吉祥寺と言えば、青春ドラマの金字塔「俺たちの旅」の舞台になった井の頭公園があり、関西人の私にとっては憧れの地、独特の思い入れのある街です。実際に吉祥寺を訪れてみると、駅の北側に伸びるサンロードをはじめとして、今もなお昔ながらの商店街の雰囲気を色濃く残すのを認めて、ホッとします。肩肘張ることなく気軽に歩ける街なのは、山手線沿線やその内側とは違って、「住」に近い土地柄だからでしょうか。心なしか普段着の買い物客が多いような気もします。そのサンロードの路地裏に、更に庶民的な、通称「ハモニカ横丁」があります。
ハーモニカという、それ自体が哀愁を帯びた音色を奏で、人恋しさを誘って、夜の飲み屋街に似合う絶妙のネーミングは、その昔、武蔵野市に住んでいた文芸評論家の亀井勝一郎氏が、戦後の荒廃した闇市に始まる100軒ほどの店が所狭しと軒を連ねる路地の様子を、ハーモニカの吹き口に譬えたことに由来するそうです。アジアの街を歩けば分かりますが、日本は戦後の荒廃から立ち直って、67年の時を経て、世界でも指折りの清潔な街に生まれ変わりました。ところが吉祥寺の明るい商店街から一筋入るだけで、決して不潔なわけではないのですが、ウナギの寝床のように入口がひしめき合って、何とはなしに垢抜けない看板と相俟って、独特な猥雑さが、ある種の懐かしさを醸し出します。実際に戦後間もなくこの地で営業を始めた干物屋もあれば、つい一年半ほど前にオープンしたタイ料理レストラン「アジア食堂ココナッツ」もあります。先日、このタイ料理を食して見ました。日本的にスパイスを抑えたところが物足りないのですが、ここは日本なので、やむを得ません。こうした新旧織り交ぜつつも共通するのは、そこはかとない昭和。なんとなく造られた昭和がそこにあります。
ハーモニカという、それ自体が哀愁を帯びた音色を奏で、人恋しさを誘って、夜の飲み屋街に似合う絶妙のネーミングは、その昔、武蔵野市に住んでいた文芸評論家の亀井勝一郎氏が、戦後の荒廃した闇市に始まる100軒ほどの店が所狭しと軒を連ねる路地の様子を、ハーモニカの吹き口に譬えたことに由来するそうです。アジアの街を歩けば分かりますが、日本は戦後の荒廃から立ち直って、67年の時を経て、世界でも指折りの清潔な街に生まれ変わりました。ところが吉祥寺の明るい商店街から一筋入るだけで、決して不潔なわけではないのですが、ウナギの寝床のように入口がひしめき合って、何とはなしに垢抜けない看板と相俟って、独特な猥雑さが、ある種の懐かしさを醸し出します。実際に戦後間もなくこの地で営業を始めた干物屋もあれば、つい一年半ほど前にオープンしたタイ料理レストラン「アジア食堂ココナッツ」もあります。先日、このタイ料理を食して見ました。日本的にスパイスを抑えたところが物足りないのですが、ここは日本なので、やむを得ません。こうした新旧織り交ぜつつも共通するのは、そこはかとない昭和。なんとなく造られた昭和がそこにあります。