風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

生活保護の問題

2012-05-30 23:53:30 | 時事放談
 お笑いの次長課長の河本準一さんは、年収5千万円も稼いでおきながら母親には生活保護を受けさせていると週刊誌に告発されたのは、どうやら「貰えるものは貰っておけ」などと周囲に公言していたためのようで、社会的な吊し上げを受けてしまいました。事業自得としか言いようがありませんが、だからと言ってこの一事を以てして、一事が万事と、したり顔で日本人のモラル云々を論ずるのはナンセンスですし、河本さん個人の品格をアゲツラうのも、元々それほど期待していたわけじゃなし、私たちだってそれほど胸を張れるわけじゃなし、むしろ品格なるもの、他人と比較するような使われ方をすることにこそ毀損される類いのものであり、取扱いには注意が必要です。
 河本さんは自業自得と言いながら、たかが個人的なことがオオゴトになってこれほど世間の耳目を集める事態に至ったのは却って気の毒とも言えますが、お陰で、弱者保護の大義名分のために切り込みにくかった問題にもメスが入る契機になったという点で、河本さんの貢献は大いに評価したいと思います。
 週刊誌やテレビの報道によると、約210万人、約4兆円にものぼる生活保護受給で、不正は10%以上にのぼると言われます。中には、名前を変えて仕事について、生活保護はいわば基本給、仕事の給与は残業代などと言って憚らない不埒な人もいれば、受給日にはパチンコ屋が混むなどとも噂されるなど、生活保護受給の認定が杜撰だった事実が次々に明らかになりました。銀行本店で本人口座を集約して照会することで銀行と合意・・・というような報道から、これまでは銀行口座の照会といっても、せいぜい近所の支店にしか手が及ばず、遠方の支店で口座を開設してしまえば財産を捕捉されなかったこと、結局、強制力ある実態調査が法的に担保されていなかった事実も明らかになりました。民法上は親族間の扶養義務が定められ、親族など扶養義務者による仕送りの可否などの調査が行われますが、絶縁状態の場合には援助を期待できませんし、離れて住んでいる場合は文書で(管内に住んでいれば実際に訪ねて)調査することになりますが、親族が立派な家に住んでいても「住宅ローンがあるから」「子供の教育にお金がかかるから」と断られることも少ないわけではないようです。
 こうした欧米を起源とするであろう社会保障制度の前提には、欧米的な自立・自律の精神があることを、私たちは思い起こすべきかも知れません。日本にあっても、当然のことながら自立・自律の精神を支援する制度設計に変えていく必要がありますが、それを実効あらしめるためには、先ずは私たち自身の意識改革が必要であるように思います。自分たちの文化から生まれ出た制度ならまだしも、借り物の制度に魂が入らなければ、どんどんおかしくなるばかりですから・・・
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MICEとは?

2012-05-26 11:38:36 | ビジネスパーソンとして
 先日、知人に誘われて、某ホテル・グループ主催MICEオーガナイザー/プランナー向けイベントなるものに参加しました。マイスと発音するMICEなる言葉が何たるかも知らず、タダ飯が食えるというだけでホイホイついて行くゴキブリのような気楽さです。
 会場は恵比寿にある、なかなかシックな一軒家の二階で、まさにディナー・パーティの装いです。プレゼンテーションを聴いていると、企業において営業マンや販売店の優れた営業活動を報奨する旅行やパーティ等を企画する担当者を招待し、新しいホテルや施設を紹介するとともに、これら企画担当者の中からホテル・グループの売上に貢献した最大顧客を報奨する毎年恒例のパーティであるらしいことが分かって来ました。どうりで全国に散らばるホテル支配人や営業部長が次々に名刺交換の挨拶に訪れて来るわけです。実は私の知人すらも企業内のこうした企画担当ではなく、ただの営業マンで、技術者を長期出張させるアレンジをする中でたまたま知り合ったホテルの営業の方からお誘いがあっただけのことです。まして私はその中のただの出張者の一人、畑違いで場違いなことを痛感させられてヒヤヒヤものでした。そうは言っても4月にダラスで泊まったホテルはこのホテル・グループの一つであり、またアメリカやアジアやオーストラリアに駐在中に家族旅行で利用したホテルも多く、満更、貢献していないわけではないと開き直って、ワイン片手に、フォアグラや新鮮なシーフードに舌鼓を打っておりました。
