風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

台湾の巨星、堕つ

2020-07-31 22:53:02 | 時事放談
 台湾の元・総統、李登輝さんが昨日、亡くなった。享年97。(一部修正して、題を改めた)
 私は、現役時代の李登輝さんのことは殆ど存じ上げない。辛うじて台湾は、入社して最初に業務出張し、私にとっては日本以外で最初に降り立った外地でもあり、その後の4年間で通算30回以上も入り浸ったご縁がある。蒋経国総統(当時)が亡くなり総統代行となられた時期までは重なるが、その後まもなく、アメリカに担当替えとなり、あの直接選挙の頃にはアメリカ駐在しており、縁遠い存在となっていた。追悼記事を読みながら、あらためて李登輝さんの足跡と、今日的意味を振り返りたい。
 元々の、という意味は、戦後、国共内戦で敗れた国民党軍とともに入って来た外省人と区別して、戦前からの台湾人である本省人として、外省人が牛耳る国民党で本省人の政治参加を取り繕うために「お飾り」として任用されたのをきっかけに、庇を借りて母屋を乗っ取るかのように、外省人のライバルを次々と政権の中枢から外して行き、住民の大多数を占める本省人の支持を背景に、総統の直接選挙を推進・実現し、自ら総統に就任された。見事と言うほかない。あの総統選は、中国にとっても一つの大きな転機となる、因縁深いものだった。李登輝さん有利と見た中国は、台湾海峡にミサイルをぶっ放して恫喝し、アメリカは即座に2つの空母打撃群を派遣して威嚇して応えた(第三次台湾海峡危機)。かつて幕末の日本は黒船4隻で夜も眠れなかったが、あのときの中国は空母2隻(群)で黙らされたのであった。この苦い経験(挫折と言ったほうがよい)が契機となって、中国は海軍建造を本格化したと言われる。
 その中国との関係では、いったんは「一つの中国」を認めたものの、その後、中国と台湾は別の国だと位置づける大胆な「二国論」へと舵を切った。その理論構築を担ったのが、当時、法学者だった蔡英文さんで、李登輝さんは彼女を秘蔵っ子としてかわいがったそうだ(日経による)。李登輝さんの意思が脈々と受け継がれている。今や台湾人としてのアイデンティティをもつ「天然独」(生まれながらの独立派)が若者の間に台頭しているのは、李登輝さんあってのことだ。中国から「台湾独立勢力を代表する人物」「中華民族の永遠の罪人」と厳しく批判されても、なんと名誉なことと、ご本人は満足に思っておられたかも知れない(笑)。
 日本との関係では、日本統治時代に高等教育を受け、ご本人は右手を首まで水平に持ち上げ、「僕はここまで、22歳まで日本人だったんだ」と語っておられたそうだ(産経の元・台北支局長による)。首までどっぷりという意味だろう、いわば戦後の日本人が忘れてしまった「古き良き日本人」そのもので、その日本を愛するが故に、私たち戦後日本人の耳に痛い苦言も厭わない、真の意味での親日家で、今に至る親日・台湾へと導いた最大の功労者だったように思う。生涯9度にわたり訪日され(このあたりは産経による)、日本統治時代の台湾で治水事業に活躍した八田與一や尊敬する哲学者・西田幾多郎の出身地・石川県や、母校(京都帝国大学)のある京都を巡り、「奥の細道」を探訪して、松島を眺めては自作の句を詠み、先の戦争で(と京都人に話すと応仁の乱を思い浮かべるらしいが(笑)、そうじゃなくて太平洋戦争で)日本人として出征しマニラで戦死されたお兄さんが祀られる靖国神社を参拝し、沖縄を訪問したときには仲井真知事(当時)などとの昼食会の席上で尖閣諸島を「日本の領土」だと表明し、「台湾の民主化と政治改革に大きく影響した」と語った幕末の志士・坂本龍馬の故郷・高知にも足を伸ばしたそうだ。また、沖縄の台湾出身戦没者慰霊祭に出席する前に慰霊碑への揮毫を求められて、「為國作見證」(公のために尽くす)の書を送ったともいう(同)。私のような不届き者の日本人よりよほど日本を理解され、日本の各地を巡っておられる(笑)。
 李登輝さんが行った教育改革は「台湾人」意識の向上に繋がったとされるが、戦後、国民党政権が進めた反日教育を反転し、戦前・日本の統治の正当性を名実ともに復権するものでもあった。実際、国民党政権の反日教育で育った私と同世代の台湾の方々は、学校では戦前日本の悪行を教えられ、自宅に帰ると祖父母から日本統治を懐かしむ話を聞かされて、混乱したと聞いた。今回のパンデミックで台湾が、中国のような高圧的なやり方ではなく民主的な感染症対応によって国際社会から絶賛されたのは、SARS禍に学んだのは事実だろうけれども、もとをただせば、かつて清の時代に化外の地と言われ、感染症がはびこって、とても日本人が住めるような土地ではなかったところに、後藤新平がいわゆる帝国医学(帝国主義時代に植民地支配のために必要とされた予防医学)を持ち込んで、公衆衛生面で先進地域としたことが基盤になっていると言われる。
 『外交青書』では台湾を「普遍的価値を共有する、極めて重要なパートナー」と位置付けながら、菅官房長官が「葬儀への政府関係者の派遣の予定はない」と明言したのは、日本外交の限界であり、物悲しいことだ(但し、政府として弔辞を送る準備は進めているらしい)。思えば、台湾といい、朝鮮半島といい、戦前も、戦後の冷戦時代も、ポスト冷戦と言われる今も、日本の安全保障にとって要衝の地であり、一足先に落ち着いた欧州方面に対して、今もなお決着がついていない。戦前の悪しき記憶に引き摺られる日本は、どうしても負い目を感じて手を拱いてしまいがちになるが、客観的に見ても、欧米的な自由主義(=アングロサクソン的なシーパワー)と東洋的な専制主義(=中国のランドパワー)とが衝突し、政治的な地震を引き起こしかねない断層地帯を形作る。かつてニコラス・スパイクマンが「リムランド」と呼んだ一帯の一部を構成し、極めて今日的意義があるのだ。「中華民族の偉大なる復興」という見果てぬ夢を追って拡張主義に乗り出し、香港を併呑した中国は、次にその矛先を本命たる台湾に向ける。不幸にも香港は守ることが出来なかったが、かつて日本が礎を造りあげ、李登輝さんが身体を張って育て上げた台湾は、日本にも責任の一端があると言えないだろうか。それは、日本の戦前の台湾統治が欧米的な意味での植民地統治とは異なることを示す証だからであり、李登輝さんへの餞(はなむけ)にもなるように思う。
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ニュー・ノーマルな日々

2020-07-28 22:10:57 | 日々の生活
 緊急事態宣言が解除されて久しいが、私自身は今なお在宅勤務が続いている。当初は、パンデミックに対する「不安」から、情緒不安定になりながらも、半ば強制的な在宅勤務の生活に慣れようと努力して来た。しかし今、振り返ると、それは「ニュー・ノーマル」の序章に過ぎなかったように思う。変化が乏しいと時間が経つのが速く感じるという心理学の教え通り、怒涛の四ヶ月が過ぎ、コロナ禍が落ち着きを見せると、次第に「不安」は薄れ、一種の慣れが生じるのはヒトの性(サガ)なのだろう。そこへ別の新たな感情が芽生えるようになった。運動不足解消のため平日毎夕の散歩は欠かさないようにしているが、基本的に街をぶらついたり駅や通勤電車内で人々を観察したりする機会が殆どない、言わば軟禁状態に近いことがたまらなく窮屈で、この「閉塞感」をどうしたものかと持て余している。ヒトは社会的動物なのだとあらためて感じてしまう、「ニュー・ノーマル」の第二幕であり、新たな試練だ。
 ちょっと自嘲気味に言うならば、「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ~」と、植木等さんが「スーダラ節」とともに呟いてから60年近くになり、まだその残影が残る30数年前に社会に出ることになった私は、とりあえず周囲に流されて民間企業への就職を選び、バブル経済を経て、日本経済が低迷し、一部の企業は構造改革やリストラという名の人員・経費削減を繰り返すほどに落ちぶれて、かつての高度成長期のお気楽さが羨ましくも恨めしくもある昨今ではあったが、パンデミックになって、あらためてサラリーマンは安定していて有難いものだと、しみじみ思う。人によってはこの生活を贅沢だとすら思うだろう。かつて課税の根拠となる所得の捕捉に関して、クロヨン(9:6:4)とかトーゴ―サンピン(10:5:3:1)などと呼ばれて、サラリーマンは自営業者や農林水産業者(さらに後者の場合は政治家も)と比べてガラス張りで不公平だと不満を託ったものだが、所得そのものは、ここ20年来、(昇進は別にして)増えている実感がないが(苦笑)、リーマンショックや東日本大震災などの自然災害や今回のパンデミックに見舞われても、業績連動のボーナスはともかく、月々の給与は安定して支給されている。サラリーマンを選んだのは、そしてその後も脱サラしなかったのは、好きなことをやって生きて行けるほど世の中は甘くないと思う現実感覚と言うより諦めが先に立ったからであり、好きなことをやって稼ぐほどの自信も野心もなく、失敗するリスクを冒すくらいなら、たとえ低空飛行でも安定した生活を良しとする小市民的な安定志向のあらわれに外ならない(と自嘲)。自営業のようなハイリスク・ハイリターンとは違って、サラリーマンにはローリスク・ローリターンが保証されていることの幸せをあらためて実感するのだ。
 冒頭、コロナ禍は落ち着きを見せて来たと言ったものの、ここ一ヶ月の間に再び感染者数(正確にはPCR検査の陽性反応者数)が増え始め、22日の政府分科会は「爆発的な感染拡大には至っていないが、徐々に拡大している」と評価した。話題性を求めるメディアは、相も変わらず感染者数ばかりに注目し、第二波が懸念される事態だと危機感を煽るのは、政府の不手際として政権批判に繋げたいからか、社会の分断を際立たせたいのかと疑ってしまう(笑)。実態は、検査数も増え、重症者数や死亡者数は抑えられており、何より検査方針が変わってしまったのだから、所謂第一波と単純に比べるわけにはいかなくて、メディアはもう少し意味があるデータの出し方を工夫して欲しいものだと思う。
 そこでまた厚労省が毎日発表するデータを週毎に集計してみた(下記データ及び添付グラフ)。感染者は理論的には指数関数的に増えそうなものだが、そこまで増えていないという意味では、まだ抑えられていると言ってもよいのだろう。「入院治療を要する者」(陽性反応者数に連動)は7週間マイナスを続けていたが(Netベース=Input-Output)、6月第3週(6/21~27)からプラスに転じた。そこから若干のタイムラグがあって「重症者数」は同様にNetベースで10週間マイナスを続けた後、7月第2週(7/12~18)からプラスに転じた。更にタイムラグがあって死亡者数は4週間ぶりに先週(7/19~25)は二桁台に乗せた。ここで言えることは、今回は感染者の多くが若者と言われるためか、重症者の増え方が前回に比べて鈍く、医療施設はまだ余裕があるレベルだと思われることだ。ただ、その間、連休明けから1%台に落ちていた陽性率(=陽性反応者数÷検査人数)が、6月第2週(6/14~20)に1%を切ったのを底に、先週は6%近くまで上昇しているのが気になる(ちょうど3月の3連休後の頃のレベル)。検査方針が変わったので単純比較は出来ないし、所詮はPCR検査なので、精度のほかにも、事の性質上、陽性反応を示しただけで実際に感染した状況と言えるのかどうか厳密には不明であるが、4日間37.5度以上という制限を取っ払って検査を広げていると言われるので、論理的には陽性率は下がって然るべきところである。そして、陽性反応を示すには、感染からおよそ一週間~10日ほどのタイムラグがあるので(というデータが政府分科会からも示された)、私はここで一週間以上前の状況をもとに議論していることになる。健康(防疫)と経済をどうバランスさせるか難しいところで、今後の数週間の事態の推移を見守りたい。

(週あたり)  検査   陽性   陽性率    重症  死亡
6/21-6/27   36K   0.5K   1.4%   -14   18
6/28-7/04   43K   1.2K   2.8%   -12    6
7/05-7/11   60K   2.0K   3.2%    -1    5
7/12-7/18   81K   3.3K   3.8%    11    3
7/19-7/25   80K   4.9K   5.7%    23   11

 「ニューノーマル」の話に戻ると、私の場合、在宅勤務95%が、今後どうなって行くのか、どうして行くべきなのか、これから模索していくことになる。浮いた通勤時間は往復で2時間強もあるのに、通勤途上で歩く時間に相当する散歩と、電車に乗っている時間に相当する睡眠に消えてしまって、可処分所得ならぬ活動時間は変わらない(笑)。宵っ張りの私は睡眠時間を削って週末に寝だめしたつもりで、慢性的な睡眠不足状態だったことは、薄々気づいていたが、目覚ましがなくても起きる健康な生活になって、事実として眼前に突き付けられた感じだ(苦笑)。どのような時間のベストミックスを目指すのかは、個人的に、健康(防疫)と経済(あるいは享楽?)をどうバランスさせるかという問題でもあって、なかなかすぐに結論が出るものでもないのかも知れない。
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ヤンタンの伝説のアシスタント

2020-07-27 00:45:51 | 日々の生活
 「ヤンタン」が「MBSヤングタウン」の略だと分かる人が首都圏に果たしてどれくらいいるだろうか。ラジオ(毎日放送)の深夜番組で、私が勉強しながらの「ながら族」として中学3年から大学に入る頃まで聞いていた当時は、日曜日以外の毎晩10時から3時間枠で放送されていた。そうは言っても、この手の番組ではパーソナリティが日替わり(曜日担当)で、気紛れに「ヤンタン」ばかりではなくラジオ大阪の「バチョン」や朝日放送の「ヤングリクエスト」などの間を行ったり来たりしたもので、「ヤンタン」で馴染みがあるのは、月曜日の笑福亭鶴瓶(と、浅川美智子、中村行延)、水曜日の原田伸郎(と、大津びわ子など)、木曜日の笑福亭鶴光(と、角淳一、佐々木美絵など)、金曜日の谷村新司(と、ばんばひろふみ、佐藤良子)くらいである。その「ヤンタン」金曜日を、アリスの三人が2年前から再び担当しているのをYouTubeで知って、懐かしくなったことに続いて、全く別の番組ではあるものの、インターネットラジオ番組レディオバルーンの月イチ特番に佐藤良子さんが登場することをfacebookで知って、さらに驚かされた(もっとも、調べたら、MBSの嘉門達夫さんの番組にも「伝説のアシスタント」として出ている)。
 大学生になると夜遊びが過ぎたので(苦笑)、ラジオを聴くことはめっきり減ったし、就職すればそれどころではなくなって、ラジオから長らく遠ざかっていたが(今はそもそもラジオが手元にない)、今日の放送によると、佐藤良子さんは、1983年3月を以て毎日放送を退職され、その後のことは知らないが、1995年にNZに家を買い、25年間、NZに滞在していたそうだ。人生いろいろ。まあ佐藤良子さんの個人的なことはどうでもいいのだが(笑)、70に手が届くお年頃(!)で、喋る量と言うより喋るトーンに図々しさというか押しつけがましさが滲み出て・・・とは言っても、当時もアナウンサーとして、チンペイやバンバンを相手に丁々発止(なにしろ『女性立ち入り禁止コーナー』なんぞもあったりして・・・笑)、それほど控え目で奥床しかったわけではなく、むしろアナウンサーらしくない自由奔放で個性的なお姉様(というより姐御)としての印象が残るが、今では大阪の(ちょっと上品かも知れない)おばちゃんそのもので(笑)、それもご愛敬、むしろ声の張りや艶にしても滑舌にしても年齢を感じさせず、これまた驚かされたのであった。
 40年の年月は世の中を変える。当時、時々ハガキを買っては投稿し、何度か読まれて記念の景品を貰ったものだが、今はネット上で曲のリクエストやメッセージを書き込んで、送信ボタンを押すだけで、当然、無料だし、個人情報に厳しい時節柄、多分、住所も書かないから、景品もない。その間、パソコンがテキスト(文字)以外に音声や動画を扱うことになるのは画期的だとして、マルチメディア・コンピューティングなどと期待され、もてはやされたことがあったが、それも今は昔、動画(YouTube)でニュースなどの情報を仕入れるだけでなく、動画配信が将来の有力な職業候補になる時代・・・。番組名は、「やっぱり、ラジオは素晴らしい!今晩は、佐藤良子です」というベタなもので、曲を織り交ぜながらのお喋りという、久しぶりに聞いたラジオ番組(と言ってよいのかどうか、雑音もなくクリアな音声が不思議な感じ)は懐かしいだけでなく却って新鮮なほどに快適で、ラジカセからパソコンに替わっても、「やっぱり、ラジオは素晴らしい」と素直に思ったのだった。
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AIを超える将棋

2020-07-21 21:59:48 | スポーツ・芸能好き
 羽生善治九段が、ある座談会で、将棋とAI(人工知能)について興味深い話をされた。世の中は第三次AIブームと呼ばれて久しく、数年前には、人間の仕事のかなりの部分はAIに奪われるなどと、コンサルに散々脅されて、だからコンサルへの相談を勧められているかのような、コンサルを儲けさせるばかりの、いまいましい気分にさせられたものだった(笑)。最近は落ち着いてきたが、いまなお私を含む庶民は第三次ブームのAIの何たるかをしかと理解しているとは思えない。羽生九段は将棋界の第一人者らしく、将棋のコンピュータ・ソフトを通してAIを把握され、その時も、AIは人間にはない発想が出来るので、それを取り入れて行くのが大事だと言われていた。ただ、人間とAIの違いとして、人間は学習と推論を同時に出来るので、未知のものや経験したことがないところでも、そこそこに対応出来るが、AIは既知のものにしか対応出来ないと見切っておられた。例えば人間は、仮に一手先がマイナス100点でも、10~15手先にプラス300点となるような、評価を先にもつような打ち方が出来るのに対して、AIは評価点が異なるために難しいと言われる。そのため、人間は過去を含めて時系列で考えるので総体として辻褄が合うが、AIは過去を振り返らず、飽くまでその時々の最適解を選択するので、全体としてみれば一貫性がなく、従って、人間が打った棋譜か、AIが打った棋譜か、区別できるのだそうだ。なるほど、名人の域とはそういうものかと感心するばかりであった。
 その羽生九段が、一昨年2月の朝日杯将棋オープン戦・準決勝で、藤井総太七段との初の公式戦に敗れた際(それ以前に非公式戦でも敗れていたが)、羽生九段をして「若い世代が台頭し、新しい戦い方を取り入れていかなければいけないと痛感した」と言わしめた。
 その藤井七段は、先週行われた「第91期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負」第四局で、今となっては前・棋聖の渡辺明二冠(当時、三冠)を三勝一敗で下し、17歳11カ月の史上最年少で初タイトルの棋聖を獲得し、初の現役高校生タイトルホルダーとなった。相手の渡辺明・前棋聖と言えば、私は全く知らなかったが、歴代5位のタイトル獲得通算25期で、永世竜王と永世棋王の資格を持ち、初タイトル獲得から約15年間、1冠以上を保持し続けて、現役最強とまで言われる棋士なのだそうだ。
 既に数々の最年少を含む記録を打ち立てた藤井・新棋聖には驚嘆するばかりだが、折角、AIの話が出たついでに、その関連で話を進めたい。
 藤井新棋聖の終盤には「異次元の強さ」があると評される。詰め将棋で培われたものだそうで、その根底には、師匠の杉本昌隆八段によれば、細かい読みを省かない「楽をしない将棋」と勝ち筋を延々と研究する探究心があるという。因みに棋聖戦から一夜明けた会見で、藤井新棋聖は「探究」と揮毫された。
 今回、棋聖戦を主催した産経新聞によると、「第2局で藤井新棋聖は、守備駒である金をあえて前線に繰り出してペースを握り、逆に攻撃に使う銀を受けに使った。AIでは候補にも挙がらなかった手だったが、その後、AIの評価は『最善手』に変わった」「AIさえ候補手に挙げない“AI超え”の指し手」だったということだ。師匠も、「『全幅検索』ですべての手を読むAIと、『大局観』によって最善手を絞り込める人間との差」を認め、弟子(藤井新棋聖)こそが一点に絞り込んで唯一の勝ち筋を見つけ出す「AI超えの棋士」と評される。先ほどの羽生九段の話とも掛け合わせれば、人間とAIとでは評価点が異なり、確かにAIは定跡にとらわれない全幅検索を高速で処理する点で圧倒的だが、いったん後退あるいは否定するような不合理な、あるいは過去の実績から学べないような想定外の「流れ」、そうした「大局観」まで「学習」することが出来るかというと、なかなか難しいのではないかと思われる。
 作家の磯崎憲一郎さんが産経新聞に寄せた棋聖戦観戦コラムが興味深い。あの小林秀雄さんが、あるエッセイの中で、「読みというものが徹底した将棋の神様が二人で将棋を差したら、どういう事になるだろうか」と自問し、「先手を決める振りだけが勝負になる」「無意味な結果が出る筈だ」と自答されたそうだ。この思考実験は今風に言えば「AI同士が対局」することと言え、「私たち人間はこれに似た無意味さをどこかで感じてしまうのだろう」「将棋は人間同士の勝負だからこそ面白い、それは私たちが、全身全霊で考え、戦う棋士たちの姿に、単なる『強さ』という以上の価値を見出そうとしているから」だと語られる。
 AI研究の権威レイ・カーツワイル氏は、遅くとも2045年までには全人類の知能を足し合わせた知能をも超えるAIが誕生すると言われた。シンギュラリティ(技術的特異点)と呼ばれるものだ。しかしAIには超えられない壁・・・「学習」しようにも、生命の誕生から40億年と言われる長い年月を経て受け継がれてきたDNA、本能や感情といったものを「学習」するのは容易なことではなさそうだ。それは極端にしても、例えば機械翻訳はずいぶん進歩したが、AIは統語論的(≒文法的)に言語を理解できても、意味論的には理解できないと言われ、人間は言葉の意味を確認するために質問して「仮説」「検証」するような、一見、「無意味」で道を逸れるようなごく当たり前の動き(羽生九段が「推論」と呼ばれたもの)を見せるが、AIにそれは出来るだろうか。また、突拍子もない飛躍やかつての二番煎じ(復活)といった否定的ニュアンスで語られるようなモードを「面白い」と思って世に問うて流行やブームを作り出すことが、AIに出来るだろうか。羽生九段があげた例で言えば、裏をかくというように予想外の行動で相手を出し抜くような、恐らくコンピュータ的にはそれ自体は不合理に見えて実は意味があると人間が考えるようなことを合理的に学習し続けるAIは、結局、ウサギとカメのパラドックスで、永遠にカメに追いつけないウサギのように思える。それとも私はこのパラドックスさながらに、時間を永遠に分割する愚を犯しているのだろうか。人間とAIの違いは、人間そのものを問うことでもあって、興味が尽きない。
 藤井新棋聖には、AIを超える人間らしいドラマを「究め」続けて欲しいものだと思う。
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ボルトン砲・補遺その2

2020-07-16 22:38:36 | 時事放談
 文春砲ならぬボルトン砲に、安全保障上の秘密事項がないとは言え、各国首脳の生々しい発言が暴露されると、小っ恥ずかしい程度ならいいが、立場を失いかねないこともあって、韓国当局は大いに当惑したことだろう。
 回顧録によると、トランプ大統領は安倍首相との会談をいつも歓迎し、前向きに交流していたようで、特に安倍首相の中国や北朝鮮に関する意見を傾聴し、重視したというし、ボルトン氏自身も、安倍首相の意見を有意義だとして重く受け取ったということが繰り返し書かれているらしいだけに、韓国としては面白くないだろう。
 とりわけ日韓の歴史認識問題について、文在寅大統領がトランプ大統領に「度々日本が歴史問題を論争にしてきた」と話したことについて、ボルトン氏が「もちろん歴史問題を取り上げるのは日本ではなく、文大統領だ」と指摘しているところは、大いに気に入らないことだろう。
 日韓関係について、文在寅大統領とトランプ大統領とのやりとりを、高濱賛氏のコラムから孫引きする。

(引用)
 ハノイでの米朝首脳会談後の2019年4月11日、ワシントンで米韓首脳会談が行われた。
 「トランプ大統領は、ワーキングランチで文在寅大統領にこう尋ねた。『韓国は同盟国として日本と共に戦うことができるか』」
 これに対して文在寅氏はこう答えた。「日韓で合同軍事演習はできる。しかし日本の兵力(自衛隊)が韓国の土を踏むことには韓国国民に(日韓併合時の)歴史を思い出されることになる」
 トランプ氏はさらに質問した。「万一我々が北朝鮮と戦わなければならない状況に立ち入ったら、どんなことが起きるか。韓国は日本の参加を受け入れることができるか」
 文在寅氏は答えた。「日本の兵力が韓国の地に足を踏み入れない限り、韓国は日本と一つになって戦う」
(引用おわり)

 日米、米韓という二つの軍事同盟が、米国を扇のカナメとして繋がる三国間の関係は、日韓にはGSOMIAという軍事情報を共有する枠組みしかなく、三角形とはならずに、飽くまで日-米-韓の折れ線でしかない。文在寅大統領は、トランプ大統領の前だからこそ、これでも抑制して語ったのだろうが、憎しみが滲み出ているし(笑)、日韓当局者同士の会談では、もっと明け透けなのだろう(笑)。
 トランプ大統領が5月にG7拡大構想、すなわち7か国に豪・印・韓・露(・伯)を加えて、G11(あるいはG12)体制に拡大することを唐突に言い出して、韓国まで含めたのは、巷間囁かれるように中国包囲網への踏み絵を迫ったものだろう。文在寅大統領は「喜んで招待に応じる」と舞い上がったが、共同通信によって、「日本政府高官が米政府に対し、韓国の参加に反対する考えを伝え」「中国や北朝鮮への外交姿勢がG7と異なると懸念を示し、枠組みの維持を求めた」ことが伝えられると、文大統領に近い左派系ハンギョレ紙は、「日本政府がそれを妨害するのは非常に身勝手で、隣国としてありえない仕打ちだ」と憤った。果たして韓国がこれまで「隣国として」日本を気遣ったことがあるのかどうか教えて欲しいものだが、韓国大統領府高官に至っては「日本の恥知らずの水準は全世界で最上位圏に位置する」との発言を記者団に流したそうなので、欧米諸国に対しては決して使われることがない、しかし南北の親しい(?)間では普通に罵り合うような、いつもながらの韓国人の薄汚い言葉が日本に対しては使われるということは、華夷秩序に沿って、小中華の自らより格下の野蛮な国だと、「隣国として」気安く見ていることは確かなようだ。
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ボルトン砲・補遺

2020-07-14 23:00:18 | 時事放談
 文春砲ならぬボルトン砲が暴いた、トランプ大統領の国益を損なう公私混同の真骨頂は、昨年6月、大阪で習近平国家主席と会談した際、今年の米大統領選を話題にして、再選を後押ししてほしいと習氏に訴え、選挙で勝利するためには、農家からの支持と、中国による大豆と小麦の輸入増が重要だと強調したことだろう。意外性はないにしても、そこまで言うか!?という驚きがあった。
 ところが、これに関して、トランプ大統領が習近平国家主席に選挙協力を一方的に頼んだかのような解説になっているのは誤りで、実際は、習近平国家主席がトランプ大統領の再選を望むと先に言ったことに対して、トランプ大統領がだったら協力して欲しいといった、という流れだったと言われる(滝澤伯文氏による)。結果として同じじゃないかと思われるかも知れないが、話の流れが変わると受け取るニュアンスは若干異なる。
 こうして、部分的に切り取られて誤解を招くことは、特にリベラル・メディアを敵に回すトランプ大統領にはよくあることだ(笑)。
 ミネソタ州ミネアポリスで、黒人男性ジョージ・フロイド氏が警察の拘束下で亡くなって、全米を巻き込む人種差別反対運動で盛り上がっているが、当初、メディアは、トランプ大統領が彼の死を「素晴らしい日だ」と喜んだかのように取り上げた(らしい)。しかし、トランプ大統領が呟いたのは、「人種や肌の色、性別、信条にかかわらず、司法から平等の扱いを受けなければならない」「ジョージは今、天から見下ろしながら、『素晴らしいことが米国に起こっている』と言っているのではないか。彼にとって、また皆にとって素晴らしい日だ」というものだった(久保弾氏による)そうで、これでは至極まっとうで、リベラル・メディアが喜ぶようなニュース・バリューがない(苦笑)。
 似たように発言を切り取る話として、一昨年の6月、ホワイトハウスで行われた日米首脳会談で、トランプ大統領が「真珠湾を忘れていない」と言ったことが物議を醸したのを思い出す。これだけ聞くと、かつて日本が仕掛けた不意打ちを今もなお卑怯なものとして恨みに思っているような物の言いで、共同通信は、「異例の発言の背景には、対日貿易赤字の削減を目指し圧力を強める狙いがありそうだ」と書き立て、時事は「政府『真珠湾』発言否定に躍起=揺らぐ日米蜜月」、朝日は「トランプ氏、日米会談で『真珠湾忘れない』 対日赤字、首相に不満示す 米紙報道」といった見出しを掲げて、日米の不協和音を煽ったものだ。しかし、これらはワシントンポスト紙のニュースをそのまま参照したことによる誤りで、実は、トランプ大統領は先ほどの発言に続けて、「日本も昔はもっと戦っていただろう」「日本もアメリカも同じように周辺国ともっと戦うべきだ」と語っていて、これでは意味するところが全く異なることになる。
 ボルトン氏の回顧録によると、トランプ大統領は、どこで知ったか、安倍首相の父君・晋太郎氏が第二次世界大戦中に神風特攻隊(カミカゼ・パイロット)に志願したことに言及するのを好み、日本人、特に安倍氏がどれほどタフかを示そうとしたと言う。不動産セールスマン出身のトランプ大統領は戦争が苦手と言われたものだが、マッチョはお好みのようだ(笑)。日本と言えば真珠湾攻撃を思い浮かべるのも、どうやらこの文脈だと考えてよさそうだ。
 それにしても、ボルトン氏の回顧録にあるエピソードとして、トランプ大統領が側近に対して「フィンランドはロシアの一部ではないのか」と質問したとか、英国のメイ前首相との会話で「英国は核保有国」との言及があって、トランプ大統領は話を遮って「えっ、英国も核保有国なの?」と尋ねたというのには、ずっこけてしまう(笑)。そんなこともあって、アメリカのエスタブリッシュメントのトランプ嫌いは相変わらずで、その一部を構成する大手リベラル・メディアの報道も相変わらず、それをそのまま引用・参照する日本の大手メディアの報道には、よくよく気を付けなければならないのだろう。
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ボルトン砲

2020-07-13 23:01:35 | 時事放談
 文春砲にちなんで・・・ボルトン砲(ボルトンさんの回顧録)が波紋を呼んだ。専門家の中には、超大国・アメリカの政府高官を務めた人物からほぼリアルタイムで政権の内幕が明かされたものだから、目を皿のようにして読み込む人もいるようだが、所詮は高みの見物の庶民には相変わらずの景色と映っているのではないだろうか。ボルトンさんという超タカ派の偏った見方に過ぎないし、それはそれで興味深いと言えなくはないが、トランプさんの不見識と気紛れは今に始まったことではないし、政策決定が行き当たりばったりで衝動的なのも分かっている。さらに、ボルトンさんによれば、トランプさんは次の選挙のことしか頭になくて、中国の人権侵害や香港の民主化運動には関心がなく、軽率にも習近平国家主席に支援を乞うとは、いやしくも合衆国大統領の器じゃないと言われればその通りで、心ある人は嫌というほど分かっている。私なんぞは、自由奔放で、如何にも悪ガキのまま大きくなったような無邪気なところが憎めないとまで思ってしまう(笑)。
 横道に逸れるが、かつて安倍さんは「トランプにはハートがある」と語ったそうだ。最近、トランプさんが横田早紀江さん宛にお悔やみの書簡を送ったと聞くと、並みの不動産セールスマンじゃないなあと私も感心する。トランプさんと言えば、もう何十年と本は読まないでテレビを見るばかりであり、毎朝、受ける大統領補佐官(国家安全保障担当)からのブリーフィングでも資料には目を通さないで話を聞くばかりの人が(最近は退屈するため回数を減らして毎朝ではなくなったそうだが(笑))、どこで小耳に挟んだか、横田滋さんのご不幸に対してメッセージを送る指示を出した(あるいは周りが気配りした)というのは、偏執的に凄いことだと思うのだ。しかも、めぐみさん、滋さん、早紀江さん、その息子さんの拓也さんの名前まで、日本人の名前はスペル・ミスし易いだろうに正確に書かれているのだから、並大抵の努力ではないと言うべきだ。そう考えると、「やってる感」を出すために安倍さん⇒在米日本大使館⇒トランプさん側近⇒・・・という流れがあった可能性が高いが(笑)、そうだとしても、それを聞き入れるトランプさんの浪花節的感覚と、それを頼める安倍さんとトランプさんの親密な関係は、やはり凄いことだと思うのだ。これが、もしオバマ大統領だったら、まさか安倍さん⇒・・・という流れでお願いしようとは、そもそも思いもつかなかったのではないだろうか。トランプさんの型破りなところは、こういうところにも表れているなあと(笑)。もとより下手な芝居には違いないのだが・・・
 閑話休題。それで、話題の本を買って読むほど酔狂ではないが(まだ翻訳されていないことだし)、報道される解説記事には注目してきた。歴代大統領のものに比べると、今回は、日本が登場する回数が格段に多くて、日米関係が緊密になった証拠、安倍外交の成果などとおだてる人がいて、それも間違いではないが、朝鮮半島情勢や中国がフォーカスされた時期だったことと、トランプさんとまともに付き合える主要国首脳が少ないことの表れに過ぎないと思う。専門家の目からすれば細かいところで驚くべき発見があるのかも知れないが、私のようなド素人には大きな絵としてサプライズはない。象徴的なのは、日本や中国当局が静観の構えである(その実、困惑しているであろうことは想像される)のに対して、アメリカや韓国当局が、ウソや歪曲が多いと反発していることだろう。アメリカはともかくとして(勿論、ホワイトハウスが事前にチェックしているので、安全保障上の秘密事項はないことになっている)、韓国は、米・朝の間で、自らの国益と言うよりも文在寅氏個人の政治目標を追求して虚偽を含んだ演出が甚だしいと、かねて苦情が漏れ伝えられていたが、とうとう白日の下に晒されたのだ。その結果、韓国は、あろうことか、ボルトン氏や日本が南北融和の邪魔をすると逆恨みしている(笑)。実際、北朝鮮は二度目のハノイでの米朝会談で、終戦宣言は韓国が希望しているだけだと切り捨てて、制裁解除だけを要求したと言う。北朝鮮も苦々しく思っていたのだろう。・・・というわけで、北朝鮮嫌いで、北朝鮮寄りの不審な振舞いをする(金正恩氏の非核化の意思を吹聴する)韓国・文在寅大統領を警戒するボルトンさんは、北朝鮮との過去の苦い経験から猜疑心が強い日本(の安倍さんや谷内さん)と波長が合っていたのだ。
 朝鮮半島情勢の専門家である木村幹さんは、私のような素人とは違ってしっかり読み込んでおられ、ジャーナリストが書くコラムと比べて、その視点が一味違っているところに感銘を受けた。氏の見立てによれば、北朝鮮問題におけるアメリカの国益は非核化の実現であるが、韓国はこの問題をさほど重要視していない、異なる国家である以上、韓国或いは文在寅政権の目的が、アメリカのそれとは異なるのは当然の事であり、だからこそアメリカ政府は彼の言う事を警戒し、これに踊らされてはいけないという、そこには異なる国家が異なる国益を追い求めることを当然視し、それ故に他国の動きを警戒するボルトンさんの冷徹な視点が存在する、というわけである。国家における国益の重要性は言うまでもないが、それをボルトンさんの回顧録に見出し、評価される、という読み方をされているところがちょっとした驚きだった。
 ボルトンさんは、ネオコン唯一の生き残りとして、かねてメディアから厳しい目を向けられ、弾劾裁判での証言を拒みながらスキャンダラスな暴露本でカネ儲けを目当てにしている(印税は300万ドルと言われる)と批判されるが、木村幹さんの見立てを聞くと、暴露本と言うよりはまっとうな意図で書かれたものという気がして来て、ネガティヴなイメージがちょっと払拭された。大統領選挙前に出版し、トランプ・リスクを認識させるのが狙いとされ、実際にボルトンさん自身はトランプさんに投票しないと明言されているが、仮にトランプさんが再選されるようなことになっても、朝鮮半島情勢を巡る交渉の内幕を明かし、それぞれのプレイヤーの立ち位置を明らかにすることによって、アメリカが進む道が国家として間違えることがないように、トランプさん流の国益を気にしない軽挙を抑えようとしているのではないかと思えて来た。
 そして、回顧録が日本に投げかけるもの、という木村幹さんの問いかけが重い。朝鮮半島情勢に関して、批判すべき対象として繰り返し登場する韓国に対して、日本政府の存在感は、その登場回数に比して極めて薄いと指摘される。その理由は、この回顧録において、日本政府の存在が、常にボルトンさんやトランプさんに近い意見を唱えるものとして描写されているものの、日本独自の国益を実現しようとするダイナミックな動きを見る事ができないからではないか、と解説される。
 確かに、拉致問題や歴史問題など「日本固有」の問題を抱える日本が、朝鮮半島の非核化あるいは南北統一といった「国際的」あるいは「地域的」(朝鮮民族的)問題にどう関わって行くべきか、真正面から捉えた議論はなかなか聞こえて来ない。本来はこうした「国際的」「地域的」問題こそ、日本が自らに望ましい秩序をつくるという意味での安全保障の根幹をなすはずだが、安全保障をアメリカに依存する日本には、日本の国益をもとにして「国際問題」や「地域問題」を語ることには、今なおトラウマがあるようで、ただただ「日本固有」の問題解決に踏み出す機が熟すのをじっと待っているだけのように見えるところが、何とももどかしく感じてしまう。
 こうして、ボルトン砲はさほどスキャンダラスとも言えず、ボルトンさんが狙ったほどに大統領選に影響を与えるかどうかとなると疑問で、むしろ、大統領選は「とにもかくにも経済次第」(7月8日付ロイター)、すなわち1人当たりGDPと物価動向という経済要因がポイントだとする、イエール大学のレイ・フェア教授による選挙モデルを動かすほどではなさそうに思う。それほどアメリカで新型コロナウイルス禍と経済の落ち込みが酷い(さらに人種差別デモが吹き荒れている)ということかも知れない。トランプさんにとっては、いずれにしても踏んだり蹴ったりだが・・・
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国際機関の行く末

2020-07-11 10:46:17 | 時事放談
 日本の大手メディアは報じていないが、ネット・メディアのAxiosによると、第44回 国連人権理事会で、香港の国家安全維持法への支持を表明した国が53ヶ国に達し、中国・外務省と国営メディアは勝利宣言したらしい。その大部分は、フリーダム・ハウスが「部分的に自由」か「自由がない」と分類する国々だったというが、まあそうなのだろう。地図で見ると、一帯一路で縁結びしている国々に重なり、新・植民地主義とも揶揄される中国式外交の成果といえる。他方、反対を表明したのは西欧を中心に日・豪・加など27ヶ国にとどまり、全てフリーダム・ハウスが「自由」と見做す国々だったという。ポイントは、日本がこちらにしっかり名を連ねていることだ(大手メディアは何故、伝えてくれないのだろう)。これだけ差が開いて中国に有利に働いているのは、アメリカがこの理事会から2018年に脱退して存在感がないからだと、同理事会の元アメリカ代表は解説する。そういう重心がない心許なさはありそうだ。インドは非同盟の国らしく、反対に与せず、よりマイルドに懸念を表明するにとどめた。韓国は、(韓国の記事によれば自国記者からの質問に対して)一国二制度のもとで高度な自治が重要だという点を明らかにしている、などと答えにならない言い訳をして、賛成にも(中国に忖度して)反対にも回らなかった(だから日・米からも北朝鮮からも信用されない)。件の記事に戻れば、ヒューマン・ライツ・ウォッチの中国担当ダイレクターは、中国は人権問題への批判を封じ込めるだけでなく、こうした国際機関の規範や手続きを変えて説明責任を問われないようにしようと画策していると厳しい目を向ける。
 国際機関の有効性については、かねて議論があるところだ。日本人はどうしても幻想を抱きがちだが、権力政治を超越した美しい世界ではなく、むしろヘドリー・ブル先生が半世紀近く前の書籍タイトルで言われたように国際場裏はアナーキーなのだ(溜息)。それが言い過ぎなら、国際機関だって国益が衝突し権力政治が跋扈する生々しい世界で、その点では国内政治と変わらないか、それ以上かもしれない。合従連衡の駆け引きの裏には利権が絡むし腐敗もある。だいたい中国やロシアが入って来ると、纏まるものも纏まらなくなる・・・なんて見て来たようなことを言うようだが(笑)、知り合いの高級官僚がぼやいていた。そんな中でアメリカは最近、予告通りにWHO(世界保健機関)脱退を通告したし、既にユネスコからは脱退しているし、WTO(世界貿易機関)上級委員会では欠員補充に反対して機能不全に陥らせている(中国がいまだに途上国のステータスで優遇されているのは理不尽で、不信感をもつのは分からなくはないが)。そしてアメリカが抜けた空白を埋めるかのように、また国際機関における一国一票の原則を利用してアフリカや中南米の国々を抱き込んで、中国が存在感を増しつつある。
 3月のWIPO(世界知的所有権機関)事務局長選挙では、中国人候補が有力と言われていたが、アメリカが強烈な外交攻勢を仕掛けて阻止したことが記憶に新しい。サイバー攻撃やヒューミントによって知的財産を窃取し放題の中国がこの機関の代表を務めるとすれば、冗談にもならない(笑)。それでも現在、15ある国連の専門機関のうち、4機関で中国人がトップを務めている。その一つであるICAO(国際民間航空機関)トップにつくと、WHO同様、総会などに台湾の参加を認めなくなった。ITU(国際電気通信連合)では中国の一帯一路との連携を主張している。途上国の産業開発を支援するUNIDO(国連工業開発機関)トップも中国人で、さぞ公私混同が甚だしいことだろうと想像する(笑)。2019年6月に行われたFAO(国連食糧農業機関)の事務局長選で圧勝した中国は、立候補を降りたカメルーンに対して債務帳消しのアメを与え、中南米数ヶ国に対して中国を支持しなければ輸出を停止すると脅迫したらしい。
 リーマンショックあたりが一つの転機だったのだろう。中国が4兆元の財政投資をして世界を救ったと自負するようになり、同じ頃に世界第二の経済大国に躍り出た(これは名実ともに日本を抑えてアジアのトップになったことを意味する)。そして習近平氏が国家主席として登場し、内外で権威主義を露骨に推進するようになった。こうした過去10年の混乱の経緯を見ていると、歴史は必ずしも一本調子で進歩するものではないことに溜息をつきたくなる。中国が多くの発展途上国を引き連れ、歴史の歯車を逆回転させているかのようで、この傾向は暫くは止まないだろう。国際機関の行く末が大いに案じられるところだが、日本はどうすべきだろうか。兼原信克さんはある会合で、中国はいずれアメリカに追いつくかも知れないが、日・米に追いつくのは難しいし、日・米・欧に追いつくことはあり得ない、と言われていた。日本は地理的に極東に位置するが、世界地図の見ようによっては、ヨーロッパの並びのアメリカのそのまた先に、太平洋を挟んで極西にあるとも言える。ヨーロッパは、経済的には相対的に地盤沈下が進むが(その点では日本も同じだが)、長らく歴史を牽引して来た良識あるルール・メーカーとして隠然たる存在感をもち、今も、アメリカの強硬な制裁外交とは一線を画す。月並みな結論だが、日本は価値観を同じくするヨーロッパと協力し、日米同盟の相方でありながら孤立主義に傾きがちなアメリカを巻き込んで、西側としてのコンセンサスを得つつ、中国を包摂し、リベラルな世界秩序を守って行く重要な使命を帯びているのだと思いたい。
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ブルックス・ブラザーズ経営破綻

2020-07-09 19:46:12 | ビジネスパーソンとして
 入社した頃も、今も、スーツやブレザーはBrooks BrothersやJ.PRESSなどのアメリカン・トラッドと決めている。いい歳こいて・・・とも思うが、独身寮にいた頃、ある知人と、おっさんになってもボタンダウンを着たいもんやなあ、などと夢(?)を語り合ったもので、今もワイシャツはボタンダウンである(惰性と言ったほうが良いかも)。そのBrooks Brothersが経営破綻したと聞いて、驚いた。創業1818年の老舗で、200周年を迎えたばかり。古くはリンカーンやJ.F.ケネディなど歴代大統領に愛されたブランドであることは、独身寮時代に雑誌を貪り読んで知った。その後、アメリカ駐在中、初めてニューヨークに立ち寄ったとき、本店を訪れただけで何も買わなかったが、ひとしきり感動した(買い物はアウトレットで、という不届き者 笑)。報道には、新型コロナウイルス感染拡大による店舗の休業が響いた、とある。
 また、アメリカ駐在中に時々利用した百貨店ニーマン・マーカスやJCペニーも、新型コロナウイルス関連で経営破綻した(それぞれ5月7日と5月15日)。ニーマン・マーカスは創業1907年、JCペニーは創業1902年の老舗である。
 更に、20数年前、駐在前にアメリカに入り浸っていた頃、レンタカーはいつもハーツを利用していたのだが、そのハーツも、つい先ごろ(と、ググってみると5月22日)、経営破綻した。創業1918年、レンタカー業界の老舗である。報道によると、これも新型コロナウイルス感染拡大による旅客需要の減少が経営悪化に追い打ちをかけた、とある。
 いずれも所謂チャプター11、すなわち連邦破産法11条の適用を申請したもので、日本で言うところの民事再生に相当するのだが、こうした老舗企業だけではなく、2000年代にエネルギー界のグーグルと目され、米国のシェール革命を主導したチェサピーク・エナジーも、先月末に経営破綻した。新型コロナウイルスの深刻さが分かるが、歴史の歯車を狂わせたのではなく、歴史の回転を速めてしまったと言うべきなのだろう。小売業はネット通販の台頭で(スーツやブレザーは、それ以前から、ビジネスにカジュアルが広まり、今や在宅勤務で、着る機会はめっきり減った)、レンタカー業界はウーバー・テクノロジーズなどのライドシェア勢に押されて、もともと業績が低迷していると言われていたし、チェサピークは、リース契約を結んだ米国の土地所有者が100万人に達したと言われるが、詰まるところ資産規模は大きくても質が悪く、低エネルギー価格の時代に適応できなかったと解説される。
 ついでに日本も、もとより無縁ではない。銀座で店をたたむところが出て来て、空き店舗を中国人が買い占めていると聞くと、複雑な気持ちになる。かつて日本がバブル経済の絶頂にあった1989年、ソニーがコロンビア・ピクチャーズを(1987年のCBSレコードに続き)買収し、三菱地所がNYのロックフェラー・センターを買収したとき、ジャパン・マネーは「アメリカの魂を買う」のかと猛烈な反発を受け、ジャパン・バッシングの火に油を注いだものだった(その後、ロックフェラー・センターの運営会社は経営破綻したが)。当時、日本経済ともどもユーフォリアに浮かれていた私は、ビジネスウィークだったかの表紙にセンセーショナルに書き立てられたそのフレーズを不条理に感じたものだが、この年齢になると、新陳代謝は世の習いとは言え、見慣れた景色が変わることには一抹の寂しさがあり、当時のアメリカ人の腹立たしさや悔しさにも思いを致すのである。まあ、年寄りの感傷に過ぎないのだが。
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東京都知事選・雑感

2020-07-07 00:46:25 | 時事放談
 昨日、東京都知事選が実施され、小池百合子さんが圧勝した。
 過去最多の22人もの立候補者が乱立しながら(と言っても殆どは泡沫候補だったが)、これほど静かな選挙も珍しい。小池さんは、新型コロナウイルス対応のため、知事としての公務を優先するとしたほか、密を避けるため街頭演説は一切行わずにネットを通した運動に徹するという、異例の選挙戦を展開された。まあ、自民党が独自候補の擁立を見送って、維新公認の元副知事(なんでまた熊本から?と思ってしまう)を除いてリベラル相手とあっては余程自信があっただろうし、このご時世で表に出ないのも小池さんお得意のパフォーマンスとして訴求したことだろう。他の候補者は、密を避けるため予告なし街頭演説を行ったように聞いているが、在宅勤務の私には、一切、その声は届かなかった(笑)。
 今回は、ひとえにタイミングを味方につけたことが勝因だったと思われる。
 大きな不祥事もなく、久しぶりに任期満了に伴う改選で、言わば小池さんの信認投票となった。これまでの小池都政で目ぼしい成果はなかったものの、直近の新型コロナ対応に光が当たったのが幸いしたのは、韓国の大統領選挙によく似ている。もし新型コロナの渦中にあって、収束が見えない状況だったら、検察庁法改正案で、なんでここまで!?と思うほどに荒れたように、人心がどう血迷ったか知れたものではない(まあ、そのときは選挙を延期しただろう)。その意味で、唯一、注目したのは、れいわ新選組の山本太郎候補がどこまで得票を伸ばすかという点にあったが、蓋を開けたら、小池さんが無党派は言うに及ばず立憲民主党の支持者からもそれなりの支持を得た。新型コロナ禍によるストレスはかなり緩和されたものと思われる(笑)。
 その新型コロナ禍への対応でも、東京都の感染者数が再び3桁の大台に乗るほどに増えていたのは、なかなか微妙な状況だった。どうも夜の関係者のPCR検査を増やしていることが影響しているらしく、選挙戦を意識してのことかどうかは知らないが、峠を越えたとは言え、まだ収束には程遠いと思わせられたことで、小池さんの対応が万全だったとは思わないが、概ね都民の支持を得ていたとすれば、その継続を望む気持ちになるのは、ごく自然なことだったろうと思う。
 家内は不要不急の外出はしないと言い張った。確かに選挙は不要不急なのかも知れないが(笑)、辛うじて近所の投票所まで足を運んだ。それにしても選挙のたびに、どうしてこうも投票したいと思わせる立候補者がいないのか、政治の貧しさを思わないわけには行かない。
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