風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

政争(2)挙党体制

2010-08-30 23:34:23 | 時事放談
 それにしても、なんとも情けない光景ではあります。
 今宵、首相官邸のぶら下がりで、菅さんは「適材適所で挙党態勢を作る」と述べ、民主党代表選で対立候補となるはずだった小沢さん一派のポスト処遇を匂わせました。心ならずもトロイカ体制が復活しかねない情勢に、涙目で、心ここにあらずの風情です。それはどうやら鳩山さんも同様のようで、格好良く仲介に乗り出しているかのように見えますが、実際には小沢さんに首根っこを掴まれて、こちらも心ここにあらずの風情です。
 もし私が小沢さんだとしたら、鳩山さんにこう言ってゴネたことでしょう。参院選のためにいったん身を引いてやったけど、一体いつまでワシを遠ざけとるんや? 鳩山、お前は首相になって本望、燃え尽きて次の総選挙に出るつもりがないのかも知らんが、ワシはまだやり残したことが一杯あるんや。いつまでも、反・小沢とか脱・小沢とか、うだうだ言うとるんやったら、民主党なんぞワシはいつでも飛び出したるでえ。
 そこでもし私が鳩山さんだとしたら、こう言い返してなだめたことでしょう。まあまあ小沢はん、短気は損気って言いまっしゃろ。自民党がずっこけたこととは言え、念願叶って手に入れた政権やないか。そう易々と手放す手はおまへんで。菅さんも話せば分かる男や。あんじょうとりなしますさかい、ここはひとつわてに任せてくれまへんやろか。
 別に小沢さんを弁護するつもりはありませんし、むしろ古いタイプの政治家で、民主党には相応しくないと思うのですが、小沢さんの経験と力量なくして、今日の民主党の躍進はあり得なかったことでしょう。ここまで政治が民意を離れて停滞してしまったのは、ひとえに政権を取らんがために余りに非力な民主党が小沢さんという異質な存在を抱え込まざるを得なかったジレンマにあると言えます(ついでに言うと、亀井・国民新党も、民主党が抱えざるを得なかったもう一つの異分子でしょう)。
 それにしても、マスメディアも、興味津々に政局を伝えてくれますね。本当に日本人は井戸端会議、あるいは給湯室での噂話、酒場での人事の話が大好きです。政治の貧困は、こうした国民性に由来すると言われても文句は言えませんね。
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政争(1)小沢さん出馬

2010-08-27 00:06:21 | 時事放談
 それにしても奇妙な乾いた光景です。昨日のブログで書いたように、円高、株安の流れが止まらず、世間では経済の先行きを懸念すること頻りなのに、政権与党の民主党は、経済無策であるばかりでなく、それこそ民主対自民という“コップ”の中どころか、民主党の代表選という“お猪口”の中の争いに熱狂する有り様で、国民は完全に置いてけぼりです。しかもこの熱狂の一方の主役は「政治とカネ」問題で検察審査会で審査中であり党幹事長を引責辞任した小沢さんであり、片棒を担ぐのが普天間基地移設問題と「政治とカネ」問題で首相・党代表を引責辞任し、首相経験者は次の総選挙に出るべきではないなどと言い放って、すっかり謹慎しているものとばかり思われていた鳩山さんと来るのですから、心ある国民は呆れてモノも言えません。
 民意は、菅さんでは頼りないと思う反面、首相がころころ変る状況はこりごりなので、消極的な菅さん支持にあるわけですが、この際、体裁を気にするばかりの民意など、どうでもよろしい。もし指導力を発揮して、今の日本の閉塞状況を打ち破る期待があるのであれば、仮に「政治とカネ」問題で限りなく黒に近いグレーの人であっても構わないと私は思います。しかしながら、怨念の政治家・小沢さんは、参院選の敗北や、官僚主導を強める政権運営を批判するのはともかく、衆院選マニフェストを修正したことでも菅さん批判を強めているとされるのを聞くと、私には残念ながらそこに正当性のかけらも見出せません。一説では、参院選敗北は現政権にNoが突き付けられたものである以上、枝野という反・小沢の急先鋒を幹事長に据えたまま脱・小沢路線を譲らない菅さんに対して、小沢一派が政権刷新の意味からも幹事長職を寄越せと迫ったにも係わらず、菅さんは受け入れなかったことが対決を抜き差しならないものにしたと言われますが、このまま地盤沈下しかねない小沢さん一派の焦燥感が伝わって来るエピソードです。案外、小沢さんを取り巻くこの一派こそ、民主党の現実をよく認識しているのかも知れません。なにしろ小沢さんを担がない限り民主党はとても政権を担えないほどの素人集団だと自己認識しているのかも知れませんから。
