風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

大相撲

2009-11-29 23:33:28 | スポーツ・芸能好き
 昨日、横綱・白鵬は、彼自身が尊敬する名横綱・双葉山に並ぶ12度目の優勝を、年間最多勝を更新する85勝目で飾ったのに続き、今日の千秋楽では、朝青龍を下して年間最多勝記録を86勝まで伸ばしました。年間6場所90番で86勝というのは驚異的なハイスコアで、一年を通して心技体ともに高いレベルを維持したのは立派です。モンゴルでは、朝青龍のような鼻っ柱の強い気迫を漲らせたタイプが好まれるのに対し、白鵬はどちらかと言うと寡黙で闘志を内に秘めた日本人好みの横綱に成長し、今の相撲界に安心感を与えてくれています。そこで際立つのは、日本人力士の不甲斐無さでした。
 私も小・中学生の頃は大阪場所に足を運ぶほどの相撲好きで、長く相撲界を見てきた中で、単純比較は難しいのですが、敢えて、1970年代後半に活躍した北の湖の年間82勝(1978年)と比べると、今の86勝は、数字は上回っていても迫力に欠けるように思えて仕方ありません。北の湖の記録がその後27年間破られなかったほどの大記録だったのは、当時は輪湖時代と呼ばれて双璧をなした横綱・輪島のほか、早晩、横綱になる若乃花(若三杉)や三重の海、更に万年大関ながらも土俵上を綱渡りするかのような粘り腰で人気を博した貴ノ花(初代)がいた中での記録だったからです。千代の富士や貴乃花(花田光司)は80勝、大鵬ですら81勝、それに引き換え昨今は、朝青龍(2005年に84勝)に続き、白鵬の86勝といった具合いです。
 朝青龍と白鵬の両横綱が突出して久しい。朝青龍が横綱になった2003年3月は、最後の日本人横綱・若乃花が引退した翌場所という、まさにモンゴルはじめ外国勢が大相撲界を席捲することになる、今となっては象徴的な場所でした。それ以降、今場所までの41場所中、朝青龍と白鵬以外の力士が優勝したのは7場所しかありません。これもひとえに彼らを脅かすべき大関陣以下が不甲斐無いから、とりわけ日本人力士の力不足が原因でしょう(栃東が優勝した2006年1月以降4年近く日本人力士の優勝がありません)。実際に今場所の横綱を含む幕内力士42人の国籍を調べてみると、日本人力士26人に対して、モンゴル人力士10人を含め外国人力士は16人に達します。日本人以上に外国人の実力が秀でているのでしょうか。それとも日本人の実力が単に落ちただけでそこを外国人が補っているだけなのでしょうか。
 戦後力士の出身都道府県は、人口比で見ると、上位6位までの青森、秋田、鹿児島、佐賀、北海道、長崎の六道県が全体の三分の一を占めます。かつては(北の湖の頃まで)、中学校に通いながら土俵に上がる力士は少なくなく(その後、中学生の力士採用は禁止)、どちらかと言うと兄弟が多い北海道・東北・九州などの地方出身の子供というのが相場でした。そういう意味でも、一人っ子が増えた現代は、強い力士を生む原動力となるハングリーさが失われた時代と言えるのかも知れません。しかしハングリーさは心の持ちようの問題です。日本水泳界や体操界の復活に見られるように、体系的に特訓すれば世界に伍し得ることは証明されました。外国人力士が活躍すること自体は構いませんが、大相撲は伝統芸能である以上、目ぼしい日本人力士がいなくなってウィンブルドン現象を見るのは忍びない。なんとか食い止めることが出来るでしょうか。
 上の写真は、バリ島の伝統芸能レゴン・ダンス。外国人が演じていたら、やはりちょっと興ざめですね。
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お辞儀

2009-11-26 01:04:11 | 時事放談
 週末の朝は一週間のニュースを振り返る解説番組が目白押しで、各局、ユニークなコメンテイターを出演させて特色を出すのに躍起のようです。私も、新聞(しかも経済紙)ではどうしても取りこぼしがあるので、実は、毎週末、楽しみにしています。なんだか一億総評論家の如く、好き勝手言っているのが可笑しくもあり、また必ずしも専門家ではない人までもが専門家面して語るのがちょっと奇妙な光景でもあります。
 さて先週末、一番印象に残ったニュースは、オバマ大統領が来日した際に天皇・皇后両陛下に深々とお辞儀した姿勢が米国で物議を醸していることでした。オバマ大統領にとって、4月にロンドンで開催された主要20ヶ国・地域(G20)首脳会議でサウジアラビアのアブドラ・ビン・アブドルアジズ国王にお辞儀をしたことに続いて、二度目の“事件”です。確かに握手する欧米文化では相手の目を見るのが礼儀であって、逆に握手の時にアイコンタクトを避けるのは失礼にあたり、深々とお辞儀すること自体が異例で、頭を下げることは文字通り低姿勢と受け止められて異様に映るのは事実で、元首同士の間で外交儀典上不適切であるという批判は分からなくもありませんが、卑屈でアメリカを貶めるものという非難まで出るに至ると、やや過剰反応ではないかと思ってしまいます。郷に入っては郷に従え。もとより私たち日本人には違和感はありませんし、礼節を知る態度として好ましく映りました(強いて言えば、背が高いオバマ大統領が窮屈そうには見えましたが)。
 たまたま今、「ペリー提督日本遠征日記」なるものを読んでいて、当時のアメリカ人が当時の日本ならびに日本人をどう見ていたかに注目しているのですが、歴史の授業で砲艦外交だとか恫喝外交と総括されていたのは、やや表面的に過ぎるのかも知れず、むしろ、よく知らない相手に対して毅然とした態度を取ろうとする余り、自分たちのルールに固執しそれを押し付けようとしたキライがあるといった程度ではなかったかと思います。勿論、キリスト教によって教化されていない日本を未開の地と見なす差別意識が根底にあったことは間違いありませんが、日本のことを侮れない相手と見ていたこともまた厳然たる事実のようであり、蒸気船という技術力で圧倒的優位にあったほど、心理的に差があったかとなると、やや疑問のように感じました。当時、アメリカは若かったし、日本も若かった。
 そうは言っても、150年を経た今も、アメリカ人は変わらないものだとも思います。いつ如何なる時も、自分たちこそ世界標準であり、そのやり方やルールを押し付けようとするのは、ヨーロッパの派生文化、周辺文化としての生い立ちが影響しているのかもしれません。圧倒的に力の差があって優位にある時には、もっと余裕のある態度を取るのかも知れませんが、そうではない時こそ、やや空威張りしてしまう。逆に言うと、今回のオバマ大統領のお辞儀に対するアメリカ国民(特に保守派)の狭量な反応は、この程度のことにと言ってしまえばそれまでですが、まさにアメリカが、今、自信喪失している証拠ではないかと思いました。
 日米関係は、鳩山さんや民主党だからというばかりでなく、難しい微妙な時代を迎えていると言えるかも知れません。
 上の写真は、ご存知オーストラリア・シドニー。アメリカと並ぶ典型的な移民社会です。これから国としてどんな展開を見せるのか興味深い。
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資源

2009-11-23 23:27:10 | 時事放談
 昨日、リチウムのことを書きながら、ちょっとだけ気になったことがありました。海水にはリチウムがほとんど無尽蔵だという話を引用しましたが、もしこのリチウムを海水から採取するようになると、海水の組成が微妙に変わり、海中に住む生物に微妙な影響を与えるのではないか。
 ご存知の通り、地球という閉じた生態系の中で、元素は不変で、形を変えながら循環しています。中学時代の理科の授業で習ったように、科学反応式の左右で(化学変化の前後で)元素が変わるわけではなく、原始や分子の数も等しい。紙を燃やすといった行為により、モノが目の前から消えたように見えても、原子レベルで見れば消えてなくなるわけではなく、くっついたり離れたりしながら別の物資に形を変えているだけです。
 身近な例では、地中に固定化されていた化石燃料を採掘し燃やすという化学変化によって空気中に放出する結果、二酸化炭素量が増大して大気の組成が変わり大騒ぎしているわけです。海水については、人類はこれまでも食塩などを取り出して利用して来ましたが、食品として消化する行為に限ると、排泄したり死して自然に還るという形で、長い目で見て循環していたと言えます。しかし今後は海中から採り出した物質(例えばリチウム)を、化石燃料の逆に、地上で固定化するとすれば、海水の組成を変えることになります(既に海洋資源の中にはそういう事例があるのかも知れませんが)。
 同じ観点から気になるのは、月や火星から鉱物資源を地球に持ち込むプロジェクトです。これは、元素不変の法則そのものへの挑戦であって、もはや地球は閉じた生態系とは言えなくなります。人口が増大し、地球環境に影響を与えるほどに人間の行動が拡大しているとは言え、地球は大きい。杞憂、ただの戯言に終わることを祈ります。
 上の写真は、一見ペンギンに似ていますが、哺乳類でありながら卵を産む珍種として知られるカモノハシ。この動物の標本が初めてヨーロッパに紹介された時には、複数の動物を組み合わせて作られた偽造標本だと疑われたほどです。こうした生物の神秘を守りたいものです。オーストラリアNo.1の水族館と言われるシドニー水族館にて。
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ボリビア

2009-11-22 22:42:43 | 時事放談
 かれこれ二週間ほど前になりますが、南米・ボリビアにある世界最大の塩の湖・ウユニ塩湖に、レア・メタルであるリチウムが未開のまま大量に眠っているので注目を集めているという記事が出ていました。リチウムはご存知の通り、パソコンや電気自動車に使われる蓄電池(リチウム・イオン電池)の原料で、埋蔵量が少なく偏在している(特に南米に多い)ことから、石油以上に制約資源となる可能性があると言われています。ボリビアには世界の埋蔵量の約半分に相当する推定540万トンがあると言うので、日・中・韓・欧州のみならず、隣国ブラジルからも秋波を送られているのだそうです。ちょっと興味をもってボリビアについて調べてみました。
 ボリビアの面積は日本の約3倍ですが、国土の三分の一近くをアンデス山脈が占める“高原の国”として知られ、国内の主要都市の半分近くが標高2千~4千mに位置し、人口は1000万人にも満たない小国で、一人当たりGDPは4330ドル(2008年)と日本のほぼ十分の一に過ぎません。かつて、ティティカカ湖周辺では約3千年前にティワナク文化や古代文化(プレ・インカ文化)を生みだしましたが、10世紀頃、ペルーのクスコを中心に勢力を広げてきたインカ族に侵入されてインカ帝国の一部となり、ペルーと同じ文化圏を形成して来ました。インカ帝国末期の16世紀にはフランシスコ・ピサロ率いるスペイン軍に征服され、1824年、アンデス諸国を独立に導いたシモン・ボリーバルの援助を受けたスクレ将軍の指導のもとで独立するまで、スペインの植民地となりました。
 16世紀半ばには、ボリビアの首都ラパスから南東に約440km に位置する、人が住む都市としては世界最高地点(標高4000m)のポトシで、世界最大の銀鉱が発見され、労働力としてアフリカ人奴隷も連れて来られて、人口は当時のロンドンを凌ぎ20万人を越えるほどに栄えましたが、19世紀には銀はすっかり枯渇し、19世紀末からは大量の錫が採掘されるようになりましたが、それも現在ではほぼ枯渇し、その間、資本が乏しいため、資源の利権を巡って外国資本と結びやすく、クーデターなど国内対立が続く政情不安な国で、貧困にあえいだ苦い歴史を背負っています。そのため、今年1月に採択された憲法改正では、天然資源を国家所有に決め、ボリビア政府には抽出する技術も資本もないリチウムについても「ボリビア固有の宝」として採掘権を他国に渡さず、資金と技術だけを引き出すという、資源ナショナリズム色の強い政策を展開しているそうです。
 ボリビアと言えば、私にとっては2つのことで忘れられない国、貧しいながらもロマンティシズムを掻き立てられる国です。
 一つはアメリカ映画「明日に向かって撃て!」(1969年)で、主人公の銀行強盗ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドがアメリカの西部を追われて逃亡した先がボリビアでした。「雨に唄えば」の哀愁を誘うテーマ曲と、今度はオーストラリアに行こうと約束した後、保安官に包囲される中を飛び出して無数の銃声が鳴り響くストップ・モーションのラスト・シーンが、忘れられません。
 もう一つは、1967年10月8日、ウルグアイ人のビジネスマンとしてボリビアに潜入しボリビア民族解放軍を設立してゲリラ戦を闘っていた、アルゼンチン生まれでキューバ革命の指導者の一人、チェ・ゲバラが、ボリビア軍により捕縛されたのが、サンタクルス市から南西に150kmほど離れた小さな村イゲラの傍のチュロ渓谷だったと言われています。翌日には殺害され、南米に社会主義革命を起こす彼の夢は敗れ去りました。私は社会主義とは相容れませんが、彼の民族主義的心情には共鳴します。
 ボリビアは、農業(大豆、砂糖等)や鉱業産品(亜鉛、錫、天然ガス等)を中心とする一次産品への依存度が高く、総輸出の8割を占め、2006年1月に大統領に就任したモラレス政権下では、資源価格上昇を背景に、安定した経済成長、外貨準備高増大、財政黒字化等の成果があがりましたが、2007年以降は、食料品価格の高騰によりインフレ率が上昇するなど、相変わらず国際価格の影響を受けやすい経済構造にあります。かつて「黄金の玉座に座る乞食」と形容された姿そのままに、豊かな天然資源を持つにも関わらず南米で最貧国を脱することができないところは今もなお変わりません。
 リチウムの話に戻ると、海水中には2300億トンものリチウムが溶けていると言われており、採集がコスト的に引き合うようになれば、ボリビアはひとたまりもありません。資源大国であるがゆえに先進国に翻弄されて来たとも言えるボリビアは、経済的に自立することがあるのでしょうか。こうしてボリビアの歴史を垣間見ると、日本に資源がないことが必ずしも不幸とは言えないと思えるから不思議です。
 上の写真はご存知シンガポールのマーライオン。人を資源として成長を続けるシンガポールに学ぶところがあるかも知れません(更に言うと、シンガポールのコンサルタントだった大前さんに学ぶところもある?)。
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戦費

2009-11-22 01:17:31 | 時事放談
 昨日のブログに登場した人から聞いた話で、もう一つ、印象に残ったのは、戦費についてでした。2001年9月以降、イラクやアフガニスタンで展開した対テロ戦争の軍事作戦費用は、この9月までに8950億ドルに達することが、米国議会調査局から公表されていました。公開されていない戦費も含めると約3兆ドルという試算もあります(ジョゼフ・スティグリッツ氏の著作)。この3兆ドルのインパクトは、過去の戦費と比較すると分かります。2008年の物価水準で換算すると、泥沼化したベトナム戦争ですら6860億ドル(当時1110億ドル)で一桁違います。史上最高は第二次世界大戦の4兆1140億ドル(当時2960億ドル)で、それに迫る勢いです。その人が言うには、第二次世界大戦当時と違って、今の対テロ戦争にはほとんど見返りがありませんし、リーマンショックによる金融危機に見舞われているアメリカのベースには、こうした出費による財政の疲弊があるのだと言うわけです。
 もっとも、戦士派遣業も含めて戦争で潤う産業もあるわけで、戦費がそのままアメリカ経済にマイナスになるわけではないでしょうし、第二次世界大戦との比較と言っても、当時の国家経済の規模と今とでは比べるべくもありません。実際にインターネットで調べてみると、国内総生産(GDP)比で、第二次世界大戦の戦費は36%、朝鮮戦争では14%、ベトナム戦争に至っては2.3%に過ぎず、イラク戦費はせいぜい1%なのだそうです。アメリカの軍事総支出はGDP比4%ですから、その中の1%は大きいと言えば大きいには違いありませんが。
 アメリカがこうした負担を強いられているのを、アメリカの自由と民主主義についての普遍主義、つまり勝手だと批判するのはたやすいことです。そして日本は、インド洋での給油活動を止め、民生支援に切り替えます。アメリカ人の目にどう映っていることでしょうか。
(参考)歴代戦費(2008年の物価換算)
1位 第二次世界大戦  4兆1140億ドル(当時の金額で2960億ドル)
2位 イラク・アフガニスタン  8590億ドル
3位 ベトナム戦争  6860億ドル(当時の金額で1110億ドル)
4位 朝鮮戦争  3200億ドル(当時の金額で300億ドル)
5位 第一次世界大戦  2530億ドル(当時の金額で200億ドル)
 上の写真は、第二次世界大戦末期に開発され、1951年オーストラリア陸軍に引き渡され、ベトナム戦争で活躍したCenturion Tank。キャンベラの戦争記念館で。
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総理大臣官邸

2009-11-21 02:33:58 | 時事放談
 ある防衛省(旧防衛庁)筋の人から聞いた話によると、小泉さんの時代に改築された今の総理大臣官邸には800億円近い血税が投じられたのだそうです。別にこれは丸秘でも何でもなくて、Wikipediaには700億円と書いてあります。この金額は、官邸改築の10年位前に建てられた私の会社の本社ビルが900億円と言われていたのにほぼ匹敵します。この本社ビルは、40階を越える高層で7000人を収容するインテリジェント・ビルでした。それに引き換え首相官邸は僅かに地上5階地下1階、見た目はみすぼらしい建物ですが、その地上階は簡単に吹き飛ばされても、地下の構造は頑丈そのものらしい。恐らく核シエルターになっているのでしょう。そしてハードだけではなくソフトにも相当金をかけているそうで、地下室にはモニター画面だけで200台以上もあり、官邸危機管理センターと呼ばれるだけのことはありそうです。有事の際には日本国の総司令室になる代物だけに、かけたお金にケチをつけるのは野暮と言うものでしょう。税金を支払った国民の一人として思うことは、新しい住人のもとで、宝の持ち腐れになっていないかということです。
 中曽根さんの頃から20年近くかけて内閣府を強化し、総理大臣官邸を堅牢にし、更に首相の権限も強化すべきところ、鳩山さんはどうも関心がないらしい。民主党の持論である、ハード(箱モノ)ではなくソフトと言いながら、総理大臣官邸については、ハードのまま、運用には手をつけないということでしょうか。
 最近、各閣僚との意識のズレが目立つ鳩山さんですが、一番の問題はsense of urgency、普天間基地を巡るオバマさんとの意識のズレではないでしょうか。
 上の写真は、オーストラリア・ウルル(エアーズ・ロック)。ところどころにシェルターのように厳しい太陽光から守ってくれる岩陰があり、出産のためあるいは聖なる儀式の場所のため写真撮影禁止だったりします。この写真は勿論写真撮影禁止ではありません。

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命名

2009-11-19 23:18:38 | 日々の生活
 生まれてくる子供の命名は、親それぞれに思い入れがあることでしょう。私も、随分昔の話になってしまいますが、子供の命名の時には、自分以外の人の運命を決めることの重大さに打ち震えたものでした。運命と言ってしまうと大袈裟で、親らしいことをする初めての儀式に過ぎないのかも知れません。しかし、せめて字画は命名の本を読み込んで完璧な字画にし(本によっては良い字画の解釈が違うので当惑しますが)、選んだ漢字も漢和辞典で意味を再確認してまで完璧を期そうと、健気に頑張ったものでした(最初の子はボストンで生まれたので、わざわざ日本の書籍を扱うダウンタウンの本屋でプレミアム価格を支払って漢和辞典を買い求めました。Amazon.comがない時代の話です)。
 実際、人生における重大な決定と言えば、先ずは学校を決めることや、働く会社を決めることが浮かびますが、これらは所詮は自分のことに過ぎません。結婚も、合意のもとで、という意味では、半分の責任は感じますが、所詮は自分のことです。子供を産むことですら、親はなくても子は育つと言うくらいですから、出産の時点では、喜びに満ち溢れて深刻さには思い至りません。それらに引き換え、子供の命名は、その子に一生ついて回る問題で、親の一存で決められるほど簡単なことながら責任の重大さを思い知らされます。昔、悪魔ちゃんという名前をつけようとした親がいたと記憶しますが、親の良識としてはとても考えられません。
 なぜ、突然こんな話をするのかと言うと、命名にまつわる出来事を思い出すキッカケとなる事件がつい最近あったからでした。
 これから受験シーズンで、お子さんが大変なのは当事者として仕方ないとして、それを見守るだけの親御さんも気を揉むだけで心中察するに余りあります。私も中学三年生の男の子を抱え、小5から中三の6月まで海外暮らしで、近隣の高校の事情はおろか、厳しい日本の受験制度自体をも理解しないのは止むを得ないと頭では理解しつつ、緊迫感がない様を見ていると、はらはらして見ていられないというのが正直な気持ちです。怒ってはいけないと分かっていても、つい余計な一言を発してしまいます。そうは言っても、結局、この受験戦争を正面突破しようとしても勝ち目はありませんから、帰国子女枠で受験するしかなく、マメにいくつか学校説明会に足を運び、願書を入手して、調べ始めたところ、学校によっては、海外に滞在していたことを派遣元の企業が証明することを要求するケースがあることが判りました。そこで会社の人事に頼んで証明書を発行してもらったところ、子供の名前に旧字体が使われたままだったことが判明し、愕然としたのでした。
 子供が生まれた当時はボストンに駐在しており、時間をかけて自信をもって命名した結果を在ボストン日本総領事館に届け出たところ、一週間ほどして、使用した旧字体が命名用漢字にないと言う理由で却下されてしまいました。早速、領事館に電話して、文化としての日本語を法律で規制するのは怪しからんではないかと食って掛かったのですが(勿論、私も法学部(あ法学部ですが)出身なので、事情は分からなくはありません)、その担当者から、悪法も法なりと居直られると、腹が立って仕方ない。だからと言って相手は小役人で、怒ったところで詮無いことですし、日本語そのものが気の毒だと、複雑な思いに囚われたものでした。結果として、旧字体を諦めて新字体に変更して届出を完了したのですが、会社への届出の修正を怠っていたのでした。入学願書で要求される資料の間で、名前の字体ですら統一されていないのは、後々、問題となる可能性があります。
 日本語には、こんなドラマを生むほどの魅力(魔力?)があります。
 上の写真は、ペナンのジョージタウンにあるインド料理店の看板です。英語の住所表示の上に、マレー語とヒンディー語の店名、右に中国語の店名が見えます。言葉はしぶとく行き続けています。
(後記)その後の法改正により、私が使って却下された旧字体は、今では氏名用漢字として通用するようになったそうです。今更、家裁に申請するのは面倒ですが、日本の役所の、なんともお粗末な対応です。
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友愛

2009-11-18 00:50:10 | 時事放談
 昨日、鳩山さんの「友愛」に触れたので、ついでにもう少し感じるところを書きます。昨日は憎まれ口を叩きましたが、言い直します。理念としては結構ですが、「友愛」そのままに無防備に「友愛」を目指すのではなく、その理念を実現するためには、現実的でしたたかな実行戦略があって然るべきでしょう。
 その「友愛」が導く国家目標の一つとして、鳩山さんは、Voice9月号に特別投稿した論文「私の政治哲学」の中で、「東アジア共同体」構想を唱えました。この論文は、通しで読むとそれほどの違和感はありませんが、英訳されて、ある意図を以って抜粋され、「A New Path for Japan」とタイトルされてNew York Timesに掲載されると、「日本は米主導の市場原理主義、グローバリゼーションに晒され、人間の尊厳が失われている」「イラク戦争の失敗と経済危機でグローバリズムの時代は終わりに近づき、多極化の時代に向かっている」などと、センセーショナルな箇所ばかりが強調され、東アジア地域での通貨統合や恒久的な安全保障の枠組み構築がアメリカ外しを意図しているのではないかと、アメリカの猜疑心を煽り、アメリカ政府筋から猛反発を食らうことになったのはご存知の通りです。鳩山さんに悪意はなかったとは言え、脇が甘かったと言わざるを得ません。
 まだ外交・安全保障政策が公式に表明されていない発足当初の鳩山・民主党政権への強烈な牽制球だったわけですが、アメリカは、この心理戦に勝利し、先週のオバマ大統領訪日の際、東アジア共同体構想にアメリカの関与は不可欠だとの鳩山さんの言質を引き出すことに成功しました。アメリカがアジア・パシフィック国家であることは認めてもいいですが、東アジアと呼ぶには無理があります。しかし、アメリカ大陸東海岸に漂着した移民が、西へ西へとフロンティアを広げて西海岸にまで到達し、更に太平洋を越えて中国大陸に渡って、戦争を冒してまで日本を叩いたアメリカは、ここにきて再び日本の譲歩を引き出し、東アジアへとフロンティアを広げる戦略をあくまで貫いたものと言え、天晴れです。
 アメリカだけではなく、東アジアには、中国という明白な覇権を目指す大国があり、中国・韓国といった日本と歴史観を異にする頑迷な国があり、それ以外にも文化や宗教や言語を異にし、また経済の発展段階を異にする様々な国を抱え、東アジア共同体と言うは易く、現実にはEUと違って実現には多大な困難が予想され、「友愛」の前途は多難です。鳩山さんのしたたかな戦略とやらを聞いてみたいものです。
 なお、件の論文は、鳩山さんのHPにも掲載されています。日本語だけでなく、英語と韓国語にも翻訳されています。何故、韓国語なのか?
 最近、やけにパチンコ台のテレビCMが目立ちます。私が日本にいなかった4年間で様変わりしたような気がします。パチンコ店の場合は風営法によって規制されるはずですが、パチンコ台はせいぜい業界内の自主規制しかないということでしょうか。パチンコそのものを否定するつもりはありませんが、ギャンブルの一つである以上、テレビで射幸心を煽るようなCMは控えて欲しいと思います。そしてご存知の通り、パチンコ業界の90%は在日韓国・朝鮮人だと言われています。このパチンコ台のテレビCMと言い、昨日の外国人への地方参政権付与法案推進と言い、先の鳩山論文と言い、韓国の影が付きまとうのに別に意味はないのでしょうが、どうも「友愛」には脇の甘さや危なっかしさを感じてしまいます。
 上の写真は、マレーシア・クアラルンプールにあるペトロナス・ツインタワー。88階建てで高さ452mは、二十世紀の高層建築としては最も高く、2003年に台湾の台北国際金融センターに世界一の座を譲りましたが、ツインタワーとしては依然世界一の高さを誇ります。東アジアの開発独裁を象徴するようです。
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外国人参政権

2009-11-17 01:49:19 | 時事放談
 今日、民主党の小沢さんは、永住外国人への地方参政権(選挙権)付与法案推進の背景に、韓国政府や在日韓国人から要請があることを認めたそうですが、どうにも理解に苦しみます。
 世界には外国人に対して地方参政権を与えている国があると言われますが、EU諸国に多く、逆にEUのような地域間の協力関係がない国では一般的とは言えません。いくら地方とは言え、日本人ではない外国人、従い有事の時に日本(地方)を守る義務がない人に、参政権を与えるのは素朴に納得しかねます。しかも、在日韓国人の場合は、2012年から、日本国内にいても韓国国政選挙(大統領選挙)の選挙権を与えられることになっており、日本で地方参政権を得た場合、韓国と日本の二ヶ国で選挙権を行使できることになるのは、ちょっと腑に落ちません。
 鳩山さんはここでも「友愛」を引き合いに出して正当化しようとしているようですが、政治家個人の政治哲学や理念として「友愛」を語るのは自由ですが、日本国の総理大臣の立場で現実的な政治感覚を持ち合わせないことがあるとすれば罪は重い。さらに、参政権付与を求めている在日本大韓民国民団(民団)に属する在日韓国人は先の衆院選で民主党候補を支援するなど、両者の関係は深まっているそうで、郵政民営化の議論で、民主党は特定郵便局長らでつくる政治団体「郵政政策研究会」(旧大樹全国会議)の支援を期待していることと併せ、選挙対策が見え隠れするとすれば、ちょっと目に余ります。
 そもそも日本国籍付与の要件が緩すぎるという議論があります。日本を閉ざすつもりはなく、単に日本人としての文化的同一性、日本人として共有されるべき価値を守り通すべきだと思うだけです。
 上の写真は、メルボルン南部にあるグレート・オーシャン・ロードの奇岩群(「12使徒」と呼ばれます)。手前の岩のように、守られなければ、崩れてしまうものもあります。
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報道

2009-11-16 00:59:33 | 日々の生活
 先週はイギリス人留学生死体遺棄容疑で指名手配されていた市橋容疑者が961日の逃亡の末に逮捕されたニュースで持ちきりでした。整形前後の写真が公開されて、急転直下の逮捕劇となりましたが、もとは11月4日の朝日新聞一面のスクープだったと言われています。来年三月には時効成立という焦りもあったのかも知れませんが、あらためてマス・メディアのもつ力の凄さを思い知らされた事件でした。
 一方で、最近の報道を見ていると、警察の捜査を後追いし、警察からどのような聞き込みがあったかをいちいち関係者に聞き回って報道したりするのは、やや行き過ぎの感がしないでもありません。島根の女子大生死体損壊・遺棄事件や、千葉の放火・殺人事件(被害者は市橋容疑者と同じ大学・学部でしたね)など、物騒な事件が多いご時世で、少しでも公知され捜査に役立つならという思いもありますが、以前はここまでやることはなかったのではないでしょうか。
 それから、週末の朝、ぼんやりテレビを見ていると、これでもかとワイドショー的な番組がオンパレードなのもやや食傷気味です。別のブログでも触れましたが、NHKですら一時はのりぴーの覚醒剤事件をトップで報道するなど、あたかも日本全国がワイドショー化している状況は、正直なところやや異様です。出演者がしたり顔で解説するのも良し悪しで、まるで一億総評論家、場合によっては審判を下しているかのような倣岸不遜ささえ見られます。大人は暇つぶしに良いかも知れませんが、子供たちや若い人たちにとっては、何が重要かの判断基準が曖昧あるいは単純化して判断力が鈍るのではないかと、ちょっと心配です。
 上の写真は、オーストラリア滞在の一年で、唯一見かけた芸能人、Ricki-Leeは、2004年にオーストラリアン・アイドル2(オーストラリア版スタ誕)でトップ7で敗退したものの、その後、インディー・レーベルからデビューし、今や全国的な人気を誇っています。
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