中国の戦狼外交ぶりに磨きがかかって来た。カナダやオーストラリアなどの中堅国に対して情け容赦しないのに加え、フランスとも衝突を繰り返している。昨春、パリ駐在の中国大使館が、フランスでは介護施設で年金生活者が見捨てられたまま死んでいくと発言して、顰蹙を買ったものだった。最近も、中国大使館は、フランス上院議員団が台湾訪問を計画していることに「一つの中国に反する」として止めるよう要請したのに対して、「露骨な干渉」だとツイートしたフランス人の中国研究者のことを「ごろつき」「狂ったハイエナ」と批判した。
中国のその筋の方々の発言は、最近、益々激しさを増し、北朝鮮に似て来た(笑)。北朝鮮の報道官のおばちゃんはお元気だろうか。三代目のボンがトランプさんと直接やり合うようになって、スポークスパーソンとしてすっかり影が薄くなった印象だが、大仰で紋切り型の田舎芝居のような長広舌が、なんだか懐かしい。中国も、芝居がかってはいるが、世界の大貧国として居直る北朝鮮と違って、余裕が感じられない。新彊ウイグル自治区での人権侵害の疑いを理由に、EUが中国に制裁を科すと、中国はすかさず対抗措置をとり、「断固とした反対と強い非難」を表明した上で、「人権教師面をするな」などと批判した。中国から制裁を科せられた内の一つ、ドイツの調査機関メルカトル中国問題研究所の理事は、「中国が愚かなことをしているのは極めて残念だ」と述べた上、中国は国の規模を見ているとして、「米国に対してはより慎重であり、カナダとオーストラリア、EUに対しては徹底反撃する」と語っている(ブルームバーグより)。
このあたりは日本に対しても同様で、日米2プラス2(日米外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会)に関連して、中国外務省の副報道局長は日本に「アメリカの戦略的属国」とのレッテルを貼り、「中日関係を破壊した」と対日批判を強めた。
「属国」とは手厳しい。こうした発言は、いかにも中国らしい発想から生まれたもので、実は中国自身の願望(=中国の属国としたい)を表しているのではないかと思われる。欧米では、帝国主義の時代があったとは言え、基本的に400年来、ウェストファリア体制が続いており、タテマエ上は国の大小を問わず主権平等の扱いだが、儒教社会の中華圏では古来、上下関係(序列)に基づく秩序観念(華夷秩序)が支配して来た。それは今も変わらず、2010年のアセアン地域フォーラム外相会議で、(先般のアラスカ会談で吠えまくった)楊潔篪氏は居並ぶ他国の外相を睨みつけ、「中国は大国であり、他の国々は小国である。それは厳然たる事実なのである」と言い放ったことが思い出される。
こうした言わば感情にまかせた発言で、「お里が知れる」のである。
以前にもこのブログで触れたことだが、あの「南京大虐殺」の被害者数は極東軍事裁判で、広島・長崎の被害者総数と同じ20万でチャラだと言わんばかりだったが、中国はその数をいつの間にか30万に積み増した。こうした城壁内での大量虐殺は、中国や中東や欧州のように異民族が攻防を繰り返す地では当たり前の発想だが、日本にはない(そもそも中国や欧州のように異民族から攻撃されたことがないので、街を守るための城壁構造はない)。従って慣れない旧・日本軍はそこまで残酷にならなかったであろうことが日本人には容易に想像され、被害実態は多く見積もっても一桁少ないレベルとするその後の研究の妥当性に納得するのである。こうした中国らしい発想で発言するから、「お里が知れる」のである(つまり中国のでっち上げと分かる)。
新彊ウイグル自治区での人権侵害の話に戻ると、中国外務省の報道官は、23日の定例記者会見で、新疆ウイグル自治区は「成功を収めた人権の物語」だと強弁し、新たな対中制裁を科したEU、カナダ、米国を揃って非難した。だったら、さっさと国連の査察を受け入れて、「成功を収めた人権の物語」とやらをEU、カナダ、米国に学ばせてあげればよいのにと思う。
中国は、アラスカ会談後、以前からの盟友である北朝鮮やロシアなどとの関係強化を目指す方針を表明した。デカップリングは、アメリカではなく、中国の側が仕掛けている。
中国のその筋の方々の発言は、最近、益々激しさを増し、北朝鮮に似て来た(笑)。北朝鮮の報道官のおばちゃんはお元気だろうか。三代目のボンがトランプさんと直接やり合うようになって、スポークスパーソンとしてすっかり影が薄くなった印象だが、大仰で紋切り型の田舎芝居のような長広舌が、なんだか懐かしい。中国も、芝居がかってはいるが、世界の大貧国として居直る北朝鮮と違って、余裕が感じられない。新彊ウイグル自治区での人権侵害の疑いを理由に、EUが中国に制裁を科すと、中国はすかさず対抗措置をとり、「断固とした反対と強い非難」を表明した上で、「人権教師面をするな」などと批判した。中国から制裁を科せられた内の一つ、ドイツの調査機関メルカトル中国問題研究所の理事は、「中国が愚かなことをしているのは極めて残念だ」と述べた上、中国は国の規模を見ているとして、「米国に対してはより慎重であり、カナダとオーストラリア、EUに対しては徹底反撃する」と語っている(ブルームバーグより)。
このあたりは日本に対しても同様で、日米2プラス2(日米外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会)に関連して、中国外務省の副報道局長は日本に「アメリカの戦略的属国」とのレッテルを貼り、「中日関係を破壊した」と対日批判を強めた。
「属国」とは手厳しい。こうした発言は、いかにも中国らしい発想から生まれたもので、実は中国自身の願望(=中国の属国としたい)を表しているのではないかと思われる。欧米では、帝国主義の時代があったとは言え、基本的に400年来、ウェストファリア体制が続いており、タテマエ上は国の大小を問わず主権平等の扱いだが、儒教社会の中華圏では古来、上下関係(序列)に基づく秩序観念(華夷秩序)が支配して来た。それは今も変わらず、2010年のアセアン地域フォーラム外相会議で、(先般のアラスカ会談で吠えまくった)楊潔篪氏は居並ぶ他国の外相を睨みつけ、「中国は大国であり、他の国々は小国である。それは厳然たる事実なのである」と言い放ったことが思い出される。
こうした言わば感情にまかせた発言で、「お里が知れる」のである。
以前にもこのブログで触れたことだが、あの「南京大虐殺」の被害者数は極東軍事裁判で、広島・長崎の被害者総数と同じ20万でチャラだと言わんばかりだったが、中国はその数をいつの間にか30万に積み増した。こうした城壁内での大量虐殺は、中国や中東や欧州のように異民族が攻防を繰り返す地では当たり前の発想だが、日本にはない(そもそも中国や欧州のように異民族から攻撃されたことがないので、街を守るための城壁構造はない)。従って慣れない旧・日本軍はそこまで残酷にならなかったであろうことが日本人には容易に想像され、被害実態は多く見積もっても一桁少ないレベルとするその後の研究の妥当性に納得するのである。こうした中国らしい発想で発言するから、「お里が知れる」のである(つまり中国のでっち上げと分かる)。
新彊ウイグル自治区での人権侵害の話に戻ると、中国外務省の報道官は、23日の定例記者会見で、新疆ウイグル自治区は「成功を収めた人権の物語」だと強弁し、新たな対中制裁を科したEU、カナダ、米国を揃って非難した。だったら、さっさと国連の査察を受け入れて、「成功を収めた人権の物語」とやらをEU、カナダ、米国に学ばせてあげればよいのにと思う。
中国は、アラスカ会談後、以前からの盟友である北朝鮮やロシアなどとの関係強化を目指す方針を表明した。デカップリングは、アメリカではなく、中国の側が仕掛けている。