風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ASEANの目

2015-04-30 16:42:47 | 時事放談
 南シナ海問題に関し、マレーシアで開かれていた東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議は、発表した議長声明で、これまでにない強い調子で中国を牽制したそうです。地域・国際問題の筆頭に南シナ海問題を挙げ、岩礁埋め立てへの「深刻な懸念を共有した」と指摘、中国への名指しを避けつつも、埋め立てが「平和と安全、安定を脅かす恐れがある」と警告し、「信頼を損なう」と非難したといいます(産経Web)。
 踏み込んだ発言には、二重の驚きがありました。
 振り返れば、2012年7月のASEAN外相会議では、中国にすっかり取り込まれている議長国・カンボジアは、中国と領有権争いを演じているフィリピンやベトナムと対立し、ASEAN設立以来初めて共同声明が採択されない事態となりましたし、さらに11月のASEAN関連会合で、議長国・カンボジアが「ASEANと中国とは、領有権問題を国際問題化しないことで合意した」と発表すると、やはりフィリピンやベトナムなど他のASEAN 加盟国に「そのような合意はない」と否定されるなど、議長国として失態を演じる事態となりました。今回は、抜け駆けとでも言えるような、中国との関係強化に動いていると見られていた議長国マレーシアが、こうした声明に応じたことがそもそもの驚きでした。
 また、このカンボジアの例に典型的に見られるように、そしてマレーシアの例が意外性を以て見られるように、そもそもASEANという、EUとの比較で、多様性に満ち(というのは、EUにはギリシャ起源の民主主義、ローマ起源の実定法、宗派の違いはあっても欧州全土に広がるキリスト教といった共通の歴史的経験なり基盤がありますが、ASEANには見られません)、国家主権を地域機構に委ねることは飽くまで拒否し、地域機構への帰属意識が乏しい、そんな関係各国をそれでも脱落させることなく繋ぎ留める「柔らかな地域主義」を謳いつつも、共同歩調をとって対処することにはしばしば困難を来し、中国による分断工作など、付け入るスキを与える「弱者の連合体」と揶揄されてきただけに、結束を一歩前に進める出来事とちょっと驚きをもって受け止めました。政治安全保障・経済・社会文化の三分野の共同体を柱とする「ASEAN共同体」を構築する今年12月31日がいよいよ近づく中で、これも夢物語ではないと、仄かに確信に変えさせてくれる出来事でもありました(ちょっと大袈裟かな)。
 産経Webが伝えるところによると、会議筋によると・・・として、議長声明の草案では、マレーシアが中国に配慮し、南シナ海問題に言及しなかったが、フィリピンを筆頭に、石油掘削を強行した中国と衝突したベトナム、中国の海洋進出が自国の海域に及ぶことを警戒するインドネシアなどから異議が出て、「大幅に修正された」といいます。マレーシアのナジブ首相は、首脳会議の会場だったランカウイ島で記者会見し、南シナ海問題で「ASEANの結束は乱れていない」と強調したそうですが、そのように強がらなければならないほど、相変わらず脆弱さと隣り合わせのきわどい実態を垣間見せます。
 EUは、ロシアという安全保障上の脅威と、日本という経済上の脅威に対抗するべく、過去の戦争の歴史を繰り返さない強い決意のもとに結束しました。ASEANにも、中国という安全保障上の脅威があるのは同じですが、ASEAN自身に共同市場を創設するほどの経済的な実態が乏しく、むしろ域外依存的で、日・米のほか、安全保障上の脅威である中国からの投資にも期待せざるを得ないという、構造上の欠陥を抱えるのが、良くも悪くもASEANであると言えます。楽観主義か悲観主義かを判断するたとえ話がASEANにも使われます。「水が半ばまで入ったグラス」は、リベラリストの如く「半分満たされている」と見るか、いや、現実主義者の如く「半分は空っぽ」だと批判的に見るか。
 広い意味でのアジア・太平洋地域におけるASEANという(やや限定的な)地域機構の立ち位置を再確認するならば、「アメリカを抱え込み、中国をチェックし、ASEANが担当する」(Tan See Seng氏)という意味で、しっかりしたASEANの存在は、この地の(日本やアメリカや中国さらにはロシアも含めて)平和と安定に寄与するところ大であり、今はまだちょっと弱々しく映るASEANの目を、しっかりと育てて行って欲しいと思います。
 上の写真は、かつて泊まったランカウィ島のリゾートホテルから。ASEAN首脳会議がこの島のどこで開催されたかは分かりません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢想する中国

