先週末の三連休に、近所のドンキホーテやJマートやJohshinに寄って、米やカップ・ラーメンやトイレット・ペーパーやガス・ボンベの棚を覗いて見たところ、確かに報道されている通り、空っぽとは言わないまでも品薄状態になっており、ラジオや電池の棚には「売り切れ」の札が貼られて、入荷次第、レジ横の目に留まりやすい棚に積まれたであろう在庫も残り少ないといった有様を目の当たりにしました。かれこれ40年前の石油ショックの頃、トイレットペーパーの買い占めに走ったパニック状況を“歴史的”な現象として記憶にとどめる人は少なくないでしょうが、飽食の現代にあって、今まさに目の前に広がる現実となっていることが、俄かに信じられませんでした。
今週になって、福島近隣で、ほうれん草などの生鮮野菜が僅かながら放射能汚染されていることが報道されると、ただちに健康被害はないと言われたところで、我々庶民にとっては出荷制限された事実が重く、すっかり需要が減退し、なんと大阪でもほうれん草が売れ残って値段が下がる事態に立ち至っているそうです。さらに雨のせいだと言われていますが、首都圏の浄水場で乳児の摂取基準値を超える放射性ヨウ素が検出されたことが報道されると、いくら専門家が今のレベルでは水を飲んでも影響が出るには程遠く心配する必要はないと言ってくれたところで、乳児がダメなのに、幼児なら良いのか、小・中学生の成長期の子供は・・・と不安が増し、ペットボトルの水だけではなく、お茶やジュースまで品薄になる始末です。
「まほうのことば」はともかくとして、仁科亜希子さんが38歳で子宮頸がんになったことやオシムさんが2007年に脳梗塞になったことは今回の震災とは余り関係がないのにさんざん流し続けて耳にタコを作ってくれたACは、最近になってようやくCMのバリエーションを増やし、「むやみに買い占めるのはやめよう」と呼びかけるようになりました。「津波を利用して『我欲』を洗い落とす必要がある。日本人の“あか”をね。やっぱり天罰だと思う。被災者の方々はかわいそうですよ」などと放言して後で謝罪した石原都知事は、被災地で物資が不足しているというのに首都圏で買い占めを止めない日本人の『我欲』をまたしても批判しました。お説、ごもっとも、ではあります。確かに保存がきくものであればまだしも、余り日持ちしないような食品にまで殺到し、その逆に、水で放射能を四分の一とか五分の一に洗い落とせる野菜を出荷自粛して廃棄処分にしてしまうのは、福島原発が一応の小康状態である現状では過剰反応と言うべきなのでしょう。
しかし・・・私は強がって、ガソリンスタンドを目指して長蛇の列に並ぶのが嫌で、車での外出を控えていますし、被災者でもない我々が食品の買い溜めに走るのは良くないと正論を吐いてはみても、その実、家内が密かに手持ち在庫を少し積み増している様子に気づいて、ホッとしているのが正直なところです。まだ断続的に余震が続く中で、房総沖や首都圏直下型の地震の可能性がいつもにも増して高まっていることが指摘されると、自衛のために、ある程度買いだめしたくなる心理は留めようがないというのが現実でしょう。福島原発の放射線被害が万が一顕在化すれば、すぐにでも車で逃げ出したくなる心理も、そのため普段は余り乗ることのない自家用車のガソリンを満タンにしておきたい心理も、必ずしも非難には当たらないかも知れません。
こうした風評被害を煽ったのが、福島原発の放射能漏れに対する諸外国の反応でしょう。アメリカが、福島原発の半径80キロ圏内からの退避勧告を出して、日本政府の対応との違いが明らかになりました。東北地方にいる自国民を引き揚げさせたり、関西・九州方面や更には韓国に避難勧告を出す諸外国も後を絶ちません。およそどこの政府も、後で文句を言われないための自己防衛的な、そういう意味では科学的と言うより政治的に安全サイドの勧告を出しているであろうことは察しがつきますし、日本政府の情報開示が十分ではないためにこうした諸外国の過剰反応を招いているであろうことも頭では分かっているつもりですが、いろいろな報道に接しているとどちらが正しいのか不安になり、少しずつ日本政府への不信が芽生え、やがて自己防衛に走るというサイクルが回り始めます。
ただでさえ、心理的に動揺している時を狙って、コスモ石油千葉製油所のLPGタンク火災によって千葉県内に有害物質の雨が降るといったデマが流れたり、誰とは言いませんが原発反対派の中からここぞとばかりにありもしない「最悪のシナリオ」をことさらに強調し危機感を煽る輩が出て来て、ネット上で論争になったりもしました。危機的状況下で情報開示・情報展開は簡単ではありません。実際にどの週刊誌を開いても、菅政権の不手際に触れないものはありません。こうして報道や情報をめぐる混乱を見ていると、お上に依存しがちな日本人自身の問題もあぶり出されます。情報開示・展開する側も、国民にどのように受け止められるかに思いを致しながら、正確な表現を心掛けるべきですし、私たちも冷静な判断力と、かつて安っぽく手垢にまみれてしまった自己責任を涵養すべきだと、敢えて言いたいと思います。
今週になって、福島近隣で、ほうれん草などの生鮮野菜が僅かながら放射能汚染されていることが報道されると、ただちに健康被害はないと言われたところで、我々庶民にとっては出荷制限された事実が重く、すっかり需要が減退し、なんと大阪でもほうれん草が売れ残って値段が下がる事態に立ち至っているそうです。さらに雨のせいだと言われていますが、首都圏の浄水場で乳児の摂取基準値を超える放射性ヨウ素が検出されたことが報道されると、いくら専門家が今のレベルでは水を飲んでも影響が出るには程遠く心配する必要はないと言ってくれたところで、乳児がダメなのに、幼児なら良いのか、小・中学生の成長期の子供は・・・と不安が増し、ペットボトルの水だけではなく、お茶やジュースまで品薄になる始末です。
「まほうのことば」はともかくとして、仁科亜希子さんが38歳で子宮頸がんになったことやオシムさんが2007年に脳梗塞になったことは今回の震災とは余り関係がないのにさんざん流し続けて耳にタコを作ってくれたACは、最近になってようやくCMのバリエーションを増やし、「むやみに買い占めるのはやめよう」と呼びかけるようになりました。「津波を利用して『我欲』を洗い落とす必要がある。日本人の“あか”をね。やっぱり天罰だと思う。被災者の方々はかわいそうですよ」などと放言して後で謝罪した石原都知事は、被災地で物資が不足しているというのに首都圏で買い占めを止めない日本人の『我欲』をまたしても批判しました。お説、ごもっとも、ではあります。確かに保存がきくものであればまだしも、余り日持ちしないような食品にまで殺到し、その逆に、水で放射能を四分の一とか五分の一に洗い落とせる野菜を出荷自粛して廃棄処分にしてしまうのは、福島原発が一応の小康状態である現状では過剰反応と言うべきなのでしょう。
しかし・・・私は強がって、ガソリンスタンドを目指して長蛇の列に並ぶのが嫌で、車での外出を控えていますし、被災者でもない我々が食品の買い溜めに走るのは良くないと正論を吐いてはみても、その実、家内が密かに手持ち在庫を少し積み増している様子に気づいて、ホッとしているのが正直なところです。まだ断続的に余震が続く中で、房総沖や首都圏直下型の地震の可能性がいつもにも増して高まっていることが指摘されると、自衛のために、ある程度買いだめしたくなる心理は留めようがないというのが現実でしょう。福島原発の放射線被害が万が一顕在化すれば、すぐにでも車で逃げ出したくなる心理も、そのため普段は余り乗ることのない自家用車のガソリンを満タンにしておきたい心理も、必ずしも非難には当たらないかも知れません。
こうした風評被害を煽ったのが、福島原発の放射能漏れに対する諸外国の反応でしょう。アメリカが、福島原発の半径80キロ圏内からの退避勧告を出して、日本政府の対応との違いが明らかになりました。東北地方にいる自国民を引き揚げさせたり、関西・九州方面や更には韓国に避難勧告を出す諸外国も後を絶ちません。およそどこの政府も、後で文句を言われないための自己防衛的な、そういう意味では科学的と言うより政治的に安全サイドの勧告を出しているであろうことは察しがつきますし、日本政府の情報開示が十分ではないためにこうした諸外国の過剰反応を招いているであろうことも頭では分かっているつもりですが、いろいろな報道に接しているとどちらが正しいのか不安になり、少しずつ日本政府への不信が芽生え、やがて自己防衛に走るというサイクルが回り始めます。
ただでさえ、心理的に動揺している時を狙って、コスモ石油千葉製油所のLPGタンク火災によって千葉県内に有害物質の雨が降るといったデマが流れたり、誰とは言いませんが原発反対派の中からここぞとばかりにありもしない「最悪のシナリオ」をことさらに強調し危機感を煽る輩が出て来て、ネット上で論争になったりもしました。危機的状況下で情報開示・情報展開は簡単ではありません。実際にどの週刊誌を開いても、菅政権の不手際に触れないものはありません。こうして報道や情報をめぐる混乱を見ていると、お上に依存しがちな日本人自身の問題もあぶり出されます。情報開示・展開する側も、国民にどのように受け止められるかに思いを致しながら、正確な表現を心掛けるべきですし、私たちも冷静な判断力と、かつて安っぽく手垢にまみれてしまった自己責任を涵養すべきだと、敢えて言いたいと思います。