風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

東京マラソンへの道(1)

2012-09-28 00:13:39 | スポーツ・芸能好き
 「東京マラソン2013」の一般エントリーは8月末に締め切られ、マラソンの部の申し込みは過去最高の303,450人、抽選倍率は過去最高の10.3倍に達したことが報じられていました。見事に年々増加傾向にあり、事務局としては、まんまと図に当たった、といったところでしょう。抽選は、当初10月中旬に予定されていましたが、応募者に早めに結果を伝えるべく、昨日26日に繰り上げて「厳正なる抽選」が行われ、なんと私も当選してしまいました。初めての申し込みで、これもビギナーズ・ラックなのでしょうか。過去6大会で5回当選したツワモノの同僚を含む知人4人は玉砕し、もう1人当選しての6戦2勝は、10人中9人は外れる計算の中では上出来です。
 今年の1月から、週末に僅か5キロのジョギングを始めて半年が経ち、そろそろ距離を伸ばして、もう少し本気になろうと、今シーズンの目標を「東京マラソン」出場に置き、さらに“喝”をいれるために、早々と、この秋に開催されるいくつかのハーフ・マラソンの大会に申し込んでいました。しかし、いざ東京マラソンに当選してみると、本当にフルを完走できるのか不安になり、ちょっと気が重くなってきました。
 なにしろ最後にフル・マラソンを走ったのは、13年も前のアメリカ・サンディエゴの大会で、当時はまだ30代の若さを誇っていました。最後にハーフ・マラソンを走ったのは、かれこれ6年前のペナンの大会です(因みに1997年11月のNYシティ・マラソンから1999年5月のサンディエゴ・マラソンまで、5回出場したアメリカの大会のフル・マラソンの記録をネットで検索したところ、全て見つけることが出来ました。一度ネットに載った情報は未来永劫消すことはできないという厳然たる事実を身を以て知りましたが、これは余談です)。高校2年という最盛期?の陸上部・夏合宿の時に測った体重56キロを、今では17キロもオーバーして、とてもマラソンを走り切れそうな体形ではなくなりましたが、どこまで出来るのか、ちょっと足掻いてみようと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民主党代表選の不毛

2012-09-26 02:59:16 | 時事放談
 今日は国内の政治状況を巡るよもやま話・・・毎度のボヤキです。
 先週の民主党代表選は、下馬評通り野田さんの圧勝におわりました。野田さんは現職総理として、それ以前の二人に比べれば段違いによく頑張っておられると、自民党支持者でも多少なりとも評価しているだろうと想像されますが、それでも民主党は野田総理では選挙に勝てない、だからと言って細野氏が出馬を見送っては、「一強三弱」と言われる候補者の中で、野田さんを消極的に支持するしかない、実際に、原口元総務相にしても赤松元農水相にしても鹿野前農水相にしても、野田さんへの対立軸は、昨年8月の代表就任以来、離党者が72人(だったかな)にも達した民主党の分裂的な状況をどう打開するかでしかなく、有意義な政策論争には至らない・・・といった、ないないづくしです。もっとも、政権交代・奪取以外に大義がなく、もともと考え方がバラバラで纏まりのない民主党が、消費増税、脱原発のエネルギー政策、TPP参加といった重要課題の是非で党内すら纏められないようでは、政党の体をなしていません。政界は、さっさとガラガラポンして、政党の垣根を越えて保守大同団結すれば良いと、きっと誰もが思っているのではないかと察せられますが、どうなのでしょうか。諸外国は右傾化するとすれば警戒するのでしょうが、それこそ日本の政治が安定する早道だと思います。
 原口氏をはじめ、民主党の面々の話を聞いていると、政治主導を理解していないんじゃないかと、相変わらずの違和感を覚えます。たとえば原発ゼロのエネルギー・環境戦略を閣議決定しなかったことでは、「民意」を反映していないではないかと、原発ゼロに限らずいろいろな局面で「民意」という“金”看板が使われます。勿論、自由・民主主義社会である以上、「民意」は水戸黄門の印籠であり、ある重要な側面を伝えるものとして尊重すべきものですが、だからと言って、それでは国民が全てを理解して判断しているほど万能なのかというと、僭越にもそんなことは出来るわけがないと国民の誰もが百も承知なわけで、安全保障や外交はプロの官僚の判断に任せるしかありませんし、経済問題もそれなりに経済界の声を聞く必要もあり、それらを総合して、大局的な見地に立って(などと、これもいろいろな場面で言われますが)こそ政治判断が成り立つものだと、国民は理解し期待しているわけです。与党の政治家というものは、国家を背負って立つ以上、総合のプロでなければならない(野党の政治家であれば、福島某のように学級委員長的なお気楽さがあってもいいのですが・・・それでも彼女に、あるいは内輪のパーティで乾杯の音頭を取る以外に仕事がない元柔道家に対しても大事な税金が使われるのは甚だ不本意)。間違っても(菅さんのように)“市民”運動家の気質が抜け切らないとか、日本じゃない外国の団体の意向を汲むようなことがあっては困ります。贖罪意識は理解するも、日本の立場を弱め、国益を害するだけの村山談話や河野談話を支持し続けるようでは、(事実であればともかく、そうではない以上)将来に向かってまともな国家関係を築く礎とはなり得ません。
 元・外交官の田中均さんは、ある雑誌のコラムで、次のように語っていました。「中国や韓国、米国との関係で難しい問題であればあるほど、政府当局者がじっくり腹を割って話し、落とし所を探る必要があるが、日本の場合、官僚は政治には信頼されていないのでこの役割を果たせておらず、全て受身の対応となってしまっている」と。今の民主党政権は、「外交」に不慣れなばかりに、「民意」を振りかざして内向きの議論にフォーカスし、諸外国との関係、所謂「外交」をないがしろにし、後退しかねない危うさを感じます。否、現に後退しているわけで、普天間基地移設問題や新型輸送機オスプレイ配備で日米の同盟関係がぎくしゃくしたのも然り、ロシアや韓国や中国との近隣諸国との関係が領土問題でぎくしゃくしているのもまた然り。
 そもそもGDPで中国に後塵を拝したところで、人口が10分の1にも満たない日本の経済規模が、依然、互角であること、そして、いくら政治が安定しなくても、依然、世界第三位の経済力を維持していること、一億人もの人口を抱える日本が(格差が広がりつつあるとは言え)概ね豊かさを享受していることの事実は重く、それだけでも立派なことです。ところが、経済が後退(正確には停滞している間に世界が成長)しているのは事実にしても、だからと言って、世界の中で日本の影響力が低下しているなどと露骨に責めたてられるとすれば、まさに政治に責任があると言わざるを得ない。客観的事実を掴んだ上で、言葉のまやかし、そこに込められた悪意を見極めなければならないと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国の反日デモ・続

