風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

小池劇場

2017-09-30 12:20:54 | 時事放談
 どうやら小池劇場・・・と言ってもドタバタ劇に近いが、その幕があがって、騒々しくも、ちょっと楽しみな政治状況になりつつある。読売新聞社が、民進党が希望の党への合流を決めた直後の28日夕から29日にかけて行った緊急全国世論調査によると、衆院比例選での投票先は、自民党の34%はともかくとして、希望の党は19%まで伸ばし、他の野党から頭一つ抜け出したようだ(因みに公明党6%、共産党5%、日本維新の会2%と続く)。合流を決めた民進党が調査対象に含まれなかったからでもあるが、それにしても同社が2014年の解散直後に実施した調査では、自民党41%、民主党(当時)14%、公明党6%などの順だったというから、期待先行とは言え、自民党は想定外の展開にうかうかしていられなくなっているのは事実だろう。
 ポイントはこれからで、小池劇場の何が面白いかと言って、もはや選挙そのものより、そこに至る過程で政治家なるものの生態があぶり出されるであろうところが興味深い。これは多分に皮肉な言い方で、ただの野次馬根性に過ぎない(苦笑)。民進党では前原代表が提案した小池新党への“合流”を満場一致であっさり決めて(この軽さたるや何であろう!?)大船に乗り移れると期待した議員が大勢いただろうが、小池女史からは「(公認にあたって)リベラル派を排除する」と、公認候補を選別する考えが示されて、思惑が外れた。それでも前原代表は健気にも、公認を望む民進党出身者全員が受け入れられるよう努力する考えを示したが、小池女史は「全員を受け入れる考えはさらさらない」と断言した。改革“保守“と言うからには当然だろう。小池新党が第二の”民主党“になってしまっては元も子もない。「安全保障、憲法観といった根幹部分で一致していることが政党構成員としての必要最低限」だと強調したと言い、一種の「踏み絵」をつきつけた形だ。何しろ2年前の安保関連法案の衆院採決で賛成した旧・民主党議員は一人もいなかったのだ。約90人の民進党前職の中で公認されるのは30数人との観測もあって、そうなれば日本維新の会も組みやすくなるとの見立てもある。
 釈迦の垂らした糸に大勢が群がる芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出した人がいる。これまで中身はなくても反・安倍や反・安保法制を叫んでさえいれば野党の政治家っぽく振舞えた人たちが、選挙に勝ち政治家であり続けるために、(あからさまな宗旨替えは流石にハシタナイから)何とか言い訳しながら、蜘蛛の糸に(殺到しないように見せかけながらも心はそわそわ)群がるのだろうか。政治家たるものの政治信念の度合いの見せ場(そうでなければ政治家としての薄っぺらさ加減をどう取り繕うか)である。何を今さら・・・で、ただの悪趣味なのだが、なかなか面白い人間模様ではないか(笑)。
 既に劇は始まっている。
 枝野幸男氏は「党の公式見解に沿う」と言葉少なで、身の振り方については口を閉ざしたらしい。辻元清美氏のスケジュールは週末まで全てキャンセルされ、事務所でも動きを把握していないという。小池新党に移った細野氏は「(合流にあたって)三権の長を経験した方々はご遠慮いただく」とも述べたのに対し、野田佳彦前首相は「小池さんと前原さんが決めることだ。先に離党していった人の股をくぐる気は全くない」とせめてもの意地を見せたのはさすがで、(諦めが悪くて小心者?の)菅直人元首相に至っては終始無言だったという。こんな人を首相に選んだのだ・・・とは思い出したくもない。
 自民党も他人事ではない。安倍首相という一枚看板に甘えて、魔の二回生は極端な例だが、どこまで政治信念があるのかといったあたりになると、甚だ怪しい。弱小とはいえ野党が寄ってたかって、それに朝日・毎日・東京といったリベラル系メディアも加わって、政策云々ではなく印象操作という感情に訴える手法で反・安倍で纏まると、支持率という些か浮ついた人心による評価はいとも簡単にグラついてしまった。そもそも政党でありながらヌエの如く右から左まで(保守からリベラルまで)良くも悪くも包容力があるのは、戦後・自民党のお家芸である。その劣悪コピーである旧・民主党や民進党が消えて行くのは世の定めとは言え、もし投票まで十分に時間があって、本当の意味で(というのは政策論で)与・野党を問わず保守とリベラルに分かれて政界再編に繋がったとしたら・・・夢でしかないが、小池女史という触媒の株は大いにあがったことだろう。
 あるいは時間がなくて、小池新党といってもカタチだけで、小池女史の真価が問われなくて、却ってこれ幸いなのかも知れない。実際、橋下徹氏(前大阪市長)は「しかし朝日新聞や毎日新聞は酷いな。僕が石原(慎太郎)さんや江田(憲司)さんと組もうとしたときには、重箱の隅を突くような細かな政策の一致やこれまでの言動との整合性を求めた。ところが希望と民進の合流は反安倍でとにかくOKだって。国民はそんなに甘くないし、そんなことやってるからメディアの信頼が落ちる」と批判したらしい。相変わらず反・安倍という感情論はあっても、政策論はないのだ。
 ・・・とまあ、今回は飽くまでドタバタ劇であることが惜しまれるし、望んだところでこの程度だろうという諦めが、毎度のことながらちょっと哀しい。無責任な一介の市民としては冷ややかな目で、せめて楽しみを見つけながら、成り行きを見守るしかない(最後はちょっと自虐的か・・・な)。
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改革保守の旗

