風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

安倍政権のレガシー

2020-08-31 23:52:44 | 時事放談
 戦後最長の安倍政権終焉の感傷に浸る間もなく、政局は動き出している。正直なところ今回ばかりは政局には余り興味が湧かず、政策が気になってしまう。次の政権でも是非とも引き継いで欲しい政策とは何か。
 安倍政権の最大の成果は、集団的自衛権行使の一部容認と安保法制だと言う人がいて、まあ、その通りだろうと思う。祖父・岸信介氏の日米安保改 定を彷彿とさせる国会前デモを招き、国論を二分する騒然とした事態に立ち至って、8年近い安倍政権のクライマックスとも言えるものだった。これは、しかし、内政よりも外政にこそ意味がある政策であり、これを含めて今の日本の対外的地位こそが安倍政権の最大のレガシーだと思う。それはトランプ大統領やメルケル首相に「SHINZOがそう言うならいいや」と言わしめたエピソードに集約される。
 先ず、あの気紛れで予測不能で我が儘なトランプ大統領とゴルフをするほどの個人的な信頼関係を築きあげたことは、最大の偉業と言っても過言ではない(笑)。案外、ご本人にとってそれほど造作ないことだったのではないかと思っていたら、甘利さんによれば、以前、安倍さんに、トランプ大統領と相性が合うのか質問したところ、「いやオレも疲れるんだよ」と明かしたらしい(30日の「日曜報道THE PRIME」において・・・こんなことを今、明かしていいのか疑問だが 笑)。貢いでご機嫌をとるばかりだと揶揄する向きもあるが、国益を背負った、国際社会のお守り役であったのは、恐らく衆目の一致するところだろう。このあたりは、同じようにゴルフをする仲となって日米安保条約改定を進めた祖父・岸信介氏とアイゼンハワー大統領の関係を彷彿とさせる。NATOやヨーロッパ諸国に対するビジネスライクな(つまりは損得勘定中心の)割り切りを見せつけられると、またアメリカがいくらアジア重視に舵を切っていたとは言え、韓国への冷遇を見せつけられると、盤石の日米関係が日本にとって如何に幸運なことだったかがよく分かる。昨日の電話会談で、2人の関係は「特別だった」との見方で一致し、この先何年も「すてきな友情」を維持していくことを楽しみにしているとしたという(産経Web)。首脳間で友情について語り合えるとは、素晴らしい。
 地元・山口に招待したロシアのプーチン大統領は、KGB(ソ連国家保安委員会)の有能な元・工作員だけに、なかなか本音が見え辛いが、在任期間に実に27回も会談を重ねたのは、信頼関係なくしてはあり得ない。独裁政治を敷きながら、なかなかの慎重居士で、この二人を以てしても平和条約と北方領土問題解決に至らなったのは残念だが、今日の電話会談でプーチン大統領は、「これからも友情を大切にしたい。またお会いするのを楽しみにしている」と述べ、日本語で「シンゾー、アリガトウ」とも述べたというのも、最大限の賛辞であり、本物の関係に見える。また、外国の要人として唯一、別荘にお招きしたインドのモディ首相ともウマが合ったようだし、台湾に寄せる思いも強く、東南アジア諸国、オーストラリア、ヨーロッパ諸国等々、友好的な関係を築いた首脳は数知れない。国家間の関係とは言え、首脳同士の信頼関係が重要であることは、韓国の文在寅大統領と会うことが少なく、日韓関係までもが冷え切っているのを見るまでもない。
 こうして在任中81回の外遊をこなした外交は「地球儀を俯瞰する外交」と言われ、各国・首脳と信頼関係を築き、中国とも関係修復しながら、何より欧米・自由主義陣営へのコミットメントを明確にしていることが重要だろう。中でも「自由で開かれたインド太平洋」構想は、アメリカを引き込むことに成功し、中国が強面で台頭するにつれ、インドやオーストラリアと接近し、「サプライチェーン・レジリエンス・イニシアチブ(SCRI)」として独自のサプライチェーンの枠組み構築を検討するなど具体的な成果が出ているのが重要である。BREXITの英国と、英語圏(英米加ANZ)の諜報に関する協力関係であるFive Eyesへの参加まで話題になったのは、そんなタイミングであるとしても画期的なことであり、欧米諸国と重層的に関係が構築されるのは望ましい。最近、イスラエルとUAEが国交回復して話題の中東では、イスラエルやアラブ諸国と対立するイランやトルコなどの地域大国とも、日本は友好的な関係を築いており、もとより安倍政権での功績と言うより伝統的なものだが、極めて貴重でユニークな貢献をなし得るものとして大事にして行きたいものだ。
 唯一の問題と見られるのは日韓関係で、韓国では安倍さんが国民の嫌韓感情を政治利用していることが日韓関係悪化の原因とされているらしく、次の政権に淡い期待を寄せているようだ。そもそも国民の嫌韓感情は、親日とされるはずの李明博大統領が政権末期の劣勢を挽回しようと竹島に上陸するなど反日感情を政治利用したことに始まり、次の朴クネさんは親日とされる父親からの連想を避けるために反日を装い続け、その次の文在寅さんは、韓国の有識者に言わせれば韓国は内戦状態だと揶揄するほどに反日感情を政治利用したからだ。結果、安倍さんをして、中国の言っていることには反対だが話が通じるのに対し、韓国とは話が通じない、とまで言わしめて、史上最悪の状況が続いている。次の政権は下手な妥協をすることなく、日韓請求権協定は戦後の日韓関係の基本として、韓国こそ理不尽であることを粘り強く理解させるしかない。
 微妙なのは中国で、中国側の評価も愛憎半ばする。
 私は冗談半分で、安倍さんは米中首脳にトリックを仕掛けていると話すと、元・自衛隊のおっちゃんはそりゃ考え過ぎだと苦笑される。一笑に付されるわけではないところが微妙で(笑)、まあ、まともに受け取ってもらうつもりはない、私お得意のただの思い付きだが、なかなかよく出来た話だと自画自賛している(笑)。何かというと、先ず、トランプ大統領にはノーベル平和賞をちらつかせて、中途半端なディールではなく朝鮮半島非核化という大義を追求するようピン止めした(これについては以前ブログに書いた)。次いで習近平国家主席には国賓来日という餌をぶら下げたら、見事に食らいついた。米中対立のさなかであり、日米離間を狙う中国の思惑もあってのことだろうが、天皇陛下は我が国が持つ「奥の手」「最終兵器」として中国に対しては依然、威力があるということだ。もとより天皇陛下は政治利用してはならない神聖な存在だが、思い起こせば、民主党政権が一ヶ月ルールに抵触して天皇特例会見を実現したのも、副主席時代の習近平氏だった。
 こうして各国首脳との個人的関係をもとに日本の対外的地位を引き上げることが出来たのは、ひとえに安倍さんのケレン味のない誠実さの賜物だろうと思う。これは、大声では言わないが、育ち、なのだろう。そんな彼の誠実さを示すエピソードを最後に紹介したい。ジャーナリストの有本香さんが辞任会見の翌朝、facebookに披露したもので、巷間、何かとお騒がせと見られる昭恵夫人の人の好さも伝わるので、名誉回復のためにも・・・(笑)

