勝 11 11 12 10 全休 ・・・)
日馬富士  8勝 11 11  8 15 15 計68勝22敗 勝率0.756 (昇進後 9勝 15  9 11 10 10 ・・・)

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セールスマン大統領(続)

2017-01-26 01:19:45 | 時事放談
 CNNの世論調査では、就任式直前のトランプ氏の支持率は僅かに40%、近年稀に見る低さだったらしい。オバマ氏が一期目就任直前に84%だったのと比べると、その差は歴然としている。ツイッターで個別企業に圧力をかけて対米投資を促し、就任早々、NAFTA再交渉やTPP永久離脱を決めるなど横暴とも言える大統領令を連発するなど、やりたい放題で、こうなるとオバマ氏の善人振りが際立ってしまう(笑)。
 この支持率に見られるように、トランプ氏はアメリカを分断してしまった。否、トランプ氏が分断したと言うよりも、既にオバマ前大統領の時代に分断が決定的なものとなり、トランプ氏は単にその結果として登場しただけのことだろう。それが「トランプ現象」と呼ばれるものの実体だ。フォーリン・アフェアーズ誌などを読んでいると、「ポピュリズムは民主主義が問題に直面していることを示す現象に他ならない」(シェリ・バーマン氏)ということになる。より踏み込んで言えば、「トランプ氏が支持を集めたのは、そのカリスマや支持者たちの権威主義志向よりも、むしろ、格差の拡大、賃金の停滞、コミュニティの劣化、議会の膠着状態、そして選挙への大規模な資金の流入という問題だった」(同)。こうした「現実に向き合おうとしないエリートやその制度(民主主義)」(同)が、普通の人々の立場から批判を受け、もっと言うと愛想をつかされ、今まさにリベラル民主主義の器量が問われている。その意味でBREXITに揺れる欧州とも根っこは同じようだ。
 格差拡大という点では、最近、貧困撲滅に取り組む国際NGO「オックスファム」が、世界で最も裕福な8人が保有する資産は、世界の人口のうち経済的に恵まれない下から半分にあたる約36億人が保有する資産とほぼ同じだったとする報告書を発表したのが記憶に新しい。その内の6人は米国人だ。ビル・ゲイツ氏、ジェフ・ベゾス氏、マーク・ザッカーバーグ氏、ラリー・エリソン氏といった超有名IT長者(伝説の創業者)のほか、投資家ウォーレン・バフェット氏、そしてマイケル・ブルームバーグ氏は前ニューヨーク市長と言うより通信会社ブルームバーグ創業者と言うべきだろう。こうした文脈で、世界中の資産家が逃避していたことを暴露したパナマ文書も、トランプ現象を後押ししたことだろう。
 もっとも、英国がEUから離脱したのは、単一通貨ユーロにしてもシェンゲン条約にしても元々EUから距離を置いていたことを考えれば、大きな歴史の流れの中ではある種の必然だったと割り切ることも出来るが、トランプ氏の大統領就任は、どうにも解せない。米国は懐が深いと言うほかない。
 そんな欧米諸国から経済制裁を受けているロシアは、それ見たことかと、相手の不幸が愉快でたまらないだろうし、トランプ大統領の秘密を握っているのかどうか知る由もないが、プーチン大統領に擦り寄るトランプ氏に多いに期待していることだろう。欧米を、それこそ分断できればしめたものだ。
 他方、中国はかなり困惑しているのではないかと想像する。何より「一つの中国」に縛られない米大統領発言にはぶったまげたことだろう。1980年代の対日貿易摩擦のような一種の貿易戦争が勃発しそうな勢いでもある。さらに、国営放送が大統領就任式を生中継しなかったのは、就任演説の中で中国非難発言が飛び出しかねないことを恐れたからだと報じられているが、もっと言うと、米国大統領選挙制度そのもの、前政権のオバマ前大統領がやって来たことを全否定するようなトランプ大統領が合法的に登場する西側民主主義陣営の選挙制度なるものを大いに警戒していると思う。民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず、の中国だ。余計な情報を人民に与えたくないだろう。
 そして日本では、米国のTPP離脱でアベノミックスが大いなる挫折を味わうことになった。今こそ自由貿易や日米同盟の意義をトランプ大統領に説くべしとの声が喧しく、いったん付き合うとよく傾聴し実は好かれるタイプらしいトランプ氏に対して、人たらしの安倍首相に期待しよう。人間として善人で政治家としては不作為だったオバマ前大統領と比べれば、トランプ大統領は就任演説でWe will no longer accept politicians who are all talk and no action - constantly complaining but never doing anything about it. The time for empty talk is over.などと豪語するほど、Deal(駆引き)に走ると厄介だが、経営者らしい迅速な決断と行動に期待できそうだ。そして、そうであればなおのこと、トランプ大統領を奇禍として、米国が日本に対して陰に陽に課して来た足枷や嫌がらせを不合理として撤廃し、徐々に日本の自立度を高める方向に踏み出すべきだし、トランプ氏なら話が通じるのではないかと期待する。
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セールスマン大統領

