風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

秋の気配

2024-09-25 05:52:54 | 日々の生活

 つい先週まで、帰宅してエアコンをつけて部屋を冷やしてから眠りについていたのがウソのように、一気に秋になった。9月後半なのだから、遅過ぎたと言うべきかもしれない。近年、春と秋が短くなり、この一年を振り返っても、寒い冬が明けると暖かいのを通り越して暑くなり、昨日の今日で、窓を開け放ってタオル一枚で大の字になって寝ていた次の日には窓を閉めて毛布を引っ張り出して包まって寝る始末だ。

 だから実態は秋の気配と言うより本格的な秋の訪れなのだが、夏の祭りのような熱気が冷める微妙な季節に忘れられない楽曲がある。オフコースの『秋の気配』だ。1977年8月5日のリリースで、その時はこのバンドのことをまだよく知らなかった。2年後に『さよなら』が大ヒットし、切ないメロディと伸びのある歌声に惹かれた。大学時代に腰掛け程度に在籍した軽音サークルに、オフコースのコピーバンドがいて、ボーカルは小田和正さんばりに高音の伸びがあって誰をも驚かせたが、私はそれよりもおとなし目の女の子がドラムスをダイナミックに叩く姿に惹かれて、オフコースを聴くようになった。それでもその頃はまだ『秋の気配』に辿り着いていない。

 その後、就職で東京に出て、高校の同窓会があるというので帰省して久しぶりに再会したある女の子が、好きな曲だと言って『秋の気配』を挙げて、歌詞に出てくる「港が見下ろせる小高い公園」をわざわざ訪れたことがあると笑った。なんだ、近くまで来ていたんだ、水くさい。私も行ったことがある港の見える丘公園からは、名前の通りに、貨物船がゆっくりと行き交う、なんでもない港が見えるのだが、彼女は違う風景を見ていたのだろうか。地味な曲だが、ハーモニーとアコースティック・ギターの音色の美しさを極限まで引き出し、移ろいゆく恋心を切なく唄うこの曲に、何故、今まで気がつかなかったのだろう。そのときの彼女の照れ笑いと結びついて、リリースから随分と時を経て、忘れられない曲になった。

 音の記憶は、今もなお鮮明に胸をざわつかせるのだから、不思議だ。

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終戦から79年

2024-08-16 20:03:42 | 日々の生活

 パリ五輪の熱戦を終えて帰国直後に開かれた会見で、今やりたいことは何かと聞かれた早田ひな選手は、「アンパンミュージアムに、ちょっとポーチを作りに行きたい」と、地元の福岡の施設を取り上げてほっこりさせたのに続けて、「あとは、鹿児島の特攻資料館に行って、生きていること、そして自分が卓球がこうやって当たり前にできていることというのが、当たり前じゃないというのを感じてみたいなと思って、行ってみたいなと思っています」と、意外な場所を挙げたのが話題になった。

 早速、好意的な反応がある一方で、早田選手がアカウントを開設したばかりの中国weiboには否定的なコメントが殺到し、人民日報系のスポーツチャイナや中国新聞社はSNSで、早田選手をフォローしていたパリ五輪の二人の中国人メダリストがフォローを外したことを伝えた。一種の(いかにも中国的な)ポピュリズム的な反応に、中国の言論空間の息苦しさをあらためて感じ、中国人メダリストを気の毒に思う。ついでながら、かの国では、石川佳純さんと張本智和選手がテレビ番組の企画でパリ五輪前に渋谷区の東郷神社を必勝祈願に訪れていたニュースまで掘り起こされ、物議を醸した。一種のゲーム感覚であろうが、党の方針に沿うとは言え、このような言論統制は、党にとって諸刃の剣で、時として行動を制約することになりかねない非生産的なことなのだが、懲りることはないようだ。

 日本でもステレオタイプな反応が見られた。社会学者の古市憲寿氏は、「特攻があったから今の日本が幸せで平和だっていうのは違う」とした上で、〝悲劇的な話〟として終わらせずに、二度と特攻のようなものが起こらない社会づくりや平和について考える必要があると訴えたそうだ。早田ひなさんを批判する趣旨ではなく、「特攻隊の話題が出てくるたび、都合良くその歴史を美化する人を批判してるんです」と言い訳される通り、自らのイデオロギー的な主張を伝えたいだけで、話は噛み合っていない。これも、個人の趣味とは言え、別の意味で窮屈な言論空間と言えなくもない。

 もっと素直に反応できないものか。知覧特攻平和会館の受け止め方を拾ってみよう。「早田選手の発言でより多くの皆様に当会館のことを知っていただく機会をいただき大変ありがたい」「特攻の史実を知っていただき」「生きていることのありがたさや、命の尊さ、平和のありがたさを感じていただければ幸い」。

 知覧は私の生まれ故郷の隣町で、万世特攻平和祈念館に至っては地元の施設なのだが、三歳のときに上阪し、(本籍は残したまま)40年も離れたままで、両施設のことは心に思うばかりである。素直に、静かに、訪れたいと思う。

 あの(玉音放送の)日も、蝉は喧しかったのだろうか。

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受験勉強と学びの違い

2024-05-26 08:55:38 | 日々の生活

 十日程前の池上彰さんの大岡山通信(日経朝刊)は、「大型連休が明けて学生がキャンパスに帰ってきました」との書き出しで、新入生に向けて、「大事なことは、良き問いを立て、答えを求めて自ら学ぶという姿勢」だと、受験勉強からの脱皮を勧めておられた。これ自体は陳腐ではあるものの、その通りだろう。高校までは「授業」と呼んで、授けられるものを有り難く受けていたが、大学では「講義」と呼んで、自ら学ぶことが大切だと言って、講義をサボって遊ぶ口実にしていたのを懐かしく思い出す。あの頃、しっかり主体的に勉強していたら人生は変わっていただろう(笑)。

 大岡山通信に戻ると、しかし、その前提にはやや違和感がある。「君たちは小学校のころから、先生が何か問題を出すと、先生が求めている正解は何かをいち早く察知して答えることを繰り返してきたのでしょう。要するに忖度力です。ある意味で、求められている答えを忖度する力を高めることが受験競争に打ち勝つ手段でもあったのです」と言われるのもステレオタイプで、しかし、それだけではないはずだ。勿論、点数を確実に稼ぐには、問題文を読み込み何を求められているかをいち早く察知し的確に「答え」を纏め、採点者の心を捉えなければならない。それはその通りだが、それは後半分でしかない。前半分は、そもそも何が出題されるかを、池上さんの言葉を借りるならば「忖度」する。それを中途半端にやれば、ヤマが当たったとか外れたということになるが、普通に試験に備える場合は、定期考査と大学受験ではやや違うとは言え、教師視点で何が「問題」として出題されそうか忖度し、あるいは赤本に当たって大学の出題傾向を「忖度」して重点的に対策を練る。いずれも所詮は「忖度」には違いないが、試験(教師)が求めるものを先回りする努力をしていた。何が重要か、流れを、ポイントを、掴むことには長けていなければならなかった。こうした受験という狭い世界から自由になった解放感を、あの季節の眩いばかりの明るさとともに懐かしく思い出す。ようやく自分が好きなことに目が向けられる。そして私は長い五月病を患った(笑)。

 社会に出れば、大岡山通信にあるように「世界はどうあるべきか、日本はどうあるべきか、そして私はどうあるべきなのかという問いを立ててみる。その力が求められてくる」と言われる。「忖度」に慣れ親しんだ私たちには必ずしも苦手なことではなく、求められているものを探そうとして、そこからはスティーブ・ジョブズは出てこないなどと世間ではステレオタイプに批判される。しかし日本にだってソニーやニンテンドーが活躍したことがあったし、小さい企業の中にはいろいろ面白い取り組みをしているところがある。GAFAMが出て来ない日本に足りないのは、(中国という意識的に巨大を求めて力で圧倒する経済が現れた今)リスクを取って大規模に先行投資する実行力ではないだろうか(かつて半導体投資で後れをとったように)。構想力では負けていないのではないだろうか。そして、巨大を求めても勝てそうにない日本は別の戦い方を探さなければならないのではないだろうか。

 大岡山通信は、「自分の未来や幸福のために良き問いを立てるということは人間にしかできないこと」「技術とはあくまでも、情報を集め、考えるための道具に過ぎない」として、AI時代を生き抜く指針を与え、「考える力とは生きる力に通じるかもしれません。学生生活を大事に過ごしてほしいと思います」と締めておられる。分かりやすく伝えることを信条とされる氏の本領発揮と言え、その通りだと思う。AIは身近に欠かせないものとなるだろうが、まだ稚拙なAIを評価する感性が、またAIが進化してもAIを超える人間自身の感性が評価されるのは間違いないのであって、その感性は学びの中でこそ磨かれる。そこに老若男女の関わりはない、ということを、まだ限りない未来が広がる新入生ばかりでなく、定年を迎えて初めて自由の身になる方々へのハナムケの言葉にしたいと思う。なんだか他人事のようだが(笑)

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かくも奥深い言葉なるもの

2024-05-10 21:30:24 | 日々の生活

 今日の日経夕刊「あすへの話題」で、作家の小池真理子さんが「かくも奥深く、生々しく」と題して、安易に言葉を略し(カスハラなど)、変容させて面白がり、みんなと同じことを口にしていれば無難に過ごせる(小説をコンテンツ、作家をクリエイターと呼ばせる出版社があるらしいし、持続可能と言わずにサステナブルというカタカナ語が通用する)、というような風潮を戒めておられた。ウラジーミル・ナボコフが、ロシア革命を機にヨーロッパに、更にアメリカに亡命し、英語という異国の言葉で執筆した小説の数々が文学史に残るものになったという例を引きながら、言葉は「かくも奥深く、生々しく」あるもので、「夥しい数の言葉を駆使して初めて、人間という不可解な生きもの、社会の営みを表現することができる」と言うわけだ。

 結論はその通りだろう。言葉は生き物とは言え、乱れるのは見苦しいし、字数に制限があるXで意図をきっちり伝えられるかと言うと、とてもそんな自信はない。とりわけ日本語は、四季折々の変化と、時に厳しく対峙し、時に暖かく包んでくれる豊かな自然のお陰で、類いまれに豊かな言語で、アメリカ国務省外交官養成局の外国語習得難易度ランキングによると、習得に最も時間がかかるカテゴリー5(他にはアラビア語、中国語、韓国語)の中でも、更にアスタリスクが付いて最高難度の栄誉⁉︎に浴しているらしい。ウラジーミル・ナボコフも、ロシア語を使えば確実なところ、アメリカ人に伝えたいばかりに英語で言葉を尽くして血の滲む努力をされたであろうことは想像に難くない。言語は文化そのものだからだ。

 他方で現実問題として、単語レベルでは話が違って来るようにも思う。例えば外国で生まれた、日本にはかつてなかったような概念を、無理に既存の日本語を探して訳として当て嵌めることには疑問なしとしない。受験英語の如く「サステナブル=持続可能」という等式が頭にあるからこそ意味を理解するのであって、初めてこの概念に接する人が「持続可能な社会」と聞いてsustainという英単語が持つ「持続的に支える」というようなニュアンスをイメージできるとは思えない。外国語と日本語は、受験英語のように1対1対応させるとおかしなことになりかねないのであって、むしろ原語のまま使う方がよほどスッキリすることが往々にしてあると思う。それを、無理に漢字をひねくり回して翻訳した昔の西洋の哲学書が読み難いことは、この上もなかった。

 逆もまた真で、日本で生まれた如何にも日本的な概念が日本以外の地で上手く翻訳できなくて、トヨタの経営で有名になった「改善」ともまた違う「カイゼン」活動は、結局、「kaizen」としか表現のしようがないし、「もったいない」という日本らしい感覚は「What a waste!」とか「too good to waste」ではなく「mottainai」としか表現のしようがないのである。

 そんなことを言いながら、普段、「reasonableだね」とか「それじゃあjustify出来ないよ」とか「identifyする」などと、別にイキがっているわけではなく言い慣れているだけなのだが、今なお帰国したばかりの西洋かぶれのイヤミなオヤジのように英単語を散りばめて恥じることのない自分を自己正当化するのであった(!)。

 これも、シルクロードの終着点で、文化の吹き溜まりのような日本ならではの発想だろうか。

 それにしても、コラムのタイトルは遊び心に溢れて大胆ではないか(笑)

 

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ギャンブル依存症

2024-04-17 21:27:31 | 日々の生活

 ギャンブル依存症は病気だと頭では理解していたつもりだったが、甘かったようだ。水原一平容疑者が違法賭博を始めた2021年9月から2年余りの間に1万9千回、負けは実に4千万ドル(約62億円)に達し、大谷翔平の銀行口座から1千6百万ドル(約25億円)を盗んでいたことが判明した。新庄剛志もかつて22億円を騙し取られたという話が飛び出して、野球選手の金銭感覚には驚かされるし、一平容疑者は狙われたのだろうが、桁が違い過ぎて俄かに想像を絶する。

 東洋経済の記事によると、ギャンブル依存症(病的賭博)は医学的には脳の機能異常(刺激を受ける脳内報酬系の回路が鈍感になっているため、より強い刺激を求め、行動をコントロール出来なくなる)と考えられ、WHOも精神障害と認定しているそうだ。その特徴は、興奮を求めて掛金が増えて行く、止めようとしても上手く行かない、ギャンブルしないと落ち着かない、負けたお金をギャンブルで取り返そうとする、ギャンブルのことで嘘をついたり借金をしたりする、と、まるで今回の一平容疑者の陥った状況を代弁しているかのようだ。そんな依存症の疑いがある人が日本に3.6%もいるというから驚く。学生時代の40人クラスに1人はいた計算になる。しかもアメリカやフランスはその二分の一から三分の一というから、更に驚く。一体、日本人って…

 借金の肩代わりや尻拭いはイネーブラーと言われ、依存症がより深刻になる可能性が高いから、避けるべきで、寧ろ本人には「底つき体験」をさせることの方が真の手助けになるという。落ちるところまで落ちないと、「回復したい」「治療を受けたい」と思うようにはならない、と。翔平に25億円もの借金が出来た一平容疑者も、かくあって欲しいと思わざるを得ない。

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サクラ咲く

2024-04-14 22:50:26 | 日々の生活

 花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき、と自らの半生を花に託して詠ったのは林芙美子だった。桜島に石碑がある。確かに先週末は満開だった桜は、この季節の気紛れな雨風に晒されて、今週末は葉桜に変わった。花にとっては過酷な季節である。

 だからであろう。咲き始めの可憐さ、咲き誇る華麗さ、散り際の潔さは、日本人の美意識を体現して、日本人にこよなく愛されて来た。

 そして、いのち短し、恋せよ乙女、とも歌われた(ゴンドラの唄)。紅き唇褪せぬ間に、熱き血潮の冷えぬ間に、明日の月日はないものを、と。人にもそんな季節があることを思い起こさせるかのように、この春もまた、桜は咲いてくれた。桜を眺めながら、人は何を思うのだろう。桜が愛される所以である。

 上の写真は先週末のもの。

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甲辰の年明け

2024-01-01 21:21:36 | 日々の生活

 穏やかなお正月である。最近、年賀状は控えめにしているとは言え、貰いっ放しでは申し訳なくて投函しに戸外に出ると、澄み渡った青空にきーんと張り詰めたような空気が清新な感じがして心地よい。

 近所の神社に出向くと、午後の時間帯でも、人々が行列をなしているのに怖気づいて、心の中でお祈りだけして、そそくさと踵を返した。その足でヨーカドーに向かうと、元日から初売り、軒を借りるドトールまで満員御礼の大賑わいで、商魂逞しいのだが、初詣以外にさしたる行事も顧みなくなったいまどきの私たちには、ヨーカドーさまさまである。なにはともあれ、コロナ禍以前に戻ったような活気が嬉しい。

 今年は干支で言えば甲辰の年だ。その筋の方によると、「春の日差しが、あまねく成長を助く年」になるそうだ。「春の暖かい日差しが大地すべてのものに平等に降り注ぎ、急速な成長と変化を誘う年」になりそうで、「すべてのものに平等に降り注ぐということは、これまで陰になっていた部分にも日が当たり、報われ、大きな成長を遂げるといったことが期待できる。逆に、自分にとって隠しておきたい部分にも日が当たり、大きな変化が起きる可能性もある」ということだ。

 ある中国人の古老(但し日本在住)に言わせると、「前回の甲辰(1964年)は、『二つの地獄の合間』の一年だった」そうだ。1958年に始まる大躍進と、1966年に始まる文化大革命を、二つの地獄と譬えていらっしゃる。さて、今年の中国はどうだろう。年末に読んだ福島香織さんのコラムが思い出される。「中国が『世界の頭脳』なのは今だけ、習近平の『反知性主義』で凋落が始まる」という、ちょっとセンセーショナルな、しかし隣人の不幸を喜びたい日本人の心をくすぐるタイトルだが(笑)、よく読むと納得させられる。私は、かつて清朝皇帝が西洋の使者を前に「学ぶものは何もない」とつれない対応をした史実を思い出した。自由や民主主義や選挙制度のような西洋的価値観を大学で教えなくなり、習近平思想を呪文のように唱えさせる現代の中華帝国は、文化大革命に先祖返りしつつあるかのようだし、経済安全保障のために諸外国に頼らない内循環という名の内向き志向を強める経済は、体の良い現代版「海禁」政策のようでもある。こうした唯我独尊は中華帝国が繁栄を謳歌したときに陥りやすい宿痾のように思う。

 日本はというと、新暦以降で言うと、1904年に日露戦争が始まり、1964年に東海道新幹線が開業し、東京オリンピックが開催された。前者は、『坂の上の雲』の登り龍とは言え、極東の小国(アジア人)が白人の文明大国に挑むという、なんとも無謀な、まさに秋山真之が言ったような「皇国の興廃この一戦にあり」の一大事であったし、後者は、それまでの苦節の時代を経た日本が成長を実感する象徴的な出来事であり、いずれも時代の画期と言えよう。今年の日本はどうだろうか。

 その筋の方の話に戻ると、陰陽五行で「甲」と「辰」の関係は、「『木の陽』が重なる『比和』と呼ばれる組み合せで、同じ気が重なると、その気は最も盛んになる。その結果が良い場合にはますます良く、悪い場合にはますます悪くなるという関係性である」ということだ。こういう話は、良いところは素直に受け止めて、前向きに、悪いところは頭の片隅にとどめて、ちょっと警戒するのがよい。「光が及ぶのは自身を中心とした身近な範囲に限られる。身の程を超えてしまうと光が届かないため、分不相応な野心を実らせるのは困難を極めそうである。春の日差しの中、自身を見つめなおし、足元をしっかりと踏み締めていくことで道が開き、それこそが後に大望を叶える鍵となることだろう」ともいう。確かに凡人は身の程をわきまえて一気に多くを望まないのが賢明なのだろう。中国で、辰(龍)は人々の暮らしを豊かにする水神として祀られるとともに、絶大な力を持つ龍は歴代の皇帝の(富や権力の)象徴とされ、「なんでも鑑定団」によると、5本の爪を持つ龍は皇帝の身の回りにのみ描かれることが許されていた。辰(龍)にあやかり、些かなりとも上昇の気運を願いたいものである。

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薄れゆくコロナな世界

2023-12-02 09:55:14 | 日々の生活

 一昨日、忘れた頃に、新型コロナ・ワクチンを接種した。自治体がしっかり記録管理してくれていて、もう6回目になるのかと思うと感慨深い。会社の同僚と、無料の案内が来るから、なんとなく受ける状況だと話して、笑いあった。無料ではなくなるときが、コロナな世界の打ち止めなのであろうか・・・。

 最初の5回はなんとなくファイザーで、今回はなんとなく初めてモデルナを打ったら、一日半経ってもまだ上腕部で鈍痛がして、肩を上げ下げするのに難儀する。所謂「モデルナ・アーム」である。一般には接種してから二日後にかけて痛みや発熱などを覚える人が多いらしく、ファイザーと同様、若い人ほど症状が出やすいと言われるので、まあその限りでは人並みに反応してくれてホッとするが、発熱や倦怠感がないことにはやや複雑な心境である(笑)。

 コロナ4年目に入って、朝晩の通勤電車内など混み合うところでこそマスクをするが、そういう人は4割以下、3割程度だろうか。もはやマジョリティではなくなった。オフィスを含めて他ではマスクをしない。最初の頃こそ解放感があったが、当たり前の日常に戻っただけで、マスクを持たずにうっかり外出することが多いし、電車の中でも周囲にマスクをする人に気づいておもむろにマスクを取り出すことが多い。