2015-04-28 00:22:57 | 時事放談
 前回、東シナ海より南シナ海、南シナ海より西方、という話をしました。東シナ海では尖閣諸島周辺で安定して(!?)中国公船による領海侵犯があり、さらに南シナ海では単なる岩を島に、さらには滑走路に変えてしまう身勝手な埋め立てに、アメリカはじめ関係国は神経を尖らせています。そして西方では、チベットや新疆ウィグルなどの少数民族問題があるのは周知の通りですが、新疆ウィグル自治区のイスラム教徒がISIL(あるいはISIS)で訓練を受けているらしく、上海協力機構は、そんなイスラム教徒対策のため、ロシアやインドを巻き込み、中央アジア版NATOを結成しようとするものだと解説する人もいます。
 軍の思惑があるという意味では、中国国内の鉄道プロジェクトは、明らかに中国人民解放軍の軍事戦略の下に発想されており、兵力、兵站、装備、戦車輸送などの基幹ルートでもある、と米国の有力シンクタンク「ジェイムズタウン財団」のレポートは伝えているそうです。
 そのあたりは、かれこれ半世紀前のことになりますが、1956年、アメリカが州間高速道路網の建設に着手したのは軍事的な理由があったことを彷彿とさせます。アイゼンハワーは、その昔、下級将校だった時分、陸軍の輸送トラック部隊を率いてアメリカ大陸を横断した際、悪路のため数ヶ月もかかってしまったのに対し、第二次世界大戦でドイツは、バルジの戦い(1944年12月)を開始するために、アウトバーンを使って軍隊を東部前線から西方へ移動させるのを目の当たりにし、愕然としたといいます(このあたりは、ジョージ・フリードマン著「100年予測」より)。
 そればかりではなく、AIIBを通じた融資によって、アジア各国との国境を越えた新幹線や高速道路、そして海のシルクロードは港湾の建設プロジェクトが主眼となることが明らかになりましたが、こうして中国が華々しくぶち上げた陸と海の「21世紀のシルクロード構想」は、どうやら軍の戦略が基本にあり、如何にして軍事力を迅速かつ効率的に輸送できるかに力点が置かれているとの解説があるようです。一つは、国内の高速鉄道(所謂新幹線)を、カザフスタン、ウズベキスタンなど中央アジア・イスラム圏を通過させ、トルクメニスタンを通過してヨーロッパへ向かわせるものであり、また、トルコへは既にイスタンブール~アンカラ間を中国が支援した高速道路が完成しており、これをトルコはさらに四本、東方へ連結する計画があるそうですし、アジアへも、雲南省からラオス、カンボジア、ベトナムへ鉄道を拡充して結ぼうとしているというわけです(このあたりは宮崎正弘氏による)。
 そのあたりは、かれこれ100年前になりますが、日本による日露戦争の開戦が、ロシアによるシベリア鉄道建設による輸送能力向上との時間との勝負だったことを、やはり彷彿とさせます。
 どこまでが本当なのか、俄かには信じ難いと思う反面、「中華民族の偉大なる復興」を掲げ、実に1840年のアヘン戦争以来の歴史の屈辱を雪ごうとする習近平国家主席の底知れぬ恐ろしさをも感じさせます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

苦悩する中国

2015-04-24 01:57:00 | 時事放談
 昨日のアジア・アフリカ会議(バンドン会議・・・実は手狭なバンドンではなくジャカルタで開催されました)60周年記念首脳会議で、再び日中首脳会談が実現しました。昨年11月以来5ヶ月振りで、習近平国家主席は、仏頂面だった前回とは異なり、頗る機嫌が良かったと見えます。産経Webは、首脳会談後、「習主席、ニーハオ」と呼びかけた日本人女性記者に、満面の笑みを浮かべて右手を振ったというエピソードを紹介していました。習近平国家主席と言えども、さすがに前回(11月)の対応は大人げなかったと反省したのでしょうか。
 どうもそれだけではなさそうです。二週間くらい前のことですが、ある中国研究家が、中国は今年9月3日の抗日戦争勝利記念日で「和解」を演出したいようだと言うのです。もしそれが本当だとすると、中国の態度ひいては心境の変化は随分なものです。最近、中国による反日の動きが大人しくなってきたとは言うものの、毎日、通勤電車で日経新聞を斜め読む程度のサラリーマンには俄かに信じ難い話で、クリミア問題で孤立したロシアが中国に接近して蜜月状態と報道されているところ、中国はロシアを警戒し始めているとも言います(まあロシアも中国を警戒・・・言ってみれば拮抗する隣国関係とはそんなものですが)。現場主義なので信頼に値すると思っていたその研究家の話ではあるものの、私自身は正直なところ留保しているのですが、このアジア・アフリカ会議で、習近平国家主席は「(抗日戦争勝利記念日でも)今の日本を批判する気はない」と述べ、安倍さんを記念行事に招待したということですから、もしかしたら反腐敗の権力闘争で自信をつけつつあり、潮目は変わりつつあるのかも知れません。
 あらためて考えるに、中国経済はニュー・ノーマルと言いながらアブノーマル、つまり相当厳しい状況にあるようで、以前、ブログに書いたように日本をはじめとする外資が逃げつつある状況が喜ばしいはずはありません。安価な労働力をテコに世界の工場として飛躍しましたが、今や人件費が高騰し、内需中心の経済構造に転換しなければなりませんし、中所得国の罠から逃れるためには生産性を上げなければなりませんが、なかなかうまく行かない。技術を磨いて育てるよりも短期的な金儲けに目がくらんで、安易に技術を買うか盗むかするような国民性です。反腐敗運動も、日本のメディアではいろいろな意味づけがなされていますが、結局、権力闘争であろうことは間違いなく、同時に、格差社会の中国にあって庶民の歓心を買おうとする一種のポピュリズムであって、それだけ中国共産党支配を守るために社会的安定を何とか保とうと汲々としているということでしょう。しかも、今や東シナ海より南シナ海、南シナ海より西方(少数民族問題なのか?イスラム問題なのか?)に不安を抱える状況であり、習近平国家主席としては、いつまでも庶民の目を外敵に向けさせるために反日を叫ぶだけではもうもたなくて、自ら襟を正さなければならないところまで追い詰められている・・・ということなのでしょう。西欧や他のアジア・アフリカの諸国にとって、AIIBだろうがFTAだろうが中国共産党そのもの、あるいはその統治を支持しているわけではありません。中国が一党独裁の国の体裁をとっていようが、軍管区毎に分裂してしまっていようが、どちらでも構わない(与しやすい相手であるのが望ましのは間違いありませんが)。要は涎が出るほど欲しいのは、13億とも14億とも言われるマーケットであり、実利なのです。そのためには、内心、気に食わないと思っているけれども、中国共産党とは握手をする。庶民にとって、4000年の歴史を振り返ればわかるように、自分の生活が第一で、誰が統治していようが構わない。とにかく自分を幸せにしてくれる統治者に越したことはないわけです。
 そのあたり、中国共産党・指導部は民衆の反応をかなり気にしていると見えて、中国国営新華社通信は、日中首脳会談が「日本側の要請で」実施されたと速報で伝えたそうですし、短文投稿サイト「微博」には「なぜ会うのか」「譲歩しなかった日本外交の勝利」などと中国政府への批判的な書き込みが相次いだところ、次々と削除されたと、共同は伝えています。
 今回の会議は、安倍さんとしても、ある種の思い入れがあったものと想像します。
 巷間伝えられる話として、かつてのバンドン会議(つまり第一回アジア・アフリカ会議が開催された1955年のことだと思いますが)で、日本の大東亜戦争を、単なる侵略戦争ではなく、戦後、アジア・アフリカ諸国が西欧諸国から独立する契機となったという点で、積極的な意味あいを与えて評価されたと、戦後保守派を中心に語り継がれています。ググってみると、第一回会議は、第二次世界大戦後に独立したインドのネルー首相、インドネシアのスカルノ大統領、中華人民共和国の周恩来首相、エジプトのナセル大統領が中心となって開催を目指した会議の総称とWikipediaで紹介され、加瀬俊一外務相参与(後に国連大使となる)が語った話として、以下の通り伝えています(彼は、外務大臣代理で出席):