 こうして代表選にうつつを抜かす菅政権と小沢さん一派と鳩山さんに対して、一年生議員をはじめとするその他の民主党議員は民意になびくしかないとされるのもまた情けない無定見さで、代表選は菅さんがやや有利と報道されるのを見るに及んで、この国の政治の不毛が嘆かわしい。
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夏休み

2010-08-25 23:52:04 | 時事放談
 今日の日経平均株価は一年四ヶ月ぶりに8900円を割りこみ、外為市場では円相場が1ドル84円台前半で推移するなど、市場は政府・日銀の対応を注視していますが、政府は外向きには夏休みが続いています。さすがにこのまま無策ではいたたまれなくなった財務相は、口先だけは介入も辞さない姿勢を見せたものの、市場はとっくに足元を見透かしていて、反応しません。菅さんに至っては、数日前のことでしたが、具体策が打ち出せないものだから、日銀総裁と直に会って打ち合わせることすら出来ず、電話で話しただけ。そのくせ民主党代表戦に向けて、せっせと一年生議員にゴマをするなど、内向き志向、政策より政局志向は相変わらずで、ほかにも難問山積のはずですが、この内閣の不作為はもはや噴飯ものです。自民党政権でも、必ずしも政治家が有能だったわけではありませんが、当時は有能な官僚が働いてくれました。今、民主党政権では、政治主導を喧伝し過ぎたか、官僚もサボタージュを決め込んでいるようです。
 今日、電鉄会社のホテル部門に出向している学生時代の友人からメールがあって、来月、東京出張があるという連絡のついでに、景気後退懸念で宴会需要は低迷、円高で外国人旅行客が減少し、業績下方修正せざるを得ないとぼやいていました。我が社のような輸出企業も業績に大打撃を受けているのは言うまでもありません。
 民主党政権の政治家は週末の高速道路に乗らないから、高速料金1000円ですらどれほどの混乱を招いているか知らないし、労働組合の方ばかり向いているから、企業経営者の悩みも分からない・・・としか思えません。世間では夏休み気分はすっかり抜けているというのに。
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オープン・キャンパス(2)慶應編

2010-08-20 12:10:47 | 日々の生活
 昨日、私の変則夏休み後半の部が始まり、上の子とともにオープン・キャンパスに足を運びました。今回は、慶應義塾大学です。
 慶應と言えば、私自身わざわざ大阪からすべり止めに文学部を受験しようと思い立ち、願書を取り寄せ、宿泊や新幹線予約の一歩手前まで行きながら、結局、受験を取り止めたことがあるいわく付きの大学です。法・経済学部系を志向しながら、慶應だけは何故か文学部を選んだのは、当時まだ学生だった紺野美沙子さんに偶然会えるかもしれないという野次馬根性からであることを自覚し、そうした面白半分の思いつきは、今思うと、受験の中で自ら積み上げて来たものを壊したい衝動だったのかも知れませんが、結局、面倒くさくなったのでした。その後、大学を卒業して今の会社に入ると、上司や同僚など至るところに慶應出身者が溢れ、三田会などと、私の出身大学にはない結束力もあって、半ば羨ましく、半ば反発する思いもあり、中途半端な距離を保ってきました。
 訪れたのは理工学部の矢上キャンパスで、日吉キャンパスの丘を下った先にあります。実は私は駅の反対側にある会社の独身寮に5年間入るご縁もあったのですが、慶應キャンパスには一度も遊びに行ったことがないばかりか、駅のこちら側に降り立ったことすらなく、それが目新しいばかりでなく、日吉駅そのものの変わりように、20年の年月を感じました。
