稀勢の里が大相撲・初場所を制し、過去の安定した戦績も評価されて、久しぶりの日本人横綱誕生となった。若・貴、武蔵丸(ハワイ出身、後に帰化)のあと、朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜とモンゴル出身が続き、貴乃花が引退した2003年1月以来14年にしてようやく日本出身横綱不在(日本人横綱としては武蔵丸が引退した2003年11月以来13年)に終止符が打たれることになる。大相撲を盛り上げているモンゴル出身力士には感謝するものの、日本人としては、そして40年来の大相撲ファンとしては、やはり日本人横綱を待望していたと白状せざるを得ない(なお、報道では日本出身横綱と言われているところ、ブログ・タイトルは敢えて日本人横綱とした。正確に言うと、三代目・若乃花が1998年夏場所後に横綱に昇進し、武蔵丸が(1996年1月に帰化した後)1999年夏場所後に横綱に昇進したので、日本出身横綱として19年振り、日本人横綱として18年振りということになる)。
稀勢の里については、大関昇進を果たしたときに「角界の大器晩成」というタイトルでこのブログに取り上げたことがある。調べて見るとあれから5年も経っている。優勝力士に次ぐ成績を残すこと実に12度、何度もあと一歩の悲哀を味わいながらなかなか果たせず、大関昇進後31場所目にしての優勝は(琴奨菊の26場所を超えて)歴代で最も遅い記録だそうだ。まさに「大器晩成」である。
若い時から注目はされていた。十両昇進は貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(17歳9ヶ月)で、新入幕も貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(18歳3ヶ月)、更に三役昇進は貴乃花、北の湖、白鵬に次ぐ年少4番目の記録(19歳11ヶ月)と、スピード出世で早くから好角家の期待を集めてきた。朝青龍の全盛期、2006年の九州場所では、立ち会いで横綱としては異例のけたぐりを見舞われ、翌2007年春場所では、送り投げで投げられて倒れた後に軽く膝蹴りを受け、2009年初場所では、寄り切られた後、ダメ押しの二発を見舞われるというように、暴れん坊・朝青龍から目の敵にされた。白鵬との因縁も浅くなく、2010年の九州場所二日目、寄り切りで破って63の連勝記録を止め、翌2011年の初場所11日目、押し出しで破って23で連勝を止めるという巡りあわせになった。
実は大関に昇進するときにも、千秋楽の結果を待たずに審判部が会議を開いて臨時理事会開催を要請し(理事会で大関昇進が見送られた例がないことから)事実上大関昇進が決定して、一部のマスコミ関係者から疑問の声があがった。そして今回も千秋楽を待たずして同様の動きがあり、横綱推挙となれば大関ほど簡単には行かないものの、「大関で二場所連続優勝」の原則から外れるため、甘いのではないかと疑問視する声があがっている。確かにこのあたりの判断には議論があろう。しかしかつて内館牧子さんが言い放ったように「大関で二場所連続優勝して横綱昇進」を必須の条件とするなら横綱審議委員会の存在意義はない。横審の内規では、原則のほかに「二場所連続優勝に準ずる好成績を上げた力士を推薦することが出来る」とし、何よりも基準の第一に「品格、力量が抜群であること」を謳っている。5年務めた大関としては何度も優勝争いを演じたことはもとより、先場所の12勝という数字自体はやや物足りないものの三横綱を倒し、一年を通しても三横綱を差し置いて(優勝のない力士としては初の)年間最多勝を手にしたという意味で、力量は申し分ない。もし稀勢の里のことを言うなら、日馬富士や鶴竜が横綱に昇進したときの基準も振り返ってみるべきだろう。
