柳田前法相が更迭されたことは、海外のメディアでも取り上げられていました。イギリスのエコノミスト誌(Web版、11/22付)は、日本の政治状況を批判しており、民主党政権が民主主義の模範と仰いでいるフシがある本家のイギリスが日本をどう見ているのか興味深いので、ちょっと紹介したいと思います。
タイトルは、「ウケなかったジョーク」(The joke that fell flat)。このfall flatという言葉は、大臣の椅子から転げ落ちた今回の顚末を連想させます。冒頭、法相(Justice Minister)と引っ掛けて、日本に正義(justice)はないのか!?(勿論、ない)と断じて、挑発的です。的外れなことを言ったわけでもない(made a sensible point)冗談の責任を取らされて辞任するのは、普通なら政界ではあり得ない話で、まったく、日本の政治は面白みに欠ける、カワイクナイ(anything but funny)と貶しています。問題となった発言は、支持者に対してただの自虐的なジョークのつもり(intended as a self-deprecating comment)だったのに、野党もマスコミも、発言の最後のくだり(「法相が法を犯してしゃべることは出来ないという当たり前の話。法を守って私は答弁している。」の部分)を端折ってしまったがために、発言の真意を歪めていると、むしろ前法相の方に同情的ですらあります。
これに関しては、確かに発言だけ追うと、日本の国会答弁が、予告された質問に対して官僚が用意した回答原稿を読み上げるだけの、いわば筋書きがあるドラマであり、真剣味にも臨場感にも欠けるところを、簡潔に皮肉ったブラック・ジョークとしてはよく出来ていて、笑って済ませれば良いのに、まともに食って掛かる方こそ無粋だと見なすかのような同誌の言い分にも一理あります。しかし、これが、就任後僅か二ヶ月とは言え、法務行政の置かれた環境は、小沢氏と検察との確執や大阪地検の証拠隠滅をきっかけとする検察改革や尖閣問題での指揮権発動をはじめとして問題山積していたわけですから、何か実績を残したか、あるいはそうした努力の跡を見せたか、少なくとも熱意は示すような法相であったならば、寛容に受け止められたかも知れませんが、政権交代したばかりの民主党で過去20年近く法務関係の経験がないまま就任し、不慣れなばかりか存在感がまるでなく、単に「法を守って答弁している」と答えるだけの状況では、ちょっと笑えないというのが国民の本音だろうと私は思います。
それはともかく、同誌は、これも日本の政治の退屈な日常の一コマ(part of tiresome routine)に過ぎないと述べ、日本の政治の停滞ぶり・・・小泉氏が2006年に5年の任期を終えたあと、総理大臣は6人目、農相に至っては11人目(最短就任期間8日)、財務相8人目、防衛相7人目、外相その他は6人目という、日本のマスコミもよく取り上げるエピソードを紹介し、まともな(sensible)民主政治にあっては、大臣のクビをそう頻繁にすげ替えるのは政策決定にとって好ましくないことくらい分かっていそうなものに、この空騒ぎは一体どうしたことか?(Why the fuss?)と手厳しい。
その最大の理由を、同誌はリーダーシップの欠如だと指摘します。そしてそれは日本病とでも言うべき固有の問題(endemic)になりつつある、とも。前法相を守り切れなかったのも、菅氏自らが重ねてきた手負いの傷のせいで、一連の失態・・・参院選前に消費税増税のお騒がせ発言、尖閣問題を巡る中国への弱腰外交、唐突なTPP参加表明と反対を受けて発言の後退などを取り上げ、これこそ日本に舵取りがいなくて(rudderless)漂流しているかのように思わせる原因であり、野党につけ入るスキを与える(exposed to attacks)もの(だからと言って野党の側にもこの国を運営するもっと良いアイディアがあるわけではないのだが)と、酷評します。
今回の事件は大臣が使い捨て(expendable)であることを示すばかりか、閣内に残る大臣の権威をも貶め(undermine)、更に、日本におけるメディアの力や、そうしたメディアが実施する世論調査を政府がいちいち気にする状況(obsession)を際立たせ、その世論調査は選挙民の政治的な嗜好よりもむしろその時々に揺れ動く気紛れな感情に左右されるにも係らず、それに基づいて政治のアジェンダが決められることが多過ぎると、同誌は批判的です。こうして、世論調査が落ち込むほど、菅氏の立場は弱くなり、菅氏が気弱に見えるほど、野党は無分別に(柳田氏のような)犠牲を求め、しかし菅氏がへたばれば、支持率は更に落ち込むばかりで、金縛り状態(Catch-22)だと形容します。政権交代を支持して投票した人たちは、半世紀にわたる自民党政権の相も変わらぬ能無しで独りよがりの政治(this sort of brainless, self-obsessed politics as usual)が真っ先に改められるものと期待していたのですが、どうやら新政権も同じ政治に囚われていて、憂鬱だと締めくくっています。
後半については、癪ですが、それぞれ指摘されてもっともで、反論のしようがありません。確かに日本において大臣の椅子は、じっくり政治の司令を出す場と言うより、政治家にとって名誉ある経歴の一つでしかなく、“前”や“元”がつく大臣は一杯いますが、能力があって復職することはなく、ただ単にたらい回しにして、人材をいたずらに消費するばかりです(もっとも果たして人材がいるのかという根本的な疑問はあります)。また成熟して利害が多様化し、無党派層が過半を占めるほど明確な政治的主張がない日本の現代社会にあって、民意の表れと見なされる政党支持率がどこまで正しく日本の羅針盤たり得るのか、むしろ世論は脇に置いて「千万人といえども我往かん」といった気概をもって信念に基いて邁進する政治の方がよほど長い目で見て国益に叶うのではないか、そういう意味では小沢さんがマニフェストの原点に戻るべきと主張する発想自体は正しいと思います(問題は民主党を支持した国民の大多数は民主党のマニフェストを支持したわけでは無いという逆説でしょう)。そして、今、総選挙があっても、民主党も自民党も勝てないという小沢さんの見立てもまた正しい。この点はエコノミスト誌の最後の主張に通ずるものがあり、高度成長が終わって失われた20年でもたついている間に、日本を取り巻く国際環境はすっかり変ってしまい、日本の政治の機能不全は、民主党でも変えられなかったということでししょう。それでも私は日本および日本人の復元力を信じますが、その時は、欧米に規準を求めるのではなく、日本の歴史を肯定的に振り返りつつ日本らしさを再認識するところから始まると思います。
タイトルは、「ウケなかったジョーク」(The joke that fell flat)。このfall flatという言葉は、大臣の椅子から転げ落ちた今回の顚末を連想させます。冒頭、法相(Justice Minister)と引っ掛けて、日本に正義(justice)はないのか!?(勿論、ない)と断じて、挑発的です。的外れなことを言ったわけでもない(made a sensible point)冗談の責任を取らされて辞任するのは、普通なら政界ではあり得ない話で、まったく、日本の政治は面白みに欠ける、カワイクナイ(anything but funny)と貶しています。問題となった発言は、支持者に対してただの自虐的なジョークのつもり(intended as a self-deprecating comment)だったのに、野党もマスコミも、発言の最後のくだり(「法相が法を犯してしゃべることは出来ないという当たり前の話。法を守って私は答弁している。」の部分)を端折ってしまったがために、発言の真意を歪めていると、むしろ前法相の方に同情的ですらあります。
これに関しては、確かに発言だけ追うと、日本の国会答弁が、予告された質問に対して官僚が用意した回答原稿を読み上げるだけの、いわば筋書きがあるドラマであり、真剣味にも臨場感にも欠けるところを、簡潔に皮肉ったブラック・ジョークとしてはよく出来ていて、笑って済ませれば良いのに、まともに食って掛かる方こそ無粋だと見なすかのような同誌の言い分にも一理あります。しかし、これが、就任後僅か二ヶ月とは言え、法務行政の置かれた環境は、小沢氏と検察との確執や大阪地検の証拠隠滅をきっかけとする検察改革や尖閣問題での指揮権発動をはじめとして問題山積していたわけですから、何か実績を残したか、あるいはそうした努力の跡を見せたか、少なくとも熱意は示すような法相であったならば、寛容に受け止められたかも知れませんが、政権交代したばかりの民主党で過去20年近く法務関係の経験がないまま就任し、不慣れなばかりか存在感がまるでなく、単に「法を守って答弁している」と答えるだけの状況では、ちょっと笑えないというのが国民の本音だろうと私は思います。
それはともかく、同誌は、これも日本の政治の退屈な日常の一コマ(part of tiresome routine)に過ぎないと述べ、日本の政治の停滞ぶり・・・小泉氏が2006年に5年の任期を終えたあと、総理大臣は6人目、農相に至っては11人目(最短就任期間8日)、財務相8人目、防衛相7人目、外相その他は6人目という、日本のマスコミもよく取り上げるエピソードを紹介し、まともな(sensible)民主政治にあっては、大臣のクビをそう頻繁にすげ替えるのは政策決定にとって好ましくないことくらい分かっていそうなものに、この空騒ぎは一体どうしたことか?(Why the fuss?)と手厳しい。
その最大の理由を、同誌はリーダーシップの欠如だと指摘します。そしてそれは日本病とでも言うべき固有の問題(endemic)になりつつある、とも。前法相を守り切れなかったのも、菅氏自らが重ねてきた手負いの傷のせいで、一連の失態・・・参院選前に消費税増税のお騒がせ発言、尖閣問題を巡る中国への弱腰外交、唐突なTPP参加表明と反対を受けて発言の後退などを取り上げ、これこそ日本に舵取りがいなくて(rudderless)漂流しているかのように思わせる原因であり、野党につけ入るスキを与える(exposed to attacks)もの(だからと言って野党の側にもこの国を運営するもっと良いアイディアがあるわけではないのだが)と、酷評します。
今回の事件は大臣が使い捨て(expendable)であることを示すばかりか、閣内に残る大臣の権威をも貶め(undermine)、更に、日本におけるメディアの力や、そうしたメディアが実施する世論調査を政府がいちいち気にする状況(obsession)を際立たせ、その世論調査は選挙民の政治的な嗜好よりもむしろその時々に揺れ動く気紛れな感情に左右されるにも係らず、それに基づいて政治のアジェンダが決められることが多過ぎると、同誌は批判的です。こうして、世論調査が落ち込むほど、菅氏の立場は弱くなり、菅氏が気弱に見えるほど、野党は無分別に(柳田氏のような)犠牲を求め、しかし菅氏がへたばれば、支持率は更に落ち込むばかりで、金縛り状態(Catch-22)だと形容します。政権交代を支持して投票した人たちは、半世紀にわたる自民党政権の相も変わらぬ能無しで独りよがりの政治(this sort of brainless, self-obsessed politics as usual)が真っ先に改められるものと期待していたのですが、どうやら新政権も同じ政治に囚われていて、憂鬱だと締めくくっています。
後半については、癪ですが、それぞれ指摘されてもっともで、反論のしようがありません。確かに日本において大臣の椅子は、じっくり政治の司令を出す場と言うより、政治家にとって名誉ある経歴の一つでしかなく、“前”や“元”がつく大臣は一杯いますが、能力があって復職することはなく、ただ単にたらい回しにして、人材をいたずらに消費するばかりです(もっとも果たして人材がいるのかという根本的な疑問はあります)。また成熟して利害が多様化し、無党派層が過半を占めるほど明確な政治的主張がない日本の現代社会にあって、民意の表れと見なされる政党支持率がどこまで正しく日本の羅針盤たり得るのか、むしろ世論は脇に置いて「千万人といえども我往かん」といった気概をもって信念に基いて邁進する政治の方がよほど長い目で見て国益に叶うのではないか、そういう意味では小沢さんがマニフェストの原点に戻るべきと主張する発想自体は正しいと思います(問題は民主党を支持した国民の大多数は民主党のマニフェストを支持したわけでは無いという逆説でしょう)。そして、今、総選挙があっても、民主党も自民党も勝てないという小沢さんの見立てもまた正しい。この点はエコノミスト誌の最後の主張に通ずるものがあり、高度成長が終わって失われた20年でもたついている間に、日本を取り巻く国際環境はすっかり変ってしまい、日本の政治の機能不全は、民主党でも変えられなかったということでししょう。それでも私は日本および日本人の復元力を信じますが、その時は、欧米に規準を求めるのではなく、日本の歴史を肯定的に振り返りつつ日本らしさを再認識するところから始まると思います。