風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

アジア太平洋の旅(中)

2015-06-30 00:01:16 | 永遠の旅人
 今回は食のつれづれ。
 月曜の夜行便で出て、翌朝、NZ・オークランドに到着し、さらにウェリントン行きの国内線ターミナルへは、バスが周回しているほか、歩いて10分、路面に緑の線が引いてあるので、子供でも間違えない・・・というので、3時間の時差で寝惚けた身体を起こすのに丁度よいと、てくてく歩くことにした(写真 上)。そういえばボストンのダウンタウンにも、歴史的な建造物を巡って歩くのに、路面に線を引いて誘導していたのが、外国人には便利だった。観光立国を目指す日本でも覚えておいて損はない知恵ではないか。
 そのオークランドの国内線ターミナルには、マクドナルドの横にHAYAMAなる日本食レストランがあった。まだ目が覚めていない身体は、ハンバーガーより、うどんを欲して、これも市場調査だと自分に言い訳して、日本食レストランに向かった。きつねうどん12ドルは高いと、一瞬、思ってはみたものの、先進国の、しかも空港という立地で、同じ空港のコーヒーの値段の3倍程度であれば、目くじら立てることではないのだろう。レトルト麺だが、麺つゆは関西風であっさりしていて、機内で上手く寝付けなかった身体に優しかった。
 食べ終わって食器を片付けようと立ち上がって、さて、ここはNZだと思い直した。アメリカでもマレーシアでもオーストラリアでもそうだったが、片付ける人の仕事を奪ってはいけないのである。言葉は悪いが低階層の人に仕事を分け与えるという意味で、移民社会の合理的な知恵と言うべきなのだろうが、一億総中流を自負してきた日本人には、いまひとつ居心地がよいものではない。しかしピケティさんが言うように、資本主義に内在する格差の現実に、日本人はいつまで目をつぶっていられるのか(それとも日本の資本主義はやはり異質なのか)。
 1時間のフライトでウェリントンに到着したあと、シンガポールから合流する同僚と会うまでちょっと時間があったので、軽い昼食でも取ろうと、ホテル付近をぶらぶらして、When Hanoi meets Parisなどと小じゃれたサブタイトルが付いたベトナム料理の店を見つけて、つい引き寄せられるように入ってしまった。なるほど洗練されているが、確かなアジア的な美味しさにホッとする。それでもNZの夜は、せっかくだからと、地元のシーフードレストランでカニを楽しんだ。ワインは何故か(シンガポールの同僚の勧めで)安いチリ・ワインにしてしまって、何故、多少高くとも地元ワインにしなかったかと後悔したが、料理はなかなか美味かった(ワインはいまひとつだった)。
 その後、バンコクに到着した夜は、前回のブログでぼやいたように韓国料理で、翌日の昼はささやかにローカルのタイ料理を楽しんだものの、夜は再び日本風居酒屋で、翌日ジャカルタに移動した昼も日本食で、夜も日本風居酒屋で・・・とまあ、駐在員の勧めに応じているとは言い訳で、敢えてローカル・フードにチャレンジすることなく流れに身を委ねるのが楽でいい・・・といった気持ちに囚われて、ことほどさように、歳をとると、食事に柔軟性がなくなって行くのが寂しくもある。
 そんなこんなで地上での食事は我が儘のし放題だが、機内食はチョイスが限られるので、そもそも期待しないことにしている。というのも実は強がりで、特にアジア系の航空会社には、同じアジア人(などという存在はただの幻でしかないが)として秘かに恃むところがあって、実際に、タイ航空で行くバンコク~ジャカルタ間は朝食にChicken Porridge(粥)が出たのが嬉しかった。さらに微笑みの国そのままに、飲み物はどうかと何度も笑顔で勧めてくれるので、つい調子に乗ってワインを何杯も重ねてご機嫌だった。続いてジャカルタからの帰国便はJALで、本格的な牛丼が出たのが、疲労困憊した身体に嬉しかった。なでしこジャパンが「JALで移動中」などとTVコマーシャルが流れているが、海外生活が長くて倦んだ人、外の食に珍しさを感じない人、そして私のように歳を重ねて我が儘な身体を持て余す人には、ナショナル・フラッグのJALがいいと、つくづく思う今日この頃である。Star Alliance加盟の航空会社では、米国駐在当時からユナイテッドのFrequent Flyer Programに参加していて、買い物ポイントも含めて今でも25万マイル以上貯めているが、こちらもそろそろANAに切り替えようかと思案しているところ(因みにJALはoneworld加盟)。この歳になると、やっぱり自分は日本人なのだと思う。
