風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

パックンが見る自民党総裁選

2021-09-28 08:17:15 | 時事放談
 総裁選の論戦を見ていると、巧拙は別にして、一応、他と区別しようとする政策論議がまがりなりにも行われ、野党が繰り出すような揚げ足取りの矮小化した議論には至らないという点で、妙な安心感がある(笑)。同じ自民党議員というコップの中の争いなので、考え方が極端に違うわけではないが、ある程度の幅の中で、いずれ一国の首相になるのだから、実現可能な政策を競うわけで、それなりに現実的でなければならないし、理想的な要素もないと明るい未来は見えて来ない。落選したら議員ではなくなるわけでなし、なんだかんだ言って仲間意識もあって、一定の品位が保たれているのだろう。
 そうは言っても、一口に自民党と言っても、リベラル(河野さんや野田さん)から保守(岸田さんや高市さん)まで、さらに政策課題によって、結構、幅があるものだと感心する。これが自民党の強さだろう。以前、自民党は「鵺(ヌエ)」のようだと形容したことがあるが、その射程を、世間の支持を得やすい(という意味ではややポピュリズム的とも言える)リベラルな経済・財政領域にまで拡げたために、結果として、野党との争点が護憲や消費税廃止のような極端な議論に寄せられて、野党の存在意義ひいては活躍の余地が狭められて来た。
 パックンはNewsweekに寄稿したコラムで、『アメリカから見ると自民党はめっちゃリベラルです』と題して、揶揄しているが(*)、その通りだと思う。
(*)https://www.newsweekjapan.jp/pakkun/2021/09/-929-nhk-lgbtq-2.php

 河野太郎さんが、「本来保守主義というのは、度量の広い温かい寛容な社会を目指すのが保守主義なんだと思う」と言われたのは詭弁、と言うより個人的な嗜好・願望を表明されただけであって、本来の「保守主義」の意味にはないことだ。「リベラル」だと素直に宣言すればいいのに、徒に保守派に阿っているように見える。かつて立憲民主党の枝野代表が、自らを保守と強弁されたのに通じるものがある(枝野さんの場合は、戦後リベラルを保守するから保守と呼んだだけで、内実は戦後リベラルそのものという、なんというマヤカシだろう 笑)。
 パックンによると・・・女系天皇や同性婚を認めるという意味ではリベラルな河野さや野田さんに、異を唱える岸田さんや高市さんにしても、岸田さんはアベノミクスの新自由主義的な側面に批判的で、富の再分配を通して格差社会の是正を目指すとされているし、高市さんにはアメリカの保守派のような主張はない・・・というのはパックンが言うに困った冗談だろうが(笑)、結果としてアメリカ的に見れば、皆、リベラルじゃないか、というわけだ。まあ、アメリカの保守が主張するような、銃規制や人工妊娠中絶に対する反対などは、アメリカの歴史や宗教的な信念に根差すもので、そもそも日本の土壌にそぐわないが、戦後、牙を抜かれた日本が徹底した平和主義で、極端な競争やそれに伴うあからさまな優勝劣敗を潔しとせず、平等を尊ぶ「優しい」社会であろうとして、リベラル基調なのは事実だ。
 最近はMMT理論という学会からのお墨付きもあって、また世界中で進む格差社会がパンデミックによって一気に加速する非常時にあっては弱者保護に大義名分があり、さらに国家資本主義の中国に対抗すべく国家が成長投資を牽引する傾向が特にアメリカに顕著な中、低迷しているとは言え世界第三の経済大国・日本も乗り後れてはならないとする雰囲気が濃厚で、積極的な財政出動に対する罪悪感が薄れつつあって、国民に寄り添って「優しい」「大きい」政府に舵を切る政策が大手を振るっている。リベラルな野党のお株を奪うポピュリズムに他ならない気もするが、これでは再来月に衆院選を迎える野党が埋没しかねず、焦るのも無理はない。
 おまけに、自民党の強さの源泉であり、また悪しき伝統としても語られる派閥主義を、若手議員が克服するような動きを見せた(これに対してはポジティブな見方が大勢だが、要は選挙に勝つことに必死なだけではないかと、私は半ば冷ややかに見ている)上、自民党内で改革派と目される石破茂さんや小泉進次郎さんが河野さんを推して、自民党主流派の3A(安倍晋三さん・麻生太郎さん・甘利明さん)が支持する岸田さんや高市さんとの間で対立構造らしきものを作り出して、疑似的な政権交代劇あるいは世代交代劇を演出して、一種のお祭り騒ぎである(笑)。日経新聞とテレビ東京が23~25日に実施した世論調査によると、事実上の次の首相となる自民党総裁に「ふさわしい人」として、河野さんが依然、46%で人気がトップなのは、このあたりの事情を反映しているのだろう(なお、岸田さん17%、高市さん14%、野田さん5%)。野党としては、たまったものではない。
 そのため、大手リベラル・メディア(特にAERAなどの朝日系)は、かつて自民党をぶっ壊すと豪語して選挙戦に突入した小泉元首相の再来に擬えるのか、河野さんを持ち上げる一方、女性なのにフェミニストではない高市さんを貶めるような報道が見られて、お祭り騒ぎに彩を添えている(というのはイヤミで言うのであって、これもメディアによる一種の印象操作)。他方、河野家のファミリー企業「日本端子」はソーラーパネルに搭載されるコネクタなどを開発し、中国共産党と近い関係にありそうだとネットで話題になり、河野パパにしても息子・太郎さんご本人にしても中国に宥和的で、再生可能エネルギーを熱烈に支持されるのはそのせいかと私なんぞは納得したものだが、利益相反のスキャンダルになり得るものとして、大手・左派メディアの間で盛り上がる気配がない。有本香さんによると、中国の合弁相手BOEテクノロジーグループは豪州戦略研究所の「ウイグル人強制労働企業」報告書に記載されているらしい。太郎さんご本人は、「政治活動に影響を与えるということは全くない」と言い訳されたのを、産経新聞が報じていたが、問題がないとはとても思えないのだが・・・。
 さらに、最近の出来事として、アフガニスタンからの退避作戦の失敗は、自民党政権下の失策として本質的な議論があってよいはずなのに、リベラル・メディアや野党にとっては不都合と見做されるのか、いつの間にか通り過ぎてしまった。私が海外駐在したのは、幸いアフガニスタンのような政情不安の国ではなかったが、国が助けてくれると信じられるか否かは切実な問題であり、ホットスポットとしての朝鮮半島や台湾には在留邦人が多く、その救出に課題がないとは言えないだけに、もっと注目されてよいはずだ。アフガンのケースでは、いろいろ検証記事が出てきて、一日違いでテロに巻き込まれて不幸にも間に合わなかったという言い訳は、通用しそうにない。元・自衛官の横山恭三さんは、外務省が、アフガンからの邦人等を退避・救出するのに際し、初めから他国頼りだったことと、日本政府に長年協力してきたアフガン人スタッフ500人の退避・救出を二次的な任務と考えていたことを問題視され、結果として自衛隊機の派遣が決定的に遅れたことを糾弾されている(JBpress『日本に大恥かかせた外務省、危機管理能力が決定的欠如』)。横山さんは、その理由として、退避作戦を、内閣総理大臣が主導すべき国のオペレーションではなく、外務省一省のオペレーションだと考えていた(そのために防衛省などへの相談がなかった)せいではないかと主張される。元・自衛官として憤懣遣るかたないのはよく分かるが、私はもう一歩踏み込んで、外務省にしても、またそれ以外の省庁にしても、自衛隊を安全ではない国や地域に派遣することの法的な難しさが関係者の意識にあったから、つい後れてしまったのだろうと想像する。この点で、高市さんや岸田さんは、数少ない議論の中で、自衛隊法の改正に言及されていた。リベラルとしては、かつて自衛隊の海外での活動に消極的だった負い目があるのかも知れないが、このパンデミック下で「国民の命を守る」をキャッチフレーズに東京オリパラに反対の声を挙げたのであれば、同じように、国民である在留邦人やその協力者を守ることも主張して然るべきだっただろう。
 パックンは、皆、リベラルだと言うけれども、このあたりはアメリカのリベラルではあり得ない日本人の宿痾とも言えるものであって、日本的なリベラルにはいろいろと違和感があるのだ。
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現役外交官が語る日韓関係

2021-09-25 20:45:20 | 時事放談
 二日前の東洋経済オンラインに、黒田勝弘さんの筆で、韓国の総合雑誌『月刊中央』に掲載された日本の外交官・道上尚史氏のインタビュー記事が紹介されていたのが興味深かった。
『日本外交官が苦言「日本が韓国に失望した」理由』 https://toyokeizai.net/articles/-/457511

 これが日本人向けインタビューであれば、当局者による言い訳がましい自己弁護か、さもなければ庶民感情をたしなめるか教え諭すかのようなお節介な啓蒙的な論調になりかねないが(笑)、韓国の雑誌で韓国人に向けたメッセージであるところがミソだ。その場合、韓国人に阿ってヨイショしがちで、少なくとも批判的であるべきところも矛先が鈍りがちだが、必ずしもそうではなく、慎重に言葉を選びながら、主張すべきは主張されているように見えるところを特筆すべきだろう。
 例えば、ご自身のお父上は息子(たるご自身)の仕事柄、韓国に親近感を抱いていたのに、「もうあの国はいい、友達になれない国だとわかった」と言い出されたエピソードを紹介し、次のように指摘される。
「平均的な日本人の心が韓国から離れてしまった。現在は韓国への失望と“距離置き”の状況だ。これは一時的な現象ではなく、構造的変化と見なければいけない。韓国に対する偏見や優越感でそうなったのではない。昔に比べ、日本人の韓国への知識は大幅に増えている。韓国をリスペクトしていた人ほど失望が深いともいえる」
 この最後の「韓国をリスペクトしていた人ほど失望が深い」という言葉は重い。私たち日本の庶民感情を伝えて余すところがない。
 また、一般論として外交の心構えを次のように説いておられる。
「外交は相手があるため自国の思い通りにはならないものだ。そこでまずは相手がなぜそう主張するのか、相手の事情をよくリサーチする必要がある。国際法、国際慣例はもちろん把握しなければならない。国内説得も重要だ。国益上、最善の方針が国民に不人気なこともあるからだ。自由でないのが外交だ。相手を十分に研究してこそ外交が可能であり、それは屈辱ではない。外交を国内の世論や雰囲気、あるいは「コード(符丁=仲間意識)」で発想すれば国の羅針盤はうまく機能せず、漂流する恐れもある」
 なお、ここで「コード」は、黒田氏によると、文在寅政権下で「コード人事」などといって韓国でよく批判的に使われたもので、政権を動かしている反政府学生運動出身者の左翼民族主義的な「視野の狭い仲間内の考え」といった意味で、文政権の対日外交に対する不満、批判をそうした言葉でチクリ語ったものだと解説される。
 当たり前と言われれば当たり前なのだろうが、日韓関係に即して言えば、実に含蓄がある。韓国の行政にしても司法にしても、国民感情が優先されると、日本では批判的に論じられ、それを制御出来ない政治が弱い、あるいはそうした国内事情をテコに日本との対外関係を動かそうとする政治の独善的な無謀が批判的に論じられる。
 そして最後に、日韓関係回復に向けて助言を求められて、次のように答えたそうだ。
「お互い客観的に、少し余裕のある気持ちで相手を見、国と国との約束や礼儀を守る関係になることを願っている。以前は問題が生じれば韓国が日本に憤慨し批判する場面が多かったが、最近はその基本構図が変わった。韓国はまずこの点を冷静に直視していただきたい。“われわれは日本のことをよく知っている、日本は韓国を知らない”という固定観念からは何も生まれないだろう。」
 これは単なる自省や相手への批判を超えた、強いて言えば相互への「憂い」とでも言うべきものだろう。かつて坂本龍馬が西郷隆盛に会ったときの印象を「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。もし、馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう」と語って、それを聞いた勝海舟は、龍馬もなかなか鑑識のある奴だと評したものだった。問題は、韓国側でこの「憂い」をもった提言がどこまで響くか?ということだ。
 日・韓や米・中を見ていると、根本的に会話が通じていないのではないか、そこに厳然たる「認知の壁」が横たわっているのではないか、という甚だ独りよがりの勝手な思い込みで絶望的になること屡々なのだが、果たしてどうだろうか。首脳同士が会う・会わないで反発し合う大人げない対応には困ったものだが、外交当局の実務レベルでも、もしや「認知の壁」に遭遇して無力感に囚われているのではないかと(すなわち、このインタビューから察せられる通り、外交当局同士では埒が明かなくて世論に訴えるしかない状況ではないかと)気にかかる。なにしろ、経済成長を通して、すっかり先進国気取りで芽生えたナショナリズムが、かつて東アジアに特有の華夷秩序観と共鳴して、歴史認識問題で明らかなように、歴史的事実などどうでもよくて、正義は自らにあると信じて疑わないといった一種のイデオロギーが覆う国である。先進国を気取る以上、近隣国たる我が国への気安い(まるで身内であるかのような)対応が、欧米諸国に対するかしこまったも対応とは異なるというダブルスタンダードの不当性に、気づいて欲しいものである(今さらではあるが)。
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自民党総裁選・討論会

2021-09-20 17:37:08 | 時事放談
 総裁選は三つ巴と思っていたら、その後、石破茂さんは出馬を断念されたが、ぎりぎりのところで野田聖子さんが手を挙げて、益々、先行きが見通せなくなった。野田さんはリベラル票を奪うとする見方がある一方、高市早苗さんの人気が高まって決選投票にもつれ込む可能性を見越して、高市さんの女性支持票を奪うためだとする穿った見方もある。
 三連休という気安さもあって、2時間強にも及ぶ、総裁選への立候補者による討論会(9/18、日本記者クラブ主催)をYouTubeで見た。考えてみれば、同じ自民党の議員なのだから、政策にそれほど大きな隔たりがあるわけではない。それでも、短い時間で何を語るかによってプライオリティをどこに置くかの意識の違いが明確になるし(野田さんの子育て支援や少子化対策は印象に残った)、政策課題の認識は同じでもその対応に意見の違いを際立たせることが出来る(河野太郎さんの年金制度改革やエネルギー政策を巡る相互質疑で盛り上がった)。隠れた注目点は、安倍政権やスガ政権で課題とされたコミュニケーションのあり方ではなかろうか。どの候補者も意識されたことだろう。河野さんと高市さんはともに歯切れが良いが、パワハラでキレやすいと言われる河野さんのコミュニケーション能力は余り高くないかも知れないと思わせた。野田さんはギリギリで出馬したにしては(心の準備は以前から出来ていたのだろう)落ち着いたソフトな語り口で安定感があった。岸田文雄さんはやや滑らかさに欠け、微妙な間合いが気になった。
 もう一つ、会の運営がちょっとお粗末だったのが気になった。質問者の一人として名前があがった橋本五郎さんは、「ウェークアップ・プラス」などの番組でお馴染みで、信頼する数少ないジャーナリストの一人だが、その他の3名は読売新聞社以外の記者だろうか、候補者への質問にあたって恣意的に過ぎたという意味では場を弁えず、自民党批判でしかないような質問を繰り返したり、外相や防衛相の経験者としての河野さんと岸田さんに質問が集中したりと、公平さに欠けるように見えた。日本の「報道の自由」に関して国際NGOの評価が高くないのは、日本記者クラブのせいではないかと思って来たが、まさに大手メディアが特権に胡坐をかいて、日本の言論界を牛耳る醜さが端なくも表れていたように思う。
 冒頭でも触れたように、YouTubeを見ていると、メディアの世論調査以上に、高市さんへの支持が俄かに高まっているように感じる。女性であることを前面に出すでもなく、ニュートラルに、丁寧に話すことを心掛ける姿が共感を呼んでいるのだろうか。キャスター経験は伊達ではない。YouTubeのコメント欄に、(高市さんのことを)「どこに隠れていたんだ」というコメントがあってつい笑ってしまったが、そんな驚きに満ちているように見える。自民党議員の間でもちょっと驚くべき動きがあって、9/14の高市さんの決起集会には、実に71人(内、後援会などへの説明が済んでいないので名前を出せない者3名)が参加したそうだ(一方、9/16の河野さんの決起集会には、57人)。高市さんは各派閥から支持を集めているようで、このあたりは安倍さんの底力をも感じさせる。
 こうして高市さん人気が高まっているため、大手(左派)メディアはそれを隠そうとしているのではないかと語るジャーナリストもいて、そう言われれば、先の討論会は、そんな悪意をも感じさるものだったと言えなくもない。
 いずれにせよ、誰かが言ったように、政界は一寸先は闇である。
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風は永遠に

2021-09-16 01:31:38 | スポーツ・芸能好き
 大久保一久さんが亡くなったそうだ。まだ報道されていないが、「風」ファンの間で囁かれ、その早過ぎる死が惜しまれている。
 1975年に伊勢正三さんとフォーク・デュオ「風」を結成された。私はどちらかと言うと伊勢正三さんの感性に惹かれて来たが、お二人あっての「風」というグループは私にとって永遠なのだ。
 晴れて大学生になって、それまで体育会系で武骨な私が、どういう「風」の吹き回しか(色気づいて?)フォークソング・サークルに入って、生まれて初めてアルバイトをして買ったモーリスというフォークギターで(当時、モーリス持てばスーパースターも夢じゃない、などとラジオで宣伝されたものだった)、最初に練習した曲はご多分に漏れずスリーフィンガーで定番の「22才の別れ」だった。私がブログ名をペナンやシドニーの「風」と称し、今、「風」来庵などと称しているのは、透明で、しかしほんのりと匂いを載せ、また肌感覚を刺激しながら、人の心に少なからぬ余韻を残して気ままに吹き過ぎるというその特性と、「風」の存在がある。「風」命名者の伊勢正三さんによると、「空気のように留まらず、音楽的に常に進化していくことを目指す」という意味が込められているそうだが(Wikipediaより)、平凡な私には「進化」よりも「気まま」が性に合う・・・。
 それはともかく、「風」と言えば、「22才の別れ」や「ささやかなこの人生」、「ほおづえをつく女」、「Bye Bye」といった、伊勢正三さんのダンディズムが前面に押し出されるが、その合間に大久保一久さんの作品が光っている。「古都」、「三丁目の夕焼け」、「夜の国道」、「旅の午後」、「小さな手」、「デッキに佇む女」、「おそかれはやかれ」、「トパーズ色の街」など、その暖かい声質と相俟って、一転して日差しが変わって、ほのぼのとして、ほっと一息つくような、恰好の箸休めになっているのだ。そのコンビネーションこそが「風」であり、素晴らしい。
 今、YouTubeで拾った『風 弾き語り スタジオライヴ 1976 08 28 大分放送ラジオ(OBS)』を聴きながら書いている。ナマのコンサートには足を運んだことがない、ファンにあるまじき不束者だが、もうお二人の「風」が再結成されることはないと思うと、勝手なことに、無性にいとおしくなる。
 ご冥福をお祈りして、合唱。
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自民党総裁選・品定め

2021-09-11 22:23:13 | 時事放談
 自民党総裁選は、岸田文雄さんに加え、高市早苗さんと河野太郎さんが立候補し、ようやく役者が出揃った。それにしても、いずれもちょっと軽量級ではある。日経電子版(本日20時)が伝える緊急世論調査によると、次の総理大臣になるであろう自民党総裁に「ふさわしい人」は、首位・河野さん27%、2位・石破さん17%、3位・岸田さん14%で、高市さんは7%の5位ということだ。しかし投票するのは自民党員と議員であって、世間一般ではない。一部マスコミによれば「安倍-麻生」VS「菅-二階」に分かれて戦うかの様相だが、若手議員は派閥の締め付けに反発しており、決選投票を睨んだ合従連衡が水面下で模索されて、なかなか先が読めないのではないだろうか。
 岸田さんの立候補は順当なところだが、私は深くは存じあげない(実は余り興味がない)ので控え目ながら、(ご本人には申し訳なくも)個人的には「良い人」には見えても総理・総裁に相応しい人とは思っていない。いや、それでも、かつての年替わり総理・総裁の如く、それなりに平穏なときであれば務まったかも知れないが、(私は党員ではないので選挙権はないが)今、投票することには躊躇してしまうのではないだろうか。
 河野さんは、若者に人気があり(しかし党内では人気がない)、私も小学校の教員であれば「元気があってよろしい」と桜の花マークのハンコを三つくらい押してあげてもいいくらいだが、総理・総裁となると、どうもしっくり来ない。原発問題や皇統の問題など、主義・主張がブレて、信用ならないのだ(お父ちゃんの河野談話が、抜きがたく背後で脅かす)。
 高市さんは、意外にも、女性総理の有力候補と騒がれてきた野田聖子さんや稲田朋美さんがもたもたしている内に、ダークホースとして躍り出た。偶々、出馬会見をYouTubeで半分ほど見たが(なにしろ丸2時間もあって見切れないが、最後まで丁寧に笑顔で対応されたのは立派)、なかなかどうして、よく勉強されており、受け答えはしっかりしていて、安定感があった。YouTubeを見たのは、元NHK、現TBSの膳場貴子アナとのやりとりが話題になったからで、ひと通り眺めると、どうやら部分を切り取って印象操作する類いの、マスコミにありがちの質問だったようで、高市さんにさらりとかわされて、なすすべもなかったようだ。会見最後の野次も、野次ご本人の弁明が記事として取り上げられるなど注目されたが、ただの(活動家もどきの)野次だった。
 実は私は高市さんの若かりし頃の『アズ・ア・タックスペイヤー』(アマゾンによると1989年11月発売)という本を読んだことがある。ここに来て総理・総裁の椅子を狙うことになろうとは、30年という長々しくもあっという間の年月を感慨深く思う次第だが、だからと言って、特段、支持するわけではなく、頭の片隅に意識して来た人に過ぎない。舛添さんだったか、高市さんのことを「極右」と定義されていた。まあ、自民党内で最も右、というほどの意味だろうと想像するが、グローバル・スタンダードからすると、それほど極端に右に振れているとは思わない。それだけ世間(とりわけ左派マスコミ)が左がかっている証拠だろう。
 結果、三人の間に決め手はない。このご時世に、コップの中の戦争とでも言うべき、内輪の論理だけで決めて欲しくない、パンデミックという有事であるからこそ国家観の確かさ、米中新冷戦と呼ばれるような状況で(かつての米ソ冷戦で「正面」になった欧州に代わり)「正面」になる日本として国際的な押しの強さ・見栄えも気にして欲しい、というのが正直なところである。
 私は自民党内の政治力学に余り興味がないので、これ以上の話は出来ない。しかしマスコミは、自民党総裁選であれば公職選挙法の縛りがないので、好き勝手な論評ができて、大いに盛り上がっているようだ。そのあおりで、来月には衆院選があるというのに、立憲民主党などの野党は影が薄く、焦っているようだ。
 それで、埋没してはならじと言わんばかりに、立民・枝野代表が公約第1弾7項目を発表するなど、自己主張に躍起になっているが、公平に見て、逆効果ではないだろうか。少なくとも私はそれを見てぶったまげてしまった(いや、立民については毎度のことなので、相変わらずやな、という反応でしかないw)。最初の三項目、補正予算編成や、新型コロナ対策司令塔の設置や、2022年度予算編成の見直しは、百歩譲って分からなくはない(詳細を見ないと分からないが、立民には荷が重く、的外れのような気がする・・・というのも、最近もゼロ・コロナを訴えていたし、衆院選に向けてバラ撒きのニオイがする)。それ以外の4項目(日本学術会議、スリランカ人入管問題、赤木ファイル、モリカケ桜)は、安倍さん(&スガさん)憎しは分かるし、大事な問題を含むが、左派マスコミの印象操作もあって、本丸の安倍さん追及には至らず、時間を浪費するだけではないだろうか(アズ・ア・タックスペイヤーとして問題である)。少なくとも今の国民の関心(優先順位)はそこにはないだろう。これらを「公約」に加え、本気で衆院選を戦おうとしているとは甚だ疑問である・・・
 毎度の捨て台詞・・・日本の政治は大丈夫だろうか(溜息)。お隣・中国のような一党独裁とは一緒にして欲しくないばかりに、弱小野党が蠢いているだけ・・・というのでは余りに寂しい。
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ババを引いた菅総理

2021-09-04 16:09:08 | 時事放談
 スガさんが自民党総裁選に出馬しない意向を表明された。内閣支持率が低迷し、政権運営にかなり行き詰っていたとは言え、パンデミックという緊急事態下で叩かれながらも、淡々と、益々表情に乏しく、若干殻を閉ざしたかのように鉄の意思を示して来た方の突然の戦線離脱には、衝撃が走った。
 そんなスガさんも、平時であれば、前評判通りの仕事師として評価されていたことだろう(あるいは後の世には正当に評価されるだろうか)。欧米先進国に後れを取ったワクチン接種の加速などは面目躍如たるものがあるし、決断が先送りされて来た福島第一原発の処理水問題にしても、いろいろまだまだ問題がありそうなカーボン・ニュートラルにしても、これまで何度も挫折してきた行政のDXにしても、重要課題に対して一つひとつ確実に覚悟を以て方向性を示して来られた。携帯電話料金値下げに至っては、スガさんが辞めることになって業界はホッとしている有様である(苦笑)。しかし、有事の、しかも国民一人ひとりに関わる未曾有の国家的な危機に対処するリーダーとしては、力不足だったとは言わない。やや場違いだったと言うべきではないだろうか。
 いや、いつ終わるとも知れないパンデミックについては、世界広しと言えども成功しているリーダーは殆どいない。その中でも日本はとりわけ高齢者が多く、成熟して開かれた経済・社会で隣国の中国をはじめ国際社会との交流や相互依存が進んで、感染リスクが高い割りには、当初はファクターXなどと言われながら、パンデミックの影響を相対的に低く抑え込めて来た。この7~8月に感染爆発したのは、東京オリパラの強硬開催が、国民に要請している行動自粛と矛盾するメッセージとなり、社会心理的・行動経済的に国民の緊張を緩めてしまったからだと、甚だ評判がよろしくないが、それよりもデルタ変異株の感染力が予想以上に強かったことの方が影響が大きかったように思う。問題は、クライシス・コミュニケーションを中心とする危機管理における人心掌握の拙さであろうか。
 そのせいか、選挙戦では負けが続いて、気の毒なほどだった。選挙に強かった安倍さんとはえらい違いである。8月の、スガさんの地元・横浜市長選の敗北は致命的とも言えた。こうなると勢い(momentum)が失われて、10月に予定される衆院選に「スガさんの下では戦えない」、スガさんでは「選挙の顔にならない」という不満が党内に充満し、求心力を失う流れが出来るのは止むを得ないのかも知れない。なにしろ政治家のセンセイ方の頭の中は、8割方は選挙に勝つことだからだ(苦笑・・・いや真面目な話、だから選挙に不人気な外交・安全保障などの政策に弱い政治家が多いのだ)。今朝の日経によると、スガさんは信頼する二階派の武田良太総務相に「もう戦う気がなくなった」と呟いたそうだ。結局、こうした政治家(しかも同じ党の仲間である!)の、選挙に負ければただの人になってしまう恐怖心に根差すドス黒い情念に搦めとられ足を引っ張られたと言うほかない。
 舞台裏ではいろいろあったことだろう。自民党幹事長在任5年で主(ヌシ)の如く振舞う二階氏(2F)と、幹事長が握る総選挙の公認権とカネの奪還を狙う安倍晋三前首相と麻生太郎副総理(2A)という、「2F」と「2A」の確執があったと説くのは、週刊ポストである。2Aが仕掛ける「二階降ろし」に乗った岸田さんが、自民党役員の任期制度(最長3年)導入を公約としてぶち上げると、スガさんは党役員人事というカードを切って対抗した。2Aにとってどちらに転んでもよい展開である。ところが、火中の栗を拾う幹事長を受けて立つ人がおらず、結局、スガさんを盛り立てようとする人は周りにおらず、党内から見放されつつあることを悟ったスガさんが、総裁選には勝ち目がないとして出馬を断念したと解説するのはAERAである。さらに、スガさんが総裁選を先送りするために解散を考えているかのように解散・総選挙を打つとの報道があって、今のままでは勝てないと自民党内が混乱したのは、2Fサイドの意趣返しの謀略情報のせいだと、週刊ポストは解説する。なかなか面白い見立てだが、真偽のほどは?定かではない・・・
 いずれにしても、この発表の後、金融市場で円安・株高が進んだのは、自民党が大敗するリスクが下がって、政治・経済を巡る環境が安定すると見られたからだという。立憲民主党の枝野幸男代表が、「甚だ怒りを持って受け止めている。首相も無責任だし、こうした状況をつくり上げた自民党にもはや政権を運営する資格はないと言わざるを得ない」と手厳しく批判したのは、折角、スガさんの自民党を相手に衆院選を有利に進めようとしていたのにアテが外れて憤懣やるかたないせいではないだろうか。数日前には、衆院選での政権交代に向けて「意気込みが不足しているとの指摘がある」と報道陣に問われて、「首相になる意欲がなければ、野党第一党の党首というしんどい仕事はやらない」「こんなにしんどい仕事をがんばって、歯を食いしばってやっているのは、首相になってこの国を変えたいから。それがなければ、この仕事はやりません」と息巻いたらしいが、些か驚かされた。政治家としての意気込みは素晴らしい。しかし、国民の支持は極めて低調だ。しかもスガ政権への支持率が下がっても、自民党への支持率は下がらず、立憲民主党への支持に繋がらない現実をどう理解しているのだろう。いつまでも政権の揚げ足取りに終始しないで、ちょっとは世論の支持を得られるような打開策を講じてもよさそうなものだ。もっとも、負け癖がついているのは、かつての社会党時代から変わらないが、この野党にしてこの与党という状況は国民としても不幸である(この国民にしてこの政治と言われそうだが 笑)。
 ウォールストリート・ジャーナル紙は、「アメリカの同盟国に再び政治的不安定さがもたらされる」「毎年総理大臣が代わり、国際舞台で日本の存在感が低下した時期に戻るリスクが高まった」などと伝えたが、こればかりは望まない展開で、勘弁して欲しい。安倍前首相は高市早苗前総務相を推すとの報道もあるが、さて、どうなることやら。このパンデミック下で不謹慎ながら愉しみではある。
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