ソチ・オリンピックは、事前に懸念されたテロ騒動に見舞われることなく、今日23日、無事、閉会式を迎えました。放送が深夜になるため、ライブで見ることはありませんでしたが、この一瞬に賭ける選手の思いには大いに興奮し感動しました。
「10代の挑戦」とタイトルした前々回ブログには、羽生結弦選手の快挙を追記しなければなりません。男子フィギュア・ショートプログラムで国際大会史上初の100点を超える演技を披露して首位に立ち、フリースケーティングではジャンプで転倒したものの、パトリック・チャンの敵失にも助けられて、逃げ切りに成功し、日本男子フィギュア界初の金メダルという偉業を達成しました。昨年までは、持病の喘息のせいかどうか知りませんが、最後まで体力が続かず、細い身体が痛々しいほどでした。ところが、今年は、依然、細身ながら、逞しさを加え、随分、余裕が出てきたように感じられました。なにより「チャンスを確実にものにすることができるメンタルの強さ」(荒川静香評)を持ち、12月に行われたグランプリ・ファイナルではようやくパトリック・チャンを抑えて優勝したことが大いに自信になったことでしょう。ロイター通信は、オリンピック前に、チャンが羽生のことを「悪魔」に譬えていたことを伝えていましたが、この時に既に勝負はついていたように感じたものでした。
さて、今日のブログ・タイトル「集大成」は、言わずもがなの浅田真央選手のことをさします。
女子フィギュア・ショートプログラムを終えた後、日本中が溜息をついたことでしょう。試合後のインタビューで涙を浮かべて「緊張して、身体が思うように動かなかった。まだ何も分からない」と話していたのが、痛々しい。心無い元首相の失言が飛び出しましたが、私たちだって多かれ少なかれ似たような思いを抱いていたのは事実です。だからこそそれを口にするのを心無いと呼ぶわけで、冷静に見ればそこが羽生選手の金メダルとの違いと言えなくもないのですが、しかし、そんな弱さも含めて、可憐な演技を、そしてより高い技術を求めて挑み続ける健気な姿勢を、日本人だけでなく世界中の多くの人が愛しているのです。
翌日のフリースケーティングでは、別人のように完璧な演技を披露し、嬉し涙を流しました。終わりよければ全てよし。金メダルにはついに恵まれませんでしたが、「『自分にしかできない』とこだわり続けたトリプルアクセルを完璧に着氷」し、「4年前は入れることができなかった3回転ルッツは惜しくも踏み切り違反を取られ、トーループも回転不足に終わっ」て、「五輪の女子で初となる全6種類の3回転はあと一歩で逃し」(いずれも産経Web)たものの、最後まで諦めない、真央ちゃんらしい集大成だったと思います。
真央ちゃんについては、10年にわたるキム・ヨナとのライバル対決を語らないではいられません。初の対決となった2004年の世界ジュニア選手権では、30点の大差をつけて真央ちゃんが優勝し、キム・ヨナは自叙伝に「どうして、よりによって、あの子が私と同じ時代に生まれたのか、そういう風にも思った」とこぼしたほどでした。ところが2009年の世界選手権あたりから地位が逆転します。このとき、キム・ヨナは世界新記録を打ち立てたのに続き、2010年のバンクーバーオリンピックで金メダルに輝いたのはご存じの通り。その後、二人は別々の道を歩み始めたのもご存じの通り。いったん引退したキム・ヨナに対し、真央ちゃんはジャンプの基礎からやり直し、トリプルアクセルを磨き続けました。
21日(日本時間)、ソチのコリアハウスでインタビューに応じたキム・ヨナは、最も記憶に残るライバルを問われて「浅田真央選手。10年以上もライバルという状況の中で競技した。昨日、体をほぐしに出てきた時、浅田選手が涙を流しているのを見て、私もぐっときた」と答えました。オリンピック前には、ロイター通信とのインタビューで真央ちゃんは「キム・ヨナがいたから私は成長することができた。私のモチベーションになっていた」と明らかにし、キム・ヨナは出国前のインタビューで「私も浅田真央と同じ考えだ。ジュニア時代から絶えず比較されてきたし、ライバル意識を持っていた。浅田真央がいなかったら今の私もいなかった」「お互いに避けたいが、動機づけにもなり刺激にもなった」と応酬しました。
不思議なもので、スポーツには記録を残す選手と記憶に残る選手がいるものですが、真央ちゃんは間違いなく記憶に残る選手です。22日付の日刊スポーツは「ロシアの地元紙記者が浅田選手について『サムライを見た』との記事を書いた」と報じました。「誰にもまねのできないトリプルアクセルに挑み続けたスピリットに、メダル競争とは別次元の尊さを見いだしたようだ。『サムライにとって唯一の勲章は不朽の名声だ』と、手放しで喝采を送っていた」ということです。どれほど大きい記事だったか知りませんが、海外からも評価する声があがるのは、真央ちゃん本人だけでなく、全ての日本人にとっても晴れがましい。
ほかにも、集大成という意味で、長年、男子フィギュア界を牽引した高橋大輔選手の男の色香を感じさせる(でも今回はちょっと元気が感じられなくて残念だった)“艶”技や、7度目のオリンピック出場となった今大会スキージャンプ男子個人ラージヒルで銀メダルを獲得し、男子団体ラージヒルでも銅メダルに導いた葛西紀明選手の“レジェンド”な活躍も忘れられませんが、長くなりますのでこの辺で。
「10代の挑戦」とタイトルした前々回ブログには、羽生結弦選手の快挙を追記しなければなりません。男子フィギュア・ショートプログラムで国際大会史上初の100点を超える演技を披露して首位に立ち、フリースケーティングではジャンプで転倒したものの、パトリック・チャンの敵失にも助けられて、逃げ切りに成功し、日本男子フィギュア界初の金メダルという偉業を達成しました。昨年までは、持病の喘息のせいかどうか知りませんが、最後まで体力が続かず、細い身体が痛々しいほどでした。ところが、今年は、依然、細身ながら、逞しさを加え、随分、余裕が出てきたように感じられました。なにより「チャンスを確実にものにすることができるメンタルの強さ」(荒川静香評)を持ち、12月に行われたグランプリ・ファイナルではようやくパトリック・チャンを抑えて優勝したことが大いに自信になったことでしょう。ロイター通信は、オリンピック前に、チャンが羽生のことを「悪魔」に譬えていたことを伝えていましたが、この時に既に勝負はついていたように感じたものでした。
さて、今日のブログ・タイトル「集大成」は、言わずもがなの浅田真央選手のことをさします。
女子フィギュア・ショートプログラムを終えた後、日本中が溜息をついたことでしょう。試合後のインタビューで涙を浮かべて「緊張して、身体が思うように動かなかった。まだ何も分からない」と話していたのが、痛々しい。心無い元首相の失言が飛び出しましたが、私たちだって多かれ少なかれ似たような思いを抱いていたのは事実です。だからこそそれを口にするのを心無いと呼ぶわけで、冷静に見ればそこが羽生選手の金メダルとの違いと言えなくもないのですが、しかし、そんな弱さも含めて、可憐な演技を、そしてより高い技術を求めて挑み続ける健気な姿勢を、日本人だけでなく世界中の多くの人が愛しているのです。
翌日のフリースケーティングでは、別人のように完璧な演技を披露し、嬉し涙を流しました。終わりよければ全てよし。金メダルにはついに恵まれませんでしたが、「『自分にしかできない』とこだわり続けたトリプルアクセルを完璧に着氷」し、「4年前は入れることができなかった3回転ルッツは惜しくも踏み切り違反を取られ、トーループも回転不足に終わっ」て、「五輪の女子で初となる全6種類の3回転はあと一歩で逃し」(いずれも産経Web)たものの、最後まで諦めない、真央ちゃんらしい集大成だったと思います。
真央ちゃんについては、10年にわたるキム・ヨナとのライバル対決を語らないではいられません。初の対決となった2004年の世界ジュニア選手権では、30点の大差をつけて真央ちゃんが優勝し、キム・ヨナは自叙伝に「どうして、よりによって、あの子が私と同じ時代に生まれたのか、そういう風にも思った」とこぼしたほどでした。ところが2009年の世界選手権あたりから地位が逆転します。このとき、キム・ヨナは世界新記録を打ち立てたのに続き、2010年のバンクーバーオリンピックで金メダルに輝いたのはご存じの通り。その後、二人は別々の道を歩み始めたのもご存じの通り。いったん引退したキム・ヨナに対し、真央ちゃんはジャンプの基礎からやり直し、トリプルアクセルを磨き続けました。
21日(日本時間)、ソチのコリアハウスでインタビューに応じたキム・ヨナは、最も記憶に残るライバルを問われて「浅田真央選手。10年以上もライバルという状況の中で競技した。昨日、体をほぐしに出てきた時、浅田選手が涙を流しているのを見て、私もぐっときた」と答えました。オリンピック前には、ロイター通信とのインタビューで真央ちゃんは「キム・ヨナがいたから私は成長することができた。私のモチベーションになっていた」と明らかにし、キム・ヨナは出国前のインタビューで「私も浅田真央と同じ考えだ。ジュニア時代から絶えず比較されてきたし、ライバル意識を持っていた。浅田真央がいなかったら今の私もいなかった」「お互いに避けたいが、動機づけにもなり刺激にもなった」と応酬しました。
不思議なもので、スポーツには記録を残す選手と記憶に残る選手がいるものですが、真央ちゃんは間違いなく記憶に残る選手です。22日付の日刊スポーツは「ロシアの地元紙記者が浅田選手について『サムライを見た』との記事を書いた」と報じました。「誰にもまねのできないトリプルアクセルに挑み続けたスピリットに、メダル競争とは別次元の尊さを見いだしたようだ。『サムライにとって唯一の勲章は不朽の名声だ』と、手放しで喝采を送っていた」ということです。どれほど大きい記事だったか知りませんが、海外からも評価する声があがるのは、真央ちゃん本人だけでなく、全ての日本人にとっても晴れがましい。
ほかにも、集大成という意味で、長年、男子フィギュア界を牽引した高橋大輔選手の男の色香を感じさせる(でも今回はちょっと元気が感じられなくて残念だった)“艶”技や、7度目のオリンピック出場となった今大会スキージャンプ男子個人ラージヒルで銀メダルを獲得し、男子団体ラージヒルでも銅メダルに導いた葛西紀明選手の“レジェンド”な活躍も忘れられませんが、長くなりますのでこの辺で。