2012-09-22 13:47:16 | 時事放談
 あれから一週間が経ち、いろいろ変化したことがあり、またあれこれ解説が出回ってもいて、癪にさわるテーマで甚だ不機嫌ではありますが、印象に残ったところを記します。
 中国当局によると、日中国交正常化40周年事業の記念式典を、予定通り27日に北京で開催すると、日本側に通告しているそうで、公式行事くらいはやってやると言わんばかりのようです。その一方で、北京市当局は日本作家の作品など日本関連の書籍出版を禁止する通達を出したことが明らかになっていますし、日本からの輸入貨物の通関検査を強化し結果として時間がかかっている事態が報告されるなど、相変わらずのゆすり・たかりには唖然とします。
 さて、尖閣諸島国有化を決定した9・11から激しくなった反日デモは、満州事変の発端となった柳条湖事件を「国辱」の日として記念する9・18を過ぎたあたりから、本格的に抑え込まれつつあるようです(しかし、この満州事変に関しては、そもそも今の中国共産党政権が云々すること自体がおこがましい。清は満州民族の国であり、祖国・満州の地とともに、伝統的に漢民族の地である正州(万里の長城の南)も支配しましたが、清帝国が滅んでから、満州国という日本の傀儡政権が誕生するまで、満州の地は権力の真空地帯であり、中国共産党政権が権利を主張する正当性はありません)。公安がただの傍観から完全な抑え込みに入ったのは、確かにデモの矛先が反政府に向かうことを恐れているのは事実のようですが、「ガス抜き」の必要性が、2005年や2010年の時とは格段に違ってきているようです。地方都市で多発する、社会不満に起因する暴動や反政府デモにせよ、今回の反日デモにせよ、もはや完全に押え込もうとは考えておらず、どうすれば管理できるかに重点を置いていると言われます。つまり、かつてのように暴力的に弾圧するだけでは「怒りと憎しみの連鎖」を生むだけだとして、暴動・デモに対して先ずは「容認」、そして「ガス抜き」、最後は拡大・暴徒化する前に「分断」させるという方向に転換しているのだそうです(城山英巳・時事通信北京特派員)。この7年ほどの間に、ツイッター等のSNSが広まったことが背景にあるとは言え、もはや可逆的ではない中国社会の変容が読み取れます。
 これに関連し、福島香織さんは面白い表現をしていました。
 (前略)マッチで火を付けたのが「官」であっても、そこに燃料がなければ燃え広がらない。焼き討ち・略奪の発生など「中央政府も制御不能」とされるほどデモが広がったのには、そこに燃料があって、それに燃え移ったからだ。それは簡単に言えば「社会不満」である。私はこういった「暴力的な反日デモ」が本当に訴えたいことが「反日」や「日本の尖閣(釣魚島)国有化」であるとは考えていない。それは「石炭」の上におかれた「麦藁」程度のもので、「麦藁」は火を付ければぱっと燃え上がるがすぐ消える。(中略)「反日の麦藁の炎」から「中国の社会不満の石炭」に火が移り燃え広がるリスクの方がありそうな気がする。(後略)
 しかし、中国で社会不満の空気が充満しつつある国内事情など、知ったこっちゃありません。官製デモの証拠として、長沙の平和堂を襲ったデモ隊は地元紙・株州日報の動員によるものだったという参加者の証言があるとか、西安のデモ隊のリーダーが地元派出所所長だったことが、制服姿の顔写真付きで、ツイッターで流れていた(後に人民ネットなどが事実でないと否定)とか、得意気に報じる事情通がいます。どうも日本のメディアは、希望的観測あるいは気休めに何かと分析して自ら納得させようとか、あるいは日本人の奥ゆかしい美徳で(あるいは親中か媚中のサガで)中国の気持ちを忖度しようとかしますが、だからと言って、破壊や略奪や放火などの違法行為が許されるものではありません。
 なぜここまで激しくなったかということに関して、中国政府自身が尖閣諸島の領有権に関して「勝負に出た」からだと分析する人がいます(遠藤誉筑波大名誉教授)。9月9日、ロシアのウラジオストックで開催されたAPEC会議で、胡錦濤国家主席が野田総理と15分間ほど立ち話をする機会があったことが報じられましたが、日本では殆ど報じられなかった立ち話の内容は、中国では、当日のニュースで広く報道されたそうで、この時、胡主席は、日本政府による尖閣諸島(中国名:釣魚島)の国有化を巡って厳しく抗議し、「日本は事態の重大さを十分に認識し、まちがった決定を絶対にしないように」厳しい表情で釘を刺したと言われます。すなわち、
 (引用)ここのところ、中日関係は釣魚島問題で厳しい局面を迎えている。釣魚島問題に関して、中国の立場は一貫しており、明確だ。日本がいかなる方法で釣魚島と買おうと、それは不法であり、(購入しても)無効である。中国は(日本が)島を購入することに断固反対する。中国政府の領土主権を守る立場は絶対に揺るがない。日本は事態の重大さを十分に認識し、まちがった決定を絶対にしないようにしなければならない。中国と同じように日中関係の発展を守るという大局に立たねばならない。日本が「尖閣は日本固有の領土だ」と確信しているのと同じ程度に、中国も「釣魚島は中国古来の領土だ」ということを、同じ程度に強く確信している。国民レベルで言うならば、中国の方がこの「確信」に対する熱意は熱い。(引用おわり)
 つまり、「日本が少しは事態の重大性に気づくだろう」という期待感を滲ませたものでしたが、日本政府は予定通り翌10日に尖閣国有化の閣議決定を宣言し、11日に実際に閣議決定し、胡主席は、日本に対する警告が踏みにじられたと感じて大いに怒り、「戦う」ことを決意したというわけです。日本は「現状維持」から一歩踏み出したからだと、専門家はこれみよがしに解説します。ここで言う「現状維持」とは、小平氏(当時党副主席)が1978年に来日した際、「解決を後世の叡智に任せよう」と、尖閣問題棚上げを日本人に提案したことに端を発し、その後、日本政府は日本国民にすら上陸を許さないなどの措置を講じて来た現状を言います。しかし、既に1992年に中国の法律として「海洋法」を一方的に定め、「法律で尖閣は中国と定めた以上、あそこは中国領」と言い出した(「迫りくる日中冷戦の時代」中西輝政著)などと聞くと、なんだ「現状維持」を破ったのは中国の方が先ではないかと思ってしまいます。因みに、東京都による購入を日本政府による国有化に切り替えることには、当初、中国政府も一定の理解を示していたが、韓国大統領が違法に竹島に上陸してから、中国国内の中で、中国政府の弱腰を批判する声が高まり、態度を硬直化せざるを得なくなったと解説する向きもあります。是非はともかくとして、中国政府が民衆を利用する一方で、中国政府も民衆の声を無視できない、微妙な緊張関係にあることだけは事実のようです。
 ことほどさように、中国は、自らのイデオロギーに沿って過去の経緯だけでなく歴史そのものを歪曲・捏造し、ああ言えばこう言う、しかもそれは西洋的な価値観を信奉していないものだから、話が通じないし、戦わずして勝つ、つまり「我々は軍事力で日本を征服する必要はない。大量の移民で日本を溢れさせれば、戦わずして日本は中国のものとなる」(1980年代の初めに小平氏談、中西輝政氏の同著書)といった現実を、再認識する必要があります。日本は、西洋的な価値観を奉ずる国であり、中国に対して、主張すべきことは主張する姿勢を貫く必要があると同時に、常に国際社会に対して日本の立場を主張し、中国の異様さを訴えていく努力を怠らない必要があります(既に世界は十分気づいていると思いますが)。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国の反日デモに思う

2012-09-16 13:14:13 | 時事放談
 尖閣諸島国有化を決定して初めての週末となった昨日は、中国全土で史上最大規模の反日デモが繰り広げられた模様で、50都市以上で発生し8万人以上が参加したとの情報もあるそうです。今朝の日経新聞によると、北京・日本大使館や上海・日本総領事館の周辺はデモの人々で埋め尽くされ、叫び声が飛び交っていたのをはじめ、パナソニックの電子部品工場には暴徒化したデモ隊が乱入し、山東省青島の工場では火が出たそうですし、江蘇省蘇州では守衛室が壊されたそうです。青島にあるトヨタの販売店は放火され全焼したそうですし、同じ青島のジャスコ黄島店は約3千人のデモ隊に包囲され、窓ガラスが割られて臨時休業中の店舗に押し入られ商品が略奪されたそうです。湖南省長沙の平和堂(百貨店)でも破壊行為があったそうですし、四川州成都にある複数の日系コンビニ店舗ではレジなどが壊されたそうです。
 それにしても中国人は、遊牧民起源の激しい破壊性が抜け切らず、今なお漢民族優越の中華思想が根強くて、プライドが高くて鼻持ちならない国民性と思わざるを得ません。上海などで日本人と分かると暴行を加えられる理不尽が報じられていましたが、産経新聞オンラインによると、上海市内などに店舗をもつフランス系スーパーのカルフールは、食品を中心に商品棚から日本製品を撤去し始めたそうですし、中華料理店などでは「日本人入店お断り」との看板を掲げたり、「釣魚島(尖閣諸島)は中国のものだ」と叫べば飲食料金を割り引いたりする店も現れているそうです。韓国・大統領が竹島に強硬上陸した時に、日本では、大々的に非難こそ巻き起こりましたが、暴動や実力行使が起こるような事態は寡聞にして知りません。そもそも俄かに想像できません。破壊や暴力は決して許されるものではありません。
 遊牧民の破壊性の本能を引出し、現実の暴力や破壊に向かわせるものは何なのか。全体を流れる文脈を正確に理解するのは易しいことではありません。中国の国土の広がりと人口を考えれば、8万人規模というのは大きいとは言えませんし、そうするとどういう素性の人たちが参加しているのかにも疑問が湧きます。先頭に立つ人には主張がありそうで、活動家と見られますが、その後に続く人はお祭り騒ぎで参加しているだけという特派員の声がありますし、どちらかというと内陸部で起こっている破壊は、貧富の格差が相対的に大きい地域で高まっている不満の表れという声もあり、どうやら2005年の時に似た状況を感じさせます。何しろ中国全土で年に18万件もの民衆のデモがあると言われ、膨張する軍事費と同規模の警察予算を費やす暗黒の管理社会です。現政権をあからさまに批判すると逮捕・拘束されてしまいますので、反日に託けた内政への不満や批判が暴発している可能性があることは、今回も否定できません。
 ここでは反日に絞って話をします。私には、こうした暴動に駆り立てられる彼ら暴徒の、盲目的な行動を哀れと思わざるを得ませんし、彼らを外政に利用する共産党政権を許すことは出来ません。かれこれ20年以上も前の天安門事件で明らかになったように、中国・共産党独裁政権による共産主義社会建設は破綻し、グローバル化の波を避けられない彼らは、天安門事件を実力で排除することと引き換えに、計画経済でありながら一部に市場主義を取り入れる大転換を断行しました。それと同時に、愛国教育を開始しました。一党独裁で誤謬を許されない中国共産党は、失政に対する批判は選挙に反映され政権を追われるという一連のメカニズムが働かない代わりに、失政に対する不満や批判を、民衆の直接の暴動や反乱という形で受けて来た過去4000年の歴史に学んで、別の捌け口として日本という外敵に求めることにしたのです。日本の歴史については、日中戦争における日本軍国主義の侵略性しか教えられず(つまり2000年以上の交流をもつ日本の歴史のほんの15年だけ)、今では世界第二のGDPを誇る中国に対して、戦後から一貫して今日に至るもなお毎年数千億円のODAを供与し続ける日本のことも知らされず、中国の軍拡はおろか核弾頭を搭載した戦術弾道ミサイル24基を核非武装の日本に向けて配備し世界の覇権を狙う自国の現実すらも知らされず、極端で偏向した教育のもとで育った中国人が、日本や日本人に対してどんな意識や感情をもつことになるかは自明です。
 国家あるいは中国共産党に、いわば利用されているからこそ、「官製デモ」などと揶揄されますし、毎回、どこで暴動があるといった事前情報が出回り、警察は暴動を放置しておく場所と厳しく取り締まる場所のメリハリをつけて警備をしているも言われて、「秩序ある暴動(無秩序)」と言えなくもないわけです。今回も、デモ隊の横断幕には、「日本人は友好的だか日本政府は許せない」といったものも見られたそうですし、日本製品のボイコットを呼びかけながら、日本製デジカメでデモの様子を撮影する男性や、ドラえもんを描いたTシャツを着て行進する女性の姿も見られたのは、2005年の時と同じです。デモ隊に壊されることを警戒し、「車は日本製だが心は中国人」「次に買うときは日本車を買わない」などと紙を張った日本車もみられたそうです。
 計画経済だけでなく、民衆をもコントロールし、対外関係を有利に進めようとする中国共産党の自作自演・・・。不遜にもほどがあります。同じ計画経済のソ連共産党は、政権末期には60万件もの物価を決めなければならないと言われ、結局、崩壊しました。今回のような暴動を抑え切れなくなった時、不満は現政権に向かい、政権基盤を掘り崩すことになりかねないことは、中国4000年の歴史からも明らかです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マウリッツハイス美術館展

