風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

政治家を嵌めるには

2016-01-30 23:21:17 | 時事放談
 甘利明経済再生担当が、週間文春(1月21日号)が報じた本人と秘書の金銭授受を認め、辞任した。その日の夜、たまたま報道ステーションを見るとはなしに見ていたところ、MCの古館さんが鬼の首を取ったような“したり顔”で、政治とカネの問題を論じて、見るに堪えなかった。しかし私は、どうにも胡散臭さが感じられて、腑に落ちないので、今回は敢えて差し障りのあることを書く。その違和感にはいろいろある。
 先ず、UR(独立行政法人都市再生機構)の道路用地買収に関して「口利き」を行い、業者から多額の金品を受領したということだが、これだけ政治資金規制が厳しいご時勢で、甘利さんほどのベテラン議員が、今どきこれほど絵に描いたような古典的な「口利き・あっせん利得」で引っかかるとは、とても思えないからだ。しかも状況証拠が揃っていて用意周到でもある。「あっせん利得処罰法」は、国会議員等の政治家が、行政機関等に「口利き」をして金品を受け取る行為を処罰する法律で、政治家と行政との腐敗の象徴としてかねてから批判されてきたもので、事実だとすれば、ともかく悪いことは悪いのだが。
 そしてこれをきっかけに、普段は何をやっているのかよく分からない野党議員が、ここぞとばかりに腕まくりして責任追及に名乗りを上げているのもまた片腹痛い。政治とカネの問題も重要だが、もっと他にやることがあるだろうと言いたくなる。
 更に週刊誌の中ではどちらかと言うと信用して来た方の部類に入る週刊文春に、今回ばかりは商業ジャーナリズムのはしたなさを感じてしまう。かつて文春の記者として働き、今は某大学教授の椅子におさまる人が、当時を振り返って「毎週、人気投票されているようなものだった」、「どうせ三日で店頭からなくなるのだから、好きなように書け(つまり、売れるものを書け)と言われたものだ」と冗談交じりに語ったものだった。自由な市場経済の宿命であろうが、なんぼなんでもジャーナリズムのモラルもあろう。
 当初、TPPの最大の功労者と言える甘利氏の足を引っ張るヤカラ(例えばTPPで立場が不利になると言われる関係者など)のせいかと疑った。それにしてはタイミングがいまひとつ。そうしたら実は今回は筋が悪い話なのだと人づてに聞いた。告発した人は初めから脅迫目的で近づき、贈賄と収賄の時効の差(3年と5年)を利用して贈賄の時効成立後に実際に脅迫し、甘利氏側が応じなかったものだから、脅迫した通りに週刊誌にバラしたのだというのである。どうせ私が入手する情報だから、通常はロクなものではないのだが、今回ばかりは信憑性が高い。もしそうだとすると完全に嵌められたことになる。とは言え、甘利氏側(特に秘書)の脇が甘かったのは間違いない。
 贈賄より収賄の時効が長いのは、時代劇によく見られるように、政治家や役人が口利きやあっせんの見返りに金品を要求するケースが多いからであろう。そして、時代劇で「おぬしも悪よのう」などと言われ、政治家や役人とつるむ商人がいるように、少し前までは、民衆の側にも政治家や役人や更には町の顔役などを頼む習性がごく普通にあったのもまた事実である。しかし、報道ステーションのMCの論理では、権力は常に悪、民衆は常に弱くて善、といった単純な図式がビルトインされていて疑う余地はないのであろう。今回はいつもの時代劇とは逆のパターンだが、さて、現代の当山の金さんは現れないものか。
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大相撲と国際化

