風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

天災は忘れたころに・・・(前篇)

2011-09-25 22:24:38 | たまに文学・歴史・芸術も
 東日本大震災を契機に、寺田寅彦氏による自然災害と科学や日本人の精神性に関するエッセイのアンソロジーが、講談社学術文庫(「天災と国防」解説・畑村洋太郎、2011/06/10)と角川ソフィア文庫(「天災と日本人」解説・山折哲雄、2011/07/23)から相次いで出版されました。ほとんど重複する内容ですが、解説者に対する好みとタイトルに惹かれて、「天災と日本人」の方を読みました。
 思えば、東日本大震災の時に「日本沈没」という些か誇大妄想な言葉で心をよぎった漠然とした不安は、私たち日本人が戦後の廃墟から立ち上がり営々と築き上げ、一度は世界を席巻した産業文明の象徴たる巨大都市・東京が崩壊する(と言って大袈裟なら、機能マヒする)かもしれないという底知れない恐怖であり、同時に、こうした高層ビル群に象徴される文明社会が災害によって崩れ去る脆さを目の当たりにした虚無感のようなものでした。
 寺田寅彦氏は、本書の中で、「文明が進むに従って人間は自然を征服しようとする野心を生じ」、「重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った」、ひとたび大災害が起こった時に、「運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやが上にも災害を大きく努力するようにしているものは誰あろう文明人そのものである」と科学者らしい表現でシニカルに述べます。また、二十世紀の現代では、日本全体が「高等動物の神経や血管と同様に」「各種の動力を運ぶ電線やパイプが縦横に交差し、色々な交通網が隙間もなく張り渡される」いわば「一つの高等な有機体」であり、「その有機系のある一部の損害が系全体に対して甚だしく有害な影響を及ぼす可能性が多くなり、時には一小部分の傷害が全系統に致命的となりうる恐れがある」と、21世紀の現代ほどのネットワーク社会は予想できなかったでしょうが、「文明が進むほど天災による損害の程度も累積する傾向があるという事実」を十分に自覚し、平生からそれに対する防御策を講じなければならないと見通しています。
 これらのエッセイが書かれたのは、関東大震災や室戸台風があった大正末期から昭和10年位までのことで、筆者は当時の被災地を見て、「過去の経験を大切に保存し」「過去の地震や風害に耐えたような場所にのみ集落を保存し、時の試練に耐えたような建築様式のみを墨守」していたからこそ、「そうした経験に従って造られたものは関東大震災でも多くは助かっている」のに対し、「ひどい損害を受けたおもな区域はおそらくやはり明治以後になってから急激に発展した新市街地ではないか」と述べているのが興味深い。同じ土地に集落が続く限りは、長老の経験も多かれ少なかれ受け継がれるのでしょうが、旧道には津波が届いたことを示す石碑があったのに新道が出来てからは津波のことが忘れられた、などの事例に見られるように、再び戦後さらに高度成長期にも開発が進み、それまでに「旧村落が『自然淘汰』という時の試練に堪えた場所に『適者』として『生存』している」のを越えて生活領域が広がったがために、災害に弱い街ができてしまっているであろう現実が想像されます。
 こうして「日本のような特殊な天然の敵を四面に備えた国では、陸軍海軍のほかにもう一つ、科学的国防の常備軍を設け、日常の研究と訓練によって非常時に備えるのが当然」と提言されているのは卓見です。今回の東日本大震災でも活躍したのは、警察・消防もさることながら、自衛隊でした。救助と災害復旧に20万人規模の自衛隊の内の実に半分を動員し、まさかこうして困っている時に乗じて、例えば尖閣諸島を乗っ取るなどといったような悪意ある隣人はいないでしょうが、国防という観点からは、極めて異常な事態ではありました。小泉内閣以来の公共事業予算削減によって、土木・建設業界が弱体化し、災害復旧を遅らせたなどと批判する人がいましたが、本来、災害復旧のために土木・建設業界を養うのは筋ではありません。
