風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

体制間競争

2023-10-27 00:00:41 | 時事放談

 前回に続き、ウォルター・リップマン著『世論』(1922年)から拾い読みする。

 独裁制が機能するためには「危機感」が欠くべからざる条件であり、民主主義が機能するためには「安全感」が必須の条件だと言う(下巻P108~109)。

 それは、例えば北朝鮮を見れば明らかであろう。金正恩政権は、自力での経済成長が叶わず、さりとて国を開放するほどの勇気はなく、貧しさに喘ぐ人民の不満を逸らすために、アメリカによる核攻撃という空想的な危機を自作自演し、核開発やミサイル開発を正当化している。

 中国も、安定的な高度成長が叶わなくなって、チャイナ・ドリームを掲げて民族意識に訴え、社会不安を抑えるために抑圧的になり、人民の不満が昂じれば、福島原発処理水の海洋放出のように、はたまたかつての反日暴動のように、日本を外敵に見立ててガス抜きを図る(それが歯止めが効かなくなり、矛先が反体制に向かう前に、沈静化を図る)。共同富裕のために行き過ぎた市場経済を制御し、他方で反スパイ法や諸外国内で警察機能を発動するような違法行為まで犯して、社会統制(アメとムチ)に心を砕く。

 ロシアにしても、NATOの東方拡大(真実は、フィンランドやスウェーデンのように東欧諸国の西方への駆け込みであろう)やウクライナ政権のネオナチ言説はただの言い訳で、真の懸念はカラー革命のような体制転覆リスクであり、ベラルーシとウクライナをヨーロッパとの間の緩衝地帯とするべく、ウクライナへの傀儡政権樹立を画策したのだろう。思惑は外れ、泥沼の(ロシア曰く)“軍事作戦”に搦めとられ、国内にあっては欧米による侵略だと危機を煽り、世界の食糧問題を欧米のせいにする。

 ことほど左様に、昨今の国際社会の政情不安は、権威主義体制における統治の脆弱性にある。

 だからと言って、民主主義体制も盤石ではない。そもそもジャン・ジャック・ルソーは、コルシカ革命をはじめ、民衆による統治は限定した人口の地域においてのみ有効で、18世紀中葉のフランスのような大国に適用できるとは考えていなかった。古代アテネや中世イタリアで民主制が実現したのも都市国家であった。アメリカ建国の父たちも、所詮はイギリスの立憲主義に範をとったフェデラリストであって、民主主義そのものを志向していたわけではなかった(その後、ジェファーソンやジャクソンが革命的な施策を講じていくのだが)。産業が高度化し価値観が多様化した現代社会にあって、真の意味での民主主義を実現するのは容易ではない。主権を担う国民に、異なる価値観や異見を受け容れるだけの器量がないからだ。そして、中国やロシアは、世論戦・情報戦を展開して(とりわけ欧米の)社会の分断を煽り(日本も煽られていると思うが、気づいていないだけではないか)、自らの体制の相対的優位性を際立たせようとする。こうして見ると、自由民主主義社会では、ある程度、共通の理念や理解があってこそ、意見の相違を調整し社会の安定が保たれるのであって、ウォルター・リップマンの言う通り、「危機感」とは対極の「安全感」が基本的な条件なのであろう。

 体制間競争と言われて久しいが、今後、影響力を増すグローバルサウスは、価値観を議論できるほどの豊かさにはほど遠く、西側・自由民主主義体制と中・露・イラン・北朝鮮の権威主義体制との間で、経済的利益を引き出すべく現実主義的な行動を貫くことだろう。

 国際社会は間違いなく流動化する。

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進歩しない歴史

2023-10-24 23:11:02 | 時事放談

 ロシアのプーチン大統領は、5日にソチで開催された恒例のバルダイ会議で次のように語ったそうだ。「ロシアは2014年からウクライナ東部のドンバスで続く紛争を終わらせるために特別軍事作戦を開始した」 「ウクライナでの“戦争”を始めたのは我々ではない。逆に我々は(戦争を)終わらせようとしている」 「ウクライナ危機は領土対立ではない。それをはっきりさせておきたい。ロシアは領土面積で世界最大の国であり、我々は新たな領土の征服には関心がない」 毎度の独善的なレトリックである。それで東・南部4州を「併合」しているのだから、世話ない。