 MICEというのは、国土交通省・観光庁のサイトにも説明があって、企業等が行うMeeting(会議)、Incentive Travel(報奨・研修旅行)、国際機関・団体、学会等が行うConvention(国際会議)、Exhibition/Event(展示会・見本市、イベント)の頭文字を取った、これらビジネス・イベントの総称だそうです(http://www.mlit.go.jp/kankocho/shisaku/kokusai/mice.html)。アメリカなどのグローバルなホテル運営会社や、シンガポール、タイ、韓国などの国が、最近10年ほどの間に積極的に使い始め、国際会議のみならずMICE全般の振興に積極的に取り組み、外国人旅行客の増大などの経済効果と、地域の国際化・活性化等に大きく貢献してきたといいます。そこで我が国としても後れを取ってはならじと、2007年1月施行の「観光立国推進基本法」に基づき、同年6月マスタープラン「観光立国推進基本計画」を閣議決定し、「我が国における国際会議の開催件数を2011年までに5割以上増やすこと」を基本目標の一つとして、アジアにおける最大の開催国を目指して官民を挙げて取り組んでいるようです。結果は・・・知りません。
 さてこのイベントに話を戻すと、ただ、タダ飯を期待していただけの客ではない証拠に、全く違う業界のことながら、一介のビジネスマンとして、こうしたビジネスの進め方や、個別の接客やプレゼンテーションの仕方は興味深く観察しておりました。というのを言い訳にした上で、二点コメントです。こうしたイベントを、何故、自分たちのホテルで開催しなかったのか、と彼らの言葉で説明するくだりで、この会場の素晴らしい360度パノラマ・スクリーンを是非見て頂きたかったと語った時には、耳を疑いました。自分のホテル・グループではこうした演出は出来ませんと言っているようなものですから。しかし、ホテルのスペースはお客様を優先した・・・と言ってしまうと、ここにいるのもお客様であって、自己矛盾に陥りますし、言い訳はなかなか難しかったのかも知れません。それから、報奨、所謂Award授与のところで、受けたお客様も一言挨拶をする際に、折角、ご招待を受けて頂くわけですから、ホテルの対応の良さを褒めそやし、あるいは普段の良好な関係を自慢するわけですが、これがなかなかわざとらしくて耳障りです。何故かと翻って考えるに、個人の多少の巧拙は問いません、このようなイベントはもともと日本にはなかったからではないかと思い至りました。欧米からの輸入で、普段は英語で耳にして、ごく自然に聞き流すものですが、日本人はそもそも短いものであっても気のきいたスピーチは苦手ですし、相手を褒めることも苦手です。何しろ他人を褒めるより、自らを謙遜して相手を立てる国民性です。さらには、そうした文化的な背景があるために、このような場面で使われる日本語がまだこなれていないのではないか。そんな印象をつらつら思っておりました。余りに美味しかったので二度並んでたっぷりとフォアグラを満喫しながら・・・
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金環日食

2012-05-22 03:17:12 | 日々の生活
 今朝は、会社の最寄駅に7時20分頃に着くように、少し早めに家を出たのですが、いつもより電車は混んでいて、考えることは皆同じなのだと感心していたまでは良かったのですが、最寄駅に降り立つと既に黒山の人だかりで、驚かされました。国内では1987年9月23日に沖縄で見られて以来25年ぶり、首都圏近郊で見られるのは1839年9月7日以来で実に173年振り、「8千万人が楽しめる」と言われ、日本列島でこれほど広範囲に見られるのは1080年以来932年振りという声までありました。今朝の日経では43%が「観測する予定」と答えていたそうですが(面白いのは、男性41%に対して女性45%、理科系の女性が増えているのか、女性の方が行動力があるのかと書かれていました)、次回は2312年(!?)と予想されていたこともあって、その場に居合わせた人は殆ど皆つい足を止めて空を見上げたのではなかったでしょうか。
 太陽を見ると、網膜の中でも感度が最も高い中心部分(中心窩)やその周辺に光が集まって傷を負うという、日食網膜症が心配されていました。そのせいか、子供たちは、学校で観測会があるというので、やはりいつもより早めに家を出ましたが、学校側としては、特に目の透明性が高く瞳孔径が大きいことから日食網膜症になるリスクが高い子供たちに、教育的機会に合わせて観測用のグラスを用意して、個々人がばらばらで見ることによるリスクを回避する配慮が働いたのかも知れません。