 更に、「政治法律経済といったようなものがいつの間にか科学やその応用としての工業産業と離れて分化するような傾向」があり、「科学的な知識などは一つも持ち合わせなくても大政治家大法律家になれるし、大臣局長にも代議士にもなりうるという時代が到来し」、「科学的な仕事は技師技手にまかせておけばよいというようなことになった」ために、「科学者の眼から見れば実に話にもならぬほど明白な事柄が最高級な為政者にどうしても通ぜず分からないために国家が非常な損をしまた危険を冒していると思われるふしがけっして少なくない」、「政治には科学が奥底まで浸透し密接にない交ぜになっていなければ到底国運の正当な進展は望まれず、国防の安全は保たれないであろう」と嘆いています。科学を中途半端にかじった政治家でも災いをなすのであって、実に現代においても示唆に富んでいると言わざるを得ません。「国運」という、些か古めかしい日本語が、現代的な意味を帯びて私たちの心に迫って来ます。
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帰宅難民ふたたび

2011-09-22 01:54:34 | 日々の生活
 昨日、気象庁から、「強い」から「非常に強い」に変わったことが発表されていた台風15号が、今宵、予定通り首都圏を直撃し、ほとんど公共交通機関しかもたない脆弱な勤労者の帰宅の足を大きく乱しました。
 夕方、私のオフィスでは館内放送が流れ、「注意してさっさと帰れ」と言われるものとばかり期待していたら、鉄道が不通になっているところがあるので、「帰る時には注意せよ」と無粋なことを言うだけ。子供たちの学校では午前中に早々に授業が打ち切られ、昼休みに自宅に電話した時には帰宅していることが確認されていたせいもあって、ちょっとぐずぐずしている内に、終業時間前あたりから不通になった鉄道の情報がどんどん入り始め、あっと言う間に退社する時機を逸してしまいました。もっとも、気象庁から厳重な警戒が必要と予め警告されていたため、午後休暇を取ってさっさと帰宅していた女性や、フレックス・タイムを利用して三時に引き揚げたオジサン、更には諦めて飲みに出かけた人たちもいて、東日本大震災ほどの帰宅難民者は出なかったように思いますが、まさか私自身が半年後に再びオフィスに籠城とまでは言わないまでも嵐が過ぎ去るのを待つことになろうとは、思ってもみませんでした。
 都心の36階のオフィスは、東日本大震災の時ほどではないにせよ、時おりミシミシと音をたてて揺れが走り、耐震構造にはなっていても台風対策はさして考慮されてなさそうなところが、俄か恐怖心を呼びおこします。大阪の知人から、陣中見舞のメールを貰って、心遣いが嬉しくもありました。
 通勤路線が運行を再開してから二時間ほど間を置いて、オフィスを出ました。山手線外回りが運行を見合わせていたせいで、駅構内では警察官が整理にあたるほどホームに人が溢れており、行く手の混乱を暗示させます。案の定、電車は朝の通勤ラッシュ並みの混み具合いで、帰宅の時まで気疲れがして、肉体の疲労感は倍加しました。
 駅から自宅に続く道では、星がまたたき、セミや秋の虫の声が響き渡るほど、大型台風が襲ったとは思えない静けさでしたが、道路の凹みに落ち葉が溜まっていたり(自宅そばでも道路が冠水して通行止めがあったと聞いていました)、庭木の大振りの枝が折れていたり、無残にも骨が折れて原形をとどめない傘がいくつも打ち捨てられていて、過ぎ去った嵐の激しさの痕跡がそこかしこに認められました。
 日本という国は、あらためて、時に自然環境がかくも厳しい土地柄だと思います。こうした狭く厳しい土地柄に、よくもこれだけの密度の日本民族が住みなすものだと、ほとほと感心させられます。
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昨日のスカイツリー

2011-09-19 22:16:05 | 日々の生活
 昨日、上野動物園に行った帰りに、久しぶりにスカイツリーを見ました。来年5月に竣工と聞いていましたが、なかなかどうして、遠目にはもう完成しているように見えます。そこで東京スカイツリーのサイトで、現在、どういうステージにあるのか探ってみたところ、そのものズバリではありませんがQ&Aにそれらしい答を見つけました。
 http://www.skytree-obayashi.com/moresky/qa/index.html#a1-02

Q5: タワークレーンは工事が終わったらどうやって解体するのですか?