2012-09-15 22:29:45 | たまに文学・歴史・芸術も
 東京都美術館で開催中の特別展・マウリッツハイス美術館展を見に行って来ました。
 どうも、物が充足している昨今の日本の、とりわけ可処分所得が高いおじさん・おばさんは、その消費を「もの」よりむしろ「こと」に、つまり旅行や文化活動に振り向ける傾向があるのか、最近の美術館は、そんなおじさん・おばさんたちでいつも混雑しているように思います。そこで、おじさん・おばさんに占拠される前に(なんて他人事のように言ってはいけない年齢ですが)潜り込もうと、9時半開室の30分近く前に、並ぶ覚悟で出向いたところ、既に順次開室してくれていて、比較的スムーズに入室することが出来ました。東京都は、石原さん都政で顧客満足度が高くなっているように感じるのはただの気のせいでしょうか。ちょっと嬉しい誤算でした。
 前置きはこのくらいにして・・・今回の特別展は、「『王立絵画館』」の名で世界的に知られる、オランダ・マウリッツハウス美術館のコレクションの数々」(東京都美術館HP)で、同美術館は、「西洋美術史に大きな影響を及ぼした17世紀オランダ・フランドル絵画の世界的コレクションで知られています」(特別展のチラシ)。今回は、「2012年に同館が改修工事で一時閉館するのに伴い、名品約50点を選りすぐった展覧会が実現」(同チラシ)したものです。中でも、世界に三十数点しかないとされるフェルメールの作品二点(同美術館所蔵三点の内)や、レンブラントの最晩年の自画像をはじめとする6点は、壮観です。
 公式のステートメントはともかくとして、先ず感じたのは、これら絵画史上の画期が、まさにオランダ国家としての興隆(17世紀半から後半)と一致するところであり、勃興する市民階級が様々な絵画を所望したと説明されるように、文化は権力をはじめとする経済的豊かさに付随するという現実でした。また、今回の目玉であるフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」(「青いターバンの少女」、「ターバンを巻いた少女」とも呼ばれます)は、色の組み合わせはシンプルで落ち着きがあり、ターバンに使われるラピスラズリ(瑠璃)から作られた高価な絵の具の青(天然ウルトラマリン、所謂フェルメール・ブルー)を効果的に際立たるものの、技術的には必ずしも秀でているようには見えません。しかし、肩越しに見つめる憂いをたたえた瞳と半開きの唇の、微笑んでいるような、あるいは何かもの言いたげな、雰囲気のある表情が魅惑的であり、作品をして「北のモナ・リザ」「オランダのモナ・リザ」など「モナ・リザ」に譬えられるのが納得出来るほどの強い印象を与えます。これまで何度か修復され、とりわけ1994年から96年にかけて、入念かつ徹底的に実施され、結果として、絵はフェルメールによって描かれた当時の状況に非常に近いものとなっている(Wikipedia)のだそうで、見応えがあります。更に、「光と影の魔術師」「明暗の巨匠」レンブラントの深みのある画面構成に、あらためて感銘を受けましたし、「フランダースの犬」の主人公ネロの最期の場面に登場した、母と重ね合わせたと言われる聖母像が描かれたルーベンスの壁画(アントワープ大聖堂「聖母被昇天」)の下絵も、違った意味で印象的でした。
 一つ、仕方ないことではありますが・・・フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」は一番人気のため、上野動物園のパンダよろしく、立ち止まらないように歩きながら鑑賞させられるのが、物足りないところではあります(後方でじっくり鑑賞する黒山の人だかりがあるのも、パンダと同じです)。これも含め、全てにわたって、皆さん音声案内を聞きながらじっくり立ち止まって鑑賞する一方、短気な私は、離れたところから、ものの30分強で見終わってしまいました。勿体ないので、二巡目は、気に入った作品だけを見て回り、三巡目は、出口手前にある、この特別展のオフィシャル・サポーターとして「真珠の耳飾りの少女」に扮した、特別協賛の第一生命のイメージガール・武井咲さんのポスターを、もう一度見るためだけのために回りました(上の写真)。なかなか良い表情をしています。
 6月30日から二ヶ月半にわたって繰り広げられた特別展は、この三連休が最後です。国立西洋美術館でもベルリン美術館展が開催され、フェルメールの「真珠の首飾りの少女」が展示されています。私には比較できませんが、こちらのマウリッツハイス美術館展は間違いなくお勧めです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