2016-01-29 00:26:34 | 日々の生活
 週末のもう一つの話題は大相撲だった。
 琴奨菊が優勝したことを、私も日本人として素直に喜んだように、世間も注目していたようで、千秋楽の平均番組世帯視聴率(午後5:00~6:00)は24.0%と、同じNHKの「真田丸」初回(10日放送:19.9%)や第二回(17日放送:20.1%)を越えたらしい(まあ、大河ドラマと比べるのはどうかと思うが)。日刊スポーツは「SMAPから1面奪った 琴奨菊 初V」という見出しをつけたほど、暫くSMAPで食い繋いで来た、冬枯れのスポーツ新聞も久しぶりに沸いた。
 私はてっきり「日本人」力士として2006年初場所の栃東以来10年振りの優勝かと思っていたら、そうではなくて、正確には「日本出身」力士として、ということらしい。「日本人」としてならば、モンゴルから帰化した「日本人」の旭天鵬が2012年夏場所に優勝しているから、3年8ヶ月ぶりの優勝になるのだそうだ。全国紙5紙(朝日・読売・日経・毎日・産経)の翌日朝刊のうち、「日本人」旭天鵬が2012年に優勝したことに触れていたのは読売新聞だけで、日経を購読する私は、当然のことながら、ネットで知ってビックリした次第。
 それではこの10年間、誰が優勝したのかと言うと、白鵬(35回)をはじめ、朝青龍(10回)、日馬富士(7回)、鶴竜(2回)、照ノ富士(1回)と、モンゴル勢が計55回で圧倒的、残り3回をブルガリアの琴欧洲とエストニアの把瑠都と「日本」の旭天鵬が分けている。10年ぶりの「日本出身」力士の優勝について、理事長は「今までモンゴル力士が頑張って大相撲を盛り上げてくれた」と話したといい、横審委員長も「世の中が国際化している中で、日本人にこだわる必要はない」と語ったというが、優勝回数だけ見るとモンゴル勢が95%と、モンゴル勢が頑張っているのはその通りで誰も否定しないにしても、明確に国際化していると言えるかと言うと甚だ疑問だ。念のため初場所の幕内力士42人の出身地を調べてみると、外国人力士は、モンゴル8人(白鵬・日馬富士・鶴竜・照ノ富士・逸ノ城・旭秀鵬・玉鷲・貴ノ岩)と最多なのは当然として(それにしても8人もいるとは思わなかったが)、ジョージア2人(栃ノ心・臥牙丸)、ブルガリア(碧山)/ブラジル(魁聖)/エジプト(大砂嵐)/中国(蒼国来)/ロシア(阿夢露)各1人と、意外にもいつの間にか多様化して15人を数え、全体の三分の一強を占めるまでになった。国技とは言え徐々にではあるが着実に国際化しつつあると言えるのかも知れない。
 今回の事案で、あらためて意識することになった「日本人」に、当然、帰化した外国出身者も含まれることは頭では理解するが、単一民族と言われるだけあって、普段、そんな多様性を意識することはなかなかない。日本人は「純粋な」日本人、つまり「日本出身」につい拘るのを思い知ったわけだが、いずれその意識を変える可能性があるニュースに接することが、最近は増えつつあるのもまた事実だ。言わずと知れた「ハーフ」の活躍である。例えば、陸上男子100Mのサニブラウン・アブデル・ハキームくんの父親はガーナ人、高校野球のオコエ瑠偉くんの父親はナイジェリア人、テニスの大坂なおみさんの父親はハイチ人と、見た目もハーフの彼ら・彼女は、「日本人」の活躍として認知されている(最初はおっと驚いたものだったが)。
 日本人が多くの移民を受け入れるとは思えないが、着実に世の中は、そして私たちの意識も少しずつ変わって行くのだろう。そのときの「日本人」は、それでも、もともと海洋民族としてオープンで誰にも親切で、地続きの国境をもたない島国で平和に住みなし、独特の勤勉さと職人技を愛し、なんとなく「天皇陛下」を頂くことに疑問を差し挟むことなく、むしろ尊いと思い、宗教的にも寛容で、神道的な清らかさを身上とする、大いなる田舎モノとして、しかし知的にも道徳的にもクオリティの高い、尊敬される存在でありたいものだとふと思うが、それは古いと却下されてしまうだろうか。
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沖縄に雪が降る

2016-01-26 00:44:08 | 日々の生活
 今年は暖冬と聞いていたが、話が違うではないか!?と凄みたくなるほど、この一週間、厳しい寒さが続いている。
 この週末には、関西地方を中心に猛烈な寒波に見舞われ、沖縄気象台によると、24日、名護市と久米島町で「みぞれ」を観測したらしい。「みぞれ」は観測上は「雪」としてカウントされるらしく、沖縄県内で「雪」が観測されるのは1977年2月27日の久米島以来39年ぶり2回目、沖縄本島での観測は初めてだという。目と鼻の先の台湾では、23日から25日朝にかけて、気温低下による心筋梗塞など心臓や血管の疾患によって、少なくとも60人が死亡したというから、寒さに慣れていない土地では大変なことである。
 東京では、この週末こそ「雪」にならなかったが、一週間前のドカ雪が、北向きの屋根瓦や家の片隅に消えずに残っている。
 あの日の通勤では、いつもより1時間40分も余計に時間がかかった。あの時点で、さして雪が降っていなかったにも係わらず、役所の通達により、大幅に間引いた上、徐行運転で、なかなか電車が来ない。来たところで、既に満員だから数人しか乗り込めない。押し合いへし合いして時間がかかる。自分のことは措いておいて、日本のサラリーマンは、よくもまあこんな大混乱の中でいつも通り会社に行こうとするものだと、感心して(呆れて)しまった。アメリカ人だったら、間違いなく家を出ようとしない、な。
 先日、あるセミナーで元・自衛官(元・陸将)の方の話を聞いた。今の防衛費(あるいは装備)で大丈夫か?と会場から質問が飛んだが、そこは元・自衛官として、自衛隊は無いものねだりしない、与えられた枠内で何が出来るのか、最大限活かしてやるのが自衛隊だと、無難に回答されていた。確かに同じ装備で中国や韓国と比べても日本の方がよほど練度が高そうである。決められた枠内で真面目にきっちり最大の効果をあげて仕事をするという点では、日本人はぴか一ではないかと心から思う。電車の中で押し合いへし合いしながら、元・自衛官の言葉をほろ苦く噛み締めていた(苦笑)。
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日韓の和解は可能か

2016-01-24 00:25:05 | 時事放談
 韓国のことを今さらとやかく言うつもりはない・・・というのが毎度の枕詞になってしまった。今回含め過去4回の安倍首相の施政方針演説で韓国のことがどう表現されたか、既に外務省HPでも表現が変わったことが知られているが、あらためて産経抄(Web)が振り返りまとめているのが興味深い。
 2013年2月の演説では「自由や民主主義といった基本的価値と利益を共有する最も重要な隣国」と従来の日韓関係を踏まえてまっとうに位置付けていたが、慰安婦問題などで韓国がゴネて諸外国で告げ口外交を始めた結果、翌2014年1月の施政方針演説では「自由や民主主義」の部分が外れ、更に2015年2月の施政方針演説では「基本的価値と利益の共有」すらもなくなったらしい。産経抄は「日本はもはや韓国を同じ民主主義国とは見なしていないという強烈な暗示である」とまで言う。そして今月22日の演説では、昨年末の慰安婦問題に関する「最終的かつ不可逆的」解決の日韓合意を受け、新たに「戦略的利益を共有する」という表現が加わった。歴史や民主主義のとらえ方などで価値観を共有するとまではいかないまでも、北朝鮮の脅威と対峙する上では安全保障上の利害が一致するとの含意かと、産経抄は述べる。
 「戦略的」という表現はこれまで中国に対してのみ使われてきたものだ。所謂「戦略的」互恵関係である。政治思想・外交方針だけでなく、人権などの社会的価値観といった体制の根本的なありようは一致しないが、経済という一点では相互依存関係にあり、経済的利益をお互いに享受するために、また安全保障という一点では、エスカレーションしないことを相互の利益として守るために、小異を捨てて大同につく(果たして価値観や体制のありようが小異と呼べるか疑問であるが)ほどほどにオトナの付き合いをして行こうというメッセージだと私は思っている。
 年末の日韓合意は、報道では否定されているがアメリカの仲介あってこその結果だと思うのは、そもそも日韓の歴史認識問題と化して展開された「告げ口外交」など、欧米のオトナ目線では、所詮は子供のケンカだと思われて来たからだ。安倍首相のせいではあるまい。朴槿恵大統領も、必ずしも本意ではなかったと善意に解釈するにしても、東アジアの儒教社会にあって国内向けアピールを優先せざるを得なかった政治力の無さの故であろう。日本の保守派からは安倍首相の大いなる譲歩と思われているが、その決着の優れているところは、「最終的かつ不可逆的」として、ソウルの在韓日本大使館前の慰安婦像の撤去をはじめとして、国際公約化してしまったこと、すなわち日韓問題を韓国の内政問題にすり替えてしまったことにある。まあ、そもそもがそういう性格の問題だったのだが。
 メディアでは突っ込んだ報道が一向になされないが、その意味するところは、そもそも謝罪なるもの、あくまでそれが許されることが前提だという、国家関係の基本的なありようを踏まえる必要があることにある。クラウゼヴィッツを引きだすまでもなく、戦争は外交や政治の延長のはずなのに、韓国にあっては沽券に係わる民族の記憶に結びつけてしまった時点で、国家間の和解は難しいと言わざるを得ない。朴槿恵大統領は、1000年経っても、加害者と被害者の関係は変わらないなどと放言したが、近代国民国家の関係にあっては常識外と言うべきだろう。そうした国際常識を彼女自身に納得させたとすれば進歩であるが、果たして韓国社会はそれを許容できるのか、政権が代わって蒸し返すことはないのかとなると、甚だ疑問である。日本のありようは、ドイツのそれとしばしば比較されて来たが、そもそもドイツは第二次世界大戦の中でナチスという言わば民族虐殺の人道的な国家犯罪を抱えている点が異なるのだが、ドイツがヨーロッパの中に受容される中で謝罪したという環境には思いをいたすべきだろう(このあたりはいずれ稿を改めたい)。東アジアでヨーロッパの歴史に学ぶのは難しい。
 韓国の2015年の対日輸出額は、円安ウォン高の進行があったとは言え、1965年の国交正常化以降初めて輸出総額の5%を下回り過去最低になったという。以前このブログでも触れたが、日本のビジネスマンの8割はビジネス上で韓国を必要としていない。また韓国を訪れた日本人は前年比19.4%減の183万人となり、ピークだった12年の351万人から半減したらしい。冷え込んだ日韓関係は、不可逆的な合意のもとに、果たして可逆的たり得るであろうか。
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零戦里帰りプロジェクト

2016-01-22 01:31:04 | 日々の生活
 久しぶりに、思わずほ~っと唸って、つい身を乗り出して読みたくなるような記事に出会った(もとより膝の上のノートパソコンだからそんなことはしないが)。昨日の産経Webで見掛けた「零戦里帰り」なるプロジェクトである(詳細は、https://www.zero-sen.jp/)。
 いろいろ経緯があったようだが、ともかく、戦後71年目にして初めて零戦(零式艦上戦闘機)が日本の空を舞うというのである。機体を所有するニュージーランド在住の日本人と防衛省などの調整が終わって、いよいよ今月27日、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)の上空を飛べるところまで漕ぎ着けたのだそうだ。
 このプロジェクトの趣旨と目的について、先のウェブサイトには次のように記されている。

(引用)
 零戦はその開発の目的と歴史には二度とあってはならない悲しい歴史を背負っていますが、当時、日本の物作りに関する技術力を世界に知らしめた「日本の物作りの原点」とも言える機体です。
 日本は長年の景気低迷、少子高齢化、社会保障問題、地球温暖化、東日本大震災や多くの自然災害からの復興、原発問題、TPP加盟によるグローバル化などその環境は大きく様変わりしています。
 日本は、ここで初心に帰り考え直す時期に来ていると考えています。
 本機を里帰りさせることで、二次大戦世代の方から平成生まれの新生代の方まで多くの方が、「初心に帰り」、「何かを思う」、「明日を考える」きっかけになれることが最大の目的です。
(引用おわり)

 産経Webで主催者は次のように語っている。

(引用)
 「単に零戦が好きだからではない。先人が作り上げ、終戦後、二十数年で世界2位の経済大国にのぼりつめた世界最先端の技術をみてほしい。彼らの努力が、現在の日本の繁栄を築いたことを多くの日本人が気がつくきっかけにしたい」
(引用おわり)

 確かに、中国と言えば、社会(中国共産党支配)が崩壊するとか経済が減速することを期待するかのように、7%を割る成長でも(仮に実態は3~5%でも)十分に高成長なのにマイナスのイメージのニュースばかりが取り上げられがちなように(足を引っ張る僻み根性からか、自虐趣味からか、悲劇願望か)、零戦と言えば、マイナスのイメージで遠ざけられるか、はたまた当時の技術の粋としての零戦に日本人の職人芸を見て賛美するような文脈で滔々と語られるか、そのいずれかの両極端が多い。産経Webの記事は多分に右寄りの叙情が漂うが、そんな政治的な左右の傾きを排して、純粋に科学技術史や産業史の中で「技術の粋」を冷静に振り返る機会があってもよい。零戦だけでなく、太平洋戦争中に開発された製品・技術や、何よりもこれらに携わった技術者は、当然のことながら戦後復興と高度経済成長を支えている(しかし戦前との連続性を否定したい左寄りの人を中心に、戦後日本は「奇跡」の復興を成し遂げたと思いたがっているような気がする)。
 零戦は、ご存知の通り格闘性能と航続力という相反する要請を世界最高レベルで兼ね備えた名機だ(三菱重工と中島飛行機)。前者の軽量化のために新合金の超々ジュラルミンを開発し(住友金属)、馬力のあるエンジンを積んだし、後者のために燃料を多く積むと重くなるので、現代のロケットを彷彿とさせるような落下式増槽を開発した。プロペラ(回転数に応じて自動的にピッチが変わり常に最適回転を保つという恒速プロペラ)や脚(初めての引き込み式)にも、当時の最先端の技術が取り入れられている。戦後、そして今もなお、零戦に対して、格闘性能を高めるために防御を放棄して搭乗員の命を軽視したという批判が根強いが、実は当時の戦闘機の設計上の常識である「自らの搭載兵器による攻撃を防ぐものを備える」ことが20ミリ機関砲の搭載によって不可能になったため、中途半端な防護兵器を備えるよりは運動性能による回避を重視した結果に過ぎないらしい。実際に現代の戦闘機は全てこの方式を取っているという(伊勢雅臣氏による)。戦後、航空機の製造はもとより研究も禁止されたため、航空機開発に携わった技術者は、自動車産業や新幹線の開発に転身したのはよく知られる通りだ。中島飛行機は解体され、富士重工業(スバル)や日産自動車(東京工場が母体の富士精密工業を吸収)などに引き継がれている。
 あの戦艦大和を建造した大型設備は戦後も健在で、46cm砲の製造に使われた工作機械は大型船のクランク軸を製造した。戦後10年余りで造船量世界一になったのは、その技術の蓄積と継承があったためだろう。全長15mの世界最大・最高性能の測距儀を作ったのは、国策で光学メーカーなどを結集した軍需産業・日本光学で、戦後、社名をニコンに変え、カメラ製造に乗り出した。そのほか、日本独自開発の酸素魚雷は、速度や射程距離や炸薬量(魚雷に搭載できる爆薬量)の点で諸外国の魚雷を圧倒した。実現しなかったが、太平洋を越えてアメリカ本土を爆撃して戻ってくるという、破格の航続距離2万キロに達する巨大爆撃機「Z飛行機」(後に「富嶽」)の製造計画が、中島飛行機を中心に進められていた。終戦までに9000個が製造され、その1割が実際にアメリカ本土に到達したと言われる風船爆弾もまた、高度維持装置などで高度な科学技術と創意工夫を要したらしい。搭載された5キロの焼夷弾4個と爆弾1個は、自動的に投下され、全てが投下されると気球は自動で爆発する構造だったらしい。
 昨年11月、三菱重工系の三菱航空機が開発した国産初の小型ジェット旅客機「MRJ(三菱リージョナルジェット)」の初飛行に成功したとき、中国共産党機関紙の人民日報系・人民網(電子版)が伝えた国営新華社通信の記事は、小見出しに「零戦製造で有名な三菱重工が手がける」とあったらしい(産経Web)。そして本文では「安倍晋三首相は武器輸出の原則を放棄し、日本の軍需産業の強化に乗り出した」とも書いたらしい(同)。相変わらずの反日の文脈で、日本の航空機市場への参入を警戒しているようだが、多くの日本人も違う文脈で、しかし同じように「零戦製造で有名な三菱重工が手がける」ことに思いを馳せたことだろう。右も左も離れところで、零戦には技術への想いが込められている。
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観光立国・日本

2016-01-20 00:31:30 | 時事放談
 日経夕刊によると、日本政府観光局(JNTO)が発表した2015年の訪日外国人客数(推計値)は前年より47%多い1973万人となり、過去最高を記録したようだ。同じく観光庁が発表した2015年の訪日客の旅行消費額も同70%増の3兆4771億円で過去最高となったようだ。菅官房長官は、ビザ発給要件緩和など規制改革の成功事例だと自慢したらしいが、日本人の出国者数は4%減の1621万人と45年振りに訪日客数を下回ったらしいから、円安の影響も大きそうだ。
 少子高齢化と人口減少に見舞われ、移民受け入れも容易ではない単一民族国家の日本で、外国人観光客は国内でお金を落としてくれて、GDP成長に貢献してくれる貴重な存在だ。しかし、その1/4を占める中国人の悪態は想像を絶する。札幌のコンビニで、中国人夫婦が会計前のアイスクリームを食べたことを店員に注意されたことに腹を立てて、店員に殴る蹴るの暴行を加えて傷害容疑で逮捕されたことがあった。店内で、床に唾を吐く、並ばない、大声で騒ぐ、陳列商品を触ったり、粗雑に扱ったりする、といったあたりはもはや当たり前の光景だし、旅行中の中国人が交番を訪れ、カメラやタブレット型端末などの高価な機器を「落とした」「スリなど盗難被害にあったかも」などと言って、日本人の遺失物届けでは拾得者が現れて落とし物が見つかることが多いのに、中国人の遺失物の拾得例はほぼゼロという極めて訝しい届け出が相次いでいるらしい。ホテルでは、仲間の客室に集まってドアを開けっ放しにしたままドンチャン騒ぎし、禁煙の部屋で喫煙して調度品を汚し、バッフェ(所謂バイキング)形式のレストランで食べ切れないほどの料理を取って大量に残し、結果、中国人客が多数宿泊するとの情報が流れると、日本人客から予約がキャンセルされることもあるらしい。眉を顰めるのは日本人だけではない。京都を訪れる欧米人は「まるで上海だ」と京都の訪問予定を短縮して、奈良に移動して日本の風情を楽しむといったケースが少なくないらしいし、余りの騒々しさに、台湾人観光客は日本滞在中、中国人に間違われるのが嫌で“無言の行”を貫くケースが相次いでいるという。極め付けは京都の公衆トイレだ。便座に足を乗せて用を足す、便器の外に“誤爆”する、トイレットペーパーを水に流さずゴミ箱に捨てる、お陰で便座は土足で汚れ、個室内は凄まじい異臭を放ち・・・ちょっと想像したくない。
 勿論、バブルの頃の日本人もお騒がせだった。パリのシャンゼリゼ通りを闊歩し、本来、ヨーロッパのホンモノのお金持ちが所有するようなヴィトンのバッグを、年端も行かない日本人の女の子が、よりによってジーパン姿でずけずけと上がり込んで買い漁り、良識あるフランス人の顰蹙を買ったものだった。私だって、海外出張したての頃、若気の至りで、ダンヒルのネクタイを締め、ジバンシーの財布やカルティエの定期入れを持ち歩き、アラミス900(オーデコロン)をぷんぷん臭わせて、金満大国日本の象徴のようで、今思えば噴飯モノであるが、お行儀は悪くなかったから、先の中国人とは比較にならないし、まだカワイイものだと思う。
 元ゴールドマン・サックスのアナリストで、今は国宝・重要文化財の補修を手掛けて300年余りの小西美術工藝社の代表取締役社長を務めるデービッド・アトキンソン氏は、外国人観光客を「短期移民」と呼ぶ。なるほど、これなら日本人にも受け入れられやすい。彼の書いた「新・観光立国論」(東洋経済)を読むと、アナリスト出身らしく具体的な数字を挙げながら日本はまだまだ「観光後進国」とも言う。例えば、世界銀行の2013年データによると、フランスを訪問した観光客数は8473万人(同国の人口は6611万人だから、人口以上の訪問者があったことになる)であり、2位のアメリカは6977万人、スペイン6066万人、中国5569万人、イタリア4770万人、トルコ3780万人、ドイツですら3155万人、イギリス3117万人、ロシア3079万人、10位のタイ2655万人と続く。GDPに占める観光収入の割合は、フランス2.3%、アメリカ1.2%、スペインに至っては4.8%もあるのに、日本は2015年度の数字を使っても0.8%未満で、世界第三の経済大国だから低いのは当然にしても低過ぎる。
 そしてアトキンソン氏は、星野リゾートが観光大国の三条件として挙げる「国の知名度」、「交通アクセス」、「治安の良さ」を的外れだとこき下ろし、仮に便利であっても、見るべきもの、楽しむものがなければ、人はやって来ないものだと言うのは正論だ。実際にアメリカの全国紙「USA Today」は、日本の5つの魅力として、「歴史的名所」(姫路城、熊本城、日光東照宮)、「京都の寺社」(清水寺、三十三間堂)、「伝統体験」(旅館、お茶、相撲)、「食事」、「自然(スキー、沖縄、富士山)」を挙げ、アトキンソン氏も一般に観光立国の条件として「気候」「自然」「文化」「食事」の4つを挙げているが、外国人の異国体験とはそういうものだろう(先の三条件は、日本人が良かれと考えるそれに過ぎないのだろう)。
 とりわけアトキンソン氏は、日本に高級ホテルが不足していることに着目する。高級ホテルと言っても、私たち庶民が想像するような一泊数十万円レベルを言うのではない。世界で高級ホテルと言えば一泊数百万(400万~900万円の価格帯)のことを言うのだそうである。それは極端にしても、アラブの富豪や欧米のセレブに超高級ホテルに長期滞在してもらって、たんまりお金を落としてもらった方が、わが物顔の中国人の爆買に付き合わされるより、余程、日本人として心の平穏や日本の品位が保てて、日本の景観にも日本人の気質にもマッチするのではないか。これからの観光立国・日本のありようとして、思わず膝を叩いたのであった。
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恋するベッキー

2016-01-17 23:53:07 | スポーツ・芸能好き
 ビデオリサーチ社の「テレビタレント・イメージ調査」で好感度1位に輝いたこともあるベッキーだが、不倫騒動によって10本あったCMが続々と差替えや放送中止の憂き目にあっているらしい。本人には気の毒だが、謝罪会見が、関係者やファンに向けてのものと言うよりCMクライアントを意識したものだと勘ぐれらて、却って批判を浴びるようでは仕方ない。因みに、私は芸能界にはとんと興味がないし、もとよりベッキーにも特別の思い入れはない。むしろ芸能界など夢を売る商売であって、不倫の末の略奪愛など、掃いて捨てるほどあって、ベッキーが抜けた穴を狙う予備軍が凌ぎを削る世界であることも承知しており、ベッキーもそうした座に居座ってのうのうと生きていけたはずだとまで思っていた。
 ところが・・・ベッキーは共演するタレントにも気を遣い、タレント間の好感度も高かったらしく、その健気な姿勢はそれなりに評価できると思って来たが、ここに来て、手のひらを返したように、多数のタレントに“言い訳メール”を送って「腹黒過ぎ」と叩かれる始末(日刊サイゾー)で、人気商売の辛さ故であろうが、世の中の冷たさをただただ感じている。さらにスキャンダルで火だるまになっていたはずが、まさかの“神風”三連発に救われ「悪運強い」とも報じられた(日刊ゲンダイ)。一つ目は、覚醒剤事件のASKAのブログ騒動であり、二つ目はDAIGOと北川景子の入籍会見であり、三つ目はSMAPの独立&解散報道だというが、もとより私はいずれにも興味はない。
 ゲスの極み乙女。も知らないくらいだから、川谷絵音とかいう人の存在など知るよしもないが、人気商売の故と称して結婚していることを秘匿し、せめて身内だけでも結婚式を挙げたいという奥さんの願望をも拒絶していたらしく、ちょっと尋常ではない。その上、愛妻弁当を隠して元カノと密会していたと言うから、何をか言わん。ベッキーは騙されていたのかも知れないが、そのあたりになると何とも言えない。そんな川谷とベッキーとの間では離婚届のことを「卒論」と呼んだり、川谷が妻と離婚に向けた話し合いを持ったことを報告したりするなど、生々しいやりとりのLINEが流出してしまったらしい。人気商売のことはさておき、人の心のことにもとやかく言うつもりはないが、ただ、LINEなど便利な世の中になったものの、ツイッターにせよfacebookにせよ、個人情報が当たり前のように流出する昨今、ゆめゆめ気を付けるべしというのが私たち庶民への教訓であろうか。
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香港の行方

2016-01-16 01:07:47 | 時事放談
 香港を代表するショッピング街・銅鑼湾の地下鉄駅D4口から出てすぐ、駱克道に面する雑居ビルの急な階段を上がった二階にある僅か30平米の目立たない小さな書店「銅鑼湾書店」が、英エコノミストも取り上げるほどの話題をさらっている(勿論、日本の全国紙でも取り上げられているが)。この店の店主や株主など関係者5人が昨年10~12月にかけて相次いで行方不明になった事件が、中国当局の秘密諜報員による拉致の疑いがあるというのである(一人はタイで、一人は香港で、残りの三人は中国で)。福島香織さんによると、香港の書店文化の一つである「二階書店(二楼書店)」(個人がテナント料の安い雑居ビルの二階の一室で開く趣味に走った書店)の代表的な店の一つで、1994年に開業し、中国政府や共産党の権力闘争の内幕を“関係者が匿名で暴露した”というスタイルの怪しげな“禁書”を専門に扱うことで有名で、ほかにも絶版で手に入りにくい文学書や台湾関係史、中国近代史本も充実しているらしい。
 共産党機関紙・人民日報傘下の環球時報は4日、「銅鑼湾書店は、本土の政治について悪意に満ちた書籍を多く扱っており、すでに名誉毀損の域に達した」と批判し、中国当局の関与を示唆していたが(産経Web)、10日、香港の民主派団体が「言論の自由を守ろう」と呼びかけ、6000人規模の抗議デモを主催した、その夜に、この失踪事件を伝えるNHKの中国でのニュース番組が4分間中断され、画面が真っ暗になり音も聞こえなくなった(同)ことからすると、中国政府の関与はほぼ間違いない。
 実際、北京を訪問中だったハモンド英外相は5日、中国・王毅外相と会談した後の共同記者会見で、「(一人の)男性は英国籍の旅券を有している。英側は香港と中国の当局に対し、行方を捜査するよう要求した」と述べたらしいが、会談で協議した際、王毅中国外相は「この人物はまず中国国民だ。根拠のない推測をすべきではない」と不快感を示したと、ロイター通信は伝えている。相変わらずああ言えばこう言う中国である。その横柄なものの言いと、“道義的”責任を理屈はともかく相手に押し付けようとする論理は、全く理解できない。
 再び福島さんの話に戻ると、もともと香港の「二楼書店」文化は、文化大革命で多くの書籍が禁書・焚書になったとき、それらを秘密裡に香港に持ち出した本の虫たちが開いたところから始まるのだと言う。政治動乱を生き延びた貴重な書籍・文字資料がひっそりと売られている店・・・なのである。そして彼女は、今年が文化大革命を発動して50年、終了から40年という節目に当たることとの関連を気にしている。小平が復権してから、共産党はいったんは公式文献で文化大革命を否定する総括をしたものだが、その後、公の場で文化大革命を発動した毛沢東の責任を追及することはタブーとなった。今、習近平政権は、腐敗撲滅など大掛かりな権力闘争を仕掛け、経済も新常態という名のもとにもたついて、社会不安を芽の内に摘んでおきたい気持ちが起こったとしてもおかしくない。そして言論統制は文化大革命の再来とまで囁かれるほど激烈で、文化大革命を再評価する本にはかなり神経を尖らせているらしい(つまり文化大革命批判が習近平批判に繋がることを懸念している)。他方、香港メディア関係者の間では、「習主席の女性スキャンダルについての本(端的に、下半身スキャンダル本)を出版しようとして、中国当局がこれを阻止しようとした」という噂が広がってて、案外、ケツの穴の小さい習近平国家主席のことだから、その程度のことかも知れないとも思う。だからと言って、失踪事件もその程度のものだと言うつもりは毛頭ない。
 むしろ一国二制度を保証されているはずの香港が香港でなくなり、雨傘革命で争点になったように、どんどん中国の磁場に引き寄せられる事態を深く憂慮する。昨日、香港に駐在している知人が日本に出張で来ていたので、挨拶代わりにこの話題を向けると、苦笑いし、次には諦め顔で、香港の立法会議員の三分の二は既に親中派だと言った。2015年12月、中国のアリババ集団は、香港の主要英字新聞「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」を買収することを発表している。今後、香港を待ち受けるであろう悲劇は、ひとり香港だけの問題ではあり得ない。TPP大筋合意に際して、オバマ大統領は「中国のような国ではなく、われわれが世界経済のルールをつくる」と宣言した。中国という異形の大国が支配する世界は、異形になりかねないからである。私たちは指を口にくわえて見ていていいわけがないと思う。
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ニオイの魔力

2016-01-14 00:57:08 | たまに文学・歴史・芸術も
 ニオイというのは根源的なものだ。ある霊長類研究者から聞いたところによれば、哺乳類は基本的には夜行性であり、ニオイ(嗅覚)で生きているため、目は見えているのだが解像度は相当低いらしい。ところが人間は夜行性ではなくなって、目が発達し色が見えるようになるとともに、嗅覚は衰えていったという。パトリック・ジュースキントはその小説「香水 ある人殺しの物語」の中で、主人公のグルヌイユの感覚を次のように描写する。

(引用)
人間は目なら閉じられる。壮大なもの、恐ろしいこと、美しいものを前にして、目蓋を閉じられる。耳だってふさげる。美しいメロディーや、耳ざわりな音に応じて、両耳を開け閉めできる。だが匂いばかりは逃れられない。それというのも、匂いは呼吸の兄弟であるからだ。人はすべて臭気とともにやってくる。生きているかぎり、拒むことができない。匂いそのものが人の只中へと入っていく。胸に問いかけて即決で好悪を決める。嫌悪と欲情、愛と憎悪を即座に決めさせる。匂いを支配する者は、人の心を支配する。
(引用おわり)

 この小説は、超人的な嗅覚を持って生まれた(そして本人には何と体臭がない)孤児ジャン・バチスト・グルヌイユの、匂いにまつわる狂気に満ちた生涯を描いた作品である。
 下水道が完備した今どきの日本からは想像もつかないが、そもそも街は臭うものだということを、私はマレーシア・ペナン島に生活してあらためて知った。かつては「東洋の真珠」と謳われたほど美しい、マレー半島にへばりつく小さな島だが、今では生活排水を垂れ流し、海岸はヘドロに覆われ、通りを歩くとゴミの臭いがそこはかとなく漂う、エントロピーの法則を地で行くような放ったらかしの田舎街だ。本書の舞台である18世紀のパリはなおさらだろう。この小説にも、セーヌ川にかかる橋の上の建物で香水を調合しながら、平気でゴミを川に投げ捨てる場面が登場する。考えてみれば、夏目漱石の三四郎だって、上京する列車の窓から弁当の空箱を捨てたではないか。日本だって、つい数十年前までは汚かったし悪臭が漂った。そんな街に、汗臭く脂ぎった人間や、うら若い女性のかぐわしいニオイが行き交う。この小説は様々なニオイに充ち満ちている。
 そして香水である。その昔、谷村新司の歌に登場したゲラン社の香水「Mitsuko」は、クロード・ファレールの小説「ラ・バタイユ」(1909年発表)に登場するヒロイン、ミツコに因むものとは後で知ったが、フランスの香水に東洋の女性の名前が冠せられた、何とも官能的な取り合わせが忘れられず、初めて海外出張したときに免税店でつい買い求めてしまった。さながらかつて日本の宮廷で遊ばれ(薫物合せ)、その後、茶道や華道と同じ頃に作法が整った香道(香あそび)の心境である。またその当時、香水に関する本でココ・シャネルの物語を読み、その芸術的なまでの職人技の奥深い世界に惹かれもした。生前、マリリン・モンローは、夜は何を着て寝るのかと問われて、シャネルの5番と答えたのは有名なエピソードだが、世の男性を大いに惑わせたものだった。やはりニオイは人間の根源に関わるものとして、脳の古層を刺激する魔力があるのだろう。主人公グルヌイユの調合する香水にも、大いに想像力をかきたてられる。
 なお、Wikipediaによると本書は「1985年の刊行以降シュピーゲル紙のベストセラーリストに316週連続で載り続ける記録を打ち立てたほか、46ヶ国語に翻訳され全世界で1500万部を売り上げるベストセラーとなった。1987年度世界幻想文学大賞受賞。2006年にトム・ティクヴァ監督、ベン・ウィショー主演で映画化された」そうだ。日本での映画公開は2007年3月3日ということは、私はその時まさにマレーシアのペナンにいたから、記憶にひっかかっていないわけだ。たまたまブックオフで表題に惹かれて手にした本を読み、映画で見る(私はまだ見ていないが)ニオイの世界は、どこまでも想像力の世界で、もどかしいところがなんとも魅惑的だ。
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外交の年

2016-01-10 20:39:39 | 時事放談
 年末年始、日本はとても天気が良く穏やかだったが、国際情勢は荒れた。
 先ず、年末25日、インドのモディ首相が、対立するパキスタンのシャリフ首相を電撃訪問し、滞在は僅か2時間だったが、対話の再開や両国の民間交流の促進について話し合ったことが報じられた。インドは既にスリランカやバングラデシュ等との関係改善に乗り出しており、中国を牽制する動きが本格化しそうだ。
 続いて、29日、日・韓は、喉元に突き刺さった小骨のように首脳間の交流を阻害してきた慰安婦問題で合意した。共同会見も共同文書もないただの口約束で、安倍首相が望む「不可逆的な解決」が果たして実現するのか大いに疑問とされることを含め、そもそも日本のメディアが火を付けた問題で妥協したことに、国内の保守派からは厳しい評価が寄せられた。しかし、日韓基本条約の原則は貫徹したこと、またアメリカをはじめ国際社会から好感されたこと、そして国際社会の監視のもとに、在韓国日本大使館前の慰安婦像撤去を韓国内の国内問題化した状況を見ていると、今のところ、それほど悪くない政治決着だったのかも知れないと思う。
 年が明けて2日、サウジアラビアが、シーア派高位聖職者ニムル師を含む47人を、テロに関与したとして処刑したことをきっかけに、テヘランで群衆がサウジ大使館を襲撃する事件が起こり、報復としてイランとの国交を断絶した。まるでシナリオ通りの、私たちにとってあれよあれよという間の、淀みない展開だった。レバノンやイラクなどシーア派が多い国々でもサウジへの抗議活動が発生する一方、バーレーンやスーダンのようにサウジに追随してイランと外交関係を断絶する国も続き、中東の緊張が俄かに高まった。欧米はサウジなどスンニ派の湾岸諸国を有志連合に引き入れISに代表される暴力的過激主義に立ち向かう連携を模索してきただけに、IS掃討に向けた取り組みに影を落としかねないことが懸念されている。
 同じ2日、中国政府は、南沙諸島のファイアリークロス礁に新設した空港で民間機の飛行実験を行ったと発表し、「すべて中国の主権の範囲内」での行為と開き直ったのに対し、ベトナム政府は、主権が侵害されたとして抗議した。民間機がいずれ軍用機になるのは間違いなく、中国は、腹立たしくも、また一つ既成事実を積み上げた形だ。
 続いて6日、北朝鮮は水爆実験を実施したと発表し、東アジアの緊張が一気に高まった。本当に水爆だったかと言うと懐疑的で、水素爆弾の前段階に当たるブースト型核分裂爆弾との見方があるが、いずれにしても、核実験を行ったことには変わりなく、しかも今回は中国にさえ事前の通告を行わなかったことから、外交的な狙いよりも、ひたすら核開発を進めることに重点が置いたものとの分析もあって、東アジアの攪乱要因として北朝鮮の予測“不”可能性は高まるばかりである。
 僅か過去二週間で起こった一連の出来事であるが、こうして見ると、経済が相互依存する現代世界にあって、安全保障上不安定で火薬庫となり得るのは、もはやバルカンではなく中東と東アジアであり、中東にあっては、イランという眠れる潜在的地域大国が欧米との核合意により国際社会に復帰することを、民族や宗派で対立するもう一つの地域大国のサウジアラビアが警戒する構図が、また東アジアにあっては、政治・経済的に台頭する中国を、同じように地域大国である日本やインドが警戒し牽制する構図が、浮かび上がる。中東にあって、アメリカやフランスは空爆は行っても地上軍派遣は躊躇し、東アジアにあっては、国際ルールを無視する中国に対して、アメリカは飽くまで国連・海洋法条約をはじめ法の支配を主張し、それに沿って航行の自由作戦を展開し、TPPによって地域のルール作りを主導するものの、中国との直接の衝突は避けながら、国際社会への関与を促す穏便なアプローチをとっている。
 日本の安倍政権は「積極的平和主義」のもとに集団的自衛権を認め安保法制を整備し、野党やマスコミからは誤解されて叩かれて散々であるが、専門家からは「地域紛争を未然に防ごうと取り組んでいる」(外交筋)、「武力による争いをせず、国を守る」(元自衛隊幹部)と、評価が高い。今どき、テロにしても他国からの攻撃にしても、一国で防ぐことは困難で、平和と安定に向けた地域的な取り組みが必要であり、冷戦時代とは違って各種情報を秘匿するのではなく同盟国や準同盟国との間で共有し如何に活用していくかが重要であって、その点からも、諸外国は安倍政権の取組みを評価している。実際、安倍首相や岸田外務大臣は、長期政権のメリットを生かして構築した個人的な信頼関係を活用し、関係者とのコミュニケーションや会談を活発化しているようであり、この点でも外交筋の評価は高い。
 とりわけ国家間の距離が縮まった近・現代にあって有効なのは、国際世論や外圧を利用することだろう。今年、日本は、先進7ヶ国や日中韓の首脳会談議長国として、また国連・安全保障理事会の非常任理事国として、国際舞台での露出が多くなり、リーダーシップを発揮しようと思えば大いに発揮し得る立場になる。安倍首相が掲げる「地球儀を俯瞰する外交」の真価が問われる年になりそうだ。
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