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アジア太平洋の旅(上)

2015-06-28 00:00:23 | 永遠の旅人
 海外出張で、月曜の夜行便でオークランド経由ウェリントン(NZ)へ、次いで水曜日一日かけてバンコクへ、更に金曜朝にジャカルタへ移動して、今朝は4時に起きて一日かけて戻って来た。僅か三ヶ所だが、飛行機に乗ったのは6回、延べ36時間、旅好きの私も歳には逆らえず、さすがに金曜日の朝は身体が重く、心がどんより沈んでしまって、奮い立たせるのにかなり気合いを入れる必要があった。
 毎度のことながら、仕事以外は空港とホテルとオフィスを移動するばかりで、食事以外の楽しみを見つけるのは難しい。路地裏を歩いたり・・・といった楽しみはもとより、現地人と触れ合ったり・・・といったチャンスも少ない。食事にしても、いずれも初めての場所ではないので、現地の駐在員まかせにすると、バンコクでは韓国料理と日本食、ジャカルタでは日本風の居酒屋といった塩梅で、ブログに書くような刺激的な話にはなりようがない。
 というわけで、言い訳がましい前置きが長くなったが、ま、つれづれなるままに。
 36時間の飛行時間は、資料を持ち込んで次の仕事の予習をしなければならず、また時間が限られた中でホテルでメール・チェックするせいで寝不足が続き、睡眠をとる貴重な時間でもあり、映画は僅かに2本見ただけ、あとは音楽を聴きながら夢うつつの状態だった。
 行きのNZ航空で、なんと「マジソン郡の橋」を見つけて、話題になったけれども見ていなかったなあと思って、気紛れについ見てしまった。かれこれ20年前の作品で、まだ若いメリル・ストリープが、田舎の主婦ながらも4日間の切ない恋にときめくあたりをうまく演じている。アメリカ・アイオワ州の片田舎というシチュエーションも、美しくていい。クリント・イーストウッドは、いかすけど、淡々と演技していて、結局、テーマがテーマだけに、あるレベル以上は観る者に委ねている作品なんだと思った。この作品がヒットしたということは、受け手側の問題、つまり観る者がこの作品を補って余りある思い入れを持っていたということか。
 Diana Krallという歌手の最新作Wallflowerというアルバムを聴いたところ、”Alone Again”(1972年リリース)というギルバート・オサリバンの名曲が出て来て、つい泣けてしまった。学生時代なので1970年代後半のことになるが、大阪・朝日放送の「ヤングリクエスト」というラジオの深夜放送に「たむたむタイム」という素人のDJコーナーがあって、しらやまえいこさん通称白い猫が、最終回だったか、想い出の曲として流したのがこれで、今も記憶に残っている。まあ、あの年代なので、この曲ばかりではなく、リクエストがかかった曲はよく覚えていて、今、振り返ると、受験勉強などと称して、深夜放送を聞きながら勉強する所謂「ながら族」で、結局、20%からひどい時には50%も時間をロスしていた(つまりラジオに聞き入っていた)のではないか。そんなこと言ったら、今だって、以前何かの調査で読んだことがあるが、E-Mailの40%は仕事以外のジャンクなのだそうな。20/80の法則があるが、さしずめ20%は自分が直接関わる業務に関すること故、真面目に返信するなどして仕事し、40%は情報共有と称する参考メールで、流し読むだけで終わり、残りの40%はジャンクに近いお楽しみメールなのではないだろうか。
 人生の時間というのは、その程度のものかも知れないと、この歳になって思う。
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安保法制論議(中)

2015-06-18 01:13:45 | 時事放談