過去の勝率を調べてみると、ここ一年、年間最多勝も取った稀勢の里の成績が優れているのは当然だが(稀勢の里0.822に対して、日馬富士0.720、鶴竜0.693と差は歴然)、横綱の二人が大関時代より成績を落としているのは問題ではないだろうか(例えば横綱になる前の一年間の大関・日馬富士の勝率0.756、鶴竜0.733)。確かに横綱に昇進する直前、日馬富士は二場所連続して全勝優勝の快挙を成し遂げ、鶴竜も優勝は一度ながら二場所続けて14勝を挙げたが、二人ともその前の場所は一桁勝利にとどまる。その意味で(勝負は相手あってのことで、数字だけ見ても仕方ないのだが)、うまく一瞬の流れを捉えて横綱の座を捉えたと言えるが、その前後の成績を見れば、「大関で二場所連続優勝して横綱昇進」が絶対の基準とは思えない(私はかねがね、日馬富士が横綱であることを疑問視してきたが、このご時勢に4人も横綱が出ること自体が問題と言えなくもない)。
そして、品格である。「何度もファンを裏切りながら、それでも背中に受ける声援はやまない。稀勢の里が愛されるのはなぜか」と自問し「勝っておごらず、負けて腐らず。2人の父(注:実の父と相撲界の師匠)から教わった『もののふ』の心は国技の根幹でもある」と自答して賛辞を贈る記者がいる。昨今珍しい中卒たたき上げで、「自分は力士。土俵の上でしか表現できないから」とほとんどテレビ番組には出ず、「不器用で古風な力士の雰囲気を身にまとうが、普段はよく話し、よく笑う好漢」と評する声もある。横綱昇進伝達式の後の会見で、目指す横綱像を問われて「横綱は常に人に見られている位置だと思う。稽古場もそうだし、普段の生き方も見られている。もっともっと人間的にも成長して尊敬されるような横綱になりたい」と答えた。お相撲さんらしいお相撲さんだ。
昨日、明治神宮で行われた奉納土俵入りには約1万8千もの観衆を集めたらしい。その最多記録は1994年11月26日の貴乃花の2万人だそうだが、それに近い人数だったことには驚く。かつて八百長問題などで揺れた角界だったが、相撲人気を取り戻し、最近は相撲好きの女性が「スー女」などと呼ばれるほど新たなファン層も獲得した上、やはり日本人横綱への期待が高まっているのだろう。白鵬にも衰えが見える今、精進し、横綱昇進に疑問の声を吹き飛ばすように、堂々とした横綱相撲で魅了して欲しいものだ。
(参考)横綱になる直前一年の成績
稀勢の里 13勝 13 12 10 12 14 計74勝16敗 勝率0.822
鶴竜 10勝 10 9 9 14 14 計66勝24敗 勝率0.733 (昇進後 9勝 11 11 12 10 全休 ・・・)
日馬富士 8勝 11 11 8 15 15 計68勝22敗 勝率0.756 (昇進後 9勝 15 9 11 10 10 ・・・)
稀勢の里については、大関昇進を果たしたときに「角界の大器晩成」というタイトルでこのブログに取り上げたことがある。調べて見るとあれから5年も経っている。優勝力士に次ぐ成績を残すこと実に12度、何度もあと一歩の悲哀を味わいながらなかなか果たせず、大関昇進後31場所目にしての優勝は(琴奨菊の26場所を超えて)歴代で最も遅い記録だそうだ。まさに「大器晩成」である。
若い時から注目はされていた。十両昇進は貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(17歳9ヶ月)で、新入幕も貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(18歳3ヶ月)、更に三役昇進は貴乃花、北の湖、白鵬に次ぐ年少4番目の記録(19歳11ヶ月)と、スピード出世で早くから好角家の期待を集めてきた。朝青龍の全盛期、2006年の九州場所では、立ち会いで横綱としては異例のけたぐりを見舞われ、翌2007年春場所では、送り投げで投げられて倒れた後に軽く膝蹴りを受け、2009年初場所では、寄り切られた後、ダメ押しの二発を見舞われるというように、暴れん坊・朝青龍から目の敵にされた。白鵬との因縁も浅くなく、2010年の九州場所二日目、寄り切りで破って63の連勝記録を止め、翌2011年の初場所11日目、押し出しで破って23で連勝を止めるという巡りあわせになった。