2017-09-28 01:47:57 | 時事放談
 民進党の前原代表が昨日の党常任幹事会で、「どんな手段を使ってでも安倍晋三政権を終わらせる。皆さんの力を借りたい」と厳しい表情で訴えたというのは、2009年の「政権交代。」と同様、何をしたいか、何が出来るかではなく、またぞろ手段が目的化しているようで苦々しい思いで見ていたところ、つい先ほどの時事通信によると、今日の民進党所属議員の会合で党幹部が衆院選対応について、「民進党の公認候補は出さない。民進党の党籍を残したまま、『希望の党』の公認をもらってほしい」と説明したらしく、そのあけすけさには驚かされた。小池(希望の党)代表が、かねて政党同士の合流には応じず、各議員が個別に希望の党の門を叩くように求めていたことに対応したものだろうが、「離党ドミノ」に歯止めがかからず、もはや「民進党」の看板では戦えないことを認めたわけで、さすがに前原代表自身は無所属で出馬する意向らしいが、民進党は事実上、瓦解してしまった。
 それほど小池代表を擁する「希望の党」誕生のインパクトは小さくなかったわけだが、果たして選挙戦でどこまで戦えるのかとなると、よく分からない。「希望の党」とは相変わらずセンスを感じさせないネーミングだと、他の人はどう思うか知らないが私は思わず溜息をついてしまったが、それはよしとしよう。
 今朝、行われた「希望の党」の設立会見で、小池代表が、「伝統や文化日本の心を守っていく。変えるべきところは大胆に変え、守るべきところは守る、めりはりのついた政治」をめざす「寛容な改革の精神に燃えた保守」だと言ったあたりは、月並みで漠としているが、目のつけどころは悪くないと思う。安倍政権が、と言うより自民党が、しがらみを断ち切れず、成長戦略をはじめとする改革を実行できず、昔ながらのバラマキ政治から脱し切れないばかりに、お株を奪われた形だ。ある一部上場企業に勤める知人から、(それなりに見識があると想定される)事業部長20名ほどが集まった研修の冒頭、アイスブレークの椅子取りゲームで、自民党支持者を尋ねて、立ち上がったのは僅か1名だったというエピソードを聞かされて、隔世の感を覚えたのも、つい最近のことだ。自民党とは懇意にある経団連の会長候補がいた企業である。時代は変わった・・・と言うより、時代の変化を先取りするどころか、その変化に自民党は追い付くことすら出来ていないということだろう。
 ところが、この「希望の党」の設立会見に出席した国会議員の素性がいまひとつだ。衆議院から若狭勝氏、細野豪志氏、長島昭久氏、松原仁氏ら11名、参議院から松沢成文氏ら3名、計14名の国会議員が出席したというが、特に衆議院議員11名の内訳を見ると、小池都知事のお膝元の東京や神奈川・埼玉といった首都圏を地盤とする人が9名もいて、選挙区で落選して比例代表で復活当選した人が5名いると、産経新聞電子版はこれみよがしに指摘する。どうやら「希望の党」は、当選が厳しい議員の「駆け込み寺」「衆院選に向けた救命ボート」だとか、小池人気にあやかろうとする当落の危うい議員の「選挙互助会」「議員バッジファースト」などと揶揄されるのも、あながち故なしとしない。
 そもそも、共同通信が先週23・24両日に実施した全国電話世論調査では、比例代表の投票先を「小池新党」とした人は僅か6.2%、自民党(27.0%)には遠く及ばなかったばかりか、民進党(8.0%)の後塵も拝していた。日本経済新聞社とテレビ東京が22~24日に実施した調査でも、民進党と同じ8%で、自民党(44%)から大きく引き離されていた。私自身、小池さんに何を期待できるものか、今なお分からないでいるが、やはり世間の目には厳しいものがある。本ブログ冒頭の民進党のテイタラクは、小池新党との票の奪い合いを懸念したものだろうが、小池新党とて、大票田である無党派層の取り込みが出来ないようでは、この選挙戦は覚束ない。折角の「改革保守」の旗が泣いてしまう。そして、私のような無党派層(安倍政権の外交・安全保障政策は支持しているが)には行き場がなく、またしても宙を彷徨ってしまうのだろうか・・・
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トランプ劇場

2017-09-26 01:17:25 | 時事放談
 前回ブログで触れたように、十年一日どころか二十五年も変わらない日本の政局とメディアの状況と比べれば、国連総会でのトランプ大統領の演説や、その前後のアメリカと北朝鮮の非難の応酬は刺激的で、つい惹き込まれてしまった。とは言っても、国連総会ともなれば格調高いと思いきや、トランプ大統領の子供じみた挑発が際立って、正視に耐えない、目を覆い(耳を塞ぎ)たくなるほど異様だった。
 トランプ大統領が北朝鮮やイランを「ならずもの体制だ」と指摘したのは、ブッシュ・ジュニア大統領も似たようなものだったが、北朝鮮の金正恩体制について、「ロケットマンが自殺行為の任務を進めている」と述べ、北朝鮮の核・弾道ミサイルは金体制の崩壊につながると警告、「米国はあらゆる手段を講じて自国と同盟国を防衛する」と言明するとともに、もし軍事攻撃に踏み切る事態となれば「北朝鮮は完全に破壊される」とまで言い放ったという(このあたりは産経新聞電子版による)。「完全破壊」に言及したときには、さすがに議場からどよめきが起こり、北朝鮮の国連大使は抗議の退席をしたらしい。
 それだけではない。とうとう金正恩本人をひっぱり出してしまった。トランプ演説を非難する声明を、北朝鮮の国家最高位である国務委員長名義で、党中央委員会庁舎で発表したというのである。「トランプが(と呼び捨てにして)世界の面前で私と国家の存在自体を否定して侮辱し、わが共和国をなくすという歴代で最も暴悪な宣戦布告をしてきた以上、我々もそれに見合う史上最高の超強硬対応措置断行を慎重に考慮する」、「朝鮮民主主義人民共和国を代表する者として、わが国家と人民の尊厳と名誉、そして私自身の全てを懸け、わが共和国の絶滅を喚いた米国統帥権者の妄言に代価を支払わせる」、「トランプが何を考えようが、それ以上の結果を目の当たりにすることになろう」、「米国の老いぼれの狂人を必ず火で罰するであろう」などと主張したらしい。トランプ大統領に負けず劣らず激しい言葉だが、まだ冷静で余程抑制が効いている。特に「超強硬対応措置断行を“慎重に考慮する”」と言ったあたりは、腰が引けているようにも見える。しかし祖父の金日成主席も、父の金正日総書記も、最高指導者名義で声明を出したことはなく、米国への最大の警告とみられている。
 (トランプ大統領の子守り役である)マティス国防長官は、トランプ演説の後、「われわれは北朝鮮情勢に(国連安保理などの)国際プロセスを通じて対処しており、今後も続ける」、「ティラーソン国務長官がこのような取り組みを主導している。外交的手段によって解決されることを望む」とフォローしたが、実はトランプ演説の前日(18日)、北朝鮮への軍事的選択肢に関し、韓国の首都ソウルを北朝鮮の報復で「重大な危険」に陥らせることのない軍事的手段があると記者団に明かしたという(作戦の詳細について言及することは控えたらしいが)。「Mad Dog」と呼ばれた歴戦の海兵隊・指揮官である。「狂犬」と直訳するのは間違いで、「荒くれ者」と訳すのが妥当と言われるが、ビジネスマン出身のコケオドシと違って迫力がある。金正恩委員長は、トランプ演説よりもむしろマティス発言に敏感に反応したのではないだろうか。
 かつてベトナム戦争の頃、ニクソン副大統領(当時)は北ベトナムのホーチミン国家主席に対し、戦線拡大の脅しをかけて、「何をするか分からない」という恐怖感を与えて、和平交渉に引き出そうとした。所謂「Madman Theory」である。トランプ大統領も「何をするか分からない」不確実性が大いに懸念されているが、些か滑稽なハリボテのMadman風情で、ニクソンの「Madman Theory」に比すならば「Mad Dog Theory」の方ではないかと思ったりする・・・
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政局解散総選挙・続