 今日の党首討論では、「民主党の岡田克也代表は法案を『憲法違反だ』と断じ、安倍晋三首相を追及した。しかし首相の『逆質問』には回答を避け続け、国民をどう守るかの具体的な見解を語らないまま『抵抗野党』の限界を露呈した」と、産経新聞は厳し目に論評していました。安倍首相からは「民主党は国民の生命や国の安全に責任感がない」(同)と断じられたそうです。民主党をこき下ろすのが趣旨ではなく、奮起を促したいがために引用しました。
 昨日は、民主党の長島昭久氏が、保守派の論客・櫻井よしこさんが理事長を務める民間シンクタンク「国家基本問題研究所」のホームページに「目を覚ませ、民主党!」と題して寄稿したというのが話題でした(http://jinf.jp/weekly/archives/16244)。長島氏は、国会論議でも野党からは唯一と言ってもいいくらいまともな質問をするなど孤軍奮闘されており、件の「目を覚ませ、民主党!」の中でも、「特に安保法制を巡る国会審議では、私たちが標榜した『保守二大政党』とは似ても似つかぬ万年野党の『何でも反対』路線がますます先鋭化している」と自己批判されています。一年くらい前、内外ニュースから出た「なぜ今必要なのか?集団的自衛権の(限定的)行使」という冊子にも寄稿されて、その当時から、「通常国会に関連法改正案を15本出して来て、さあ、議論しようと言っても、国民から見たら全貌が見えて来ないので、その大枠を決める『安全保障基本法』のようなものを先に議論すべき」などと提案されていて、民主党きっての安全保障の専門家は伊達ではないと思ったものでした(今国会でも似たような提案をされている由)。
 因みに、先ほどの「目を覚ませ、民主党!」で民主党の話に戻ると、「現状のままでは、政権奪還は夢のまた夢であろう。もはや解党的出直ししか道はない」として、三つの具体的指摘をして締め括っておられます。

(引用)
 第一に、労組依存体質から脱却しなければ改革に背を向けた勢力との批判を払拭できない。
 第二に、社会保障に偏った「大きな政府」路線を見直し、アベノミクスに代わる経済政策と地方再生戦略を打ち出さねばなるまい。
 第三に、「政争は水際まで」と腹を決めて、一刻も早く、政権交代前のような現実的な外交・安全保障政策に回帰することだ。目を覚ませ、民主党! さもなくば、消えゆくのみ。
(引用おわり)

 さて、今日のブログは、国会論戦そのものではなく、安保法制の国会質疑やその報道ぶりを見た古森義久さんが、日本の敵は中国でも南・北朝鮮でもなく、「日本そのもの」かと嘆息されていたのが面白かったので紹介します。
 日本共産党が、同法案の目的を「日本を戦争をする国にする」などと断じていることは、朝、時々、オフィスの最寄駅に降り立ったときに、都議だか区議のおばちゃんがマイクを使っておっとり刀で切り込んでいるのを鬱陶しくも聞かされているので、私も知っていますが、朝日新聞の記事の見出しが、「暴走」、「思うがままに武力を」、「ナチスの手口」などと相変わらず勇ましいことまでは知りませんでした。共産党に負けず劣らず、悪いのは、周辺国の迷惑を顧みず軍拡や海洋進出を続ける中国でも、核開発に余念がない北朝鮮でもなく、ましてや竹島占拠を続ける韓国であろうはずもなく、周辺国から今こそ平和的台頭を期待されているはずの日本こそ、80年前から現在に至るまで変わることなく侵略的で、自分たちが(と言いたいのでしょう)抑えないことには、今回の法案を通して、何をしでかすか分からない、他国に戦争を仕掛けないとも限らない、全くもって危険な国である、と激しく主張したいかのようです。
 戦前、国のなすことになびいて最悪の事態を迎えたのも、今、国のなすことにことごとく反対して手足を縛ろうとするのも、同じような危うさを覚えます。
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安保法制論議(上)

2015-06-15 01:51:31 | 時事放談
 それにしても、なんとお粗末な論議かと、多くの国民が思っていることでしょう。読売新聞が6月5~7日に実施した全国調査によると、政府・与党が法案の内容を十分に説明していないと思う人は80%に達し、今年4月時点の調査(3~5日)の81%と、ほぼ変化はないそうです。民主党の岡田代表は「国会でのやりとりを見る限り、(政府から)誠意をもって国民の皆さんに理解してもらおうという気迫は感じられない」(31日)と言われたことが伝えられますが、他人事のように言うのは許せない。この国会論戦の貧しさの多くは、間違いなく野党の質問が悪過ぎるせいだからです。もうちょっと付言すると、そんな貧しい国会論戦を見越して、所詮、国会を乗り切るための論議と割り切る政府の心掛けも悪い、と言えなくもありません。いずれにしても野党が情けないのであって、野党は大いに反省して欲しい。