 ある本を読んでいると、昔の本なのだが、今のロシアのウクライナ侵攻や中国の覇権的な海洋進出を説明するかのような記述があって、面白く思った。長くなるが引用する(一部、「てにをは」の類いを改めた)。

(引用はじめ)

 ある国(某国と呼ぶ)でこういうことがあった。外務省、最高首脳、そして殆どの言論機関を牛耳る軍部が、隣接する数ヶ国の領土の請求権を主張した。(中略) 彼らは要求地を分割するべく、それぞれの地域について、自らの行為を正当化するため、彼らの同盟諸国や諸外国が反発しにくいと思うような諸原則を持ち出した。

 第一の地域は、たまたま外国の農夫たちが住む山岳地帯だった。某国は、その国の自然の境界線をきちんと守るように要求した。しかし、ここで言う自然とは何だろうか。その説明し難いものの真の意味に長いこと注意を集中していると、外国人の農夫たちの姿は霧の中に溶けてなくなり、山々の斜面だけが見えて来るのだった。

 二番目の地域は、某国民の居住地だった。如何なる国民も外国の支配下に生きるべきではないという原則に基づいて、これもまた併合された。

 次はかなり商業的に重要な一都市であったが、某国人は住んでいなかった。しかし、かつて某国に属していた地域であったために「歴史的権利」という原則に従って、これも併合された。

 更に、外国人の所有で外国人が労働に従事しているすぐれた鉱山があった。これは損害賠償の原則によって併合された。

 その次の地域は、ほぼ外国人が居住し、自然の地理的境界線から言っても他国のものであり、歴史的にも某国に属したことは一度もなかったが、某国に統合されていたことのある州の内の一つが、かつてそこの市場で取引を行っていたことがあった。そのためこの地域の上流階級は某国風の文化生活を営んでいた。そこで文化の優先と文明擁護の必然性という原則に基づき、その地方に対して領土権が請求された。

 最期に、ある港があった。そこは地理的に、人種的に、経済的に、歴史的に、伝統的に、某国とは全く関係がなかった。しかし国家防衛上不可欠だからという理由で請求がなされたのである。

(中略)このような原則は極めて欺瞞と絶対性とに満ちており、そうしたものを用いたこと自体が既に和解の精神が行き渡っていなかったこと、従って平和の本体が空疎であったことを示していた。工場、鉱山、山、更には政治的権威について議論するとき、それらを不変の原則のどれかにぴったりの例として語り始めた途端、それは議論ではなく戦いになる。

 そうした不変の原則なるものはあらゆる異論を除外し、問題点を背景の前後関係から切り離し、その原則には相応しいが、造船所、倉庫、土地には全く相応しくないある種の強い感情を人の心に起こさせる。そして、人がひとたびその気分で動き出すと留まることは出来ない。そこに本当の危険がある。それに対抗するには更に絶対的な原則に訴えて、攻撃に晒されているものを弁護せねばならない。次いで、弁護のために弁護し、緩衝帯を設け、その緩衝帯のために緩衝帯を設け、ついには事態全体の収拾がつかなくなって、議論を続けるより戦った方が危険が少ないように思われる。

(引用おわり)

 これは、101年前に出版された、ウォルター・リップマンの古典的名著『世論(Public Opinion)』(手元にあるのは岩波文庫1987年版)からの引用である(上巻P177~180)。強国は何かと言いがかりをつけて、それを不変(普遍)的な原則に基づくかのようにもっともらしく装いながら、弱小国を侵略する、言わば帝国主義的な状況を説明したものだ。今もなお、ウクライナ侵攻でロシアが主張する歴史的・民族的一体性は「極めて欺瞞と絶対性とに満ちて」おり、対抗する欧米(NATO)はウクライナの国家主権と領土の一体性という、これもまた不変の原則を盾に後方支援し、「議論ではなく戦いになる」。