2017-09-23 11:31:37 | 時事放談
 前回ブログを補足しようと思うが、先ずは細谷雄一氏の著書「安保論争」の前書きから引用する。

(引用)
 「国民的論議を抜きにして法案を押し通すのは許せない」 朝日新聞はその紙面の中で、法案に反対する人々の運動について、「草の根の異議広がる」と題して、その怒りの様子を伝えている。(中略) それだけではない。朝日新聞では「数の力で押し切る政治」と題する社説の中で、法案への強い異議を説いている。そこでは「『数の優位』を頼んで押しまくっている」政府を批判して、「議会政治の基本である『対話の精神』を欠いているといわざるをえない」と非難する。そして、「このままでは、国会や国会議員の権威が落ち、政治に対する不信感も広がるだろう。憂慮すべき事態だ」と論じて、法案の審議が十分ではなかったことを批判している。(中略) 法案成立についての主要紙の評価は、大きく二つに分かれた。朝日新聞の紙面ではその様子を伝えており、「東京の主要各紙のうち、読売新聞と産経新聞」が「成立を積極的に評価した」と述べ、他方で「毎日新聞と朝日新聞は、国会の審議のありかた全体に疑問を投げかけた」と報じている。また、「毎日は『憲法を守るべき立場にある国会が、国民の意思を問うことなく、どこまでも憲法解釈を拡大するというのでは、議会制民主主義の根幹が揺らぐ』と厳しい目を注いだ」と、その社説を紹介している。(後略)
(引用おわり)

 ここまで読んで、著書のタイトルに示される通り、ほんの2年前の懐かしい議論かと思いきや、実は25年前の1992年6月15日に成立した、国連平和維持活動協力法、所謂PKO協力法に関するものだと明かされて、ちょっとぶったまげてしまった。細谷氏は皮肉たっぷりに以下のように続ける。

(引用)
 その後、PKO協力法に基づいた自衛隊の海外派遣は、国際社会で高い評価を受けるとともに、国民の間でも理解が浸透していった。他方で、リベラル系のメディアが論じるようなかたちで、憲法解釈の「変更」による自衛隊の海外での活動が戦後の平和主義の理念を壊すことはなかったし、国会での「強行採決」が民主主義を破壊することもなかった。むしろ、自衛隊のPKO参加によって、よりいっそう肯定的なかたちで日本の平和主義の理念が世界に伝わることになった。災害後の復興支援活動、内戦後の平和構築活動や人道支援活動などは、国際社会において日本の平和国家としてのイメージを定着させることを手伝った。
(引用おわり)