 私は、太陽が殆ど隠れるのだから、それほど明るくならないのではないかと疑っていたら、偏向フィルターで撮られた金環蝕の写真を良く目にするので誤解していたようです。太陽は偉大で、その溢れんばかりの光で地球を照らしてくれていたのですね、月に遮られた程度では、まぶしくてとても凝視出来ませんでした。それでも、これだけ光に溢れていながら地上の気温は1度下がったと言いますから、これまた感慨深いものがあります。曇りがちだったために、裸眼でもくっきり金環を見ることが出来たのは、不幸中の幸いでした。デジカメを持って行ったのですが、光量調節機能が劣るカメラのレンズでは、余程、曇った時でないと、まともに金環を捉えることが出来ません(上の写真、多少画面を暗めに編集しても中央右下に輪の一部が辛うじて見える程度)。
 つんくが「見ない方がカラダの為とのこと」とツイッターでつぶやいたため、ファンの間に戸惑いが広がっているそうです。アーユルヴェーダ(インドの伝統的医学)の蓮村誠先生の発言を引用したもののようで、その蓮村先生も、日食の二日前にツイッターで「金環日食を観てはいけません。日食用のレンズを使えばいいとか、そう言うことではありません。非常に強くドーシャに悪影響を与えます。どんなに観たくても我慢してください。自分のために、そして大切な人のためにです」と呟いたそうです。日食や月食は生体エネルギー(ドーシャ)のバランスに影響を与え、消化力(アグニ)を弱めるため、できるだけ外出を避けて飲食は控えた方が良いということらしいのですが(ロケットニュース)、さて。
 私は、そんなことにはお構いなしに、子供に戻ったわくわく感で、一日、なんとなく浮かれていました。しかし、そのわくわく感は何かと言うと、世紀の天体ショーを見られたこともさることながら、予想通りに観察できたこと、つまり、太陽や月や地球などの天体の運行が寸分の狂いもなく規則正しく行われていて、人々の営みを支えている、ということを実感した方が感動的だったような・・・
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ボストン美術館展・補遺

2012-05-20 23:17:39 | たまに文学・歴史・芸術も
 昨日、一つ触れ忘れたことがあります。何故、これほどの傑作がアメリカ・ボストンにあるのでしょうか。
 ボストン美術館は、作品保護の観点から作品の展示期間を厳しく制限しており、本展の開催にあたり、その出品作品のほとんどを、5年間にわたって公開を控えて準備をしてきた・・・と言います。確かに保存状態は大変良いし、ボストン美術館はそうした体制を敷いていることでも有名です。有難いことです。そして、今回、修復された未公開作品を含む、日本美術コレクションの名品約90点が厳選され里帰りを果たしました。海外に渡った日本美術を蘇らせ日本文化の理解を深めることは、友好関係の一層の発展を促すものと、好意的に説明されています。
 勿論、正確な事情は知りませんが、幕末・維新の混乱期に、幕府や藩や有力なパトロンから放出された傑作が、経済力で勝るアメリカに買収されてしまった、一種の文化的略奪の状況があったことは容易に想像されます。勿論、その芸術的価値を高く評価されたことは、確かに嬉しい。結局、いつの世も、どこにあっても、例えばルーブルや大英博物館にも多くの世界的なコレクションがあるように、芸術は経済力が囲ってしまう、そんな現実を見せつけられたような気がします。日本は、歴史上、植民地支配は受けませんでしたが、その社会が世界に開かれた時、狙われてしまった。全人類の財産であるという観点からすれば、散逸して人々の目から隠されてしまうより、また保存に配慮されることなく朽ち果ててしまうより、よほど有り難いことですが、日本人にとっては、やり切れない思いは残ります。
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ボストン美術館展

2012-05-19 23:02:43 | たまに文学・歴史・芸術も
 都心で朝の3時間ほど空き時間があったので、東京国立博物館140周年特別展「ボストン美術館 日本美術の至宝」に行って来ました。朝一番の9時半に到着すると、既に長蛇の列であることには驚かされましたが、こうした場所にあっては年齢層が高いことには、もう驚きません。私も、大抵のグルーピングで平均年齢を押し上げる層になった自覚はありますが、今日のこの列に並んでいると、若造と思えてしまうくらい、日本の熟年層は元気です。
 今、あらためて思うのは、「至宝」というタイトルに偽りなく、素晴らしいと思いますが、「日本美術」と称して対象のイメージを限定してしまう必要はなかったのではないかと思います。実は原題ではJapanese Masterpieces(傑作、名作、秀作など)と表現されていたものです。Wikipediaでも、「美術」と言えば、代表的なジャンルは絵画や彫刻であり、隣接するものに、イラストレーション、デザインや工芸などの応用美術や、漫画やアニメ、映画などの大衆芸術があると解説されるように、イラストや漫画を「美術」とは一般には思わないからです。
 何故、そう思ったかと言うと、一つは尾形光琳で、切手にもなっている白梅紅梅図や孔雀葵花図で有名ですが、「美術」というジャンルで捉えるならば実は物足りないと思って来ました。ところが、今回、松島図屏風を見て、狭い意味での「美術」ではない、「イラスト」として見れば、実にデザインや色彩感覚に優れていることに気がつきます。この特別展で、「美術」という枠を超えた尾形光琳の素晴らしさを見直すきっかけになったことがひとつ。もう一つは、奇才と紹介された曽我蕭白という画家で、作品には、精緻を凝らした伝統的な水墨画もあれば、明らかに酔いにまかせて(と私が勝手に思っているだけですが)伸びやかでさらりと流したような襖絵(雲龍図)もあり、今風に言えば、漫画家の一面ももっていたと言えなくもありません。こうして、「なんでも鑑定団」を見ていると手入れが大変そうだと敬遠しがちな屏風や襖絵の、単なる「美術」品ではない、デザイン性を再認識したからです。
 やはりオリジナルは素晴らしい。画集などの美術書では、今のテクノロジーによっては、とても表現できないような、色遣いの繊細さ、グラデーションの美しさは、紙や素材のもつ質感と相俟って、オリジナルならではの独特の雰囲気を醸し出します。よくもこれだけの傑作を一堂に会し得たものと感心しますが、解説によると、フェノロサが持ち出した収集品は1千点、ビゲローという資産家に至っては4万1千点にのぼると言いますから、その中から選りすぐりで見応えがあるのは同然とは言え、ボストン美術館は日本の美術品・工芸品の宝庫であることを再認識します。
 会期は6月10日まで。1500円は決して高くありません。
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芸能界の二股騒動

2012-05-17 23:56:18 | スポーツ・芸能好き
 二股俳優と言われるようになった塩谷瞬のことを書きたいわけではありません。あの程度のことで大騒ぎし過ぎだと、呆れている人が多いことでしょう。ただのイケメン遊び人が、独身なのだから基本的には好きにすればよいのですが、結婚詐欺師まがいでちょっと度が過ぎただけの話です。芸能レポーターからどんなに苛められようが同情にも関心にも値しません。むしろそんな彼をしつこく追及し弄ぶ狭義の世間(芸能レポーターやテレビ界ひいてはマスメディア)の熱狂ぶりが不思議です。広義の世間(視聴者)が、こうした報道を望んでいるとはとても思えないからです。日曜昼の報道ステーションに至っては、単独インタビューまで敢行し、番組名がすたるのではないかと、他人事ながら心配してしまうほどでした。よせばいいのに、私もつい見てしまいましたが、物心つく前に両親が離婚し、子供の頃から新聞配達する苦労人で、愛情に飢えていたから・・・と、それ自体は気の毒に思いますが、そうして涙目でいくら訴えられても、私の中では(そして広義の世間では)手遅れなことくらい分かるでしょうに、塩谷瞬本人ではなく彼の裏で何等かの計算をしている人がいるのでしょうか。こうして一方で潔癖性にこだわりながら、他方で、芸能人の結婚報道のたびに、妊娠の有無をことさらにコメントするのはどうしたことでしょう。些か耳障りで、いいかげんにして欲しい。芸能界という極めて特殊な世界の事例を喧伝することによって、まるで悪貨に良貨を駆逐させんとするばかりに、日本のモラルを貶めたいのかと勘ぐりたくなります。もとより結婚前の純潔を信じているとかそういう問題ではなくて、要は大人のつつしみというものが邪険にされていて品がないのが嘆かわしいのです。二股俳優も芸能レポーターも、同じ穴のムジナです。
 前置きが長くなりましたが、実は、ぼやきたかったのは、猫ひろしの話です。ご存じの通り、いったんはカンボジア代表に選ばれながら、カンボジア国籍取得から1年を経過していなかったため、国際陸連から“参加資格なし”と判断され、オリンピック出場は露と消えました。
 五輪参加標準記録は突破せずとも「特別枠」でカンボジア代表に決まったとき、ランニング大会などを通じて長年カンボジア支援を続けている有森裕子さんは、「日本人に代表を譲る若い選手の心中を思うと悔しい」と涙声で話し(3月31日 読売新聞)、「これが本当にいいことなのかと考えると、複雑な気持ちだ」と語ったそうです(3月29日 読売新聞)。思い入れが強いのは分かりますが、ただの思い過ごしで、カンボジアの人たちは存外気にしていないようです。対照的に、為末大さんは、「猫さんがせっかく国籍を変えたなら、カンボジアに日本のマラソンを伝えて、スポーツの父になってほしいと思っている」と、好意的なコメントをツイッターに寄せていました(4月23日 毎日新聞)。しかし二人は違うコメントを残しながら、実は同じアスリートとして同じような思いで同じようなメッセージを残しているように思います。つまりオリンピックという、神聖ながらも極めて高度に“政治的”なスポーツの祭典に向かって、アスリートとして、二股のように、中途半端にスポーツをかじるのは勘弁して欲しい、と。
 実際、スポーツ選手の国籍変更は珍しいことではなく、ペアのフィギュア・スケートでオリンピックの檜舞台を狙う日本人女性が、強い相手を求めてロシアに国籍を変えたのは記憶に新しいですし、中東諸国が潤沢なオイルマネーで優れたアフリカ出身選手を集めるケースは議論を呼んできましたが、富める国の五輪水準に達しないアスリートが「オリンピアン」になる夢のため、貧しい国の代表枠を得るのは珍しいこと(5月9日 毎日新聞)なのだそうです。陸上関係者の中には、これが認められれば、実力の足りない外国選手が「特別枠」に殺到するようになるのではないかと心配する声がありました。青森の高校に関西のリトルリーグ出身の球児が集まって関西弁丸出しで甲子園に出場した状況に似て、その無邪気さには些か驚かされます。高度に“政治的”なオリンピックにあっては、やはりタテマエとしての国籍はおろそかに出来ません。猫ひろしのツイッターを見ると、結構、真面目に練習しているようですが、アスリートとしてではなく飽くまで芸人として走ると主張しているようです。彼も、もう少し大人であったなら、と思います。
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柔道の日本代表

2012-05-14 02:02:00 | スポーツ・芸能好き
 全日本選抜体重別選手権で、ロンドン五輪の柔道代表が決まりました。小学生の頃に柔道を習っていたことがあって(高校生の頃、陸上部で関節を痛めた時には、既に柔道教室を閉めて骨つぎをやっていたその先生のところに通ったこともありました)、私にとっては気になる種目です。気になるとは言いながら、サッカーと同レベルで、日本代表を追いかける程度ですので、今宵は取り急ぎ三人に対してエールを送ります。
 これまで期待を裏切り続けてきた男子100キロ級の穴井隆将は、全て一本勝ちで五輪代表の座を掴みました。私たち日本人としては、彼が言うように「一本勝ちは結果的に生まれるものと思っていますが、自分は一本取りに行く姿勢とかを考えてやってきました」というだけあって、次は彼のダイナミックな一本勝ちによる金メダルを見てみたいものです。
 女子48キロ級では福見友子が辛うじて優勝し、念願の五輪への切符を手にしました。日本人選手3人に五輪出場の資格があり、世界では軽量の日本人にとって、国際大会で優勝するより国内大会を制するほうが難しいとさえ言われる軽量級です。今は政治家となって晩節を汚すかつての無敵の女王・谷亮子を、2002年当時の65連勝中に(怪我のため9ヶ月のブランク明けだったにせよ)一度破り、2007年に出産明け2年ぶりの復帰だったとは言え二度も破ったことがある彼女には、北京五輪代表の座を逃した屈辱を糧にして、是非とも頑張ってもらいたいと思います。
 最後に、今回、4月の全日本選手権で右肩を脱臼していた男子100キロ超級の鈴木桂治は、怪我をおして参戦しましたが、決め手なく一回戦で旗判定で敗退し、五輪への夢が破れました。柔道をスポーツと定義するなら、激しい格闘技ですから、偉丈夫であることが勝ち続ける重要なポイントになります。事故は不運でも、本人も言うように「痛いなりの戦い方があり」として、そんな不運な状態をも受け入れて戦う姿勢は立派でした。かつて勝負師・張本勲さんは、勝負は6割が実力、2割がその日の体調、残りの2割は運だと言われました。張本さんにしても、2割の運=不確実性を見ていたことを面白く思いましたが、それは逆に言うと、万全の準備をしてもなお万全にはなり得ない、逆に言うと勝負事の面白さを表現したものなのでしょう。それが怪我だったのは不運ですが、運には違いありません。それほど大きな勝負事には縁がない私たちも、日本人としてその潔さを肝に銘じたいと思います。
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厄介な隣人たち・・・中国と韓国

2012-05-12 22:33:07 | たまに文学・歴史・芸術も
 読後感と言わず、読みながら胸糞悪い思いをすること請け合いの本を紹介します(笑)。「日中韓 歴史大論争」(文春新書 2010年10月)、ブックオフで衝動買いした一冊です。櫻井良子さんと田久保忠衛さんという二人の保守派の論客が、中国人学者や韓国人ジャーナリストを相手に行った歴史問題を巡る座談会(月刊誌「文芸春秋」掲載)を再録したもので、なかなか刺激的です。まともな討論にならないだろうことは、私でも端から想像できますが、実際に読み進めていくと、すれ違いばかりで欲求不満が募ります(笑)。
 実際、登場人物の一人で中国社会科学院近代史研究所所長は、歴史は三つのレベルに分けて考えることが出来る、一番上は歴史観、次が歴史認識、そしてそれらのベースにあるのが歴史の事実で、いきなり歴史観や歴史認識について一致を見ようとしても、現状ではそれは不可能、しかしお互いの歴史の事実を共有することは、両国の努力によって可能ではないか、などと、フレームワークについては結構まともなことを言って期待させますが、現に彼(だけでなく党・政府や息のかかった関係者)がやっていることは、中国共産党公認の歴史観ありきで、それに合う都合の良い歴史的事実ばかりを拾って、およそ公平な態度とは言えません。日本の国の在り方に対しても、ガチガチの東京裁判史観をベースに村山談話や河野談話といった、およそ良識ある多くの日本人なら眉をひそめたくなるような自虐的な対応を当然のものとなし、日本の知識人の在り方に対しても、丸山真男さんや大江健三郎さんといった、中国人に都合が良い進歩的知識人(その多くは日本人でありながら反日的です)を器用に選り分けてつまみ食いし、却ってよく日本のことを勉強していることに感心させられるほどです。かたや櫻井さんや田久保さんをはじめ、一般の日本人は、虚心坦懐に歴史的事実を眺め、その積み重ねの上に自由な歴史認識と公平な歴史観を形成しようとしますので、日中双方が交わることはなく、いつまでたっても平行線です。
 例えばそんな中国側の二枚舌は、教科書を巡る問題でも露呈します。日本側が、中国の反日教育を指摘すると、中国側は、反日本帝国主義ではあっても、現代の日本という国や日本人という国民に対する感情とは別だとしゃあしゃあと答える。それなら何故、中国の中学生用歴史教科書で日露戦争を教えないのかと事実を指摘すると、都合が悪いことには答えないで頬っかむり。しまいには中国側は、中国のモンゴルやウィグルやチベット問題は「国内問題」だと主張しながら、日本の靖国問題や教科書問題は日本の「国内問題」ではなく、「国際関心事」にあたり、外交問題であって、中国が発言することは何ら内政干渉にあたらないと、ぬけぬけと答えて、中華思想の一端をはしなくも垣間見させます。
 それでは韓国はどうかと言うと、韓国側は、韓国における民主主義はマスコミにもしっかり根付いており、必ず反対意見が存在する、だから中国式の反日とは全く別のものだ、と主張しますが、似たり寄ったりのようです。最終章で、櫻井さん・田久保さんの二人と対談する、日韓歴史共同研究のメンバーだった古田博司さん(筑波大教授)が、日本だけでなく、満州やモンゴルやウィグルやチベットなど周辺国は皆、中国から受けた被害に対して異議を唱えてきた歴史があるのに、韓国は違う、原因は中華思想の影響を受けているから、中国による華夷秩序に完全に組み込まれ、中国の威を借る狐になった、「小中華」であり「事大」、つまり中国の威を借ると同時に、「大」である中国につかえる冊封体制の一員という位置づけだったから、と解説します。古来、日本海によって隔てられ、ある距離を保つことが出来た日本と違って、地続きの朝鮮半島は、中国との間に独特の緊張関係を余儀なくされ、何等かのコンプレックスを抱いて来ました。それを古田さんは「助け、裏切り、恨まず」の関係だと形容し、櫻井さんはそれを受けて肉親同士のようだと答えました。これまでまがりなりにもアメリカ陣営に属して来た韓国は、今後、北東アジアでプレゼンスを増し経済的結びつきを増す中国に、再び近づくのではないかという観測もあります(日経・鈴置高史氏など)。
 こうして見ると、1998年に当時の国家主席だった江沢民が「日本には歴史問題を永遠に言い続けなければならない」と在外公館大使に指示していたことが、2006年に公刊された「江沢民文選」で明らかになったように、中国・韓国側に問題があるばかりではなく、日本国内にも獅子身中の虫、すなわち左翼系オピニオンリーダーやリベラルと目される進歩的知識人が、中・韓に言質を与えるような反日的な発言を繰り返し、結果として日本の国を貶めて来たことが分かります。もしかしたら、彼らは意識しない内に中国に操られていたのかも知れません。中国にも伝統的に目に見える武力一辺倒ではなく(とりわけ武力で劣る時には)心を占領しようとする契機があります。梅棹忠夫さんをして、日本は中国などのアジアよりも欧州に近いと言わしめた、一番身近な隣人でありながら、厄介で遠い存在である中国や韓国の立ち居振る舞いについて、私のようなノンポリ人間にも、いろいろな示唆を与えてくれる好著だと思います。
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アクアスキュータム経営破綻

2012-05-06 18:30:12 | ビジネスパーソンとして
 先月17日にアクアスキュータムが経営破綻したニュースをアメリカ出張中にネットで見かけて、ちょっと衝撃を受けましたが、今朝の日経朝刊にあらためて解説記事が出ていたのを見て、その衝撃を思い出しながら書きます。
 ビジネス用のオーバー・コートと言えば、トレンチ・コートやステンカラー・コート(実は和製英語で、バルカラーまたはバルマカーン・コートが正式名称らしい)で、日本では圧倒的にバーバリーのブランドが有名です。1856年創業、第二次ボーア戦争(1899~1902)で士官用コートとしてトレンチ・コートの前身となるタイロッケン・コートが親しまれ、第一次世界大戦で英国軍の塹壕(トレンチ)戦に合わせて製造されたトレンチ・コート(今も腰回りのD字型リング(D環)は手榴弾や剣・水筒をぶら下げるものだった等、物騒な軍服の名残りを残しています)がヒットし、1919年にはジョージ5世からコート・ジャケット部門の英国王室御用達(ロイヤル・ワラント)を受けました(Wikipedia等)。アクアスキュータムも同じような発展を、実は一歩先んじて遂げて来ました。創業は5年早い1851年、ロンドン万博の時で、世界で初めて防水ウールの開発に成功し、クリミア戦争(1853~56)で将校の活躍を支えたことで知名度を上げ、第一次世界大戦では、抜群の防水性と保湿性が塹壕(トレンチ)で戦う兵士を守ったことが、現在のトレンチコートの原型となったとされています(Wikipedia等)。英国王室御用達を受けたのも、一足早い1897年、エドワード7世の治世でのことです。
 そんな相似形の両社ですが、バーバリーが二桁増収を続ける一方、アクアスキュータムが経営破綻に追い込まれた理由を、今朝の日経の解説記事は、成長市場であるアジアでの事業展開の違いに求めていました。アクアスキュータムは、1990年に日本のレナウンに買収されて、欧州で客離れを招いたのが躓きの始まりで、その後、レナウン自身も2010年には中国メーカー傘下に入るような苦境に陥ったように、2009年に全株式がイギリスのブランドライセンス会社・ブロードウィック社に売却されました。その時には、老舗ブランドが地元に戻ってきたと、イギリスのメディアからは好感されたようですが、実はその際に日本を含むアジア地域での商標権だけは香港YGMマートに売却されました。日経の解説記事は、「ブランド市場が急拡大しているアジア地域での事業を分断され、バーバリーのような成長シナリオを描くことができなかった」「アクアスキュータムの破綻は、ブランドビジネスがアジアを抜きにしては成り立たないことを物語っている」と結論しています。しかし、ネットで調べてみると、レナウンが買収した時には約190億円を支払いながら、20年後に売却した時には、アジアでの商標権20億円強、英国ブロードウィック社への全株式とアジア以外の商標権20億円弱、合計40億円と推定されており、その間の事業価値の毀損は明らかです。つまり、ここ2~3年の話ではなく、より根本的には、レナウンが、かつてダーバン・ブランドでアラン・ドロンを起用したことがありましたが、決して高級品ブランドには成りきれず、アクアスキュータムのような高級ブランド・ビジネスを上手く展開できなかったから、と言わざるを得ないのではないかと思います。
 さて、何故、かくもしつこく本件を追いかけるのかと言うと、かれこれ二十数年前に就職した当時、バーバリーのチェック柄をよく見かける中で、当時の上司が見慣れないチェック柄のコートを着ていたので、わざわざ尋ねたのが、アクアスキュータムとの初めての出会いで、その後、新婚旅行で訪れたロンドンで購入した思い入れのある一張羅のコートだったからです。その時、Gパン姿でロンドン本店に足を踏み入れることに、一瞬、ためらいがあったのを覚えていますが、時あたかも日本のバブル絶頂期であり、若い日本人観光客がロンドンのリージェント・ストリートやパリのシャンゼリゼを闊歩し、生意気にもルイ・ヴィトンやエルメスなんぞを買い漁っていた時代です。ちょっと大きいんじゃないか?と、たどたどしい英語で聞いたら、店員は慇懃に”It’s up to you.”と、答を私にあずけて来ました。それがイギリス流なのか、それともこの東洋の若造が、と内心苦々しく思っていたのかは、今となっては分かりません。