 このモヤモヤした気持ちはどこから来るかというと、自衛官のリスクが高まるのではないか?などという頓珍漢な質問に象徴されるような道徳論が、国会という最高権力の場で跋扈すること、そして自衛隊法などの改正案10本を束ねた「平和安全法制整備法」と新たに制定する「国際平和支援法」の2法案・・・つまり法律論に堕していて、一般国民には現実的な意味合いがなかなか理解できないもどかしさにあります。自衛官といっても22万5千人、いろいろな方がいらっしゃるでしょうから、一口にどうとは言い切れませんが、東日本大震災のときの活躍を思い出すまでもなく、国のために命を張って、日夜、緊張の中に生きておられる方が大多数であろうという印象をもっていますし、実際に最近、元一等陸佐の方から聞いた話では、そもそも自衛隊はリスクに晒される組織であると(当たり前のことですが)明言されただけでなく、我が国の主体的な目的があって、崇高な使命のためなら喜んで戦う(が、アメリカから言われたから、とか、日米安保のために、というのはやめて欲しい)と言われていました。まさにその通りだろうと、平和ボケした私でも思います。それなのに、当の自民党は、「安全が確保されているところで活動するのは当然だ」と安倍首相自身が答弁し、「自衛隊のリスクは増えることはない」と中谷防衛大臣も述べて、まともに質問に答えませんでした。感情論や心情論がメディアを占拠している現状を懸念しているのでしょうが、これでは国会を乗り切るための議論と非難されても仕方ありませんね。
 結局、日本人は相も変らぬ「戦後」思考から抜け切れていないのではないか。その後、冷戦が始まっても、その地理上の戦略的重要性から、アメリカに軍事基地を提供するだけで価値があって、日本自体は何も思考することがありませんでしたし、冷戦が終わって、戦略環境はさらに変化して、欧州ではいろいろな議論があったのに、日本ではやはり思考することはありませんでした。こともあろうに保守を自任してきた元自民党の重鎮?が、今頃のこのこ日本記者クラブに出て来て記者会見して、一国平和主義を開陳される始末なのです。日本は専守防衛を貫いたから世界から信頼を得たが、このままでは外国の戦争に巻き込まれる、との懸念を示したそうですが、これは戦後リベラルあるいは強い日本を望まない(端的に日本の孤立化を謀る)中・韓の議論に与することはあっても(だからと言って中国に買収されているとまでは言いませんが・・・本当は言いたいけど)、日米安保があったからこそ平和と安定が維持出来たとする現実主義的な見方とは相容れませんし、地域の安定を望むフィリピンやベトナムなどのアジア諸国の声には耳を塞いでいます。衆院憲法審査会で、自民党が推薦した学者を含む参考人全員が、安保法案を「憲法違反」と断じたことが波紋を広げていますが、今回の参考人選定は自民党憲法調査会の幹事・船田元氏が内閣法制局に人選を頼んだという経緯からして、内閣法制局の単なる仕返しだったと見て間違いありません。
 日本人として・・・と言うより、一企業人として、まず日本の安全保障環境をどう認識すべきなのか(企業が事業環境を認識するところから始めるのは当然のことです)、その中で、日本は何を目指して(これは国柄の議論かも知れません、企業にもビジョンが必要なのは当然のことです)、どのような戦略を描いているのかを知りたいと、素朴に思います。最悪に備えて、最善を求めるのは、企業としては当然のことです。環境が変わったというのは、軍隊の役割が、冷戦後、間違いなく変わったと言い換えてもよいでしょう。専守防衛を旨とする日本国として、攻撃・防護に備えるのは大事ですが、グローバル化した現代にあっては、国際システムの安定化にどう寄与していくのか、そこまで実力が伴わないならば、せめて日本が密接な関わりをもつ東アジアや東南アジアの地域システム安定化をどう担保するのか、主体的に考えて然るべき、経済規模がある地域大国だと思います。それなのに、一国平和主義を今なお求めるとすれば、現代にあっては、鎖国の発想と断罪すべきではないでしょうか。