大型タワークレーンを解体する際には、一回り小さいクレーンを隣に組み立てます。その小さなクレーンで大型タワークレーンを解体し地上に降ろします。次に残ったクレーンよりさらに小さなクレーンを隣に組み立て、同様に解体を行います。この作業を数回繰り返して、だんだん小さいクレーンに入れ替わり、最後のクレーンは作業員が解体してエレベーターで地上に持って降ります。

 そこでもう一度写真を仔細に見ると、第一展望台の上に小さなクレーンが見えます。5月6日付ブログの写真と比較すると、この四ヶ月の変化が分かります。その変化からすれば、いずれ作業員がエレベーターで持ち運べる大きさになるまで、もう間もなくのように見えます。
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パンダを見る

2011-09-18 23:35:25 | 永遠の旅人
 9月も半ばを過ぎましたが、普段はオフィスに籠っているサラリーマンには気がつかない残暑がまだ厳しいことを思い知らされた一日でした。木陰に入ると、吹き付ける風は秋のそれで、気持ち良いのですが、照り付ける陽射しはまだ夏のそれで、じりじりと暑い。夜になると秋の虫が涼しげな鳴き声を響かせてくれるのに、日中は暑さを煽るようにセミが鳴き声を振り絞ります。
 今日は下の子を連れて上野動物園にパンダを見に行って来ました。
 パンダを初めて見たのは、今から30年前、ポートピア‘81(神戸ポートアイランド博覧会)でのことで、記憶を確かめるためにWikipediaを調べると、確かに「会場では中国から借り受けたジャイアント・パンダ2頭が公開されて人気を集めた」とあります。次に見たのは、12年前、当時はアメリカでパンダを見るならワシントンとここ、と言われたサンディエゴ・ズーでのことでした。フル・マラソンを走った次の日、家族サービスのためにヘロヘロの身体で歩き回ったのを懐かしく思い出します(ちなみに前日、フル・マラソンを走った日の午後は、シーパラダイスをボロボロの身体で歩き回りました)。
 さて、今日は三連休の中日、しかも敬老の日にちなむ老人週間で60歳以上は無料だったせいかどうか、私たちがのんびり到着した11時にはパンダ・ハウスの待ち時間は1時間の長蛇の列で、午後に並んだ方が良いとアナウンスされるほどの盛況ぶりです。そこまでして並ぶ以上、写真はお一人一枚などと叫び続ける案内係の声は誰の耳にも届きません。なかなかカメラ目線にならない気紛れな子供を写真におさめようと悪戦苦闘する若いお母さん、ビデオを回すお父さん、カワイイと大喜びの若い女性たち。そんなゆったりとした流れに乗って、ほんの数分のことでしたが、目前に展開する人間様の列など全く目に入らないかのように、ただ一心不乱に笹にむしゃぶりつくばかりの愛らしい(ある意味でケモノ丸出しの)パンダと久しぶりの対面を実現しました。
 あらためて動物園の地図を見ると、広い園内にいろいろな動物たちがいて充実していることに気が付きました。それにも係らず入園料は小学生以下(都内在住であれば中学生以下)は無料、大人600円と安いのも、人気の秘密なのでしょう。一日たっぷり遊んでも飽きないこと請け合いです(と言いつつ軟弱ものの私たちは三時間半ほどでバテて帰宅しました)。
 上の写真は、最近太り気味を指摘される、今日のシンシン。
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保守という感覚

2011-09-16 00:24:12 | 時事放談
 昨日の続きで、造反有理とは対極に位置するであろう保守主義について書きます。民主・自民両党による二大政党制はもはや機能しておらず、それに対する熱狂はとうに冷めてしまいました(そもそも二大政党を煽ったのは誰の仕業かと問いたいくらいですが)。保守主義について書くのは、私自身、政界再編により本格的な保守政党を待望するからです。
 文芸評論家の江藤淳さんが、15年ほど前に書いた「保守とはなにか」(文藝春秋)の中で、「保守主義とは、英語でConservatism――つまりイズムがついているものの、一言でいえば感覚だ」と説明しています。「更に言えばエスタブリッシュメント(既得権益をもっている人たち)の感覚」だと。「これからのし上がって、物事を変えてやろうという人、例えば全共闘あがりの政治家や役人とは違う、彼らはイズムで動く人たちだから」と。
 そして、J.F.クラークという歴史家から聞いた話を紹介されます。「1897年にイギリスのニューカッスル・アポン・タインの造船所でイギリス労働争議史上に特筆されるような大争議があり、この時、欧州大陸からドイツの社会主義インターナショナル系を中心とする革命オルグが続々とイギリスにやってきて、労働者をイデオロギーによって組織しようとしたところ、イギリスの労働者たちはこのイデオロギー信奉者たちを追い返してしまった」と言います。「俺たちは労働時間を短縮し、賃金を上げてもらいたいだけで、訳のわからない「主義」は必要ない」と。「この時の労働者の態度が現在も続くイギリス労働党の基本的性格を決めた」と言います。つまり「労働組合主義であり、労働者階級さえも保守の感覚を保持していたということ」です。
 江藤淳さんは、この話を聞いて、「イギリスという国は上から下までが、イデオロギーではなく保守的な感覚で動いているのだ」と、感じ入ります。「彼らは自分たちの生活様式を文字通り保守し、外からの干渉に対しては、それえが物理的なものであろうと思想的なものであろうと努めて排除する。靴の底みたいに硬いローストビーフを食べているとフランス人から馬鹿にされても、自分たちはこれが美味いのだからと一顧だにしない。何から何まで世界一になる必要はない、俺たちの流儀を守ってやっていければいいんだという保守感覚――これが連合王国としてのイギリスを支えてきた」というわけです。
 しかし、「時には保守するために大きな改革を行わなければならないこともある」とも述べておられます。「そこには論理の矛盾がある。保守主義の弱点かもしれない。しかし、保守とはイデオロギーではなく、一つの感覚だから、それはやむを得ない。人の世は全て留めておくことは出来ない、と知ること。そして変えるべき点は改めるを憚らない。これもまた保守的感覚の発現だろうかと思う」とも述べておられます。
 民主党がお手本とするイギリス議会制民主主義を支える政党のいずれもが保守の感覚に貫かれているという事実は、民主党にとっては皮肉なことではないでしょうか。以前、イギリス政治のもう一つの前提として、国家の最も優秀な人間が政治家を志す(日本では官僚を志す)ことに触れたことがありましたが、こうしたイギリス政治の基本的な成り立ちをわきまえず、ただイギリスを見本とする皮相的なことの愚かさに、民主党は気づくべきです。
 その結果、イギリスと日本とで何が違ってくるかと言うと、イギリスでは、二大政党のいずれが政権を執っても、外交や安全保障や年金や憲法問題など、国家的な問題にかかわる政策について共通の基盤があるために、国家の安全や国民生活が急激に変化するような混乱は起こらないと言われます。他方、日本では、沖縄普天間基地を巡って、日本の安全保障の基軸である日米関係がぎくしゃくし、東アジア共同体構想という夢物語を真剣に語ってアメリカの疑心を呼び、尖閣諸島問題に見られるように、日本の国境において安全保障が脅かされました。温室効果ガス削減や脱原発依存の急進的な動きによって社会に混乱を招いてもいます。とりわけ未曾有の円急騰に対する無策により(日本だけのせいでないのは事実ですが)産業界は音を上げる始末です。
 中西輝政京大教授は、進歩派と保守派の違いについて、次のように述べておられます(田母神俊雄氏との対談「日本国家再建論」日本文芸社)。進歩派を気取る「左派リベラル」は、他の思想を、人類にとって最も大切な「進歩」の邪魔だとして排除しようとする。「進歩」とか「平等」を求める余り、他の思想を全く認めようとせず、自らの思想に強く固執する様は「全体主義」そのものだ。これに対し保守派は、進歩派も含めて他の思想を排除しようとしない。特定の「理想」に引き摺られないから、現実を見極め、唯我独尊にならず、急いで進める必要もないことは鷹揚に構えている。これが本当の「リベラル」ではないか、と。そして、左派の問題は、その思想が非現実的だからではなく、特定の思想に引き摺られるために、とかく全体主義に陥り、結果的に国民の人権を蹂躙したり、学問の自由を奪ったりするこにあり、民主党という政党の奥深くに潜む体質としての全体主義を喝破されます。
 民主党政権の見た目の危なっかしさは、まさにこのあたりにあるのではないかと思います(一口に民主党と言っても、自民党と同様に、左から右までいろいろですが)。
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造反有理を超えて

2011-09-15 01:14:52 | 時事放談
 月刊誌「新潮45」を立ち読みしていると、「戦後日本: 失敗の本質」というタイトルで半藤一利さんと岩見隆夫さんが対談され、後藤田正晴さんが10年位前に語ったというエピソードが紹介されているのが目に留まりました。所謂「団塊の世代」(1947~49年生まれ)は今や社会のあるゆる職域で中枢を担うようになった、しかし彼らは「造反有理」、つまり破壊の論理で、建設の論理ではない、皆が皆そうではないのだろうが、自分だったら、官僚であろうと部下であろうと、この世代の人間は使わない(次の世代の人間を使うだろう)、といった趣旨の話でした。ちょっと過激なもののいいですが、後藤田さんは1969年に警察庁長官に就任し、長官時代に、よど号ハイジャック事件を始め、極左過激派によるテロ、ハイジャック、あさま山荘事件、爆弾事件などの対処に追われたことの恨みつらみを割り引くにしても、ここ二年間の民主党政権が、「団塊の世代」を少し広げて「全共闘世代」(1942~49年生まれ)によって混迷の度を深めてきたことと符合して、感慨深く思いました。
 「造反有理(ぞうはんゆうり)」とは、中国語で「造反に理有り」(謀反にこそ正しい道理がある)の意で、「革命無罪」と並び中華人民共和国の文化大革命で紅衛兵が掲げたスローガンだと、Wikipediaで解説されます。毛沢東が、1939年、スターリン生誕60年祝賀大会で語った言葉「マルクス主義の道理は入り組んでいるが、つまるところ一言に尽きる。造反有理だ」に由来し、日本でも1960年代末の大学紛争期以降、全共闘や日本の新左翼が自らの暴動やテロ活動を正当化するスローガンとして使われた、とあります。
 そして過去二年間の民主党政権を率いたのは、鳩山さん(1947年生まれ)と菅さん(1946年)をはじめとして、平野官房長官(1949年)、仙谷官房長官(1946年)、千葉法務大臣(1948年)、川端文科相(1945年)、赤松農水相(1948年)、山田農水相(1942年)、直嶋経産相(1945年)、中井国家公安委員長(1942年)など、全共闘世代がほぼ半数を占めました(小沢さんも1942年生まれ)。クセのある顔ぶれが並びます。民主党の「政権交代。」の実態は反自民、つまり自民党がやって来たことなら何でも反発し反対する「造反有理」を地で行くものだったと言えます。
 ところが野田政権で全共闘世代と言えば、藤村官房長官(1949年)、川端総務相(1945年)、小宮山厚労相(1948年)、山岡国家公安委員長(1943年)など、もはや少数派で、次の世代に移りつつあるようです。しかし欧米の政治シーンを見れば、オバマ大領領(1962年)をはじめ、イギリス・キャメロン首相(1966年)やクレッグ副首相(1967年)、ドイツ・メルケル首相(1954年)、フランス・サルコジ大統領(1955年)やフィヨン首相(1954年)など、既に世代交代は進んでいます。日本でも遅まきながら新たな展開が期待できそうな予感が・・・。
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民主党の軽さ

2011-09-14 01:49:31 | 時事放談
 子供じゃあるまいし、記者団と懇談中、防災服の袖をなすりつけるしぐさをして「放射能をうつしてやる」などとはしゃぎ、記者会見では、地元の自治体の状況を「まさに死の町」などと形容して、国会が始まらない内に経産相を辞任した鉢呂吉雄氏の舌禍事件をきっかけに、輿石東・民主党幹事長は党代議士会で「情報管理の徹底」を宣言し、藤村修・官房長官は、閣僚の発言にクギを刺したそうです。これらを報じる産経新聞は、説明責任より組織防衛を優先する手法は却って国民の信頼を失いかねないと警鐘を鳴らしますが、説明責任を果たせないことへの懸念もさることながら、国会議員としての自覚のなさには愕然とさせられます。やるべきことは「情報管理の徹底」などではなく、空気が読める社会人になるための「オトナの良識」や「国会議員の行儀作法」をお勉強することではないかと。
 さらに、こんなこともありました。13日の開会式に臨席される天皇陛下を衆参両院議員が整列してお迎えした際、無所属で民主党会派に所属する平山誠参院議員は、天皇陛下を携帯電話のカメラで撮影していたということです。これに対し、自民党からは「陛下に対して畏敬の念がない。緊張感が足りない」などと批判が噴出したそうですが、天皇陛下への畏敬もさることながら、あるいは緊張感もさることながら、そもそも公務につく者がやるようなことではない。常識的に見て、国会議員としての自覚が足りなさ過ぎます。諸経費を含めて1億円もの大金を税金から支払っているのが、情けなくなります。
 鉢呂氏の在任期間は僅か9日間で、民主党政権下で任期途中に閣僚を辞任するのは7人目だそうです。特にこの一年間は、柳田稔法相や松本龍復興相など、失言による引責辞任が目立ちます。閣僚だけではありません。2009年12月の記者会見で「天皇陛下には全くのプライベートは無いに等しい」「内閣が判断されたことを受けて天皇陛下が行動されるのは当然のことだと思う」などと小澤さんが暴言を吐いたのは記憶に新しいところですが、2010年2月の長崎県知事選では、石井一選対委員長が「時代に逆行するような選択をされるのなら、民主党政権は長崎に対し、それなりの姿勢を示すべきだろう」などと恫喝ともとれる発言をして物議を醸しました。石井氏は、同じ頃、都内で開かれた川上義博参院議員のパーティーでも、「鳥取県とか島根県といったら日本のチベットみたいなもんで、人が住んでいるのか。牛が多いのか。山やら何やらあるけど人口が少ない所だ」などと発言し、鳥取県市長会は発言の撤回と謝罪を求める抗議文を民主党鳥取県連に送っています。2010年7月には、松崎哲久衆院議員が、航空自衛隊入間基地で行われた納涼祭で、秘書が運転する車を呼び寄せる際、空自側の規則どおりの対応に不満を抱き、隊員に「おれを誰だと思っているのか」とやはり恫喝ともとれる発言をして物議を醸しました。2010年11月には、参議院予算委員会で、仙谷由人官房長官が自衛隊を「暴力装置」と表現し、直後に「実力組織」と言い換えて撤回しています。そして、同11月、広島で行われた国政報告会での柳田稔氏の有名な発言である「法務大臣はいいですよ。“個別事案はお答えを差し控える” “法と証拠に基づいて適切にやっている” 法務大臣は、この2つ覚えておけばいい」には呆れます。同11月に、民主党の衆参両院の国会対策委員長らが会談した中で、民主党幹部が北朝鮮の韓国・延坪島砲撃について「北朝鮮の砲撃は民主党にとって神風」と発言したそうですし、今年の3月、菅総理も、東日本大震災が起こるや「これで政権が2年延命する」などと口走ったとされています。
 これらの民主党の政治家が、何に重きを置いて政(まつりごと)を行っているかが知れます。2年前の政権交代では、まさに従来型の自民党的な政治家にはない、政治家ズレしていない新鮮さが売り物でした。良い意味での政治家らしからぬところは歓迎するにしても、政局や選挙のことしか頭にない単細胞や、およそ社会人らしからぬ良識のなさは、勘弁して欲しいと思います。民主党と言っても、こういう人ばかりではないはずですが、こういう人ばかりが目立ち過ぎて、これではまともな政治家を志す人たちが浮かばれません。

(追記 2011/09/16)
