東日本大震災を契機に、寺田寅彦氏による自然災害と科学や日本人の精神性に関するエッセイのアンソロジーが、講談社学術文庫(「天災と国防」解説・畑村洋太郎、2011/06/10)と角川ソフィア文庫(「天災と日本人」解説・山折哲雄、2011/07/23)から相次いで出版されました。ほとんど重複する内容ですが、解説者に対する好みとタイトルに惹かれて、「天災と日本人」の方を読みました。
思えば、東日本大震災の時に「日本沈没」という些か誇大妄想な言葉で心をよぎった漠然とした不安は、私たち日本人が戦後の廃墟から立ち上がり営々と築き上げ、一度は世界を席巻した産業文明の象徴たる巨大都市・東京が崩壊する(と言って大袈裟なら、機能マヒする)かもしれないという底知れない恐怖であり、同時に、こうした高層ビル群に象徴される文明社会が災害によって崩れ去る脆さを目の当たりにした虚無感のようなものでした。
寺田寅彦氏は、本書の中で、「文明が進むに従って人間は自然を征服しようとする野心を生じ」、「重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った」、ひとたび大災害が起こった時に、「運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやが上にも災害を大きく努力するようにしているものは誰あろう文明人そのものである」と科学者らしい表現でシニカルに述べます。また、二十世紀の現代では、日本全体が「高等動物の神経や血管と同様に」「各種の動力を運ぶ電線やパイプが縦横に交差し、色々な交通網が隙間もなく張り渡される」いわば「一つの高等な有機体」であり、「その有機系のある一部の損害が系全体に対して甚だしく有害な影響を及ぼす可能性が多くなり、時には一小部分の傷害が全系統に致命的となりうる恐れがある」と、21世紀の現代ほどのネットワーク社会は予想できなかったでしょうが、「文明が進むほど天災による損害の程度も累積する傾向があるという事実」を十分に自覚し、平生からそれに対する防御策を講じなければならないと見通しています。
これらのエッセイが書かれたのは、関東大震災や室戸台風があった大正末期から昭和10年位までのことで、筆者は当時の被災地を見て、「過去の経験を大切に保存し」「過去の地震や風害に耐えたような場所にのみ集落を保存し、時の試練に耐えたような建築様式のみを墨守」していたからこそ、「そうした経験に従って造られたものは関東大震災でも多くは助かっている」のに対し、「ひどい損害を受けたおもな区域はおそらくやはり明治以後になってから急激に発展した新市街地ではないか」と述べているのが興味深い。同じ土地に集落が続く限りは、長老の経験も多かれ少なかれ受け継がれるのでしょうが、旧道には津波が届いたことを示す石碑があったのに新道が出来てからは津波のことが忘れられた、などの事例に見られるように、再び戦後さらに高度成長期にも開発が進み、それまでに「旧村落が『自然淘汰』という時の試練に堪えた場所に『適者』として『生存』している」のを越えて生活領域が広がったがために、災害に弱い街ができてしまっているであろう現実が想像されます。
こうして「日本のような特殊な天然の敵を四面に備えた国では、陸軍海軍のほかにもう一つ、科学的国防の常備軍を設け、日常の研究と訓練によって非常時に備えるのが当然」と提言されているのは卓見です。今回の東日本大震災でも活躍したのは、警察・消防もさることながら、自衛隊でした。救助と災害復旧に20万人規模の自衛隊の内の実に半分を動員し、まさかこうして困っている時に乗じて、例えば尖閣諸島を乗っ取るなどといったような悪意ある隣人はいないでしょうが、国防という観点からは、極めて異常な事態ではありました。小泉内閣以来の公共事業予算削減によって、土木・建設業界が弱体化し、災害復旧を遅らせたなどと批判する人がいましたが、本来、災害復旧のために土木・建設業界を養うのは筋ではありません。
更に、「政治法律経済といったようなものがいつの間にか科学やその応用としての工業産業と離れて分化するような傾向」があり、「科学的な知識などは一つも持ち合わせなくても大政治家大法律家になれるし、大臣局長にも代議士にもなりうるという時代が到来し」、「科学的な仕事は技師技手にまかせておけばよいというようなことになった」ために、「科学者の眼から見れば実に話にもならぬほど明白な事柄が最高級な為政者にどうしても通ぜず分からないために国家が非常な損をしまた危険を冒していると思われるふしがけっして少なくない」、「政治には科学が奥底まで浸透し密接にない交ぜになっていなければ到底国運の正当な進展は望まれず、国防の安全は保たれないであろう」と嘆いています。科学を中途半端にかじった政治家でも災いをなすのであって、実に現代においても示唆に富んでいると言わざるを得ません。「国運」という、些か古めかしい日本語が、現代的な意味を帯びて私たちの心に迫って来ます。
思えば、東日本大震災の時に「日本沈没」という些か誇大妄想な言葉で心をよぎった漠然とした不安は、私たち日本人が戦後の廃墟から立ち上がり営々と築き上げ、一度は世界を席巻した産業文明の象徴たる巨大都市・東京が崩壊する(と言って大袈裟なら、機能マヒする)かもしれないという底知れない恐怖であり、同時に、こうした高層ビル群に象徴される文明社会が災害によって崩れ去る脆さを目の当たりにした虚無感のようなものでした。
寺田寅彦氏は、本書の中で、「文明が進むに従って人間は自然を征服しようとする野心を生じ」、「重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った」、ひとたび大災害が起こった時に、「運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやが上にも災害を大きく努力するようにしているものは誰あろう文明人そのものである」と科学者らしい表現でシニカルに述べます。また、二十世紀の現代では、日本全体が「高等動物の神経や血管と同様に」「各種の動力を運ぶ電線やパイプが縦横に交差し、色々な交通網が隙間もなく張り渡される」いわば「一つの高等な有機体」であり、「その有機系のある一部の損害が系全体に対して甚だしく有害な影響を及ぼす可能性が多くなり、時には一小部分の傷害が全系統に致命的となりうる恐れがある」と、21世紀の現代ほどのネットワーク社会は予想できなかったでしょうが、「文明が進むほど天災による損害の程度も累積する傾向があるという事実」を十分に自覚し、平生からそれに対する防御策を講じなければならないと見通しています。
これらのエッセイが書かれたのは、関東大震災や室戸台風があった大正末期から昭和10年位までのことで、筆者は当時の被災地を見て、「過去の経験を大切に保存し」「過去の地震や風害に耐えたような場所にのみ集落を保存し、時の試練に耐えたような建築様式のみを墨守」していたからこそ、「そうした経験に従って造られたものは関東大震災でも多くは助かっている」のに対し、「ひどい損害を受けたおもな区域はおそらくやはり明治以後になってから急激に発展した新市街地ではないか」と述べているのが興味深い。同じ土地に集落が続く限りは、長老の経験も多かれ少なかれ受け継がれるのでしょうが、旧道には津波が届いたことを示す石碑があったのに新道が出来てからは津波のことが忘れられた、などの事例に見られるように、再び戦後さらに高度成長期にも開発が進み、それまでに「旧村落が『自然淘汰』という時の試練に堪えた場所に『適者』として『生存』している」のを越えて生活領域が広がったがために、災害に弱い街ができてしまっているであろう現実が想像されます。
こうして「日本のような特殊な天然の敵を四面に備えた国では、陸軍海軍のほかにもう一つ、科学的国防の常備軍を設け、日常の研究と訓練によって非常時に備えるのが当然」と提言されているのは卓見です。今回の東日本大震災でも活躍したのは、警察・消防もさることながら、自衛隊でした。救助と災害復旧に20万人規模の自衛隊の内の実に半分を動員し、まさかこうして困っている時に乗じて、例えば尖閣諸島を乗っ取るなどといったような悪意ある隣人はいないでしょうが、国防という観点からは、極めて異常な事態ではありました。小泉内閣以来の公共事業予算削減によって、土木・建設業界が弱体化し、災害復旧を遅らせたなどと批判する人がいましたが、本来、災害復旧のために土木・建設業界を養うのは筋ではありません。
更に、「政治法律経済といったようなものがいつの間にか科学やその応用としての工業産業と離れて分化するような傾向」があり、「科学的な知識などは一つも持ち合わせなくても大政治家大法律家になれるし、大臣局長にも代議士にもなりうるという時代が到来し」、「科学的な仕事は技師技手にまかせておけばよいというようなことになった」ために、「科学者の眼から見れば実に話にもならぬほど明白な事柄が最高級な為政者にどうしても通ぜず分からないために国家が非常な損をしまた危険を冒していると思われるふしがけっして少なくない」、「政治には科学が奥底まで浸透し密接にない交ぜになっていなければ到底国運の正当な進展は望まれず、国防の安全は保たれないであろう」と嘆いています。科学を中途半端にかじった政治家でも災いをなすのであって、実に現代においても示唆に富んでいると言わざるを得ません。「国運」という、些か古めかしい日本語が、現代的な意味を帯びて私たちの心に迫って来ます。