 さて、肝心のオープン・キャンパスでは、午前中は子供の高校のクラブ活動があったため、中途半端な時間に到着し、さる教授による学部説明を聞いただけでしたが、併せて理工学部紹介のパンフレットを見ていると、上智と比較しての話になってしまいますが、理工学部としてカバーする領域の広さと施設の充実度が際立ちます。ユニークなのは、入学の際には5つの学門(問ではなく、まさにGateとしての門)から入り、二年目から進むべき専門課程としての学科を見極める時間を置いているところでしょう。詳しくないので何とも言えませんが、東大の文及び理1・2・3と発想が似ているかも知れない。専門課程に入るにあたって、予め多少の幅を持たせて融通をきかせるのは、不慣れな子供たちにとっては有難い仕組みです。
 在学生を「塾生」と呼ぶのは聞いていましたが、卒業生を「塾員」と呼び、学生・卒業生・教員などの関係者を総称して「社中 (または義塾社中)」と呼ぶとは初めて知りました。また、今回のオープン・キャンパスでも、学科紹介は「学問のすすめ」と銘打ち、それぞれ「xxx学科のすすめ」とタイトルするこだわりようは、伝統校ならではのプライドでしょうか。もっと古臭い建物を想像していましたが、図書館をメディア・センターと呼ぶことをはじめとして、全てが所謂“慶應”のイメージ通りに小奇麗で、背後に財政的な余裕をぷんぷん感じさせます。それは、暑い一日で、しかも日中の移動となり、キャンパスが広くて歩かされて、ことさらに暑さを感じさせられながら、前回の上智同様、建物に一歩入ると冷房完備できゅんと冷やされるところにも感じさせます。私が通った田舎の国立大学とはえらい違いです(もっとも今はさすがに冷房が入っているかも知れないが)。あの頃の、ちょっとかび臭い木造の机や椅子や廊下が、懐かしい。
 相変わらず日本の学校制度への理解が乏しく、進学の意欲や志向が湧かない我が子ですが、道すがらの会話にちょっとした変化が感じられ、もしやオープン・キャンパスを同じように訪れる大勢の高校生たちに囲まれ、少しはその気になったのかも知れません。親がくどくど言うよりも、同じ年頃の友人・知人の一言や行動に最も感化されやすい年頃だからです。また、大学というものを具体的に見て歩いたことも作用しているかも知れません。やはり話を聞くだけではなく、目で見て肌身で感じることこそ重要です。そうだとするならば、暑いさ中に付き添いで外出する親の苦労も報われたか。
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エコ・ポイント

2010-08-19 01:39:30 | 時事放談
 円高傾向はここ暫く変りそうにありません。お陰で海外に残したままの豪ドル預金もマレーシア・リンギッ預金も、なかなか国内に呼び戻せそうにありません。日本経済のファンダメンタルズはそれほど良くないのに、何故、このような円高傾向が続くのか。昨日の日経では、欧米が、財政・金融政策を使い果たし、通貨切り下げの為替政策に踏み込んだと解説していました。それに対して、市場では日本政府・日銀の無策批判が渦巻いている、と。確かに欧州ではギリシャ以外にも財政悪化懸念の国々が控え、先行きに不安がありますし、ここに来てアメリカの景気にも減速懸念が出て、消去法的な理由で円が買われている(今朝の日経の三井住友銀行頭取発言)にも係わらず、見守ることしか出来ていない状況は、理解できなくもありません。
 そのせいで、日本の景気の腰折れ懸念もあり、テコ入れのため、政府では経済対策の検討が始まっています。財源に話題が及ぶと、国債の追加発行は避ける方針なのは良いとして、また2010年度予算の経済危機対応・地域活性化予備費の未使用分を使い回すのも良いとして、どうして2009年度決算の剰余金を活用するという話になるのか、経済音痴の私には俄かに解せませんが、それもまあ良いとして、必ず景気刺激策として出てくるのが、12月末に終える予定のエコ・ポイント制度の延長で、こればかりはどう考えても理解に苦しみます。景気刺激のためとは言え、同じ金を使うにしても愚策の部類に入るだろうと思います。