 週刊新潮に、民主党のまさに“子供っぽさ”に関する記事が出ていました。かつて自民党の政治家に失言があって身を引いた時には、歴史観や政治理念などといった信念があったことと比較すると、民主党の政治家は、全く教育がなっていない、それは小沢さんが教育に関心がなく、民主党の中に教育係がいないからだと。
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巨人-広島 20回戦

2011-09-11 01:24:24 | 日々の生活
 今宵、上の子と共に東京ドームに巨人を応援しに行って来ました。思いつきで8月第二週の夏休みに予約しようとして良い席が取れなかったため、9月第二週の秋休みに延期したものです。
 広島の先発は、ラッキーなことに、昨年、セ・リーグの最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最優秀投手、最優秀バッテリー賞、ベストナイン、ゴールデングラブ賞、沢村賞と、投手部門をほぼ総ナメにした前田健太。巨人の先発はローテーションから西村健太朗。
 結果として見れば、ラミレスが2回に放ったソロ・ホームランによる虎の子の1点を、西村-山口-久保のリレーで繋いで守り切って、巨人が辛勝しました。しかし、6回2/3を零点に抑えた西村は、勝ち投手になったものの、被安打8、奪三振4ながらボール先行で与四球も4、投球数は122と、常に塁にランナーを背負って、見ている我々はハラハラドキドキでしたが、守っている選手は守っている時間がやたら長く、気が気でなかったと思います。それに引き換え、1点を失って負け投手になったものの、マエケンの投球はストライク先行でテンポ良く、6回を投げて、被安打は僅かに3、奪三振6、投球数80と、敵ながらエースとしての投球は見事でした。
 巨人ファンとしてはとても勝った気がしないけれども、結果として勝ってしまった。広島は、投手戦には勝ったけれども、試合に負けてしまった。このあたりがまさに勝負事の厳しさです。
 野球ファンとしては、マエケンと巨人の打線との対決を堪能出来て幸せでした。小笠原や松本がいれば、また坂本や阿部の調子が良ければ、もっと楽しめたでしょうが、贅沢は言えません。もっと言えば、エース対決を見たかったところですが、それもなかなか叶わぬこと。暑い一日でしたが、野球の一球一球に一喜一憂し、選手の一挙手一投足に歓声や嘆声をあげて、幸せな一日でした。
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震災から半年

2011-09-10 12:04:42 | 日々の生活
 7月1日以来の電力使用制限令が、予定より早く、昨晩8時をもって解除されました。東電管内でこうした電力使用制限令なるものが発令されたのは、石油ショック以来、実に37年ぶりのことだったそうです。電気への依存が益々増大する現代社会にあって、突然の節電への取り組みは、殆ど全ての人にとって初めての経験だったことでしょう。実際の電力使用量が、前年比で努力目標の-15%を大きく上回る-21.9%に達し、90%を超えたのは8月18日の一日だけだったのは、昨年ほど暑い夏ではなかったにせよ、自宅やオフィスのエアコンの設定温度を少しでも上げ、こまめに電源を消し、蛍光灯やエレベーター運転の間引きをし、LED電球に切り替えるといった、地道な努力の積み重ねと、自動車業界をはじめとする大口需要家が週末操業を採用するなどして、電力使用のピークを外す健気な努力を続けて来た結果です。日本人の全体を思う気持ちとここぞという時の従順なまでの結束力は見事と言うほかありません。
 私の会社でもロケーション毎に輪番休暇制をとり、私は8月第二週に続き今週も秋休みとなりました(その分、9月の祝日は二日とも出勤です)。どうやら過剰な明るさや必要以上の電気への依存を続けて来たことに誰もが気づき、紙の書類を見ることが減ってパソコンで殆どの用を済ませる現代であればなおのこと、昼間のオフィスの灯りを以前より暗くするといった節電の意識は、この冬の電力危機が明確に回避できる見通しが立っていないというばかりではなく、日常のたしなみとして、当面、後戻りすることはないでしょう。
 昨日はまた、自衛隊の東日本大震災に対する支援が(福島第1原発事故対応を除いて)終了したようで(最後は、福島市内で実施する入浴支援一ヶ所)、そういう意味では災害対策で言われるところの救助・救済・復旧・復興・振興の五段階の内、救助・救済が終わったということでしょう。この災害からの救助・救済における自衛隊はじめ警察・消防・海上保安庁などの国や地方自治体の方々のご尽力には頭が下がります。既に天皇陛下が早い段階で労をねぎらっておられますので、私ごときが出る幕ではありませんが、感謝し過ぎることはありません。「暴力装置」と呼ぶ人と同じような思考回路の人がうようよいそうな薄情な政権にあって、志高く献身される姿には胸を打たれます。
 半年を経て、一つの節目を迎えたことになりますが、次の段階である復旧は道半ば。今朝の「ウェークアップ」を見ていると、週末のたびに医療支援を行う品川区の開業医や、住民がいなくなって場所を変えて診療を続けるかつて避難区域にいた開業医や、避難区域にある校区の子供たちを受け入れて5つもの学校が一つの校舎で職員室や体育館まで教室に衣替えして教育を続ける現場が映し出され、長年住み慣れた土地を離れて不自由を強いられる人々がまだ大勢いる状況には、あらためて胸が痛みます。何も出来ないもどかしさを感じるからこそなおのこと、大震災・津波被害と原発事故で打ちひしがれた日本を立ち直らせるために、更には円高、高い法人税、厳しい労働規制、CO2削減などの環境規制、自由貿易協定(FTA)への対応の遅れの「5重苦」(電力不足を加えて6重苦と言われたものでしたが)にあって、世界で地盤沈下を続ける日本を救うために、各人が元気を出して持ち場をしっかり守らなければならないものだと、ふと思います。
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山津波

2011-09-08 11:03:53 | 日々の生活
 「土石流」のことを「山津波」と呼ぶのだと、初めて知りました。台風12号が猛威を振るい、豪雨によって山崩れや土石流が誘発され、さながら東日本大震災の「海津波」の時と似たような惨状が現出したのを見て、驚愕された方も多かったのではないかと思います。
 かつて和歌山方面によくオート・キャンプに出かけて、昔懐かしい景観が姿を変えてTVニュースに映しだされる様を複雑な思いで見ていたという奈良出身の知人は、ようやく和歌山の親戚と連絡が取れたと言い、「山津波」(または鉄砲水)に関しても、ここまで到達したことがある、などとといった碑が立っているものだと教えてくれました。
 今回の大雨で、国土交通省が奈良県上北山村に設置していた雨量計は、降り始めの8月30日から9月5日まで2439ミリの総雨量を観測したそうです。2000ミリを超える雨量は、国内では観測例がなかったようで、アメダス(地域気象観測システム)による最多雨量もまた同村内で観測され、1808ミリと少な目に出ていますが、従来のアメダスの1位記録1322ミリ(宮崎県)を大幅に更新することになりました。
 あらためて日本の自然環境は厳しいことを思い知らされます。地震・雷・火事・台風と言いますが、避雷や耐火構造には出来ても、地震と台風への対策はまだまだのようで、自然の猛威は人間の浅はかさを嘲笑うかのようです(こんなことを言うと、石原都知事の天罰発言が連想されますが、石原さんの意図と恐らく同じで、飽くまで日本人全般あるいは人類の浅はかさ、という意味合いで使っているのであって、地域の方々を虚仮にするものでは毛頭ありません)。
 上の写真は、かつてマレーシア・ペナンのマンションから見たスコール。青空すら見えるのに、大きな雨雲の塊が突如としてやって来て極めて狭い範囲で集中豪雨を降らせる、熱帯地方では珍しくもなんともない光景ですが、これが日本でも見られるようになったというのもまた私にはちょっとした驚きです。
コメント
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