総裁選の論戦を見ていると、巧拙は別にして、一応、他と区別しようとする政策論議がまがりなりにも行われ、野党が繰り出すような揚げ足取りの矮小化した議論には至らないという点で、妙な安心感がある(笑)。同じ自民党議員というコップの中の争いなので、考え方が極端に違うわけではないが、ある程度の幅の中で、いずれ一国の首相になるのだから、実現可能な政策を競うわけで、それなりに現実的でなければならないし、理想的な要素もないと明るい未来は見えて来ない。落選したら議員ではなくなるわけでなし、なんだかんだ言って仲間意識もあって、一定の品位が保たれているのだろう。
そうは言っても、一口に自民党と言っても、リベラル(河野さんや野田さん)から保守(岸田さんや高市さん)まで、さらに政策課題によって、結構、幅があるものだと感心する。これが自民党の強さだろう。以前、自民党は「鵺(ヌエ)」のようだと形容したことがあるが、その射程を、世間の支持を得やすい(という意味ではややポピュリズム的とも言える)リベラルな経済・財政領域にまで拡げたために、結果として、野党との争点が護憲や消費税廃止のような極端な議論に寄せられて、野党の存在意義ひいては活躍の余地が狭められて来た。
パックンはNewsweekに寄稿したコラムで、『アメリカから見ると自民党はめっちゃリベラルです』と題して、揶揄しているが(*)、その通りだと思う。
(*)https://www.newsweekjapan.jp/pakkun/2021/09/-929-nhk-lgbtq-2.php
河野太郎さんが、「本来保守主義というのは、度量の広い温かい寛容な社会を目指すのが保守主義なんだと思う」と言われたのは詭弁、と言うより個人的な嗜好・願望を表明されただけであって、本来の「保守主義」の意味にはないことだ。「リベラル」だと素直に宣言すればいいのに、徒に保守派に阿っているように見える。かつて立憲民主党の枝野代表が、自らを保守と強弁されたのに通じるものがある(枝野さんの場合は、戦後リベラルを保守するから保守と呼んだだけで、内実は戦後リベラルそのものという、なんというマヤカシだろう 笑)。
パックンによると・・・女系天皇や同性婚を認めるという意味ではリベラルな河野さや野田さんに、異を唱える岸田さんや高市さんにしても、岸田さんはアベノミクスの新自由主義的な側面に批判的で、富の再分配を通して格差社会の是正を目指すとされているし、高市さんにはアメリカの保守派のような主張はない・・・というのはパックンが言うに困った冗談だろうが(笑)、結果としてアメリカ的に見れば、皆、リベラルじゃないか、というわけだ。まあ、アメリカの保守が主張するような、銃規制や人工妊娠中絶に対する反対などは、アメリカの歴史や宗教的な信念に根差すもので、そもそも日本の土壌にそぐわないが、戦後、牙を抜かれた日本が徹底した平和主義で、極端な競争やそれに伴うあからさまな優勝劣敗を潔しとせず、平等を尊ぶ「優しい」社会であろうとして、リベラル基調なのは事実だ。
最近はMMT理論という学会からのお墨付きもあって、また世界中で進む格差社会がパンデミックによって一気に加速する非常時にあっては弱者保護に大義名分があり、さらに国家資本主義の中国に対抗すべく国家が成長投資を牽引する傾向が特にアメリカに顕著な中、低迷しているとは言え世界第三の経済大国・日本も乗り後れてはならないとする雰囲気が濃厚で、積極的な財政出動に対する罪悪感が薄れつつあって、国民に寄り添って「優しい」「大きい」政府に舵を切る政策が大手を振るっている。リベラルな野党のお株を奪うポピュリズムに他ならない気もするが、これでは再来月に衆院選を迎える野党が埋没しかねず、焦るのも無理はない。
