風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

歴史戦争(Ⅱ)

2013-04-30 23:31:12 | 時事放談
 前回は、歴史認識は民族あるいは民族国家にとって固有のものであり、いわば民族(国)の成り立ちや民族(国)のありようを示す精神の根幹をなすものであって、他民族(国)が口を挟む類のものでは到底ない、それにも関わらず日本でそんな当たり前のことがないがしろにされて来たのは、戦後のGHQ改革による自虐的な歴史観の押しつけに始まり、長らくそのクビキから日本国民が脱却できない間に、中国や韓国が、外交カードとして利用し始めた、ということに触れました。
 そのきっかけになったのが、宮沢談話(1982年、教科書誤報事件の決着を図るため、中・韓の批判に耳を傾け、政府の責任において是正するとして、以後、中・韓による教科書検定への干渉に道を開いた宮沢喜一内閣官房長官談話)や、河野談話(1993年、慰安婦関係調査結果、朝鮮半島などでの慰安所設置に旧日本軍が直接あるいは間接の関与を認め謝罪した、宮沢改造内閣の河野内閣官房長官談話)や、村山談話(1995年、戦後50周年記念式典に際して、植民地支配と侵略によって、アジア諸国に多大の損害と苦痛を与えたことをお詫びし、現在取り組んでいる戦後処理問題にひき続き誠実に対応するなど、村山富市内閣総理大臣が、閣議決定に基づき発表した声明)といった、一種の事勿れ主義とも言える一連の謝罪外交にあったことはよく知られるところです。そして宮沢談話を契機とて、日本の教科用図書検定基準に「近隣諸国条項」として知られる、「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」という条項が挿入されました。この規定の存在は、「中国や韓国などからの激しい内政干渉を誘発しているというものと、この規定の活用が不十分であるのでもっと積極的に活用するべきであるというものが見られる」(Wikipedia)のですが、そういった近隣諸国との間で外交問題にするのであれば、相互主義の原則に基づいて、日本も、中国や韓国の歴史教科書の記述の誤りを追及すべきでしょう。
 安倍総理は、「歴史認識の問題は、政治家がとやかく言うべきではなく、歴史家や専門家に委ねることが適当」「歴史認識に関する問題が外交問題、政治問題化されることは望んでいない」と述べ、幕引きを図りました。しかし、第一次安倍内閣のときに始めた日中歴史共同研究で、日本側の責任者だった方は、南京事件がなかったことを実証する多数の著書や論文を全く引用しなかったことがありました。専門家に委ねるのは結構ですが、およそ噛み合わない日・中で摺合せは、やるだけ無駄です。お互いに言い合ってガス抜きをして終わればいいのです。むしろ外交問題や政治問題にしない智恵を絞るべきでしょう。
 歴史認識について、だらだらと書いて来ましたが、結局、何が問題かと言うと、先ずは歴史を現代的な価値観で裁くところが不遜であること、そして(特に中・韓において)事実認識に偏りがあり実証的と言えないこと、だと思っています。前者に関連して、勿論、歴史ですから、当時を当時のままに理解するだけでは足りなくて、常に現代的な価値を見出すことにこそ歴史を学ぶ意義があると言うべきですが、例えば「平和に対する罪」は、「国際法で不法に戦争を起こす行為のこと」を言い、「宣戦を布告せるまたは布告せざる『侵略戦争または国際条約・協定・保障に違反する戦争の計画・準備・開始および遂行、もしくはこれらの行為を達成するための共同の計画や謀議に参画した行為』として、第二次世界大戦後、戦争犯罪の構成要件を決定する必要にせまられ、種々のガイドラインを定めるために開かれたロンドン会議で最初に提唱された」ものであり、「これに問われた戦争犯罪人はA級戦犯と呼ばれている」わけですが、「第二次世界大戦後のニュルンベルク裁判や極東国際軍事裁判のために制定した『事後法』であるとして、国家ではなく個人の責任を追及し処罰することは法の不遡及原則に反していたとする国際法学者の意見もある」(いずれもWikipediaより)というところに、もう少し注目すべきだろうと思います。戦後の、ひいては現代的な価値観で、つまりは後智恵で、日本の戦前のリーダーやその歴史を(反省するのは大事ですが)必要以上に貶めるのは、フェアな態度とは言えないでしょう。日本の中にも、進歩的と称される方々の中に多く見られる性向ですが、連綿と続く日本民族のアイデンティティと健全な誇りを必要以上に傷つけ発展を阻害するものと言うべきです。後者に関連して、今さら言うまでもないことだとは思いますが、最近、目にしたもので一つ紹介したいと思います。保守派の論客・櫻井よしこさんは、とりわけ中国に手厳しい方ですが、オフィシャル・サイトの「不都合な歴史を消す、中国式記憶喪失」というタイトルのコラムで、4月2日付「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」紙に、北京の作家・閻連科氏が「中国政府が仕掛ける記憶喪失」と題する長大な論文を寄稿されたことを紹介されていますので、是非、ご覧頂きたいと思います(閻連科氏の論文の原文をちょっと探してみましたが、すぐには見つかりませんでした)。

(参考) http://yoshiko-sakurai.jp/2013/04/11/4636
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歴史戦争(Ⅰ)