 その意味で、保守陣営にも70年談話は必要ないという声を聞きますが、やはり、日本国のありようを、そもそも争いを望まない平和でお人好しの日本人が直面する厳しい東アジア環境を見据えて、日本が目指すものは何で、そのためにやむを得ず備えをしなければならない現実を、安倍首相にはしかと示して頂きたいと思います。
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伝統文化としての和食

2015-06-10 22:19:07 | 日々の生活
 小泉武夫さんの講演を聴いたことがあります。ちょうど和食が世界無形文化遺産に登録された頃のことで、そのプロジェクトに携わった小泉さんは、準備に3年かかったと言われていました。
 世界遺産は、国(日本)に与えられるものではなく世界のものだそうで、取り消されることもあるので守って行かなければならないですし、世界遺産になったことで金儲けすることは許されないそうです。一年くらい前、ジェトロ(日本貿易振興機構)が、最も好まれている外国料理について、モスクワ、バンコク、ジャカルタ、ホーチミン、サンパウロ、ドバイの6都市でアンケートを実施したところ、健康に良いこと等が評価された和食が全体の38.4%を占めて1位になりました(因みに2位はイタリア料理、3位は中国料理)。世界で愛される世界遺産に値しますが、他方で、日本人の朝食で和食は51%、パン食は49%と、もはや肝心の日本人だけで守って行ける状況にはないのかも知れません。その意味でも、失われつつある文化の保護を目的とした無形文化遺産に相応しいと(皮肉を込めて)言えると思います。
 さて、和食には他の民族にはマネ出来ない特徴が5つある・・・というのがその日のテーマでした。
 一つは、「水」あってこその和食なのだそうで、ただの水ではなく、鉄分が驚くほど少ない、世界で一番良い水である、ということです。鉄分が多く含まれると、どうしても錆で風味が落ちてしまうからです。日本酒は、0.2ppm以上の鉄分が含まれていると造ることが出来ないため、カリフォルニアに進出している清酒メーカーは除鉄装置を使っているらしい。ことほどさように日本酒は日本の水があってこそなわけです。ご飯の3割は水で、コメを炊いてご飯にするのは「水を米の内部に抱き込ませている」と言った人がいますが、小泉さんは「日本人は水食い民族である」とおっしゃっていました。
 二つ目は、言わずと知れた「旨み」です。かつて「五味」(甘い、辛い、酸っぱい、苦い、塩っぽい)と言われ、これにダシから生まれた味覚である「旨み」が加わって「六味」になったとか。今、フランス料理はダシに興味をもっているようです。
 三つ目は、「心」で味わう食だ、と。四季があり、旬をいただく。中国で「旬」と言えば、王が家来に贈る際、その季節で一番喜ばれるものを言うそうですが、その言葉が日本列島に渡って来ると、その季節で一番美味しくて安いものに変わったわけですから、大したものです。「いただきます」と、食べ物に対して挨拶するのは和食だけ・・・でしょうね。「命」をいただくという意味ではないかと解説されていましたが、なるほど、もとはそういうことだったのかも知れません。器にもその時々の美しさがあり、心で見る世界である、と。調理(解体)には流儀がありますし、香道や茶道だけでなく、江戸の元服式では、酒の飲み方、注ぎ方、注がれ方など「酒道」もあるそうです。そして、何故、心で味わうことになったのかと言うと、俳句のせいではないかとおっしゃっていました。季語は「旬」そのもの、だと。これも、なるほどと思います。
 四つ目は、「発酵」食品の多さを挙げておられます。その数は、今のところ数え切れない、つまり、探せば探すだけ見つかるのだそうで、例えば漬物は約2000種類、漬け床も違うので、大根だけで60種類もあるらしい。新潟県のある浜には、鰯味の沢庵があり、それが実に手が込んでいて、鰯を塩で乳酸発酵させるのに3年、その鰯を80度で煮て完全に液状にした煮汁に沢庵を漬けてから2年、計5年もかけるのだとか。かたや石川県には河豚の毒抜き屋がいて、青酸カリの16倍の毒性があると言われる河豚の卵巣を3年かけて糠漬けにしているそうです。いやはや、日本人の食への欲望には驚かされます。
