風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

東京マラソンへの道(9・終)

2013-02-25 21:47:00 | スポーツ・芸能好き
 私自身、8回目のフル・マラソンは、実に14年振り、日本では初めてのことで、年齢のことを思えば不安は尽きなかったのですが、目標とする5時間を切るネット4時間46分(号砲からのグロス時間は4時間51分、つまりスタート地点まで5分かかりました)でフィニッシュすることが出来ました。
 雲一つない快晴に恵まれ、時に風が強く、走る方向によってはキツさを感じましたが、先ずはボランティアも含めて主催者側によってwell-organizeされていたことに加え、沿道の声援が思った以上に多くてレースを盛り上げてくれ(ハイタッチをするだけでなく、音楽の演奏や、パン・饅頭・チョコレート・フルーツ・味噌汁・甘酒などの飲食物から、エアー・サロンパスまで提供してくれる人もいました)、更に仮装した人も含めて走ることを楽しむ我々とが、三位一体となって、心地よさに溢れる大会でした。正直なところ、日本でこれほど成熟したマラソン大会があろうとは思ってもみなくて、今年、世界六大大会に選ばれたのも頷けます。
 勿論、これだけ大規模な大会なので、難癖をつけることは可能です。スタート地点で、スタート迄1時間も立ったまま待たされたのはちょっと苦痛でした。レース中、セブンイレブンのトイレを利用できると言われながら、沿道の人垣が多くてコースを外れるのは難しく、側道に用意されたトイレでは15分以上待たされるのが常だったそうです。スタート地点で最終ブロックの人たちは、号砲が鳴ってから真のスタート地点に達するまで20分かかった上、遅い人が集まっているので、抜け出すのが大変だったと嘆いていました。NYシティ・マラソンのように、スタートを五ヶ所くらいに分散させ、スタート直後の混雑を緩和する措置を検討してはどうかと思います。しかし全体の成功からすれば、いずれも小さな欠点に過ぎません。
 私個人的には、膝もなんとか持ち堪え、太腿の筋肉痛も大したことはなく、唯一、右足裏のマメが痛んで、後半、失速してしまったのが悔しいですが、給水所以外では立ち止まることなく走り続けられたのは、ペースは遅くとも長距離を走る練習を積んだことが功を奏したものと思われ、有意義な経験となりました。14年前、時速11キロで一時間(11キロ)という、私にとっては高速で短めの距離の練習を繰り返して、勢いで3時間49分で走り抜けた時と比べて、身体へのダメージは驚くほど少なく、年齢を重ねる中で更にマラソンに挑戦し続ける際のヒントになると思います。
 しかし私一人では、ここまで上手く行くことはありませんでした。練習の仕方から、エネルギー補給や寒さ対策のウェアのことまで、市民マラソンの最新事情に通じた経験者が身近にいて、何くれとなくアドバイスしてくれたことが一番の頼りになりました。この会社の同僚には、あらためて感謝したいと思います。
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東京マラソンへの道(8)

2013-02-23 10:34:39 | スポーツ・芸能好き
 いよいよ明日になりました。普段通りの生活を心がけ平常心を装うのは、ただでさえ緊張感に襲われることから逃れたい一心です。ぼんやりすると、つい明日のことが頭をよぎり、他のことを考える余裕がないため、しつこくこのタイトル・シリーズを続けます。
 木曜日の夜、東京ビッグサイトで受付をして来ました。ゼッケン受け取りの際、係のおじさんから、「意欲的ですね~」と声をかえられ、「なんでですか~?」と聞くと、私のゼッケン番号帯はゴール目標タイムが3時間半なのだそうです。「ひえ~」と驚きを露わにしませんでしたが、内心の動揺を抑えつつ、「10数年前は、それくらいで走ってたのでね~」と冷静さを装うと、「頑張ってください」と、力強く、でも、ちょっと意地悪そうな笑顔(と思ったのは私の僻みです)で送り出されました。なんでそうなったのか・・・振り返ると、申し込んだ半年前の段階では、自己記録更新の希望にそれなりに燃えていたのでしょう。
 14年前に3時間49分で走ったとき、別に自慢するようなタイムではないのですが、練習量の少なさと効率さでは、妙な自信を持っていました。ほぼ一年前の11月にNYシティマラソン(4時間半)、その年の7月にサンフランシスコ・マラソン(4時間半)、10月にタホ湖駅伝(二区間20キロ)と、時間を置いてそれなりに走る基盤を整えてた実績があったとは言え、12月のサクラメントの大会に向け、直前の一ヶ月で150キロ(一日おきに10キロ)の走り込みだけでは、練習量が十分とは言えませんでした。その程度の練習であの記録という、過去の栄光(と言うより中途半端な実績)に囚われている今の私が、これから半年近くしっかり練習すれば、自己記録更新も可能と、8月の申し込みの段階で、まさか本当に東京マラソンに当選するとは思っておらず、軽い気持ちで夢を見たとしても、必ずしも故なしとしなかったと思います。ところが、現実問題と捉えれば、重大な見落としがあります。あれから14年、自らの肉体に抗えない経年劣化が訪れていたことです。以前にも、このシリーズのブログで述べたように、走る基盤を整えるのに、年齢に応じて時間がかかります。
 明日の目標は5時間を切ること。現実的ですが、それすらも不安があります。5ヶ月前から本格的に練習を始めて距離を延ばし、ここ三週間、24キロ走をやってきて、ようやくちょっとは身体が慣れてきたところですが、マラソンで一番キツイ30キロ以降が全く読めません。スタートはEブロックで、スタート地点に比較的早く到達できるというメリットはありますが、ちんたら走る私は、次々に追い抜かれるという屈辱に打ちのめされながら、安全第一、マイペースで只管走ることになります(溜息・・・)。
 10年若ければ・・・とか、もう三ヶ月ほど練習期間があれば・・・とか、言い出せばキリがないですが、こればかりは、いつも息子や部下に言っていることで、2月24日は最初から決まっていて、分かっていたことなのだから、早くから準備すればよかっただけのこと。人間って、どうしてこうも後悔し、往生際が悪い生き物なのでしょう。そして、この歳でマラソンを走るにしては一夜漬けに近い練習だったことを思うにつけ、三つ子の魂百までとはよく言ったもので、私の人生を象徴するようです。

(過去ブログ)
 東京マラソンへの道(7) http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20130220
 東京マラソンへの道(6) http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20130205
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東京マラソンへの道(7)

2013-02-20 23:44:15 | スポーツ・芸能好き
 今日は、スポーツとテクノロジーの話です。
 以前にもこのブログ(か別のブログ)に書いたことがありますが、身近なスポーツで言えば、テニスのデカ・ラケや、ゴルフのデカ・ヘッドなどの道具から、水泳の水着や、クッション性の高い靴など身に着けるものまで、テクノロジーの進歩のお陰で、運動の確実性を高めたり、スピード(記録)を伸ばしたりすることが可能になっている現実は、自身の経験や伝聞でもよく知られるところです。マラソンで言うと、先ずは靴が随分走りやすいものに進化していることが挙げられます。私が初マラソンに挑戦したのは17年前のことですが、日本から持ち込んだ古い靴は、今、思い出すと地下足袋のようにチャチなもので、足の裏中にマメをつくって難儀したものでした。その後、2年間、アメリカの車社会で殆ど運動らしい運動をしなかったにも係わらず、再びフル・マラソンに挑戦した時、靴を最新のものに変えただけで、見違えるほど足の裏が無傷だったことに驚かされたものでした。かつて男子マラソンの世界最高記録は2時間6分が一つの壁になると予測されたものでしたが、予測の精度に問題があったばかりでなく、テクノロジーの進歩がその壁を突き破るのを助けているのは間違いありません。
 もう一つ、格段の進歩を遂げているテクノロジーと呼んでもいいものとして、サプリメント摂取が挙げられます。
 私は、これまで出来る限り自然体で走ることを心がけて来て、人工物の摂取には抵抗がありましたので、かつてはキビ団子ならぬバナナを腰にぶら下げて走ったものでしたし、ジムでも、バーベルなどのウェイト・トレーニングには見向きもせず、ひたすらマシンの上を走り続けたものでした(実はストレッチは、インナー・マッスルを鍛えるのに有効だと言われますが)。ところが先々週、24キロ走でガス欠になったのをきっかけに、次の24キロ走では、試しに、ある大会で試供品で貰ったエネルギー系ジェルを摂取して走ってみると、無事、ガス欠になることなく乗り切れたことから、俄かにサプリメントへの関心が高まりました。更に追い打ちをかけるように、週末、あるスポーツ用品店に立ち寄って、タイツを買い求めた際、サブ3を自称する店員さんからいろいろ経験談を聞き、マラソン経験者の「これは私もやっています」「いいですよ」の朴訥とした一言にほだされて、ザバスの完走セットや、筋肉の主原料になるBCAAのサプリメントや、井村屋のスポーツ羊羹なるものに、とうとう手を出してしまいました。因みに、マラソン経験者の語る言葉は、どんな広告のキャッチコピーや店頭のマーチャンダイジングよりも強力で、その話を聞きたいがために、スポーツ用品店のリピーターになる可能性すら高まります。
 さて、そのザバスの完走セットというのは、スタート前、20キロ地点・30キロ地点、ゴール直後と、摂取する一連のサプリメントを詰め合わせにしたものです。具体的にどのような考え方に基づくのか説明がありませんので、別のスポーツ・サプリメントの開発に携わっている方(桑原弘樹さん)の解説がスポーツ誌Numberのサイトに載っていましたので紹介します(フル・マラソン挑戦編:http://number.bunshun.jp/articles/-/281457?page=2)。
 先ず前の夜は、炭水化物中心の食事で体内にエネルギー源を満たすことが推奨されています(アメリカでは、パスタ・パーティがよく行われたものです)。レース当日の朝は、炭水化物をエネルギーに変えるのを促す酸素の働きを補助するヘム鉄のサプリメントが良いとされます。スタート直前は、内臓に負担をかけないよう、消化が良いエネルギー系のジェルやドリンク類がお勧めであり、同時に筋肉の主原料であるBCAAも併せて飲むのが良いとされます。レース中は、筋肉の主原料であるBCAAが徐々に減っていくので、10キロ毎に補給するようにし、後半は、レース序盤に補ったエネルギーが副産物として生み出す乳酸への対策を意識して、クエン酸補給へ切り替えるのが良いようです。レースで酷使した身体は、消耗したアミノ酸を補うべく、筋肉の分解を始めているため、レース後は、筋肉の主原料BCAAや、レースで枯渇したエネルギー源、またクエン酸の補給を行なって、ダメージを受けた身体をケアするのが良いとされます。
 結局、ガス欠を感じて身体が動かなくなるのは、人間の身体が無理しないよう、脳がそのように指令を出すからです。そこで、ガス欠を避けるためには、サプリメントで上手にエネルギー補給して、その指令を狂わせればいいわけです。実際、フル・マラソンに4時間も5時間もかける私のような素人は、一食、抜かなければならないため、少なくともその栄養補給を走りながら行わなければなりません。バナナは、腰にぶら下げていると、走る時の揺れで表面が真っ黒けになってしまいますし、バナナよりもジェル・タイプのものは遥かに手軽です。身体的に、ある程度、長距離を走る基盤が出来れば、次に考えるべきは、如何にエネルギーを切らすことなく補給をマネージするかであることは当然のことと言えましょう。
 レースまで残り4日を切りました。私はついに週末の練習だけで、つまり寒い冬の週日の早朝や夜に走り込みをすることなく、本番を迎えることになります。経験したことがない大変なチャレンジですが、今さらジタバタしても始まりません。週末の走り込みの疲れを癒しながら、静かに、当日を待ちます。
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モヤモヤさまぁ~ず2

2013-02-16 23:40:33 | スポーツ・芸能好き
 一種のバラエティー疲れとでも言うべきでしょうか、食傷気味のテレビのバラエティー番組の中で、一つだけ何故か毎週見てしまう番組があります。日曜夜、子供たちに付き合って定番の「ちびまるこちゃん」(フジ)と「サザエさん」(同じくフジ)を見た後、いつしか「モヤモヤさまぁ~ず2」(テレビ東京)にチャネルを合わせるようになりました。
 マイナーな街には「何があるか分からずモヤモヤする」ということで、この「モヤモヤ」を解消すべく、さまぁ~ずと同局の大江麻理子アナが、毎週、街の人々と触れ合いながらブラブラする街歩きバラエティー、なんですよ(と、同番組のちょっと素っ頓狂なナレーション風に書いてみました)。2007年1月3日に放送された新春特別番組に始まり、同年4月から深夜にレギュラー化され、雌伏三年、ついに2010年4月からは日曜ゴールデンタイムに進出したのですが、「・・・2」と命名しただけで肩の力が抜けた番組キャラは相も変わりません。テレビ東京らしい、シュールとは言いませんが、如何にもマイナーで、今どきのお笑い芸人同様、内輪受け、つまり出演する自分たちだけで楽しんでしまうような際どさは存分にありますが、食事の場面では黙々と食事に専念してしまうような視聴者不在は、内輪受けを通り越して、却ってその醒めた傍若無人ぶりが新鮮で、「さまぁ~ず」の成熟した大人の安心感あるお笑いと、時としてセクハラすら笑って許させる人徳が、大江アナの浮世離れした純朴さと絶妙に掛け合って、飾りっ気のない手づくり感が、他のバラエティ番組からは明瞭に一線を引いて異彩を放ち、飽くまでテレビ東京らしいまったりとした番組づくりに踏みとどまっているように思われます。
 そんな「モヤモヤさまぁ~ず2」では掛替えのないキャラを放つ大江アナが、4月からニューヨーク出向のため、同番組を卒業することが、先週、番組内で発表されました。勿論、その前にメディアで報じられていましたが、あらためて大江アナから報告されると、三村が「大江が思っている以上に、俺、大江のこと好きだよ。それだけはわかって。泣くな!」と応えて、大江アナは号泣、それを見ていた三村も「俺も泣きそうだよ」と目をはらし・・・。その直後、ADが、ある意味ではその日の番組進行通りに刺繍を見せに割って入り、その空気を読まない行動に三人とも失笑してしまうという、まさに「モヤモヤ」らしい温かなドタバタで終わりました。
 大江アナが抜けるのは寂しい限りで、代わりについては俄かに想像できませんが、「・・・3」として相変わらずモヤモヤっと続くのでしょうか。
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誤解される日本

2013-02-14 00:22:11 | 時事放談
 ニューズウィーク日本版2月12日号は、「なぜ日本は誤解されるのか(Rethinking Japan)」という特集を組みました。
 先ず、ダートマス大学のジェニファー・リンドさんは、「日本が世界から誤解される理由(Japan, The Never Normal)」というタイトルのコラムで、学者や政治アナリストやジャーナリストは、どういうわけか日本を“普通の国”として扱うのが苦手のようで、日本経済が急成長を遂げた70~80年代にはいずれアメリカを追い抜き世界に君臨するだろうと持ち上げ、バブルがはじけて日本経済が下り坂に転じると日本衰退論が主流になるというように、日本が何をしても極端な色眼鏡を介してその意味を曲解してしまうと述べます。それは外交政策でも同様で、第二次大戦後、ごく最近まで、軍事体制と決別した非武装の平和国家と見なしていたのに、尖閣問題を巡る中国との関係悪化を日本の平和主義の終焉とナショナリズムの台頭の兆しと叫ぶ声が俄かに高まって来ました。しかし日本は決して平和国家でもないし攻撃的な軍国主義国家でもない、ゴジラのように手に負えない経済大国でもないし超高齢国家でもない、普通の“ミドルパワー”国家だと説明します。誤解を招く理由として、一つは、伝統的な国力を図る指標を予測する時の問題で、現在の政治・経済状況の延長で直線的に予測するがために過小評価(中国は逆に過大評価)されていること、二つ目は、日本政府自身の振る舞い(言葉と現実のズレ)が疑念を招くことを挙げます。例えば日本の政府関係者や学者などの専門家は「日本に軍隊はない」と口にしますが、陸軍は勿論のこと東アジア最強の海軍と空軍を有するのが実態ですし、日本の指導者は8月6日や9日に行う演説で核兵器のない世界を目指すと言いながら、核兵器を持たない国としてはどこよりも多い40トン以上のプルトニウムを保有しており、日本が軍国主義にならないとは俄かに信じられないというわけです。そして三つ目は、日本の政策を意図的に歪曲し、日本を極端視する、近隣諸国の存在を挙げます。こうした見方は、間違っているだけでなく、東アジアの勢力バランスの中で、日本が担うことが出来る役割を、同盟国が見逃すことになり、日本の存在価値を過小評価することになると、警告を発します。
 続いて、米戦略国際問題研究所太平洋フォーラム研究員のJ. バークシャー・ミラー氏は、「欧米も誇張する日本の『右傾化』(The Twisted Truth about Tokyo)」と題するコラムで、日本の外交・安全保障政策が“右傾化”すると恐れているのは、韓国や中国だけではなく、英エコノミスト誌までが1月、“恐ろしく右翼的な”安倍政権は“過激なナショナリスト”の集団であり、“地域にとって凶兆だ”と断じたのは、欧米にも、アジアで政治的に利用されている歴史の「物語」と質は異なるがよく似た「物語」が存在し、「国際世論」として定着しているため、すなわち欧米にも、第二次大戦がファシズムと帝国主義を打倒した“正義の戦い”だったという単純な「物語」が根付いているため、これと食い違う意見や史実を再検証しようとする意見は全て悪と見なされ、“修正主義”“歴史の歪曲”と切り捨てられてしまう現実があると断じています。そして、こうした自国に関する誤解が蔓延しているにも係らず、領土問題や歴史問題を巡って韓国や中国と同じレベルで泥仕合を繰り広げるのは品がないとか、あるいは韓国や中国の主張に真っ向から声高に反論するのは大人げないとか、品位や節度を重んじるあまり、誤解を解く努力をしてこなかった日本政府の対応、とりわけ情報発信力の弱さを非難しています。その結果、例えば日本の平和憲法が現代の国際情勢の現実にそぐわないことが十分に理解されておらず、集団的自衛権の行使や国連の平和維持活動における自衛隊の権限拡大など、安倍首相をはじめとする保守政治家が提案する改革案は、欧米の価値観からすれば取りに足らないことで、“普通”の国であれば問題視されることはないのに、日本の安全保障政策の如何なる変更も“再軍備”と曲解されてしまう、すなわち日本を巡る誤解は日本の国益を損なうばかりだと警告しています。
 また、南京生まれのブロガー・コラムニスト安替氏は、「僕が『反日』をやめた理由(Japan of Nanjing, Japan of Tokyo)」と題するコラムで、かつて彼が学生の頃、毎年春の墓参りの時期に訪れていたのは市内の革命墓地で、弔うのは国民党軍に殺された共産党員だったのに、南京大虐殺記念館を訪れるように変わったのは90年代後半に愛国主義教育が始まってからであり、日本政府には問題があるが、日本の人民は友好的で、日本が軍国主義の亡霊が善良な民衆を支配する国だというのが、大部分の中国人の日本に対する“公式見解”だと述べた上で、日本に留学し、大学教授や学生やジャーナリストと交流する中で、出会った若い日本人はアメリカの友人たちと変わらないことを確信し、日本に対する見方は根底から変わったと告白しています。さらに、中国の歴史教科書には、日本の戦後政治について「80年代の日本の軍拡はアジアの周辺国家の警戒を招いた」と書いてあるだけで、その他の説明は全て戦前あるいは戦中のことであるため、東京に行かない中国人の日本政治に対する理解は、1945年で止まっているのに対し、自分が東京で見聞きした日本政治の発展ぶりは、中国で知ることの出来ない情報ばかりだったとも告白しています。
 過去三回のブログで、日・中の「情報心理戦」あるいは「情報戦」について書いて来ましたが、日本は、外交力だけでなく、あらためて中・韓の国民や広く国際世論に訴えるコミュニケーション力を磨かなければならないようです。
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中・韓が見る日本

2013-02-11 09:13:36 | 時事放談
 ネット上の調査がどこまで現実を反映するかは、調査方法、とりわけ回答者の属性を詳細に確認する必要がありますが、調査結果そのものだけでなく、その結果に対する受け止め方、あるいはある種の命題に対するコメントの中に、真実の一端が垣間見えるように思いますので、いくつか紹介します。
 先ず一つめは、昨年12月、韓国のコミュニティーサイト「ガセンイドットコム」の掲示板に「最新のアジア10ヶ国、親日度調査の結果」とのスレッドが立てられ、親日度調査に関する記事が紹介されたことに対して、さまざまな意見が寄せられたようです(サーチナニュースによる)。
 先ずは調査結果で、「日本という国が『大好き』『好き』」という回答の構成比率は、
     ベトナム   計97(それぞれ45・52)
     フィリピン  計94(67・27)
     タイ     計93(58・35)
     インドネシア 計91(41・50)
     シンガポール 計90(66・24)
     マレーシア  計86(41・45)
     台湾     計84(49・35)
     香港     計84(46・38)
     中国     計55(14・41)
     韓国     計36(8・28)
 回答数(規模)はよく分かりませんが、少なくともネットにアクセスする(従いそれなりにさばけているであろう)若者の国毎の傾向は読み取れ、これ自体は、まあこんなものだろうと誰もが納得するように思いますが、面白いのは、同じ調査で更に「日本人が好きか」「日本へ旅行に行きたいか」「日本の商品・サービスは好きか」といった、似たような、しかし明確に趣旨の異なる質問を続けて問うているところです。
 「日本人が『大好き』『好き』」については、「大好き」が減って「好き」の割合が増えますが、全体としては「日本が~」と似たような傾向です。ところが、「日本へ旅行に『とても行きたい』『行きたい』」、更には「日本の商品・サービスは『大好き』『好き』」になると、他国はともかく、中国では計65(それぞれ32・33)から計82(それぞれ28・54)へ、韓国では計52(それぞれ20・32)から計67(それぞれ12・55)へ跳ね上がります。根っこのところでは、相変わらず政府(あるいは党)による歴史教育を中心とする情報操作で基本的な日本の国家像・日本人像が歪められている現実を想像させますが、日常生活で辛うじて接する、ある意味で表面的な日本の存在を、それなりに現実的に好意的に認識している姿が見えて来ます。
 この調査結果に対するコメントは、残念ながら総論的な見方が多く、意外に冷静なところがある反面、歴史観に揺るぎがないことは明らかで、やはり歴史教育の影響は根強いようです。

○「調査方法がネットリサーチとは。ネット上にいる韓国人が日本を好きなわけがない」
○「東南アジアの国々の好感度は、日本の経済力と文化波及力が根本にある。日本の過去の問題や右翼化などのネガティブなイメージは、これを問題視する韓国と中国の国力の伸長とかみ合って、ますます強くなっているのが現実」
○「この調査結果は、“韓国は中国よりも世界最高の反日教育、反日国家”と広報するために、極右が業者に作成させたねつ造資料にしか見えません。」
○「なぜいつも日本人はこのような調査をするの?「日本が好き」「日本人が好き」という項目を作成すること自体が本当に笑わせる。いつも世界中から「嫌われて」はいないかと気をもんでいるような気がする(笑)」
○「今、私たちが使用しているサイト(ガセンイドットコム)も “海外の人々は私たちをどのように見るか気になる”というもの。結局は同じでは?」

 次に、ちょうど同じ頃(昨年12月)、韓国のコミュニティーサイト「etorrent」の掲示板で、折しも衆院選挙で民主党の枝野氏が東京都内で街頭演説をしていた際、民団(在日本大韓民国民団)と称する集団(右翼日本人と思われる)が韓国国旗を手に「民主党は韓国の味方だ!民主党がんばれ」などと叫んでいた動画を紹介した上で、「日本は本当に滅びていきますね」とのスレッドを立てたところ、さまざまな意見が寄せられたようです(これもサーチナニュースから)。コメントを見ると、スレ主に同意するものから、冷静なものまで、いろいろで、愛国心との狭間でmixed feelingsが顔を覗かせているのが、なんとも微笑ましい。

○「日本はただでさえ経済が下降しているが、周辺国との交流を自ら狭め、昔の鎖国政策へと進んでいるようだ」
○「日本の電子産業の大手企業は、早期の回復は不可能。今後数十年は掛かるのではないか。電子産業の余波で、ほかの分野も崩れている」
○「経済規模、技術力も重要だが、より重要なのは市民の意識。いくら極右派のおかしな人たちであっても、こんな愚かな行動を始めたのには、さまざまな意味があると思う」
○「日本が下落傾向は確かだが、まだ私たちが見下せるようなレベルではない、まだとてもしっかりしている」
○「日本の大手企業が少し停滞していますが、日本は中小企業も強い。職人的なドイツと日本は生き残るでしょう」
○「日本は滅びゆくことはおろか、最近ますますサービス技術などを再検討し、発展させようと努力しています。大きな災害が無い限り、そんなことはなさそう」
○「まだ強大です。ノーベル賞受賞者だけでも、比較すら不可能」
○「それでもまだ韓国よりはるかに先進国、くそ」
○「滅びても経済的な部分では、わが国よりも優れている」

 続いて、昨年5月、今度は中国の大手検索サイト百度の掲示板に「中国はいつになったら日本より進んだ先進国になるのか?」というスレッドが立てられました(これもサーチナニュースから)。尖閣問題が先鋭化する前でもあり、比較的穏当なコメントも見られます。