2013-04-27 11:26:53 | 時事放談
 まさに歴史戦争が勃発したような様相でした。
 昨日、韓国・国会の外交統一委員会は、日本の閣僚と国会議員の靖国神社参拝や、歴史認識をめぐる安倍総理の発言を非難する決議案を採択したそうです。決議案は「非理性的な行動や発言は、未来志向の韓・日関係構築や北東アジアの平和定着に深刻な悪影響を及ぼす外交的な挑発行為だ」と批判し、日本の政治家に靖国参拝をやめるよう要求し、「多くの人に苦痛を与えた日本の過去を反省し、真心からの謝罪を表明することを求める」と強調したそうです(産経新聞)。どうやら数日前の安倍総理の国会答弁で「侵略の定義は国際的にも定まっていない」と述べたことを問題視しているようで、韓国の中央日報(24日付)は、「安倍、日帝侵略事実も否定」とする見出しを1面トップで掲載し、聯合ニュースは、安倍首相発言を「妄言」とし、「北東アジアの外交構図に影響する」と解説し、外相は「責任ある指導者なら正しい歴史認識を持ち行動に移すべきだ」と求め、外務省の第一次官は「安倍内閣の歴史認識は疑わしく、深く遺憾だ」と批判し、朴大統領も、韓国メディア幹部との昼食会で「(日韓関係は)基本的に協力関係でゆかねばならない」「歴史認識が正しく確立されることが前提だ」との認識を披露したそうです。まるで安倍総理の歴史認識は間違っている、韓国が正しい歴史を教えてやると言わんばかりの勢いですが、歴史認識を、他人から、ましてや他国から、とやかく言われる筋合いはありません。余計なお世話ですね。
 それにしても安倍さんの国会答弁は天晴れと言うべきでした。つい、言っちゃえ言っちゃえと応援したくなりました。24日の参院予算委員会で、閣僚らの靖国神社参拝に中・韓が反発していることに対し「国のために尊い命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前だ。わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない。その自由は確保している。当然だろう」と述べました。また、韓国が反発していることに「靖国の抗議を始めたのは盧武鉉(政権)時代が顕著になったが、それ以前は殆どない。なぜ急に態度が変わったかも調べる必要がある」と言い、中国に対しても「A級戦犯が合祀されたとき、時の首相の参拝には抗議せず、ある日突然抗議し始めた」と不快感を示しました。そして「歴史や伝統の上に立った私たちの誇りを守ることも私の仕事だ。それを削れば(中国や韓国との)関係がうまくいくとの考えは間違っている」とも語りました(いずれも産経新聞より)。確かに、国を代表する立場にある総理大臣が、友好関係(というより戦略的互恵関係という名の特別な関係)にある隣国を挑発したり、相手の感情を逆撫でするのを更に煽ったりするのは、外交上はマイナスという意見は理解できます。同じ政治家でも高市早苗さんのような与党の一役員(政調会長)が「外交問題になること自体がおかしい。そんなことで慰霊のあり方が変わってはいけない。何か言われて変えるから余計に言われる。やるんだったらやり抜くべきだ」と騒ぐのとは、発言の重みが違います(因みに私は彼女の「アズ・ア・タックスペイヤー」(祥伝社 1989年11月)を読んだ頃から注目してきましたし、今回の発言もその通りだと思います)。しかし、これまで日本は中・韓に対して、事勿れ主義で、自己主張をしなさ過ぎました。こちらが遠慮すれば、相手もそれなりに配慮するだろうと期待していたところが日本人的ですが、中・韓との外交とはそういうものではなく、図に乗るばかりでした。日本人の多くが、いい加減にしろよ・・・と思っていたことでしょう。そんな積年の鬱憤をストレートに伝えたら、中・韓はどういう態度に出るのか、一度は見てみたかった興味深いエクササイズです。言われっ放しで終わるのではなく、一度はガツンと言い返しておくのも、中・韓との外交上のテクニックと思います。
 翻って、私たちはなぜ歴史を学ぼうとするのかということについては、アメリカ歴史協会(American History Association)の手引書が参考になると、渡部惣樹さんが「日本開国」(草思社 2009年12月)の中で述べておられます。同協会ホームページによると(長い文章の中のサブ・タイトルをいくつか拾いあげただけですが)、「歴史を知ることにより民族と社会を理解できること(History Helps Us Understand People and Societies)」、「社会の道徳倫理を学べること(History Contributes to Moral Understanding)」、「民族のアイデンティティーを醸成できること(History Provides Identity)」、などが挙げられています(http://www.historians.org/pubs/free/WhyStudyHistory.htm)。面白いのは、民族にとって歴史がこれほど重要であることを知るはずのアメリカは、逆によく知るからこそ、GHQの戦後改革の中で、日本民族を弱体化するためのプログラムの一環として、厳しい検閲を実施したほか、日本国民に対して自虐的な歴史観を植え付けたのでした(このあたりの論考は江藤淳さん「閉ざされた言語空間」(文春文庫 1994年1月、単行本の初版は1989年8月)に詳しい)。そして韓国にしても中国にしても、この歴史観を援用しているわけです。