 この本が出版された当時は、大衆社会が現出し、それまでは限られた職業外交官や職業軍人の技術であった外交や戦争が大衆化し、国民感情に左右されて望んでもいない戦争(第一次大戦)に突入し、妥協が許されないまま泥沼化して、総力戦に疲弊していた。1922年はいわゆる戦間期にあたり、平和を希求する時代精神(あるいは厭戦気分)に充ち満ちていたときで、国際連盟やパリ不戦条約などに結実し、人類は初めて戦争(侵略戦争)を違法化することに成功した。歴史は確実に「進歩」していると思われたはずだ。そのときの講和に失敗し、再度の世界大戦を招くが、戦後は国際連合にリニューアルし、国際社会は再び不戦を誓った。そのような中で、世論(public opinion)の重要性を認識するウォルター・リップマンは、学者ではなくジャーナリストを選び、「真実」の報道を通して大衆民主主義社会を適切に導く道を志す。事実上の現代地政学の開祖とも言われるハルフォード・マッキンダーの古典的名著『デモクラシーの理想と現実(Democratic Ideals and Reality)』が出版されたのが、ほぼ同時期で、その3年前だったという意味で、感慨深いものがある。

 権威主義体制の困ったところは、中国にあっては(自身曰く)五千年(正確には二千年)、ロシアにあっては五百年もの間、「進歩」が見られないことにある。欧米や日本は、先に述べたように多少なりとも進歩的な歴史観を持ち、歴史に学んで野蛮さを脱し、心掛けを改めてポスト・モダンを生きるが、彼らは十年一日と言わず、それぞれ五千年、五百年のスパンでメンタリティが変わっていないのである。プーチンが見習うのは二次にわたる戦争を経た国際法ではなくピョートル大帝やエカチェリーナ2世であって、ウクライナ侵攻によって日米欧に冷や水を浴びせ、18世紀の土俵に引き戻してしまったのだった。

 確かに、かつて戦争は正義と正義の戦いであって、正と邪の戦いではなかった。日米欧は彼らから歴史の報復を受けるのであろうか。人類は(かつてビスマルクが言ったように)賢者として歴史に学ぶことが、出来ないのだろうか。

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藤井 八冠独占

2023-10-21 13:30:11 | スポーツ・芸能好き

 旧聞に属するが、先週木曜日(10/12)の日経朝刊一面トップに藤井総太七冠が王座戦を制した記事が掲載された。このブログ・タイトルは、その記事のタイトルをそのまま頂戴した。将棋好きの経済人は多いかも知れないが、それにしても経済新聞ともあろうものが何故!?と思ってしまうが、その横に「沈む日本に『Zの衝撃』」と題する解説記事が併せて掲載されており、ポイントはそこにあるようだ。

 「沈む日本」とは穏やかではない(が、この方が注目を集めるのは確かだ)。正確には「停滞する日本」と言うべきで、失われた30年以上もの間、他国は成長を続け、結果として日本は「相対的に」沈んだ。記事は、坂口安吾の「散る日本」という作品を引きながら、Z世代の台頭が、沈む日本と日本人を異様なまでに刺激していると言う。圧倒的な実力差で史上初の八冠独占という快挙を成し遂げたZ世代の誕生の秘密をオトナたちの誰もが知りたがり、日本の突破口に繋がる「解」を導けるか、こうした革命児と「共振」出来るか、と問うている。彼より年上である殆どのビジネスパーソン、とりわけ親子ほどの歳の差がある管理職クラスを挑発し、喝をいれる(余計なお世話だが)。

 ところで、敵に囲まれた中東でハリネズミのように鉄壁の防護を誇ると思われていたイスラエルが、ハマスの突然の攻撃の前に、意外に脆かった。イスラエルには三つの隙があったと日経は報じた(10/11付)。近隣情勢について、ハマスより高い戦力をもつヒズボラを警戒する一方、ハマスは2年にわたって大規模な軍事行動を控え、新たな攻撃の意思がないと見誤った。技術面で、世界有数のサイバー技術をもつ余りシギントに頼り過ぎ(ハマスは全世紀型のアナログな方法で連絡を取り合っているらしい)、アイアン・ドームなる強力な防空システムを誇るも、僅か20分の間に数千発ものロケット弾を撃ち込まれると、多くを迎撃できなかった。そして、政権は最近の内政の混乱に気を取られ過ぎてしまっていた、と。