実は大関に昇進するときにも、千秋楽の結果を待たずに審判部が会議を開いて臨時理事会開催を要請し(理事会で大関昇進が見送られた例がないことから)事実上大関昇進が決定して、一部のマスコミ関係者から疑問の声があがった。そして今回も千秋楽を待たずして同様の動きがあり、横綱推挙となれば大関ほど簡単には行かないものの、「大関で二場所連続優勝」の原則から外れるため、甘いのではないかと疑問視する声があがっている。確かにこのあたりの判断には議論があろう。しかしかつて内館牧子さんが言い放ったように「大関で二場所連続優勝して横綱昇進」を必須の条件とするなら横綱審議委員会の存在意義はない。横審の内規では、原則のほかに「二場所連続優勝に準ずる好成績を上げた力士を推薦することが出来る」とし、何よりも基準の第一に「品格、力量が抜群であること」を謳っている。5年務めた大関としては何度も優勝争いを演じたことはもとより、先場所の12勝という数字自体はやや物足りないものの三横綱を倒し、一年を通しても三横綱を差し置いて(優勝のない力士としては初の)年間最多勝を手にしたという意味で、力量は申し分ない。もし稀勢の里のことを言うなら、日馬富士や鶴竜が横綱に昇進したときの基準も振り返ってみるべきだろう。
過去の勝率を調べてみると、ここ一年、年間最多勝も取った稀勢の里の成績が優れているのは当然だが(稀勢の里0.822に対して、日馬富士0.720、鶴竜0.693と差は歴然)、横綱の二人が大関時代より成績を落としているのは問題ではないだろうか(例えば横綱になる前の一年間の大関・日馬富士の勝率0.756、鶴竜0.733)。確かに横綱に昇進する直前、日馬富士は二場所連続して全勝優勝の快挙を成し遂げ、鶴竜も優勝は一度ながら二場所続けて14勝を挙げたが、二人ともその前の場所は一桁勝利にとどまる。その意味で(勝負は相手あってのことで、数字だけ見ても仕方ないのだが)、うまく一瞬の流れを捉えて横綱の座を捉えたと言えるが、その前後の成績を見れば、「大関で二場所連続優勝して横綱昇進」が絶対の基準とは思えない(私はかねがね、日馬富士が横綱であることを疑問視してきたが、このご時勢に4人も横綱が出ること自体が問題と言えなくもない)。
そして、品格である。「何度もファンを裏切りながら、それでも背中に受ける声援はやまない。稀勢の里が愛されるのはなぜか」と自問し「勝っておごらず、負けて腐らず。2人の父(注:実の父と相撲界の師匠)から教わった『もののふ』の心は国技の根幹でもある」と自答して賛辞を贈る記者がいる。昨今珍しい中卒たたき上げで、「自分は力士。土俵の上でしか表現できないから」とほとんどテレビ番組には出ず、「不器用で古風な力士の雰囲気を身にまとうが、普段はよく話し、よく笑う好漢」と評する声もある。横綱昇進伝達式の後の会見で、目指す横綱像を問われて「横綱は常に人に見られている位置だと思う。稽古場もそうだし、普段の生き方も見られている。もっともっと人間的にも成長して尊敬されるような横綱になりたい」と答えた。お相撲さんらしいお相撲さんだ。
昨日、明治神宮で行われた奉納土俵入りには約1万8千もの観衆を集めたらしい。その最多記録は1994年11月26日の貴乃花の2万人だそうだが、それに近い人数だったことには驚く。かつて八百長問題などで揺れた角界だったが、相撲人気を取り戻し、最近は相撲好きの女性が「スー女」などと呼ばれるほど新たなファン層も獲得した上、やはり日本人横綱への期待が高まっているのだろう。白鵬にも衰えが見える今、精進し、横綱昇進に疑問の声を吹き飛ばすように、堂々とした横綱相撲で魅了して欲しいものだ。
(参考)横綱になる直前一年の成績
稀勢の里 13勝 13 12 10 12 14 計74勝16敗 勝率0.822
鶴竜 10勝 10 9 9 14 14 計66勝24敗 勝率0.733 (昇進後 9勝 11 11 12 10 全休 ・・・)
日馬富士 8勝 11 11 8 15 15 計68勝22敗 勝率0.756 (昇進後 9勝 15 9 11 10 10 ・・・)