 「この会議の主催者から、出席の案内が来た。日本政府は参加を躊躇していた。アメリカへの気兼ねもあったが、何分現地には反日感情が強いに違いない、と覆っていた。私は強く出席を勧めて遂に参加が実現した。出てみるとアフリカからもアジアの各国も『よく来てくれた』『日本のおかげだ』と大歓迎を受けた。日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々はいまもイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった。それにあの時出した『大東亜共同宣言』がよかった。大東亜戦争の目的を鮮明に打ち出してくれた。『アジア民族のための日本の勇戦とその意義を打ち出した大東亜共同宣言は歴史に輝く』と大変なもて方であった。やっぱり出席してよかった。日本が国連に加盟できたのもアジア、アフリカ諸国の熱烈な応援があったからだ」

 これまた以前、ブログに書いたことですが、加瀬俊一さんはどうも公私混同するきらいがあり、何でもかんでも自分の評価に繋げる虚言癖があって、ちょっと注意が必要だと思います。かく言う私は、のらりくらりと過ごしていた学生時代に、たまたま加瀬さんの自伝やエッセイを何冊か読み、仮に裏方であっても歴史を紡ぐことが出来る外交官という職業にやり甲斐を感じ、唯一、外交官は男が一生を賭けるに値する仕事かも知れないと、若気の至りで思った(勘違いした?)ことがありました。他に裏付けるべき証言がないのであれば、割り引いて考える必要があるのかも知れませんが、戦後、GHQによるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(War Guilt Information Program、略称WGIP)の一環で、憲法と並び戦勝国から押し付けられた歴史観に毒された私たちの目は曇っていて、大東亜戦争が侵略戦争の側面があることを否定しませんが、西欧諸国による植民地支配体制を打破したこともまた歴史的事実であって、正当に評価されて然るべきでしょう。戦後レジームの脱却を目指す安倍さんにとっては、原点とも言える「会議」ではないでしょうか。
 当日の本会議で、安倍首相の演説が始まる前に、習近平は傲然と席を立って会場を後にしたと言われます。安倍首相の積極的平和主義に背を向けたことを意味する、と宮崎正弘さんは指摘し、かつ、習近平国家主席は何を訊きたくなかったのか?自問し、安倍総理の演説の中から、以下の発言を取り上げていいます。

 「侵略または侵略の脅威、武力行使によって、他国の領土保全や政治的独立を冒さない。国際紛争は平和的手段によって解決される等としたバンドン会議の原則を、日本は先の大戦の深い反省とともに、如何なる時でも守りぬく国であろうと誓った」

 まさに安倍首相のこだわりの部分・・・戦後50年の「村山談話」、戦後60年の「小泉談話」に盛り込まれた「植民地支配と侵略」や「お詫び」といった表現には触れず、この思い入れのある会議に絡めて、あくまで「反省」のもとに日本の戦後の平和への歩みを強調した部分であり、この日本の積極的平和路線を習近平国家主席は受け入れることが出来ないのであろう、と結論付けておられますが、その通りでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パラオ(下)