尖閣諸島国有化

2012-09-14 02:40:50 | 時事放談
 一昨日、尖閣諸島国有化のために予備費を拠出することを閣議決定した上で、政府は地権者と尖閣諸島の売買契約を締結しました。石原都知事が仕掛けた東京都による買い取りを、国が引き取ったわけで、筋論でいけばその通りなのですが、石原都知事が仕掛けるまで国は動こうとしなかったこと(国はまるで相手にされていなかったと言うべきかも)、また、石原都知事が意図していたような実効支配は手控える模様であることからすると、ナショナリストの石原さんを表に出さないで国が幕引きを図るという、事勿れ主義の民主党政権の面目躍如で、うんざりします。
 案の定、「購入」は違法で無効だと、中国は猛反発しました。野田首相がウラジオストクで立ち話をした胡錦濤国家主席も、強い反対の意思を表明したそうですが、政権交代(勿論、胡錦濤さんの)の微妙なタイミングであり、今後も影響力を失わないためには、この刹那に妙な妥協は出来ませんから、ポーズだけでも強硬姿勢を貫くしかないのでしょう。
 二週間ほど前の産経新聞オンラインで見かけた、「中国人は竹島を、韓国人は尖閣をどう見る? 意外と多い『日本支持』」と題する桜井紀雄氏の署名入りコラムが面白かったので紹介します。
 先ずは中国のサイトで中国人は竹島の領有をどう見ているか。

(引用)
「百度」のコミュニティーサイトには、竹島問題を主題にしたものもある。書き込みの一つは、「(韓国人は)中国と関係する資料を用いて独島(竹島)が韓国に属していると証明する。つまるところ、自分に都合のいいものを引用するが、朝鮮の宗主国、明朝の海図文献には竹島は日本に属すると記載されている」と指摘した上で、「釣魚島は中国のものだが、独島(竹島)は日本のものだ。恥知らずの韓国人は出ていけ!」と韓国批判と日本支持を打ち出している。これに対して「親日的だ」という批判も書かれるが、それに再反論して「国際法的に言って竹島は日本のものだ」「世界に独島なんてない。あるのは竹島だけだ」というコメントがいくつも続く。こんな書き込みもある。「竹島問題では、8割のネットユーザーが日本を支持する。韓国に声援を送る中国人は1割に過ぎない」
(引用おわり)

 その理由として、「地震で日韓は全く違う態度を取り、中国人の韓国人に対する印象が非常に悪化した。加えて文化衝突や『白頭山』の嘘などでますます多くの中国人が韓国は友好国ではないと感じるようになった」からだと言います。

(引用)
四川地震直後、韓国人がネットに「ざまを見ろ」と書き込んだという話題が中国のネットに広がり、「炎上」したことがあった。反対にいち早く救助隊を送った日本に対しては「謝謝(ありがとう)! 日本」という書き込みが相次いだ。(中略)文化衝突と言っているのは、中国のネットに広がる「韓国人は何でもかんでも韓国発祥だと歴史を歪曲している」という批判を指すものだ。韓国で、漢字や漢方医学、風水思想は「韓国発祥だ」という意見が飛び出すたびにこれが中国のネットで誇張されて伝わり、韓国批判が繰り広げられてきた。「白頭山」は中朝国境にまたがり、朝鮮民族の間で聖なる山とされる存在。中国側では「長白山」と呼び、歴史的背景や“領有権”をめぐって中朝韓で論争が続いている。
(引用おわり)

