戦争が終ったのは、ご存知の通り物理的には1945年8月15日だが、国際法的には1952年4月28日のようだ。言わずと知れたサンフランシスコ講和条約発効の日であり、日本が戦争期間(4年弱)より長い占領期間(7年弱)を経て再び主権国家として独立を回復した日である。実際に同講和条約第1条には、「日本国と各連合国との間の戦争状態」は「条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する」とある。そうすると今年は戦後70年と言うが、法的には63年ということになる。
まあ、年数のことはどうでもよい。ポイントは日本人が「終戦記念日」と称して「記念」するのは、法的に戦争が終わり「独立」を回復した日ではなく、物理的に戦争が終った8月15日、正確には「昭和天皇が『戦争終結の詔書』を読み上げる玉音放送により、ポツダム宣言受諾・連合国への降伏が日本国民に伝えられた日」(Wikipedia)であるのは、戦争から解放されたと日本人が感得したという意味では、やむを得ないことだろうと思うが、これは極めて象徴的なこととも思う。
別に「独立」の日こそ、新生・日本が平和国家としてスタートする「記念日」とすべきだとまで主張するつもりはない。実際に、新生・日本人は自主憲法すらこれまでのところ制定出来ていないのだから。そうではなく、「終戦」などと言って、「敗戦」だった事実を隠蔽あるいは糊塗するものだと批判したのは、戦後の進歩的知識人あるいはリベラル派(乃至は戦後の平和主義者)だったが、それでは「終戦」と糊塗したとして、保守派(乃至は戦前の国家主義者)は、二度と敗戦の憂き目に遭うことのないよう、政・軍で強い日本を作ることを誓ったのかと言えば、そうではない。むしろ多くの日本人は、戦没者を悼み、将来に向けて静かに非戦を誓ったのである。
その結果、今もなお、集団的自衛権行使容認や安保法制を巡って国論が二分する事態に陥っているのは、まさに8月15日を記念日とする日本人の平和への想いが強烈だからであろう。こうした平和への想いは大いに共感できるし、必ずしも悪いことには見えないのだが、ちょっと待って欲しい。戦後、とりわけサンフランシスコ講和条約発効後に独立を回復してからは、憲法改正を叫ぶのは自主を叫ぶことと同義だったわけだが、冷戦という特殊な(つまり日本にあっては異例なほど平和な)環境下で、平和への想いが無条件に増幅・強化され、自主の精神が衰えてしまったのだとすれば、やはり憂うべきことなのである。
まあ、年数のことはどうでもよい。ポイントは日本人が「終戦記念日」と称して「記念」するのは、法的に戦争が終わり「独立」を回復した日ではなく、物理的に戦争が終った8月15日、正確には「昭和天皇が『戦争終結の詔書』を読み上げる玉音放送により、ポツダム宣言受諾・連合国への降伏が日本国民に伝えられた日」(Wikipedia)であるのは、戦争から解放されたと日本人が感得したという意味では、やむを得ないことだろうと思うが、これは極めて象徴的なこととも思う。
別に「独立」の日こそ、新生・日本が平和国家としてスタートする「記念日」とすべきだとまで主張するつもりはない。実際に、新生・日本人は自主憲法すらこれまでのところ制定出来ていないのだから。そうではなく、「終戦」などと言って、「敗戦」だった事実を隠蔽あるいは糊塗するものだと批判したのは、戦後の進歩的知識人あるいはリベラル派(乃至は戦後の平和主義者)だったが、それでは「終戦」と糊塗したとして、保守派(乃至は戦前の国家主義者)は、二度と敗戦の憂き目に遭うことのないよう、政・軍で強い日本を作ることを誓ったのかと言えば、そうではない。むしろ多くの日本人は、戦没者を悼み、将来に向けて静かに非戦を誓ったのである。
その結果、今もなお、集団的自衛権行使容認や安保法制を巡って国論が二分する事態に陥っているのは、まさに8月15日を記念日とする日本人の平和への想いが強烈だからであろう。こうした平和への想いは大いに共感できるし、必ずしも悪いことには見えないのだが、ちょっと待って欲しい。戦後、とりわけサンフランシスコ講和条約発効後に独立を回復してからは、憲法改正を叫ぶのは自主を叫ぶことと同義だったわけだが、冷戦という特殊な(つまり日本にあっては異例なほど平和な)環境下で、平和への想いが無条件に増幅・強化され、自主の精神が衰えてしまったのだとすれば、やはり憂うべきことなのである。