 それでも細谷氏は学者だから、冷静に状況を分析し、同様の批判や懸念が、1999年に周辺事態法が成立したときにも、2004年にイラク南部サマワに陸上自衛隊が派遣され、有事関連法が成立したときにも、聞こえてきたことを振り返り、「いったい何を恐れ、何に懸念し、何を止めようとしているのか」と問題提起して、論を進める。
 私は学者じゃないから、つい、メディアの主張は変わらない(見識がない・・・とまでは言わないが)とか、与党・自民党の強引と相手に思わせてしまう手法(あるいはメディアが言うに事欠いて強引と一方的に非難しているだけかも知れない)は変わらないなあ・・・などと下衆な感想を抱く。前回ブログの世論調査に見た通り、「読売&産経」VS「朝日&毎日」という保革対立の構図まで変わらない(笑) そして日本人の意識は、国際社会の現実を感知することにかけてはやや時代から後れをとり(却って政治が進んでいるように見えてしまう)、時代とともに、その現実を遅まきながらも受け容れて、確実に変化するものだとも思う。細谷氏が指摘する通り、新・安保法制を論議する中で、あるいは今や、自衛隊のPKO活動に反対する人は殆どいないはずだ。昨今の朝鮮半島危機や中国を取り巻く情勢を見ると、いずれ新・安保法制も当たり前に受容されるときが来るのだろう(既に、新・安保法制を成立させておいてよかったと思っている人が多いかも知れない)。
 穿った見方をすれば(などと上段に構えるほどではないが)、国際政治をはじめとして「現実主義」と「理想主義」の両極端が対峙して(というのはE.H.カーが提起し、学問としての国際政治学が始まることになった記念すべき命題だ)、「現実主義」が暴走しないよう、「理想主義」が歯止めをかけつつ、穏健なカタチで着実に現実をなぞるように前進する(所謂三段論法のアウフヘーベン)ということだろう。世の中(とりわけナイーブな理想主義が根強い日本の社会)は漸進的なのだ。保守の人から見れば、サヨクが邪魔をしていると見えなくもない。そしてそれは、イデオロギー(と言うよりも、冷戦崩壊後の今となっては「感情」とでも呼ぶべきかも知れない)に囚われて、十年一日どころか二十五年間も、攻め方が変わっていない。
 そこに日本の社会の構造的とも言える弱点があるように思う。個別の政策において、とりわけ憲法改正や安全保障に絡む問題になると、与野党対立の政界においても言論(メディア)空間においても、イデオロギーや感情に流されて、でも、そう見せないために、政策論ではなく枝葉末節や挙句は手続論に焦点が当てられて、建設的な議論に発展しないのだ。もっと言うと、「ルールとしての憲法」違反を盾に政策変更を、ひいては現実に対処することを、容認しようとしないのだ。強引だ、立憲主義をないがしろにする、ひいては驕っているなどと非難されるばかりでなく、何やら隠している、疑惑は解明されていないと、印象操作すら横行して、結果として政権・政党支持率が無用に上下する。
 このまま解散・総選挙に流れるなら、野党やリベラル系メディアは、またぞろ、大義がない、疑惑隠しだ、敵前逃亡だと、既に言い始めていることを大合唱して、印象操作を強めていくことだろう。新たな不倫疑惑や何等かの不正・隠蔽疑惑が持ち上がるかも知れない。世論はミズモノであって、選挙もミズモノだ。これから何が起こるか知れないし、今の議席数からすれば、とりわけ「魔の二回生」など風前の灯で、自民党の議席が減るのは間違いない。それでも自民党は選挙に打って出ようとするのは、今後の状況(政局)を考えれば、それを「負け」とは思っていないということだろうか。いずれにせよ、落ち着くべきところに落ち着くわけだが、なんとなく空騒ぎが過ぎて時間とカネを浪費していると思えなくもない。選挙にシラケてしまう・・・と言うかちょっと距離を置いてしまうのは、そんなところに起因するのだろう。
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政局解散総選挙

2017-09-21 23:24:06 | 時事放談
 数日前の報道によると、安倍内閣の支持率は軒並み回復したらしい。最悪だった7月の調査と比較すると、産経新聞・FNNで50.3%(+15.6%ポイント)、読売新聞で50%(+14%ポイント)と5割を超えた(15%ポイント前後も回復した)のを筆頭に、日経新聞・テレビ東京46%(+7%ポイント)、NHK44%(+9%ポイント)、共同通信44.5%(+8.7%ポイント)、朝日新聞38%(+5%ポイント)、そして誰が名付けたか政権運営の「危険水域」とされる30%を割り込んでいた時事通信でも41.8%(+11.9%ポイント)、毎日新聞39%(+13%ポイント)といった塩梅だ。もはや安倍内閣では憲法改正は出来ないと言われたほど打撃は大きいと見られていたが、どうしたことだろう。
 興味深いのは、産経電子版によると、男女別に見て男性の内閣支持57.4%(不支持35.7%)に対して女性の支持43.6%(不支持44.0%)と「男高女低」の状況が続いているのはともかくとして、男性では全ての年代層で支持が5割を超え、中でも「10、20代」の支持率は各年代層で最も高い69.0%に達した、というところだ。確かに若者の保守化などと言われるが、今回の加計問題をきっかけとした内閣支持率低下に限って見れば、朝日・毎日・(望月サンですっかり有名になった)東京新聞といった既存のリベラル系(端的にサヨク系)日刊紙や系列テレビ局による「印象操作」が奏功したものであって、その後、産経新聞をはじめとする保守系メディアが彼らの「印象操作」や「報道しない自由」を暴きたてて巻き返しを図り、いつしかネットでは「朝日はフェイクニュースの代名詞」「詐欺師の集まり朝日新聞」などといった反応で溢れて、多様なメディアに接する機会が多い若者ほど他の年代層(とりわけ高齢者)よりも早くバランスを回復したと考えれば、なんとなく説明がつく。
 それにしても民心は移ろい易いものだ。もっとも今どき確たる政治信念の人の方が珍しいだろうし、世の価値観は多様化して、多様化した利害を集約するのは難しいばかりでなく、却って与野党を問わず(リベラル・保守を問わず)政治不信が蔓延して、「支持政党なし」がマジョリティの時代である。コチコチのサヨクや保守は別にして、無党派層的な高齢者は、新聞やテレビなどの伝統的メディアが中心だろうから「印象操作」されると影響を受けやすく、ひとたまりもないだろう。しかも高齢者は1960~70年代の学生運動や市民運動を実体験されているから、いろいろな意味で(賛成するにしても反対するにしても)反体制が骨髄に染みついて、ちょっとしたことで、やはり・・・さもありなん・・・に傾きやすいのではないだろうか。
 それにしてもこうした毎月の世論調査に一喜一憂し、政治の成績表であるかのようにああでもないこうでもないと論じるようになったのは、一体いつの頃からであろうか(昔はそうではなかった)。政治家には不人気でも信念をもって国家百年の大計を講じて欲しいものだが、こんなに近視眼的で所謂バンドワゴン的な効果が昂じるようでは、日本とてポピュリズムに堕すばかりではないかと心配になる。
 そんな中、安倍首相は、支持率回復を追い風に、また、混乱が続く民進党と、小池百合子都知事に近い新党の立ち上げ準備の遅れに乗じる好機と、衆議院解散・総選挙を匂わせている。野党は「加計学園などの疑惑隠しだ」と反発するが、その批判は当たらない。また、野党は「大義がない」とも批判し、自民党の石破氏も「国民に何のための解散か、何を問うのか、明確にする必要がある」と述べるが、それはその通りだろう。しかし所詮は選挙である。オモテの政策とウラの政局がセットになった、言わば権力闘争そのものであって、キレイごとばかりで済むものではない。しかし700億円とも800億円とも言われる血税を使う以上、そして1年以上の任期を残して踏み切る以上、それなりに恰好がつく意味あるものにして欲しい。
 共産党の志位委員長は「安倍政権を倒すには、野党と市民の共闘の道しかない」と述べたらしいが、今の政党支持率でそれを言うのかと相変わらず呆れてしまうし、所詮は同床異夢で、安倍さんの「大義なし」を批判出来ないのではないか。社民党の又市幹事長は「北朝鮮の核・ミサイル危機をあおるだけあおって、選挙を行うのは大丈夫だということで、支離滅裂だ」と批判したらしいが、核・ミサイル危機があるから国として何も出来ないようでは「ロケットマン」(何と品のない呼び名か)の思うつぼだ。又市氏はまた「挑発しておきながら、北朝鮮が身構えると『けしからん』といって追及するのは筋が通らない」とも述べたらしいが、どうして倒錯するのだろう。先に核・ミサイル開発で挑発してきたのは「ロケットマン」(何度も言うが、品がない)の方だ。民進党の松野国対委員長は「北朝鮮が15日にミサイルを撃った中で、消費増税分の使い道を見直すとの争点で選挙するのは、あまりにも平和ぼけしている」と安倍晋三首相を牽制したらしいが、国会で加計学園問題ばかり追求し朝鮮半島危機や安全保障論議を避け続けた党には言われたくない。安倍さんも安倍さんながら、野党もこんな調子だから、本当に、困ったものだ。
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北と安倍首相の訪印

2017-09-19 00:05:02 | 時事放談
 国連・安保理決議に反発するかのように、もっと言うと反発にかこつけて、15日朝、北朝鮮はミサイル実験を強行した。前回(8月29日)同様、北海道上空を通過し、飛行距離は約3700キロ(前回は2700キロ)、最高高度は約800キロ(前回は550キロ)に及び、襟裳岬の東の太平洋上約2200キロ(前回は1180キロ)に落下した。北朝鮮がかねて目標とするグアムまでの距離は約3350キロなので、今回は十分に届くことを誇示するのが狙いだろう。アメリカのレッドラインは後退したものの米国領土内および同盟国領土内にミサイルをぶち込むこととされているので、方角は前回同様、あさっての方角と言うべきか(日本列島の中でも人口が少ない)津軽海峡を越えるコースをとり、これが常態化するのではないかと防衛省関係者は懸念する。
 この日は、韓国の文在寅大統領が、国際機関を通じた800万ドル(約8億8000万円)相当の人道支援の検討を発表した翌日にあたる。制裁と人道支援は別というのは理屈では分かるが、国際的に制裁強化で纏まりつつあるこのご時勢に水を差す動きと呆れていたら、保守系とはいえ韓国・中央日報(電子版)は社説で“全方位外交”の結果、「北朝鮮に馬鹿にされ、米国に不信感を与え、中国に非難され、ロシアに拒否される」事態を招いたと批判した。
 また、この日は、インドを訪問中の安倍首相が、日本の新幹線方式を導入するアーメダバードとムンバイ間を結ぶ高速鉄道建設の起工式に参加し、モディ首相との首脳会談を行った、翌日でもある。安倍さん(首相官邸)のfbで見ただけだが、モディ首相の歓迎ぶりは、他の首脳を歓迎する場面を知らないが、格別なもののように見受けられた。安倍さん側近によると、数々の首脳の中でもモディ首相と一番ウマが合うそうだ。確かにプーチン大統領は元KGBらしく腹に一物ありそうだし、トランプ大統領はビジネスマンとしての付き合いの良さ以上の親しみを感じないし、習近平国家主席に至ってはなかなか会おうとすらしないで尊大に構えている。インドは非同盟の象徴とも言える存在なので、防衛装備に関しては、ロシアを筆頭に、米国、欧州諸国、イスラエルなどの各国の兵器技術に依存しているとされるが、日本への期待は高そうだ。歴史的な因縁があるように思う。
 この模様を固唾を呑んで見守っていたのは中国である、と宮崎正弘氏は言う。「2014年に習近平は、わざわざアーメダバードを訪問し、インドへの大々的な投資を打ち上げた(その後、何も実行されていないことは誰もが知っている)」という。そして宮崎正弘氏自身もその直後にアーメダバードを訪問され、印象深い思い出として、ガンジー記念館の図書館にチャンドラ・ボーズ関係の書籍がうずたかく積まれていたことに触れておられる。インドでも歴史修正主義が力を得ている背景がある、と言うのだ。そう言えば余談になるが、「フーバー回顧録」や「スティムソン回顧録」の日本語版がこの夏に相次いで刊行された。前者はアメリカでも2011年になるまで長らく刊行されなかったものであり、歴史修正主義、あるいは正当に評価し直す動きが出て来るか・・・しかし上巻だけで9500円(後者も上・下併せて1万円を超える)ではおいそれと手が出ない・・・
 そして同じように北朝鮮もこの模様を固唾を呑んで見守っていたのではないかと、報道されないが私は勝手に思うのだ。インドもまた核保有国だ。そのインドに対抗するべく、カーン・ネットワーク(核闇市場)で知られ、パキスタンの「核開発の父」と呼ばれるカーン博士によって核実験を成功させたパキスタンは、北朝鮮の核開発を支援していたとされる。インドにとっての核はパキスタンへの対抗の意味合いが強く抑制気味だが、大国としての要素を何も持ち合わせない、そしてかつて冷戦崩壊によってソ連という後ろ盾を失い、かつて朝鮮戦争では血の絆を誇った中国からも米中和解や改革開放に続き中韓国交樹立によって見捨てられたと感じている北朝鮮にとっての核は国家生存の切り札のようなものであり、いずれ日・韓を脅迫しないとも限らない。核を持たすべきではない国に持たしてはいけないのだと思う。
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北とアメリカ