 他方、韓国のサイトで韓国人は「尖閣諸島」の領有をどう見ているか。

(引用)
韓国最大手の検索サイト「ネイバー」の質問コーナー「知識イン」の書き込みを拾ってみた。韓国で「百度知道」に相当するサイトだ。尖閣問題についての質問に「琉球諸島の住民がここに工場などを建てたこともあった。第二次世界大戦後、米国の施政下に入ったが、1972年に沖縄とともに返還された」という日本側の主張と、「1372年の明朝時代に発見した」などと中国側の言い分を両論併記した答えが多い。「尖閣諸島は現在、日本が実効支配中です。中国領土ではなく、日本の領土です」と日本領であることを断言する書き込みも見られた。韓国が実効支配している竹島は「韓国のものだ」という主張の裏返しのようだ。尖閣問題は「単純に独島問題のような領土紛争ではない」と前置きしつつ、背景に中国側の事情があると指摘する書き込みもある。「日本は最近、中国と紛争を拡大させる理由はなく…」とやや日本の肩を持ちながら、中国はベトナムなど東南アジア各国と領土紛争を抱えており、尖閣でも引くわけにはいかないと解説する内容のものだ。さらには、「中国当局が尖閣と離於(イオ)島は自国領土と記載したとんでもない事実がある。これは歪曲だ」と中国側を非難する声もある。
(引用おわり)

 さて、ここに出て来る離於(イオ)島は、中国で「蘇岩礁」と呼ばれ、東シナ海の中韓の排他的経済水域が重なる海域にあって、厳密には島ではなく、海面下に沈む暗礁ですが、中韓双方がこの海域の主権を主張し、紛争のまっ只中に置かれているのだそうです。
 こうして見ると、日・中・韓の間でそれぞれに領有権問題を抱え、自国がからむ場合には愛国心の発火点となってムキになりやすい一方、自国と関係がないことには意外なほど冷静で多様な判断が働いていることが分かります。とりわけ日本ほどの自由がないと言われる中国で、存外さばけた見方をしていることに驚かされます。ネット社会が浸透しているということでしょうか。恐ろしいのは愛国教育、と、あらためて思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原発ゼロのポピュリズム

2012-09-09 11:04:48 | 時事放談
 民主党の調査会が将来の原子力発電への依存度に関する提言をまとめました。金曜日の日経新聞によると、「原発ゼロ社会」を目指す、として、「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」と明記したようです。
 今や産業界を代弁するかのような日経は、早速、「『原発ゼロ』提言はあまりに無責任だ」と題する社説で、「化石燃料に過度に頼ったために起きた1970年代の石油危機のような事態を繰り返してはならない」「多様なエネルギーを確保して電力を安定供給することが、産業や雇用の空洞化の回避につながる」「地球温暖化を防ぐためにも原発の役割は大きい」と正論を述べ、これらへの悪影響について十分な説明もなしに、「原発ゼロ」を打ち出すのは、「選挙対策とみられても仕方あるまい」と酷評しました。
 同じ日経の解説記事では、「大局観なき『原発ゼロ』」とタイトルをつけ、「2030年代に」と幅を持たせている上に、「運転を止めてもすぐに廃炉にはせず、いわば原子炉を眠らせておく選択へも含みを持たせて、万が一のエネルギー危機の際には、再稼働する保険的な狙いがあると受け取れる」ことから、「すぐにでも原発ゼロを求める声と、エネルギー安全保障の観点などから原発の維持を訴える意見との間で何とか折り合いをつけた苦肉の言い回し」と解説しつつも、半世紀以上、原子力を準国産エネルギーとして利用する政策を続けて来て、余りに拙速と戒め、政府と与党が第一に取り組まねばならないのは、二度と悲惨な事故を繰り返さないよう厳正な原子力安全規制を実現し、原子力政策への国民の信頼感を取り戻すことを急ぐべきではないかと主張しています。
 極めてまっとうな主張と思うため、長々と紹介してきました(余談ですが、最近の日経は、日経ビジネス等の雑誌への専門家の寄稿をうまく新聞へも取り込んで、経済一辺倒ではなく多角的な視点で解説ができるようになったと感じます)。脱原発は、長期的な方向性は間違いないという意味で、原発に反対するか消極的に支持するかは、どれくらいの幅の時間軸の中で実現するかどうかの差でしかないと思っています。問題は、民主党の調査会の提言は、どうも脱原発ありきで、総合的な検証に欠けるかに見えるところと、選挙目当てとしか思えないようなキャッチフレーズを使ってしまうことの軽薄さです。前原政調会長は、原発「ゼロを目指す」のであって「ゼロにする」とは書いていない、と苦しい言い訳をしていますが、「ゼロ」という言葉を使うこと自体が大衆受けを狙ったポピュリズムに見えて仕方ありません。二つ指摘したいと思います。
 一つは、原子力産業という点では、無くなるわけではなく、この先何十年も健全に維持して行く必要があることです。2030年代までは少なくともいくつかの原子炉を安全に管理・稼働し続ける上、50基もの原子炉を、順次、廃炉にするため安全に管理・解体していく必要があり、さらに既に存在する膨大な放射性廃棄物に加えて将来的な廃炉や解体作業から新たに発生するものを安全に管理・処分していかなければなりません。「ゼロ」を印象づけるばかりに、将来性がないと受け止められかねない原子力の安全を支える技術や人材が流出あるいは枯渇しかねないとしたら、罪深いことです。
 もう一つは、政策の整合性の問題、あるいは戦略の総合性の問題です。原発反対派は、この夏を乗り切ったことで、原発なしでもやって行けると自信を深めたことでしょうが、産業界はかなり無理をして節電に協力していますし、多くの国民も似たような状況でしょう。とりあえず原発を止めても、石炭があるドイツやシェールガスがあるアメリカと違って、資源の乏しい日本は、当座は化石燃料の輸入に頼らざるを得ず(メタンハイドレートが注目されますが将来の話です)、新興国の経済発展とともに需要拡大が見込まれ、コスト高騰とともに安定供給のリスクもあります。しかも現代の文明社会を支えるエネルギー源の中で、電力の占める割合はごく僅かで、ガソリン等の石油が圧倒的に多く、今後、石油への依存を減らして代替エネルギーを開発せざるを得ない状況にあって、今のところエネルギー密度が低い再生可能エネルギーで出来る範囲は限られているのが現実ですが、将来のことは措いておきましょう。当座の話としても、産業用途に必要な高密度のエネルギーを供給するために必要な原発再稼働なしに、成長戦略を(中身はともかくとして)実現して行けるのかどうか、また、膨大な予算を投入して建造した原発や原子力施設という一種の国家資産を眠らせつつ原発に代わる化石燃料の輸入増や自然エネルギー拡大のためのエネルギー・コストをかけ、結果として社会的なコスト負担を増やす一方で、失われた20年から産業を再生し、ひいては財政を健全化することに資することが出来るのかどうか、そうした政策のチグハグさを検証した上で、自信をもって「ゼロ」を宣言することが、果たして、今、必要なのかどうか、やはり説明が必要と思います。