(引用)
 丑三つ時だから一つ明かす。ご本人方の了解は得ていないが、お許しいただけるだろう。
 今年の1月末、昭恵さんの強い希望で、在日ウイグル人の方々との会食をセットした。昭恵さんは以前からウイグル問題に関心を寄せていて、「話がしたい」と言っていたからだ。雪の予報が出ていた夜、会食もたけなわ、9時を回った頃に昭恵さんの電話が鳴った。少し話すと、彼女は黙って私にスマホを渡した。
 総理からだった。在日ウイグル人の皆さんを気遣う言葉の後、私に「有本さんもご苦労様」と仰った。私が「先週、武漢肺炎での水際対策で政府を批判する記事を書きました。言いたいこと言わせてもらってます」と言うと「それは構わない。今夜は雪になるみたいだから皆さん、ほどほどにね」とさらに気遣いの言葉をかけられ、電話は一旦切れた。
 その後、もう一度、昭恵さんの電話が鳴り、今度は、その場に居たウイグル人お一人お一人に電話をかわって、直接言葉をかけていた。皆さん、「総理に励ましていただいた。最近落ち込むことが多かったが、これでまた頑張れる」ととても喜ばれた。
 私も、この夜のことは生涯忘れないと思った。しかし、こういう話は、現職でおられる間、メディアでは明かせない。おかしなことだと思うが、それが今の日本だ。もちろん、ご夫妻もこういう出来事を見せびらかすようなことを一切望んでいない。それほど真面目で暖かいお二人だ。
 長い間、本当にお疲れ様でした。そして、日本のために、ありがとうございました。しばらくゆっくりとご静養ください。
(引用おわり)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍最長政権の蹉跌

2020-08-29 11:40:20 | 時事放談
 あっけない幕切れだった。
 会見を開くことが報じられてからというもの、まさか・・・との嫌な予感が、14年前のほろ苦い記憶とともに、5%ほど(!)頭をもたげて、意識的に打ち消してきたが、だいたい私の予感は一人芝居でええ加減なものなので(笑)、いざ辞任が伝えられるや、やっぱり・・・と言うよりは、予想外の喪失感に呆然となった。
 私自身、長らく海外の仕事に携わり、海外事情に関心を寄せて来ただけに、この7年8ヶ月の安倍政権は、バブル崩壊後の日本にしては珍しく国際的に存在感を増した誇らしい時期として記憶されるように思う。特に政権後半は、ジョン・アイケンベリー教授が3年前のフォーリン・アフェアーズ誌で、「リベラルな国際秩序を存続させるには、この秩序をいまも支持する世界の指導者と有権者たちが、その試みを強化する必要があり、その多くは、日本の安倍晋三とドイツのアンゲラ・メルケルという、リベラルな戦後秩序を支持する2人の指導者の肩にかかっている」と期待をこめて語ったような展開となった。教授はBREXIT決定とトランプ政権誕生によって国際秩序に不確実性が増すことを懸念されたからに他ならない。実のところメルケルさんは苦労され、コロナ禍対応で久しぶりに復権し、辛うじてEUのコロナ復興基金を纏め上げた。また、安倍さんも、米・中や米・露の対立に翻弄され、米・イランの仲裁もうまく行かなかったが、どの主要国のリーダーも超大国アメリカの大統領との距離感に苦しみ(なにしろ独裁者を好む大統領だから 笑)、大統領の奔放な意思決定に振り回される中で、安倍さんは懐に飛び込み、「人たらし」振りを遺憾なく発揮して(笑)、辛うじて日米関係の亀裂を防いだだけでなく、ビジネスライクな損得勘定とディールに流されがちなトランプ外交に、とりわけその東アジア外交において、政治家として本来持つべき安全保障の観念を植え付けて歯止めをかけたことは、特筆すべきことだった。その分、イージス・アショアは幸いにも中断されたがF35爆買いと揶揄されたような負の遺産もあるが、外交はイチ/ゼロの世界(相撲で言えば15戦全勝)はあり得ず、8勝7敗程度に持ち込めたことはこれ幸いと諦めるしかないと思う(もっとも政治は結果でもあって、自主防衛が遅れたことが後になって響くかも知れない、評価が難しい問題である)。
 もう一つ、安倍さんが長期政権を維持する陰の努力として銘記されるのは、当初、「戦後レジーム」からの脱却を訴え、憲法改正を目標に掲げ、靖国神社に参拝するといった、如何にも本格的な保守政権として登場しながら、近隣国の反発に遭うだけでなく、オバマ政権からもdisappointされ、歴史認識においてRevisionistと警戒されるに至って、君子豹変し、理念としての保守を封印したことだと思う。この現実感覚は、志ある政治家としてはどうか、賛否両論あるに違いない。集団的自衛権行使の一部容認では、「一部」となったことに保守派から失望の声があがったし、改憲案では9条3項「加憲」になったことを物足りなく思う人がいるように、政策として中道寄りになった(働き方改革、女性活躍、移民政策、子育て支援など)。いずれも連立を組む平和の党・公明党のせいでもあるが、保守にこだわるばかりに禍根を残しあるいは頓挫するより、目標に向かって一歩でも前に進めることをよしとする(例えば一度でも改憲すれば抵抗感は薄れる、というように)、妥協の産物としての政治に徹したものと言えるように思う。結果として、ただでさえ多弱の野党の出番が封じられた。それだけに、野党の恨みは根深く、左派メディアの抵抗は日増しに強くなり、SNSに乗って拡散する誹謗中傷・罵詈雑言は凄まじく、安倍政権の寿命を縮めるストレッサーの一つになったように思われる。一体、長期政権の驕りや緩みといったものに、どこまで実体があったのか、全くなかったとは言わないが、多くは野党や左派メディアが作り出した幻影(いわゆる印象操作)だったように思う。
 昨晩の辞任会見をYouTubeで見た。むくんだような表情は冴えず、滑舌はいつも以上に悪く、その声には腹の底から出るような重々しさがなく、痛々しく思っていたら、テレビ朝日の政治部記者も、「こんなに声が小さかった記憶はない」 「質疑応答になると、さらに声がか細くなり、悩みに悩んで、葛藤して辞任を決めたと絞り出すような発言が印象的」だと述べていた。在職7年8ヶ月は最長となったが、相手あってのこととは言え改憲や拉致問題や北方領土問題が道半ばでは、さぞ無念なことだろう。しかし、在職期間が長いだけに、野党との擦れ違いは積もりに積もって、もはや後戻りできないほどに大きく、信頼関係は棄損し、本来は国民の手に委ねるべき改憲論議は土俵に上がりそうにない。何より、未曾有のコロナ禍がダメ押しとなり、念願の東京オリパラも、改憲への世論の盛り上がりも、覚束ない。まさに刀折れ矢尽きて、断念されたのだろうと想像する。安倍さんご本人のことを思えば、ややcontroversialなこととは言え長年の功績に、感謝と労りの気持ちを捧げる気持ちになる一方、後継者に託された課題の重さと、それを担うことになる候補者の面々を思い浮かべると、甚だ心許なくなる思いを禁じ得ない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍最長政権