 また、軍事力では世界有数で最強の陸軍を誇るロシアも、ウクライナへの“特別軍事作戦”に手こずり、意外な脆さを露呈した。開戦の数か月前から(部分的には数年前から)欧米はウクライナをサイバー防護や軍事面で指導し、ハイブリッド戦への備えが出来ていたようだ。一方のロシアは2014年のクリミア併合が余りにあっけなくスムーズに事が運んで慢心していたのだろうか。決定打もなく、21世紀の今、第一次大戦を彷彿とさせる塹壕戦を展開する有様である。

 いずれも、私たちの思い込みを嘲笑うかのようである。

 それに引き換え、サバを読んでZ世代に含めてもいい大谷翔平は、二刀流を、さも二兎を追ったら一兎も得られないと言わんばかりの批判に晒されたが、そんな永年の人々の思い込みをものともせず、年々、進化を遂げて、投・打のそれぞれで傑出した実力を発揮し、とうとう日本人の常識を破るメジャー本塁打王を獲得した。

 また、藤井八冠の師匠・杉本昌隆八段は、彼の目標は「将棋の真理に近づくこと」だと言われる。「目標を達成した、などとは微塵も考えていないはずだ」と。藤井八冠はAIネイティヴ世代と言えるかも知れない。彼が研究に活用する将棋ソフト「水匠」は1秒間に1億手近い候補手を読むことができるそうだが、網羅的に手を調べるからであって、ピンポイントに良い手だけを読む人間的な大局観は時にAIを超えることがあると言われる。とりわけAI的には良くなくても、相手のミスを誘うような手を選んで大逆転を演じたことが何度かあったようだ。ひたすら最善手を探し求めるAIとは違い、人間同士の戦いだからこそ泥臭さもある将棋の世界の奥深さであり真理でもあるのだろう。

 冒頭に引いた日経解説記事は、次のように締める。「かつて、この国に敗戦を招いた形式主義や精神主義を、(坂口)安吾は『日本的幽霊』と呼んだ。幽霊はまださまよっている。」 確かに、藤井八冠にしても、大谷にしても、これまでの思い込みや形式に囚われることはない。かつてイチローは、ヒットになっても必ずしも喜ばず、アウトになっても納得したことがあった。記録は後から付いて来るもので、イチローは常に「内容」にこだわっていたのだった。藤井八冠も、此度の王座戦三戦目に勝って浮かない顔をしていた。彼もまた勝負の結果より「内容」にこだわるからだろう。

 かつてアメリカの作家ジョン・スタインベックは、「天才とは、山の頂上まで蝶を追う幼い少年である(Genius is a little boy chasing a butterfly up a mountain.)」と語った。彼らの本当の凄さは、記録に拘ることなく、ただ只管、将棋なり野球なりの世界の真理を究めんと夢を追い求める、求道者としてと言うより(イチローにはそういうところがあったが)、将棋少年や野球少年であり続けられるところにあるのではないだろうか。そしていつの間にか世界の頂上に達している。その態度は、必ずしもZ世代だから、というわけではないところに救いがあるようにも思う。

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昴になった谷村新司

2023-10-17 02:09:32 | スポーツ・芸能好き

 「昴になられましたね」とは、イルカさんの言葉。アリスのリーダーでシンガーソングライターの谷村新司さん(以下、敬愛を込めてチンペイと呼ぶ)が、今年3月に急性腸炎の手術を受けて療養を続けておられたが(とは不覚にも知らなかったが)、今月8日に亡くなっていたことが今日、事務所から発表された。葬儀は近親者のみで昨日、執り行われたという。享年74。

