風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ONがいた時代から今

2024-05-29 01:24:00 | スポーツ・芸能好き

 今年は読売巨人軍創設90周年の節目で、3日の「長嶋茂雄DAY」に続き、今日のソフトバンクとの交流戦は「王貞治DAY」と銘打ってセレモニーが行われた。

 かつて全国的にテレビ放映された巨人は、子供たちに全国的な人気があり、「巨人・大鵬・卵焼き」という御三家の一角を占めた。私がその言葉を知ったのは後年のことだが、大鵬が32度目の優勝を飾ったときの新聞の切り抜きを大事にとっていたし、大阪に住んでいたが巨人ファンだった。と言うと不思議がられるが、巨人の人気は全国区だったのだ。小学生の頃、クラスメイトと草野球チームを作って、週休一日の当時の大事な日曜日も毎週、練習に明け暮れて、リトルリーグ相手に連戦連勝を誇ったものだが、メンバーは巨人ファンと阪神ファンに二分されていた。当時の大阪はそんな感じだった。そして毎朝、卵焼きを食べさせられて、食傷気味だった。

 長嶋さんの引退試合はリアルタイムで見たし、その少し前に、阪神・村山実さんの引退試合を甲子園まで見に行って、マイクロバスで引き揚げるONを間近に見て感動したのが忘れられないが、年齢的には長嶋さんより王さんに馴染みがあった。

 その巨人の第28代4番を務めた王さんが、第89代4番を務める岡本和真について、「素晴らしいですよ、ジャイアンツの4番で6年連続30本以上打つっていうのは。今の野球は僕らの時のものより複雑になっているし、難しいですよ、この時代に打つのは」「ホームランバッターとしての資質というかそういうのもあるし、気持ちも前に向かっている。あとは結果をもっと追い求めてほしいですね。『ホームラン王を絶対取るんだ』って気持ちで、『負けないんだ』っていう気持ちでね。そうすると、自分を追い込んでいってもっと練習もやるし、もっと緻密に考えられるようになる」などと語ったそうだ。確かに、ムーミンのようにおっとり(ぼんやり?)しているように見えて、ガツガツしない大物振りは大好きだが、記録への秘めたる執念は足りないように見える。

 先日、江川さんの完投型ピッチングについてブログに書いたように、5回か6回投げれば先発の役目を果たしたことになる分業制の今と当時とは単純に比べられない。それでも王さんは同時代で傑出していて、4年目から19年連続で30本以上を放って、圧倒的だった。国内だけでなく日米野球でも、1970年のジャイアンツ戦では1試合2ホーマーを放った後は敬遠されたし、74年に来日したメッツにはハンク・アーロンがいて、王さんとの本塁打競争を10-9で制した後に、「サダハル・オーはメジャーでも十分通用する」と絶賛したものだった。まだ貧しくて娯楽が乏しかったあの当時、などステレオタイプな言い草だが、圧倒的なヒーローがいて、手が届かないにしても、未来への限りない夢があった。

 翻って、現在の4番・岡本は、その前後を打つ3・5番が丸や坂本ではないことが多く、軽量級のため際どく攻められやすいのは気の毒だし、そうなると精神的な負担も大きいだろうし、実際に見えないところでは苦悩を爆発させているとも聞く。期待が大きいだけに物足りない。あの頃は、長嶋さんだけでなく、高田さんや土井さんや黒江さんや柴田さんもいて、堀内さんの200勝に典型的に見られるように、メンバーが揃った強いチームでは記録が出やすいのは事実だ。今やピッチャーはいつも全力で立ち向かって来る。それでも未来を夢見る子供たちがいて、その一球一球の勝負を息を凝らして見守っているのだ。その重責を、岡本には軽々と果たして欲しいものだと思う。

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受験勉強と学びの違い

2024-05-26 08:55:38 | 日々の生活

 十日程前の池上彰さんの大岡山通信(日経朝刊)は、「大型連休が明けて学生がキャンパスに帰ってきました」との書き出しで、新入生に向けて、「大事なことは、良き問いを立て、答えを求めて自ら学ぶという姿勢」だと、受験勉強からの脱皮を勧めておられた。これ自体は陳腐ではあるものの、その通りだろう。高校までは「授業」と呼んで、授けられるものを有り難く受けていたが、大学では「講義」と呼んで、自ら学ぶことが大切だと言って、講義をサボって遊ぶ口実にしていたのを懐かしく思い出す。あの頃、しっかり主体的に勉強していたら人生は変わっていただろう(笑)。

 大岡山通信に戻ると、しかし、その前提にはやや違和感がある。「君たちは小学校のころから、先生が何か問題を出すと、先生が求めている正解は何かをいち早く察知して答えることを繰り返してきたのでしょう。要するに忖度力です。ある意味で、求められている答えを忖度する力を高めることが受験競争に打ち勝つ手段でもあったのです」と言われるのもステレオタイプで、しかし、それだけではないはずだ。勿論、点数を確実に稼ぐには、問題文を読み込み何を求められているかをいち早く察知し的確に「答え」を纏め、採点者の心を捉えなければならない。それはその通りだが、それは後半分でしかない。前半分は、そもそも何が出題されるかを、池上さんの言葉を借りるならば「忖度」する。それを中途半端にやれば、ヤマが当たったとか外れたということになるが、普通に試験に備える場合は、定期考査と大学受験ではやや違うとは言え、教師視点で何が「問題」として出題されそうか忖度し、あるいは赤本に当たって大学の出題傾向を「忖度」して重点的に対策を練る。いずれも所詮は「忖度」には違いないが、試験(教師)が求めるものを先回りする努力をしていた。何が重要か、流れを、ポイントを、掴むことには長けていなければならなかった。こうした受験という狭い世界から自由になった解放感を、あの季節の眩いばかりの明るさとともに懐かしく思い出す。ようやく自分が好きなことに目が向けられる。そして私は長い五月病を患った(笑)。

 社会に出れば、大岡山通信にあるように「世界はどうあるべきか、日本はどうあるべきか、そして私はどうあるべきなのかという問いを立ててみる。その力が求められてくる」と言われる。「忖度」に慣れ親しんだ私たちには必ずしも苦手なことではなく、求められているものを探そうとして、そこからはスティーブ・ジョブズは出てこないなどと世間ではステレオタイプに批判される。しかし日本にだってソニーやニンテンドーが活躍したことがあったし、小さい企業の中にはいろいろ面白い取り組みをしているところがある。GAFAMが出て来ない日本に足りないのは、(中国という意識的に巨大を求めて力で圧倒する経済が現れた今)リスクを取って大規模に先行投資する実行力ではないだろうか(かつて半導体投資で後れをとったように)。構想力では負けていないのではないだろうか。そして、巨大を求めても勝てそうにない日本は別の戦い方を探さなければならないのではないだろうか。

 大岡山通信は、「自分の未来や幸福のために良き問いを立てるということは人間にしかできないこと」「技術とはあくまでも、情報を集め、考えるための道具に過ぎない」として、AI時代を生き抜く指針を与え、「考える力とは生きる力に通じるかもしれません。学生生活を大事に過ごしてほしいと思います」と締めておられる。分かりやすく伝えることを信条とされる氏の本領発揮と言え、その通りだと思う。AIは身近に欠かせないものとなるだろうが、まだ稚拙なAIを評価する感性が、またAIが進化してもAIを超える人間自身の感性が評価されるのは間違いないのであって、その感性は学びの中でこそ磨かれる。そこに老若男女の関わりはない、ということを、まだ限りない未来が広がる新入生ばかりでなく、定年を迎えて初めて自由の身になる方々へのハナムケの言葉にしたいと思う。なんだか他人事のようだが(笑)

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政権人事を巡って

2024-05-18 09:32:55 | 時事放談

 今どき、政治のトップ一人だけで何でも出来るものではない。自由・民主主義的な体制では権力を集中させず、モンテスキューに代表されるように三権を分立させる工夫を重ねて来たことが知られるし、逆に中国やロシアが独裁者のなすがままで権威主義体制を強めているのは、それなりの経緯がある。

 習近平は、2012年の政権掌握以来、反腐敗闘争を仕掛けて、政界浄化を期しているかのように見せかけて、かねて不平不満を抱いてきた庶民のガスを抜こうとしているのだと実しやかに語られ、西側世界に仄かな期待を持たせたことがあったが、何のことはない、敵を粛清する権力闘争と変わらないことを疑う者はいなくなった。今や共産党独裁ではなく習近平独裁となり、イエスマンばかりで周囲を固めるばかりに、彼にnoと言える人がいなくて、意思決定において独裁政権に典型的な危うさを孕むまでになり、ユーラシアグループは昨年の十大リスクの二番目に「絶対権力者」習近平を挙げた。

 ロシアも、プーチンの出自から旧KGB出身者で周囲を固め、盤石の警察国家を作り上げたからこその権威主義体制である。ウクライナ侵攻当初に想定外が続出し、短期間で終わるはずの「特別軍事作戦」が、アフガニスタン侵攻を越えるほどの泥沼になりかねない情勢は、独裁者に特有の意思決定の脆さのあらわれだろう。

 かかる次第で、政権の人事には注目しないわけには行かない。

 台湾の次期総統が四月末に国家安全保障チームの人事を発表した。基本的に現政権からの残留組を充てることで、台湾の対中政策を大きく変えるものではないことを示唆し、バイデン政権を安心させたと言われる。立場上、アメリカの意向を受けないわけには行かないし、そもそもヨーロッパと中東で紛争が続き、これ以上、アメリカの力を分散させるわけには行かないことは、台湾にとってこそ重要であろう。

 さて、それでアメリカである。秋の大統領選の行方はなお混沌としているが、三権分立では議院内閣制より厳格とされるアメリカで、果たして行政のトップ一人で国の行方が変わるはずはないと思いたいし、実際に2017〜21年では何だかんだ言ってエリートが支えて、トランプ氏の思い通りにならなかったではないかと思いたいところだが、冷や水を浴びせる記事があった。「『トランプ2.0』欧州覚悟を」とのタイトルでFT紙エドワード・ルース氏が書いたコラムを日経が転載したものだ。トランプ氏はタイム誌の取材で次のように語ったそうだ。「今回の私の強みは多くの人物を知っていることだ。私は今や良い人も悪い人も、愚かな人も賢い人も知っている。最初に大統領に就いた時は殆ど誰も知らなかった」と。なるほど、前回、トランプ氏の暴走を抑えられたのは、そういうことだったのだろう。あの時以上に世界の分断が深まるご時世に、トランプ氏のような同盟軽視で予測不可能な人にリードして欲しくないと、以前、ブログに書いたが、類は友を呼ぶであろうトランプ2.0政権の人事を思うと、益々「もしトラ」は勘弁して欲しいとの思いを強くするのだった。

 

 

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追悼・浪花のモーツァルト

2024-05-17 00:16:27 | スポーツ・芸能好き

 キダ・タローさんがそのように呼ばれていたとは存じ上げなかった。そう名付けられたのは、最高顧問と持ち上げられていた関西の深夜番組「探偵!ナイトスクープ」でのことで、番組出演は1989年以降というから、確かに私が大阪を離れてからのことになる。大阪では知らない人はいない、テレビ番組のテーマ曲やCMソングを数多く手掛けられた作曲家で、ご本人も分からないというその数は5千曲にのぼると言われる。「プロポーズ大作戦」や「ラブアタック!」「ABCヤングリクエスト」などの軽快で親しみやすいテーマ曲や「かに道楽」「551蓬莱」「日清出前一丁」などの瞬間的なノリの良さでは天才的なCMソングは今も耳に残る。そんなキダ・タローさんが一昨日に亡くなった。享年93。

 私が、と言うよりもむしろ、今は亡き母が、パート勤めをしていた事務所が勤務時間中でもラジオを流しっ放しという奔放な、と言うべきか、さばけた環境で、キダさんの番組(フレッシュ9時半!キダタローです)でリクエスト葉書が読まれたと言ってはよく自慢していたのを思い出す。

 丁寧な関西弁で毒舌を吐くとも評されて、関西人にありがちの、どこまでが本気でどこからが冗談なのか分からない、人を食ったような、いつもユーモアと笑いに溢れた楽しい方だった。

 近親者のみで行われた葬儀にも参列したほど親しい仲の円広志さんが、かつて人間関係で悩んだときに長い文章を書いて相談したら、一言、「あまり人に近づかんこっちゃ」と返して来られたらしい。無類の人好きには違いないけれども、その陰にはキダさんなりのご苦労もあったであろうペーソスを感じさせ、回りくどくない簡潔な一言にこそ込められた優しさには、思わずホロリとさせられる。

 不思議な存在感のあるお人柄を忍びつつ、合掌。

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かくも奥深い言葉なるもの

2024-05-10 21:30:24 | 日々の生活

 今日の日経夕刊「あすへの話題」で、作家の小池真理子さんが「かくも奥深く、生々しく」と題して、安易に言葉を略し(カスハラなど)、変容させて面白がり、みんなと同じことを口にしていれば無難に過ごせる(小説をコンテンツ、作家をクリエイターと呼ばせる出版社があるらしいし、持続可能と言わずにサステナブルというカタカナ語が通用する)、というような風潮を戒めておられた。ウラジーミル・ナボコフが、ロシア革命を機にヨーロッパに、更にアメリカに亡命し、英語という異国の言葉で執筆した小説の数々が文学史に残るものになったという例を引きながら、言葉は「かくも奥深く、生々しく」あるもので、「夥しい数の言葉を駆使して初めて、人間という不可解な生きもの、社会の営みを表現することができる」と言うわけだ。

 結論はその通りだろう。言葉は生き物とは言え、乱れるのは見苦しいし、字数に制限があるXで意図をきっちり伝えられるかと言うと、とてもそんな自信はない。とりわけ日本語は、四季折々の変化と、時に厳しく対峙し、時に暖かく包んでくれる豊かな自然のお陰で、類いまれに豊かな言語で、アメリカ国務省外交官養成局の外国語習得難易度ランキングによると、習得に最も時間がかかるカテゴリー5(他にはアラビア語、中国語、韓国語)の中でも、更にアスタリスクが付いて最高難度の栄誉⁉︎に浴しているらしい。ウラジーミル・ナボコフも、ロシア語を使えば確実なところ、アメリカ人に伝えたいばかりに英語で言葉を尽くして血の滲む努力をされたであろうことは想像に難くない。言語は文化そのものだからだ。

 他方で現実問題として、単語レベルでは話が違って来るようにも思う。例えば外国で生まれた、日本にはかつてなかったような概念を、無理に既存の日本語を探して訳として当て嵌めることには疑問なしとしない。受験英語の如く「サステナブル=持続可能」という等式が頭にあるからこそ意味を理解するのであって、初めてこの概念に接する人が「持続可能な社会」と聞いてsustainという英単語が持つ「持続的に支える」というようなニュアンスをイメージできるとは思えない。外国語と日本語は、受験英語のように1対1対応させるとおかしなことになりかねないのであって、むしろ原語のまま使う方がよほどスッキリすることが往々にしてあると思う。それを、無理に漢字をひねくり回して翻訳した昔の西洋の哲学書が読み難いことは、この上もなかった。

 逆もまた真で、日本で生まれた如何にも日本的な概念が日本以外の地で上手く翻訳できなくて、トヨタの経営で有名になった「改善」ともまた違う「カイゼン」活動は、結局、「kaizen」としか表現のしようがないし、「もったいない」という日本らしい感覚は「What a waste!」とか「too good to waste」ではなく「mottainai」としか表現のしようがないのである。

 そんなことを言いながら、普段、「reasonableだね」とか「それじゃあjustify出来ないよ」とか「identifyする」などと、別にイキがっているわけではなく言い慣れているだけなのだが、今なお帰国したばかりの西洋かぶれのイヤミなオヤジのように英単語を散りばめて恥じることのない自分を自己正当化するのであった(!)。

 これも、シルクロードの終着点で、文化の吹き溜まりのような日本ならではの発想だろうか。

 それにしても、コラムのタイトルは遊び心に溢れて大胆ではないか(笑)

 

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たかが野球、されど野球

2024-05-05 18:12:26 | スポーツ・芸能好き

 連休初日の5月3日は、読売ジャイアンツの球団創設90周年記念特別試合「長嶋茂雄DAY」で、長嶋さんが降臨された効果か、今季の巨人には珍しく打線が繋がって、阪神との伝統の第一戦を8―5で勝利した。岡本和真に久しぶりの一発が出たのは、まさにミスター効果だろうか。坂本勇人は186度目の猛打賞で、ここぞとばかりにミスターに並ぶセリーグ・タイを記録したのはさすがだった。

 昨日の第二戦も、菅野智之が前夜にぎっくり腰になったらしいのをものともせず、7回1失点と粘って、延長10回に吉川尚輝のタイムリーを呼び込んで連勝した。今日の第三戦は、さすがに阪神を相手に3タテにはならず、しかし岡本和真が初日の一発だけで3連戦11打数1安打と抑え込まれたことには期待を込めて喝を入れたい。瞬間風速で4割を超えたのも束の間、その後はなかなかエンジンが点火せず低迷している。

 ところでこの連休は特に出掛けることもなく、ひょんなことから、江川卓さんのYouTube動画「たかされ」をまとめて楽しむ仕儀となった。江川と言えば、空白の一日のことを大学のローマ法の教授が擁護したことがつい昨日のことのように懐かしく思い出されるが、長嶋さんや王さんがいたV9の黄金時代に続き、その残り火のように江川・西本が競い合った準・黄金時代は、かれこれ40年前のことになる。1984年の日本シリーズで江夏さんを超える10連続⁉︎奪三振を狙った(9人目の大石を三振・パスボールで振り逃げにしようとして、結局バットに当てられて、8連続でストップした)とか、掛布雅之との間では(二人の対決を楽しみにしているファンのために)初球は絶対に振ら(せ)なかったとか、今だからこそ話せる裏話が面白い。一発病とか手抜きなどとマスコミから叩かれたが、当時は完投を当然のように狙って、打者の目が慣れる3〜4巡目となる7〜9回に再びギアを上げるために加減していたもので、広島の高橋慶彦さんは、衣笠さんや山本浩二さんに対するときと球威がまるで違ったと証言される。ある時、1アウト1塁にランナーを背負ったときの攻め方をコーチから聞かれて、インハイで三振と答えて一喝された江川に対して、シュートで詰まらせてゲッツーと答えた西本が褒められたのは、二人の良い対照だが、江川は後からコーチに、お前はそれでいいと言われたのは彼の面目であろう。ボール球など無駄だから投げたくないと公言し、ストライクゾーンに投げ込んで空振り三振(バットはボールの下で空を切る)に仕留めることに無上の喜びを見出した。それほどに、ふわっと浮くような真っ直ぐだと形容されたのは、決して重力に逆らっていたわけではなく、威力があるから他の投手のように落ちなかっただけのことで、直球とカーブだけでコーナーに投げ分けて抑える投球術は圧巻だった。渾身の球を打たれたとしても、それは打者の技術が上回っただけのことで悔しくない、などと飄々と言ってのけるなど、よほど自信がなければ出来ることではない。

 思えば、長嶋X村山、王X江夏、そして江川X掛布など、チームプレイの野球にあっても、手に汗握る宿命の対決があったものだが、今は(例えば岡本和真と誰かの対決など)俄かに思い浮かばない。投手は分業制で、先発して6回3点に抑えればクォリティ・スタートと言われる今は、球が飛びにくいだけではなく、ほぼ全力投球の投高打低で、抑揚や加減などあったものではない。今となっては長閑な時代だったと言うべきか、効率一辺倒ではないドラマが懐かしいと思うのは、年寄りの戯言に過ぎないのだろう。

 

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夜を越えるSLIM

2024-05-01 22:34:11 | ビジネスパーソンとして

 今年1月20日に月面へのピンポイント着陸に成功した無人探査機SLIMが、2月末と3月末に続き、4月末にも三度目となる月の夜を乗り越えた(越夜)。マイナス170度〜プラス110度と、寒暖差が280℃もある過酷な月面環境に耐える設計になっていなかったにもかかわらず、である。23日の夜に機体との通信を確立し、カメラで月面の周囲の様子を撮影するなど、主要機能の維持を確認したという。

 日経XTECHに寄稿された松浦晋也氏によると、月面探査機は通常、着陸地点の朝に着陸し、温度が上がり切らない数日間だけ運用して、そのまま運用を終了するように設計するものだそうだ。では、長期にわたる場合はどうするかというと、旧ソ連の無人月面車ルノホート(1970年と73年に月面に着陸)や中国の月着陸機・嫦娥3/4号(2013/19年に月面着陸)は、熱を発する放射性同位体を搭載し、夜間の極低温から搭載機器を保護する設計を採用していたらしい。

 他方、SLIMと同様の方針で設計されたものとして、2023年8月に月面着陸に成功したインドのチャンドラヤーン3号が搭載していた月面探査車プラギャンは越夜の後に復活することなく運用を終了したとか、2月に民間初の着陸に成功した米インテュイティブ・マシンズも翌月に運用を終了したなどと、暗にSLIMの日本品質を誇るかのような記事が見られる(私もブログにそのように書いた)が、遠い昔には、米国がアポロ計画の準備として打ち上げたサーベイヤー1号(1966年6月に月着陸)が6回の、同5号(1967年9月に月着陸)が1回の越夜を達成しているらしい。そうは言っても、当時はトランジスタを主体としたもので、現代の高集積半導体を使用したSLIMとは状況が異なり、単純比較はよろしくないかもしれない。此度のSLIMの復活が想定を上回る性能を示しているのは紛れもない事実で、放射性同位体に頼らない機器設計に基づいて長期間月面で運用できる探査機の開発に道を開くものだと評価されるのは、現代技術の文脈においてはその通りなのだろう。

 SLIMは29日未明から再び休眠状態に入ったそうだ。「はやぶさ」の時もそうだったように、勝手ながらなんだかんだ言って擬人化して、JAXAがXの公式アカウントで報告する稼働状況を楽しみにしている(笑)

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