 かつて中国の故事で、人に魚を与えれば一日食い繋いで終わるだけだが、魚の捕まえ方(釣り)を教えれば一生食べて行ける、といった含蓄のある内容のものを聞いたことがあると思います。老子の言葉「授人以魚、不如授人以漁」とされ、まさに北欧の福祉政策は、もはやただのばら撒きではなく、自立を支援する方向に舵を切っていますし、意味のある公共事業投資は、将来にわたって維持・運営の需要を産みます。ところがエコ・ポイントは、買い替え需要を一時的に刺激するものの、需要の先食いに過ぎなくて、その後には必ず反動が来るものです。エコ・ポイントにたぶらかされて通常より早めに買い替えた家電製品は大事に使おうと思うのが庶民の感覚であり、買い替え自体はそうそう続くものではないからです。
 こうした視点で民主党の政策を点検して見ると、余りに場当たり的な魚のバラ撒きが多いことに気づきます。どれもこれも賢い投資という網に引っかかって来ません。中国の面白さは、2500年前に既に文明の極に達しながら、その後は低下するばかりであることでしょう。日本人だって、魚をバラ撒くばかりでは、先が思い遣られるのですが・・・。
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しながわ水族館

2010-08-15 15:13:13 | 永遠の旅人
 昨日は、下の子を連れて、しながわ水族館に行って来ました。
 最寄り駅は京急・大森海岸駅と、都心からちょっと離れて不便ですが(大井町駅から無料送迎バスがある)、品川区民公園の一角にあって、ホッと一息つける雰囲気です。レストランや土産物売り場は隣接して別棟にあり(チケットがあれば水族館への出入り自由)、以前、近くのビルにオフィスがあって勤務していた頃、そのレストランまで昼食をとりに来たことがあって、その当時からどんな水族館か気になっていました。
 区立でありながら、こぎれいな水族館で・・・なんて言うと区立の施設に対して失礼ですが、HPを見ると、サンシャインシティ内の文化・娯楽施設やサービス施設を運営する業者に委託しているようで、言わばサンシャイ国際水族館と兄弟分にあたります。小さいながらも、アシカ・ショーやイルカ・ショーがあり、ショー・タイムに合わせて、空き時間に魚を見て回ることになりますが、その魚たちも、トンネル水槽のエイやサメはなかなか迫力がありますし、ペンギン・ランド、アザラシ館、シャーク・ホールをはじめとして、ピラニア、テッポウウオ、ニモや、アマゾンや東南アジアの巨大魚までいます。ふれあい水槽ではヒトデなどに直接触れることが出来ますし、イルカ・ショーやアシカ・ショーを、地下から水槽を通して見るポイントがあったり、クラゲを前景に撮影するポイントもあったりして、水族館としてひと通りの機能や設備が整っており、子供だけでなく大人も十分に楽しめます。小ぶりで歩き疲れないのも却って良いこともあるでしょう。
 入館料もサンシャインの1800円に対して1300円と小振りです(品川区民であれば800円)。JAFカードで100円引きになりました。レストランの食事も人気のようですが、この日はお盆だからと高を括っていたら大混雑で、仕方なく、道端の弁当にしましたが、周囲は公園なので、真夏でなければ、おむすびや弁当持参でピクニック気分を楽しむのもよいでしょう。
 この水族館の「あゆみ」を見ていると、 “海や川とのふれあい” の場を求める品川区民の強い要望が、オープンのきっかけとなったようで、水族館として、巨大施設に大型アトラクション満載も良いですが、小ぶりながらも身近にこのような施設があるのは羨ましい環境だと思いました。
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神宮:ヤクルト・巨人戦

2010-08-12 11:29:58 | スポーツ・芸能好き
 昨日は私の変則夏休みの初日で、神宮球場で行われたヤクルト・巨人の16回戦を、高校一年生の上の子と一緒に見に行って来ました。
 子供にとっては、11年振り二度目、日本では初めての野球観戦です。最初は、サンフランシスコのスリーコム球場で、ブリュワーズに在籍していた野茂投手が、地元ジャイアンツを相手に孤軍奮闘するのを応援したものです。当時はまだ5歳。本来、小学校高学年から中学生の間にいろいろ経験していくものですが、その間を海外で過ごしたため、昨日は、遅ればせながらの社会見学でした(という名目で、お父さんの方が楽しみにしていました)。その私にとっても久しぶりの神宮球場で、6~7年前、職場の同僚と、余り人気がないヤクルト・広島戦などを肴に、外野の自由席を勝手に自分たちのビア・ガーデンならぬビア・パーク?にしたものでしたが、今日は奮発して4500円も払って、三塁(ビジター)側のS席です。
 この日の対戦は、7連勝中のヤクルトに対して、5連敗中の二位阪神を引き離せないでいる巨人と、対照的な取り合わせです。先発も、7月に4勝、防御率2.16をあげて月間MVPに輝いたヤクルト・石川に対して、ここ5戦で勝利がない巨人・内海、打線も絶好調のヤクルトに対して、巨人は、当たると大きい阿部は今日こそHR2本打ちましたが調子は下降気味、4割近い打率が落ちるばかりの松本や、今日のスタメンで初めて8番に落ちた坂本、また長野などの主力のバットも湿りがちで、そのチームの勢いを映すかのように、序盤こそ巨人の打線が奮起しましたが、内海は3回をもたずに降板し、後を受けた野間口も打ち込まれて逆転を許し、後半は、調子を戻した石川に巨人打線は沈黙し、さらに林昌勇につなぐ継投で逃げ切られました。
 9回表、巨人最後の攻撃では、坂本の際どい内野安打に続いて、代打・由伸がクリーンヒットで続いたあたりで大いに盛り上がり、松本の送りバントで、一死二・三塁として、脇谷の凡フライの後、二死・二・三塁の一打同点のチャンスに、小笠原を迎えた場面は最高潮に達しました。一打出れば、ラミレス、阿部と続くだけに、大いに期待されましたが、小笠原はあえなく三振し、小笠原でダメなら仕方ない、最後に盛り上がって良かったじゃないかと慰めつつ、夏の夜空に散る花火のようにパッと散って、無念の家路につきました。
 三塁(ビジター)側S席は国際線エコノミー席並みの狭さで、窮屈この上なくて不満でしたが、折からの台風4号の風が時折り吹き抜けて幾分暑さを和らげてくれ、300発の花火が彩りを添え気持ちを和ませくれました。何より野球場の雰囲気が良いですね。この日は26,082人と発表されましたが、これだけの野球ファンが一堂に会して、敵・見方に分かれて応援を繰り広げ、一球一球を固唾を呑んで見守り、プロの技に魅了される・・・いくら遠目にしか見えなくても、この臨場感には、また球場に足を運びたくなってしまう魅力があります。さて、子供はどう感じたか。
 上の写真は、花火300連発。
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スマイル・カーブあれこれ(下)

2010-08-11 16:13:50 | 時事放談
 日本の製造業は、私が物心ついた頃から、ということは、過去30年の間に、二度、大きな変化の波に晒されてきました。
 一度目は、1985年のプラザ合意で、急激な円高が進み、円が一気に二倍に切り上がったため、日本国内で生産し輸出していたのでは採算が合わなくなり、為替や人件費を含めて製造コストが安い国に戦略的生産拠点を求めたり、更には消費地生産するようになりました。これは、海外で販売するものは海外で生産し、国内で販売するものは国内で生産するといった、対外的な対応、量的な対応と言うことができ、輸出依存度(GDPに占める輸出の割合)がそれまでの15%から10%くらいまで急激に下がったことに象徴的に表れています。
 二度目は、これまで述べてきた1990年代以降、技術革新と、真の意味でのグローバリゼーションが進展し、新興国が新たな生産拠点として台頭したことで、とりわけ成熟した電子機器産業のように、技術革新の余地が乏しく、差異化のポイントよりも価格が主要な購買要因となるようなコモディティ(日用品)商品領域にあっては、国内市場においても、新興国で受託生産を請け負う会社を活用するコスト競争力の高い海外メーカーと競合するようになりなったことです。その結果、日本のメーカーは、国内の工場を徹底的に自動化・省力化したり、飽くなき生産革新を追求するなど、けなげな努力を続けて来ました。生産技術の伝承という観点からも、国内の製造から完全撤退するのは製造業の看板を降ろすに等しく、BTOやCTO(顧客から注文を受けて生産)といった一部の機能だけでも国内に残すような形で、製造業の面目を保てる内は良いのですが、中には国内での生産をあきらめて、保守・修理拠点に衣替えした工場もありますし、更には製造は外注管理するだけで、いわば商品を企画・開発し、販売・サービスするだけといった、ものづくりが抜け落ちてサービス化した企業も少なくないのではないかと思います。これは、一度目の対外的・量的な対応と比べると、対内的・質的な転換であり対応だったと思います。
 こうしたミクロでの企業努力は、コストをぎりぎりまで切り詰め、工場の社員を非正規雇用に切り替えてでも国内で生産を続けることを選ぶことにもなりかねませんし、マクロで見ると国内製造業の空洞化と呼ばれる現象となり、雇用の海外流出に繋がっている可能性もあります。しかし安い価格を求める消費者に応じた企業行動を、誰が非難できましょう。失われた20年は、他国が(先進国ですら)低成長ながらも経済成長する中で、日本では現状維持がせいぜいで、相対的に地盤沈下した時期にあたり、経済学の世界では生産性の低下によるものと説明されますが、それはこうしたサービス化の進展と、更に言うと生産性の低い企業も痩せ我慢して生き延びる日本の社会の硬直性も一因ではなかったかと思います。だからこその構造改革だったと思うのですが、その後の政治は、日本の経済をどういった方向に導くべく、政策決定を行って来たのでしょうか。
 以上、データで裏づけが取れればよいのですが、余り一般的とは言えない局所的な現象を取り上げているかも知れず、やや定性的・感覚的に過ぎるかも知れませんが、経済の専門家ではなく飽くまで一企業人として、棲んでいる狭い世界から覗いた世界を述べてみました。悪しからずご了承ください。
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スマイル・カーブあれこれ(中)

2010-08-07 10:58:47 | 時事放談
 スマイル・カーブは、垂直統合の開発・生産体制が一般的な自動車業界には当てはまらないのではないかという指摘があります。それは、この業界では部品相互間の摺り合わせや生産革新が、依然、競争優位の源泉であり、グラフの真ん中あたりの生産・組立て工程でも十分に付加価値が高いからでしょう。限定的ではあっても、ものづくりの付加価値が高い領域はあると思います。しかし、自動車業界においてすら、エレクトロニクス技術への依存度が年々高まっているのが現実で、いずれパソコン業界の構造に近づくことも予想されます。
 こうして見ると、冷戦崩壊以降、真の意味でのグローバリゼーションが進展し、中国や東欧などが世界の投資を集め、低廉な労働力を武器に、それまでものづくりで圧倒的な強さを誇っていた日本を脅かし、世界の工場ともてはやされるようになった背景には、エレクトロニクス技術がブラックボック化され、誰でも簡単な組み立てによって製品が出来てしまう技術の進歩があるようです。今やモノだけではなくソフトまでもがモジュール化され、それぞれの部品やモジュール品の生産プロセスには品質改善の暗黙知がつくりこまれていたり、職人芸が生きるものづくりの世界が依然残っているかも知れませんが、結果として生み出されたモジュール品を組み込んだ製品自体は誰にでも手に入るコモディティ品(日用品)に過ぎません。
 そういう意味で、世界の産業構造は、誤解を恐れずに言うと三段階くらいに多構造化し、左側の上流工程にある部品(モジュール品)の作りこみは、ある意味でブラックボックス化され、ものづくりの職人芸が閉じ込められた世界とも言え、相対的に付加価値が高い世界であり(サムスンの携帯電話に使われている部品の6割は日本製だと言われます)、真ん中の流域はこれら部品(モジュール品)を製品として組み立てるだけで付加価値が低い世界であり、下流はこれらの製品群をトータル・ソリューションとして作りこみ、あるいは製品群にサービスを提供して維持しあるいは人々を惹きつける、場合によっては生産性は低いかもしれないけれども付加価値が高い世界になっているように見えます。スマイル・カーブの有用性は、だから付加価値の高い領域に集中するべし、といった単純な議論ではなく、相互に連関する一連のビジネス・プロセスとして、それぞれの工程がどのような特性をもちどれほどの付加価値を生み出し得るかというポテンシャルを理解しながら、下流域に向かって、むしろ下流域から見て、どうしたら全体を効率が取れて利益を最大化し得る流れになし得るかという、事業構造をリデザインするフレーム・ワークになり得るところにありそうです。我が社の幹部が、アップルのiPodやiPadの中で、我が社に出来ない部品や技術はあるか?と自問自答していましたが、つまり誰にでも出来る製品でありながら売れる製品を考える必要がある、もっと言うならその先の下流域にあるサービスも含めて、人々に求められるビジネス構造をデザインしなければならないということだろうと思います。
 たとえば成熟産業としての繊維・アパレル業界を見てみますと、ファーストリテイリングは、小売業の立場から上流工程に手を広げ、商品企画・開発から生産調整まで自らのビジネスに取り込む、所謂SPA(speciality store retailer of private label apparel)と呼ばれる業態を日本で確立し、収益基盤を磐石なものにしました。従来は、衣料品メーカーが百貨店などで委託販売し、売れ残りは返品するという商慣習にどっぷり浸かって構造的に沈滞化していた業界に一石を投じたわけです。昨今珍しいほどに大量に出店する一方、商品のアイテム数は絞り込んで、消費者の選択を容易にするとともにコスト削減に必要な生産ボリュームを確保し、売れ残りリスクを最小化するなど、小売り(右端)の目線で業務プロセス全般の再構築を行ったのでした。
 エレクトロニクス技術がブラックボックス化されたことによって、業界構造か変った顕著な例としてカメラ業界を挙げることが出来ます。かつては光学技術とメカトロニクスの固まりで、ニコン、キヤノン、オリンパス、ペンタックス、ミノルタ、コニカといった老舗企業が割拠していましたが、このうちペンタックスはレンズメーカーのHOYAに買収されてしまいましたし、コニカとミノルタは合併したのも束の間、ついにカメラ事業から撤退(ソニーに事業譲渡)してしまい、デジタル・カメラ全盛の今もなお健闘しているのは、キヤノンくらい(辛うじてニコン、オリンパス)ではないでしょうか。カシオ、ソニー、パナソニック、富士フィルムといった、かつては考えられなかったようなプレイヤーに置き換わりました。今はまだものづくりの中に何らかの比較優位があるのかもしれませんが、いずれこの業界構造は変っていくことでしょう。同じように自動車業界も、これから大いなる変革に見舞われそうです。トヨタは、ものづくりだけではなく、本来は他業種が提供するべき自動車ローンというファイナンシャル・サービスを自らのビジネスに取り込み、かなりの利益を稼いできたと推測されますが、自らのビジネス・プロセスを再構築するまでには至っていないようです。ホンダは、電気自動車に重点をシフトする中で、創業以来の危機と言う言い方で、変革期を捉えていました。カメラといい自動車といい、単なる技術革新にとどまらず、事業全体をどう捉えるかという視点で考えていくことが重要なのだと思います。
 これまで二回は、産業構造やものづくりの視点で見てきましたが、最後に次回は、経済的な意味合いに触れてみたいと思います。
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スマイル・カーブあれこれ(上)

2010-08-05 03:49:54 | 時事放談
 スマイル・カーブとGoogleで検索すれば、腐るほど関連頁が出てくる有名な言葉で、もとは台湾のパソコン・メーカーとして草分けのエイサー社の創始者であるスタン・シー会長が、パソコンの製造工程における付加価値の特徴を述べたのが始まりだと言われていますが、現代の成熟産業を説明するのに、なかなか便利なフレームワークです。
