風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

2023年・劣化する日本政治

2023-12-30 21:34:25 | 時事放談

 制度や体制なるものは、精神が抜け落ちると形骸化して変調を来すものだ。典型例は大日本帝国憲法であろう。創設した元老たちがいなくなるや、言葉尻をとらえて政治利用する輩が現れた。この一年を振り返って、というよりも岸田政権になってからの日本の政治を見ていると、影響の大小はあるにしても、その思いを強くする。それは言うまでもなく、2006年に戦後最年少で初の戦後生まれの首相として組閣し、間をおいて、2012年からの7年8ヶ月間を含めると史上最長の在職日数を誇った元・安倍首相との比較を通しての感慨である。

 故・安倍氏の政治を私が評価するのは、端的に、彼に政治家の本懐とも言うべきものがあったからだ。その核心たる政治理念を保守的と断じるリベラル派からは何かと反撥を受け、さらには歴史修正主義者と誤解したアメリカからも批判を受けるに至ると、本音を隠すようになり、その後はイメージばかりが先行する、奇妙な政争となった。リベラル派には甚だ悪名高い安保法制など外交・安全保障分野では保守的で保守派の支持を受ける一方、経済団体への賃上げ要請など経済的にはリベラルな政策を採ることで野党に付け入る隙を与えず、選挙に勝っては難しい政策を実現し、再び選挙に勝っては世論の支持を受けたとして野党の批判を封じ、まがりなりにも政治を前に進めて来た。他方で、その政治手法には批判が多く、官邸主導で忖度する側近・官僚や反発する(そのために嫌がらせのように情報をリークする)官僚に攪乱され、しかも生来の脇の甘さも手伝って、モリ・カケ・サクラなど、長期政権の驕りとも見える場面も目立ったが(なお悪いことに、真相は藪の中にあることだ)、それでもなお私が評価するのは、そこに彼の生の声が聞こえ、さらに根底には変わらぬ政治理念があったからだ。言い換えると、政治家としての故・安倍氏への信頼である。

 しかし岸田首相の発言は紋切り型で、彼の肉声は聞こえて来ない。更には政治理念が(私にだけかもしれないが)見えて来ない。単に安倍政権が敷いた路線を進めているだけ、あるいは新しい資本主義や異次元の少子化対策など、表面的な装いの掛け声で新しさをアピールしているだけに見える。

 悪いことに、選挙をテコにした政治は、政治理念が抜け落ちると、ただの選挙対策の政治に堕して停滞し、ポピュリズムが蔓延る。もっぱら政策より政局で政権に揺さぶりをかけるだけの野党との間で、泥仕合が繰り広げられる仕儀となる。政治理念が絡まないので、いまひとつ盛り上がらない。冒頭に触れた、形骸化である。

 先ごろ、自民党税調の税制大綱が発表されたが、防衛増税など、痛みを伴うような負担増の議論は避けた。自民党の宮沢洋一・税調会長は、「増税はそれなりに政権の力が必要だ。今の政治状況は自民党に厳しい風が吹いている」と述べたそうだ(12月15日 日経)。故・安倍氏だからこそ乗り切れた政局は、岸田氏のもとで混迷を深めるばかりである。そして、パーティー券問題が露呈した。またしてもカネであり、呆れてしまう。

 来年、世界では70以上の国で選挙が予定されている。中でも、1月の台湾総統選を皮切りに、3月のロシア大統領選は出来レースにしても、4~5月にインド総選挙があり、11月にアメリカ大統領選が控える。国際社会で故・安倍氏が(珍しくも)引き上げた日本の存在感は引き継がれることなく、国際社会の混迷も深まるのだろうか。