2015-04-21 00:08:47 | 日々の生活
 パラオ・ネタでもう少し引っ張りますが、前回は長い前置きで、今回、是非とも天皇陛下の尊い「思い」を記しておきたいと思います。
 天皇・皇后両陛下が慰霊のために訪問されたパラオは、ペリリューの戦いなど南部の2つの島で激しい地上戦となり、日・米で実に1万8000人が戦死した、大東亜戦争屈指の激戦地のひとつでした。
 中でも、ペリリュー島は、南北約9キロ、東西約3キロの小さな島ですが、パラオ諸島で唯一の大型飛行機が着陸できる「東洋一」と言われた飛行場があり、日本軍はこの島を守るために、歩兵第2連隊を含む約1万人の部隊を派遣し、島じゅうに洞窟陣地を張り巡らせました。終戦の前年9月15日に上陸した米軍は3万人近くにのぼり、壮絶な激戦となります。
 ここで日本軍は「アッツ島の戦い」(18年5月)以来続けてきた組織的な「玉砕」を禁止し、激しいゲリラ戦を展開し、持久戦に持ち込もうとします(因みに、これは日本軍の戦術上の転換点となり、その後の「硫黄島の戦い」に引き継がれます)。このとき米軍は、人員で守備部隊の4倍、小銃は8倍、戦車は10倍という圧倒的な布陣を敷き、火炎放射器や水陸両用戦車などの最新兵器まで投入したそうですが、苦戦し、当初、島を攻略するのに「Three days, maybe two(3日、たぶん2日で終わる)」と豪語しながら、戦闘は実に2ヶ月半に及びました。当時、ペリリュー戦に参戦し戦後を生き延びた元米軍のエド・アンダウッド元大佐は、「日本軍は負けると判っている戦争を最後まで戦った。この忠誠心は天皇の力と知って、ペリリュー島を“天皇の島”と名付けた」と述べ、日本軍人の忠誠心に敬意を表したそうです。
 実際、米・海兵隊の最精鋭部隊と言われる第1海兵師団第1連隊の死傷率は、史上最も高い約60%(別に54%とも)に達したため、第1海兵師団は撤収、第7海兵連隊も損害が50%を超えて戦闘不能に陥ったと言われます。太平洋艦隊司令長官ニミッツ海軍大将は著書「太平洋海戦史」で、「ペリリューの複雑極まる防衛に打ち勝つには、米国の歴史における他のどんな上陸作戦にも見られなかった最高の戦闘損害比率(約40%)を出した」と述べているそうです。日・米双方で約1万2000人が戦死し(日本軍は最終的に1万22人の戦死者と446人の戦傷者を出して玉砕、僅かに34人が生還。片や米軍は1684人の戦死者と7160人の戦傷者を出しました)、その犠牲者の多さと過酷さから、殆ど語られることがなかったため“忘れられた戦場”と呼ばれているそうです。ペリリュー島ではカニが死んだ兵士を食べて大繁殖したそうで、今もペリリュー島の人は肉食のカニを食べないと言われます。
 今は美しい海に囲まれたこの島には、しかし、戦後70年を経てなお戦争の爪痕が数多く残されていることに、驚愕しました。最後まで戦い抜いた日本将兵が籠もっていた戦闘壕や、守備隊を率いた中川州男大佐が自決した山頂の司令部壕のほか、ジャングルに一歩足を踏み入れれば、旧日本軍の大砲や不発弾や兵器の残骸が緑に埋もれているそうですし、空地には放置されたままの日・米の戦車が、また、透き通るパラオ・ゲレムディウリーフには干潮時に旧日本軍の零戦の残骸が姿を現します。そして何よりパラオには、いまだ7000柱以上の日本兵の遺骨が眠っているそうです。
 天皇陛下は、これまで、1994年に硫黄島、2005年にサイパンと、「戦没者慰霊の旅」を続けて来られました。パラオ訪問は10年前から検討されていたものの「受け入れ態勢が整わない」という理由で見送られてきたのだそうです。今回も、政府専用機の離着陸が難しい、ホテルも相応のものがない、警察官は僅か200人で、警備にあたるのは50人足らずと、警備上の問題もクリアできない・・・ないない尽くしですが、それでも両陛下は「宿泊は船内でも構わない」と言われて、実際、洋上に停泊する海上保安庁巡視船「あきつしま」の船長室に宿泊されるという異例の事態となりましたが、ようやく10年来の悲願が実現しました。その甲斐あって、ペリリュー島では、当日、学校や職場は休日となり、全島民600人で天皇・皇后両陛下を出迎えたそうですし、なんとペリリュー州では4月9日を「天皇皇后両陛下ご訪問の日」として州の祝日に制定してしまったそうです。
 4月8日、パラオ出発前に天皇陛下が語られたお言葉の一節が心に響きました。「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います。」戦後レジームからの脱却を唱える安倍総理は、気持ちは分からなくないにせよ、世界からどうしてもタカ派に見られてしまいますし、近隣諸国の中・韓も中・韓で、東アジア地域の安全保障環境がぎすぎすしてしまい、私たちもついイラつくことが多いのに対し、どこまでも平和への祈りを捧げる天皇陛下の存在ほど私たち日本人にとって心安らぎ有難いことはありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パラオ(上)

2015-04-18 17:55:08 | 日々の生活
 もう10日ほど前の話になりますが、天皇・皇后両陛下が慰霊のためにパラオ共和国を訪問されました。パラオはフィリッピンの南東(実は北半球)にあり、日本から約3000キロ南に位置すると言われますが、日本の最南端・沖ノ鳥島とは九州パラオ海嶺で繋がり、そこからは1400キロ、面積は屋久島と同じくらいで、人口約2万人の小国です。気になって、ちょっと調べてみました。今日はその歴史、特に日本との密な関係を振り返ります。
 “パラオを愛する人々による、パラオ好きのための、パラオ総合情報発信サイト”「パラオ×パラオ」(http://www.palauxpalau.com/palau/index.html)によると、パラオは南北に約640キロにわたり、火山とサンゴの隆起により出来た200以上の島々からなり、その内、人が住むのは9島のみで、残りは無人島だそうです。隆起したサンゴの島々が長い年月を掛けて侵食されキノコ型に変化した”ロックアイランド”が観光ポイントとしても知られ、虹が多いことから“レインボーズエンド”と表されることもあるそうで、見るからに自然豊かで美しい南国の楽園のイメージが広がります。しかし、同サイトが伝える歴史は、

1783年 イギリス船アンテロープ号の座礁により本格的な西洋の接触が開始される
1885年 スペインの植民地とされる
1899年 ドイツの植民地とされる
1920年 日本の統治領とされる
1947年 国連太平洋信託統治領としてアメリカによる統治が開始される
1981年 パラオ憲法施行。自治政府が発足される
1994年10月1日 パラオ共和国として独立する。同年12月、国連加盟国として承諾される

など、ちょっと苦難の道を思わせます。実際、Wikipediaによると、スペインの植民地下に入ると、訪れたヨーロッパ人により天然痘などが持ち込まれ、また現地人に対する搾取が行われた結果、パラオの人口は90%も減少した、とあります。国力が衰退したスペインが、1899年、グアムを除くスペイン領ミクロネシアを450万ドルでドイツに売却した際には、パラオもこれに含まれ、以降、ドイツ植民地となると、ドイツはパラオで、ココナッツ、タピオカ栽培、アンガウルにおけるリン鉱石採掘などの産業振興を行いましたが、他のドイツの植民地と同様、道路や水道などのインフラ整備や現地人への教育はほとんど行わなかった、とあります。
 状況が変わったのは、第一次世界大戦で、ドイツに宣戦布告した日本が、海軍を派遣しドイツ守備隊を降伏させて占領してからのことで、戦後のパリ講和会議で日本の委任統治領になり、日本政府が南洋群島全体を管轄する「南洋庁」本庁をパラオに設置すると、多くの日本人が移住し、学校、病院、気象台、郵便局などが建設されたほか、道路などのインフラ整備が進み、今日のパラオの基礎を作ったとされます。最盛期の1943年には2万7444人もの日本人が住んでいたそうです。
 しかし大東亜戦争では軍の拠点となり、激戦地になりました。終戦前年には、アメリカ軍の侵攻を受けて、ペリリュー島などパラオ南部の2つの島で激しい地上戦があり、日本軍は1万22人の戦死者と446人の戦傷者を出して玉砕しました。当時、日本国籍を持たない地元住民も、パラオ挺身隊などに軍属として動員されることがありましたが、このペリリュー島の戦いではパラオ民間人の死者はなかったそうで、地元住民の被害が少なかったことは「美談」として毎日新聞のコラムなどで掲載されたそうです(Wikipedia)。

【ある老人が若い頃日本兵と仲良くなり、戦況が日本に不利となった時「一緒に戦わせて欲しい」と日本兵隊長に進言したが「帝国軍人が貴様らなどと戦えるか!」と激昂され、見せ掛けの友情だったのかと失意の中、島を離れる船に乗り込んだ。が、船が島を離れた瞬間その隊長を含め日本兵が手を振って浜へ走り出てきた。老人はその時、隊長が激昂したのは自分達を救う為だったと悟ったという。】

 なんだか目頭が熱くなる(よく出来た?)エピソードです。このように、米軍の上陸前に島民を退避させ、自らは玉砕の道を選んだ日本兵は、地元住民にとってまさに英雄で、島にある南洋神社には日本とパラオの祖先神と大東亜戦争の戦死者が合祀されているそうです。こうしてみると、アジアの戦地で帝国軍人が凶悪・横暴だったという(恐らく)戦後左派により流布された話は、甚だ怪しい。勿論、戦争という異常な状況で人として平静を保つことの方が難しいでしょうし、内地ですら偉ぶる軍人が占領統治する地で偉ぶらないわけがありませんが、大東亜会議(1943年11月5~6日)に招請された、日本が旧宗主国を放逐したことにより独立とされたアジア諸国の国政最高責任者の一人が、はしなくも言ったように、日本も悪かったが、西欧の宗主国が大悪なのに比べれば、日本は小悪だった、といった程度のものというのが真実に近いのではあるまいか。会田雄次さんが「アーロン収容所」の中で、イギリスの女兵士は日本軍捕虜の面前で全裸のまま平気でいられたり、捕虜に家畜同様の食物を与えて平然としていられたりしたエピソードを交えながら、西欧人はアジア人を、羊飼いが羊を扱うように扱ったといったような印象を述べておられたのを思い出します。日本人はアジア人に対して根本的にそうはなれない。
 それはともかく、現在でも地元住民の多くは、今のパラオがあるのは日本のお陰と考え、日本や日本語に親しみを持ち、子供に日本風の名前をつける人も多いそうですし、日本語由来の現地語も多く流通しているとして、Wikipediaは、扇風機や電話はそのまま「センプウキ」「デンワ」、ブラジャーは「チチバンド」、ビールを飲む事は「ツカレナオス」、美味しいは「アジダイジョウブ」、混乱することを「アタマグルグル」、飛行場は「スコオジョウ」と言われることを挙げていますが、一説では8000以上もあるそうで(パラオ大使・貞岡義幸氏による)、日常的すぎて現地の若者はそれが日本語であることを意識していないほどだというのも頷けます。パラオ唯一の公立高校では、1964年から選択科目として日本語を取り入れているそうですし、アンガウル州に至っては、アンガウル語、英語に並び、州の公用語の一つとして採用されているそうです。世界広しと言えど、海外で日本語が公用語になっている国はパラオくらいではないでしょうか。
 戦後、米国の国連信託統治下にあったパラオでは、GHQよろしく米国により、パラオで尊敬されていた二宮尊徳の像や神社が破壊され、「日本人は残虐で多くのパラオ人を虐殺した」などと日本を否定するような教育が行われたそうですが、当時はまだ日本統治の時代を知る人が多く、「日本は素晴らしい国だ」「日本統治が一番よかった」と言って、パラオではアメリカの捏造教育はうまく行かなかったようです。このあたりは、戦後の台湾で外省人である国民党政府が行ったことに似ています。今は日本に住むある台湾の独立運動家は、学校では反日教育が行われ、自宅では日本統治を懐かしむ親の話を聞いて、正直なところ混乱したと語っていました。そして、どちらの国(地域)も今は親日です。
 1994年に独立し、国旗を決める際には、日本の国旗にちなんだデザインが住民投票で選ばれたそうです。確かに、パラオの国旗は色が違いますが、海を表す青地の中心よりやや左に配置された黄色い丸は「太陽」ではなく「満月」を表すそうで、「月」はイスラムの影響かと思ったらそうではなく、中心を少しずらすことで日本に敬意を表し、「満月」をモチーフにすることで「太陽」を象徴する日本の国旗に遠慮したという説があります。因みに、バングラデシュの国旗は、豊かな大地を表す緑地の中心よりやや左に配置された、独立戦争で死んだ者の血の色でもある真っ赤な丸は「太陽」を表し、「太陽」が左に寄っているのは、旗がはためいた時やや左に寄せることで中心に見えるように配慮したとされ、「太陽」は対立関係にあったパキスタンのイスラム主義の象徴「三日月と星」に対抗することを意図したものとされますが、初代大統領の娘は、1972年の国旗制定時に、父が「日本に魅せられ、日の丸のデザインを取り入れた」と語っています。
 同じ1994年、米国との間で自由連合盟約(コンパクト)が締結されました。パラオにはなんと軍隊がなく、このコンパクトに基づき、米国がパラオの安全保障・国防上の権限と責任を有するのだそうで、アイライ州に小規模な米軍施設があって、実戦部隊は駐留していませんが、有事の際には米軍による土地利用が認められているそうです。また、このコンパクトに基づき、パラオ国市民が米国軍人として数多く採用されているそうです。また経済的にも、このコンパクトに基づく無償援助に大きく依存しているようです。
 1999年、パラオは台湾と国交を結びました。つまり中国とは国交がありません。現在、台湾、いや中華民国と国交がある国は22ヶ国で、オセアニアの島国は台湾か中国かで国交を結ぶ国が分かれており、パラオは同じミクロネシアのナウルやマーシャル諸島やキリバスのほか、ソロモン諸島、ツバルとともに、その数少ない国の一つなわけです。台湾との友好は、日本の統治時代に同じ日本の統治下にあった台湾・韓国からの移民が多かったことと関係しているのでしょうか。他方、中国とは、2012年4月にパラオ警察が同海域で保護されているサメの違法漁を行っている中国漁民を取り締まる際、中国漁民を一人射殺し、漁民25人が逮捕する事件が発生するなど、トラブルが多いようです。パラオは明らかに日本、米国、台湾との関係を重視しているようで、大使館は、日本、米国、台湾、フィリピンの四つがあるのみだそうです。
 そんなパラオの国会議事堂の前にも、「韓国人慰霊碑」が建てられており、「相当数の韓国人が、大日本帝国に主権を奪われ、パラオに連行され、日本軍のために重労働に従事した。韓国人女性はエンターテイナーとして日本兵のために働く事を強いられた。当時、韓国人は隔離され奴隷とされた 2000人にものぼる韓国人が、飢餓、病気、日本人による虐待・暴行、事故、米国機による空爆のため悲痛な死を遂げたとされる」と書かれているそうですが、親日のパラオの人たちは恩義を忘れた韓国人をどう見ているでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教科書検定

2015-04-11 19:20:56 | 時事放談
 教科書検定と言えば、昭和57年6月26日、大手新聞各紙及び各テレビ局が、昭和時代前期の日本軍の行動について、「華北に“侵略”」とあったのを「華北へ“進出”」という表現に書き改めさせられたと報道したことを契機に、中国との間で外交問題に発展した、所謂“第一次教科書検定”を思い出します。日本政府は、同年8月26日、「『歴史教科書』に関する宮澤喜一内閣官房長官談話」を発表し、9月8日に中国側が了承したことで事態は収束しましたが、これによって、教科用図書検定基準の中に所謂“近隣諸国条項”(近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること)が追加されるという禍根を残し、以来、教科書に所謂“自虐史観”的な記述が続くことになりました。後に、各紙・各局の報道が誤報だったことが判明し、渡部昇一さん論文(文藝春秋のオピニオン誌「諸君!」掲載「萬犬虚に吼えた教科書問題」)をたまたま読んだ私は、ただの誤報が外交問題に発展したこともさることながら、誤報が屈辱的な近隣諸国条項を呑まされることに繋がったことに愕然とし、爾来、朝日新聞と決別し、「諸君!」は保守色が強いながらも、それ故にこそやや左に偏向した新聞の解毒剤として時々購読するようになったものでした。
 そんな教科書編集の指針となる検定基準が改正され、近現代史の出来事で通説的な見解が存在しない場合には、その旨を明示する、政府の統一的な見解があれば、それに基づいて記述する、見解が分かれる事柄はバランスよく取り上げる、といったことが求められるようになって、初めての検定があり、これまでは竹島や尖閣諸島について「日本固有の領土」とはっきり書かない教科書があったのに対して、来年4月から使われる中学校教科書では、社会科では初めて地理、歴史、公民の全教科書が竹島と尖閣諸島を取り上げるなど日本の領土に関する記述が大幅に増え、竹島は「韓国が不法占拠」、尖閣諸島は「日本固有の領土」と強調するなど、ようやく次代の日本を担う子供たちに向けて、自国の立場を理解することが出来るようになったという、まともな内容に改められました。
 これについて、朝日新聞の7日付の社説がふるっていました。領土問題について、「『日本固有の領土』『竹島を韓国が不法に占拠している』など編集の指針をなぞる社が多い。相手国の主張や根拠まで扱った本はほとんどない。これでは、なぜ争っているか生徒にはわからない。双方の言い分を知らなくては、中韓やロシアとの間で何が解決に必要かを考えるのは難しいだろう」と。
 まさか、主権に関わり、解決の糸口が見えず、双方の主張が平行線を辿るばかりの領土問題で、教科書を読む子供たちに解決を考えさせるわけではないですね。そんなことをしても答えが出るわけがありません。それだけでなく、「中国」の歴史上、王朝が交替してきたと言っても、中原という舞台を巡って異民族が興亡を繰り返してきただけのことで、そのたびに人民を虐殺して人口が激減し、焚書坑儒のように前王朝の文化や歴史を抹殺し、自分たちの歴史を捏造して塗り替える、およそ「中国」という国家としてのアイデンティティが受け継がれたわけではなく、ブツ切りで、「中国4000年の歴史」は単なる虚構でしかないのは自明のことであり、今の中華人民共和国の建国は1949年でしかないのに、版図が最も大きかった清の時代にまで遡って領土主権を主張する盗人猛々しい主張を載せて、どうしようと言うのでしょうか。
 これまで私もブログで何度か引用してきましたが、スタンフォード大学の研究グループが10数年前、米・日・中・台・韓各国の歴史教科書を比較研究して得た結論・・・日本では歴史は「ヒストリー」だが、中国では「プロパガンダ」、韓国では「ファンタジー」・・・を知らないわけではないでしょう。因みに、それを報じた当時の読売新聞によると、

 日本の教科書は最も愛国的記述がなく、非常に平板なスタイルでの事実の羅列で感情的なものがない。
 中国の教科書は全くのプロパガンダで、共産党のイデオロギーに満ちている。04年に改訂されたが、改訂後は中国人の愛国心をうたい、抗日戦争での勇ましい描写が増えた。南京事件を詳細に記述するなど、日本軍による残虐行為をより強調し、中国人のナショナリズムをあおっている。
 韓国の教科書は特にナショナル・アイデンティティーの形成に強く焦点を当てており、自分たち韓国人に起こったことを詳細かつ念入りに記述している。日本が自分たちに行ったことだけに関心があり、広島・長崎への原爆投下の記述すらない。それほどまでに自己中心的にしか歴史を見ていない-。(八木秀次氏「日中韓で異なり過ぎる歴史観」2013.09.26 夕刊フジ)

 同じキリスト教文化圏にあって、歴史を「ヒストリー」と呼べるドイツとフランスでも、歴史認識の摺合せは難しく、結局、両論併記になったこともまた、以前、ブログで触れました。再び、朝日新聞の社説を引用しますが、なかなかふるっています。「社会科の教科書は、国が自分の言い分を正解として教え込む道具ではない」と。産経新聞の阿比留瑠比氏は「教科書は、日教組の機関紙であってはならない」と揶揄していました。日本人である以上、日本国の歴史認識を示すのは当然のことであって、中国の「プロパガンダ」や韓国の「ファンタジー」に付き合う必要はないと思うのですが、朝日新聞はどんな日本人を作りたいのでしょうか。「国際人」なる意味不明、あるいはルーピー鳩山さんのように国家を超越した「宇宙人」を作りたいわけではないでしょう。国際社会場裏では、国あるいは民族を背負わない人はいないという現実を、まさか朝日新聞は知らないわけはないと思うのですが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

AIIB雑感(続)

2015-04-05 13:59:18 | 時事放談
 前回、話題にしたAIIBは、結局、3月末までに創設メンバーに馳せ参じた国が50を超えました。その成否は別にして、アメリカの影響力が相対的に衰え、所謂パワー・トランジションが今まさに起こりつつある現実を実感させる出来事ではありました。熊野英生さん(第一生命経済研究所・首席エコノミスト)は、あるエッセイで、かつて1997年のアジア通貨危機の際、当時の宮沢蔵相が提示したアジア通貨基金構想に対して、米・中、そしてIMF(国際通貨基金)からも反対されて頓挫した経験を思い出され、あのときは、既存の通貨体制としてのブレトンウッズ体制に挑戦するような芽はいともたやすく摘まれてしまうのを残念に思ったけれども、あれから時代は移り変わり、2008年には20ヶ国・地域(所謂G20)金融サミットが開催されるようになり、リーマンショック後の体制を議論する場も設けられ、欧州からは、ブレトンウッズ体制に替わる仕組みづくりの議論も提示されていたので、AIIBに欧州諸国が参画する動きを見せたことは、後から考えれば頷けること、と述べておられました。
 ほんの半月ほどの間に、まさに雪崩を打つように事態が急変したのは、イギリスという、同じアングロサクソンで、アメリカに最も近い同盟国でありながら、かつて7つの海を支配した大英帝国としての経験と実績は、衰えたりと言えども、今なお国際世論に訴える力をもっていて、中国が主導するAIIBでも、懐に入ってモノ申すだけの存在感があると、あるいは他の国々が参画しても大丈夫と思わせるに足るだけの安心感を与える存在であることが証明されたと言えるでしょう。これ自体は、私たちも心に銘記すべきところです。
 しかし、お隣の大国・中国との付き合い方は、当然のことながら、安全保障上の懸念が低く実利に関心が偏りがちのイギリスをはじめとする欧州諸国と、安全保障上の関心が第一の我が国とでは、異なることになるのは仕方ないところです。例えば中国がもつ安全保障上の意味合いは、欧州では、中東・アフリカ・中南米で武器を拡散して「困ったちゃん」程度に思われているのに対し、日本や海洋アジア諸国にとって、中国人民解放軍の近代化や海洋進出は間近な危機であり、皮膚感覚を刺激する問題です。だからと言って、日本の懸念や問題意識を、イギリスをはじめとする欧米諸国に伝える努力を怠っていいということにはなりません。
 日本にとって悩ましいのは、同じ脅威を肌身に感じる海洋アジア諸国は、日本と違って、久しぶりに握手をした中国首脳に苦々しい表情をさせるほどの力はもち得ず、経済的には中国依存を強め、中国との間で微妙な距離感を保たざるを得ない状況に置かれているところです。親日のインドネシアの大統領ですら、日本を詣でた後に中国を訪問することを忘れず、双方との関係をバランスさせながら、双方からメリットを得ようとするのは、当然の行動でしょう。
 そんな中国による「外資はずし」が、最近、露骨になりつつあるようです。
 もっとも、既に「中国離れ」も始まっていました。2014年の日本から中国への直接投資実行額は43億3千万ドル(約5000億円)で前年比38・8%減と二年連続の減少となっただけでなく、天安門事件の影響で投資が約35%落ち込んだ1989年を上回る異例の下落を記録していたことが報道されていました。それは日本に限ったことではなく、米国からも20.6%減、ASEAN(東南アジア諸国連合)からも23.8%減、EU(欧州連合)からも5.3%の減少でした。また、多国籍企業が中国での事業を縮小したり、GMのように、地域本社を中国からシンガポールに映すような企業も出てきている事情も報道されていました。今のところはまだ大量脱出が起きているわけではありません。大気汚染、地元の中国企業に都合よく次々につくられる法令の数々、知的財産権保護の甘さといった問題のほか、警察当局が企業のコンピューターから大量のデータを複製したり、従業員を、弁護士から遠ざけておいて尋問したりするといったことにも、多国籍企業はフラストレーションを募らせていると言われますし、技術情報が中国政府にコピーされたり、パテント(特許権)が搾取されてしまうことを確信する向きもありますが、中国当局を公然と非難したことが判明すれば大変なことになるとか、拠点を中国からどこか他国へ移そうものなら中国政府から睨まれるため、それを避けるために慎重になっているとかいうような事情もあるようです。
 中国では、ジニ係数に見られるように所得格差が限界近くまで高まりながら、また所謂「中所得国の罠」を脱するためには、生産性を上げなければならないと言われながら、うまく行かない焦りから、なりふり構っていられない行動が、国際協調といったような美名に粉飾されて、吹き出す兆しがあり、経済的に見れば大国で影響が大きいだけに、注意が必要です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする