昨日、横綱・白鵬は、彼自身が尊敬する名横綱・双葉山に並ぶ12度目の優勝を、年間最多勝を更新する85勝目で飾ったのに続き、今日の千秋楽では、朝青龍を下して年間最多勝記録を86勝まで伸ばしました。年間6場所90番で86勝というのは驚異的なハイスコアで、一年を通して心技体ともに高いレベルを維持したのは立派です。モンゴルでは、朝青龍のような鼻っ柱の強い気迫を漲らせたタイプが好まれるのに対し、白鵬はどちらかと言うと寡黙で闘志を内に秘めた日本人好みの横綱に成長し、今の相撲界に安心感を与えてくれています。そこで際立つのは、日本人力士の不甲斐無さでした。
私も小・中学生の頃は大阪場所に足を運ぶほどの相撲好きで、長く相撲界を見てきた中で、単純比較は難しいのですが、敢えて、1970年代後半に活躍した北の湖の年間82勝(1978年)と比べると、今の86勝は、数字は上回っていても迫力に欠けるように思えて仕方ありません。北の湖の記録がその後27年間破られなかったほどの大記録だったのは、当時は輪湖時代と呼ばれて双璧をなした横綱・輪島のほか、早晩、横綱になる若乃花(若三杉)や三重の海、更に万年大関ながらも土俵上を綱渡りするかのような粘り腰で人気を博した貴ノ花(初代)がいた中での記録だったからです。千代の富士や貴乃花(花田光司)は80勝、大鵬ですら81勝、それに引き換え昨今は、朝青龍(2005年に84勝)に続き、白鵬の86勝といった具合いです。
朝青龍と白鵬の両横綱が突出して久しい。朝青龍が横綱になった2003年3月は、最後の日本人横綱・若乃花が引退した翌場所という、まさにモンゴルはじめ外国勢が大相撲界を席捲することになる、今となっては象徴的な場所でした。それ以降、今場所までの41場所中、朝青龍と白鵬以外の力士が優勝したのは7場所しかありません。これもひとえに彼らを脅かすべき大関陣以下が不甲斐無いから、とりわけ日本人力士の力不足が原因でしょう(栃東が優勝した2006年1月以降4年近く日本人力士の優勝がありません)。実際に今場所の横綱を含む幕内力士42人の国籍を調べてみると、日本人力士26人に対して、モンゴル人力士10人を含め外国人力士は16人に達します。日本人以上に外国人の実力が秀でているのでしょうか。それとも日本人の実力が単に落ちただけでそこを外国人が補っているだけなのでしょうか。
戦後力士の出身都道府県は、人口比で見ると、上位6位までの青森、秋田、鹿児島、佐賀、北海道、長崎の六道県が全体の三分の一を占めます。かつては(北の湖の頃まで)、中学校に通いながら土俵に上がる力士は少なくなく(その後、中学生の力士採用は禁止)、どちらかと言うと兄弟が多い北海道・東北・九州などの地方出身の子供というのが相場でした。そういう意味でも、一人っ子が増えた現代は、強い力士を生む原動力となるハングリーさが失われた時代と言えるのかも知れません。しかしハングリーさは心の持ちようの問題です。日本水泳界や体操界の復活に見られるように、体系的に特訓すれば世界に伍し得ることは証明されました。外国人力士が活躍すること自体は構いませんが、大相撲は伝統芸能である以上、目ぼしい日本人力士がいなくなってウィンブルドン現象を見るのは忍びない。なんとか食い止めることが出来るでしょうか。
上の写真は、バリ島の伝統芸能レゴン・ダンス。外国人が演じていたら、やはりちょっと興ざめですね。
私も小・中学生の頃は大阪場所に足を運ぶほどの相撲好きで、長く相撲界を見てきた中で、単純比較は難しいのですが、敢えて、1970年代後半に活躍した北の湖の年間82勝(1978年)と比べると、今の86勝は、数字は上回っていても迫力に欠けるように思えて仕方ありません。北の湖の記録がその後27年間破られなかったほどの大記録だったのは、当時は輪湖時代と呼ばれて双璧をなした横綱・輪島のほか、早晩、横綱になる若乃花(若三杉)や三重の海、更に万年大関ながらも土俵上を綱渡りするかのような粘り腰で人気を博した貴ノ花(初代)がいた中での記録だったからです。千代の富士や貴乃花(花田光司)は80勝、大鵬ですら81勝、それに引き換え昨今は、朝青龍(2005年に84勝)に続き、白鵬の86勝といった具合いです。
朝青龍と白鵬の両横綱が突出して久しい。朝青龍が横綱になった2003年3月は、最後の日本人横綱・若乃花が引退した翌場所という、まさにモンゴルはじめ外国勢が大相撲界を席捲することになる、今となっては象徴的な場所でした。それ以降、今場所までの41場所中、朝青龍と白鵬以外の力士が優勝したのは7場所しかありません。これもひとえに彼らを脅かすべき大関陣以下が不甲斐無いから、とりわけ日本人力士の力不足が原因でしょう(栃東が優勝した2006年1月以降4年近く日本人力士の優勝がありません)。実際に今場所の横綱を含む幕内力士42人の国籍を調べてみると、日本人力士26人に対して、モンゴル人力士10人を含め外国人力士は16人に達します。日本人以上に外国人の実力が秀でているのでしょうか。それとも日本人の実力が単に落ちただけでそこを外国人が補っているだけなのでしょうか。
戦後力士の出身都道府県は、人口比で見ると、上位6位までの青森、秋田、鹿児島、佐賀、北海道、長崎の六道県が全体の三分の一を占めます。かつては(北の湖の頃まで)、中学校に通いながら土俵に上がる力士は少なくなく(その後、中学生の力士採用は禁止)、どちらかと言うと兄弟が多い北海道・東北・九州などの地方出身の子供というのが相場でした。そういう意味でも、一人っ子が増えた現代は、強い力士を生む原動力となるハングリーさが失われた時代と言えるのかも知れません。しかしハングリーさは心の持ちようの問題です。日本水泳界や体操界の復活に見られるように、体系的に特訓すれば世界に伍し得ることは証明されました。外国人力士が活躍すること自体は構いませんが、大相撲は伝統芸能である以上、目ぼしい日本人力士がいなくなってウィンブルドン現象を見るのは忍びない。なんとか食い止めることが出来るでしょうか。
上の写真は、バリ島の伝統芸能レゴン・ダンス。外国人が演じていたら、やはりちょっと興ざめですね。