 コロナ禍で控えめだった活動に制約がなくなって通常運転に戻ると、やっぱり冴えない政治が馬脚を現し、漠然とした不安にとらわれる、なんともやるせない年の瀬である。

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キッシンジャーの異彩

2023-12-16 10:48:11 | 時事放談

 かれこれ二週間以上が経ってしまったが、ヘンリー・キッシンジャー氏が亡くなった。享年100の大往生だった。

 保守派でありながら共産主義・中国に接近するという、イデオロギーに囚われない現実主義で、バランス・オブ・パワーという伝統的な国際政治の理論を冷徹に実践し、1970年代のアメリカ外交を牽引して、既に私の学生時代には伝説の人となっていた。

 あれから40年、トランプ氏が大統領になったときにキッシンジャー氏に会ったというニュースを見て、まだ生きていたのか(物理的に、ではなく、政治的に)と驚いたものだった。アメリカが中国に対して厳しい政策対応をしたのはトランプ政権からだが、既にオバマ政権後半から、中国に対して厳しい見方をしていた。そんな中で、キッシンジャー氏は何を思い、何を提言していたのだろうか。

 結局、アメリカは、キッシンジャー氏に始まる、30年以上にわたる積極的な関与政策により、中国を国際社会の一員にする手引きをしながら、大国になった中国を国際社会の責任あるステークホルダーに育てることに失敗した。いや、今の大国意識に目覚めた中国の振舞いを見る限り、アメリカが失敗したのは結果論でしかなく、アメリカは大いなる挫折を味わっているかもしれない。騙された、とまでは言うまい。それだけに、今のアメリカの強硬な対中政策は本質的であり根深いものがありそうだ。氏自身は、2015年に次のように語っている。

「中国の挑戦はソ連よりも微妙な問題を含む。ソ連問題は戦略的なものだった。中国の挑戦はより文化的なものだ。果たして、同じように思考することのできない二つの文明は、世界秩序において共存という解を見出すことが出来るのだろうか」

 それでも、著書『キッシンジャー回想録 中国』(2011年)で、「中国と米国の関係はゼロサムゲームになる必要はなく、なるべきでもない」と記し、その後、米中関係が悪化してもこの見解を変えなかったと言われる。2019年のニューエコノミーフォーラムでは次のように語っている。

「米中は世界の最大の二つの経済体であり、お互いが『足をひっぱりあう』のは正常だ」

「両国に必要なのは対話であって、対抗ではない」

「米中両国関係は、双方の共同利益のために対立点を正確に見て、対話と協力を強化し、ネガティブな影響を低く抑える努力をしなくてはならない。もし米中が非常に敵対すれば、想像のつかない結果をもたらす」

 他方、井戸を掘った人のこと(=恩義)を忘れないと言われる中国人は、キッシンジャー氏をそのように遇した。実際に氏の訪中は100回に及んだそうだ。尋常ではない。中国は仲介者としての彼に何を頼り、時に何に利用したのだろうか。晩年の氏は中国宥和論者だと批判的に見られがちだが、かつて毎年のように中国共産党幹部の訪問を受けていたシンガポール元首相リー・クアンユー氏同様、中国政治のウラを知る識者として、もう少し話を聞きたかった。

 ニクソン元大統領ともども、毀誉褒貶が激しいキッシンジャー氏だが、私のような世の多くの(と、一応、言っておく 笑)常人には現実主義に徹することを理解するのが難しいからだろう。

 一般に政治信条の座標軸の中で、常人は保守とリベラルの間のどこかに位置づけられる。その色眼鏡で相手に同調し、反発もする。その色眼鏡を外すのが難しいのは、こうした保守やリベラルの政治信条は、案外、人の世界観や人生観と深く結びついているからだと思う。例えば、変化を望むか安定を望むか。人は、また世の中は、変われるものだと信じることが出来るか、そうそう変われるものではないと諦めるか(良い意味での諦観である)。変われないと思うのは虚しく、何がしか変わろうと努力し、それでも急には変われないのが常人であり世の中であろう。それを信じる度合いの違いに応じて、保守とリベラルの間の位置づけが変わるように思う。こうして保守は現実主義に近いし、リベラルは理想主義に近いと言い換えることが出来る。ところが、かつて、ジョン・ミアシャイマー氏は、東京での講演で、現実主義はイデオロギーを気にしないと明言されていた。政治信条としての現実主義は、保守でもリベラルでもないそうである。現にキッシンジャー氏は、国家安全保障問題担当大統領補佐官や国務長官として共和党のニクソン政権を支えただけでなく、その前の民主党のケネディ大統領の顧問としても外交政策立案に一時的に関与していた。その超越したところに、どうしても分かりにくさが漂う。

 1982年に設立したコンサルティング会社「キッシンジャー・アソシエイツ」は、財務上の数字を報告することも、顧客名簿について語ることもないそうだ。だからと言って、企業幹部を中国の指導者に引き合わせても、ビジネス上の議論は企業幹部に任せ、便宜を求めることはしなかったそうだ・・・とは、どこまで信じられる話か分かったものではなく、中国共産党と波長が合ったであろう彼の隠密な交渉スタイルそのままに、霧に包まれたままだ。

 これまでブックオフで時間をかけて買い揃えた『回復された世界平和』、『外交(上)/(下)』、『キッシンジャー回想録 中国(上)/(下)』は、唯一、新刊で購入した『国際秩序』とともに、手放せない。老後の愉しみにしているが、もう一度、紐解いてみようかとも思う。そして、「キッシンジャーから懇情され、一旦断わったものの、膨大な私信・資料を見せられてファーガソンが引き受けたキッシンジャー公認の評伝。ファーガソンが10年がかりで完成させた大作」(アマゾンより)とされるニーアル・ファーガソン著『キッシンジャー 1923-1968 理想主義者 1/2』もブックオフでの購入予定リストにある。良くも悪くも、私たちが生きる時代の世界の道筋をつけてきたとも言える彼の存在には、興味が尽きない。

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カナダにいた周庭さん

2023-12-10 00:23:10 | 時事放談

 香港の民主活動家の周庭さんが、カナダに滞在していることが分かった。インスタグラムへの投稿で、「おそらく一生、香港に戻ることはない。ようやく逮捕を恐れる必要なく、言いたいことを語り、やりたいことを実行できる」と記したそうだ。

 振返れば三年半前、コロナ禍のどさくさに紛れて、あれよという間に香港国家安全維持法(国安法)が成立し、50年間、高度な自治を担保するはずだった一国二制度の約束が、道半ばにしてあっさり骨抜きにされたのだった。EUは既にその一年前の2019年3月に、戦略的パートナーだった中国をsystemic rivalと再定義して対中国通商戦略の見直しを図っていたが、それでも強硬路線に転じたトランプ政権に比べれば宥和的で、かつて宗主国だったイギリスは当時、すっかり立場が逆転した中国に対して口頭で批判を強めるばかりで、実力行使に訴えることはなかった。その微温的な対応を言い訳にしたくないが、日本政府も私たち日本人も無力だった。しかし、香港の民主化運動が投じた一石は、決して小さいものではなかった。その後、新彊ウイグルでの民族浄化の実態が明らかにされたことと相俟って、西欧諸国では明らかに風向きが変わった。地理的に離れた中国は、西欧諸国にとって安全保障上の脅威よりも経済的パートナーとして重要であることが、私たち日本人にはもどかしかったが、ようやく同じ方向を見ることが出来るようになった。周庭さんたちは、身体を張って風向きを変えたのである。

 周庭さんは、国安法違反容疑で2020年8月に逮捕され、12月に無許可集会扇動罪などで禁錮10月の実刑判決を受けて服役し、翌2021年6月に出所した直後にインスタグラムを更新して以来、情報発信が途絶えていた。今に至るも香港警察国家安全処にパスポートを没収されたまま、返還の条件として、中国への愛国心を証明する行動を強要されていたことが、此度の声明で明らかになった。「民主化運動参加への反省文を提出させられたほか、8月には国安処職員5人に付き添われて中国本土を訪問。改革開放政策の成果を示す展示や、広東省深圳にあるIT大手の本社などを見学させられた。展示と共に自身の写真を撮影するようにも言われた」(毎日新聞)という。まるで文革時代を思わせるような古色蒼然とした仕打ちである。周庭さんは、「私が黙ったままなら、(訪中時の写真なども)いつか私の『愛国』の証拠になったかもしれない」と述べたという。

 中国外務省は敏感に反応し、香港の警察当局が「あからさまに法律に違反する行動を強く非難する」と声明を出したことを改めて強調するとともに、「いかなる人も法律外の特権を持たず、いかなる違法犯罪行為も必ず法律の裁きを受ける」と述べて、中国の法治なるものの異様さを際立たせた。

 こうした一連の香港での騒動を世界で最も真剣に受け止めているのは、台湾だろう。もとはと言えば一国二制度は台湾に向けて提案されたものだった。

 周庭さんが二年半ぶりに情報発信したのは、ようやくこの9月に「再度の逮捕のおそれなどから心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断されるほど」(同)だった香港を離れ、留学目的でカナダに入り、三ヶ月毎に当局に出頭することを求められていたのを拒絶するタイミングだったのは、偶然にしても絶妙で、一ヶ月後に迫った台湾総統選に与える影響は小さくないだろう。

 私が敬愛する故・高坂正堯氏は、安全保障の目標とは、日本人を日本人たらしめ、日本を日本たらしめている諸制度、諸慣習、そして常識の体系を守ることだ、と喝破された。今日の香港は明日の台湾だと言われたものだが、今やAIを使えば偽情報を流布させ世論に影響を与える工作はいとも簡単に実行することができ、日本も他人事ではない。今度こそ、私たち日本人は周庭さんの声に応えることができるだろうか。

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薄れゆくコロナな世界

2023-12-02 09:55:14 | 日々の生活

 一昨日、忘れた頃に、新型コロナ・ワクチンを接種した。自治体がしっかり記録管理してくれていて、もう6回目になるのかと思うと感慨深い。会社の同僚と、無料の案内が来るから、なんとなく受ける状況だと話して、笑いあった。無料ではなくなるときが、コロナな世界の打ち止めなのであろうか・・・。

 最初の5回はなんとなくファイザーで、今回はなんとなく初めてモデルナを打ったら、一日半経ってもまだ上腕部で鈍痛がして、肩を上げ下げするのに難儀する。所謂「モデルナ・アーム」である。一般には接種してから二日後にかけて痛みや発熱などを覚える人が多いらしく、ファイザーと同様、若い人ほど症状が出やすいと言われるので、まあその限りでは人並みに反応してくれてホッとするが、発熱や倦怠感がないことにはやや複雑な心境である(笑)。

 コロナ4年目に入って、朝晩の通勤電車内など混み合うところでこそマスクをするが、そういう人は4割以下、3割程度だろうか。もはやマジョリティではなくなった。オフィスを含めて他ではマスクをしない。最初の頃こそ解放感があったが、当たり前の日常に戻っただけで、マスクを持たずにうっかり外出することが多いし、電車の中でも周囲にマスクをする人に気づいておもむろにマスクを取り出すことが多い。

 振り返れば、コロナ以前には、当たり前の日常をこれほど愛おしく思うことはなかったし、衛生なるものをこれほど気に懸けることもなかったが、そのほろ苦い記憶も薄れつつある。完全巣籠り状態だったのは、当初の二年間だけだったことになる。ただ、人生のどのステージでその二年間を過ごすことになったか、友達との触れあいが楽しい学生時代や、受験や就職活動のような節目など、人によっては小さくない影響があったことだろう。昔話として笑って話せるときが来るとよいと思う。

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