 戒名は「天昴院音薫法楽日新居士」で、「昴」の文字が入っている。事務所によると、「日本語の精神文化を大事に、歌詞を紡いできた」 「天にある星となって私達を照らし続けてくれる事だろう」との思いが込められているようだ。昨年、活動50年の節目を迎え、アリスの記念ライブ『ALICE GREAT 50(FIFTY)』を有明アリーナで開催し、ベーヤン、キンチャンと共に、ここからリスタートして10年続けようと目標を立てて、今年6月から全国ツアー「ALICE 10 YEARS 2023 ~PAGE1~」がスタートする予定だったが、延期が発表されていた。三人揃ってのツアーはもはや叶わぬ夢となってしまった。

 私にとっては、音楽界の巨星である。まさに、巨星、堕つ。学生時代、アリスのコピーバンドを組んで、大学一年の秋、サークル活動を共にしていた京都の某女子大の学園祭の舞台に恥ずかしげもなく立ち、チンペイとベーヤン役でそれぞれ「秋止符」と「南回帰線」を披露したのだった(今思うと若さとはなんと恥ずかしいことだろう)。

 更に遡ると、高校二年の修学旅行で芸能大会があり、陸上部だった私は何の因果か軽音の友人と即席バンドを組んで、「帰らざる日々」と「酒と泪と男と女」(大阪やな・・・)を歌い、芸能大賞を貰ってしまったのだった。勘違いはあの時、始まったのか・・・それはともかく、チンペイの歌声には、えも言われぬ艶があった。日本的な抒情あふれる歌詞を紡ぐ感性にも、多大なる影響を受けた。壮大な「陽」としてのイメージがある「昴」や「サライ」は国民的な楽曲として、これからも歌い継がれるだろうが、私はどちらかと言うと、青春時代の屈折した思いをぐっと吞み込み、強がる背中を見せるような「陰」の楽曲の数々に惹かれる。

 そんな声の艶と言い、歌詞を紡ぐ感性と言い、音楽活動だけではなく、ラジオのパーソナリティでも遺憾なく発揮された。噂では聞いていた文化放送の「セイ!ヤング」や「青春大通り」「青春キャンパス」は大阪まで電波が届かなかったが、高校生の頃、MBSの深夜放送「ヤングタウン」(1978~86年、金曜日)を聴きながらの「ながら族」で、ともすれば折れて潰れそうになる受験生の気持ちを支えて貰ったものだった。ばんばんと佐藤良子さんとの軽妙なトークは、大人のガキっぽさや悪戯っぽさに溢れて、成長期の人格に大いなる刺激を与えて頂いた。まっとうでなくなったのではなく、まっとうでないなりに生きる術を、元気を、与えて頂いたのではないかと思う・・・

 子供心に、素敵に年齢を重ねるお手本の最初は、チンペイだったように思う。その姿は、2018年にアリスの三人で復活した「ヤングタウン金曜日」(東京にいる私は、今やYouTubeで聴くことが出来る)でも変わるところはないが、もはや目に、耳に、することは出来なくなってしまった。盛者必衰の理を知りつつも、あって当たり前のものがなくなってしまう喪失感・・・しかし、チンペイの音楽は未来永劫、私たちの心の中に生き続ける。なんと幸せなことだろう。感謝をこめて、合唱。

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原辰徳監督の勇退

2023-10-08 15:58:58 | スポーツ・芸能好き

 読売巨人軍・原監督が退任された。今季は3年契約の2年目で、最終年を待たずに身を引くことになった。

 振り返れば、私が東京ドームに最後に足を運んだのは2001年9月30日(横浜戦)のことで、その二日前の電撃発表の結果、期せずして長嶋監督(当時)の引退セレモニーが行われたのだった。一つの時代の終わりを画する出来事だったと言ってもよい。その翌年から、既定路線ではあったが、原さんが監督として指揮を執られた。