おまけに、自民党の強さの源泉であり、また悪しき伝統としても語られる派閥主義を、若手議員が克服するような動きを見せた(これに対してはポジティブな見方が大勢だが、要は選挙に勝つことに必死なだけではないかと、私は半ば冷ややかに見ている)上、自民党内で改革派と目される石破茂さんや小泉進次郎さんが河野さんを推して、自民党主流派の3A(安倍晋三さん・麻生太郎さん・甘利明さん)が支持する岸田さんや高市さんとの間で対立構造らしきものを作り出して、疑似的な政権交代劇あるいは世代交代劇を演出して、一種のお祭り騒ぎである(笑)。日経新聞とテレビ東京が23~25日に実施した世論調査によると、事実上の次の首相となる自民党総裁に「ふさわしい人」として、河野さんが依然、46%で人気がトップなのは、このあたりの事情を反映しているのだろう(なお、岸田さん17%、高市さん14%、野田さん5%)。野党としては、たまったものではない。
そのため、大手リベラル・メディア(特にAERAなどの朝日系)は、かつて自民党をぶっ壊すと豪語して選挙戦に突入した小泉元首相の再来に擬えるのか、河野さんを持ち上げる一方、女性なのにフェミニストではない高市さんを貶めるような報道が見られて、お祭り騒ぎに彩を添えている(というのはイヤミで言うのであって、これもメディアによる一種の印象操作)。他方、河野家のファミリー企業「日本端子」はソーラーパネルに搭載されるコネクタなどを開発し、中国共産党と近い関係にありそうだとネットで話題になり、河野パパにしても息子・太郎さんご本人にしても中国に宥和的で、再生可能エネルギーを熱烈に支持されるのはそのせいかと私なんぞは納得したものだが、利益相反のスキャンダルになり得るものとして、大手・左派メディアの間で盛り上がる気配がない。有本香さんによると、中国の合弁相手BOEテクノロジーグループは豪州戦略研究所の「ウイグル人強制労働企業」報告書に記載されているらしい。太郎さんご本人は、「政治活動に影響を与えるということは全くない」と言い訳されたのを、産経新聞が報じていたが、問題がないとはとても思えないのだが・・・。
さらに、最近の出来事として、アフガニスタンからの退避作戦の失敗は、自民党政権下の失策として本質的な議論があってよいはずなのに、リベラル・メディアや野党にとっては不都合と見做されるのか、いつの間にか通り過ぎてしまった。私が海外駐在したのは、幸いアフガニスタンのような政情不安の国ではなかったが、国が助けてくれると信じられるか否かは切実な問題であり、ホットスポットとしての朝鮮半島や台湾には在留邦人が多く、その救出に課題がないとは言えないだけに、もっと注目されてよいはずだ。アフガンのケースでは、いろいろ検証記事が出てきて、一日違いでテロに巻き込まれて不幸にも間に合わなかったという言い訳は、通用しそうにない。元・自衛官の横山恭三さんは、外務省が、アフガンからの邦人等を退避・救出するのに際し、初めから他国頼りだったことと、日本政府に長年協力してきたアフガン人スタッフ500人の退避・救出を二次的な任務と考えていたことを問題視され、結果として自衛隊機の派遣が決定的に遅れたことを糾弾されている(JBpress『日本に大恥かかせた外務省、危機管理能力が決定的欠如』)。横山さんは、その理由として、退避作戦を、内閣総理大臣が主導すべき国のオペレーションではなく、外務省一省のオペレーションだと考えていた(そのために防衛省などへの相談がなかった)せいではないかと主張される。元・自衛官として憤懣遣るかたないのはよく分かるが、私はもう一歩踏み込んで、外務省にしても、またそれ以外の省庁にしても、自衛隊を安全ではない国や地域に派遣することの法的な難しさが関係者の意識にあったから、つい後れてしまったのだろうと想像する。この点で、高市さんや岸田さんは、数少ない議論の中で、自衛隊法の改正に言及されていた。リベラルとしては、かつて自衛隊の海外での活動に消極的だった負い目があるのかも知れないが、このパンデミック下で「国民の命を守る」をキャッチフレーズに東京オリパラに反対の声を挙げたのであれば、同じように、国民である在留邦人やその協力者を守ることも主張して然るべきだっただろう。
パックンは、皆、リベラルだと言うけれども、このあたりはアメリカのリベラルではあり得ない日本人の宿痾とも言えるものであって、日本的なリベラルにはいろいろと違和感があるのだ。
そうは言っても、一口に自民党と言っても、リベラル(河野さんや野田さん)から保守(岸田さんや高市さん)まで、さらに政策課題によって、結構、幅があるものだと感心する。これが自民党の強さだろう。以前、自民党は「鵺(ヌエ)」のようだと形容したことがあるが、その射程を、世間の支持を得やすい(という意味ではややポピュリズム的とも言える)リベラルな経済・財政領域にまで拡げたために、結果として、野党との争点が護憲や消費税廃止のような極端な議論に寄せられて、野党の存在意義ひいては活躍の余地が狭められて来た。
パックンはNewsweekに寄稿したコラムで、『アメリカから見ると自民党はめっちゃリベラルです』と題して、揶揄しているが(*)、その通りだと思う。
(*)https://www.newsweekjapan.jp/pakkun/2021/09/-929-nhk-lgbtq-2.php
河野太郎さんが、「本来保守主義というのは、度量の広い温かい寛容な社会を目指すのが保守主義なんだと思う」と言われたのは詭弁、と言うより個人的な嗜好・願望を表明されただけであって、本来の「保守主義」の意味にはないことだ。「リベラル」だと素直に宣言すればいいのに、徒に保守派に阿っているように見える。かつて立憲民主党の枝野代表が、自らを保守と強弁されたのに通じるものがある(枝野さんの場合は、戦後リベラルを保守するから保守と呼んだだけで、内実は戦後リベラルそのものという、なんというマヤカシだろう 笑)。
パックンによると・・・女系天皇や同性婚を認めるという意味ではリベラルな河野さや野田さんに、異を唱える岸田さんや高市さんにしても、岸田さんはアベノミクスの新自由主義的な側面に批判的で、富の再分配を通して格差社会の是正を目指すとされているし、高市さんにはアメリカの保守派のような主張はない・・・というのはパックンが言うに困った冗談だろうが(笑)、結果としてアメリカ的に見れば、皆、リベラルじゃないか、というわけだ。まあ、アメリカの保守が主張するような、銃規制や人工妊娠中絶に対する反対などは、アメリカの歴史や宗教的な信念に根差すもので、そもそも日本の土壌にそぐわないが、戦後、牙を抜かれた日本が徹底した平和主義で、極端な競争やそれに伴うあからさまな優勝劣敗を潔しとせず、平等を尊ぶ「優しい」社会であろうとして、リベラル基調なのは事実だ。
最近はMMT理論という学会からのお墨付きもあって、また世界中で進む格差社会がパンデミックによって一気に加速する非常時にあっては弱者保護に大義名分があり、さらに国家資本主義の中国に対抗すべく国家が成長投資を牽引する傾向が特にアメリカに顕著な中、低迷しているとは言え世界第三の経済大国・日本も乗り後れてはならないとする雰囲気が濃厚で、積極的な財政出動に対する罪悪感が薄れつつあって、国民に寄り添って「優しい」「大きい」政府に舵を切る政策が大手を振るっている。リベラルな野党のお株を奪うポピュリズムに他ならない気もするが、これでは再来月に衆院選を迎える野党が埋没しかねず、焦るのも無理はない。
おまけに、自民党の強さの源泉であり、また悪しき伝統としても語られる派閥主義を、若手議員が克服するような動きを見せた(これに対してはポジティブな見方が大勢だが、要は選挙に勝つことに必死なだけではないかと、私は半ば冷ややかに見ている)上、自民党内で改革派と目される石破茂さんや小泉進次郎さんが河野さんを推して、自民党主流派の3A(安倍晋三さん・麻生太郎さん・甘利明さん)が支持する岸田さんや高市さんとの間で対立構造らしきものを作り出して、疑似的な政権交代劇あるいは世代交代劇を演出して、一種のお祭り騒ぎである(笑)。日経新聞とテレビ東京が23~25日に実施した世論調査によると、事実上の次の首相となる自民党総裁に「ふさわしい人」として、河野さんが依然、46%で人気がトップなのは、このあたりの事情を反映しているのだろう(なお、岸田さん17%、高市さん14%、野田さん5%)。野党としては、たまったものではない。
そのため、大手リベラル・メディア(特にAERAなどの朝日系)は、かつて自民党をぶっ壊すと豪語して選挙戦に突入した小泉元首相の再来に擬えるのか、河野さんを持ち上げる一方、女性なのにフェミニストではない高市さんを貶めるような報道が見られて、お祭り騒ぎに彩を添えている(というのはイヤミで言うのであって、これもメディアによる一種の印象操作)。他方、河野家のファミリー企業「日本端子」はソーラーパネルに搭載されるコネクタなどを開発し、中国共産党と近い関係にありそうだとネットで話題になり、河野パパにしても息子・太郎さんご本人にしても中国に宥和的で、再生可能エネルギーを熱烈に支持されるのはそのせいかと私なんぞは納得したものだが、利益相反のスキャンダルになり得るものとして、大手・左派メディアの間で盛り上がる気配がない。有本香さんによると、中国の合弁相手BOEテクノロジーグループは豪州戦略研究所の「ウイグル人強制労働企業」報告書に記載されているらしい。太郎さんご本人は、「政治活動に影響を与えるということは全くない」と言い訳されたのを、産経新聞が報じていたが、問題がないとはとても思えないのだが・・・。
さらに、最近の出来事として、アフガニスタンからの退避作戦の失敗は、自民党政権下の失策として本質的な議論があってよいはずなのに、リベラル・メディアや野党にとっては不都合と見做されるのか、いつの間にか通り過ぎてしまった。私が海外駐在したのは、幸いアフガニスタンのような政情不安の国ではなかったが、国が助けてくれると信じられるか否かは切実な問題であり、ホットスポットとしての朝鮮半島や台湾には在留邦人が多く、その救出に課題がないとは言えないだけに、もっと注目されてよいはずだ。アフガンのケースでは、いろいろ検証記事が出てきて、一日違いでテロに巻き込まれて不幸にも間に合わなかったという言い訳は、通用しそうにない。元・自衛官の横山恭三さんは、外務省が、アフガンからの邦人等を退避・救出するのに際し、初めから他国頼りだったことと、日本政府に長年協力してきたアフガン人スタッフ500人の退避・救出を二次的な任務と考えていたことを問題視され、結果として自衛隊機の派遣が決定的に遅れたことを糾弾されている(JBpress『日本に大恥かかせた外務省、危機管理能力が決定的欠如』)。横山さんは、その理由として、退避作戦を、内閣総理大臣が主導すべき国のオペレーションではなく、外務省一省のオペレーションだと考えていた(そのために防衛省などへの相談がなかった)せいではないかと主張される。元・自衛官として憤懣遣るかたないのはよく分かるが、私はもう一歩踏み込んで、外務省にしても、またそれ以外の省庁にしても、自衛隊を安全ではない国や地域に派遣することの法的な難しさが関係者の意識にあったから、つい後れてしまったのだろうと想像する。この点で、高市さんや岸田さんは、数少ない議論の中で、自衛隊法の改正に言及されていた。リベラルとしては、かつて自衛隊の海外での活動に消極的だった負い目があるのかも知れないが、このパンデミック下で「国民の命を守る」をキャッチフレーズに東京オリパラに反対の声を挙げたのであれば、同じように、国民である在留邦人やその協力者を守ることも主張して然るべきだっただろう。
パックンは、皆、リベラルだと言うけれども、このあたりはアメリカのリベラルではあり得ない日本人の宿痾とも言えるものであって、日本的なリベラルにはいろいろと違和感があるのだ。