2020-08-25 23:32:05 | 時事放談
 昨日を以て、安倍さんの連続在職日数(2799日)が歴代単独一位となった。政治は結果なので、長く勤めていれば良いというものではないが、日本でも他国同様に分断された難しい社会状況の中で、天の時、地の利、人の和が揃わないと、なかなか出来ることではないだろう。
 先ず、天の時ということでは、第二次安倍政権が、政権交代した民主党政権が余りにお粗末だった後を受けたタイミングで発足したのは幸運だったと思う。なんぼなんでも、あれよりはマシ、というコンセンサスが、前半の安定したと言うべきか独走したと言うべき政権運営を支えた。その後も、多弱野党は政権の揚げ足とりに終始するばかりで、まともな対抗勢力たり得ず、選挙のときにこそ多少なりとも野合したが、必ずしも盤石とは言えない自民党を相手に、5度の国政選挙で全敗した。もっとも、対抗し得ないばかりに、安倍さん個人への誹謗中傷や印象操作が甚だしく、国民の政治不信を助長し、かつてないほどに政治報道が荒んで行ったのは、正直なところ見るに堪えなかった。極め付きは検察庁法改正案で、ツイッターデモ500万人という前代未聞の事態に発展したのは、コロナ禍という前代未聞の極度のストレスに晒された自由業の芸能人の方々を中心に、言わば現代版の魔女狩りが行われたと言うべきだろう、もはやお手上げの状況だった(誰かが焚きつけたのであろうし、BLM運動のように、お隣の国から“荒らし”があったかも知れない 苦笑)。
 次に、地の利、すなわち官邸主導という観点から、民主党政権時代には政治主導と言いながら官僚を使いこなせなくて空回り、つまりは官僚に相手にされなかったのを、安倍政権では内閣人事局をテコに幹部人事を掌握し、有能な官僚を所謂「官邸官僚」として起用して、まがりなりにも政治を前に進めることが出来た。もっとも、強い官邸に対して忖度がはびこり、さらには却って反発を受けて、実態は今なおよく分からないモリ・カケやサクラで躓き、恐らく策としては悪くなかったが余りに実行が遅くてアベノマスクと揶揄され、PCR検査では伝統的ともいうべき官僚の壁に阻まれて、いずれも安倍さん個人の不始末という印象が植え付けられたのはご本人もさぞ不本意だったであろう。
 更に人の和ということでは、これまたかつてはお友達内閣と揶揄されたものだが、麻生太郎副総理兼財務相と菅義偉官房長官という政権の骨格を変えなかったことで安定感を生み出したのは間違いないし、石破さんはともかく谷垣禎一さんや二階俊博さんの自民党幹事長への起用は、とかく「xxおろし」に傾きがちの自民党への抑えになった。最近の体調不良にあたって「強制的に・・・休ませなきゃならない」と発言された甘利明さん(自民党税調会長)のような側近も、TPP担当の国務大臣や内閣府特命担当大臣(経済財政政策)、さらに自民党の知的財産戦略調査会長や選挙対策委員長として、しっかり安倍さんの脇を固めた。
 だからといって、成果がなかったわけではなく、経済政策では大胆な金融緩和や機動的な財政出動によって経済成長を促す「アベノミクス」を推進したし(といっても道半ばで、コロナ禍によってご破算になってしまった)、安全保障政策では積極的平和主義を掲げて集団的自衛権行使の一部容認を含む安全保障関連法を成立させたし(戦争法というレッテルを貼られてリベラル派には甚だ評判が悪いが)、外交政策では気紛れトランプ大統領に取り入って日米関係を安定させたし(北方領土を巡る日露関係や、北朝鮮の拉致問題に進展がないのは事実)、何といっても選挙で不人気な消費税増税を2014年と2019年の二度にわって断行した(二度目はタイミングが悪かったと批判されるが)。こうして挙げていけば、最長政権だけのことはあるように思うが、SNS全盛で見たいもの聞きたいものしか見ない聞かない時代に、しかも反体制の人ほど声が大きく、コロナ禍で益々社会的分断が助長され、そもそも一国の総理大臣という大役はストレスが多く、持病もあって、最近は息切れ気味である。
 こうした国難とも言える状況で、国民民主の玉木雄一郎代表や原口一博国対委員長のように、労りの言葉をかける良識ある(というより当たり前の)方々がいる一方、共産党の小池晃書記局長は何だかんだ言って「休んでいるか休んでいないか、ということで言うと、記者会見もほとんどやっていないし、国会もやっていないし、かなりお休みになる時間はあったのではないか」 とイヤミを述べ、無所属の柚木道義とかいう衆院議員に至っては、「おいおい、この夏全く国会に出てこない首相を休ませる? 国会も出ない、会見もしない、世界的にもコロナ対策への無能さを指摘されてる首相には、遠慮なく辞任頂き、どうぞ終わりなき夏休みを。誰も止めません」 「安倍首相 ご無理されずずっと休まれたら良いのでは。麻生臨時代理に交代してでも首相としての責務停滞許されません。首相が疲れている?疲れているのは国民の皆様では?」など、とても国民の負託を受けた政治家とは思えない品のなさには目を疑った(苦笑)。コロナ禍では、国民の規律ある対応が功を奏したのは事実だが、政府が何もしなかったわけではない。悪いことは何でも安倍さんのせいで、三密回避は専門家会議の成果だと言うのは酷であろう。東京オリパラや習近平国家主席の国賓来日があって(クルーズ船の後の)第二波に対する初動が遅れたが、専門家会議を無視して一斉休校を宣言すれば独断と批判され、専門家会議を尊重すると丸投げと批判され、と、ためにする批判としか思えないし、狭い日本列島と言っても地域によって事情が異なり、政府が出来ることが限られていたことは割り引いて考える必要があるだろう。
 ・・・とまあ、今回はお祝いの餞として、また公平に見て私自身は今なお安倍さんに期待しているため、甘めのブログとなったが、集団的自衛権行使の一部容認で見せた妥協が、憲法改正にあたっても三項“加憲”のような中途半端な主張となっているのは感心しないし、経済の成長戦略という三本目の矢がいつの間にか見えなくなってしまったのも物足りなく思ってもいる。その時々の感情に左右される世論調査など気にすることなく、信じるところを自信をもって突き進み、憲法改正や東京オリパラというレガシーを(今となってはかなり厳しい状況ではあるが)実現させて頂きたいものだと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