 私が子供の頃、大阪に住んでいながら巨人ファンになったのは、テレビ中継で巨人戦を見慣れていたからであり(阪神戦はサンテレビで映りが悪かった)、スーパースターのONがいたからでもあった。その一角の王さんが引退された翌年に原さんが鳴り物入りで巨人に入団し、当初、二塁を守っていたが、三塁の中畑清さんが故障して、かつて長嶋さんが守るホット・コーナーと言われた三塁が原さんの定位置になった。当時はまだ「球界の盟主」「常勝・巨人」と言われ(今は見る影もなく、あるとすれば埃にまみれたプライドだけだが 苦笑)、その中で、長嶋さんが語ったように、「スターというのはみんなの期待に応える存在。だが、スーパースターはその期待を超える働きをしなければならない」という宿命を背負ってのスタートだった。確かに、一人の選手としてはまずまずの成績を残したが、スーパーと呼ぶには物足りなかった。そして監督としても長嶋さんの後を継ぎ、長嶋さんの通算15年(1982試合、1034勝、リーグ優勝5回、日本一2回)を超える、通算17年(2407試合、1291勝、リーグ優勝9回、日本一3回)の戦績を残し、長嶋さんと同じ65歳での勇退となった。背番号83は、原さん自身の現役時代の8と長嶋さんの3を掛け合わせたものだと言われるが、選手としても、監督としても、常に大先輩であるONの影を引き摺りながらの野球人生だったように思う。巨人ファンとして、心からその労をねぎらいたい。

 実際にインタビューで、長嶋さんのように、何を言っているのかよく分からないところもあったし(笑)、高校、大学、そしてプロ入り後もスター街道を歩んできたのに、心に秘めたガッツと温かさがあった。次のエピソードは原さんらしさを示す好例であろう(10月4日付 東スポWEB)。

(引用はじめ)

 大学4年のときだった。東海大グラウンドに東大を招き練習試合を行った。ダブルヘッダーの1試合目の1軍戦で大差で圧勝した。2試合目との間に構内の大広間で昼食をとる東大ナインにあいさつにいくと、参考書を手に昼食をとっていた。「こんなときまで勉強するのかと。すごいなと。同じ学生としてこの光景を見てこてんぱんにやられた気持ちだった。自分が恥ずかしくなった」と当初2軍選手が出場する予定だった2試合目も志願して出場した。

(引用はじめ)

 監督としての実力には毀誉褒貶、相半ばする。一期目の一年目は松井秀喜、高橋由伸、阿部慎之助、上原浩治、桑田真澄、工藤公康など錚々たるメンバーが揃い、長嶋さんの遺産のお陰だと言われた。二期目はリーグ三連覇を二度達成したが、小笠原道大、谷佳知、アレックス・ラミレス、セス・グライシンガー、ディッキー・ゴンザレス、村田修一、杉内俊哉、大竹寛・・・など各球団の大物をFAで次々に獲得する大型補強のお陰でもあった(もっとも、それを使いこなしてこその勝利ではあったが)。2019年からの三期目の監督就任にあたっては、山口オーナーに「好きにやらせてほしい」と条件を付け、事実上、編成面も掌握する“全権監督”となった。ところが蓋を開けたら、復帰1~2年目にリーグ連覇を果たしたものの、日本シリーズでソフトバンクに2年連続で4連敗を喫する屈辱を味わうことになった。人気のセ、実力のパと言われて久しいが、想像以上にセ・パの実力差が開いていることを痛感させられたものだ。選手の育成面で明らかに見劣りしていることが影響したのだろうか、21年以降は補強を抑えた我慢の采配が続く。21-22年には連続負け越し、22-23年は同一監督のもとで連続Bクラスとなる、巨人史上初めての屈辱である。投打ともにポジションが固定せず、継投ミスも多く、我慢が足りないとも批判された。

 今年最後の三試合は三連勝で締めて、3年連続でシーズン負け越しとなるのを阻止したが、18年ぶりに優勝した首位・阪神には6勝18敗1分、2位・広島には8勝17敗と、圧倒的な力の差を見せつけられた。チーム打率と本塁打数こそリーグトップだったが、4年連続して3割打者が不在で、本塁打を畳み掛けて勝利をもぎ取ることはあっても、安定した勝利の方程式は見出し辛かった。それでも、今季最終戦では、山崎伊が9回を僅か2安打に抑え、プロ初完封、自身初の2桁勝利となる今季10勝目(5敗)を挙げた。我慢したような、しなかったようなここ数年で、若い芽が芽吹きつつある。

 世代交代は世の流れである。既定路線でバトンを引き継ぐ阿部慎之助は、就任時に次のように語った。

「ジャイアンツは強くなければならない。優勝を自分でも意識して口にしていきたい。そして若手に勝つ喜び、優勝する喜び…すべてを感じてほしい」

「ファンの皆さまには残念な思いをもうさせない。巨人軍には最高のファンがついている。最高のファンの皆さんとともに、喜びを(現役時代の登場曲にかけて)セプテンバーに味わえればうれしい」

「今年は“アレ”で盛り上がったが、来季は“アレ”ではなく“アベで!”いきたいと思います」

 なんとなく昭和の系譜を引きつつも、捕手目線で投手力を建て直し、新たな時代を築いて欲しい。

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大谷翔平の本塁打王

2023-10-03 02:08:32 | スポーツ・芸能好き

 日経は今朝、速報メールを流した上、夕刊一面の隅の方ではあったがカラー写真入りで祝福した。日本人ビジネスパーソン、とりわけ異国の地で活躍される駐在員には期待の星だったことだろう。私がアメリカに駐在していた頃は、野茂英雄投手が孤軍奮闘し、いろいろ文化ギャップで悩む私には、彼の活躍が誇らしく心の支えだった。

 残り何試合で二位以下に何本差というカウントダウンが始まって、比較的余裕で最終日を迎えたが、本塁打王という、体力差をものともしない日本人初の快挙には、感慨一入である。日本人の個人タイトルではイチローの首位打者(2001・04年)や最多安打(2001・04・06~10年)という先行事例があり、それはそれで歓喜したものだが、アメリカ人にはどうしてもイチローの小ぶりのヒットより大味の本塁打一発に重きを置く意識が垣間見えて口惜しい思いをした。実際にあのゴジラ・松井秀喜ですら、試合前のフリー打撃でA・ロッドやゲーリー・シェフィールドのパワーを間近に見せつけられて飛距離で勝負はできないと悟らされたのだった。

 大谷は、今季からチャンドラー社製のバットに変更し、重さ32オンス(907グラム)はそのままで、長さを33.5インチ(85.09センチ)から34.5インチ(87.63センチ)に1インチ伸ばした上、ヤンキースのジャッジのモデルを参考に、バットの先端付近に重心を移したそうだ。そうすれば遠心力が働いて飛距離が伸びる。さらに反発力が上昇するよう、素材をカバノキ科のバーチから、より硬いカエデ科のメープルに変えたそうだ。「大谷選手の日本人離れした体格と鍛え抜かれた肉体があるから扱える」(同社の日本の取扱代理店)と指摘される。そして、今年の平均飛距離は、昨年の124.3メートルや一昨年の126.8メートルを上回る128.5メートルを記録した。野球漬けの生活で、私たちの目には触れないところで進化する様々な努力が続けられているのだろう。

 9月は僅かに3試合に出場しただけで本塁打ゼロでの本塁打王は1974年のディック・アレン(ホワイトソックス)以来49年ぶり史上3人目の珍記録だった。投手を務めながらの本塁打王は1918-19年のベーブ・ルース以来104年振りだという。

 44本塁打のほか、325塁打、78長打、出塁率.412、長打率.654、OPS1.066と、6つの項目でア・リーグ・トップの数字を叩き出した。この内、長打率とOPSは両リーグを通じてトップである(ついでにユニホームの売上ランキングでも日本人選手で初めてメジャートップだった)。ア・リーグMVPに輝いた一昨年オフには、シルバースラッガー賞やエドガー・マルティネス賞、各誌の最優秀選手賞など10冠に輝いた。今年もア・リーグMVPが確実視され、一体、どれだけの栄冠を手にすることになるのか、楽しみは続く。

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