 以前、このブログで書いたことですが、「日中韓 歴史大論争」(文春新書 2010年10月)に登場する中国社会科学院近代史研究所所長は、歴史は三つのレベルに分けて考えることが出来る、一番上は歴史観、次が歴史認識、そしてそれらのベースにあるのが歴史の事実で、いきなり歴史観や歴史認識について一致を見ようとしても、現状ではそれは不可能、しかしお互いの歴史の事実を共有することは、両国の努力によって可能ではないか、などと、フレームワークについては極めてまともな解説をするわりには、彼(だけでなく党・政府の息のかかった関係者)にとって、中国共産党公認の歴史観ありきで、それに合う都合の良い歴史的事実を拾い上げるだけで、およそ公平とは言えません。日本の歴史観や歴史認識は、歴史的事実をもとに組み上げられるのに対して、彼らの歴史観は、イデオロギーそのものです。日本は日本であることでまとまることが出来るのに対して、必ずしも近代的な意味での国民国家ではなく、国内に社会矛盾を抱える中国にしても韓国にしても、反日によってしかまとまることが出来ない、つまり権力の正統性を反日や抗日に求めざるを得ない、尋常ならざる脆弱性を伝統的に抱えています。
 また、同書の中で、中国のモンゴルやウィグルやチベット問題は「国内問題」だと主張しながら、日本の靖国問題や教科書問題は日本の「国内問題」ではなく「国際関心事」にあたり、外交問題であって、中国が発言することは何ら内政干渉にあたらないと、平然と御託を並べて、中華思想の一端をはしなくも垣間見させます。つい最近も、中国外務省報道局長は、25日の定例記者会見で、新疆ウイグル自治区での衝突で21人が死亡したことに米国が「深い懸念」を表明したことに対して、「テロを非難せずに中国の民族政策を批判することに断固反対する」と強い不快感を示したそうです。そして「米国には甚だしい民族差別と宗教差別が存在する。他国のことをとやかく指図するのではなく、自身を鏡に映して国内問題について反省すべきだ」と口汚く指摘したそうです(産経新聞)。日本だけでなく、アメリカに対しても、万事こんな調子です。(「Ⅱ」に続く)

(参考)「厄介な隣人たち・・・中国と韓国」 http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20120512
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ボストン事件の落穂拾い

2013-04-23 03:45:19 | 時事放談
 今回の爆破テロ事件の犠牲者は、死亡3人、負傷者は180人にのぼるそうです。死亡した3人は、8歳の男の子と、29歳のアメリカ人女性と、23歳の中国人女子留学生で、特に最後の中国人女性は、友人と一緒にボストン・マラソンを見に出かける前に、朝食に取ったフルーツ・サラダの写真を、中国のソーシャルメディア「微博」でシェアし、「私の素敵な朝食!」とコメントしていたのが話題になりました。写真に写る彼女は、可愛らしく、利発そうな顔立ちで、その日の悲劇は知る由もなく、痛々しい。
 ネットの掲示板には、哀悼の辞や、テロへの怒りや恐怖が殺到したようですが、どうやらそれだけにとどまらなかったようでした。ネット上では、早い段階から、犠牲者の氏名・出身地・出身校や父親の名前まで明らかになっていたにも関わらず、中国当局は「遺族の要望」だとして、犠牲者の氏名・年齢・職業などの情報を公表しなかったため、所謂「裸官」の関連ではないかと疑われたのです。
 「裸官」とは、東方書店のサイトによると、「『裸体官員』の略で、配偶者や子女が仕事以外の理由で海外で暮らす、あるいは外国国籍や永住権を取得している中国政府の公務員のこと。汚職の温床とされる」とあります。まさに公務員の腐敗を象徴する言葉です。中国では、子女の海外留学は、政府高官や官僚や富裕層の「特権」と受け止められており、欧米に移住した家族が贅沢な暮らしをしているとの批判が出ており、共産党指導部はこの点に関して極めて敏感になっています。つまり彼女の場合も、彼女には罪はないのですが、「どうして公開しようとしないのか」「彼女の父親は中国の官僚だろう」と疑われているわけです。
 宮崎正弘さんの「現代中国『国盗り物語』」によると、「汚職で摘発された公務員は1988年には僅か190名、それが90年には1118名、95年には2285名となり、今では2万名を超えるが、中国共産党の大物はまれにしか起訴されず、やりたい放題なのが実態」なのだそうです。そして「汚職事件の平均金額も、84年には僅か4000元だったが、98年には14万元となり、2005年には27万3千元(約382万円)」、「汚職で得たカネは、一度香港へ送られ、国際金融市場でマネーロンダリングされてから英領バージン諸島の怪しげな投資会社へ流れ、米国などでヘッジファンドに化けて、大部分は『外国人投資家』を装って中国の不動産投資に還流してくる」とされ、汚職金額の平均こそ上に述べた通りですが、上層部になると桁が違って、目を疑います。「2011年2月に発覚した劉志軍(前鉄道部長)の汚職額は20億元(約280億円)とも言われたし、薄煕来は80億元(約1120億円)」だったと言われます。中国社会科学院の調査として、90年代中期以降海外に逃亡した党、政府幹部、公安、司法幹部や国家事業単位、国有企業の幹部などで海外逃亡、失踪した人数は1万8000人、持ち出した金額は8000億元(約10兆円)に達した、との報道もあります。