追悼:渡哲也さん

2020-08-23 17:10:26 | スポーツ・芸能好き
 渡哲也さんが今月10日に肺炎のため亡くなっていたことが14日に判明した。享年78。
 「静かに送ってほしいという故人の強い希望」(石原プロ)で、14日に家族葬がとり行われ、ようやく公になったということだ。その後10日近くが経つが、追悼の記事が絶えない。その中の一つで、あるスポーツ紙の女性記者が寄せたエピソードが印象に残る。「・・・記者にとってはスターのイメージしかなかった。石原プロモーションの新年会で、渡さんの姿を見つけた時は、なぜかなるべく遠くにいよう、という思いだった。石原プロの新年会は長丁場だ。いくつかの小グループに分かれて、あちこちで環ができるという時間帯になっていた。すると、記者がいるテーブルに、渡さんがひょいっとやって来たのだ。目の前に座った渡さんは、ほんの少しほおをピンク色にして上機嫌だった。緊張しっぱなしの記者を気づかってか、渡さんは『僕ね、渡哲也っていうんです。俳優をやってます。これでもけっこう有名なんです』・・・」。多くは寡黙でニヒルな役柄をこなし、石原裕次郎、小林旭に次ぐ、日活の、今となっては数少ない銀幕の、大スターでありながら、スターぶることなく、律儀で謙虚で、それでいて(伝えられるところによれば)お茶目な素顔が魅力的だ。
 私は子供の頃に「太陽にほえろ!」は見ていたが「西部警察」は見なかった、というように、渡哲也さんが出演された映画やドラマの記憶は余りない。その映画出演は2005年、「男たちの大和/YAMATO」が遺作となり、ドラマ出演は2013年、実弟の渡瀬恒彦さん主演の人気シリーズ「西村京太郎サスペンス 十津川警部シリーズ50 消えたタンカー」で、兄弟共演で話題を呼んだのが最後で、絶えて久しいが、生前はそんなことさえ気づかないほど無関心だったのに、いざ亡くなったと聞くと、無性に寂しさが日に日にこみ上げてくる、そんな存在感のある役者さんだ。何にここまで惹かれるのか、追悼記事を読みながらつらつら考えてみた。
 渡哲也さんの役柄として誰もが思い浮かべるのは、角刈りにグラサンで銃を構える刑事か、和装でどっしりと構えたヤクザの親分のイメージだろう(笑)。このあたりは世界のキタノ監督に語ってもらった方がよさそうだ(1999年11月16日、都内で行われた「BROTHER」制作発表会見)。「今回、日本(舞台)の部分で(ヤクザ組織の)親分というのが出てくるんですが、出てきた瞬間、『あっ、親分だ』という人はいないかなあと思って、渡さんを思いついて」と明かした後、「渡さんを正式に頼むとお金もかかるんで、裏からそっと、遊びにきませんかって。で、和服で遊びに来ませんかって。それで来たところを盗み撮りしちゃおうと。とにかく、頼み込んでワンシーン出てもらおうって。これから自分の映画に渡さんに関わってもらう、きっかけですね。とりあえず、今回はワンシーン出てもらいます」(スポーツ報知より)。実際に渡哲也さんが登場したのはワンシーンで、北野武さん演じる山本を米国に逃がすため、恥を忍んで日本に残り、組を守った故・大杉漣さん演じる原田が総会の席で対立する組長から侮辱され、突如、腹を切るシーンで、それまで温厚そのものの表情で場を眺めていた渡哲也さんが修羅場になったとたん、原田を侮辱した組長を「けじめ、つけろ!」と、迫力の声で一喝する(同)。その後、クライマックスシーンを撮影していたロスで、キタノ監督がふと呟いたそうだ。「参ったよ。渡さんはさ。そこにいるだけで親分なんだもん」(同)。
 また、幅のある演技力を見せたとして評判だったのが、ジョージ秋山さんの人気コミックをドラマ化した「浮浪雲」の主人公役で、飄々とした軽みのある演技は、案外、渡哲也さんの地の部分が表れているのではないかと思うほど、よく似合う。「粋でいなせな大泥棒」とは、かつてコミック版「ルパン三世」の帯に書かれたキャッチフレーズで、見た目の行動こそ「ルパン三世」とは大違いでも、「粋」で「いなせ」な気性は、渡哲也さんの役柄によく似合う。
 こうして、ファンのため、役者としてのイメージを大切にする姿勢を貫いたという声がある。確かに、ファンへの感謝を忘れず、という文脈で、渡哲也さんの地元・淡路島も被災した阪神淡路大震災にはじまり、東日本大震災や熊本地震など、被災地で炊き出しを行うボランティア活動にも積極的に取り組む姿がニュースで流れた。毎日新聞によると、小児がん征圧キャンペーン「生きる」に全面協力されていたという。これらは恐らく、自らも何度も大病を患い、闘病生活が長かった故の、弱い立場の人への共感であり優しさだったのだろう。他方で、人前では自らの弱った姿の素振りさえ見せなかった。最後も一人で、家族に看取られて、逝った。裏があったとは思わない。もっと言うと、渡哲也さんが男として男に惚れたと言われる故・石原裕次郎さんの後を継いで引っ張って来た石原プロモーションは、石原軍団とも言われ、鉄壁の団結を誇り、規律ある集団として異彩を放っており、私には任侠の世界そのものに映る。
 そもそも任侠とは、「仁義を重んじ、困っていたり苦しんでいたりする人を見ると放っておけず、彼らを助けるために体を張る自己犠牲的精神や人の性質を指す語」(Wikipedia)であり、本来は誉め言葉のはずだが、「(広大な面積と複数の言語や民族が存在するので、地方においては法の権威が及ばない中国と違って)日本では江戸時代以降、近代および現代を通して政治が安定して法治主義が隅々まで行き届いており、反乱などもほとんど長続きしないという状態であったため、任侠の精神は社会の最下層の人間や非合法の輩の間でしか存在できないという状態が存在し」(同)、現代の私たちはついヤクザや暴力団を連想して、遠ざけがちだ。しかし、杉浦重剛は「日本人は生まれながらに大和魂を持つが、その魂が武士に顕れれば武士道、町人に顕れれば侠客道」だと述べ、新渡戸稲造は『武士道』の中で、「武士道精神は男達(おとこだて)として知られる特定の階級に継承されている」と述べた(同)というし、かつて日活や東映などのヤクザ映画はこうした任侠道を愛しんだものであろう。渡哲也さんの追悼記事では、遠慮されているのだろうか、任侠の言葉は出てこないので、私は敢えて、渡哲也さんが示されたのは任侠的な生き様であり、ボランティア活動にしても、石原プロにしても、はたまた、渡哲也さん自身が石原裕次郎さんから感銘を受け、その後、多くの芸能人や芸能記者が渡哲也さんから感銘を受けたという、後輩に対しても丁寧に立ち上がって握手し挨拶する所作も、渡哲也さんなりの美学を貫いたのだと言いたい。「徹子の部屋」に出演したときの、スーツ姿で背筋をピンと伸ばして微笑む様子は、凛として美しいと思うほどだ。私の中の喪失感の正体は、どうやら失われつつある任侠道を、渡哲也さんが体現する存在だと私が感じていたことにありそうだ。
 最近では、渡哲也さんは、宝酒造の松竹梅のテレビCMがお馴染みだ。2016年に続き、2017年にも吉永小百合さんと共演し、取材に応じたときには、「こんにちは! お忙しい中、ありがとうございます」と大きな声で記者を迎え入れ、銀幕復帰への思いとともに、「元気になったら最後の一本は吉永さんとご一緒したいなと思います。大ラブシーンがあるのを。20代の時ももちろんステキでしたけど、年を追うごとにステキになっているから」と語ると、小百合さんは少女のような表情になり、「渡さんは初共演の頃からシャイでチャーミングなんですよ・・・。完全復帰なさって大人の恋の物語をやりましょう」と誓い合ったという(スポーツ報知)。若かりし頃の吉永小百合さんとの悲恋を思えば、人生の妙を感じざるを得ない。その後も2018・2019年とCM撮影は行われたが、取材陣は入らなかったので、2017年9月が公の場として最後となった。そして今年は、故・石原裕次郎さんの生前の映像との合成による共演で、7月29日から放送されているそうだ。撮影がいつだったかは明らかではない。6月、その宝酒造のCM「よろこびをお伝えして50年~幻の共演~」のナレーション録りを自宅で行ったのが人生最後の仕事で、7月27日に完成作を見た際には何度も頷き、書面で「最後のコマーシャルを裕次郎さんとの共演で終わらせていただきますのは感慨深いものがあります」とコメントを寄せたという(デイリースポーツ)。
 今年7月には、来年1月を以て石原プロを解散することが発表された。石原裕次郎さんの「私が死んだら石原プロをたたみなさい」という遺言に遅まきながら従ったもので、自らの引き際を悟っていたかのようだ。実際、事務所幹部によると、渡哲也さんは心なしかホッとした様子で、「若い人たちが出てきて、一歩下がって生きていくのが時代の流れだろう」と話していたという(デイリースポーツ)。石原プロを最後まで見届けることが出来なかったのは心残りだろうが、「男気」とか「男伊達」などと言うことすら憚れるような現代にあって、任侠的な生き様は、映像とともに、私たちの心に永遠に残り続けることだろう。感謝の気持ちを込めて、合掌。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史認識を巡って

2020-08-20 22:39:02 | 日々の生活
 歴史認識について話し始めるとキリがないのだが、前回ブログを補足する意味で、最後に、根本的な問題として、「歴史」のもつ意味合いが欧米と東アジアとでは異なることについて触れたい。岡田英弘さんは「歴史」は「歴史認識」だと喝破される。

・・・(前略)・・・歴史とは、人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を超えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのことである・・・(後略)・・・(『世界史の誕生』より)

