風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

大阪国際女子マラソン

2021-01-31 22:10:03 | スポーツ・芸能好き
 第40回大阪国際女子マラソンで、一山麻緒選手が2時間21分11秒で優勝した。日本記録を狙っていたそうで、残念ながら野口みずきさんが持つ記録2時間19分12秒(2005年ベルリン)には及ばなかったが、野口さんが持つ大会記録2時間21分18秒(2003年)を18年ぶりに更新した。
 今大会は、新型コロナ感染予防の一環で、従来の市街地を走るコースから、長居公園内を約15周(1周約2.8キロ)する周回コースに変更された。長居と言えば、私が高校生の頃、インターハイ大阪予選の会場となったところで、格別の思い入れがあるのは、まあどうでもいいことで(笑)、周回コースが選手にどういう影響を与えるのか・・・ペースを掴み易いかも知れないが、変化に乏しく、沿道の声援もない中での走りは独特のものだったに違いない。私は7年前、F1日本グランプリが開催される富士スピードウェイ(一周4.4キロ)を5周弱走るハーフマラソンの大会に出たことがあり、私のようなお気楽な市民ランナーは変化に乏しい周回コースを好まないが、集中力があるエリート・ランナーは違った感想をもつかも知れない。それから、川内優輝さんをはじめ男子選手がペースメーカーとなったのも史上初めてだそうで、オールジャパンの雰囲気が醸し出されて、良かった。川内さんは、青梅マラソンで一度、お見掛けしたことがあり、私のようなへなちょこランナーの倍のスピードで走るので、折り返し30キロのコースで、私がようやく10キロ地点にさしかかった往路で、復路を激走する彼とかち合って、毎度の全力疾走する勇姿がなんともカッコ良かった。今日も、時折り一山選手に声を掛けながら先導する姿がカッコ良かった。
 その一山選手は、相変わらず腰高の惚れ惚れする走りで、快調に飛ばした。日本人でこのような走りが出来る人が出て来たのかと思うと、感慨深い。しかし、前半飛ばし過ぎたこともさることながら、そもそも昨年末(ということは一ヶ月前)に扁桃腺炎で5日間静養したそうで、結果に繋がらず、「いつも、私と同じ気持ちで目標に向かって最高のサポートをしてくれるワコールのスタッフなので、本当は一緒に喜びたかったんですけど、残念でした」と涙ぐみながら振り返った。私は高校時代に、レベルは違うが陸上部で競技として中・長距離に取り組んだことがあって、感覚的に5日間のブランクはリカバリーするためには少なくとも倍以上の時間を要して、折角の上り調子に水を差して、肉体的にも精神的にも必ずしも万全ではなかったことだろうと想像する。しかも、東京五輪が延期され、ゴールが一年先送りされたことも、心理的にさぞ辛かったことだろうと想像する。私のことを言っても仕方ないのだが、20年ほど前、アメリカ駐在最後の年に、一年の間に4回もフルマラソンを走ったことがあって、フルマラソンなるものはド素人の市民ランナーでもメンタル面を調整するのは簡単ではないことを痛感した。ましてや微妙な加減の中で体力ぎりぎりのところで挑戦するエリート・ランナーをや・・・である。
 インタビューで、「自分のためだけには頑張れない」 「誰かのためにとか、誰かが喜んでいる姿を見たいと思ってやっていると、自然とやらなきゃなって、期待に応えたいっていう気持ちが原動力になっているかなあって思います」と語っていた。なんて素直でよい子なんだろう。
 東京五輪について、軽々しく延期や中止を語る著名人が話題になるが、選手の思いを想像したことがあるのかと、実に不愉快である。野球やバスケやフットボールやラグビーは、毎年、盛り上がるので、まだいい。それ以外の競技の中には、オリンピックでもなければ、なかなか注目されないものもあって、モチベーションを維持するのはもとより、下世話な話で、スポンサーを確保し(それが国の場合であっても)、支援してもらうのがどれほど大変か、私も知らないので想像するしかないが、一世一代の檜舞台であることを、著名人の方々は想像したことはないのではないか。五輪の商業主義は褒められたものではないが、競技に打ち込む選手たちが生活できないようでは元も子もない。更に思い出されるのは、1980年のモスクワ五輪ボイコットで、瀬古さんは人生の絶頂期に五輪のマラソンを走る機会を逃してしまった。本人の無念は想像を遥かに超えるであろう。野球やバスケやフットボールやラグビーは、このご時世でもなんとか実施されているので、いろいろな制約はあるにしても(最大の制約要因は医療支援だろう、これは出場選手の母国の医療リソースを要請してもよいのではないだろうか)、どのような形であろうと東京五輪が開催されることを願って止まない。
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追悼:ナタリー・ドロン

2021-01-30 11:33:11 | スポーツ・芸能好き
 一週間ほど前のことになるが、フランスの女優ナタリー・ドロンが亡くなった。享年79。
 あらためて79歳と知ると、もうそんなに時間が経つのかと感慨深いが、名前の通り、アラン・ドロンと結婚したことで有名な彼女については、青春映画の金字塔(のひとつ)、『個人教授』(1968年)に出演した頃のことが、フランシス・レイの甘いテーマ音楽とともに、忘れられない。もとよりリアルタイムに映画館ではなく、後にテレビの●曜ロードショーで観たのだが、洋画に目覚めて、なけなしの小遣いで『スクリーン』という洋画専門の映画雑誌を毎月購読していた中学生の頃だったから、ルノー・ベルレー演じる高校生と、ナタリー・ドロン演じる年上女性の、ほろ苦くも切ない恋物語には、当時のパリの街並みや、黄色いランボルギーニ・ミウラの爆音(!)や、コケティッシュな魅力のパリジェンヌのイメージが強烈で、ことのほか思い入れが強い。なお、偶々だが、この映画で恋人のレーサー役を演じたロベール・オッセンも、ほんの三週間前の昨年12月末に亡くなっている。享年93。50年もの歳月は、生身の人間をこのように変えてしまう。
 アラン・ドロンはAFPに対し、「とても悲しい。自分が愛した人が亡くなることは常に痛ましいものだ」「僕らは常に連絡を取り合い、頻繁に会っていた。僕は彼女の人生の一部で、彼女は僕の人生の一部だった。クリスマスをまた共に過ごして、一緒に写真を撮った。最後の写真になった」と語った。結婚生活は僅か4年だったが、完全に破綻したわけではなく、その後も良い関係が続き、確かに昨年のクリスマスを一緒に過ごす姿が、二人の一粒種のアントニー・ドロンのインスタグラムに投稿されているらしい。フランス人らしい男女の機微であろうか。
 レベルは違うが、私の人生でも、ほんの一瞬ながらも大切な「一部」だった。人は10代の頃に出会った人やモノ(映画や音楽など)の感動については一生引き摺るようだ。もっとも、YouTubeで映画の一場面を見て懐かしく胸がきゅっと痛むのは、垣間見えるパリの生活や、二人乗りするバイクの奔放な姿や、若かりし頃の彼女の輝きそのものと言うより、それらのイメージに染みついた当時の自分の思いが俄かに蘇るからなのかも知れない。記憶のメカニズムのなんと不思議なことだろう。ただの通りすがりでしかない彼女は、私の人生に陰影を与え、特別な思いを喚起して、作品の中で永遠に生き続ける。
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バイデン劇場の幕開け

2021-01-27 23:30:15 | 時事放談
 2009年、日本の旧・民主党が、「政権交代。」が目的で政権運営には見るところがなかったのと同様、バイデン政権も「反トランプ」が目的で政権運営には余り期待できそうにないかも知れない。なにしろ、右からのトランプ支持勢力に忖度しつつ、身内の民主党左派からの圧力をもかわさなければならないのだから。いや、トランプ政権のように単独行動主義に突っ走るより、国際協調的であることを世界の誰もが期待するが、アメリカにかつての体力があるわけではなし、既にオバマさんは世界の警察官を降りることを宣言している。そうは言っても、当の中国だけでなく台湾も日本も、バイデン政権の対中政策の成り行きに注目している。果たしてトランプ政権の強硬外交が引き継がれるのか、それとも次男坊の中国コネクションにまつわる弱みを握られていると噂されるのが本当で、宥和するのか。
 そんなバイデン政権の先行きを見極めようとするかのように、中国は、1月6日、香港で50名を超える民主派の立法会議員や反体制活動家らを逮捕し、1月20日、わざわざ米国東部時間正午過ぎを狙って、台湾の防空識別圏に偵察機を飛ばして、牽制した(その後も、23、24両日に中国軍機28機も同圏に侵入させた)。
 実際、バイデン政権を支える閣僚候補者たちはオバマ政権時代に要職を務めた、言わばバイデン副大統領(当時)の子飼いで、「第三次オバマ政権」だとか「お友達内閣」などとどこかで聞いたような言い回しで、揶揄される。アジア・ピボット(後にリバランス)を言い出したのはよかったが、何ら成果はなかった。勿論、当時と比べれば、中国の国力は一段と強力に、その対外姿勢は一段と強硬になり、コロナ禍の影響で、欧米諸国が足踏みする一方で、一足先に経済復興したとされる中国経済がアメリカにキャッチアップする時期が早まったとも言われる。オバマ政権当時と同じ対応であろうはずがない、というわけだ。
 そんな中、サキ米大統領報道官が記者会見で、対中政策について「中国への対応は過去数カ月と同じだ」と語りつつ、「いくらかの戦略的忍耐を持ちながら臨みたい」と述べたことが物議を醸している。「戦略的忍耐」と言えば、オバマ政権が北朝鮮に対して示した弱腰姿勢を想起させ、結果的に手を拱いて状況が悪化しただけの悪しき記憶が蘇る。今回は果たしてどうなのか。
 日本では専らバイデンさんの個人的資質を捉えて、中国に対して「弱腰」だとか、そもそも「決断力がない」だとか、外交経験は豊富だが成功した試しがないなどと遠慮会釈のない、手厳しい批判が浴びせられる。しかし、今となっては、こと中国との関係では、バイデンさん個人と言うよりも、日本でも報道されたことがあるが余り注目されることがない、“CPD”という組織の存在がポイントではないかと思う。
 これは、Committee on the Present Dangerの略で、日本語に訳せば「足元の危機に対処する委員会」と、いまひとつ迫力に欠ける悠長さを感じてしまうが、常設の機関ではない。最初に結成されたのは1950年で、対ソ戦略を担当し、封じ込めで著名なジョージ・ケナン氏も関係していた。アイゼンハワー政権でいったん解散したが、1976年に復活し、1991年にソ連が崩壊するまで対ソ強硬策を展開した。三度目は2004年で、テロ対策を担当した。そして2019年3月に四度目の復活を果たし、超党派かつ官民融合の組織で、中国の軍拡や情報戦対策、サイバー攻撃対策など、覇権争いに備えた戦略策定に従事すると言われる。日本人の私たちにはピンと来ないが、ここぞというときのアメリカの底力は侮れない。
 サキ米大統領報道官の発言は、既に中国関係者も見切っているように、当面はコロナ禍対策と国内経済復興にフォーカスし、対外政策は後回しになってしまうことの言い訳ではないかと思う(中国関係者は秋ぐらいまでは大した進展がないのではないかと見る)。このあたりは、トランプ政権が見境もなく単独行動的に制裁を繰り出して中国を追い込んで行った、余りに鮮烈な記憶が残るだけに(だからこそ中国は日米分断を狙って日本に秋波を送ったりしたわけで、私はトランプ政権の予測不可能な大胆さに驚きつつ内心は拍手喝采していた 笑)、日本としても注視しないではいられない。その高齢から一期しかないと言われ、時間との闘いになるバイデン劇場は、果たして魅せてくれるのだろうか。
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トランプ劇場に幕

2021-01-24 12:39:05 | 時事放談
 トランプ氏の「最後っ屁」に怯えた首都ワシントンDCであったが、トランプ氏は、退任演説のビデオ動画で、これまでで最も大統領らしい!?(しかし第二幕を予期させる毒を仕込ませた)演説をし、新大統領の就任式には、1869年のアンドリュー・ジョンソン大統領以来152年ぶりに欠席して、バイデン新大統領によれば「寛大な置手紙」だけ残して、ホワイトハウスを去った。対面での引継ぎがなかったため、「核のボタン」が収められた「フットボール」と呼ばれる革の鞄の引継ぎもなく、トランプ用「核のボタン」(実際にはボタンじゃないらしいが)の暗号機能が無効化された模様だ。また執務室の机の上からは「ソーダ・ボタン」(ダイエット・コークを執事にオーダーするときに使っていたボタン付き木箱)も撤去された。
 思えば、この4年間は長い台風一過という騒々しさだった(アメリカだから、ハリケーン一過と言うべきか)。それまで「忘れられていた」特定層をターゲットに、計算された戦略で訴えかけることにより、アメリカという国をまんまと乗っ取ってしまった印象だ。実際のところ、誰が大統領に立候補しようと、東西の沿岸の都市部は青の民主党、内陸部の田舎は赤の共和党と決まっているから、ポイントは、ペンシルベニア、ミシガン、ウィスコンシン、オハイオなどのラスト・ベルトと呼ばれる中西部・東部と、ジョージア、フロリアなどの、所謂スウィング・ステート11州をどう攻めるかにあった。そこでターゲット顧客を取り込んだ、政治経験のない不動産セールスマンによるマーケティングが勝利したのだった(実際には、バーノンなどの戦略スタッフのお陰だろうが)。そして、4年前に運よく当選を果たして大統領に就任したその日から、トランプ氏は大統領の職務を全うするというよりも、再選に向けて動き出した。だた再選を果たすために、公約を忠実に実現しようとし(この点は、公約そのものへの賛否はあるにしても、評価されるべきところ)、当該ターゲット顧客層に訴えるために分断を煽り、利用し続けた。
 もとよりトランプ氏個人として見れば、ナルシシズムの塊みたいなもので、小学生の頃のクラスに一人はいたような、負けず嫌いで虚言癖があって目立ちたがりの問題児で、とても先進国・超大国アメリカの大統領には似つかわしくない品のなさだった。毛嫌いする人には全く受け付けられなくて、徹底的に批判され続けた。彼が成功し、かつ最終的に失敗したことの一つは、エスタブリッシュメントとしてのリベラル・メディアを敵に回したことだろう。
 しかし、トランプ政権が明らかにした中国リスクと、その結果としての米中対立を見ていると、そんなトランプ氏がいても、アメリカの政治制度はしっかり機能していると感じられる妙な安心感があった。半導体立国・台湾への支持を強化したのは、対中牽制とともに防衛産業を守る現実的な意味合いがある。伝統的な中東和平を放棄して、イスラエルを軸に中東秩序再編に転換したのは、政治的に福音派を取り込むだけでなく、イランという脅威を包囲する現実策でもある(アラブ諸国が現実策でまとまったのだから、時代は変わったものだ)。国境の壁は極端にしても、国のアイデンティティを守るために移民を制限すること自体は分からなくはない(移民国家を国是とするにしても)。むしろトランプ氏の意向や存在感は、せいぜい貿易赤字を気にするとか(勝ち負けに拘るトランプ氏らしいが、経済学的には正しくない)、主要国の独裁者にエールを送るといった、所謂トランプ劇場と呼ばれるパフォーマンスに限られているように見えた。そして、暇があると茶々をいれたり、引っ搔き回したり・・・結局、国益よりも再選を目的とするリーダーの狭量な姿に、さすがのアメリカ人も愛想をつかしたといったところだろう。
 この点に関して、アメリカでは、例えば孤立主義と国際協調主義の間で、振り子のように行きつ戻りつし、超、今回は、国全体がそのように胎動したというよりも、先に挙げた11州の、しかも上澄み部分で、僅差で、ベクトルが変わったのだった。それは、ひとえに「反トランプ」の掛け声になびいたからだ。なんと空虚なことだろう。バイデン氏の役割は既にそれで終わったとする識者の声もある。バイデン新大統領は、早速、就任したその日に、パリ協定への復帰や世界保健機関(WHO)からの脱退取りやめなど十幾つかの政策について、大統領令への署名を行い、ベクトルが変わったことを見せつけた。就任演説では、民主主義の勝利を高らかに謳った。リベラル・メディアは大いに積年の鬱憤を晴らしたことだろう。しかし私には、やんちゃなトランプ氏が大統領職に就いている間、三権分立を理解しているようには思えず、公私混同など大統領個人の言動は目に余るもので、そんな人物が大統領職にあるのだから実に危ういものであったが、民主主義の土台は辛うじて機能し、揺らぐことはなかったと思われたし、4年の後には、いくら選挙が盗まれたと叫ばれようが、民主的手続きによって退出を余儀なくされた。
 余りに私的とも言えるトランプ劇場の第二幕は待望しないが、だからといって、アメリカという国の分断された現状を思うと、バイデン政権にも余り期待が持てないでいる。私が一種の「トランプ・ロス」に囚われるのは(笑)、そんな希望のなさによるのかも知れない。
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アメリカの混迷

2021-01-13 00:26:40 | 時事放談
 如何にトランプ大統領が行くところ波乱を巻き起こすとは言え、衝撃的な映像だった。6日、次期米大統領の正式認証の日に、民主主義の殿堂とも言えるアメリカ議会が、トランプ支持者と見られる暴徒によって襲撃された。「米英戦争時の1814年8月に英軍が議会に侵入して以来の暴挙」(米連邦議員)とまで言われた。なお、この米英戦争は、「無償の安全保障」としての大西洋によってヨーロッパから隔てられたアメリカが、その中枢に攻撃を受けた、アメリカ人にとって忘れられない歴史的記憶である(911同時多発テロのとき、自爆テロを真珠湾攻撃に擬える向きもあったが、心ある人は米英戦争以来の本土・中枢への攻撃と言った)。また、このときに焼け焦げた大統領官邸の壁を白のペンキで塗ったことから、ホワイトハウスと呼ばれるようになった・・・とは余談である。
 昨日、下院で、合衆国憲法修正第25条に基づく罷免(大統領が職務不能と判断された場合、副大統領と閣僚の過半数が議会にその旨通告し、罷免することができる)を求める決議案と、それが叶わない場合に弾劾を求める決議案が提出された。何としてでもこの「暴挙」のオトシマエをつけろ、ということだろう。
 バイデン氏は「民主主義や法の支配への攻撃だ。議会に侵入した者たちはデモ隊ではなく、反乱者、テロリストだ」 「トランプ大統領が煽った」と非難した。トランプ大統領のツイッターは既に凍結されて過去のツイートを見ることが出来ないが、facebookをチェックしたところ、当日15:14時点で、”I am asking for everyone at the U.S. Capitol to remain peaceful. No violence! Remember, We are the Party of Law & Order --- respect the Law and our great men and women in Blue. Thank you! とのメッセージを出していることが分かった。前日や当日朝の演説から、煽ったと言われればそれまでだが、虚勢を張るトランプ氏の性格からしても、予想外の展開になったことに戸惑っているように見えなくはない(が、少なくとも未必の故意があったとは言えそうだ)。左派は、クーデター未遂と罵り、右派は、アンティファなどの左翼過激派がトランプ支持者を装って実行したと主張し、その中間あたりでトランプ大統領はハメられたとシニカルに眺める人がいる。陰謀論の是非は分からない。
 この一ヶ月間、トランプ大統領の執拗なツイートに見られる往生際の悪さこそ、ジョージア州の上院2議席を巡る決選投票で2議席とも失うに至った要因だと思うし、正直なところここまでやるかと呆れた思いだが、ロイター通信とグローバル世論会社イプソスの共同世論調査(1月4~5日実施)によれば、共和党支持者におけるトランプ大統領の支持率は77%と、昨年11月3日の大統領選挙直前に行った同調査の87%から僅か10ポイントしか落ちていない(10ポイントも落ちたという識者がいるが、依然77%の支持がある方が驚きではないだろうか)。何より大統領選挙では、700万もの大差をつけてバイデン氏が勝ったと言う識者がいるが、7400万もの国民がトランプ氏に投票したことの方が驚きではないだろうか。
 そんなトランプ支持の強固さに呼応するかのように、暴動を扇動するリスクがあるとして、ツイッター社がトランプ大統領のアカウントを永久凍結したことに対し、ドイツのメルケル首相は報道官を通じて「問題だ」と苦言を呈した。トランプ大統領とは犬猿の仲と言われたメルケル首相が、である。かつてヴォルテールが言った「私はあなたの意見に反対だが、あなたがそれを言う権利は命を張っても守る」という故事を彷彿とさせる。トランプ氏は、言わばSNSによって2016年の大統領選挙を勝ち抜いたと言えるし、皮肉にもそのリベラルなSNSから見放されて2020年の選挙では敗れたようなところがあるが、その是非はともかく、こうしたアメリカ社会の分断は今や見境がないまでに深刻だという現実こそが重要であろう。
 よく言われることだが、アメリカにおける分断は、トランプ大統領が生んだものではなく、既にあった分断の中から時代の要請をもってトランプ大統領が出現したと考えるべきなのだろう。トランプ大統領はその分断を利用し、分断を鎮めるどころか煽ったとも言えるが、今回の暴動でも、トランプ大統領の誤解を招きやすい言動は、招きやすいのではなく真実そのものかも知れないし陰謀論にはめられているのかも知れないが、いずれにしても、トランプ氏がいなくなったところで、この分断は残るものだということをあらためて思い知らされて、愕然としたのであった。まあ、対岸の火事ではないのかも。
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来た年

2021-01-03 21:37:53 | 日々の生活
 三が日は、ホロ酔い加減でぼんやりしたまま、あっという間に過ぎて、明日からまた仕事が始まる。
 テレビを見なくなって久しいが、年末年始は久しぶりにちょっとだけ覗いて見た。
 久しぶりに熱くなったのは、大晦日に行われたWBO世界スーパーフライ級タイトルマッチで、王者・井岡一翔が同級1位・田中恒成を8回TKOで退けた。挑戦者の田中はプロ最速タイの12戦で3階級を制覇をしたボクシング界のホープで、4階級制覇を目指すべく昨年1月に王座を返上していた。試合前から、「世代交代を目指す。スピードとパワー、スタミナは僕の方が上」と挑発し、受けて立つ井岡は、「格の違いをみせる。特に意識をしていた選手でもない。僕にとってはメリットのない試合」と強気のコメントをして、ボルテージは否が応にも上がった。蓋を開けたら・・・田中は確かに素晴らしいスピードとパワーでチャンピオンをしばしばリング際に追い詰めた。しかし、31歳の井岡はまだベテランではないのだろうが試合巧者で、うまくかわしながらカウンターのジャブやフックを効果的にちょこちょこ決めて、いつの間にか試合を支配し始めた。元WBA世界王者の内山高志さんは、「井岡はまるでボクシングの教科書に載っているような基本に忠実な戦い方だった。3回とも左フックでダウンを取るのはすごい。これはディフェンスの差。井岡はフック打つときも上体を上げず、(アゴや上体を)やや引きながら打っている。引くことにより相手のパンチが(顔から)ズレるし、加えてしっかりガードしながら打っているので相打ちになってもパンチをもらわない」と両者のディフェンスの差が出た試合だと語った。なるほど。試合後に礼を言いに来た田中と健闘を称え合ったのも、またインタビューでの井岡のコメントも良かった。「この試合は僕からしたら全然サプライズな試合ではないんですけど、格の違いを見せると言ってきたので、男として証明出来て良かったと思います。僕はこれからどれくらいボクシングを続けていけるかわからないですけど、田中選手はまだまだこれからの選手なんで、必ず彼がこれからのボクシング界を引っ張っていってくれると思います」 「他の格闘技も盛り上がっていますが、ボクシングの魅力を伝えられたらいいなと思っているので、これがThis is BOXINGだと思うので、こういう試合をこれからもしていきたいと思います」。 ただの「殴り合い」と言ってしまえばそれまでだが、「走る」という単純な競技とともに、原始的とも言える素朴な闘争本能がくすぐられる。良い試合だった。
 見逃した番組もいくつかあった。
 「芸能人格付けチェック!」は、GACKTが指名してコンピを組んだ倖田來未のことを、「どちらかというと限りなく嫌いなタイプだった」にもかかわらず健闘し、「くぅちゃんのこと大好きになりまして」と印象が一変したと語って、自らは個人65連勝を達成したらしい。番組プロデューサーによると、GACKTは「この番組に懸ける思いがすごく、勉強をしています」ということだそうで、大したものだ。私は20年ほど前の会社の忘年会で、カリフォルニア帰りの似非ワイン通として、5000円のワインと1000円のワインの利き酒できずに大いに盛り上がった・・・
 「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」が、コロナ禍から9ヶ月振りに復活したらしいが、見逃した。人気者の出川にはロケ先で地元の人たちがドッと群がって、濃厚接触になりかねないことと、リアルガチの番組で、取材先を事前に決められず、誰と会うことになるのかも分からず、コロナ対策が難しいことが、平常化が遅れた理由とされるが(放送コラムニスト高堀冬彦氏による)、まさにこのあたりが売りの番組なので致し方ない。リアクション芸人としての彼の本領発揮で、憎めない人柄が、なんともほのぼのとする。
 他方、正月恒例の箱根駅伝は、見始めるとキリがないので見なかった。「応援したいから、応援に行かない」という、いまひとつ(?)のキャッチコピーを掲げて、沿道での応援自粛を要請していたが、それなりに人が集まってしまったらしい。今年も、新型コロナに振り回されるのだろうか。
 政治学者でオーラルヒストリーというユニークな分野を開拓された御厨貴さんの対談がAERAに掲載されていた。「コロナというのは、政治家にとって最も苦手な分野なんですね。政治家は、何かが起きたときに終着点を見極めて、それに向かって計画を立てて走っていくのが得意ですが、コロナは終着点がないですからね。」 「何をやっても右から左からつつかれますしね。コロナってみんなよくわからないから、一億総評論家になってるんですよ。一種のヒステリー社会になってますね。」 おっしゃる通り。SNSの時代は、ツイートも一つの娯楽と見るべきだろうが、ことコロナに関わると、そうではなくなってしまうところがある。対談相手の林真理子さんが「(朝日新聞の首相)動静を見てると、たまに会う相手はテレビ局の社長とか、IT企業の社長とか……」と言ったのに対して、「彼は実務家の実務的な話を聞くことが勉強になると思ってきた人なんですよ。極端に言うと、たぶんあの人には哲学がない。イデオロギーもない。さらに文化的なことに対する関心もない。合理主義と現場主義の塊のような人ですね。」 そこまで言う・・・と驚きながらも、やっぱりそうか・・・と(苦笑)。政界は、100日のハネムーン期間を過ぎて、相変わらずの混迷に入りそうだ。
 もう一つ、世界は今年も米中対立に振り回されるのだろう。
 中国の王毅外相は国営新華社通信などの取材に対して、「米新政権が理性を取り戻して対話を再開し、再び両国関係が正しい軌道に戻って協力することを望む」と述べたらしいが、理性的になればなるほど、話が噛み合わず、認識の壁(あるいは溝)を感じることになるのではないだろうか。そもそも中国の挑戦的・挑発的態度をあらためない限り・・・(気持ちは分からないではないが、やり方というものがあるだろうに・・・)とは思うが、中国は、ポメランツが言う「大分岐」以前の歴史的存在に逆戻りしようとしている。
 昨年末、業界団体の農協ツアーもどきが、コロナ禍のために出張できなくて、居ながらのWeb会議に切り替わり、英・独などの関係者と話す機会があった。そこで先ず感じたのは、コロナ禍が一つの契機となって、ヨーロッパの中国に対する見方が厳しくなっている(正確には、かなり懐疑的に転じて当惑している)ことだった。数年前とは様変わりである。また、英国は昨年末を以て移行期間が終わって1月1日からEUを離脱したが、英国の人はUni-lateralな政策を進められることに、ある種の解放感を覚えているようなのが印象的だった。あの、うっかりの(と私には思える)国民投票から4年半が経ち、諦めもついたし割り切りも出来たのだろうか。それに対して、大陸側の人はMulti-lateralこそ効果的で重要だと異口同音に語っていて、こちらもBREXITを教訓に結束が固まったように感じる。ルール・メイキングの諸分野では独特の存在感を示すヨーロッパであるが、米中両大国が突出する世界でそれなりの政治力を発揮するためには、結局、それしかないのだろう。こうして、英国は(大陸とはちょっと距離をおく、政治学で言うところのオフショア・バランサーの)英国として、またヨーロッパ大陸は(英国人によれば、大陸こそヨーロッパであって、そこには自分たちが入らない)大陸として、歴史的な存在に逆戻りしたかのようだ。
 翻って日本である。GDP世界三位と言いながら、どんどん置き去りにされ、埋もれかねないとともに、安全保障で米国に、経済で中国に依存し、米中対立のあおりで股裂き状態に陥りかねない懸念がある。中国とEUが年末に投資協定交渉で大枠合意したことを報じた産経の記事は、EUのボレル外交安全保障上級代表が、日本がインド太平洋戦略を掲げながら米国抜きでRCEPを実現したことは刺激となったとした上で、「毅然としながら開かれた態度をとっている」として、日本を対中外交のモデルにすべきだと主張したことを伝えている。う~ん、そこまでカッコ良いものではない、どちらかと言うと、優柔不断で決めかねつつ、どちらからも嫌われない苦渋の選択を重ねているだけのように思われるが、そんな欧州や英国(さらにはファイブ・アイズ)など、志を同じくする国々との連携(つまりは「束」になって)こそ、米中の間をとりもち、自由で開かれた国際社会を守るべく、これからの日本が生き抜く道であろう。
 願わくは、昨年よりはHappier New Yearとならんことを・・・
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