○「スレ主が生きているうちには必ず日本を超えると言い切れる」
○「20年とかからずに日本を超える」
○「20年もすれば1人当たりGDPも日本を超える。その時には日・中の技術面での差もほぼなくなる。中国の市場規模の大きさと資源の豊富さを考えればまちがいない」
○「経済では20-30年、民衆の民度は50年。全体の科学技術面では差はない」
○「中国の経済や人的分野、文化的分野では日本を超えているかもしれない。でも環境問題では永遠に発展途上国」
○「そんなことは永遠に考えない方がいい」
○「自分が生きているうちはまず無理だな」
○「世界大戦か大きな災害でも起きない限り、日本を超えるのを見ることはない」
○「もっと現実的な小さなところから見てみようよ。信号を守ることができるようになってから、日本を超えることを語ろう」
○「科学技術と民度が一緒に進歩しないと意味がない。腐敗役人多すぎ」
○「全国民のマナーが向上すれば、日本を超える日を見られる」

 更に、かれこれ一年前(昨年3月)、同じく中国の大手検索サイト百度の掲示板に「米国が衰退したら日本は東アジアの超大国となるのか?」というスレッドが立てられました(これもサーチナニュースから)。同じく尖閣問題が先鋭化する前ですが、中国とは言っても、さまざまな意見があることが分かります。

○「当然そうなるさ。」
○「米国が衰退したら血なまぐさいことになるに違いない。ちょうど英国の衰退が世界大戦を引き起こしたようにだ。オレが生きているうちは米国に衰退してもらいたくないよ。」
○「中国人は日本消滅を夢にまで見るんだよなぁ。でも永遠に夢のままだ。」
○「米国が東アジアに駐留するのもいいことだね。中国にとっても有利な面があるよ。日本の軍国主義復活を防ぐことができているから。でも日本は作りたいと思えば3カ月で核兵器が作れる。」
○「日本の食料自給率は40%を切っているらしいぞ。米国からの食糧輸入がなければ、まずは食事の問題を解決しないと。たぶん東南アジアから輸入するようになるだろうけどね。」
○「日本は経済面だけは見ることができる。」
○「日本は経済的な優位性がある。人口はまだしも、面積、地理的位置、軍事、国力、影響力といったら…。」
○「中国のGDPは世界第2位だ。軍事力では日本に勝っている。」
○「日本が超大国なんてあり得ない。日中は近いんだ。中国の戦術ミサイルには閉口するって。」
○「日本のアジアにおける政治的地位は昔から属国と決まっている。島国が覇権をとろうなんて…前途はないね。」
○「欧米以外の地区は競争力を持った核心的な価値を有していない。欧米が終わったら全世界が中世の時代になるよ。」

 最後に、比較のため、一昨年の10月、フランスのオンラインマガジンサイト「Suite101」で、もしも日本が災害で沈没してしまったら?という状況を考察しているそうです(これもサーチナニュースから)。東日本大震災から半年経って、日本は自然災害の多い国であることが再認識されるとともに、復興もまた注目される中での、余り趣味が良いとは言えない、一種の思考の遊びですが、フランスというプライドが高い国の、クセはありますがそれなりに見識はありそうな人の見方として興味深いものがあります。以下はそのニュース記事の引用です。

(引用はじめ)
 まず、一国家がなくなった場合、事務的な問題があると指摘。国の合併や分割ならば、その後認定された国が、その領土内のことを引き継ぐ。しかし、沈没して消滅となると、国債の返済金などの支払いができなくなるほか、生存した日本人の国籍がどうなるかなどの問題が発生するだろうと述べている。
 また、政治的なバランスの崩れも挙げている。日本がなくなった場合、中国がアジアの覇者としてすぐに名乗りをあげ、アジア圏を独占するだろうと予測。また、米国は日本があったからこそ政治および軍事面でもアジアに力を持つことができている状況なので、米国の影響力はアジア圏で弱まる。この場合、日本にある米国の軍事施設などにより、安全が保たれている状況の台湾などの小国が受ける影響も多大だろうと記している。
 ほかには、日本が生み出し、世界に発信している技術力がなくなることは世界的な損失だと述べている。日本の技術は、日本以外では生み出せないような高度な技術もあり、日本がなくなると、今後の技術発展のスピードも落ちるだろうと予測している。
 筆者は、地球上の島が沈没することはこれまでにもあったとし、日本は島国の国家であるが、経済面でも技術面でも世界のトップクラスの国であり、これが沈没したら世界が変わることになる、との見方を示している。
(引用おわり)

 確かに日本人は、他者(他国)から自分(自国)がどう見られているかを気にする民族と言われ、これまでにも多くの日本論や日本人論がものされて来ました。もともと「出る杭は打たれる」と、足並み揃えることを気にする、長らく外に対する門戸を制限してきた農耕民族が、いきなり国際社会に門戸を開いて、しかも何かと存在感が目立つようになって、立ち居振る舞いや身だしなみを気にするサガのようなものなのでしょうか。大衆社会で、世論に訴えるのも重要と言われて久しいですが、前回、前々回に関連して、何かと外交面で付き合うのが簡単ではない中・韓の、それでは庶民レベルでは日本がどのように受け止められているかを見ることは、世論に訴えていく際に何らかの示唆を含むように思います。
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新たな形態の戦争

2013-02-10 20:48:43 | 時事放談
 前回のブログでは、日・中の「情報心理戦」という言葉を使いました。このところ中国が挑発をエスカレートしているのは、相手の出方を、軍事的なものから外交的なものまで、また日本国政府そのものだけでなく米国を含む国際社会の対応まで、さまざまに窺いつつ、着実に果実に向かって突き進もうとする野心が露骨になっている表れですが、もはや、かつての「冷戦」に代わる「新たな形態の戦争」と言えるような状況にあるのを感じます。勿論、「戦争」は「外交」の延長であって区別するいわれはなく、「外交的対応」は「戦争」に至る過程の強弱さまざまな駆け引きそのものですが、特に最近の日・中関係(とりわけ中国の動き)は、実力行使を伴い、「戦争」の臨場感をちらつかせるものが増えて来て、ただならぬ雰囲気を醸し出します。
 そういう意味では、安倍政権は、民主党政権と違って、中国に対して冷静に対処しており、安心感を与えます。射撃管制用レーダー照射問題など、民主党政権では、中国との戦略的互恵関係を慮って、ことを荒立てない穏便な対応を取ったことが、却って中国に付け込ませるスキを与えて、事態を悪化させて来たと言えますが、安倍政権は、事実を世界に公表して中国を牽制しつつ、対話のチャネルを構築して関係を冷え込まさないよう配慮しています。恐らく、民主党政権の昨年三月に切れてしまった中国との軍首脳同士のホットラインも復活し、幾重ものコミュニケーション・チャネルを活用しながら、危機管理して行くことでしょう。
 「新たな形態の戦争」という意味で、例えば、日本のアカデミズムで、中国人留学生や研究者が増えたために、反中の言論を展開しにくい雰囲気が出て来ていることを嘆く日本人学者がいました。中国の深慮遠謀を感じさせます。
 また、NYタイムズは、過去四ヶ月、中国の人民解放軍との関係が疑われるハッカー集団からサイバー攻撃を受けていたことを明らかにしました。温家宝首相の親族による蓄財疑惑を報じたことへの報復ではないかと疑われています。これに限らず、ハッカー攻撃のかなりの部分は中国発と言われており、アメリカは、陸・海・空、そして宇宙に次いで、サイバー空間を第五の戦場と定義したのは、記憶に新しいところです。ニューズウィーク日本版(2/12)は、「言論を封殺するために、過去の権力者は報道機関を閉鎖したり記者を殺したりした。そんな汚れ仕事に手を出す必要はもうない。もっと目につきにくくて効果的な選択肢ができたからだ。」と、サイバー攻撃が効果的であることを警告しています。
 そうは言っても、全て中国の思い通りになるわけではないのは当然のことです。中国が反日を煽りつつ対日外交圧力を強めるほど、日本では反中の空気が強まり、結果として対中投資が冷え込むなど、却って中国にマイナスの影響を与えかねないのは良い例です。2年前の尖閣問題で、中国が日本へのレアアース輸出を制限する暴挙に出たことを受けて、日本がレアアースに頼らない技術開発を進めて来た結果、世界最大の需要者である日本の需要が減退し、レアアース価格が暴落したため、中国のレアアース関連企業の倒産が報じられていました。中国は、露骨な敵対行為に対して手痛いしっぺ返しがあることを理解すべきでしょう。
 中国との外交関係は、中国の内政の延長であるがために時に想定を上回って過熱し、「戦争」に繋がりかねない様々なバリエーションある駆け引きで、気が休まらないだけでなく、全く油断ならないところが、実に悩ましい関係です。
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戦略的互恵関係の名のもとに

2013-02-09 15:10:36 | 時事放談
 今週は、大雪予報が肩すかしで小雪になっても首都圏の鉄道網はやはり混乱してしまうという珍現象があって、都知事は気象庁にかみついていましたが、それよりも、鉄道の運行は大変だろうことは想像されるとは言えJRの対応には疑問なしとはしませんでした。しかし、更にそれよりもPM2.5や射撃管制用レーダーなど、中国から飛んで来る物騒なもので騒然とさせられた一週間でした。今日は射撃管制用レーダー照射問題の方を取り上げます。
 ご存じの通り、沖縄県・尖閣諸島周辺の東シナ海を航行中の海上自衛隊・護衛艦「ゆうだち」が、中国海軍のフリゲート艦から射撃管制用レーダーの照射を受けた(ロック・オンされた)のは先月30日のことでした。小野寺防衛相が緊急記者会見を開いて公表した5日夜まで、随分時間がかかったのは「正確な分析」のためと説明され、分析にそんなに時間がかかるものなのかよく分かりませんが、どうやら民主党政権時代にも同様の事案があって、日中関係、所謂「戦略的互恵関係」に配慮して、穏便に済ませていたようであり、それらも踏まえてあらためて対応が協議されたのでしょう。中国との間の「戦略的互恵関係」について、あらためて考えさせられます。
 今回のレーダー照射問題で、おやっ?と驚かされたのは、海保の巡視船ではなく海自の艦艇だったことでした。産経の報道によると、中国が東シナ海で挑発行動を繰り返すのに対応し、尖閣周辺の領海内では海上保安庁の巡視船が配置され、領海内に侵入する中国公船を警戒していたのに加え、尖閣から約112~128キロ離れた公海上の海域では、中国海軍のジャンウェイ級やジャンカイ級のフリゲート艦など2隻が常時展開しているため、海上自衛隊の艦艇がマークするといった睨み合いが、昨年9月以来、常態化していたのだそうです。更に、1月14日、軍機関紙「解放軍報」が、総参謀部が全軍に対し「戦争の準備をせよ」と指示したと報じたこと、また同日、軍事科学学会副秘書長の羅援少将が国営中央テレビで、「日本が曳光弾を使用するならば、中国はさらに一歩進めてレーダー照射を行え」という趣旨の発言をしたことが、日本でも報じられましたが、2月7日付の中国の軍機関紙「解放軍報」によると、習近平・中央軍事委員会主席(党総書記)は、今月4日、甘粛省で蘭州軍区を視察した際に重要講話を行い、「軍事闘争への備えの拡充と深化に力を入れ、部隊の即応、即戦、必勝の態勢を確保しなければならない」と強調していたことも明らかになりました(産経)。
 今回の問題について、中国側の反応をあらためて時系列で追いかけてみます(産経新聞による)。

■日本政府は5日、在日中国大使館や中国の外務、国防両省に厳重抗議し、中国側は「事実関係を確認したい」と答えた。
中国の外務省や国防省は5日、正式な見解を発表しなかった。日本や米国の出方を見極めているとみられる。

■中国外務省の華春瑩報道官は6日の定例記者会見で、中国海軍のフリゲート艦による海上自衛隊の護衛艦に対する射撃管制用レーダー照射について繰り返しコメントを求められ、「報道を見てから関連の情報を知った。具体的な状況は理解していない。関係部署に聞くように」の一点張り。軍による挑発行動とはいえ、外交問題に発展する事案を中国外務省が知らなかった“失態”を突かれても、言葉を詰まらせながら、「そう理解してもらっていい」と回答を避けた。

■中国外務省の華春瑩報道官は7日の定例記者会見で、レーダー照射について「日本が危機をあおり、緊張をつくりだし、中国のイメージをおとしめようとしている」と反論、日本側に事態悪化の責任をかぶせた。レーダー照射に関しては「真剣に調査している」とだけ述べた。

■中国国防省の報道担当者は7日、香港のフェニックステレビに対し、日中間の緊張が高まっている根本的な原因は「日本の艦船と航空機が至近距離で中国側の艦船を追跡、監視していることにある」と強調し、中国海軍艦船が海自艦に射撃管制用レーダーを照射したとする日本側の説明は「事実に合致しない」と否定した。国防省はレーダー照射に関し公式にコメントしていない。
中国側には「(照射の)事実関係をめぐって争えば、日本の術中にはまる」(中国政府関係者)との懸念があり、外務省会見では事実関係について調査中として回答を避けた。

■国防省は8日、「使用したのは通常の警戒管制レーダーで射撃管制用ではない」と否定した。さらに日中間の緊張が高まっている根本的な原因は「日本の艦船と航空機が至近距離で中国側の艦船を追跡、監視していることにある」と強調し、日本に責任を押しつけた

 他方、報道はどうなっているかと言いますと、

★6日付の中国各紙の多くは、日本メディアの報道を引用して事実を伝えるに留めた。専門家は環球時報に対し、「軍事的見地からいえば、照準を合わせた後はすぐに発射できる。しかし、現在の中日関係の情勢からは一触即発の状況には至っていない」と述べている。威嚇をエスカレートさせている中国側も、武力衝突は避けたいというのが、本音とみえる。

★7日付の共産党機関紙、人民日報系の環球時報は社説で「日本側が説明する詳細な状況の真実性と、今回の世論戦を仕掛けた魂胆には疑問符を付けざるを得ない」と主張し、照射の公表は国際社会で日本の立場を有利にするための世論戦との認識を示した。その上で「(レーダー照射の)ニュースは中国社会で驚きはない。中国の民衆は東シナ海での緊張に慣れており、中日間で『1発目が発せられる』ことに覚悟はできている」と強調した。
 また同日付の中国紙、新京報は中国人学者の寄稿を掲載。今月下旬に予定されている安倍晋三首相の訪米を控え、日本側は今回の事件で「中国脅威論」を宣伝し、米国から平和憲法改正の支持を取り付けようとしていると分析。レーダー照射の公表は「安倍内閣による苦心惨憺の末の策だ」と指摘した。

 なんともやり切れない反応です。これが物騒で厄介な隣人(しかも日本は引っ越して離れるわけには行かない)中国と、近所づき合いせざるを得ないために名づけた「戦略的互恵関係」の実態です。一般国民レベルで(ネット右翼のネチズンを除いて)どこまで(なんとなく報道されているように)真に反日かというと、私の限られた経験からは若干疑問ではありますが、共産党一党独裁の中国という国家としては、相も変わらず煮ても焼いても食えない手合いです。
 どうやら当初、中国・外交部は本件を知らされていないようでした。中国・外交部と言えば、対北朝鮮外交など、中国の外交の全てを担当しているわけではなく、時に党中央の外交や軍の外交が外交部の頭越しに行われることがあるそうですから、さもありなん、といったところでしょう。また政権トップについても、習近平氏は、昨年11月に党中央トップとして総書記職と軍事中央委員会主席職を引き継いだだけで、国家の政権を正式に引き継ぐのは3月の全国人民代表大会を待たねばならず、それまでは、胡錦濤、温家宝の両氏が「ロスタイム消化」(福島香織さんの表現)の状態なわけです。ただでさえ人民解放軍という、タテマエでは国軍ではなく共産党の軍事部門いわば私兵という位置づけにあって、政府や外交部が承知していなかったとしてもやむを得ないのでしょう。実際のところはどうなのか。政府として容認したとすれば、かりそめにも「一歩間違うと大変危険な状況に陥る」(小野寺防衛相)、つまり事実上の攻撃予告に手をかけたことになるという意味で、国連安保理常任理事国ともあろうものが「武力による威嚇や行使をいかなる国の領土保全に対しても慎まなければならない」と定める国連憲章2条4項に抵触しかねず、大いに問題ですし、実は知らなかったと言えば軍に対する文民統制が欠如していることを認めることになり、これも問題なわけで、結局、事実を否定し、日本が危機を煽っていると、筋違いの論を展開するしかなかった、イビツな内部事情が垣間見えます。
 問題は、中国の狙いです。尖閣諸島を巡っては、もはや単なる国際法上の領土問題ではなく、中国の航空機による初めての領空侵犯が「南京大虐殺記念日」の行事が行われる昨年12月13日午前11時(現地時間10時)を狙ったかのように実行されたことに見られるように、南京事件(中国に言わせれば南京大虐殺)とリンクする「民族の屈辱の問題」ひいては「政治問題」に位置付けようとしていることは明らかであり、「威嚇」の範囲を拡げこそすれ狭めることはないだろうと、遠藤誉さんはあるコラムで述べておられました。ナショナリズムを煽り、内政への不満を外へ逸らし、あるいはガス抜きをし、国としての求心力を高めることは、どこの国でも昔から行われてきた常套手段ですが、同時にそれを対日外交圧力にも利用し、尖閣問題で譲歩を迫ろうとしているのは、毎度のことですが、間違いありません。人民解放軍の実力を考えれば、今のところは軍事衝突を避けたい(遠藤誉さんは、万一にも戦争などになったら、一人っ子の命を奪うことになり、その親たちが許しはしないだろう、そうすると統治の正当性を逆に失うから、如何に挑発しようと戦争に持っていくことは考えにくい、とユニークな視点から述べておられます)中国としては、政権の正当性が常に挑戦に晒され、その挑戦に対抗し正当性を担保するべく他国を挑発し続けるという点で、驚くほど北朝鮮に似ています(北朝鮮が中国に倣っていると言うべきでしょう、それは韓国も同じです)。そして度重なる挑発によって凌ごうとしているということは、中国の内政問題がのっぴきならなくなりつつある証拠であり、こうした挑発行動によって、他国(また国際社会)からは益々厳しい目で見られ、自らの立場を掘り崩していくという悪循環に陥っています。日本としては、この極めて危険なゲームに迂闊に乗ることなく、他方で中国の面子をあからさまに傷つけることもなく、常にアメリカや国際社会を味方につけながら、中国がまともな国に転換する時まで、この情報心理戦とも言うべき状況をうまくやり過ごすしかなさそうです。そのためには、能あるタカとして爪を研ぎつつそれを隠すこと、同時に相手にそれなりに理解させることが肝要です。
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東京マラソンへの道(6)

2013-02-05 00:19:26 | スポーツ・芸能好き
 東京マラソンまで余すところ三週間になりました。
 前回のブログでは、もはや自分はかつての若い自分ではない、50歳なりの時間感覚(つまり若い時の2~3倍余計な時間)が必要であり、脚力(つまりアウターマッスル)や心肺機能だけでなく、インナーマッスル更には肝臓などの内臓機能に至るまで、身体の全ての機能をマラソンに適応させる必要があることを戒めました・・・などとまるで悟ったような言い方ですが、要は、なかなか体質改善・肉体改造が進まないオジサン・ランナーの苛立ち、むしろ泣き言を吐露したものでした。
 それでも、週末ジョギングの距離を10キロに延ばしてかれこれ4ヶ月(途中一ヶ月ほど中断しましたが、ここ一ヶ月は毎週17キロ)、健康診断の数値に僅かながら良い兆候が表れ始めました。体重は4キロ強減り、体脂肪率は5%ポイント改善し、肉体年齢は6歳若返りました(肉体年齢が何を以て測るのか、いまだによく理解できていませんが)。家庭用ヘルスメーターについている機能ですから、絶対値のレベルが正しいかどうかは大いに疑問ですが、たとえ家庭用の放射能検知器でも定点観測して数値の変化を捉えることには役立つと、福島原発を実況検分されている大学教授が言われていましたので、多少なりとも変化が起きていることは事実だろうと思います。これは、自慢と言うより、ちょっとでも無理をした当然の結果であり、それでもまだまだ生温いという意味では、それまでの自分が如何に怠けていたか、不摂生を続けて来たかの証左でもあります。
 今回のマラソンへのチャレンジは、まさにアンチエイジングのチャレンジでもありました。今の自分に、どこまで出来るのか? 結果、50歳という年齢の壁にぶつかりましたが、少しずつですが乗り越えつつある手応えを感じています。
 こうして縷々述べて来て、あらためて感じるのは、42キロを2時間そこそこで走るのと、その倍以上の時間をかけるのとでは、「走りのレベルが全く違う」ということです。そんなの当たり前ではないか・・・まさにその通りで、要は鍛え方のポイントが違ってくるということです。高校生の頃にひたすら走っていた時には、如何に心肺能力を鍛え上げ、如何に疲労が溜まりにくい身体にするかが課題でした。そのためには、一日たりとも休むことは許されないほど緊張感を強いられたものでした。競技者として走るという意味では、別府大分マラソンで優勝した川内選手などの一流選手にも通じる感覚なのではないかと思います。ところが市民マラソン・ランナーは、そんなぎりぎりのところで鍛え上げるのではなく、もっとベーシックな、格段にスピードは落ちても長時間一定スピードで走り続けることが重要であり、そのためには、気長に基礎体力をつくることに加え、実際のレースでガス欠が起きないように、タイムリーに栄養補給することがポイントになります。この週末、24キロ走にチャレンジして、2時間を過ぎたあたりでガクッとペースが落ちたのは、エネルギーが枯渇してしまったからでしょう。その一歩手前で、上手にエネルギー補給してやる必要があるわけです。お気楽と言えばこの上なくお気楽ではあります。気長に。

(参考)過去ブログ
  東京マラソンへの道(5) http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20130114
  東京マラソンへの道(4) http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20130113
  東京マラソンへの道(3) http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20121227
  東京マラソンへの道(2) http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20121026
  東京マラソンへの道(1) http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20120928
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体罰のこと

2013-02-02 02:26:32 | 時事放談
 大阪市立桜宮高校で、バスケットボール部の顧問から暴力を受けた2年生の男子生徒が自殺した痛ましい事件は、田中真紀子さんを思わせるような橋下市長のお騒がせなオマケがつきましたが(念のため申し添えますと、同校の入試中止にまで及ぶのは、いくら自殺者が出たとはいえ、行き過ぎです、しかも市長が首を突っ込む話ではありません、現・校長の責任を問うて、新しい校長に任せるべき問題です・・・教育行政のことはわからない、一企業人の発想ですが)、女子柔道の園田監督から暴力やパワーハラスメントを受けていた国内トップ選手15人が内部告発した問題が出るに及んで、益々、「体罰」問題として議論を呼んでいます。
 このブログのタイトルもマスコミ報道に倣って「体罰」という言葉を付しましたが、実のところ、桜宮高校の問題は、女子柔道と同じで「体罰」の問題ではなく、件の高校生の品行方正と件の顧問の悪しき所業を聞けば、単に「暴力」問題もしくは「パワーハラスメント」問題として認識すべきものであり、「教育に体罰は許されるべきか否か」といった命題を立てる以前に、違法行為を問うべきものです。以前、中国の反日デモに日本中が揺れた時に、ブログに書いたことがあったように、あれは反日「デモ」と呼ぶべきではなく、反日「暴動」または「テロ」と名付けるべき違法行為のはずでした。たかが言葉と言えども正確に使用しなければ、情勢判断を誤りかねません。
 では「体罰」問題は、どう捉えるべきか。私は専門家じゃありませんし、自らの経験として「体罰」らしい「体罰」に縁がなかったものですから、観念的にしか捉えることが出来ません。が、元・巨人軍の桑田真澄さんが言われた通り、スポーツに「体罰」は“基本的に”必要ないと思います。私のようなオッサン世代はともかく、もはやそういう時代ではないでしょう。また教育に「体罰」は・・・やはり“原則として”必要ないと思います。ただ、あらためて全否定することもないのではないかとも思います。原発ゼロと同じで、全否定して世の中が全て上手く行くと思うほど、私はナイーブではありませんし、実際問題として、全否定することによって、主役たるべき教育者の手足を縛り、教育現場での打ち手の柔軟性を奪うとしたら、そのマイナスのインパクトの方が罪深いことです。“基本的に”禁止または“原則として”禁止しつつ、飽くまで是々非々で、個別に対応すべきという気はします。
 そうしてようやく最大の課題として、「体罰」と「暴力」の境界をどう監視していくかと言う難題に行きつきます。
 私は、短いながらも海外駐在したとき、子供の学校には機会があるごとに必ず都合をつけて顔を出すようにしていました。家内が英語が苦手だったという事情もありますが、教師に対して、現地の子供たちに対しては明らかに弱い立場にあるであろう我が子の教育をしっかりサポートする親であることを、印象付けるためです。そうすれば、少なくとも、私は欧米的な義侠心は信じていましたから、教師も人の子、我が子が困ったときには助けてくれるに違いないと、そう信じていました。そういう中で、親として何が出来るかを常に考え、教師と相談し、結果として、教師がニッポン人という異人を受け入れて、クラス運営をスムーズに行う作業を、親の立場でサポートするという運命共同体を作りあげようとしたのです(なんて言うと大袈裟ですね)。
 これは極端な例ですが、日本の教育シーンに横たわる問題の一つは、親の不在ではないかと思っています。教育行政に期待し過ぎるのではなく、教師や校長に任せ切るのではなく、教育を親が見守る、場合によっては乗り込んでいく、教師を信頼しつつ、親としてどんなサポートが出来るか考える、そういう姿勢が、教師との間に信頼関係を築き、「いじめ」や「体罰」の問題を少しでも和らげる(完全に防ぐことは難しいと思いますが)ことに繋がるのではないかという気がしています。もし、我が子が「体罰」ならぬ「暴力」を受けていることを知ったら、助けない親はあり得ない。教師は「聖職」だと、私は真剣に思っていますが、それでは学校は親が手出し出来ない「聖域」かというと、そんなこともあり得ない。そのあたりの意識がどうも日本には弱いような気がします。こんなこと言うと、モンスター・ペアレントと紙一重!?でしょうか。
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