 すなわち歴史の本質は「認識」であって、それも個人の範囲を超えた「認識」であるということだ。
 歴史を扱う場合、三つのレベルがあると私は思う。最下層にあるのは個々の「歴史的事実」や「事象」で、その上に「歴史認識」があり、最上層に「歴史観」がある。今の時代、ビッグデータと言って出来るだけ多くの「歴史的事実」を拾い上げたところで、仮に正確であっても恐らく分かり易い「歴史認識」にはならないだろう。むしろ重要度に応じて(場合によっては恣意的であっても)捨象してStoryを織り上げてこそ「歴史認識」となり、さらに特定の時代に囚われない大きな歴史の見方として一般化されれば、マルクス主義の唯物史観のような「歴史観」となる。幕末の薩長史観や、戦後のGHQ史観(あるいは東京裁判史観)もまた、それぞれ歴史の見方(いわば勝者の歴史)であって、特定の時代に限定されているため「歴史認識」のような装いがあるが、「歴史観」と言うべきものだろう。
 欧米の歴史といえば、その嚆矢は言わずと知れたヘロドトスの『歴史』だ。ギリシア語の「ヒストリア」には、もともと「歴史」という意味はなく、形容詞の「ヒストール」は「知っている」、動詞の「ヒストレオー」は「調べて知る」、名詞の「ヒストリア」は「調べて分かったこと、調査研究」という意味らしい。この「ヒストリア」という言葉がヘロドトスの著書の題名に使われて「歴史」という意味になったという(岡田氏による)。先ほどの三層で言うと、「歴史的事実」を調べ上げ、実証的に「歴史認識」を織り上げて、『歴史』という著書になったわけだ。
 他方、中国の歴史の嚆矢は言わずと知れた司馬遷の『史記』だ。中国にはもともと天下(=中国)に天命を受けた「天子」がいて、その天子だけが天下を統治する権利を持つ(その天子が中国式に「革命」(=命をあらためる)されると、新たな天命を受けた君主が正統な天子となる)という考え方がある。そのため『史記』は皇帝の正統の「歴史」を記述したものであって、つまり「歴史」(正確には正史)とは正統性を示すためのStoryということになる(岡田氏による)。先ほどの三段階に即して言うと、皇帝の正統の歴史という「歴史観」があって、「歴史認識」が織り上げられる。「歴史的事実」を下から積み上げた先にある現実の(実証的な)「歴史認識」とは全く逆向きの、理想的な(ある意味では捏造されたとでも言うべき)「歴史認識」が綴られる。
 私の好きなエスニック・ジョークで、中国共産党の歴史教育はプロパガンダであり、韓国の歴史教育はファンタジーであると揶揄されるのは、歴史(歴史認識)そのものが欧米式の実証的なものではない所以であろう(笑)。ことほどさように国をまたがって「歴史」を語ることは容易ではない。
 この季節、政治家の靖国神社参拝に対して中国と韓国が非難声明を出すのは恒例行事であるが(朝日新聞が1979年に打ち出したキャンペーン以来)、靖国神社の本質を理解せず、恐らく儒教的な発想で「墓」だと思っているからに他ならない。しかし、そもそも南方戦線で海に散り、大陸に朽ち果てた帝国軍人の方々の「骨」が靖国神社にあるわけではない。あるのは「精神」であって、それを鎮める発想は極めて日本的と言えよう。以下は、前回ブログに登場した方とは別の元・自衛隊幹部から寄せられた、終戦の日の思いである(一部、伏字とさせて頂く)。

・・・(前略)・・・●●さんは元・ゼロ戦パイロット(予科練)でした。四国沖の演習で、荒れる天候で大きく・ゆっくり揺れる瑞鶴の飛行甲板への着艦に失敗してひっくり返った時にできた眉間の傷等・・・(中略)・・・最期は台南空で終戦、捕虜となり送られたのはシンガポールのチャンギ―収容所(刑務所)でした。収容所といっても、通風のために天井にはスキマもあって、明日、処刑が決まったという隣の部屋の者から、「自分は、●●の出身なので、帰国したら、家族にこれを届けてもらいたい。」と言って、小石に包んだ手紙を天井の隙間超しに投げて寄こされた等々、不本意にも、今日と、そこに続く明日以降を生きたくても、生き続けることができなかった先代・先輩があったという事実と、それらの犠牲の上に、その末に、今の自分自身が生かされていることのありがたさを、素直に、率直に感謝の想いを以てご冥福を祈るのは当然の務めだと思います。終戦記念日から75年。私が産まれる15年前の、すぐ近くの出来事だったわけで、今のように、魔法のようなインターネット通信手段もなく、いつ、どこで命果てるかも知れない漠然とした虚空の下では、迷わずに確実に落ちあえて、会合できるような待ち合わせ場所を決めていたと思います。靖国神社とは、そのような素朴な想いが向かう先のひとつ(共通言語)だと思います。・・・(後略)・・・

 私たちはGHQ史観に囚われの身のまま、戦後75年が過ぎた今もなお、私たち自身の手で先の戦争を総括できずにいる。恐らく日本人自身が総括しないことには、中国や韓国との間で歴史認識について議論することも、ひいては歴史(歴史認識)を通して中国や韓国とまともに向き合うことも出来ないだろうと思う。
 最後に、そのような歴史観に囚われない人のモノの見方を振り返るのは悪いことではないだろう。
 一人目は、私の好きなキューバ革命の英雄チェ・ゲバラで、1959年7月、国立銀行総裁として通商代表団を率いて来日した際、8月6日の原爆投下の日を前に、「他の日程をすべて犠牲にしても、原爆慰霊碑に献花したい」という強い要望があり、予定を変更して広島を訪問し、原爆被害の陳列品を見ていて、それまで無口だったゲバラが突然、通訳担当の広島県庁職員に、「君たち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」と問いかけた。広島県庁職員は、「眼がじつに澄んでいる人だったことが印象的です。そのことをいわれたときも、ぎくっとしたことを覚えています」と回想している(三好徹著「チェ・ゲバラ伝 増補版」)。ゲバラが原爆の恐ろしさを伝えたため、キューバでは原爆教育に力を入れるようになり、現在でも毎年8月6日と9日に国営放送で特番を組み、初等教育では広島、長崎の原爆投下について教えているらしい。
 二人目は、終戦を知らないままフィリピン・ルバング島の山中で29年間、戦争を続け、1974年に劇的な帰還を果たされた小野田寛郎さん(元・陸軍少尉)で、広島の原爆死没者慰霊碑を訪れて、「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」との碑文を読んで、困惑の色を顔に浮かべ、「これはアメリカが書いたものなのか?」と尋ねた。同行した戦友から、いや、日本だと言われると、「何か裏の意味があるのか? 負けるような戦争は二度としないような・・・」と言って、口を閉ざしてしまったのだった。
 三人目は、東京裁判(極東軍事裁判)において被告人すべての無罪を主張し反対意見書を提出されたインド人のパール判事で、昭和27年に広島を訪れた際、碑文を見て「この《過ちは繰返さぬ》という過ちは誰の行為をさしているのか。もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う」と語られた。通訳の旧友で本照寺の住職・筧義章氏が「檀徒の諸精霊のため『過ちは繰り返しませぬから』に代わる碑文を書いていただきたい」と懇願されたのに応えて、次のような詩をベンガル語で揮毫された。

 激動し変転する歴史の流れの中に 道一筋につらなる幾多の人達が 万斛の思いを抱いて 死んでいった
 しかし 大地深く打ちこまれた 悲願は消えない
 抑圧されたアジアの解放のため その厳粛なる誓に いのち捧げた 魂の上に幸あれ
 ああ 真理よ あなたは我が心の中に在る その啓示に従って我は進む
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史を振り返るとき

2020-08-16 00:12:21 | 日々の生活
 この時期になると歴史を振り返り、謙虚な気持ちになる。平和は尊い。問題は、平和憲法前文に謳うような環境にあるのかどうかで、認識にギャップが生じてしまうことだろう。そのために、多民族でもない日本でも、国内に分断が生じてしまう: 「・・・日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した・・・」 今日の全国戦没者追悼式で「深い反省」の上に「再び戦争の惨禍が繰り返されぬこと」を切に願われる天皇陛下を象徴として戴く日本国民として、前半部分は良いとして、後半部分、果たして「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することが出来るのかどうか、ということである。
 その意味でも、立命館大学の上久保誠人教授がダイヤモンド・オンラインに寄稿するコラムで紹介されていた、同大学・学生さん向け周庭さんの講義と質疑応答の映像(今年1月にオンラインで実施)は、なかなか衝撃的だった(https://www.youtube.com/channel/UCGkeJnXqCzMgN4_Fnw2kvhg)。何がと言って、報道ではなかなか伝えきれない香港の現実に触れられているのはともかくとして、ごく普通の学生にしか見えない周庭さんが権力に敢然と立ち向かう姿と、平和な日本に生まれ育った学生さんの感度の鈍さ・・・と言っては気の毒だろう、牙の抜かれた「優しさ」とのギャップに、あらためて愕然としてしまったのだ。もとより他人事ではなく、私だって戦争を知らないのはもとより、60年安保や70年安保すら知らない、80年代に学生時代を送って、当時、一部の講義を寮闘争の同級生に乗っ取られたことはあったが、概ね平和で安穏としていて、今の学生さんと大差ない。
 この映像を、親しくしている自衛隊の元・幹部と共有して、日本の若者が何かするでもなし、周庭さんは「共感」を得られても「共(協)働」は得られないだろうに、何を期待するのか・・・という話になった。香港の人たちだって、国際機関は無力であり、超大国のアメリカや宗主国だった英国じゃあるまいし、外野席にいる日本やその他の国が中国を批判し、ましてや制裁をかけるなど圧力を加えることが難しいことくらいは分かっているだろう。なにしろ中国はあれだけ経済大国化し、世界中の国々と相互依存する関係にあって、コロナ禍でマスクや医薬品が入手できるかどうかで諸外国が気を揉むほどに、経済動脈を握っているのだ。今の香港情勢については、せいぜい見守ること、もう少し強めに言うならば、国際的に監視することが求められているのだろうと思う。今風に言えば、ツイッターで多くの人たちがフォローし、リツイートし、いいねボタンを押すことが、中国政府へのプレッシャーになるだろう。私個人的には、日本政府には是々非々で、日本の価値観に基づき、相手が中国のような大国だろうと何だろうと、堂々と自己主張する品位を示して欲しいものだと思う(国の経済という日常の安寧を守らなければならない政府としてはなかなか悩ましいところだろうことは理解はするが)。
 今日、靖国神社には、小泉環境相、萩生田文科相、衛藤沖縄北方担当相、高市総務相の4人が参拝したそうだ。「終戦の日」に閣僚が参拝するのは4年ぶりだという。早速、中国・国営新華社通信は、「中国は一貫して日本の要人の誤った行動に断固反対している」「侵略の歴史を直視し、深く反省するよう日本に促す」と毎度の批判記事を配信した(時事)。香港で圧力を強め、次には台湾や尖閣や沖縄を狙っているであろう権威主義的で覇権主義的な中国に「侵略の歴史」と言われても説得力がない。また韓国外交省は、「過去の侵略戦争を美化し、戦争犯罪者を合祀した靖国神社への参拝に深く失望し、憂慮する」との毎度の談話を出した(朝日新聞)。靖国神社参拝を通して侵略戦争を美化しようと心から思う日本人がどれほどいるだろうか。談話ではまた「日本の指導者が歴史を正しく直視し、真の反省を実際の行動で示すべきだ」「未来志向的な韓日関係の構築や、国際社会の信頼を得ることにつながる」と毎度の主張をした(同)。文在寅大統領が建国に対する考え方を3年前に示したところによると、建国は1919年3月、政府樹立は1948年8月、1945年8月15日は解放独立を意味する「光復」と言い、これがどこからもたらされたか、韓国の教科書では、同時に我々の努力にもよると書いてはいるものの、連合国の日本に対する勝利の結果だと書いているが、「外からもたらされたものではなく、我々が力を合わせて成し遂げた」と言ったらしい(黒田勝弘氏)。歴史を直視すべきなのは韓国自身であろう。
 恵泉女学園大学大学院の李泳采教授は、「今までは敗北意識、自分たちで勝ち取れなかった受け身の独立だという意識が強かった」「文在寅政権では韓国は抵抗して自ら取り戻したと強調して、国民が歴史の主人公だと訴えている」「サムスンやドラマのヒットなどで韓国は以前よりも自信を取り戻している。経済的にも国際的にも、昔のように日本に対して負けていると思っていない。それと歴史認識が重なって、植民地時代は弱かった、でも歴史認識でも正々堂々戦ったことになれば自信を取り戻せると」「日本ではこうした歴史は知られてないからギャップが大きいと思うが、平等な関係で向き合ったほうが関係改善になるのではないか」と語っておられる(FNNプライムオンライン)。なかなか興味深い。今では年配の一部の方を除き、多くの日本人は日韓を平等な関係だと思っていることだろう。また歴史認識はそれぞれの立場を尊重すべきものであることは認めるにしても、日本は請求権協定の5億ドルのほかにも、民間企業ベースで技術移転協力を行ってきた歴史的事実は動かせないはずだ。そうした歴史的事実は等閑視して、妙な歴史認識を振り回し、(その時々の大国である中国やロシアや日本につかえる)事大主義の長い歴史の鬱積を日本だけに向けるのは、勘弁してもらいたいものだ。
 アメリカでも、BLM運動の過程で、コロンブスの銅像や歴代大統領の銅像が薙ぎ倒される野蛮な行動が報道された。主張されることには賛同するし、今の価値観で当時の歴史を反省することは理解する。だいたい人類は長い歴史の中でそれほど進歩してこなかったと見る方が正しいと思うが、それでもポリティカル・コレクトネスに関してはこの戦後の間で明らかに変わって来た。それを後知恵のように歴史上の人物を追及するのは酷というものだろう。私たちは歴史的事実に対して謙虚であるべきであり、当時を生きた人たちに対してフェアであるべきであって、民族の沽券にかかわることとはいえ、歴史を抹殺するのも、捏造するのも、明らかに行き過ぎであろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国の暴走

2020-08-13 00:17:49 | 時事放談
 かつて「韜光養晦」と言われ、慎重に自制して、知恵者と称賛された中国の面影はもはや見られず、その暴走が止まらない。コロナ禍でどの国も混乱する中、中国のマスク外交や戦狼外交は、私たちに見えている範囲では(とは、主に西側諸国での意味だが)、全てが裏目に出ているように見える。
 もっとも、アメリカの動きに大きな変化があるわけではなく、どうもコロナ禍と大統領選挙への対応で、それどころではなさそうだ(笑)。辛うじて、ポンぺオ国務長官が、先月13日に「南シナ海の海洋主張に対するアメリカの立場」と題した長文の声明を発表し、領土主権問題に踏み込んで中国を非難したのに続き、23日には、ロス近郊のニクソン大統領図書館・博物館という場所を選んで、ニクソン政権以来の関与政策が誤りだったとして政策転換を公言し、対中包囲網を提唱する演説を行った。これを、風向きが大いに変わったとか、レベルが一段上がったとして、宣戦布告だと受け止める向きまであるが、既に一年半前にペンス副大統領が「冷戦」宣言と受け止められる過激な演説を行っており、何を今さらの感が強い。むしろ、トランプ大統領の孤立主義をあらため、同盟重視を打ち出す選挙対策と見るべきだろう。ただ、中国の対応は、単なる報復でしかないお粗末さを曝け出した。アメリカがヒューストンの中国総領事館はスパイ拠点だと非難して閉鎖を命じると、中国は四川省成都のアメリカ総領事館を閉鎖する報復措置に出たが、大義はない。アメリカが香港の人権侵害を非難し、林鄭月娥行政長官など中国高官11人の米国資産を凍結すると発表すると、中国は、マルコ・ルビオ、テッド・クルーズ両上院議員などの対中強硬派のほか、国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチのケネス・ロス代表や、全米民主主義基金のカール・ガーシュマン会長まで含むアメリカ人11人を制裁対象とする報復措置に出たが、大義はない。
 最近は、本丸のアメリカより周辺諸国の動きが目覚ましい。オーストラリアは中国経済に依存するため諍いを避けてきたが、シャープパワーによって攪乱されていた実態が明るみに出ただけでなく、恫喝までされると、引っ込みがつかず、敢然と立ちあがった。カナダはアメリカとの犯罪人引渡条約に基づき華為CFOを拘束したところ、中国に滞在するカナダ人(と言ってもどうやら中国系カナダ人のようだが)が逮捕され死刑判決まで出される報復措置に遭い、それで折れるようでは面目が立つはずはなく、膠着状態である。インドはかねて中国と反目してきたが、国境付近の小競合いが昂じて、中国系アプリを拒否するに至った。ヨーロッパでも、中国の在外外交官が中国のコロナ禍対応の成果を誇るだけならまだしも、欧州諸国の対応を貶めたり、医療支援の対価に華為製品の導入を取引材料にしたりして、すっかり評判を落としてしまった。中でもイギリスに続きフランスも華為製品排除に名乗りをあげた。中国としては、自ら大国となった今、中国経済の恩恵を受けない国はなく、従い反抗できる国などあろうはずはなく、従うのが当然だと、「力」を過信したのだろうか。一般に威信の政治と言われ、とりわけ中国は共産党統治の正統性こそ核心的利益の第一であり、自らの威信に拘泥する余り、相手国にも威信があることに思いが及ばないかのようで、自縄自縛の惨憺たる状況に陥っている。
 このあたりに拍車がかかったのは、言わずと知れた中国の香港への対応で、異例の速さで香港国家安全維持法を成立させ、50年間は「一国二制度」を維持するとした国際約束を反故にしたことだろう。おまけに香港は、香港紙・蘋果日報(Apple Daily)の創業者・黎智英氏を、米国と結託した売国奴だと非難し、民主活動家の周庭さんを「香港独立分子」だと批判し、逮捕した(その後、保釈)。
 この、どう見ても中国は焦っているとしか思えない理不尽な行動は、時間の効用に思いを馳せれば、それなりに理解できるのではないかと思う。中国は、既に2014年に生産年齢人口が頭打ちとなって減少傾向にあり、さらに2030年と言われた総人口が前倒しで2027年には減少に転じると中国社会科学院が発表している。国力の源泉である人口(動態)は、中・長期的に動かしようがなく、中国共産党にとって形勢不利となるのはもはや明白である。他方、香港にしても台湾にしても、生まれながらの自由・独立を標榜する若者たちが増えている。時間は香港・台湾に味方し、中国共産党は、50年を待ちきれなかったと見るべきだろう。英国支配下の香港だけでなく、かつて「化外の地」として見捨てられ、日本統治を経て中国・国民党統治に引き継がれた台湾でも、実は民主主義が根付きつつあることに、民主主義の歴史的経験がない中国は大いに焦っていることだろう。
 京都大学の中西寛教授は、最近、産経新聞に寄せたコラムで、米中の間で外交関係が樹立された「79年体制」なる言葉を創出して時代を画され、日本としても、国家安全保障戦略の見直しは7年間の変化を踏まえて「79年体制」終焉後の日本の立ち位置を定義する観点が必要だと提言された。イージスアショア配備中止は、いろいろ議論はあるが、ブースター云々はもとより言い訳に過ぎず、この7年間に進んだ変化を踏まえた戦略見直しの一つのあらわれに過ぎないのだろう。トゥキディデスの罠は、一般には、「米・中」の間の世界覇権を巡る争いと認識されるが、地域覇権あるいは歴史の復讐のために「日・中」の間にも起こり得る覇権争いだと、私は懸念する。何しろ、あれだけ反日教育・反日宣伝を繰り返す国である。中国の最近の暴走を見ていると、「米・中」の間だけではなく、「日・中」の間でも「管理」しなければならない関係として真剣に取り扱わざるを得ない。果たして政治にその覚悟があるのか見極める必要があるように思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近隣国との関係

2020-08-06 19:41:25 | 時事放談
 河野太郎防衛相の一昨日の記者会見が話題になった。中国公船の活動が拡大・活発化していることに対して、自衛隊としても海上保安庁と連携し、必要な場合はしっかり行動していくと明言された。イージスアショアの代替策として、敵基地攻撃能力の保有も含めた抑止力の向上を検討することに対して、近隣国から理解が得られる状況ではないのではないかと問われて、主に中国がミサイルを増強しているときに、何でその了解がいるのか、我が国の領土を防衛するのに、何で韓国の了解が必要なのかと、気色ばんだ。彼らしい率直なモノの言いは、ちょっと危なっかしいが好感が持てる(笑)。
 先ず一つ目の尖閣諸島を巡る問題に関して、中国では二年前に、日本の海上保安庁に相当する海警(中国海警局)が軍の最高指導機関である中央軍事委員会の指揮下にある武装警察に正式編入され、軍との一体化が進んで、海警から海軍への作戦移行がしやすくなるのではないかと警戒されてきた。習近平国家主席の国賓での訪日延期が決まってから始まった中国公船による尖閣諸島周辺の接続水域での連続航行日数は111日の最長記録を更新し(台風退避のためようやく途絶えた)、その間、日本の漁船を追いかけまわしたときには、日本の漁船が「中国の領海」で違法操業するのを「法に基づき追尾・監視」したとか、中国漁船の尖閣周辺での航行を制止するよう日本が要求する資格はない、などと言いたい放題で、自らの実効支配をアピールしている。河野防衛相の発言を「刺激的」と受け止める向きもあるようで、まあ過去の防衛相の記者会見と比較すれば挑発的と受け止められなくはないが、中国にしたって、中国の公船の背後に海軍艦艇が控えており、日本側が先に手出しするのを手ぐすね引いて待っているわけだから、くれぐれも日本が先に手を出すことは避けなければならないが、言葉で牽制するのにそれほど遠慮することはないだろうと思う。
 二つ目の、近隣国の理解・了解について、河野防衛相の回答は所謂「正論」であって、まあ正しいからといって無条件に支持できるものでは必ずしもないのだが、ここではむしろ質問する側に潜む近隣国への過剰な配慮が気になるところだ。その質問を繰り出すマインドセットに、やや違和感を禁じ得ない。実際、記者は「理解」という言葉を使った(質問を正確に書き出してみると、「防衛政策の見直しについて、十分に理解を得る状況ではないようではないかと思いますが、今後もし理解を得る際に、必要だと思われることがあればお願いします」となる)のに対して、河野防衛相は「了解」が要るかのように受け取られて、会話が噛み合っていなかった可能性があるが、質問自体に河野防衛相がそう受け止めるに足るだけのニュアンスがある。日本人の卑屈さと言っては言い過ぎかも知れない。もしかしたら記者の頭の中には、安保法制論議の際、安倍首相が「各国の疑問に対して丁寧に答え、誤解を解くなど、透明性を持って説明していく」と言われたように、周辺国の「理解」を得ようとする姿勢を示されたことが、記憶にあるのかも知れず、先例に倣うという意味で分からなくなはい。
 確かに日本は、「近隣国」に気を使い過ぎてきた歴史があり、習い性となっている。古くは今から40年近く前、第一次教科書問題において、文部省が教科書検定により高校の歴史教科書において中国華北地域への「侵略」を「進出」と書き換えさせたとする日本のメディアによる誤報をきっかけに外交問題に発展し、教科書を記述する際に近隣諸国に配慮するという旨の、悪名高い「近隣諸国条項」が生まれた(Wikipediaより)。歴史(History)教育は、将来にわたって国民の精神的基盤を形作る重要な物語(Story)であって、本来、国民自身が自分事としてもっと配慮すべきものだと思う(近隣国に配慮は必要ないとは言わないが)。また、湾岸戦争勃発直後のPKO法案審議の際、法案の内容自体がまだ固まらない段階で、中国、韓国などに特使を派遣して、先方の意見を聴取するという案が政府中枢から出されたことがあるらしい(岡崎久彦さんによる)。そのときは流石に取りやめになったが、自ら内政干渉を引き込むようなもので、筋が悪い。
 私も同時代を生きて来た日本人として、先の大戦にまつわる贖罪意識は理解するし、謙虚でありたいと思うが、国家として、となると話は別で、安全保障のような重要なテーマで遠慮や歪みがあってよいとは思わないし、外交で付け入る隙を与えるような腰が引けた態度は得策とは思えない。例えば専守防衛もその一つと言えなくはなくて、かつて米中和解のときに囁かれた「瓶のフタ論」(駐留米軍は重しとなって日本の軍拡を抑えている)を、日本から言い直したかのような性格があり、日本の国力が中国などの近隣国よりも断然上だったからこそ、能力はあっても意思を放棄する(従って能力にも制限をつける、すなわち攻撃兵器を持たない)、その脅威を感じさせない配慮として自制的であることに意味があったが、中国が経済・軍事ともに大国化して、日本を射程に収める中距離ミサイルを2000発も配備する時代に、今だに日本が専守防衛を狭く解して敵基地攻撃は許されないと言い張るのは時代錯誤で滑稽ですらある(だからと言って、国のかたちとして、普通に攻撃的であるべきとも、核兵器を持つべきとも思わないが)。既に国連憲章では、日本が心配しなくても、自衛権と集団安全保障以外の戦争は違法化されている。外交にしても安全保障にしても、もう少し国際法や国際的なpracticesに整合的であってよいように思う。さすがに中国は大国的になったものの、大国らしく振舞うのはウェストファリア体制的(すなわち各国対等で並列的)ではなく、国力が増大するとともに当然の如くに上から目線で横柄になり(笑)、韓国は今なお上下関係や優劣を気にして(!?)日本が一方的に譲歩するのが当然と思っているフシがある、というように、東アジアは、一種のローカル・ルールとして、どうも独特の古い秩序観(多分に儒教に裏付けられている)に縛られた空気に支配されている。日本自身が考え方をあらためるべきだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台湾と朝鮮半島の間

2020-08-02 21:27:52 | 時事放談
 前回ブログは、私が初めて業務出張したのが台湾だったというご縁から話を始めたが、当時、それを聞いた母は、母方の私の祖父もその昔、台湾に出稼ぎに出たことがあったらしく、ご縁だねえ、と呟いた。私にとっては初めての「海外」だったが、もとより祖父の時代には「海の外」ではあっても日本の一部、本土の延長であって、母は外国ではなく「外地」と呼んだ(Wikipediaによれば、日本固有の領土以外で、日清戦争終結後から新たに領有または統治するようになった地域を指すらしい)。私の郷里・鹿児島から、当時、どんな事情があってはるばる台湾に渡ったのか、一体何をしていたのか、今となっては聞きそびれたことが悔やまれる。今日はその祖父の命日で、3歳まで過ごした鹿児島の記憶は残念ながら私にはないが、片田舎の町長をやっていた祖父が晩年の徒然に、端午の節句に朝夕、鯉のぼりを揚げ下げしに行くために声をかけてくれた話を、母から聞かされた・・・とまあ、私の感傷に過ぎないが、罪滅ぼしを込めて、今回も台湾の話を続けたい。
 表題の通り、台湾と朝鮮半島の間には東シナ海が横たわるが、今更そんな地理的なことを話しても仕方ない。政治的な話として、李登輝さんや台湾の人々が親日であることを、遡れば、台湾統治と朝鮮半島統治とで何が違ったのかを不思議に思うのである。
 台湾は、戦前から住んでいる本省人と、戦後移住してきた外省人とが混在し、アイデンティティの分裂に悩まされ来た。私が出張で足繁く通っていた頃、中華料理の夕食の後には決まってカラオケに連れて行かれて、ここぞとばかりに覚えたての中国語を繰り出すと、北京語上手ねえ、と日本語で軽くあしらわれたものだった。それほど台湾にとって内(台湾語)・外(北京語)の溝は深かったのだろう。
 そもそも台湾は、オランダ、鄭成功、清王朝、大日本帝国と、外部勢力によって支配されてきた不幸な歴史を持つ。清の時代には「化外の地」として見捨てられ、日清戦争の後、日本が植民地経営(とは言っても、欧米流と日本流では異なるのだが、とりあえずそう呼ぶ)に乗り出した頃には、感染症がはびこり、日本人がとても住めそうにない、文明から取り残された地だった。李登輝さんは本省人で、苦労の末に権力の頂点に登り詰めた話は前回ブログの通りだが、ここでのポイントは、日本統治があってこそ、国民党政権下で「政治参加」の道が開かれたと思われるところだ。
 もとより日本の統治を全面的に擁護するつもりはないが、その後の国民党の統治が苛酷だったために、住民の過激なまでの反発を招いたことが影響したのは事実だろう。実際、日本の統治にも厳しい面はあったようだが、国民党の統治に代わって、日本の統治を懐かしむという逆転現象が見られたと聞く。また、李登輝さんが総統になる前後から、台湾の対中政策は開放的になり、それまでは内戦中という建前で交流が途絶えていたが、経済的な往来が頻繁になると、今度は過度な中国依存のリスクが芽生えたため、台湾の持つ産業や技術の優位性を維持するため、電子産業を保護するなど、資源配分に配慮したそうだ。さらに、教育改革(特に歴史教育)を通して、「台湾人」のアイデンティティを育んだ。ここで重要なのは、中国との関係において、いったんは認めていた「一つの中国」から、中国と台湾は別の国だと位置づける大胆な「二国論」へと舵を切ったことだ。大雑把に言えば、日本の統治を通して築かれた近代的な基礎の上に、李登輝さんが身体を張って現在に至る台湾を育てあげたということだ。李登輝さんが親日だったのは、日本(統治時代の)生まれで、その教育を受けたことばかりではなく、こうした歴史的な経緯によるものだろうと思われる。
 こうして、朝鮮半島との比較で言えば、朝鮮半島に、遅くとも中国の郡県制支配が終わった4世紀以降は、まがりなりにも土着の(とは、つまり朝鮮民族の)王朝(=新羅、高麗、李氏朝鮮)が存続していたことを想起すれば、日本による植民地経営を受け入れる体質そのものに決定的な相違を生じていたと言えるだろう。かたやユーラシア大陸から若干の距離を置いてへばりつくように位置し、直接の影響を受けることが少なかった小さな島に過ぎない(という意味では日本に似ている)台湾と、ユーラシア大陸の辺境とは言え、それ以上は逃れることが出来ないドン詰まりの半島国家で、大国である中国に隣接し、常に、陰に陽に影響を受け続け、事大主義(中国やロシアなどの“大”国に“事”(つか)える)に揺れながら、それでも民族としてのアイデンティティを失うことはなかった矜持を持つ朝鮮半島とでは、生い立ちが違うのである。
 日本は、中国の歴代王朝がそれほど覇権主義的ではなかった事実(いわゆる中華思想と王化思想)と、仮に圧力が強まっても朝鮮半島が緩衝地帯としてその圧力を堰き止めた事実という、地理的に極めて幸運な歴史をもつ。例外は白村江の戦いと元寇と秀吉の朝鮮出兵であろうか、1400年足らずの歴史で、たったこれだけである。今、中国が覇権主義的であるのは、近代になってから欧米の帝国主義に踏みにじられ、アヘン戦争以来の歴史の屈辱を雪ぎ、民族主義を鼓舞することでしか多民族国家をマネージ出来ない共産党政権の統治の脆弱さに他ならない。朝鮮半島もまた民族主義に目覚めて北朝鮮に対して宥和主義に流れ、日本に対して歴史認識を政治問題化するのは、常に党争に揺れる韓国の弱点をカバーするための方便、つまりは統治の脆弱さに根差すもので、日本人としては、我らが民族の歴史として風化させてはならないものの、今さら政治・外交の場に持ち出すのは勘弁してくれボヤくしかない(笑)。それに引き換え、台湾のなんと潔く、健気に頑張っていることだろうか(笑)。
 国際秩序、とりわけ東アジア秩序の難しさは、一般には体制の違い(欧米的な自由・民主主義と、東洋的な専制の違い)で片付けられがちだが、その根っこにあるのは、ポストモダンの日本(及び欧・米)や、モダンを生きる発展途上国(台湾を含む)がある一方、古代のままを生きるかのような中国や朝鮮半島があるというように、歴史の発展段階に跛行性があることによるコミュニケーション・ギャップ、ひいては認識のミゾであり、摩擦はひとえにそこに起因すると言ってもよい。それを長い目で見れば、相互に影響を与え合い、ほぼ世界同時的な展開を促して来たのがこれまでの歴史だったが、果たして今回はどうだろうか・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする