風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

アジア紀行(上)KL

2016-08-30 23:10:03 | 永遠の旅人
 久しぶりの海外出張は、またしてもアジアだった。KL(マレーシア)とマニラ(フィリピン)である。先々週の水曜日に出発し、土曜夜には帰国していたが、その後、あほうは風邪をひかぬはずが、珍しく先週水曜日は早退するほど悪化し、その後、木・金曜日はガマンして通常勤務したものの、週末は再び動きたくなくて、二日とも一日中、横になってまさにノビていた(僅かに小説を三冊読破しただけ)。どうせ暫く自堕落な生活を送ってきたツケに遅れて見舞われただけなのだが。
 先ずはKL編。
 行きのフライトはJALだったが、マレーシア到着前、耳慣れないアナウンスがあった。タバコの広告がある雑誌の持ち込みは禁じられている、というのだ。ポルノは勿論、日本の週刊誌のグラビアでもダメなのは知っている。後で調べたら、マレーシア政府は既に2005年7月23日から、小売店でのタバコのロゴ掲示や関連広告の掲示を全面禁止していたようだ。そんなこともあったかなあ・・・当時と言えば、ちょうどマレーシア駐在が決まり、家族ともども着任したばかりの頃だ。それ以来、何度、KLIA(KL Int’l Airport)に降り立ったか知れないが、このようなアナウンスはついぞ聞いたことがなかった。もしかしたら、政府が真面目に取り組んで(なんて言い方は妙だが、法令があっても運用が緩いこと、もっと言うと、敢えて取り締まらないことは、マレーシアはじめ東南アジア諸国ではザラにあることだ、そしてその陰で、取り締まりと見せかけて賄賂を受け取る口実にしたりする・・・いや、まあ、どこの国とは言わないけれど・・・)、実際に空港で日本人がらみの没収騒ぎでもあったのかも知れない。
 この、法令があっても運用が緩いというのは、中国も概してそのように映る。しかし中国の怖いところは、緩いと思って油断していると、ささっと“刀を抜く”ことがあることだろう。そうなると、法令だけは結構しっかり作り込んであるから、途端にタテマエで動き始める彼の国では、うまく袖の下でごまかせればいいが、さもなくば豚小屋行きだ。
 閑話休題。
 現地人同僚によると、マレーシアでもポケモンGOは人気のようだ。リオ・オリンピックでは、金メダルになかなか手が届かないと悔しそうである。こうして見ると、マレーシアは、勿論、敬虔なムスリム国でありつつ、政治的には世俗主義で、かつて東南アジア経済の優等生と言われて、今なおシンガポールに次ぐ先進国予備軍であり、中所得国の罠に陥って久しく停滞しているが、私たちに価値観が近く、このままトルコのような揺り戻しがないことを祈るばかりだ。
 たった丸一日の滞在で、到着した夜は久しぶりにニョニャ料理(と名がつくが、その実、ナシゴレンやナシレマといった屋台料理そのもの)を食べ、翌日昼は現地人同僚たちとテーブルを囲んで飲茶を食し、心残りはバクテー(肉骨茶)にありつけなかったことか(因みにその夜はマニラ行きマレーシア航空の機内食で、ちょっとしょぼい)。相変わらず空港とホテルとオフィスを往復するだけの、味も素っ気もない旅である。
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やっぱりイチロー

2016-08-29 23:28:53 | スポーツ・芸能好き
 今年は、オリンピック・サマーで、日本人選手の活躍あったればこそではあるが、すっかり楽しませて貰った。閉会式でも、次の開催地の首長として伝統的な着物姿で登場した小池東京都知事に五輪旗が手渡された後に行われたプレゼンテーション映像で、伝統的な、従い他を寄せ付けない孤高の日本ではなく、アニメやゲームのキャラクターを中心とするポップ・カルチャーの、つまりは世界に開かれた日本をアピールしたのは、実に洒落ていてオリンピックに相応しくて良かった。安倍首相がスーパーマリオに扮したのは、まあご愛嬌だったが、意表をついて多くの人を驚かせたという意味では成功と言えるし、登場の仕方としては確かによく出来ていた。日本より諸外国での評判の方が上々だったようだ。そんなこんなで、プロ野球もオリンピックには遠慮していたかのようだし、夏の高校野球は完全に霞んでしまって球児たちには気の毒だった。
 そんな今年の夏の、オリンピック前のことなので、今となっては遠い昔の話のようだが、今月が終る前に、今月初めに達成されたイチローのメジャー3000安打のことは、やはり書き留めておきたい。
 3000安打へ残り4本として本拠地10連戦を迎えたまでは順調で、さすがイチローと思わせたが、本拠地で僅か2安打に終わり、記録達成はなんと遠征に持ち越しとなってしまった。そのあたりの心境をイチローはこう語っている。
 「人に会いたくない時間もたくさんありましたね。だれにも会いたくない、しゃべりたくない。僕はこれまで自分の感情をなるべく殺してプレーをしてきたつもりなんですけど、なかなかそれもうまくいかず、という苦しい時間でしたね」
 そしてついにその日が来た。8月7日、ロッキーズ戦7回。そのときの心境をイチローはこう語っている。
 「これはみなさんもそうですけど、これだけたくさんの経費を使っていただいて、ここまで引っ張ってしまったわけですから、本当に申し訳なく思いますよ。それはもうファンの人たちの中にもたくさんいたでしょうし、そのことから解放された思いの方が、思いの方がとは言わないですけど、そのことも大変大きなことですね、僕の中で」
 引退したデレク・ジーターは、自身の運営するウェブサイト「プレイヤーズ・トリビューン」に掲載したコラムで、「イチローについて何よりも称賛したいことは、一貫性に関するモデルであるということだ。それは、見過ごされてしまいがちだが、重要なものなんだ」と語っている。最近はスタメンを外れ代打出場が多くなっても、日々のルーチンを怠ることはなく、40歳を超えてなお、第一線で活躍し続ける。レーザービームと称賛される肩の力も、一つ先の塁を盗む脚の力も、左右に打ち分ける多彩な打撃の力も、40歳を過ぎてなお変わらない。いや年齢を超えて変わらないと言うよりもむしろ進化し続けていることこそ、イチローの一貫性と言えるのかも知れない。環境が変わる中でも、変えなかったこととして、イチローは次のように答えている。
 「感情を殺すことですね。このことは、ずっと続けてきたつもりです。今日、達成の瞬間はうれしかったんですけど、途中、ヒットをがむしゃらに打とうとすることが、いけないことなんじゃないかって、僕は混乱した時期があったんですよね。そのことを思うと、今日のこの瞬間は当たり前のことなんですけど、いい結果を出そうとすることを、みんな当たり前のように受け入れてくれていることが、特別に感じることはおかしいと思うんですけど、僕はそう思いました」
 そして今後についてはこう答えている。
 「もう少し……感情を無にしてきたところを、なるべくうれしかったらそれなりの感情を、悔しかったら悔しい感情を、少しだけ見せられるようになったらいいなと思います」
 少し丸みを帯びて来たようだ。イチローも年取ったなと思う。いや、本人自身が年を取ったと言った。
 「この2週間強、犬みたいに年取ったんじゃないかと思うんですけれど、あんなに達成した瞬間にチームメートが喜んでくれて、ファンの人たちが喜んでくれた。僕にとって3千という数字よりも、僕が何かをすることで、僕以外の人たちが喜んでくれることが、今の僕にとって何より大事なことだということを再認識した瞬間でした」
 孤高のプレイヤーとの印象が強いが、人は他人に認められることにこそ最高の価値を見出す。人の人たる所以であり、イチローもやはり人の子なのだ。もう少し、その一貫性に関するモデルであるところを見ていたい。
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リオ五輪第五幕・国の力