 ところがそうやって恐る恐る仕立て直してもらって購入したコートは長らく眠ったままでした。当時、既に着ていたチップ(Chipp)という今は懐かしいトラッドのブランドのコートや、二度の海外生活を挟んで、ブルックス・ブラザーズのぴらぴらのコートを着潰して、アクアスキュータムのコートに袖を通したのは、実に20年の歳月を経た昨年のことです(ついぞレナウン傘下の時代におろさなかったのは、ただの偶然です)。20年前に買ったコートなど、俄かに想像できませんが、どんなものかと思ったら、シミひとつなく、昨日買った新品と見分けがつかないほど生地は滑らかでしっかりしていますし、仕立て直してもらったはずの袖や裾はそうと気付かないほど歪みもなく、中島誠之助ふうに言うと、良い仕事をしていて、さすがです(以前、アメリカで仕立て直してもらったポロのスーツに皺が出て使い物にならなくなったのは、たまたまだと思いたい)。むしろ、第一ボタンを外しても見栄えがする約束通りのつくり(これは、モノトーンのビジネス・シーンで唯一のおしゃれとも言えるネクタイが覗くのが、なんとも粋です)や、ずしりとした重厚感が、昨今の薄っぺらでチャチなコートと一味違い(あるいは素材や織りに技術革新があったせいでしょうか)、20年前のイギリスの厳しい冬や、ひいてはイギリスの風格を感じさせます。何でもかんでもユニクロに席巻されてしまうのではなく、いつか着てみたいと思わせるような、昔ながらのホンモノのコートを愚直に作り続けるブランドがあって良いと思いますし、そういう遊びと粋を忘れない世の中であって欲しいと思います。
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社会貢献

2012-05-05 14:40:44 | 日々の生活
 昨日の阪神・巨人戦は、杉内の一安打完封の快投により試合が予想より早く終わったため、日テレは余った放送時間に、内海の社会貢献活動を放映していました。読売の宣伝臭さがチラつくものの、つい見入ってしまいました。
 彼は、4年前から、奪三振数と同じ数だけ、首都圏を中心とする児童養護施設の子供たちにランドセルを寄付しているそうです。しかも自ら手渡すことにしていて、その模様が紹介されていました。計算すると4年間で合計534個(年平均133.5個、投球回数比77%)。高校時代、1試合平均14個を超える奪三振率を誇り「北陸のドクターK」の異名を取った(Wikipedia)面目躍如と言えます。甲子園出場は果たせませんでしたが、奪三振数にこだわるのは、彼なりの存在証明あるいは期するところがあるのに違いありません。
 この歳になると、こういうエピソードには弱くて、涙なくして見ることは出来ません(苦笑)。
 およそ社会貢献なるものは使命感から、と言うことは、欧米社会で言うところのノブレス・オブリージュに極めて近い。私たち庶民は、どうしても動機に純粋さをつい求めがちですが、それよりも、ふるまいや行い、結果として社会にどれだけ貢献しているかで測られるべきものです。内海のような野球選手の場合のポイントは、子供たちや一般の人たちに野球を通して感動や夢を与えられるかどうかではないでしょうか。そういう意味で、彼自ら施設を訪れ、握手しながらランドセルを手渡し、プロ野球選手としてキャッチボールをしたり野球への夢を語るのは、素晴らしいことです。元々、ファンサービスを大事にする内海のアイディアに、クラレが乗ったもののようですが、組織的なバックアップがなければ、こうした社会貢献活動は続けることが出来ません。最初の年にランドセルをもらった飛鳥くんは、ジャイアンツの中で誰が好きですか~?と聞かれて野球選手!と答えて笑いを誘って以来、内海にすっかりマークされて、野球を始めて、もっと練習して上手くなることを、内海と約束していました。読売も、野球の普及活動と位置づけることが出来ますし、何より内海本人が子供たちと触れ合うのを楽しみにしているようです。
 東日本大震災でも、多くのアスリートや芸能人が被災地を慰問していました。私などは義援金がせいぜいで、子育てを最大の使命と心得、ボランティアには手が出ない、不器用でずぼらで自分勝手な人間ですが、彼ら有名人には彼らにしか出来ないことがあり、義援金もいいですが、それよりもその圧倒的な存在感で、子供たちや見る人を元気づけて欲しいと思います。今日の子供の日には、報道はされずとも、多くのアスリートたちが子供たちに夢を与えていることでしょうか。

内海哲也ランドセル基金:
http://www.kuraray.co.jp/release/topics/2011/111220.html
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