 これは、横軸・右方向に向かって「ものづくり」の業務プロセスを、縦軸に付加価値または利益率をプロットすると、ちょうど真ん中あたりに位置する製造・組み立て工程では付加価値がつけにくい一方、両極端、すなわち左端(上流)にあるマーケティング、商品企画、さらにはビジネスモデル革新や、右端(下流)にある最終顧客に近い販売、サービス業務において、より付加価値が高く、従って利益率も高くなるというもので、グラフに表現すると、ニコニコ・マークのように、笑顔で上向きに歪む口の形に似たカーブを描くことから、この名前が付きました。その後、この業界では水平分業が進展したため、横軸にそれぞれの工程に特化した業界を配置するようになりました。真ん中あたりに位置するパソコン・メーカーは利幅が薄くカツカツで商売し、彼らの利益は、左端(上流)に位置する、ウィンテルと通称され市場を独占し荒稼ぎしたことで名高いインテルやマイクロソフトのようにキー・テクノロジーやキー・コンポーネントを押さえる企業群や、右端(下流)に位置する、ヤマダやヨドバシのような量販店やシステム・インテグレーターなどに吸い上げられているというわけです。コンサルティング・サービス業者も右端に位置しますし、グーグルやアップルも、サービスを提供するという意味では右端に位置づけても良いでしょうし、ビジネスモデルを革新したという意味では左端に位置づけても良く、いずれにしても労多くして利幅が薄い中央近辺の舞台からは遠く離れて、口の形のグラフを両端から吊り上げているイメージですね。
 その結果・・・と言うより、殆ど同時進行で何が起こったかというと、もはや自分たちの価値を付加しづらい、従ってコアとは言えない領域はアウトソーシングするというMBAの教えに従い、利幅が薄い製造・組立て工程を外注する企業が相次いだため、それらの業務がEMS(Electronics Manufacturing Service)あるいはOEM(Original Equipment Manufacturer)と呼ばれる相手先ブランドで生産を受託する業者に集約し、これら業者が台頭するようになりました。その後、更に製造工程の上流に遡り、設計までも手がけるようになったため、ODM(Original Design Manufacturer)と呼ばれるようになりました。パソコンの筐体の形状やデザイン(所謂インダストリアル・デザイン)が違うだけで、蓋を開けたら中身は同じ・・・というような事態に至っているわけです。利幅が薄いとされる業界で、台湾企業が中国の工場で受託生産するのを得意とし、やがて中国は世界の工場と言われるようになったのはご存知の通りです。この受託生産業界のポイントは、製造を世界中から集約し、ボリュームが増えた結果、部品購入などで価格交渉力をつけたり、設計などの付加価値を取り込みことによって、必ずしも利幅が薄いとは言えなくなったことで、このスマイルカーブを、ボリュームを稼ぐことで上方向に引き揚げることによって、利益の絶対額を確保できるようになり、業界としてすっかり定着しました。最近、中国工場の従業員の自殺が相次ぎストライキを起こしたことで名を馳せたFoxconnブランドで知られる鴻海精密工業が有名です。
 このスマイル・カーブを逆手に取っているのが、複写機やプリンタ業界でしょう。意図的に本体機器の価格を抑えて、これではとても儲からないのではないかと心配させながら、本体を大量に売り捌いた後に、将来にわたって購入され続けるトナーやインク・カートリッジなどの割高な消耗品やアフター・サービスでたっぷり儲けさせてもらう構造にしています。そのため、カートリッジのコピー(模造品)を売る悪徳業者が横行する中国では、大手複写機・プリンタ・メーカーの純正品の消耗品比率は3割程度(先進国では8~9割)と言われ、採算が取りにくい市場として業界の課題になっています。
 このスマイル・カーブが、パソコン業界において初出されたのは些か象徴的です。それまで開発から製造・販売・保守まで一気通貫に手掛ける垂直統合型の企業が贅沢品としての大型コンピュータを提供していた時代から、それぞれの分野で強みをもつ業者を活用して、それらキー・テクノロジーやキー・コンポーネントを寄せ集めて組み立てるだけで一つの製品に仕立てる分業体制を打ち立てることによって、パソコンをはじめとする電子機器がコモディティ化して爆発的に普及する時代へと変る道筋を作ったものだったからです。その過程で、日本のものづくりに対抗するかのように、あるまとまりでモジュール化し、そのインタフェースを標準(デファクト)化しオープンにするといった、現代の製造業の基本的なかたちが出来上がりました。
 明日は、このスマイル・カーブを応用する分野を広げて見ていきます。
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