2016-08-22 00:45:17 | スポーツ・芸能好き
 昨日、海外出張からの戻りで半日移動している間に、陸上男子4×100メートル・リレーで、日本チームが「銀」メダルを獲得したという嬉しいニュースがあった。前回・ロンドン五輪での「銅」メダルは、メディアは遠慮して触れないが言わば棚ボタだっただけに、今回、実力でもぎ取った「銀」メダルには価値がある。アメリカをも抑えたのだから感動的ですらある。一人ひとりは決勝に残れるほどの飛び抜けた実力がなかったが、美しいと言っても良いほどのスムーズなバトン・リレーの技術力はボルトも認めたほどだし、一定レベル以上の4人が集まり、層の厚さを見せつけた形だ。
 体操男子団体金メダルや競泳男子800メートル・リレー銅メダルの健闘のときにも書いたように、私には「団体戦」に特別の思い入れがある上、高校時代に陸上部で、一つ上の代の先輩が大阪大会4×100メートル・リレーで優勝しインターハイにも出場した種目として身近に見ていただけに、感慨は一入である。ニュースや名場面として繰り返し放映されるたび、泣けてしまう・・・。実は桐生も、「個人種目より、リレーが好き」と言って憚らない。「なんで好きなのかな。4人が力を合わせてやるワクワク感とか、バトンをもらうまでのドキドキ感とか」と言うが、個人の孤独な戦いを基本とする陸上競技であるからこその独特の連帯感については、以前にも書いたように、よく分かる。洛南高校陸上部監督によると「桐生は冷静に走ると良くないが、興奮状態で走れば本来の強さが出てくる。その走りができたのではないか」と言われるが、そうなるであろうこともまたよく分かる。
 この競技で、中国は日本に対してライバル意識を剥き出しにしていたようだが、民族意識を前面に出すのは、中国や韓国くらいではないだろうか。実際、金メダル・ランキングを見ても分かるように、上位を占めるのは、“移民”大国の先進国であり、更にはせいぜい人口が多い国だ。まだ全ての競技が終わっていないが、1位:米国(43個)、2位:英国(27個)、3位:中国(26個)、4位:ロシア(17個)、同:ドイツ(17個)、6位:日本(12個)といった具合だ。
 以前、北京五輪のとき、海外駐在していた徒然に、国別に金メダル獲得数と一人当たりGDPとの相関をグラフ化したことがある(http://blog.goo.ne.jp/sydneywind/d/20080827)。その時には十分に説明し切れなかったが、例えばカヌー競技で日本人初の銅メダルを獲得した羽根田卓也さんが高校卒業後、カヌーの強豪国スロバキアに単身渡って修行しているように、日本人だけでなく、発展途上国の人が、練習環境の整った先進国で修業し、挙句、国籍まで取ってしまう場合も多いのではないかと想像する。こうしてスポーツや文化に予算を投入できるのは経済大国の証しでもあり、オリンピックという晴れの舞台で金メダルを獲得出来るのは国力の証でもある。比較するのは恐縮だが、韓国メディア自身が言うように、韓国が7種目(アーチェリー、フェンシング、射撃、重量挙げ、柔道、テコンドー、バドミントン)に偏る中で、先ほどの欧州諸国が強いカヌーや、世界的に人気のテニスでもメダルを獲り、万遍なく多くの種目でメダルを獲得する日本の健闘は、やはり特筆すべきだろう。もっとも2020年の東京五輪が決まって、その効果が先行して表れた面もあったかも知れない。
 昨今のシリアやイラクさらに北アフリカからの欧州への移民が問題になり、その反動として英国でEUを離脱する動きがあったように、民族と国家のありようは永遠の課題である。国家の威信など、本来はどうでもいいはずだと私は思うのだが、国家という近代の理性的枠組みのもとでも、民族問題が切り離せないのが人間の性(サガ)である以上、オリンピックは戦争に代わり格好の民族主義高揚の場面として自国の活躍を誇り、同時に世界の協調を確認する、欠くべからざる機会なのだろう。
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リオ五輪第四幕・柔の道

2016-08-16 22:58:29 | スポーツ・芸能好き
 遅ればせながら、私なりの第四幕は、柔道ニッポンの健闘である。とりわけ男子は、金2つを含み全階級でメダルを獲得し、金メダル・ゼロに終わった前回ロンドン五輪(柔道が五輪の正式種目になった東京五輪(1964年)以来、初めてのゼロ)の雪辱を見事に果たしたのだった。などと偉そうなことを言うが、期間中、ライブで経過を追ったわけではなく、ニュースで結果を確認しただけだった。というのも、ポイントを稼ぐ国際競技としてのJUDOは、見ていてもついストレスになってしまって辛いのだ。その典型は、100キロ超級決勝での、原沢久喜と、この階級の「絶対王者」と呼ばれるリネールとの対戦だろう。まともに組み合うのを嫌ったリネールが逃げ回るのをとらえることが出来ず、効果的な技を仕掛けられなかった原沢は、あろうことか2つの指導をとられて、銀メダルに終わったのだった。リネールの勝利への執念に負けたと言うべきかも知れない。
 しかし、こうして冷徹に勝負に徹するのは、なにも外国人ばかりではない。日本人金メダリストの二人は、見ようによっては好対照をなしていたと言えなくもない。男子73キロ級の大野将平は、一本勝ちにこだわり、実際に圧倒的な強さを見せ、優勝後の取材で「柔道の素晴らしさ、強さ、美しさを見ている皆さんに伝えられたと思う」と誇らしげに語った。他方、90キロ級のベイカー茉秋も強かったのは事実だが、決勝ではポイントを奪って逃げ切った。大野将平は、大和言葉で書くところの「柔の道」の伝統的な精神性にこだわり、ベイカー茉秋は格闘技としてのJUDOのゲーム性にこだわったとも言える。賛否両論あろうと思うが、柔道ニッポンに対して当たり前にメダルを期待する私たちとしては、余程、力の差がない限り、勝ちに行くJUDOを否定すべきではないのだろう。国際競技となったJUDOの宿命と言うべきだ。
 それにしても・・・と、つい思ってしまう。小学生の頃、短い間だったが道場に通い、先ずはお互いにしっかりと組むところから始めるお行儀の良い柔道を習った身としては、奥襟ばかりか背中深くを捉えようとさえするのは、いくら格闘技として有利な組み手を争うものとは言え、見ていて見苦しく、あんまりだと思うのだが・・・かつての古賀稔彦さんの一本背負いに象徴されるお家芸の幻影から逃れられない、これもただの懐古主義なのだろうか。
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リオ五輪第三幕・紙一重

2016-08-13 01:13:28 | スポーツ・芸能好き
 勝手に私なりの「幕」をつけて、第三幕は勝負の紙一重の差について思うところを。
 男子体操の団体競技で日本チームは、五種目を終えて、最終種目を残しながら首位に立ち、最後のゆかで(ちょっと余裕で)逃げ切ったのだったが、個人総合でうっちーは、五種目を終えても2位で、首位とは0.901点の差があり、最終種目の鉄棒で万全の演技を見せて15.800点の高得点を叩き出したものの、窮地に立たされていたと言っても過言ではなかった・・・というのは私たち外部の見方で、本人は最後の鉄棒も含めて五輪で初めてノーミスで自分の演技が出来て、これで負けても悔いはないと冷静に首位オレグ・ベルニャエフ(ウクライナ)の演技を待ったらしい。結果、鉄棒で1.000点差をつけ、総合で0.099点差という薄氷を踏む軌跡の逆転劇を演じたのだった。
 競技後の記者会見で、うっちーに対して海外の記者から「審判からかなり好意的に見られているのでは」と逆転優勝に“ケチ”をつけるイジワルな質問が飛んで、銀メダルのベルニャエフがうっちーに続いて口を開き「採点はフェアで神聖なもの。今のは無駄な質問だ」と言い放った男気が美談として報じられているが、むしろベルニャエフがうっちーのことを「体操は水泳や陸上よりマイナー」としながらも「(体操界における)水泳のフェルプスのような存在。すでに伝説だ」と最大級の賛辞を贈ったことの方に、私としてはあらためて感動したが、余談である。
 水泳女子200m平泳ぎで金メダルに輝いた金藤理絵は2位にそれなりの差をつける強さを見せたし、逆に男子200m個人メドレーで追い上げて銀メダルを獲得した萩野公介は金メダルの怪物フェルプスとの間に差があったように、明らかな強さがあるのは否定しないが、一般には、女子200mバタフライの星奈津美が紙一重の惜しい銅メダルに終わったように、紙一重の勝負を戦い抜くケースが多いのではないかと思う。卓球男子の水谷隼は三位決定戦で見事に同種目で日本初のメダルを獲得したが、女子の福原愛は惜しくもメダルを逃し、明暗を分けたが、それぞれ紙一重の差だったように思う。勝負師として張本勲さんは常日頃、実力6割、その日のコンディション2割、運2割と言われるように、いくらその日に合わせて来ていても、直近の世界水泳や世界柔道の金メダリストが金メダルを獲れるとは限らないのがオリンピックという晴れの舞台だ。そんな微妙でぎりぎりの世界でなお金メダルを獲る選手に対しては、その紙一重の強さを称えるべきだし、銀メダルや銅メダルに終わる選手に対しても、結果が全てとは言え、その健闘を称えたいと思う。その差はもちろん凡人の私には窺い知れないが、実力を見せつけるものだったり、天の配剤によるものだったりするのだろう。うっちーには、体操の神様が微笑んで、その努力に報いたのではなかっただろうか。
 うっちーは、銀メダルのベルニャエフについて、次は勝てない(自分には勝つ自信がない)と、競技後に本人との間で、またインタビューのときに記者を前にして、語っていたのは、半分お愛想で半分ホンネだろう。また、「疲れ切りました。出し切りました。もう何も出ないところまで出し切って取れたのでうれしいより幸せです」と語ったところに、紙一重のぎりぎりの勝負を戦いぬく厳しさと清々しさが垣間見えて、チームプレイとか連携などと美辞麗句でなにごとも飾られるべきご時勢に、自己流を貫き通せない自戒を込めて、羨ましいったらありゃしないのである。
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リオ五輪第二幕・団体戦

2016-08-11 00:18:27 | スポーツ・芸能好き
 団体種目には、私なりに特別の思い入れがある。
 世界体操に続き、金メダルを期待された体操男子団体の日本チームは見事に金メダルを獲得した。オリンピックでは三大会ぶりとなる。個人種目よりも団体種目にこだわってきたうっちーは、金メダルを「めちゃめちゃ重たい」と言い、「北京、ロンドンとメダルを取ってきて、一番重たいので、それプラス僕たちの頑張りという、なんかよく分からないものも入っているので、倍以上に感じていると思います」と答えるとともに、次は個人総合があるがと問われて、「そうですね。今は何も考えられないです」とも答えて、団体種目への思い入れのほどをほとばしらせていた。
 また、競泳男子800メートル・リレーで、日本チームは52年ぶりのメダルとなる銅メダルを獲得した。4年前、康介さんを手ぶらで帰らせるわけには行かないと名言を吐いた松田丈志(32歳)は、本人にとって唯一の参加種目で、10歳近く離れた若者と組んで、第二泳者の江原騎士(23歳)や第三泳者の小堀勇気(22歳)に同じ言葉を吐かせたいと言って笑いをとっていたものだが、見事に現実のものとした。
 純粋なチーム・プレイのサッカーやラグビーと違って、体操団体や水泳のリレーは、個人のパフォーマンスをベースにバトンを繋ぐ、その中途半端な距離感が個々人の責任感を促すとともに、チームの結束を確認し合う、独特の連帯を醸し出す競技である。私も、高校時代に陸上の中距離を専門とし、所詮は孤独な走りを当たり前と諦めるからこそ、チームで戦う冬場の駅伝レースには特別に気合いが入ったものだった。私自身は高校生活最後の駅伝が不本意なものだっただけに、体操男子団体や競泳男子800メートル・リレーで、互いを励まし合う姿は、涙なくして見られない(笑)。
 松田丈志は、レース後のインタビューで、自身最後のオリンピックとなるであろうことを覚悟しつつ、「これからこの3人がどんどん日本の自由形を引っ張っていってくれることを願っています」と言い、「すごく思い出に残るレースができましたし、楽しかったです」と答えていたのが、実に微笑ましく、羨ましかった。このあたり、家族からどんなに白い眼で見られようが、私としてはやはり(ほろ苦い)涙なくして見られないのである(笑)。
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リオ五輪開幕

2016-08-09 00:52:26 | スポーツ・芸能好き
 リオデジャネイロ五輪が開幕した。準備不足が懸念されていたが、テレビ映像を見る限りでは、そうとは感じさせない。治安にも大いに不安があったが、スポーツの祭典を無事、終えて欲しいものだと思う。ややもすると世界を覆う政治・経済や社会の閉塞状況に負けそうになるが、スポーツ選手が勝利に向かって懸命に力を出し切る姿を見ると、勇気を与えられるし、かつての自分をも(レベルは格段に違うが)思い出して、束の間、元気になる。
 早速、水泳の最初の種目・男子400m個人メドレーで萩野公介が金メダル、瀬戸大也が銅メダルを獲得した。競泳種目でのダブル表彰台は60年振りの快挙だそうだ。金メダルを期待され、しかもかなり有望視されて、その期待通りに、あっさりと(と見えるほどだった)実現してしまう、その強さに些か驚嘆した。残り50mで2位のケイリシュ(米)に0.53秒に迫られながら、ゴール時は0.70秒差に(僅かではあるが)広げた肉体的な強さもさることながら、注目すべきは精神的な強さである。それは、この金メダルを手繰り寄せた日本新記録4分6秒05が、萩野自身が2013年4月の日本選手権で叩きだした日本記録を、実に3年振りに更新するものだったところに、どうも秘密があったようなのである。
 もともと萩野と瀬戸は性格が正反対のようだ。瀬戸は物おじせず人懐っこい好青年で、故障などの苦難も飛躍のばねに変えるポジティブさがあるようで、決勝レース後のインタビューでも開口一番「疲れちゃいました」と言ってのけられる明るさがある。対する萩野は、2012年のロンドン五輪400m個人メドレーではマイケル・フェルプスに競り勝ち銅メダルを獲得し、翌2013年の日本選手権では史上初の五冠を達成したところまでは良かったが、この年の世界選手権では本命視された400m個人メドレーで5位に惨敗し(瀬戸が金メダル)、元来、ネガティブな性格の萩野は、どんどん内に籠るようになったという。瀬戸は、2015年の世界選手権でも連覇を果たしたのに対し、萩野は、大会前の合宿中に自転車で転倒して右ひじを骨折し、大会出場すら叶わなかった。
 ところが、東洋大の水泳部コーチは、萩野が主将という立場になって、自らが強くなることだけでなく、チームのことを考えることで、人を思いやれるようになったといい、以前は勝った後も顔が険しかったが、最近は表情が穏やかになったとも言う。かつては「打倒・萩野」を公言する瀬戸に対し、心の中で自分の相手ではないと考え、周囲からライバルと呼ばれることも嫌がっていたらしいが、今回の決勝レース後のインタビューで瀬戸の存在について問われると、かみしめるように「幸せ者だと気付いた」と語るまでになった。
 この3年間のことは窺い知れないが、心技体で充実したように見える萩野の今後の活躍を期待したい。
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千代の富士 逝く

2016-08-06 19:32:33 | スポーツ・芸能好き
 元・横綱千代の富士の九重親方が亡くなった。
 お相撲さんには珍しく引き締まった美しい身体をしていた。身体能力の高さはつとに知られており、中学時代は陸上・跳躍の地方大会で優勝し、将来を嘱望されるほどだったらしい。気性の激しさも人一倍で、他の力士がなんとなく鈍重な牛に見えてしまうのに対して、小兵ながらも筋肉質で敏捷な動きと、目つき鋭く、精悍な顔立ちは、まさに「ウルフ」の愛称に相応しかった。
 そんな性格そのままに、力任せの強引な投げを得意としていたが、「先天的に両肩の関節の噛み合わせが浅いという骨の形状から来る肩(左肩)の脱臼が顕在化」(Wikipedia)したため、肩の周辺を筋肉で固めるようにと医師に勧められるまま、毎日500回の腕立て伏せやウェイト・トレーニングに励んで脱臼を克服し、以後、脇を締めて肩への負担を抑え、前廻しを取って一気に寄り切る、スピード感溢れるスタイルを完成させて行く。
 そして1981年という年には、一月場所に関脇で優勝して大関に昇進し、大関3場所目の名古屋で優勝して横綱に昇進し、更に、新横綱の九月場所こそ途中休場する憂き目に遭ったが、九州場所で横綱初優勝を遂げ、同一年内に関脇・大関・横綱の3つの地位で優勝するという史上初の珍しい記録を達成した。このとき千代の富士25~26歳の勢いを感じさせた。その後、度々ケガに泣かされたが、円熟味を加えた1980年代後半(29~33歳)には年の半分以上で優勝する黄金期を迎える。幕内807勝(歴代3位)、通算1045勝(歴代2位)、横綱在位59場所(歴代2位)、幕内最高優勝31回(歴代3位)を記録し、1989年には角界初の国民栄誉賞を受賞して、「小さな大横綱」の名をほしいままにした。
 濃い眉毛に勝負師らしいきりっとした良い目の端正な顔立ちで、その雄姿も、ただ立っているだけで美しいだけでなく、足を高々とあげる均整のとれた四股を踏んで美しかった。優勝決定戦に出場した6回全てで勝利して優勝するなど、ここ一番での勝負強さも抜群だった。中でも忘れられないのは、1989年の名古屋場所、左肩ケガで休場明けだった上に、生後間もない三女をSIDS(乳幼児突然死症候群)で亡くした直後で、精神的にも打ちひしがれ、場所中は数珠を首にかけて場所入りする悲壮な姿が涙を誘った。そして千秋楽、北勝海との史上初の同部屋の横綱同士による優勝決定戦に持ち込み、勝利してまな娘の供養をしたのだった。今ではお馴染みの光景となっているが、優勝力士が支度部屋で賜杯を抱き夫人や子供と記念撮影するようになったのは、千代の富士からとされる。勝負を離れた後の清々しい笑顔がまた印象的だった。千代の富士によって相撲の魅力が倍加したのは間違いなく、当時を知るだけに、昨今の角界を物足りなく思うのは私だけでなく、久しく日本人横綱が出ない惨状を、千代の富士はどんな思いで見つめていたことだろう。
 享年61。余りに突然で、早過ぎる死が惜しまれる。合掌。
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大英帝国の威光

2016-08-01 02:32:43 | 時事放談
 英国人は、ドーバー海峡を越えて大陸に渡るとき、今でも「ヨーロッパに行く」と言うのだそうで、自らはヨーロッパに含まれないかのようだ。実際にBREXITは、英国のDNAの為せるワザだという声が根強い。19世紀後半の「栄光ある孤立」はもとより、EUの前身のそのまた前身であるヨーロッパ経済共同体(EEC)は、フランスが主導し、インナー・シックスと呼ばれる原加盟6ヶ国で運営され(フランス、西ドイツ、イタリアおよびベネルクス三国)、英国はこれに対抗するため、アウター・セブンと呼ばれる7ヶ国(イギリス、北欧三国<スウェーデン、ノルウェー、デンマーク>、オーストリア、スイス、ポルトガル)で、1960年、ヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)を組織したのだった。フランスのド・ゴール大統領は、「フランスの栄光」を掲げ、アメリカとイギリスの影響力を排除してフランス優位主義外交を展開し、ヨーロッパ統合を推進したものの、イギリスのEEC加盟には反対していたものだ。
 その後、イギリスがヨーロッパ共同体(EC)に加盟を認められた1973年から既に43年になり、今では、英国のみならず加盟国の全てでEUの存在を前提とした体制が定着している。
 先日、ブリュッセルの弁護士(通商法専門)によるBREXITの解説を聞いた。英国はこれからEUなき後に備え、EUのほかEUが締結していた各国とFTA(自由貿易協定)を締結し直すとすれば、現在、通商関係担当官は20名しかいないが、500名必要だと言う。そしてその弁護士も英国政府から声を掛けられたと言って笑っていた。恐らくこうした実務レベルの苦難を、国民投票でEU離脱賛成に一票を投じた国民は、知らない。そして事は通商にとどまらない。
 ある安全保障専門家が、ブリュッセルで話を聞いたところによると、EU委員会の関係者は、英国とは変わらない関係を維持したいと言うらしい。何しろ英国は戦略立案能力と情報収集能力に優れている、と。まさに大英帝国の威光である。そしてアメリカをEUに繋ぎ留めるのは、なんだかんだ言って英国を措いて他にいない、と。ド・ゴールがあれほど嫌ったアメリカの存在が、今のEUではかけがえのない存在となっている。そして、英国がいないEUは大丈夫か?と聞くと、皆、一様に言葉に詰まるそうである。
 リチャード・ニクソン元大統領がウィンストン・チャーチルのことを回顧したエッセイを読むと、次のようなくだりに出会う。

(引用)
 指導力の松明がアメリカ人の手に渡ったのは、アメリカ人に指導力があったからではなく、単に力があったからに過ぎない。私は、チャーチルが公然と米国を妬んだり恨んだりしたと言うのではない。しかし心の奥底では、イギリス人は「何世紀もの国際的経験のある自分たちの方が、アメリカ人より指導の仕方を知っている」と思ったと推察する。1954年に会って話したチャーチル以下の英国指導者には、一種の諦めと言うか、絶望のようなものが感じられた。
 米国にも有能な外交官は多いが、英国が影響力を持つ国々を旅した私の経験から言うと、彼らの外交官の方が遥かに洞察力も力量も上である。今日でも、米国の為政者は、重要な決断の前には、ヨーロッパの首脳の意見を聞くべきだと思う。単なる相談や事後通告ではいけない。力のある者が、必ずしも最大の経験と最高の頭脳と眼識と直観を備えているとは限らないのである。
(引用おわり)

 これは1980年代に書かれた回顧録であるが、古くてもはや意味をなさないと思うだろうか。米国が「洞察力や力量」を獲得する以上に、英国の「洞察力や力量」が衰えたと訝る人がいるかも知れない。しかし911の後、米国がヨーロッパから孤立する形で単独行動主義に陥ったことを思い浮かべる人もいるだろう。最近でも、米国のシア空爆に、英国議会は反対を表明したことを思い出す。
 勿論、立場によって考えは違うだろう。フランクフルトの金融関係者は、シティから仕事を奪うことを期待しているかも知れない。しかし外交や安全保障に限れば、EUにとって英国の存在は欠かせないものと認識されているはずだ。それは、例えば日米安保条約を思い出せばいい。トランプ候補が、日米安保条約不要論のようなことを主張したとき、日本のメディアは慌てた。戦後の日本国憲法で専守防衛を謳い、国防上の致命的な欠陥を補ってきたのは、沖縄をはじめ全国に展開する在日米軍の存在である。防衛力整備には一声30年の時間と恐らく倍以上の防衛予算が必要である。今さら米軍に抜けられても困るのである。相互依存関係によりそれぞれに最適化した体制は、英国とEUとの間にも妥当するだろう。今さら英国はEUを抜けても困るのではないだろうか。
 果たして、英国民は、今後、明らかになるであろう実務的な困難を乗り越え、EU離脱の通告をすることに賛成するのかどうか、なかなか興味深いところだ。
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