2017-09-15 00:10:36 | 時事放談
 北朝鮮に対する11日の国連・安保理による追加制裁決議では、原油や石油精製品の規制に初めて踏み込んだという意味では進歩と言えなくはないが、米国の国連大使が「最強の措置」と豪語した原案からは(予想通りではあるが)大幅に譲歩する内容となり、トランプ大統領は「非常に小さな一歩だ」と不満を示したらしいし、北朝鮮はホッとしているのではないだろうか。落ち着くべきところに落ち着いたというのが正直な印象だ。
 もっとも、北朝鮮の朝鮮アジア太平洋平和委員会(なんじゃこれ?)は、軍民が「米国の地を焦土化しよう」と要求していると指摘し、米国と同調する日本に対して「取るに足らない日本列島の4つの島を核爆弾で海中に沈めるべきだ。日本はもはや、我々の近くに置いておく存在ではない」との声が出ていると威嚇し、韓国に対して「集中射撃で親米逆賊集団を掃討しよう」と皆が叫んでいる、との(随分、勇ましい)声明を発表した(いずれも産経電子版から)というから、これまで抜け穴だらけで足並みが揃わなかった国際社会が団結して北朝鮮を包囲しつつあるのを警戒しているのは確かだ。
 とりわけ年間約800億円を稼ぐと言われる繊維製品の禁輸措置の効果はありそうだ。8月の制裁決議で決めた石炭や海産物などの全面禁輸と併せると、(飽くまで公式統計上の数字ではあるが)輸出総額の9割以上が制裁対象になるというのは、決して小さなことではない。しかし核・ミサイル開発に必要な物資は各国の秘密口座を通して取引しているとされるし、伝統的な偽札・麻薬ビジネスや武器輸出・軍事顧問団派遣などの非正規ビジネスは把握されているわけではないし、今回、部分的に網がかかった海外派遣労働者からの収入は、米国当局によると現在10万人弱、中国とロシアが最大の受け入れ先で、年間500億円以上の外貨収入があるというが、これに直ちに影響があるわけでもない。
 それにしても、米国は、何故、あっさり妥協したのだろうか。短期間にまとめあげたことを評価する声があるが、端的に、トランプ政権の政治任用が遅れて人的リソースがなく、緻密に対応できないというのが実態ではなかろうか。ニューズウィーク日本版の先週号によると、上院の承認が必要な主要ポスト591の内、トランプ大統領が指名したのは225人(同時期のオバマ前政権では425人)、指名済みは国務次官6人中1人、国務次官補22人中3人、国防次官3人中2人、国防副次官補12人中4人だけだという。とりわけ深刻なのが、東アジア・太平洋地域担当の国務次官補も、アジア・太平洋安全保障問題担当の国防次官補も指名先送り、というところだ。3日の北朝鮮による「水爆」実験を受けてトランプ大統領が招集した3時間にわたる緊急会議の後、マティス国防長官がホワイトハウスで記者団に、北朝鮮が米国本土やグアムなどの米国領、同盟諸国を攻撃するなど「直接の脅威」に晒した場合は「有効かつ圧倒的な大規模軍事反撃に見舞われるだろう」と言明したのは、ケネディ政権がソ連(当時)との核戦争の瀬戸際に立たされた1962年のキューバ危機以来の「異例の発言」として、米国内でも衝撃をもって受け止められたという(産経電子版)緊急事態である。
 もとより軍事解決のオプションはテーブルにあっても、巷間言われるように、おいそれと手が出るものではない。北朝鮮が自らの生き残りを賭け核兵器の能力強化で対米抑止力を確保するという目標に向けて邁進し、あと少しで(1年とも2年とも)弾道ミサイルの再突入技術を獲得できるところまで来ている以上、もはや対話に乗って来るとは思えない。そうすると、米国にとってはTime is of essence.のはずで、それまでに、制裁を強化しつつ北朝鮮を窮状に追い込んで交渉に引き摺り出さなければならないところだ。
 かつて韓国の研究機関にいた人によると、金正恩委員長はちょっと切れやすいものの「IQ(知能指数)は人並み以上だった」らしいし、コーツ米国家情報長官は「とても普通ではないタイプだが、狂ってはいない」との評価を述べている。今回の制裁の結果、中国は北朝鮮向け石油輸出というある意味で生殺与奪のカードを手放さなかったし、米国も金正恩体制の資金源を絶つためのセカンダリー・サンクション、すなわち中国の金融機関やエネルギー関連企業に対する二次的制裁のカードを温存しており、さらに時間をかけて、計算高いが狂ってはいない金委員長を、決して自暴自棄に走らせることなく、追い詰めて行くことになる。米中央情報局(CIA)のポンペオ長官は7月にさるフォーラムで「重要なのは核の能力と核を使う人物を切り離すことだ」と述べ、金委員長の追放を示唆した(叔父の金正男暗殺で、潰えたかに見えたが)。まさに様々なオプションがテーブルに載っているわけで、まだまだ緊張の駆け引きが続く。
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北とアントニオ猪木

2017-09-11 23:01:40 | 時事放談
 北朝鮮を訪問していたアントニオ猪木参院議員が帰国の途に就いたようだ。
 時事によると、9日の建国記念日に合わせて北朝鮮から招待を受けていたらしい。朝鮮労働党で国際部門を統括する李副委員長(朝日友好親善協会の顧問も務める)と会談したが、「最後の目標まで(核・ミサイル)開発を続ける」と語っていたという。政府が対北朝鮮制裁の一環として全ての国民に渡航自粛を要請しているときに、足並みを乱すかのように堂々と北朝鮮を訪問して、「政治家失格だ」といった厳しい意見もある中、かつて果敢に相手の懐に飛び込むプロレス・スタイルを彷彿とさせるようなフットワークの良さで、私自身は必ずしもネガティブに見ていない(何を隠そう、子供の頃は大のプロレス・ファン、アントニオ猪木のファンだった・・・)。
 このアントニオ猪木氏の行動力に対するネットの反応を見ていると、皆さん発想豊かで実に面白い。茶化すつもりは毛頭なく、以下に印象に残ったものを引用すると・・・

 ・9/9に発射予定のミサイルを止めてるのは、この方かもしれないですね(^.^)
 ・今、猪木がICBMに卍固めを掛けて止めています
 ・猪木さんがいようともいないともやるときはやるし、やらないときはやらない。
 ・懲りないなぁ…(-_-;)
 ・怖いもの知らずだな。私がなりたいタイプの人間だ...。
 ・金正恩にビンタお願い致します。
 ・そこまで猪木を批判する気になれない。他の政治家は何やってんだ。

 北朝鮮とアントニオ猪木氏と言えば、彼自身のプロレスラーとしての名声に加え、在日朝鮮人だった祖国の大スター・力道山の愛弟子という親しさもあって、北朝鮮で「切手」になったこともあるほどの人気者らしい。猪木氏は今回の訪問について「恒例の人的交流だ」と説明するとともに、「いろいろな考え方があるが、私はたたかれようが何しようが関係ない」とも述べ、長年かけて築いた北朝鮮側とのパイプを維持する考えを示した(産経新聞電子版)という。
 北朝鮮ばかりでない。猪木氏は、昨年亡くなったキューバのフィデル・カストロ前議長とも20年以上も交流を続けてきたというし、古くは湾岸戦争時、イラクで日本人46人が人質となったときに、サダム・フセイン大統領(当時)と交渉して全員救出したのは、外務省でも時の政府でもなく猪木氏だったというのは語り草だ。
 しかし北朝鮮の金正恩書記長ばかりは、誰が何と言おうと(何しろ国家の存続が、すなわち自分の首が掛かっているのだから)核とミサイル開発に執着して、さすがの(?)猪木氏でも、どうにもならない。昨年も同時期に訪朝したらしいが、滞在中に5回目の核実験が行われた。それでも何故、北朝鮮問題に関わり続けるのかと問われて、かつて、次のように答えている(プレジデント誌 2014年2月3日号)。

 大好きな言葉の一つに「何にもしないで生きるより、何かを求めて生きようよ」がありますが、その心境です。人がやらない何かにチャレンジする、猪木にしかできないことに挑戦していくということです。1976年、当時のボクシング世界ヘビー級チャンピオンであるモハメド・アリと戦ったことがあります(「格闘技世界一決定戦」)。今になって伝説の名勝負と言われていますが、当時は全然評価されなかった。私の歴史を振り返ると、行動を起こした直後はものすごく批判を浴びる。でも結果として形になっていく。私自身ブラジル移民で、力道山にスカウトされて日本に帰ってきたときから、ひどいことを言われ続けてきました。プロレスそのものだって、ずっと蔑視され、差別を受けてきた歴史があるのです。だから「てめえら、今に見ていろよ」みたいな、いつも燃えるものが私の心にあって、それは生涯変えようがないのかなと思う。

 そのほか、ネットで彼の語録を拾ってみた(順不同)。

 「俺が持っている(北朝鮮の)人脈っていうのは、すぐにトップにつながる」
 「ここまで北朝鮮とのパイプを作れたわけだから、どうにかこれをもっと有効的に動かせないか」
 「政治には権謀術数も必要だと思っている。北朝鮮、韓国、日本の三国間で外交展開する場合、力道山を政治的に利用したり、俺のような存在をうまく使うことも戦術の一つになる」
 「きれいごとばかりじゃなく、善も悪も含め、清濁併せ呑んで行動していかなければ、外交にしても交渉ごとにして、けっしてうまくいかないんだ」
 「別に北朝鮮の太鼓持ちをやるつもりはないが、日本が偏見を持って北朝鮮を見ている。そんな日本はおかしいと思われても仕方ない状況に来ている」
 「話し合いができる環境づくりを、と思って、俺は回を重ねる毎に現地に行き、メディアを通してそう言ってる」

 詳細に見て行けばいろいろ問題もあるのだろうが、ここまで信念がある政治家が、昨今、珍しいと思われるだけに、なかなか貴重だと思うのである。あからさまに日本国政府の方針や理念に逆らってはマイナスだが、やや危なっかしいところがあるものの重層的な関係を築くことは必ずしもマイナスではないようにも思うのである。
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祝・9秒98

2017-09-09 21:16:15 | スポーツ・芸能好き
 陸上男子100メートルで、桐生祥秀が、日本人として初めて10秒の壁を破る9秒98を記録した。これで世界歴代「99」位にランクインしたというのも、今日の日付が「9月9日」というのも、何かの因縁か(笑)。これまでの日本記録10秒00は伊東浩司が1998年12月のアジア大会で出したもので、実に19年ぶりの更新である。100分の1秒まで表示する現行の電気計時では、アメリカのジム・ハインズが世界で初めて10秒を切る9秒95で走ったのが1968年のメキシコ五輪だったから、日本人は49年の遅れでようやく追いついたことになる。まがりなりにも競技としての陸上を高校時代にやっていた者として感慨深い。
 実のところ桐生が!?と驚いた人が多かったのではないだろうか。洛南高校3年生のときに出した10秒01は鮮烈で、「9秒台に最も近い男」と言われながら4年が経ち、正直なところ足踏みして見えたのは伸び悩みかと思っていたし、最近は同じ大学生で多田修平という伏兵が登場し、更にケンブリッジ飛鳥やサニブラン・ハキームといったハーフ勢が幅を利かせて、この前の世界陸上では100メートル個人として代表を逃すと、気が早い(短い)私は桐生の時代は終わったかと一抹の寂しさを覚えたものだった。それを一番気にしていたのは彼だろうし、何度もケガに見舞われ、もどかしい思いをしていたことだろう。前・日本記録保持者の伊東浩司氏は「桐生くんの意地だと思う」と語っていたのはその通りだと思うし、この日のレースも象徴的だったようで、「多田くんに前に出られて、いつもなら硬くなる場面。桐生くんが壁を乗り越える瞬間を見させてもらった」と感慨深げである。
 時代の流れもあったのだろうと思う。カール・ルイスが9秒86の世界新記録を樹立した1991年の世界選手権東京大会を契機に、日本陸連は一流選手の走法の科学的な分析に着手したのだそうだ。外国選手は走行時に膝を曲げず、足を1本の棒のように振っていることが分かり、それまで主流だった「速く走るためには太ももを高く上げる」という考え方が改められ、以来、多くの走者がタイムを縮めたという。伊東浩司は、膝を高く上げずに重心を移動させる走りを身につけようと、腰回りの筋力を鍛えたというし、末続慎吾もすり足に近い感覚の走りを目指したらしい。桐生は2015年頃から、高速ピッチを保ちながら歩幅を広げるフォームを目指してきた。上半身を前に傾けて重心を乗せるような感覚で、追い風に乗りやすいのも、今日(追い風1.8m)は幸いしたようだ。400メートルの日本記録保持者・高野進氏は、伊東や末続の動きは小手先ではまねしにくい動きだったと評した上で、「(桐生は)すごくまとまっている。多くの人がお手本にできる」と解説するほど、桐生のフォームはバランスが取れ、目立った癖がないらしい。
 十種競技の王者だった「百獣の王」武井壮は、「日本人初の9秒台ってどんな気持ちなんだろうなあ。。最高だろうなあ。。未来永劫名前が残る偉業だな。。後半の走り鬼の高速だったな。。」と絶賛したというが、競技者故の感想なのだろう。端っから縁のないただの競技者だった私には縁遠い感想だ(笑)。今日だって、万全ではなく、足に不安があって、コーチとギリギリまで相談して、出るとなれば肉離れしてでもスタートからいかないと、と思っていたという。飽くまで世界大会のファイナリストになるのが目標で、ようやく世界へのスタートに立ち入れたと思う、と言う彼の今後の活躍を期待したい。
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北と中国

2017-09-07 22:38:37 | 時事放談
 連日のように続いた軍用機と思われる轟音は、何を警戒?偵察?していたのか、今宵は響かず至って静かで却って物足りないと思ったりする(笑)。北朝鮮情勢について、国連安保理の特別会合は11日に結論を目指すようだが、どうにも手詰まり状態のように思われる。アメリカの追加制裁決議案が今日の日経・夕刊に出ていたが、金正恩委員長の資産凍結・渡航禁止はともかくとして、石油の全面禁輸や北朝鮮からの労働者受け入れ禁止や繊維製品の禁輸など、「最強の制裁」(米国のヘイリー国連大使)と自画自賛しているようだが、「北朝鮮の生命線を握るエネルギーと外貨の獲得手段を断つ狙い」(日経)であって、中国やロシアに受け入れられるとは思えないからだ。
 数日前の産経電子版に「中国はなぜ石油禁輸に反対するのか…5つの理由」と題する記事が興味深かったので、振り返ってみる。

(1)北朝鮮向けの原油には、ろうそくの原料のパラフィンが多く含まれている。送油を一定期間止めてしまうと凝結し管が詰まるという。
(2)北朝鮮にとって生命線といえる原油・石油製品の供給がストップすれば、経済へのダメージも甚大。社会混乱、政権崩壊につながりかねない。中国としては、①大量の難民が中国に押し寄せる、②親米政権が誕生する、事態は断じて受け入れられない。
(3)生命線を断たれた北朝鮮の金正恩政権が暴発する可能性もある。供給停止で中朝関係は最悪の状況に陥っているはずで、北のミサイルが北京に飛んでこないとも限らない。
(4)中国が原油・石油製品の供給を停止したとしても、ロシアが秘密裏に供給し続ける可能性がある。その場合、北朝鮮との関係を悪化させた中国だけが損をすることになる。実際、ロシアの北朝鮮への石油輸出は急増している。
(5)中国にとって石油の禁輸措置は北朝鮮に圧力をかけられる最大のカードであり、それを使っても効果がなかった場合、北朝鮮へ影響力を行使できる手段を全て失うことになる。

 ロシアは、冷戦時代こそ経済力や軍事力で中国を圧倒していたが、今や経済力では完全に逆転され、辛うじて軍事的に虚勢を張れるだけだ。それでもプーチン大統領はこの極東地域で存在感を示そうと虎視眈々と狙っているから、上記(4)の線は無視できない。(1)はともかく、(2)や(3)はかねてより懸念されるところで、軍事オプションをとる場合にも似たような問題に直面する。以前ブログでも触れたように、軍事衝突にせよ経済制裁強化にせよ、その後の秩序観(あるいはその方向感)について米・中にそれなりの合意が必要なはずなのだ(春の米中首脳会談で、朝鮮は昔、中国の一部だった、などと習近平国家主席が歴史観を披露した話が洩れ伝わって、韓国が反発したことがあったが、この文脈での話だろう)。仮に統一朝鮮半島が実現するとき、中国東北部の高句麗があった地域が統一朝鮮半島の領土だと主張されるのは、中国には受け入れられないといった歴史的な話も(なかなか表に出て来ないが)あるらしいし、朝鮮族が統一するとなれば、中国にとってクリティカルな他の少数民族問題に火を点けかねない懸念も指摘されて来たことで、そんなこんなで中国が、緩衝国としての北朝鮮という地位を諦める(統一朝鮮半島を許す)ことが出来るとは思えない。そしてやはり重要だと思うのが(5)のポイントだ。中国は石油の供給によって(何をしでかすか分かったものではない若大将を頭に担ぐ)北朝鮮の生殺与奪の権を握っているわけで、これをやすやすと手放すとは思えない。何より中国は5年振りの党大会を控え、10月18日まで事を荒立てたくないだろう。
 次の一手として軍事衝突を望む者はいないし、北朝鮮がアメリカに核弾頭を運べる大陸間弾道弾を完成するまでまだ半年や一年はのらりくらりとかわし続けるであろう(従いアメリカとの交渉のテーブルにつかないだろう)ことを思うと、何らかの制裁強化でもやらないことには、トランプ大統領のメンツも立たない。私のような単純な人間は八方塞とはこういうことを言うのだろうとつい諦めてしまうが、そうすると徒に時間ばかり過ぎて北朝鮮を利することになる。果たして誰もが納得するような妙案を紡ぎ出すことが出来るだろうか。
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