 振り返れば、コロナ以前には、当たり前の日常をこれほど愛おしく思うことはなかったし、衛生なるものをこれほど気に懸けることもなかったが、そのほろ苦い記憶も薄れつつある。完全巣籠り状態だったのは、当初の二年間だけだったことになる。ただ、人生のどのステージでその二年間を過ごすことになったか、友達との触れあいが楽しい学生時代や、受験や就職活動のような節目など、人によっては小さくない影響があったことだろう。昔話として笑って話せるときが来るとよいと思う。

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中国は国家か?

2023-11-25 20:04:37 | 日々の生活

 今日、久しぶりに神田の古書店街をぶらついて、矢野仁一さん(京都帝国大学名誉教授、1970年没)の本を見つけて衝動買いしてしまった。『大東亜史の構想』(昭和19年、目黒書店)という晩年の作品で、我ながらマニアックで呆れてしまう。

 矢野仁一さんは、かねて『近代支那論』(大正13年、弘文堂書房)で、中国に国境の観念はない、つまり国力が伸長すれば国境も伸長すると主張されて、政治地理学の祖とされるフリードリヒ・ラッツェル(1844~1904年)に近い考えを提示されていて、気になっていた。それが一種の勢力圏の考え方であり、ロシアを見てもわかるように、大陸国家のメンタリティなのだろう。

 あらためてWikipediaで「矢野仁一」を調べてみると、「中国近現代史研究の先駆者の一人であり、戦時期には『中国非国論』を主張して満州国建国を擁護する論陣を張った」とある。なんと大胆なことを・・・とリベラルなことを言う勿れ。中国二千年の歴史を振り返れば、果たして中国は「国」なのか?「地域」なのか?疑問である。近代国民国家の概念を当て嵌めれば、明らかに「国」が継続して来たとは言えず、むしろ「非国」と言われて腑に落ちる。例えば、モンゴル人や満州人が中華の地に「国」を樹立して、それぞれ元朝や清朝を名乗ったのに、日本人が今の華北の地に満州国を樹立して何が違うというのだろうか? 時代が違えば、それが悪いわけではあるまい。勿論、リットン調査団は周知の通りで、彼らはその時の中華民国を(どんなに分裂して国の体を成していなかったにしても)カタチの上で国民党政府の「国」と見做したことだろう。さらに中国共産党は、中華民国の五族共和や満州国の五族協和を真似て、五十五の民族からなる帝国だと強弁し、そうすることで二千年の歴史を遡って中国という「国」がさも連綿と続いて来たかのように装う。しかし学術的には「中国非国論」は十分に成り立ち得る。

 以前、やはり神田の古書店街で、『英国の観た日支関係』(昭和13年、清和書店)という古書を衝動買いして読んだことがある。これは当時のロンドン王室国際問題研究所のレポートを邦訳したもので、私には馴染みのない歴史だったことに些か驚かされた。と言うのは、日支関係が「国民党」と日本の関係だったからだ。今、私たちに馴染みのある戦前・戦中の日支関係は、中国共産党に忖度し、その歴史(正史)を受け容れて、「共産党」と日本の関係に置き換わってしまった。「抗日戦に勝利した」という中国共産党の美しい建国物語が綴られるが、史実は、日本と正面で戦っていたのは飽くまで国民党であって共産党ではなく、共産党は国民党の影に隠れて体力を温存し、日本との戦いで疲弊した国民党が国共内戦に敗れて共産党の世になったのだった。

 もしこのまま台湾が独立してしまうと、国民党政府は中国という国の歴史にならず、結果、中国の歴史は1949年以来74年しかないことになってしまう(国民党政府を含めても1912年から111年にしかならないが)。

 こんなマニアックなことを中国本土でやると、数年前の北海道大学教授のように、今では「反スパイ法」で、確実に拘束されてしまいそうだ。くわばら、くわばら・・・。

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遅れて来た11月

2023-11-13 00:20:41 | 日々の生活

 昨日あたりから冬型の気圧配置によって一気に冷え、慣れない身体に寒さが沁みる辛い週末となった。ようやく遅い11月の到来といった感じだ。昨年までは、11月の声を聞けば、ビジネス・スーツの衣替えをするのが常だったが、今年は二週間近く、夏服のままで過ごし、朝夕の通勤客の中には、ちらほら上着なしの若者もいるほどだった。

 今年は記録的な暑さで、国連事務総長が「地球温暖化の時代は終わり、『地球沸騰化』の時代が到来した(The era of global boiling has arrived.)」と警鐘を鳴らしたことが話題になった。何を大袈裟な、と言おうものなら、きっと欧米の環境活動家から面罵されるのだろう。私はそこに、環境を言いながら人間中心主義的なニオイを嗅ぎ取って、つい胡散臭く思ってしまう。私たち日本人はただ自然を畏敬するが、西洋人にとって自然は神が造ったものであり、その神が死んだと言う人も現れて(言わずと知れたニーチェだ)、その神を人間が引き継いだかのように「神-人間ライン」と自然を対置し、自然を観察対象とするだけでなく介入・征服する対象と見做してさんざん弄んで来て、今頃になって自然が破壊されているとは、昔も今もキリスト教的(ひいてはユダヤ教的)な「神-人間ライン」の相も変らぬ傲慢さが垣間見えて、イカガワシク思うのだ。勿論、地球環境保全に吝かではないし、CO2濃度の上昇が地球温暖化に影響するという予測モデルがノーベル賞を獲るくらいだから、関連がないとは言わないが、地球はそこまでヤワなのか(太陽の影響だってあるだろうに)と拗ねてみたくなるし、自然とともにあった日本人が今、環境後進国などと、西洋人には言われたくないが、まあそれは余談である。

 そんな発言があった7月は特に暑かったようで、過去12万年で最も暑い月だった可能性があるようだ(BBC 11月10日付)。世界各地で高温や山火事などの異常気象・災害が続き、私も小さい話ではあるが、帰宅後に窓を開け放てばエアコンの世話にならなくて済んで来たのに、この夏はたまらず数日だけ生まれて初めて(!)エアコンで部屋を冷やしてから寝入るハメになった。実際に東京都心では「猛暑日」(最高気温35度以上)22回、「真夏日」(同30度以上)90回を観測し、どちらも過去最多だったと、日経・春秋が書いた(10月31日付)。その時点で「夏日」(同25度以上)140回は、最多だった昨年に並んでいたが、11月に入ってからも小春日和ならぬ小夏日和!?があって、過去最多となった。先週火曜日には、東京都心の気温は27.5度と、11月の最高気温を100年ぶりに更新する暑さを記録し、朝、駅まで歩くと汗ばむほどだった。

 こうして「夏日」は実に3月から11月まで(断続的にではあるが)続いたことになる。本来、寒い冬と暑い夏を両極端として、その間の移行期間を春や秋と称して、一年をほぼ四等分して、季節の移り変わりを楽しんで来たが、夏がやたらと長くなり、春と秋が短くなって行くような感覚だ・・・などと、人間は悠長なことを言っていられるが、魚はそうは行かない。温度上昇の影響は、恒温動物のヒトより変温動物の魚の方が5~7倍は大きいと言われ、ヒトはアラスカでも赤道直下でも生活するが、魚は生息できる温度帯が限られ、旬がずれて、全国で地魚が変調を来していると、同じ日の日経(迫真・荒波に向かう漁業)は書いた。

 11月は旧暦そのままに「霜月」などと呼ばれるのは、大袈裟ではなく旧暦が一ヶ月ほど先行していた(すなわち新暦で言う12月頃だった)からで、他にも、(10月=「神無月」に出雲大社に出掛けて不在だった)日本各地の八百万の神々が戻って来る「神来月」「神帰月」(かみきづき)、神様に歌や舞を奉納する「神楽月」(かぐらづき)、「雪待月」(ゆきまちつき)などと呼ばれ、「霜月」も「しもつき」ではなく「そうげつ」と読んで、霜と月の光の情緒を表す呼び方もあるようだ。日本人は実に風雅な日本語で表現豊かに季節の変化や気候を語って来た。いつまでも日本人らしく悠長なことを言い続けたい(そして旬の魚を楽しみたい)ものだと心から思う。

 

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