2017-01-23 23:18:36 | 時事放談
 トランプ氏が第45代アメリカ合衆国大統領に就任した。週末、ニュース映像を見ていても、なお、半信半疑の感覚が抜け切らない。なかなか現実を受け止められないのは、私の潜在意識の中に、アメリカ大統領はスゴイ筈だという思い込みがあるせいか、それともトランプ政権の予測不可能性(unpredictability)に半ばおののいているせいか。
 演説原文にざっと目を通してみた。さすがに大統領の就任演説だけあって、いつもの得意の薄汚い罵り言葉は封印し、美辞麗句のお化粧を施しているものの、オバマ大統領の演説のような格調高さは残念ながら見られず、哲学や思想よりも(セールスマンらしい)現実主義に貫かれていたように思う。むしろ、トランプ氏は、演説を短くてインパクトがあるものにしたがっていたらしく、確かに韻を踏んだ短いフレーズが多用され、ニュース映像からも、なるほど期待通りの効果はそれなりにあったかも知れないと思いつつ、ちょっとくどくて食傷気味でもあった。冷泉彰彦氏は、「語彙は相変わらず小学生向け」ながら「少し頭を使わないといけない比喩などが入っていた」と手厳しく評されていて、この点、誰に向けて語りかけていたかを暗示する。そして私のような普通の日本人にも分かり易くて有り難いものではあった(が、理解できていない比喩があったかも知れない)。
 総じて、言いたいことは、Protection will lead to great prosperity and strength.であり、またWe will follow two simple rules: Buy American and Hire American.であって、保護主義と孤立主義まる出しという印象だ。この内、孤立主義は、中西輝政氏によると、実は悪い印象を与えるレッテル貼りの言い回しで、客観的には「対外不介入主義(non-interventionism)」と言い、初代ワシントン大統領以来のアメリカ民主主義の伝統であって、それを、国際連盟への加盟を支持する所謂“東部エスタブリッシュメント”が、彼らの「国際主義」に対するところの「孤立主義」と呼んで、反対派である伝統的なありようを攻撃したのが始まりという。確かに私たちは「世界の警察官」を任じる最近のアメリカに慣れ過ぎていたのかも知れず、既にオバマ前大統領も「世界の警察官」を降りることは表明していたから、目新しいこととは言えないのかも知れない。他方、保護主義の方は、自由貿易から最大の利益を得ているはずのアメリカにして、どうにも解せない。
 現状批判の繰り返しにはうんざりするが、一つだけ、Finally, we must think big and dream even bigger.と言ったあたりは前向きで、あるいはケネディ元大統領をどこかで意識していたのかも知れないと思わせる(が、トランプ氏の著書「でっかく考えて、でっかく儲けろ」(邦題)を想起させると評する人もいる)。
 そんな、ブログ・タイトルの通り“セールスマン”大統領と呼んだのは、全てを交渉や取引(deal)を基準に据える点と、飽くまで対面取引を意識している点、外交で言えば二国間取引を基本にしようとしているところを揶揄してのことである。もとより世の中の動きは二国間だけでは捉えきれないし、仮に取引(deal)として短期的に成果を出しても長期的に禍根を残せば元も子もないし、交渉ごとでは済まない主義や価値観のようなものが基軸にあるはず。まあ、そんなことはトランプ氏も百も承知だろうが、敢えて、かつて吉田茂元首相が外交はビジネスと同じで長期的な信頼が基本だというようなことを言われていたことに鑑み、それはさながら日本的経営の文脈での商人とも繋がるもので、私たち日本人には容易に理解できるが、どうもトランプ氏はここで言うビジネスマンや商人とは違う感覚の持ち主のようで、彼が口にする乱暴な施策(公約)もどきは取引(deal)の出発点のハッタリに過ぎなくてホンネは如何ほどのものか落としどころがまだよく見えないとの皮肉を込めて、選挙戦から相変わらずのセールスマンのセールストークだと総括してみた。
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アパのこだわり

2017-01-18 23:45:01 | 時事放談
 アパ・グループのアパ・ホテル客室に「南京大虐殺」や「慰安婦の強制連行」を否定した書籍が備えられていることに対し、中国外務省・報道官が異例の批判を行ったと、産経Webが報じていて、さすがに驚いた。アパ・ホテルには泊まったことがないので、そんなものを置いていたのかと、へええ、であるし(西洋のホテルには聖書が置いてあるので、そのヒソミに倣ったか)、異国の、たかが(などと言っては失礼だが、ビジネスの成功とは別次元の話として進める)一民間企業のやることにイチャモンをつける中国共産党は、大人(たいじん)の風格や器量なるものはそもそも期待していないが、いくらこの秋に共産党大会を控え、権力闘争の真っ只中にあるとは言え、とうとう窮状極まったかと、却って心配になるほどだ。一応、それぞれの言い分を並べてみるが(産経Webとアパ・グループHPから)、どちらに理があるとかいう問題ではなく、とにかく異様と言うほかない。

■中国外務省・報道官・・・「日本国内の一部勢力は歴史を正視しようとしない。正しい歴史観を国民に教育し、実際の行動でアジアの隣国の信頼を得るよう促す」、「強制連行された慰安婦と南京大虐殺は、国際社会が認める歴史的事実であり、確実な証拠が多くある」

■アパ・グループ・・・「本書籍は特定の国や国民を批判することを目的としたものではなく、あくまで事実に基づいて本当の歴史を知ることを目的としたもの」、「したがって、異なる立場の方から批判されたことを以って、本書籍を客室から撤去することは考えておりません」、「日本には言論の自由が保証されており、一方的な圧力によって主張を撤回するようなことは許されてはならないと考えます」

 更にアパ・グループのHPニュース・リリースはこう続ける。「なお、末尾に本書籍P6に記載しています、南京大虐殺に関する見解を掲載いたしますので、事実に基づいて本書籍の記載内容の誤りをご指摘いただけるのであれば、参考にさせていただきたいと考えています」。見事である。中国外務省の報道官が言う「確実な証拠」とやらを是非見せて頂きたいものである。
 と、そうこうしている内に、かつての忌まわしき歴史教科書問題を思い出してしまった。私の心に焼き付いているのはWikipediaで「第一次」と呼んでいるもので、各日刊紙の1982年6月26日付朝刊が、日本国内の教科用図書検定において、昭和時代前期の日本の記述について「日本軍が『華北に“侵略”』とあったのが、文部省(現・文科省)の検定で『華北へ“進出”』という表現に書き改めさせられた」と報道されたことに端を発し、日中間の外交問題に発展したものだ(このあたりはWikipediaから引用)。なんで他人様の教育(しかも歴史教育という国のありように係る大事な)内容に口を挟むかと驚いただけでなく、後日、今はなき保守系オピニオン誌「諸君!」に掲載された渡部昇一氏の論文で、書き換えた事実はない、つまり単に各紙の「誤報」だったことが分かって、二度驚いたのだった。当時、我が家では朝日新聞を購読していて(その頃、多くの家庭では、朝日新聞とNHKと岩波書店は三種の神器だったと思う 笑)、私の中で中曽根元総理は青年将校の軍服姿のイメージが出来上がってしまって、いまだに困っている(苦笑)。
 これに関してついでに言いたくもないことだが、教科用図書検定基準の中に「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」という、忌まわしき「近隣諸国条項」の追加が宮澤官房長官談話と連動して行われたのだった。
 アパということで、近現代史研究支援 アパ日本再興財団主催「真の近現代史観」懸賞論文についても思い出してしまった。晴れの第一回懸賞論文・最優秀藤誠志賞に選ばれたのは、言わずと知れた、航空幕僚長・空将(当時)の田母神俊雄氏である(因みに藤誠志とは、アパ・グループ代表・元谷外志雄氏のペンネーム)。私は、残念ながら当時シドニー駐在で、ネットで状況を追いかけていたのだが、もう少し世の中の空気を肌で感じてみたかったと思う(と、野次馬根性丸出し)。中国が所謂「韜光養晦」をかなぐり捨てて、あからさまに覇権を振りかざすようになったのは、2008年のリーマンショック後、大胆な景気対策によって世界に先駆けてV字回復を果たし、世界経済を下支えしたと自信過剰になった2009年以降と言われる。今、田母神氏騒動があったら大変だったろうと、野次馬根性丸出しの私としては、見てみたい気がする。
 こうしてみると、アパのこだわりには、脱帽、である。
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上海の旅(後編)

2017-01-14 13:55:08 | 永遠の旅人
 ネット配信された中国の空母「遼寧」の写真を見たが、練習艦とは言えなかなか勇ましいものだ。なにしろ排水量6万7500トン、全長305メートルと巨大で、中国当局はさぞ誇らしいことだろう。台湾当局はピリピリしている。
 これは遡ること先月24日夕、自衛隊艦船が確認した、東シナ海中部における、中国海軍の航空母艦「遼寧」1隻、ミサイル駆逐艦3隻、ミサイルフリゲート2隻、ミサイルコルベット1隻、総合補給艦1隻からなる編隊の航行に始まる。翌25日、「遼寧」の編隊は、第1列島線(九州~沖縄~台湾~フィリピン)上の宮古海峡を越えて初めて西太平洋に進出した。その後、台湾の東部を回り込むような形で翌26日にバシー海峡を通過し、海南島の海軍基地に寄港し、南シナ海で艦載機・殲(J)15戦闘機の発着艦訓練を約10日間にわたって行ったらしい。この往復の行程で、台湾本島をぐるりとほぼ一周した形になる。
 このことからも分かる通り、トランプ氏が台湾・蔡英文総統と電話会談し、中国と台湾の「一つの中国」に疑義を表明していることに激怒した中国は、米国を牽制するとともに(米国を威嚇するわけにはいかないから)台湾を威嚇したものと見られている。日本の防衛省も、端的に(海軍力の象徴である)空母の遠洋展開能力誇示を狙ったものと分析した。そして、忘れた頃に・・・1月11日、「遼寧」の編隊は南シナ海での訓練を終えて台湾海峡に進入、海峡中間線の中国大陸側を北上していることが台湾国防部によって確認された。母港の山東省・青島へ帰還の途に就いたようだ。
 このときの動きから、もう一つのメッセージを読み取る見方がある。実のところ「遼寧」は南シナ海で実施した艦載機の発着艦訓練を西太平洋では実施することなく、米本土から西太平洋に向かっていた米原子力空母カール・ビンソンを中心とする空母打撃群が到着する前に海域を離れ、“ニアミス”を回避した。艦載機の数や性能などで大きく劣る米空母との対峙を、更には米国への直接的な挑発となるのを避けて自制したというものである。一連の航海で、高度な技術が求められる夜間の発着艦訓練も行われなかったという。中国は初の空母「遼寧」の艦隊が実戦的な訓練を行っていると強調するが、「遼寧」についてこれまで指摘されて来たように所詮は練習艦であり、その実力は甚だ怪しい。就役した2012年当時は、「張り子の虎」だと嘲笑されたものだった。その後は語られること少ないが、改良が加えられてそれなりにまともなカタチになったのか、周辺国としては脅威としてそっとしておいた方が軍事予算を使う口実が出来て都合がよいのか。
 実に30年以上前に起工されながらソ連崩壊で建造が中断していた空母「ヴァリャーグ」を、マカオの企業が海上カジノに使用すると言ってスクラップ同然でウクライナから購入したのは1998年のことだった。しかしマカオの港は水深10メートル程しかないため、マカオでカジノに使用されるわけはなく、6万トン級の大型艦はそのまま大連港に入った。装備を取り外した状態で引き渡されたため、蒸気タービンによる動力システムの修復すら難航したという。しかし空母自体を取り繕ったところで、空母の戦闘力は艦載機の性能によるところが大きい。戦闘機・殲(J)15は、こちらもソ連崩壊時にウクライナに残されたSu-33の試作機「T-10K」を購入しコピーしたもので、出力不足が指摘される上、「遼寧」には艦載機を蒸気の力で打ち出すカタパルト(射出機)がなく、搭載武器の重量も制限されるようだ。パイロットの訓練の精度からみても複雑な運用は困難だろうとの専門家の声もある。主力の戦闘機だけではなく、艦載の空中給油機や空母の目となる早期警戒機もないと言われる。さらに空母は単艦で作戦行動するわけではなく、空からの脅威を排除するイージス艦などの防空艦や、潜水艦を寄せ付けない高度な対潜能力(ASW)を持つ護衛艦艇も随伴する。米海軍はこれらの運用に、既に80年の実戦経験があるが、当然のことながら中国海軍のこうした能力はこれからで、その筋の専門家によると5年や10年はかかるものだと言う。
 前置きが長くなったが、アリューシャン列島から日本列島、さらに台湾、フィリピンへと繋がる島々によって太平洋への海洋進出を阻まれる中国にとって「核心的利益」の第一は(2009年7月の米中戦略経済対話において戴秉国国務委員が語ったところによれば)「国家主権と領土保全(国家主権和領土完整)」であり、その第一は「台湾」問題であり、第二は「一つの中国原則」とされている(続いてチベット独立運動問題、東トルキスタン独立運動問題、南シナ海問題(九段線・南海諸島)、そして尖閣諸島問題)。因みに核心的利益の第二は「国家の基本制度と安全の維持(維護基本制度和国家安全)」であり、第三は「経済社会の持続的で安定した発展(経済社会的持続穏定発展)」だそうだ(相変わらずWikipediaでは第一と第二の文言の中国語原文が逆になっている)。
 タイトルに言う「上海の旅」とどう関わるのかと言うと、行きも帰りも上海・浦東空港を使ったのだが、国際線ターミナルに「International & Hong Kong, Macau, Taiwan Departures」と書いてあることに、今回、初めて気がついたのだった(上の写真参照)。香港とマカオは一国二制度の対象地域ではあるものの今や中国の一部だが、台湾もそうだとさりげなく主張しているのである。さすがに何でもありの中国でも、香港とマカオと台湾を国内線ターミナルに移すところまでは行っていないのは、中国人なりのバランス感覚!?だろうか。
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上海の旅(前編)

2017-01-11 00:16:43 | 永遠の旅人
 三連休の二日間を使って二泊三日で上海に出張し、先ほど戻ってきた。相変わらず空港とホテルとオフィスを往復するだけの忙しない旅で、しかもカンパニー・カーを出してもらって移動することになると、安心し切ってぼんやりしてしまって、殆ど記憶に残らないところだが、あらためて、何かと中国品質を考えさせられた旅だった。
 一つ目、一応、高級な部類に入るホテルに備え付けのドライヤーは中国メーカー品で、まさかなあと、いやな予感を抑えつつ使い始めると、動きが鈍く、冷風しか出ず、その内、止まってしまった。暫くお休みして貰って、再びスイッチを入れると、動きが鈍く、冷風しか出ず、その内、また止まってしまった・・・。温風ではないと、ふんわり感が出ないことに気が付いた。なんだかなあ。
 二つ目は、現地で開発・製造・品質管理をしている同僚から聞いた話である。日本メーカー品と言えども、中国ではそれほど高品質なわけではないという。どういうことかと聞くと、例えば日本の家電メーカーの中国工場では、同じ製品モデルでも日本向けと地元・中国向けとでは、ご丁寧に型番を変えて品質レベルを変えているというのである(為念、中国などの新興国向けモデルのことを言っているのではない)。まあ、言われてみれば日本品質を中国で売ろうとしてもそれほど数が出ないだろうことは想像がつく(それでも中国メーカー品よりは高品質だろうが)。どうりで炊飯器だの化粧品だのウォシュレットだのの爆買いに向かうわけである。彼ら・彼女らは、中国では買えない「日本製」の日本メーカー品を求めていたのだ。今さらながらではあるが。そこでその同僚に、日本と中国とではどこが違うのかと尋ねると、極めるところだと言う。そしてそれは長年の蓄積によるのだと言う。確かに中国は、設計図は(盗んででも)入手するから、何でも作れるが、信頼性を伴わないと言われる。人民解放軍の艦船や航空機に日本製電子部品が使われているのを、これではいざというときに困るではないかと人民日報だか環球時報だかが指摘し、はしなくも人民解放軍の弱点を暴露して注目されたことがあった。
 三つ目は、言わずと知れた大気汚染だ。今回の上海の街並みがぼんやり霞んだ様は、やはり異様だった。現地駐在員はアメリカ合衆国環境保護庁(EPA)が発表する空気汚染指数を使った「リアルタイム大気質指標(AQI:Air Quality Index)」なるサイトをチェックするらしく、このサイトによると今朝の上海の指数は158、ホテルの部屋から撮った近隣の景色はご覧の通りである。151を超えると“unhealthy”ということだ(参考までに0~50はGood、51~100はModerate、101~150はUnhealthy for Sensitive Groups、201~300はVery Unhealthy、301以上はHazardous)。Wikipediaによるとこのレベルの「健康影響」は「心疾患や肺疾患を持つ人、高齢者、子供は、長時間または激しい活動を中止する必要がある。それ以外の人でも、長時間または激しい活動を減らす必要がある」ということだが、上海の街でマスクをした人は殆ど見かけず、皆、普通に歩いていた。そして今、都内の私が住んでいるあたりを検索すると僅かに5~13程度である。今の中国を比すべき1970年代の日本も公害が酷かったが、それでも今の中国ほどではなかっただろう。それとも私たちは敏感に過ぎるのか。それは神経質なだけなのか、それとも耐性がなくなってしまってはいまいか。そのあたりは気になるところではある。
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韓国につけるクスリ

2017-01-07 12:51:34 | 時事放談
 韓国・釜山の日本総領事館前の通りに慰安婦像が設置されたのをウィーン条約違反として日本国政府が毅然とした対抗措置(4項目)をとったことが、韓国で波紋を広げているようだ。
 伝えられるところによれば、韓国政府は「(日本は)ここまでやるのか」と驚きを持って受け止めたという。過去、日本が韓国に対して如何に宥和的だったかの証左だろう(あるいは韓国は日本に甘えてきた、あるいは舐めてきたとすら言うべきかも知れない)。それはともかく、ほぼ一年前に日韓合意に至りながら、ソウル大使館前の慰安婦像については「適切に解決されるよう努力する」という韓国政府の努力義務に過ぎないのをいいことに、「民間が行っていることで、あれこれ言えない」と世論に気兼ねしてずるずる腰が引けたままの韓国政府の対応への苛立ちが、根底にあることだろう。釜山総領事館前でも、韓国政府は「自治体が判断する問題」だとして、驚くべきことに問題解決を丸投げしたという。アメリカの顔を立てるためとは言え、妥結に至ったその日韓合意で、日本が一方的に妥協したのではないかと日本の保守派から批判されかねないリスクを背負う覚悟を、保守派を代表する政治家としての安倍首相が示した以上(そのために合意を担保する仕掛けとして「国際公約」に仕立てたと言うべきだろうが)、韓国にも同様の覚悟を見せて欲しいところだろう。
 こうして、慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的に解決する」ため、日本国民の血税である10億円を既に拠出して履行を果たしている「国際公約」を反故にするような事態を平然と見過ごす韓国政府とは、一体何だろう(まあ、ある程度予測はついたことだけど)。タイトルに言う「クスリ」はもとより「ない」のであって、天を仰ぎたくなるような絶望感である(まあ、いつものことだけど)。
 韓国は、歴史的な事実ではなく、国民感情や民意といった極めて情緒的な理由で行動することがあると、ある韓国研究者は解説する。その民意について、以下のように述べておられる。

 (前略…)ことの真偽ではなく、「独島(竹島の韓国名)はわが領土」「慰安婦は日本の蛮行」とする思い込みが、行動の原点となって(…中略…)そこに、大衆に迎合的な言論界が積極的に歴史問題を報道し、「市民団体」と称する一団が国内外でパフォーマンスを繰り返すと、幼稚園児から老人までが歌い踊って、「独島はわが領土」と叫ぶ(…中略…)韓国ではこの種の動きが民意となる(…後略、下條正男・拓殖大教授)

 韓国側にどんな理があるか知らないが、客観的には、過去30年にわたる韓国の民主化はまだ成熟していないと言えばそうだと言えるし、そもそも韓国の民主化自体が、東アジア固有の儒教思想や華夷秩序の意識に歪められて正常な発展を阻害されていると言えばそうだと言えるし、韓国憲法前文にあるように、歴史問題を国家建設の基礎とするような、“恨”を抱えた(ある意味で卑屈な)国にあって、日韓を巡る国民感情の激烈さは、民族的な宿痾と言えばそうだと言える。なんだか取りつく島のない話で(苦笑)、だから韓国につけるクスリは「ない」と言い切るわけだが、民族的な宿痾は、外的な刺激は与え続けるにしても、自ら治癒して頂くほかはない。ただ手を拱いてもいられない。以下は蛇足ながら・・・
 行動基準として、欧米的な価値観に裏打ちされた法と正義を基とする日本国の信義を国際社会に示し続けることだろう。これは簡単なようでそれほど簡単なことではない。欧米以外では、直ぐ近くに中国やロシアという、欧米とは必ずしも相容れない価値観に基づいて行動することもある大国がいて、それ以外の地域には、その対立軸を遠巻きにする(韓国をはじめとする)中小国が、固唾を呑んで成り行きを見守り、自らの立ち位置の距離感を測ろうとしている。法と正義という価値観で一貫する立場からは、たとえロシアであっても北方領土で譲歩することがあってはならない(さもないと尖閣諸島や竹島での争いにも影響してしまう)。今の経済的繁栄など夢のまた夢としか思えなかったであろう、敗戦の灰の中から、(国連のような組織が頼りにならない場合には自ら立つことも辞さずして)「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と、壮大な理想を掲げて日本国憲法前文を起草した、言わば(第三の)創業当時の人々の思いを忘れてはならないだろう。
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読書三昧

2017-01-04 00:02:07 | 日々の生活
 今年の正月は、ほとんどテレビを見ることなく、隆慶一郎氏の小説を堪能していた。もっとも読書三昧と言ってみたものの、読むのが遅いので、「風の呪殺陣」と「死ぬことと見つけたり(上)/(下)」の二作品で、粗密はあるが1000頁弱程度ではある。
 余り知られていない作家ではないかと思う。既に平成元年に亡くなられ、しかも、長く本名の池田一朗名で脚本家として活躍された後、隆慶一郎名での作家活動は僅かに晩年の5年(1984~89年)に過ぎないからだ。しかし、還暦を過ぎてから書き始められた数少ない時代小説は、網野善彦氏らをはじめとする最新の中世近世史研究を取り入れ、中世以来の「道々の輩」(無縁となって天下を放浪し、一切の関渡津泊、つまり街道の関所も港も全て通行税を払うことなく手形もなしで通行することを許され、「上ナシ」を標榜し一切の支配を認めない自由の民)を登場させ、その精神の自由がモチーフとして全ての作品に貫かれており、他の作家とは一線を画す。描かれるのは、戦国の世や江戸の封建制のしがらみのもとに生き、権力に抗いつつ義に殉ずるも自分らしさを失わない、孤高の男たちの生き様だ。
 なにしろWikipediaで挙げられている刊行済み小説は14冊しかないため、既に購入済みで、急ぐことなく、忘れた頃に手に取っては気ままに読むことにしている(しかし二作品もいっぺんに読んでしまうと、いよいよ残り少なくなってきた)。この二作品は、急逝されたため、いずれも未完のままだが、それでも期待を裏切らない。
 「風の呪殺陣」は、魔王・信長による比叡山焼き討ちによって、阿闍梨への道を断たれた修行僧と、家族を失った山門公人衆の若者の、その後の信長殺害に賭ける復讐劇で、実際、「仏教が人を殺すかッ」と赤山禅院の叡南覚照大阿闍梨に作者自身が一喝され、改稿する予定なるも、急逝によってそのまま発刊されたという、いわくつきの作品である。信長の性格描写が短いながらも秀逸で、本能寺の変の解釈も、多少戯画的ではあるが、伝奇的要素に包まれて味わい深い。
 「死ぬことと見つけたり」は、文字通り「葉隠」をモチーフにした佐賀・鍋島藩の物語だ。いきなり主人公が猛虎に襲われる夢で始まり、毎朝、「死ぬ」のが佐賀藩士独特の心の鍛錬と説かれて、度肝を抜かれる。「死ぬ気」になれば何でも出来る…と言われることを日々実践する、常住坐臥、というわけである。以下、本書から抜粋する。

(引用) 朝、目が覚めると、蒲団の中で先ずこれをやる。出来得る限りこと細かに己れの死の様々な場面を思念し、実感する。つまり入念に死んで置くのである。思いもかけぬ死にざまに直面して周章狼狽しないように、一日また一日と新しい死にざまを考え、その死を死んでみる。新しいのが見つからなければ、今までに経験ずみの死を繰り返し思念すればいい。
 不思議なことに、朝これをやっておくと、身も心もすっと軽くなって、一日がひどく楽になる。考えてみれば、寝床を離れる時、杢之助(注:主人公)は既に死人(しびと)なのである。死人に今更なんの憂い、なんの辛苦があろうか。世の中はまさにありのままにあり、どの季節も、どんな天候も、はたまたどんな事件、災害も、ただそれだけのことであった。楽しいと云えば、毎日が楽しく、どうということはないと云えば、毎日がさしたる事もなく過ぎてゆく。まるですべてが澄明な玻璃の向うで起っていることのように、なんの動揺もなく見ていられるのだった。己れ自身さえ、その玻璃の向うにいるかのように、眺めることが出来る。(引用おわり)

 思い余って四半世紀前に買って積読のままだった「葉隠」(神子侃訳、徳間書店)をやおら取り出し読み始めた。
 佐賀鍋島藩士・山本常朝(1659~1719)が武士としての心得を口述し、同藩士・田代陣基(つらもと、1678~1748)が筆録してまとめたもので、原本は既になく、いくつかの写本が今に伝わるのみだという。「此の始終十一巻、追て火中すべし」という常朝の談話を記述した写本があるほどで、公刊を目的としたものではなく、佐賀藩の藩校でも教科書に用いられず、手から手へ写し伝えられてきた秘本だったと、神子侃氏は解説する。口述・筆録された時点で既に徳川開闢以来100年が過ぎた安定期にあり、そんな太平ムードの中で、常朝は忘れられつつある草創の精神を、身近に仕えた二代藩主光茂や戦国生き残り老人たちからその厳しさを汲み取り、語ったものだという。もとより、死を美化したり自決を推奨したりするような印象があるのは、戦時中の軍が都合よく利用したものであって、むしろ「単なる修養書ではなく、集団共通の目的を遂げるための個人のあり方、その心構え、さらには生活技術的な処世術までが具体的に記されている」(同解説)という。折に触れ、ことに触れての断片的な語録で、全11巻1343項に及ぶ膨大なものながら、私たちが知るのは小説のタイトルにもなっている「武士道とは死ぬことと見つけたり」くらいで、鍋島藩主の後裔である鍋島直紹氏は、「論語読みの論語知らず」ならぬ「葉隠知りの葉隠読まず」と言い、案外「葉隠」の成立過程やら、その全文を読んでいる人は少ないだろうと言う。初めて世に刊行されたのは明治39年、しかも武士道のところを主とした抄本で、全文が刊行されたのは更に10年後の大正5年というから、それほど古いことではない。
 さて、上に引用した文章は、「葉隠(聞書第11)」に言う「朝毎に懈怠なく死して置くべし・・・」に呼応する部分で、Wikipediaは「常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよと説いた。(中略)同時代に著された大道寺友山『武道初心集』とも共通するところが多い」という。しかし、「当時、主流であった山鹿素行などが提唱していた儒学的武士道を『上方風のつけあがりたる武士道』と批判しており、忠義は山鹿の説くように『これは忠である』と分析できるようなものではなく、行動の中に忠義が含まれているべきで、行動しているときには『死ぐるい(無我夢中)』であるべきだと説いている」(Wikipedia)のだそうで、どちらかと言うと異端的な扱いを受けていたようだ。我々がこれまた断片的に知る新渡戸稲造の「武士道」とも異なっているとされ、隆慶一郎氏は小説の中で戦国の世の「いくさびと」の現実主義をしばしば登場させているところからしても、観念化された武士道というより、どちらかというと原初的な素朴なものではないかと推測する。
 多少の異同はあれ「武士道」は潔さとか清らかさという意味でなんとなく神道と相性が良いように思う。そのためか、年があらたまり、心も浄められたような気がするこの時期に、つらつら「葉隠」を読んでいると、ストンと腹に落ちて来て、ちょっと背筋を伸ばしたくなるから、なかなか妙な新年の一風景である。
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和解のはじまり

2017-01-01 01:13:09 | 時事放談
 安倍首相のハワイ真珠湾訪問後の世論調査結果が30日付の読売新聞と日経新聞に出ていた。安倍内閣の支持率は、読売新聞では63%で、前回調査(2~4日)の59%からやや上昇し、2014年9月の64%以来の高い水準になったというし、日経新聞では64%で、11月下旬の前回調査から6ポイント上昇し、2013年10月以来、3年2ヶ月ぶりの高い水準になったという。いずれも、首相の真珠湾訪問を評価する声が高かったお陰のようだ(読売新聞では85%、日経新聞では84%)。オバマ大統領とともに、旧日本軍による真珠湾攻撃の犠牲者らを慰霊し、演説で「戦争の惨禍を二度と繰り返してはならない」と述べて「不戦の誓い」を「不動の方針」と強調したのは、確かに良かった。今回の演説で、「『謝罪』には言及せず、2015年の米上下両院合同会議演説や戦後70年談話で用いた「反省」や「悔悟」などの単語も盛り込まなかった」(日経)から、国内の保守派からも好感されたことだろう。
 首相は、今月5日、この真珠湾訪問を表明する直前の自民党役員会で、「戦後の総決算をしたい」と語り、訪問を表明した後、周囲に「これで戦後は完全に終わりになるかな。いつまでも、私の次の首相まで戦後を引きずる必要はない」と漏らしたらしい。三年半前の衆院予算委で「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う」と発言して、それなりに正論ではあるが、国の内外から「保守反動のリビジョニスト(歴史修正主義者)」と叩かれたことに懲りたのだろう、方針転換しつつも、やはり拘りをもって目指すのは「戦後の総決算」のようだ。日経は「戦争を巡る各国との歴史認識のズレはしばしば戦後の日本外交の足かせとなってきた。過去の清算に人的資源と時間を割かれ、未来志向の外交を展開できないとの思いがあったようだ」と好意的に解説し、私もその通りだと心から思うが、世の中はなおそう甘いものではないとも思う。
 朝日新聞は、訪問の翌29日、「真珠湾訪問 『戦後』は終わらない」とタイトルした社説を掲載した。「過去」への視線が抜け落ちているとして「真珠湾攻撃を、さらには日米のみならずアジア太平洋地域の国々に甚大な犠牲をもたらした先の戦争をどう振り返り、どう歴史に位置づけるか。演説はほとんど触れていない」となじり、「日米の『和解』は強調するのに、過重な基地負担にあえぐ沖縄との和解には背を向ける」と、沖縄の声を聞かない姿勢を非難した。朝日新聞らしい懺悔論だ。
 朝日の論調には賛同しないが、別の意味で、アジアとの和解はそれほど簡単なことではないと思う。例えばどちらかというと保守系の日経新聞の「春秋」ですら、安倍首相の真珠湾訪問に関して、猪瀬直樹氏の著書「昭和16年夏の敗戦」を取り上げ、「米国と戦争すれば日本は必ず負ける」とする分析(総力戦研究所)を政府に伝えていたにもかかわらず、こうした優れた人材や分析を当時の指導者は生かせなかったとして、「75年前に開戦を決めた詔書に署名した閣僚のひとりは、首相の祖父にあたる。それを思えば、感慨は深い」と述べたのに続けて、「冷めた目で見ると、かつての指導部がおかした過ちの後始末といえる。実際のところ、彼らが残したツケを戦後の日本は払い続けて来た。アジアの国々から日本に向けられている厳しい視線も、そんなツケのひとつだろう」と結論づける。負ける戦争を(そのように具申した人がいてもなお)始めたのが愚かな決断だった(あるいはそんな愚かな指導者を頂いていた)と片付けて良いのか、それとも何故、負けると分かっていながらなお戦争に踏み切らざるを得なかった当時の事情まで考慮しているのかどうか、という意味では踏み込みが足りないように思うのだが、どうも日本人として先の戦争をきっちり総括できていないように思わざるを得ない(と言い続けて何年になるか)。そして、そうである限り、主戦場となったアジアの国々との真の和解は簡単ではないように思う。
 このあたりを、内閣府が24日に発表した「外交に関する世論調査」でも追ってみたい。アジア各国が日本のことをどう思うか以前に(あるいはそれを踏まえて)、日本人は中国に「親しみを感じる」のは16・8%、韓国に対して「親しみを感じる」のは38・1%、ロシアに「親しみを感じる」のは19・3%にとどまるという現実は重い。アメリカに「親しみを感じる」84.1%は措いても、インドのように地理的にちょっと離れた国に「親しみを感じる」42.2%はおろか、中東諸国(トルコ、サウジアラビアなど)に「親しみを感じる」23.6%にも、アフリカ諸国(南アフリカ、ケニア、ナイジェリアなど)に「親しみを感じる」25.6%にも及ばない中国やロシアというのは、一体、どうしたわけだろう。これでは政府も外交をやり辛かろう。折しも、政府は「領土問題などの対外情報発信を強化するため、民間シンクタンクなどの研究機関との連携を強化」(産経)し、「『領土・主権・歴史』をテーマに、日本の主張の裏付けとなる客観的事実を調査研究する機関への補助金制度を新設する」(同)ことが報じられた。「領土」・「主権」に関して、客観的事実を広く世界に知らしめるのはよいとして、「歴史」はどう扱うのだろうか。従軍慰安婦問題に矮小化するのではなく、東京裁判史観の呪縛から逃れてより客観的に(全く客観的にとはいかないまでも)日本の先の戦争を果たして総括できるのだろうか。
 日米の間で、明確な「謝罪」なく「和解」に至る道筋を描いたという意味では快挙だった(「真珠湾」と明確な戦争犯罪としてのホロコーストである「原爆」を同列に論じられるものではないのだけれども)。しかし日米と言えども、「和解」なるもの、首相一人の演説で決まるものではない。日本国民レベルの84.1%があってこそ、首相の演説がアメリカのメディアで拾われ、外交レベルの「和解」に至ると考えるべきだ。そうだとすれば、アジア、とりわけ東アジア諸国との和解は、簡単ではないことは自明である。願わくは、さりながら、今回の日米和解がアジア諸国との和解の始まりとならんことを・・・。
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