 最後に、「ヘルシー」であること。これも周知の通りですが、和食の主材は、根茎、菜っ葉、青果(ウリ、トマト、果物など)、山菜・茸、豆(味噌汁、納豆)、海藻、穀物(米、麦)であって、肉や魚や卵などの動物タンパクは副材に過ぎず、小泉さんに言わせれば、日本人は100年前まで菜食主義者だとか。遊牧民族と違って、日本民族は、牛や馬と同じ家に住み、人類学的には家族の扱いだというのは有名な話ですが、日本人が肉を食さないのは、仏教のせいではなく、民族の心の問題だろうと言います。
 海外では、日本人ではない料理人による“似非”和食が蔓延っています。そのオリジナルの人気の高さ故に高価でも客が入り、客単価が高くなって儲けが増えるからで、 “真性”和食と違って、私もカリフォルニアにいた頃、キムチや焼き肉も出しながら和食の看板を出すレストランの品質の低さには閉口したものですし、日本に出稼ぎに行って覚えた料理で一山当てようと頑張るアジアの人々の逞しさと健気さを見せつけられて、却って感心したものでした。しかしそれもこれも人気者の宿命と言うべきで、そんな便乗商法を野放しにすると品位を落とすと目くじらを立てるのではなく(農水省だか文科省だかが認定制度を導入しようとしたことがありました)、海外で和食に関心を持つきっかけにして貰って、やはり本物の和食は日本に行かなければ味わえないといった有り難さこそ、和食の和食たる所以・・・と鷹揚に構えるのが、ツーリズム・ジャパンのためにも良いのだろうと思います。
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伝統文化としての漆

2015-06-08 22:57:32 | 日々の生活
 実に9000年前から日本で馴染みの伝統工芸・・・ひょんことから「漆」の話を聞きました(なお「漆」と書けば「樹液」としての「うるし」であり、「ウルシ」と書けば「樹木」としての「うるし」として区別するそうです)。
 三浦雄一郎さんが80歳でエベレスト登頂するにあたって、その関係者から相談を受けた漆芸家で人間国宝の室瀬和美さんは、30ほどの漆塗りの椀を製作してあげたそうです。空気が薄く寒暖の差が激しい8000メートルを越える高地では、人間の体力年齢は倍老いるのだそうで(三浦雄一郎さんに至っては160歳!?になってしまいますが)、体力回復のため暖かい食事を提供したいという関係者の熱い思いから、漆塗りの保温力に白羽の矢が立ったという、日本の伝統工芸の凄さを思わせるエピソードです(が、三浦雄一郎さんくらいになると、人間国宝に製作して貰えるのかと、妙なところで感心してしまいました)。
 それはともかく、その漆は、9000年前の遺跡から、繊維状のものに塗ったものが見つかっているそうですし、3500年前の遺跡からは、割れた土器を接着するのに使われた形跡もあるそうです。化学性接着剤と比べても引けをとらない接着力を誇るのは、古伊万里のヒビ割れ(にゅう)を修復するのに利用され、表面に金粉をまぶして蒔絵にして景色をつくることでも知られます。
 そんな漆ですが、すっかり利用が減り、国産ウルシの生産量がガタ落ちなのだそうです。そりゃそうでしょう。今どき、漆塗りの「椀」で吸い物を飲み、漆塗りの「椀」でご飯を食べる贅沢をする人がどれだけいることでしょう。実際、ご飯を食べるのに茶碗と言って、本来はお茶用の陶磁器である「碗」を当てているのは、漢字として見ると分かるように、「木」偏の(すなわち漆塗りの)「椀」ではなく、「石」偏の(すなわち陶磁器の)「碗」であり、しかし本来は、ご飯も「椀」(つまり木製で漆塗り)で食べるものだったのだそうです。しかし、最近、重要文化財の修復に、これまで使用してきた合成樹脂に代わって、漆には漆が良いと見直され、とりわけ地方創生の掛け声とともに、漆/ウルシを広めるための「漆サミット」なるものも2011年から開催されているそうです。
 国産漆は、中国産や東南アジア産の漆に比べると、(乾燥しにくいものの、いったん乾燥すると)塗膜表面が硬くなり、透明度が高く、半艶で、接着力も強いという地域特徴があるそうです。漆芸品としても、日本では、漆で描いた文様に蒔絵粉を蒔いて更に全面を漆で塗り込めて文様が浮き出るまで表面を研ぐ「蒔絵」が有名ですが、中国に行けば、柔らかい漆を何層にも塗り込めて彫ることで文様を描き出す「彫漆」となり、さらに南に下ってミャンマーあたりまで行くと、竹で編んだ柔らかい素材に薄く漆を塗った「椀」のような、くねくね湾曲する工芸品が一般的で、そんなものに日本産の漆を塗って湾曲させたら割れてしまうだろう・・・という話です。
 以前、このブログでも、浅田次郎さんの「地下鉄に乗って」という小説を読んで、大正期の日本にはホンモノが一杯あった、それが今では身の回りはマガイモノ(合成樹脂や合成繊維など)だらけになってしまった、と慨嘆したことがありました。広く普及しないと値段が下がらない、値段が下がらないと普及しない、というジレンマはあるものの、そろそろ日本人も、モノの豊かさ(量)より心の豊かさ(質)、すなわち伝統工芸を見直し、Quality of Lifeを追求してもよいお年頃ではないかと思うのですが、どうでしょうか。
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錦織圭の全仏オープン

2015-06-03 23:41:31 | スポーツ・芸能好き
 今日は寝不足で辛い一日でした。テニスの全仏オープン第10日、男子シングルス準々決勝、錦織圭とJW・ツォンガの試合を見ていたら、なかなか彼らしさが見られなくて不満が溜まると尾を曳くもので、あと少し・・・と本領発揮を信じてテレビの前を離れられないまま深夜に及び、ようやく流れが錦織に傾き出し、なんとか勝てるか・・・と確信するに至って、ファイナル・セットを残して、2時半頃に諦めて床に入りましたが、結果は予想外の展開に・・・。1-6、4-6、6-4、6-3、そしてファイナル・セットは3-6と、フルセットの末に惜しくも敗れ去り、日本男子として1933年の佐藤次郎以来82年ぶりとなる4強入りはなりませんでした。
 ここはひとつ「風」のせいにしましょう。
 確かにツォンガは、ケガによる不調や4ヶ月の欠場期間の影響でランキングこそ15位でしたが、実力は優にトップ10レベルで、成長著しいとは言え世界5位の錦織と実力は互角、今回は完全アウェイでしたので、観客を味方につけられるだけツォンガ優位と言うべきでした。しかも精神的にも、過去の対戦成績は錦織の4勝1敗で、リベンジに意欲を燃やすツォンガの執念が勝っていたかも知れません。グランドスラム準々決勝のセンターコートで緊張感がなかったと言えばウソになるでしょうが、それよりも風です。本人の弁によると、「風があったので、早く決めたいという思いで攻め急いでしまった。(ツォンガは)バックのほうが弱いのにフォアばかり攻めたりして、自分を見失っていた感じ」で、序盤の錦織は別人のようでした。
 強風で舞う砂埃のせいで、時折、目を開けていられないといったシーンも見られ、コートの表面は荒れて、バウンドは不安定となり、ボールの上がり際をコート内に踏み込んで打つ錦織の技術は特長を出し切れなかった・・・といった論評を見かけました。さらに、無理に攻めずに、バックのスライスも効果的に使いながら風に適応したツォンガの、好調だったショットは実に重そうだと、テレビの解説者が何度も強調したように、スピンがかかって、錦織にとっては必ずしも得意の打点にならず、押し込まれて無理な体勢で強打することでミスに繋がったと言えるかも知れません。
 しかしスポーツは何があるか分かりません。プロ野球でも雨で中断した後、形勢が逆転することがよくありますが、第2セットを2-5とリードされたところで、スコアボードを鳩のフンから守るために取り付けられていたというアルミ板が強風で飛ばされて怪我人が出たため、40分ほど試合が中断するアクシデントに見舞われ、再開後は、そのセットこそ4-6で取られたものの、続く2セットは錦織ペースで巻き返し、明らかに流れは錦織に傾き始めたものでした。彼はこう述懐します。「中断中にコーチから作戦ができていないことを指摘されて我に返った。あれがなければ、もっと早く負けていたかもしれない」。
 良くも悪くも「風」のせいでした。四回戦では、試合前に「雨」で待たされ、試合中も「雨」の中断で待たされて、集中力を乱されかねない状況が多々あったにもかかわらず、よく集中できていましたし、「雨」が降るとクレーコートは重くなり、スピードを吸収して遅くなるところ、「体幹を鍛えてきた圭はバランスを崩しながらも、しっかりと処理していた」(松岡修造氏談)のでしたが・・・。
 3時間50分の激戦の末、アンフォースト・エラー(凡ミス)は52(対するツォンガは37)にも達する一方、ツォンガには、サービスエース10、ウィナー44を奪われ、ブレークポイントは19回握られ、内、6回も取られたように、「風」をはじめとする諸条件のもとで競り負けました。間もなく始まる全英では再起を期して欲しいものです。
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日豪関係

2015-06-01 23:36:00 | 時事放談
 良好な日豪関係を象徴するような記事を見かけました。「シドニー湾で追悼式」と題する本日付の日経夕刊記事です。
 一般には余り知られていませんが、今から73年前の1942年5月31日、太平洋戦争のさなか、旧日本海軍の2人乗り潜航艇(全長約24メートル)3隻がシドニー湾に侵入し、6月1日未明に魚雷攻撃を行い、豪軍艦の21人が死亡したという事件がありました。潜航艇3隻はいずれも自沈または撃沈され、うち2隻は引き揚げられて、首都キャンベラにある豪戦争記念館に展示されているそうです。そして、73年目の今日、日豪双方の犠牲者の追悼式典が、豪政府主催で、シドニー市内の攻撃地点に近いガーデンアイランドのクッタバル基地で開催されたというものです。同基地のレベッカ・ジェフコート司令官は挨拶の中で、「この事件を知る者は少なくなったが、風化させてはいけない。亡くなった日本人搭乗員らの勇気も決して忘れない」と哀悼の意を表したと言います。
 7年前、家族でキャンベラの戦争記念館を訪れ、潜航艇から引き揚げられた日章旗や身の回りの品を見たことがあります。その解説ボードには、日本の小型潜航艇が狙っていたのはアメリカ海軍の重巡洋艦「シカゴ」だった、とありました。そのあたりの認識もあるせいかどうか、Wikipediaには、以下のような経過が紹介されています。

(引用)
 自爆した2隻の特殊潜航艇は6月4日、5日に引き上げられ、9日にイギリス海軍から派遣されていたシドニー要港司令官ジェラード・ミュアヘッド=グールド海軍少将は乗員4名(松尾大尉・中馬大尉・大森一曹・都竹二曹)の海軍葬を行った。(中略) 戦時中に敵国である大日本帝国の海軍軍人に鄭重な礼を尽くすことには、オーストラリア国民の一部から批判があったが、装甲の薄い小型の特殊潜航艇で港内深くまで潜入し、敵に発見されるや投降することなしに自沈する松尾大尉らの勇敢さに対し、グールド少将は海軍葬で礼を尽くし、葬儀のあとラジオで演説し、毅然として豪州国民に訴えた。その弔辞の一部が今も伝わっている。
 「このような鋼鉄の棺桶で出撃するためには、最高度の勇気が必要であるに違いない。これらの人たちは最高の愛国者であった。我々のうちの幾人が、これらの人たちが払った犠牲の千分の一のそれを払う覚悟をしているだろうか」
(引用おわり)

 敵ながら天晴れ、というような騎士道(あるいは武士道)の精神が、軍人にはしばしば見られます。当時の戦争観は、今のように正戦論華やかではなく、むしろ喧嘩両成敗(正義はいずれにもあり)の意識の下で、戦争は、クラウゼヴィッツが言うように「他の手段をもって継続する政治の延長」であり、軍人は政治とは別の次元で(つまり好んで戦うわけでもなく)、ルールに則って戦うことを宿命づけられた存在だから・・・なのかも知れません。戦争という不幸な出来事の中で、敵国同士でも、このように相手の勇気を称えることがあるというのは、人として救われます。そして73年経って、敵国同士が双方の犠牲者を共に追悼する関係になり得ることにも、やはり救われます。
 かたや日本と共に戦ったにも係らず、ある時は「1000年経っても加害者と被害者の立場は変わらない」と加害者・被害者の関係をでっちあげ、またある時は図々しくも戦勝国の地位を要求(サンフランシスコ講和条約のときは米・英から拒否、日韓基本条約のときは日本から拒否されましたが)する国もあれば、国民党の陰に隠れて戦力を温存しながら、日本との関係では勝敗はつかなかったにも係らず、内戦で国民党を台湾島に追いやり、すっかり勝者ヅラする国もある・・・この違いは一体何なのかと愕然とさせられます(苦笑)。
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