東京オリンピックのメダル・ラッシュで盛り上がっているときに、それだからこそ余計に、というところが天邪鬼の私にはあって、関係がないことに目移りして、宇野重規教授の『民主主義とは何か』(講談社現代新書)の「国家」と「社会」の関係に関する論考が刺激的で、いろいろ考えさせられた。中学・高校時代の定期試験中にかかわらず、本棚のどうでもいい本をつい手にとって暫し夢中になる、あれ、である(笑)。ちょっと長くなるが引用する。
(引用はじめ)
封建社会において、主権は存在しましたが、実質的な権力は各地に散らばる封建領主の間で分割されていました。
それぞれの領主は自前の軍事力を持ち、司法を行い、秩序を維持しました。
領主たちは国王に対して奉仕義務を持ち、戦時には自ら軍を率いるなど貢献を求められました。
とはいえ、平時における国王の歳入のほとんどは、自らの直営地から得たものでした。当然、大規模な常備軍や官僚制を持つことは不可能です。
このような状態から出発したものの、やがて西欧の王権は、初期は司法権の掌握を通じて権力を拡大し、その後は戦争の必要から、次第に領土全体への徴税権を拡大していきました。
やがて、国王の個人的資産としての国家(家産制国家)から、人々からの幅広い納税によって支えられる国家(租税国家)へと成長を遂げます。
(中略)
ここで重要なのは、西欧において国家システムが整備され、中央集権化が進む一方、これに対抗する社会の力も強まって行ったことです。
身分制議会はあくまで特権者のための機関でしたが、これが次第に国家に対する抵抗の拠点になったことは間違いありません。
国家が一方的に強くなり社会を従属させると専制国家になりますし、国家が弱体で社会の抵抗だけが強ければ無秩序に陥ります。
これに対し、両者の間に均衡がある場合にのみ、国家は社会に対して一定の説明責任を持つことになりました。
(引用おわり)
中世から近世・近代にかけての遷移、「国家」体制確立への過程を簡にして要を得て描写して余すところがない。「国家が一方的に強くなり社会を従属させると専制国家になる」・・・まさに現代の中国やロシアがそうだし、「国家が弱体で社会の抵抗だけが強ければ無秩序に陥る」・・・アラブの春の後の中東が想起される。
ここで、「国家」や「社会」について厳密な定義なしに語られているのは残念だが、私なりには「国家」=擬制、「社会」=実体と漠然と捉えている。「国家」は、「社会」の安全を維持するための便宜的な枠組みに過ぎず、その領域内で執行権(警察権など)や司法権(裁判権)を行使し、秩序を維持するもの、という理解だ。
中国では、今、共産党が統治する。西欧と違って選挙による洗礼を受けることなく、むしろ中国に古くからある秩序意識、「天子が命を天に受けて主権者となるという思想」を尊重し、「したがって主権者の交替ということはすなわち天命を改めることであるというところから、これを革命と称した」ことに従う(小島祐馬著『中国の革命思想』より)のであって、強権でならす中国共産党と言えども、人民を最も恐れ、統治の正統性・正当性を担保するべく、「国家主権と領土保全を守る」ことよりも、「国家の基本制度(共産党による統治)と安全」の維持を優先し、そのために「経済社会の持続的で安定した発展」を期してやまないのである(Wikipedia「核心的利益」を参考)。西欧の歴史と比較して初めて、中国という国家の特殊性が理解できるように思う。
他にも宇野教授の本には、新書ならではの平易な中に、学術的な裏付けのある興味深い記述が多くて、勉強になる。
(引用はじめ)
完全に隷属した人々は、自らの隷属に不満を感じることすらありません。
むしろ、自分もまた一人の人間であることを自覚した人々が、それゆえに残された不平等に不満を持つのです。
(引用おわり)
これは、フランス革命の原因を説明したところで、フランスは、ヨーロッパのより東の地域と比べて、農民の解放が進んでいたそうで、隷属した農民たちが悲惨な状態に反発して立ち上がったと言うよりは、既に隷属した地位を脱していた農民が、そうであるがゆえに、同じ人間でありながら特権を享受する層に不満を募らせたそうだ。
中国は格差社会と言われ、国内の都市と農村との間に戸籍(とそれに伴う地位)の違いが厳然としてあって、非常に不安定だと言われる。歴史に学ぶとすれば、習近平政権の最近の強権主義は、フランス革命前夜のような不安定を抑えるために、社会統制を強めていると見えて仕方ない。
世間では「米中対立」とか「新冷戦」などと喧伝される。Voice 8月号に、垂秀夫・駐中国大使のインタビューが掲載されており、大部分は公式発言でとりたてて興味を惹かなかったが、以下ご発言には思わず膝を叩いて賛同したのであった(笑)。
(引用はじめ)
日本では一般的に「強い中国」「怖い中国」というイメージが定着していると思いますが、私の中国のイメージはむしろ「脆弱な中国」「不安定な中国」です。
(引用おわり)
折しも、東洋経済7/24号は中国を特集し、「世界の覇権か、落日の老大国か」とサブ・タイトルされていて、そのコピー・ライティングの上手さには脱帽したのであった(笑)。
(引用はじめ)
封建社会において、主権は存在しましたが、実質的な権力は各地に散らばる封建領主の間で分割されていました。
それぞれの領主は自前の軍事力を持ち、司法を行い、秩序を維持しました。
領主たちは国王に対して奉仕義務を持ち、戦時には自ら軍を率いるなど貢献を求められました。
とはいえ、平時における国王の歳入のほとんどは、自らの直営地から得たものでした。当然、大規模な常備軍や官僚制を持つことは不可能です。
このような状態から出発したものの、やがて西欧の王権は、初期は司法権の掌握を通じて権力を拡大し、その後は戦争の必要から、次第に領土全体への徴税権を拡大していきました。
やがて、国王の個人的資産としての国家(家産制国家)から、人々からの幅広い納税によって支えられる国家(租税国家)へと成長を遂げます。
(中略)
ここで重要なのは、西欧において国家システムが整備され、中央集権化が進む一方、これに対抗する社会の力も強まって行ったことです。
身分制議会はあくまで特権者のための機関でしたが、これが次第に国家に対する抵抗の拠点になったことは間違いありません。
国家が一方的に強くなり社会を従属させると専制国家になりますし、国家が弱体で社会の抵抗だけが強ければ無秩序に陥ります。
これに対し、両者の間に均衡がある場合にのみ、国家は社会に対して一定の説明責任を持つことになりました。
(引用おわり)
中世から近世・近代にかけての遷移、「国家」体制確立への過程を簡にして要を得て描写して余すところがない。「国家が一方的に強くなり社会を従属させると専制国家になる」・・・まさに現代の中国やロシアがそうだし、「国家が弱体で社会の抵抗だけが強ければ無秩序に陥る」・・・アラブの春の後の中東が想起される。
ここで、「国家」や「社会」について厳密な定義なしに語られているのは残念だが、私なりには「国家」=擬制、「社会」=実体と漠然と捉えている。「国家」は、「社会」の安全を維持するための便宜的な枠組みに過ぎず、その領域内で執行権(警察権など)や司法権(裁判権)を行使し、秩序を維持するもの、という理解だ。
中国では、今、共産党が統治する。西欧と違って選挙による洗礼を受けることなく、むしろ中国に古くからある秩序意識、「天子が命を天に受けて主権者となるという思想」を尊重し、「したがって主権者の交替ということはすなわち天命を改めることであるというところから、これを革命と称した」ことに従う(小島祐馬著『中国の革命思想』より)のであって、強権でならす中国共産党と言えども、人民を最も恐れ、統治の正統性・正当性を担保するべく、「国家主権と領土保全を守る」ことよりも、「国家の基本制度(共産党による統治)と安全」の維持を優先し、そのために「経済社会の持続的で安定した発展」を期してやまないのである(Wikipedia「核心的利益」を参考)。西欧の歴史と比較して初めて、中国という国家の特殊性が理解できるように思う。
他にも宇野教授の本には、新書ならではの平易な中に、学術的な裏付けのある興味深い記述が多くて、勉強になる。
(引用はじめ)
完全に隷属した人々は、自らの隷属に不満を感じることすらありません。
むしろ、自分もまた一人の人間であることを自覚した人々が、それゆえに残された不平等に不満を持つのです。
(引用おわり)
これは、フランス革命の原因を説明したところで、フランスは、ヨーロッパのより東の地域と比べて、農民の解放が進んでいたそうで、隷属した農民たちが悲惨な状態に反発して立ち上がったと言うよりは、既に隷属した地位を脱していた農民が、そうであるがゆえに、同じ人間でありながら特権を享受する層に不満を募らせたそうだ。
中国は格差社会と言われ、国内の都市と農村との間に戸籍(とそれに伴う地位)の違いが厳然としてあって、非常に不安定だと言われる。歴史に学ぶとすれば、習近平政権の最近の強権主義は、フランス革命前夜のような不安定を抑えるために、社会統制を強めていると見えて仕方ない。
世間では「米中対立」とか「新冷戦」などと喧伝される。Voice 8月号に、垂秀夫・駐中国大使のインタビューが掲載されており、大部分は公式発言でとりたてて興味を惹かなかったが、以下ご発言には思わず膝を叩いて賛同したのであった(笑)。
(引用はじめ)
日本では一般的に「強い中国」「怖い中国」というイメージが定着していると思いますが、私の中国のイメージはむしろ「脆弱な中国」「不安定な中国」です。
(引用おわり)
折しも、東洋経済7/24号は中国を特集し、「世界の覇権か、落日の老大国か」とサブ・タイトルされていて、そのコピー・ライティングの上手さには脱帽したのであった(笑)。