 折しも、中国では四川で地震が発生し、最新の報道によると、死者192人、行方不明者23人、負傷者1万1470人、被災者219万人以上と、数字は膨れ上がる一方です。興味深いのは、19日の地震発生直後に専用機で現地に入った李克強首相が、国営メディアを通じて、人命救助に全力を挙げるよう細かい指示を出す様子をアピールしているのは、前回の2008年の四川大地震における温家宝首相と似ていますが、地震発生直後から、日本など海外からの援助の申し出が相次いでいるにも関わらず、中国外務省は、謝意を表したうえで「物資は足りている。現時点で援助は不要」と、断っているというのです。実際に被災地では、地震発生から時間が経過するにつれ、水やテントが足りないなど、苛立ちが募っていると言われますので、現地の交通が寸断され、政府の支援活動に支障を来すという実際的な理由を挙げる声は、甚だ疑問です。むしろ「共産党や中国政府が助けた」という形にこだわるメンツが見え隠れする、と報じられているのが真相に近いのではないでしょうか。私の下衆の勘繰りでは、訓練され統率が取れた日本の自衛隊が活躍すると、人民解放軍の立場がないと警戒しているのではないかと。なにしろ週末に見た報道番組では、人民解放軍の人たちが、なんと素手で瓦礫撤去作業を行う映像が流れていました。
 さて、前回の四川大地震では9万人もの死者・行方不明者が出たとされ、日本では小学校が避難場所になるのに、四川では手抜き工事のために悉く倒壊し、子供たちの犠牲者が増えたと非難されたものでしたが、ここで言う手抜き工事とは、ただの手抜き、ただの怠慢かと思っていたら、さにあらず、それは私のただの勘違いで、実は、賄賂によってカネが抜き取られて十分な資材購入が出来なかったためという解説を聞いて、あらためて中国における汚職の凄まじさを思い知りました。
 ここでも中国は崩壊の危機に直面していることが知られます。それを裏付けるかのように、15日(と言いますから呼応しているわけではありませんが)、ネットで奇妙な動きがありました。人民日報系の雑誌「人民論壇」がインターネット上で実施した共産党に対する意識調査で、回答者の約80%が共産党の一党独裁や主張、改革に対して否定的な回答をしたという調査結果が15日に同誌のサイトに掲載され、間もなく削除されたそうです(Web産経4月15日)。当局の統制も乱れつつあるようです。
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ボストン・マラソン・テロ事件(続)

2013-04-21 15:15:33 | 時事放談
 事件の進展は速かったですね。FBIによって、事件の容疑者とみられる男二人の写真と映像が公開されたのは18日のことで、その深夜から未明にかけて、ボストン近郊ウォータータウンで地元警察当局と銃撃戦になり、一人(兄)は負傷し拘束されて病院で死亡、もう一人(弟)も間もなく拘束されました。
 一番のポイントは、日本でも、最近、ニュースによく登場する、街中に設置される監視カメラの映像で、こうして見ると、私たちは、特に人通りの多い街中では監視カメラに囲まれていると言えなくもありません。Wikipediaによると、「イギリスで2005年7月7日に起きたバス、地下鉄を標的とした爆弾テロにおいて、犯人検挙が迅速に行われたのは、監視カメラの記録に負うところ大」、とあり、テロをきっかけに防犯意識が高まり、映像記録技術の進歩とともに、犯罪行為の証拠の記録とともに、予防効果も狙って、繁華街や街頭、街路周辺に設置されることが多くなっているのでしょう。
 もう一つ面白いと思ったのは、新しいメディアとの関わりです。監視カメラも、顔認証技術と、Facebookなどの「プロフィール写真」や「今ここにいる」位置情報が組み合わされれば、いずれ外出中の個人が特定出来てしまいかねないといった警告記事を読んだことがありますが、将来のことと言わず、今、既に公表されている情報(例えば経歴だけでなく何に対して「いいね」と投票しているか、とか)だけからでもかなり正確に個人の政治思想や性格診断が出来ると言われるほどの世の中です。民間企業だけでなく公共団体が持つビッグデータの活用にも注目が集まるご時世で、情報の砂漠の中からコンピュータ技術を駆使すれば貴重な金粉を掘り出すことはわけがない・・・というのは近い将来のことで今回はそこまでは行きませんが、それでも、出身高校のことや、「宗教はイスラム教」「人生で最も重要なこと職業とカネ」など、ロシア系SNSに登録されている本人ページの情報が報道されていました。また記載されている内容にはイスラム教に関するものが多く、プロフィール頁には、「イスラム聖戦士にシリアへ行って反乱軍とともに戦うことを煽っているもの」と、「コーランを暗唱しながら育った盲目の少年とクウェートのファハド・アル・カンダリとのインタビュー」の動画が掲載されているそうです。そして、19日に名前が公表されるや、「怒りに満ちた糾弾のメッセージや『ギフト』機能を利用したパトカーやダイナマイト、レンガの画像などが投稿され始めた」そうです(ウォールストリートジャーナル)。
 犯人はチェチェン共和国出身のイスラム教徒ということで、テロ組織との関連が疑われています。当初は、最近(10年くらい前)移民したけれども所謂「負け組」で社会に馴染めないことが原因といった報道も見られましたが、それだけであれほど大掛かりな爆破事件を起こすものかと疑問に思っていたところ、どうやら兄弟は成績優秀で、しかし宗教にのめり込んでいったことがクローズアップされるようになりました。経済的背景ではせいぜい銃による乱射、無差別殺人事件を起こす程度で(そうは言っても重大ですが)、爆破テロに発展した背景に宗教的確信があったことには、なんとなく納得しました(それにしては、今回は殉教性がないのが不思議)。さらに、そんな二人が永住権と国籍をそれぞれ取得しているという報道に接して、移民大国・アメリカのアキレス腱となっているところのものを感じました。かつて国内の融和を重視して国際的に孤立主義を標榜していた頃までは良かったのですが、経済大国そして政治大国として台頭し、「世界の警察官」として積極的に世界と関わりを深めるほどに、世界各地で起こす摩擦が、そのまま移民大国として国内に飛び火して社会不安を引き起こしかねないからです。もともと宗教国と言えるほど、進化論教育や妊娠中絶などの宗教を背景とする問題を抱えるほか、銃規制問題に見られるように、国としての成り立ち、いわば「国づくり神話」を大切にする保守派勢力が今もなお根強い一方で、英語を話さない人が増え、民族固有の文化を守りながら必ずしも移民先のアメリカに忠誠を尽くすわけではない人が増えている現実があります。以前、他のブログで、日本は共通の歴史という過去でまとまる国、アメリカはアメリカン・ドリームという未来に向かってまとまる国と表現したことがありますが、かつては私も憧れたアメリカに、圧倒的な力や勢いがなくなり、格差社会で誰もが幸せになる夢や可能性が遠のきつつある中で、流動化する国際社会を映す鏡のようなアメリカは、多様性の圧力に動揺し、社会的な分断状況を隠せなくなり、国としての輝きを失いつつある寂しさを感じます。難しい時代になったものです。
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ボストン・マラソン・テロ事件

2013-04-19 03:41:29 | 時事放談
 ボストンに駐在していたのは、かれこれ10数年前のことです。同じ駐在員の中に、私より20歳くらい上の技術者の方がいて、仕事の直接の繋がりはありませんでしたが、それだけに却って、また同じ大学出身の気安さも手伝って、昼食時など、よく話し込んだものでした。その方は、私が出向した時には、既にボストンにおられて、あちらで定年退職を迎え、その後も日本に帰国されることはありませんでした。一方の私が、その後、ペナンに駐在し、そのままシドニーに横滑りで移動し、再び日本に戻ってくるまでの間も、季節の挨拶のやりとりは続いていて、私の引っ越し続きを知って、うちの会社は相変わらず人使いが荒いねえなんて、冗談半分に同情されたことがありました。その季節の挨拶は、いつも私が出して、返信を頂くという形でしたが、今年の季節の挨拶は、遅れて1月末に出したので、返信は来ないだろうと諦めていたところ、人づてに、私のEメール・アドレスを尋ねておられることを知り、その方のEメール・アドレスを知ったので、今日、Eメールであらためてご挨拶のメッセージを送りました。このご時世で、これまでEメールという手段を使わなかったことが不思議ですが、言葉を選びつつ、失敗は許されないと、自筆で丁寧に一文字ひと文字を書き綴り、写真を添えたりして、数日かかって届くであろう郵便は、却って風情があると感じていました。
 その方は、ボストン・マラソンの時は、心臓破りの丘の中腹で、ご家族揃って待ち構えて応援されるのが常で、私のような若造が無謀にも練習もそこそこに第99回大会と第101回大会の二度走った時にも、暖かく応援を送って下さいました。そもそもエリート・ランナーの大会なので、知人と一緒に手造りのゼッケンで潜り込んだものでした。今年の大会の参加者2万3千人と報じられていましたが、恐らく正式にエントリーしているエリート・ランナーは1万人位で、残りはモグリのはずです。コースを、エリートランナーのお尻を追いかけて走るわけですが、スポンサーが用意する給水やドーナツやバナナはちゃっかり頂きます(笑)。主催者側も心得ていて、その分まで用意していてくれます。日本からの旅行ツアーに参加すれば、記録がなくても参加できる枠があるようですが、標準記録を突破して、正式にエントリーして、心臓破りの丘を越える時に、その方の応援を受けるのが、マラソンの次の目標です。私の年齢では3時間30分を突破するのが要件で、簡単ではありませんが、この一年、それをニンジンの餌にして頑張ってみようと思っています。
 前置きが随分長くなりました。そのボストン・マラソンがテロに利用され、静かで落ち着いた街の佇まいが、一瞬にして喧噪に包まれ修羅場と化したことに、強い憤りを覚えます。現場の防犯カメラに、帽子を前後逆に被った背の高い白人が容疑者として捉えられたとの報道がありましたが、何故、ボストンか?という思いがあります。私が初めて海外生活をした街であり、子供を初めて授かって、子育てに悪戦苦闘した、雪深い、思い出深い街でもあります。12年前の9・11の時に、ボストン発ロサンゼルス行きアメリカン航空11便が狙われたのは、大陸横断でガソリンを満載しているから被害も大きくなるとの、俄かに信じ難い残酷な理由が説明されました。アイルランド系の移民が多い街で、St Patrick's Dayには、会社の売店のレジのおばちゃんたちが、緑色を多用した仮装をして祝っていたのを、懐かしく思い出しますが、アイルランドの独立闘争(反英テロ闘争)との関連を指摘する声もあります。国際テロ組織アルカーイダ系だけでなく、イランでも、最近、活動が活発との報道もあります。折しもこの時期、毎年恒例の米国出張で(今年は部下に譲りました)訪問するテキサス州では、肥料工場爆発事故がありました。また、ワシントンでは、オバマ大統領や上院議員に猛毒リシン入りの手紙が送られ、容疑者が逮捕されました。それらのいずれも関連性は確認されていませんが、上院で、銃規制強化法案の修正案が否決されて、オバマ大統領は「大いに恥ずべき日だ」と野党・共和党を強く非難したように、アメリカは伝統的に分断された社会であり、連続した事件が発生すると何らかの政治的意図があるのではないかと過敏になります。あるいは、愉快犯かも知れない。そうだとすれば、今後、マラソン大会のように人が集まる賑やかなイベント開催に、暗い影を落とすことを狙った悪質なものであり、いずれにしても一日も早い解決が望まれます。あるボストニアン(ボストンのアメリカ人)が取材に応えて、こう言っていました。「テロの恐怖に生き方を支配されたくない。」まさに思いは同じです。
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帰ってきたガリレオ

2013-04-17 00:17:16 | スポーツ・芸能好き
 ガリレオと言っても、東野圭吾さんの推理小説が原作の、フジテレビが製作するテレビドラマの主人公、福山雅治演じる帝都大学准教授・湯川学のことです。昨晩、第二シリーズが始まり、もはや嗜好はそれぞれバラバラの我が家にしては珍しくテレビの前に勢揃い・・・と言うのも、テレビでリアルタイムでこの番組を見るのは初めてのことだったからです。第一シリーズ(2007年10月~12月)当時はマレーシア・ペナンに滞在していて、場末の怪しげな電器屋で見つけた海賊版DVDで知りました。毎回、20%を越える視聴率を稼ぐ人気番組だったようで、家族によると、視聴率低迷に悩むフジは再び「ガリレオ」に頼らざるを得なくなった・・・とか。
 その是非はともかくとして、毎回、番組の最初から犯人は分かっていて、その科学トリックを暴くのが見せ場になるわけですが、そこに至るストーリー展開は実はワンパターンそのものです。先ずは「親分てぇ~へんだ~」と言わんばかりに、第一シリーズでは柴咲コウ演じる女性刑事・内海薫が、昨晩からの第二シリーズでは吉高由里子演じる女性刑事・岸谷美砂が、一見、摩訶不思議な事件を持ち込むと、初めこそ無関心を装うガリレオも、オカルティックな超常現象を認めない彼一流の、「全ての現象には必ず理由がある」と豪語する科学者としての矜持を逆手に取られると、助手の制止も聞かずにまんまと乗せられ、「実に面白い」などと呟いて、興味津々、目を輝かせて、事件に惹きこまれて行くというのが一つのパターンになります。続いて、ドラマ中盤では、「再現性の高い現象は必ず科学的に実証できる」という信念のもとに謎解きを試みるわけですが、「さっぱり分からない」などと、高らかに笑い飛ばして、簡単には解けない謎の深さに満足するかのように、はたまた挑発されて喜ぶかのように、勿体をつけるというのも、また一つのパターンになります。そして後半、慎重に観察を続ける内にあるヒントを掴むや、目の前にあるペンかチョークか石などの小道具を引っ掴んで、地面や壁だろうとところ構わずトリックを証明するための方程式を書き殴り、出来上がると、「フレミングの左手の法則」を模した左手を顔に当てるポーズを取って、真実を明らかにした勝利宣言に自己陶酔するというのも、また一つのパターンになります。
 こうして、水戸黄門か、桃から生まれた桃太郎侍か、大岡越前のように、いつもの安心したストーリー展開の中に、ワンパターンの軽妙なやりとりと、科学トリックの驚きの妙が、何故か心地良いのです。人は、いつも何でも目新しいものを求めるわけではない。学校で、職場で、いつもの仲間とじゃれ合いながら、何か一つ面白い話で盛り上がれば、それだけで一日満足するように。
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歓迎されざる空からの飛来者

2013-04-10 03:39:48 | 時事放談
 朝鮮半島情勢が俄かに緊迫化しています。北朝鮮が先制核攻撃をちらつかせ、アメリカや韓国や日本までをも挑発し、徒に危機感を煽っているだけなのですが、これまでの瀬戸際外交とは一味違って、北朝鮮が切る威嚇カードがあまりにも矢継ぎ早なことを指摘する声があります。エネルギー事情が悪く、使い物にならない古い装備や張りぼて(見かけ倒し)の北朝鮮軍が、よもや戦争に踏み切ることはないでしょうが、暴発的な事故は懸念されます。核兵器と長距離ミサイルを持った自信が強気の背景にあることは間違いありませんし、金正恩第一書記が内部的に権力基盤を固める必要性に駆られていることもまた事実なのでしょう。
 3月末にソウルを訪れた人の話によると、緊迫した雰囲気はなく、北朝鮮の挑発行為は今に始まったことではない、むしろ、足もとで自国通貨ウォンが強含みになり、サムスンを除く主力の輸出企業の業績に伸び悩みの傾向が見え始めた経済情勢の方を心配する声があがったようですが、さすがにここに来て、韓国総合株価指数が年初来安値を付けた5日あたりから、韓国各紙は「北の恫喝が南の経済を揺さぶり始めた」との記事を掲載しています。今日9日には、開城工業団地に全従業員を出勤させず、同団地の操業を停止したのは、経済支援を望む北朝鮮としては異例のことでした。日本海側に移した中距離弾道ミサイル「ムスダン」の発射準備が完了し、北朝鮮の日本海側での交信が急増しているらしく、ロシアや英国など在平壌の各国大使館に対し「10日からは安全を保証できない」と館員の国外退去などを検討するよう通告していた通り、明日10日にも発射を強行する可能性が高いとの見方が出ています。
 それから明日10日は、中国大陸から飛来する黄砂が日本列島をすっぽり覆って、濃いところで視界が10~7キロに悪化する可能性があると、気象庁が発表しました。厄介なのは、PM2.5の関連で、風に乗って黄砂が運ばれる途上で、ガス状の大気汚染物質(硫黄酸化物や窒素酸化物)が、中国の大都市を通過する際に、黄砂の粒の表面に付着して遠くまで運ばれやすくなると解説されています。
 黄砂が日本列島を包み込むケースは年に数回あるそうで、今に始まったことではないことを思えば、中国が砂漠地帯で核実験をやっていた1970年代には、さぞ放射性物質が日本に飛来したことでしょう。実際に、2年前、東日本大震災のあと、福島第一原発事故で放射性物質が拡散するのはそれほど心配には及ばない、といったような論調で、かつて中国から黄砂に伴って飛来した放射線量のグラフが、週間ポストに掲載されたことがありましたが、その後、とんと聞かなくなりました。データの信ぴょう性が疑われたのかと思っていましたが、最近のPM2.5の報道を見ていると、当時の日本に放射性物質が降り注いでいたのはどうやら事実で、原発危機をことさらに煽りたい(そして反原発へと舵を切りたい)民主党政権の横やりが入った可能性を、私は疑っています。
 それはともかく、以前、マレーシア・ペナン島に住んでいた時、年に数回、ヘイズと呼ばれる、インドネシアのスマトラ島の野焼きの煤が飛来して、酷い時には空に靄がかかったように暗くなり、火事かと間違えるほど煤臭くて、往生したことがあり、スマトラ島に近いクアラルンプールやシンガポールはペナンの比ではなくて、マレーシア政府やシンガポール政府は、インドネシア政府に対して猛烈に抗議していたものでした。近隣のゴミ屋敷が物議を醸すことがありますが、黄砂はともかく、酷くなる一方の中国の大気汚染や、北朝鮮の核武装といった、隣人のいわば不始末は迷惑千万と、引っ越しできない韓国や日本としては、いつものことだと諦めないで、あることないこと騒ぎ立てる両国政府に対して、ここぞとばかりに言うべきことを言っているのでしょうか・・・
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椿

2013-04-08 00:47:14 | 日々の生活
 園芸、今風に言うとガーデニングには興味がありませんが、もとより絵でも人でも花でも、美しいものには惹かれますので、横文字の花の名前をいくつも言える人は、それだけで尊敬してしまいます。
 昨日、子供の学校が始まる前に定期券を継続(更新)するというので、駅まで散歩がてら出かけました。普段は一心不乱とは言わないまでも、きょろきょろする余裕はもちあわせませんが、久しぶりの土曜日朝の散歩だったので、のんびりぼんやり歩いていると、ちょっと目立たない、とある生垣に、椿の花を見つけました。桜は最近の雨風でほとんど散ってしまって、可憐な花を愛でてきた目には、同じ桜色でありながら派手めのいでたちが却って新鮮で、つい目を奪われました。
 典型的な椿として思い浮かべるのは真っ赤な「一重咲き」ですが、見かけたのはご覧の通りの「八重咲き」でした。調べたところ、どうやら「乙女椿」という品種のようで、中輪(開花時の花の直径7~9cm)「千重咲き」椿の代表格とありました。Wikipediaを見ると、花の形ひとつとっても、「一重咲き」には猪口咲き、筒咲き、抱え咲き、百合咲き、ラッパ咲き、桔梗咲き、椀咲き、平開咲きなどといった呼び名があり、「八重咲き」には唐子咲き、八重咲き、千重咲き、蓮華咲き、列弁咲き、宝珠咲き、牡丹咲き、獅子咲きなどといった呼び名があって、ここでも、日本語の多彩で表現力に富むところには感心します。
 椿の花には、様々な色や形があり、日本産のものだけで2000種を超えると言われるのは、他家受粉で結実するために変種が生じやすいことから、古くから品種改良が行われてきたことによるようです。日本原産で、古くは「古事記」では”都婆岐”、「日本書記」では”海石榴”と表現され、「出雲風土記」にすでに「椿」が用いられるほど、日本人には馴染みの花木で、近世以降は、公家・将軍・大名が園芸を好んだことから庶民の間でも流行したほか、茶道でも珍重され、冬場の炉の季節は茶席が椿一色となることから「茶花の女王」の異名を持つそうです。18世紀には、イエズス会の助修士G. J. Kamellが、フィリピンでこの花の種を入手してヨーロッパに紹介したところ、冬でも常緑で、日陰でも花を咲かせる性質が好まれて大流行し、八重咲き・牡丹咲き・獅子咲きなどの大~極大輪、豪華な花容のものが好まれたそうです。なんとなくヨーロッパらしいですね。
 桜は花の一つひとつより、一本の木あるいは並木の遠景が魅せてくれるのに対して、椿は花一つが魅せてくれます。散る時も、桜は遠目に見る花吹雪が美しく、椿は花一つ・・・花弁が基部で繋がっていて萼を残して丸ごと落ちると、余り縁起が良くないことで知られますが、如何にも椿の生き様を象徴するようです。
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マラソン4時間の壁

2013-04-05 23:26:41 | スポーツ・芸能好き
 今週末の日曜日、知人と申し合わせて、とある10キロ・レースに出る予定でしたが(実はハーフに出たかったのですが、もたもたしている内に申込みが殺到して締め切られてしまいました、10キロよりハーフの人気が高いことが知れます)、「6日から8日にかけ、台風並みに発達する低気圧の影響で、全国的に暴風や激しい雨等大荒れとなる恐れが予測され」「交通機関、大会運営への影響が心配されることから、参加者、役員の方々の安全に配慮し」開催が中止されることになりました。東京マラソンが終わってからも、毎週末、いつもの17キロ・コースを走り、多少なりともスピード練習を取り入れて、レースに備えて来た身としては、気が抜けてがっかりするのが半分、もはや天気予報を気にすることなく、すぱっと諦めることが出来てほっとするのが半分、といった気分です。
 ところで、ある一定の年齢以降、10キロ・レースで走るくらいのスピード(時速12キロ以上)で、たくさんの距離(一週間に30~40キロ以上)を走ることは、健康を害し、寿命を縮めて、心筋梗塞のリスクを高め、運動不足に陥っている人に起こるのと同じような被害をもたらすようになることが「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル」に掲載されて話題になっているそうです。時速12キロと言えば、1キロ5分ペースで、競技者ではない市民ランナーにとっても、それほど速過ぎるペースではなく(今の私にとっては速いけど)、週に30~40キロは、一回10キロを週3~4回と置き換えれば、それほど多いわけではありません(今の私にとっては多いけど)。
 勿論、標本数は十分に多いわけではないため、結果を一つの原因に結び付けることに反論があるようですが、面白いと思ったのは、時速12キロというスピードが、市民ランナーにとって大きな壁である「サブ・フォー」を確実に上回るレベルを達成するために必要な練習レベルであることの不思議さです。
 マラソンを4時間から4時間半で走ることは、3~4ヶ月、じっくり走り込んで、地頭ならぬ地足を鍛えて、本番で適切に栄養補給してエネルギー切れにならないようにすれば、だいたい誰でも達成できます。ところが、4時間を確実に切るレベル(3時間半~4時間弱)を達成するのは、格段に難しくなります。ちんたら長距離を走っているだけでは駄目で、足腰を鍛えるのに加えて、心肺機能を鍛えなければならないからです。ものの本によると、成人男性の平均的な肺活量は、「{27.63-(0.112×年齢)}×身長」の公式ではじき出されるそうで、私が3時間49分(時速11キロのペース)の自己記録を出した30代後半の頃、上の公式では4000ccとなるところ、実際の肺活量は6000ccを越えていました。心臓肥大と診断されたこともあります。
 つまり、市民ランナーは、4時間の壁を破るために、ちょっと大袈裟ですが命を削らなければならないと、言えなくもない。多分、心臓への負担が重くなるからですが、身体が無理をする閾値が、このあたりにあり、それがマラソンの4時間の壁となって立ちはだかっている・・・と言えなくもないところが、なんだか不思議な縁を感じさせたのでした。
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4月1日の国民栄誉賞

2013-04-03 23:22:01 | 日々の生活
 エイプリル・フールと言えば、ロンドンのビッグベン(昨年からはエリザベス・タワー)が時代の波に逆らえずデジタル表示されることに決まり、時計の針をプレゼントすると放送したイギリス国営BBCラジオの洒落っ気に勝るものはなかなか見当たりません。今年は、ユーチューブやフェイスブックといった先端メディア・ネタで盛り上がったようです。一つは、米グーグルが、傘下の動画共有サイト「ユーチューブ」を閉鎖し、これまで投稿された動画15万本の中から最優秀作品を選出する作業を今後10年かけて行うと、3分半の動画でユーチューブに投稿したというもので、社長まで動員したそうですから、なかなか手が込んでいます。もう一つは、「とうとう中国本土でもフェイスブックが閲覧可能になった」と、中国のミニブログに書き込みが相次いだそうです。中国では当局の規制により、フェイスブックやツイッターを閲覧できない状態が続いており、エイプリル・フールに乗じて不満を吐き出したと話題だったようですが、なかなかのものですね。そのほか、「ビッグコミックスピリッツ」4月1日発売号の表紙に「ももクロ重大発表」と題して、ももいろクローバーZの紫(高城れに)が卒業すること、卒業に伴いグループ名が「ももいろクローバーZ」から「ももいろクローバーZZ」へ改名されることが掲載されたそうですが、まあこういった話は好きにして頂いて構いません(笑)。
 よりによってエイプリル・フールの日に、プロ野球巨人軍終身名誉監督・長嶋さんと、その弟子とも言うべき松井に、国民栄誉賞が授与される方針であることが発表されました。一プロ野球ファン、一巨人ファンとしては、喜ばしい限りですが、松井の前に、野茂もいたし、現役とはいえイチローもいるという主張はよく理解できますし、安倍政権の人気取りというやっかみもよく分かります。エイプリル・フールだと思ったと受け止めた人が結構いたのはご愛嬌として、長嶋さんはともかく、個人的に松井のファンだという人ですら、この抱き合わせ的で、かつ時期も意味も不明瞭な受賞は残念という声があがり、真面目な松井には気が重いのではないかと気遣う人もいて、なかなか印象的でした。お蔭で、プリティ長嶋さんに取材が殺到しているという報道には失笑してしまいましたが、なんと、プリティ長嶋さんったら、冴えないものまねタレントのままかと思っていたら、いつの間にか千葉県議会議員になっていて、まさかエイプリル・フールではなかろうと、そちらのほうに、余程、驚かされた次第でした。
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