前回は、歴史認識は民族あるいは民族国家にとって固有のものであり、いわば民族(国)の成り立ちや民族(国)のありようを示す精神の根幹をなすものであって、他民族(国)が口を挟む類のものでは到底ない、それにも関わらず日本でそんな当たり前のことがないがしろにされて来たのは、戦後のGHQ改革による自虐的な歴史観の押しつけに始まり、長らくそのクビキから日本国民が脱却できない間に、中国や韓国が、外交カードとして利用し始めた、ということに触れました。
そのきっかけになったのが、宮沢談話(1982年、教科書誤報事件の決着を図るため、中・韓の批判に耳を傾け、政府の責任において是正するとして、以後、中・韓による教科書検定への干渉に道を開いた宮沢喜一内閣官房長官談話)や、河野談話(1993年、慰安婦関係調査結果、朝鮮半島などでの慰安所設置に旧日本軍が直接あるいは間接の関与を認め謝罪した、宮沢改造内閣の河野内閣官房長官談話)や、村山談話(1995年、戦後50周年記念式典に際して、植民地支配と侵略によって、アジア諸国に多大の損害と苦痛を与えたことをお詫びし、現在取り組んでいる戦後処理問題にひき続き誠実に対応するなど、村山富市内閣総理大臣が、閣議決定に基づき発表した声明)といった、一種の事勿れ主義とも言える一連の謝罪外交にあったことはよく知られるところです。そして宮沢談話を契機とて、日本の教科用図書検定基準に「近隣諸国条項」として知られる、「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」という条項が挿入されました。この規定の存在は、「中国や韓国などからの激しい内政干渉を誘発しているというものと、この規定の活用が不十分であるのでもっと積極的に活用するべきであるというものが見られる」(Wikipedia)のですが、そういった近隣諸国との間で外交問題にするのであれば、相互主義の原則に基づいて、日本も、中国や韓国の歴史教科書の記述の誤りを追及すべきでしょう。
安倍総理は、「歴史認識の問題は、政治家がとやかく言うべきではなく、歴史家や専門家に委ねることが適当」「歴史認識に関する問題が外交問題、政治問題化されることは望んでいない」と述べ、幕引きを図りました。しかし、第一次安倍内閣のときに始めた日中歴史共同研究で、日本側の責任者だった方は、南京事件がなかったことを実証する多数の著書や論文を全く引用しなかったことがありました。専門家に委ねるのは結構ですが、およそ噛み合わない日・中で摺合せは、やるだけ無駄です。お互いに言い合ってガス抜きをして終わればいいのです。むしろ外交問題や政治問題にしない智恵を絞るべきでしょう。
歴史認識について、だらだらと書いて来ましたが、結局、何が問題かと言うと、先ずは歴史を現代的な価値観で裁くところが不遜であること、そして(特に中・韓において)事実認識に偏りがあり実証的と言えないこと、だと思っています。前者に関連して、勿論、歴史ですから、当時を当時のままに理解するだけでは足りなくて、常に現代的な価値を見出すことにこそ歴史を学ぶ意義があると言うべきですが、例えば「平和に対する罪」は、「国際法で不法に戦争を起こす行為のこと」を言い、「宣戦を布告せるまたは布告せざる『侵略戦争または国際条約・協定・保障に違反する戦争の計画・準備・開始および遂行、もしくはこれらの行為を達成するための共同の計画や謀議に参画した行為』として、第二次世界大戦後、戦争犯罪の構成要件を決定する必要にせまられ、種々のガイドラインを定めるために開かれたロンドン会議で最初に提唱された」ものであり、「これに問われた戦争犯罪人はA級戦犯と呼ばれている」わけですが、「第二次世界大戦後のニュルンベルク裁判や極東国際軍事裁判のために制定した『事後法』であるとして、国家ではなく個人の責任を追及し処罰することは法の不遡及原則に反していたとする国際法学者の意見もある」(いずれもWikipediaより)というところに、もう少し注目すべきだろうと思います。戦後の、ひいては現代的な価値観で、つまりは後智恵で、日本の戦前のリーダーやその歴史を(反省するのは大事ですが)必要以上に貶めるのは、フェアな態度とは言えないでしょう。日本の中にも、進歩的と称される方々の中に多く見られる性向ですが、連綿と続く日本民族のアイデンティティと健全な誇りを必要以上に傷つけ発展を阻害するものと言うべきです。後者に関連して、今さら言うまでもないことだとは思いますが、最近、目にしたもので一つ紹介したいと思います。保守派の論客・櫻井よしこさんは、とりわけ中国に手厳しい方ですが、オフィシャル・サイトの「不都合な歴史を消す、中国式記憶喪失」というタイトルのコラムで、4月2日付「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」紙に、北京の作家・閻連科氏が「中国政府が仕掛ける記憶喪失」と題する長大な論文を寄稿されたことを紹介されていますので、是非、ご覧頂きたいと思います(閻連科氏の論文の原文をちょっと探してみましたが、すぐには見つかりませんでした)。
(参考) http://yoshiko-sakurai.jp/2013/04/11/4636
そのきっかけになったのが、宮沢談話(1982年、教科書誤報事件の決着を図るため、中・韓の批判に耳を傾け、政府の責任において是正するとして、以後、中・韓による教科書検定への干渉に道を開いた宮沢喜一内閣官房長官談話)や、河野談話(1993年、慰安婦関係調査結果、朝鮮半島などでの慰安所設置に旧日本軍が直接あるいは間接の関与を認め謝罪した、宮沢改造内閣の河野内閣官房長官談話)や、村山談話(1995年、戦後50周年記念式典に際して、植民地支配と侵略によって、アジア諸国に多大の損害と苦痛を与えたことをお詫びし、現在取り組んでいる戦後処理問題にひき続き誠実に対応するなど、村山富市内閣総理大臣が、閣議決定に基づき発表した声明)といった、一種の事勿れ主義とも言える一連の謝罪外交にあったことはよく知られるところです。そして宮沢談話を契機とて、日本の教科用図書検定基準に「近隣諸国条項」として知られる、「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」という条項が挿入されました。この規定の存在は、「中国や韓国などからの激しい内政干渉を誘発しているというものと、この規定の活用が不十分であるのでもっと積極的に活用するべきであるというものが見られる」(Wikipedia)のですが、そういった近隣諸国との間で外交問題にするのであれば、相互主義の原則に基づいて、日本も、中国や韓国の歴史教科書の記述の誤りを追及すべきでしょう。
安倍総理は、「歴史認識の問題は、政治家がとやかく言うべきではなく、歴史家や専門家に委ねることが適当」「歴史認識に関する問題が外交問題、政治問題化されることは望んでいない」と述べ、幕引きを図りました。しかし、第一次安倍内閣のときに始めた日中歴史共同研究で、日本側の責任者だった方は、南京事件がなかったことを実証する多数の著書や論文を全く引用しなかったことがありました。専門家に委ねるのは結構ですが、およそ噛み合わない日・中で摺合せは、やるだけ無駄です。お互いに言い合ってガス抜きをして終わればいいのです。むしろ外交問題や政治問題にしない智恵を絞るべきでしょう。
歴史認識について、だらだらと書いて来ましたが、結局、何が問題かと言うと、先ずは歴史を現代的な価値観で裁くところが不遜であること、そして(特に中・韓において)事実認識に偏りがあり実証的と言えないこと、だと思っています。前者に関連して、勿論、歴史ですから、当時を当時のままに理解するだけでは足りなくて、常に現代的な価値を見出すことにこそ歴史を学ぶ意義があると言うべきですが、例えば「平和に対する罪」は、「国際法で不法に戦争を起こす行為のこと」を言い、「宣戦を布告せるまたは布告せざる『侵略戦争または国際条約・協定・保障に違反する戦争の計画・準備・開始および遂行、もしくはこれらの行為を達成するための共同の計画や謀議に参画した行為』として、第二次世界大戦後、戦争犯罪の構成要件を決定する必要にせまられ、種々のガイドラインを定めるために開かれたロンドン会議で最初に提唱された」ものであり、「これに問われた戦争犯罪人はA級戦犯と呼ばれている」わけですが、「第二次世界大戦後のニュルンベルク裁判や極東国際軍事裁判のために制定した『事後法』であるとして、国家ではなく個人の責任を追及し処罰することは法の不遡及原則に反していたとする国際法学者の意見もある」(いずれもWikipediaより)というところに、もう少し注目すべきだろうと思います。戦後の、ひいては現代的な価値観で、つまりは後智恵で、日本の戦前のリーダーやその歴史を(反省するのは大事ですが)必要以上に貶めるのは、フェアな態度とは言えないでしょう。日本の中にも、進歩的と称される方々の中に多く見られる性向ですが、連綿と続く日本民族のアイデンティティと健全な誇りを必要以上に傷つけ発展を阻害するものと言うべきです。後者に関連して、今さら言うまでもないことだとは思いますが、最近、目にしたもので一つ紹介したいと思います。保守派の論客・櫻井よしこさんは、とりわけ中国に手厳しい方ですが、オフィシャル・サイトの「不都合な歴史を消す、中国式記憶喪失」というタイトルのコラムで、4月2日付「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」紙に、北京の作家・閻連科氏が「中国政府が仕掛ける記憶喪失」と題する長大な論文を寄稿されたことを紹介されていますので、是非、ご覧頂きたいと思います(閻連科氏の論文の原文をちょっと探してみましたが、すぐには見つかりませんでした)。
(参考) http://yoshiko-sakurai.jp/2013/04/11/4636