(過去ブログ)
「原発再稼働に寄せて(後編)」 http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20120704
「原発再稼働に寄せて(前編)」 http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20120626
「渡部先生、吠える(下)原発問題」 http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20120609
「原発と放射線を巡る問題(7)」 http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20110828
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武士の情は中・韓に無用

2012-09-07 00:09:16 | 時事放談
 なんとなく、手触りがざわつく日中、日韓の関係ですが、ここ数日、それぞれで象徴的な反応がありました。
 先ず、韓国では、在ソウル日本大使館の門扉に小型保冷車が突っ込んだ7月の事件で、暴力行為等処罰法違反などに問われた被告に対して、ソウル中央地裁は、懲役1年、執行猶予2年の有罪判決を言い渡しました(5日)。他方、中国では、丹羽駐中国大使の公用車襲撃事件で事情聴取を受けていた男2人について、逮捕・起訴はせず、軽犯罪を処罰する「治安管理処罰法」を適用して行政処分とすることを発表しました(4日)。韓国では、司法はまがりなりにも機能しているようですが、中国は相変わらず法治ではなく人治の国で、絶望的です。小さいながら、外国の大使を襲ったテロ事件であり、大使の公用車を止めて国旗を収奪する非礼を働きながら、ただの軽犯罪でお茶を濁すとは・・・大局に立つとの名目のもと、波風を立たせたくない民主党は、これで手打ちにしたいと思っているのでしょうが、中国の国内事情など、私たち日本人には関係なく、是々非々で対処すべき外交問題のはずです。
 福島香織さんのコラムで、昔、北朝鮮の核問題をめぐる六ヶ国協議が北京で行われていた頃、中国のネットで流布した笑い話が紹介されていました。六ヶ国協議中、日本代表がトイレに席を立った時、みんなが我慢強い日本をどうしたら怒らせることができるか、という話で盛り上がったのだそうです。

 北朝鮮代表 「国民が拉致されても怒らない国だからな」
 韓国代表 「独島(竹島)を不法占拠されてもにこにこしているし」
 ロシア代表 「北方領土とられても平気みたいだ」
 中国代表 「反日デモで大使館に石投げても日中友好って言っているよ」
 北朝鮮代表 「さすがに核ミサイルを撃ち込みゃ怒るだろう」
 するとアメリカ代表がいった。「ダメダメ、それは俺がもうやってみたから」

 福島さんは、日本がお人好しであることを揶揄する内容だったと伝えていますが、私の感覚では、お人好しと言うより、武士の情けという、極めてストイックで、国際社会ではおよそナルシシズムに属する身勝手な論理で、日本は空回りしているだけに思えてなりません。
 日本は、いつまで東京裁判史観という、勝者が敗者を裁くという、国際社会であってはならない茶番に縛られ続けるのでしょうか。あるいは、韓国はともかく中国は・・・と言いたいところですが、敢えて中・韓ともに、「反日」でしか国をまとめることが出来ない哀れな国に、私たちはいつまで付き合わなければならないのでしょうか。困った隣人を持つ不幸を嘆く前に、私たち日本人は、児戯じみた反応で日本にたかるばかりの中・韓に対して、(捏造ではない)歴史的事実を主張すべきは主張し、彼らが羨む高品質で日本らしい豊かな国づくりを、粛々と続けて行くだけのことです。

(過去ブログ)
「どうしちゃったんだろう、韓国」 http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20120828
「厄介な隣人たち・・・中国と韓国」 http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20120512
「ある中国人留学生の激白」 http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20111207
「中国に乗っ取られる?(後編)」 http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20110124
「ノーベル賞(下)」 http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20101013
「近くて遠い国・続」 http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20100925
「近くて遠い国」 http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20100922
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

防災の日(後)備えあれば

2012-09-04 21:21:57 | 日々の生活
 防災の日には、全国で40万近い人が防災訓練に参加したそうです。我が町内会では、理事会を中心に、これまでややお座成りに実施されて来て、例えば昨年は、委員の方が炊き出しをしても、参加した住民が少なかったものだから、通りすがりの人にも振舞うような次第で、もっと多くの住民も参加して真面目にやらなきゃダメなどと正論を吐いていたものでしたが、今年は、自衛隊の炊き出し班まで参加して、近隣の町内会と合同で行う本格的なもののようなので、再び参加しました。
 防災訓練とは、Wikipeiaによると、古くは、バケツリレーなどの集団行動的な者が多かったが、現代では消火器の取り扱い、土嚢の作製、迅速な避難など火災消火を主とした物から地震や水害など広範囲に渡って訓練を行う様になった・・・とありますが、我が町の合同防災訓練では、小学校を借りて、講堂で看護用の三角巾の使い方の実習をしたくらいで、ほかには4人家族三日分の備蓄用食料品、簡易トイレ、プライベート・スペース、家具の倒壊予防器具を展示していたり、講堂にゴザと毛布を敷いて、一人一畳のスペース(の狭いこと!)を実感させたりと、啓発の意味合いが強いようでした。
 そうこうしている内に、ここ数日の不安定な天候のままに、ゲリラ豪雨とまでは言わないまでも、突然の大雨で、本当に避難せざるを得なくなりました。そんな中、急病人も出て、俄かに慌ただしく派遣されていた医者、さらには救急車を読んだりと、悠長に防災訓練と言っていられなくなりました。
 市の組織を中心に、各町内会を巻き込んで、防災組織が出来上がっており、日頃の訓練も出来ていることを心強く思うとともに、翻って私たち一人ひとりは準備が出来ているのか、何をなすべきか、考えさせられるひとときでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

防災の日(前)臭い物に蓋

2012-09-01 13:43:05 | 日々の生活
 二・三日前に、内閣府の有識者検討会が、南海トラフを震源域とする最大級の地震による被害想定を公表しました。死者最悪32万人と、一面の新聞社名の横の一番目立つところに踊っていて、今日の防災の日を前に、認識を新たにした人が多かったろうと思います。確かに地震と津波による被害は、東日本大震災の映像が刷り込まれているので、極めて分かりやすいですが、日本列島は火山列島でもあり、火山の噴火による影響も忘れてはいけません。
 最近読んだ「没落する文明」(萱野稔人・神里達博著)は、対談なので、体系的ではありませんが、哲学と科学史をそれぞれ専攻する二人の若手学者が、東日本大震災をきっかけとして、近代文明社会の成り立ちを自然環境やエネルギーの問題から縦横無尽に論じる、知的刺激に溢れた本でした。その中で、日本は、昔から地震の比較的少ない時期に発展してきたとして、例えば18世紀初頭、1703年に元禄関東地震、続いて1707年に宝永地震(今で言う、東海・東南海・南海の連動型地震)が発生してから、関東では大きな地震が150年くらい発生せず、江戸の発展を支えたと聞くと、なるほどと思わせます。そして19世紀半ばに、小田原地震や安政東海・南海地震など、再び地震が活動期に入ると、幕府は多額の復興費用を余儀なくされて財政危機に陥った上、復興もままならず、幕府への信頼性が失われて、幕府倒壊の遠因になったとも言われます。同じように、戦後の高度成長から80年代のバブル崩壊(あるいは阪神・淡路大震災)までの時期は、日本の社会が大きな地震を経験しなかった時期にあたると指摘されて、あらためて日本の戦後の繁栄の幸運を思うとともに、再び地震活動期に入ったと言われるきっかけになった東日本大震災という複合災害が加わって、政府の危機対応能力が疑われて政権基盤が弱体化している状況もよく符号し、面白く思いました。
 この江戸時代の元禄バブルにブレーキをかけ、文化の中心を上方から江戸に移す契機となったのは、これら地震だけではなく、宝永地震の49日後に起こった富士山の噴火の影響もあったと言います。富士山の噴火は、歴史に記録があるものだけで17回、その内、大噴火と言えるものは、平安初期の延暦期(800~802年)と貞観期(864~865年)と、この江戸の宝永期(1707年)の三回あったと言われます。宝永の大噴火では、噴出物が0.8立方キロメートルに達し、江戸で5センチ、横浜では10センチもの降灰があったほどの規模でした(江戸にこれだけの被害を与えながら、文化が上方から江戸に移ったというのは、今一つピンときませんが)。更に時間のスケールを広げると、9万年前に起こった阿蘇山の大噴火では、九州のほぼ全域と山口県までが高温の火砕流で焼き尽くされ、日本列島全域に火山灰を降らせたと言われており、この時の噴出物は600立方キロメートルと、桁が違い過ぎて想像を絶しますが、北海道ですら15センチ以上積もった証拠があるらしい。これは極端にしても、火山学者によると、日本列島では7000年に一回くらいは破局的な噴火が起こっているそうで、直近の7300年前に、九州の南の鬼界カルデラと呼ばれる海底火山が大噴火した時には、西日本が広く灰に埋もれ、その地域の縄文文明がご破算になったと言われます。因みに、この時の噴出物は170立方キロメートルと、これも桁違い。
 それでは噴火による降灰が日常生活にどれほどの影響を及ぼすかというと、東京都全域に1センチの降灰があると、除去するためには10トン・トラック約200万台、公道に限っても18万6千台が必要になるそうです。より深刻なのは、水源に降灰した場合で、浄水場の濾過装置が機能しなくなり、下水道では、1ミリの降灰でも下水処理場の平均的な汚泥処理量を超えてしまうらしい。電気系統は至る所でショートを起こし、コンピュータやネットワークをはじめとするエレクトロニクス機器が被害を受け、システム誤動作や停電が起こるのではないか。つまり溶岩や火砕流がなくとも、灰が何センチ積もるかによって、都市機能がマヒする恐れがある、と言うわけです。
 以上、「没落する文明」からごく一部の抜粋でしたが、近年、火山学などの理学系の専門家のみならず、工学系の研究者も加わって、大都市圏の降灰被害の影響とリスク・マネジメントなどの研究が始まっていると聞くと安心しますが、私たち一般人は、こうした情報に疎いですね。富士山の噴火は、所詮は他人事と思っているところがあるのではないでしょうか。原発の安全神話もそうでしたが、私たち日本人は、こうした臭い物に蓋をする傾向が強過ぎるように思います。目を背けたところで、いつのことかは分かりませんが、いずれ我が身に降りかかるもの。それで、諦めて一から出直す、などと呑気なことを言っていられたのは今となっては昔の話で、日本の都市機能は集積し過ぎて、取り返しがつかなくなる可能性が高い。不安定な時代に突入したとされる今を逃さず、私たちだけではなく私たちの子孫のため、リスクに向き合うという苦手な作業が必要だと痛切に思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする