風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

南北は同じ穴のムジナ?

2018-05-29 23:32:04 | 時事放談
 北朝鮮の非核化を巡る協議が、ぎくしゃくしながらも健在だ。関係する四ヶ国(米、南北朝鮮、中)は所詮は同床異夢だと、以前、ブログに書いたが(そもそも朝鮮戦争以来の北朝鮮に対する現状維持Status Quo政策が、各国の同床異夢の妥協の産物だった)、ひとえに米・朝および仲介役を任じる韓のいずれにとっても米朝首脳会談にメリットを見出しているからだろう(繰り返すが同床異夢であったとしても)。
 前回ブログ以降に発生した事象として・・・トランプ大統領が24日、米朝首脳会談の中止を表明したことに、南北朝鮮は素早く反応し、電撃的な首脳会談を開催して、米朝首脳会談実現への「確固たる意志」を表明し、結束した。韓国の文在寅大統領によると、金正恩氏が25日午後に呼びかけてきたというが、そうではなく、仲介役としての面目を失った韓国側が慌てて働きかけたものと解説する人がいて、私もそう思う(無論、金正恩委員長も渡りに舟だったろう)。まあ、それはどちらでもいいのだが、韓国は実にクセ者で(笑)、さすがの米国も韓国に対して非核化協議に深入りしないよう要請した模様だ。「米朝の仲介役を自任する韓国による過度の介入により、北朝鮮に不適切なメッセージを送り判断を誤らせることを警戒したものとみられる」(産経電子版)と解説されるのも、まさにその通りと思う。以前にも文在寅大統領は、米国から、南北統一に拘り過ぎるなと釘を刺されており、米国のアジェンダとは相容れない“前のめり”な姿勢は危なっかしい。韓国が昨日、日本との間で日韓交流の活性化を目指す「韓日文化・人的交流タスクフォース(作業部会)」を発足させた(そのくせ康京和外相は発足式で「歴史問題は原則通り対応し、両国の人的・文化交流は活性化させねばならない」とぬけぬけと述べて、独善ぶりは相変わらず)ところにも、韓国の苦境が表れている。文在寅大統領にとって民族統一は長年の夢かも知れないが、今は懸案である韓国経済の活性化と将来的な反日統一戦線への期待に目が眩んでいるだけのように見える。
 それにしても、南北朝鮮のドタバタには本音が垣間見えて、事ここに至ればなりふり構っていられないのだろうが、甚だ興味深かった。
 南北会談の後、記者会見で「金委員長の非核化意志が確固たるものと判断する根拠は何か」と問われた文在寅大統領は、「何度も既に説明した」「非核化をどう実現していくかは、米朝が合意する問題だ」と逃げた。「北朝鮮の非核化はCVIDを意味するのか」との別の質問にも「米国も北朝鮮の意志を確認したのではないか」とはぐらかした。彼は仔細に関心がなく、米朝首脳会談ありき、なのだ。なんと“前のめり”な・・・
 注目すべきは、北朝鮮メディア(朝鮮中央通信)が、文在寅大統領の発表前の27日早朝、両首脳は「朝鮮半島の非核化を実現するために共同で努力していく立場を表明した」と報道したことだ。金正恩委員長は「朝米首脳会談への確固たる意志を示した」とも伝えたという(このあたりは産経電子版)。文在寅大統領による南北会談の結果発表は、北朝鮮の要請により、27日に一日遅らせたようだ。独裁国家とは言え、あるいは独裁国家であるが故に、「非核化実現」へのコミットメントと「会談への確固たる意志」を、国外のみならず国内に対しても、韓国に先んじて自らの意思として公表したカタチだ。体裁づくりへの苦労が忍ばれる。
 他方、北朝鮮労働党機関紙・労働新聞は27日、米メディアが「われわれが米国からの『経済的支援』を望んで会談に乗り出したかのように世論をミスリードしている」と不満を示したという(このあたりも産経電子版)。24日の核実験場廃棄でも自国の「主導的な措置」だと強調したように、国内を納得させるためにも、非核化は米国からの見返りが目的ではなく、あくまで自発的な措置だと主張したいようだと、産経電子版は解説する。
 この期に及んでなお・・・と言いたくなってしまう。北朝鮮労働党機関紙・労働新聞は29日、米朝首脳会談に向けた協議が行われる中、米韓合同軍事演習を実施しようとしていると非難し、「会談を真に望むなら相手を力で威嚇する芝居を演じてはならない」と演習中止を要求したという(産経電子版)。言いたい放題である。その神経たるや、私たちの常軌を逸する。
 韓国の夫婦喧嘩は、表通りに出て自らの正当性を訴えるという、夫婦喧嘩など「犬も食わない」と慎み深い日本人には俄かに信じられない恥知らずな光景が日常茶飯事だと聞いたことがある。三星などの大手企業ですらも露骨な足の引っ張り合いが当たり前と聞いたことがある。懲りもしない「悪罵」は、どうやら韓国だけではない、南北共通、朝鮮民族固有のもののようだ。そうと分かりつつ、捨て置けないところがまた悩ましいところではある。
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米朝の角逐

2018-05-26 13:16:48 | 時事放談
 トランプ大統領が6月12日に予定されていた米朝首脳会談を中止すると通告した余波に揺れている。
 ディールにやたらと自信をもつ一介のセールスマンが国際政治場裏を引っ掻き回すという「トランプ劇場」を見慣れた私たちは、多少のことには驚かなくなったが、このトランプ大統領の通告には、ビッグ・イベント実現を誰もが固唾を呑んで見守ってきただけに、落胆は隠せず、またやっちゃったかあ・・・と久しぶりに動揺したものだ(まあ、さざ波程度だけど)。しかもタイミングが秀逸だった。北朝鮮の金正恩委員長が「いかなる核実験も必要なくなった。核実験場も使命を終えた」宣言を実行するかのように、証人として一部の外国メディアを呼んで、豊渓里の核実験場を爆破して見せた直後を捉えたもので、この爆破については一部に6月12日に向けた北朝鮮の環境整備と評価する声もあるが、トランプ大統領は当てつけのように、ただの茶番と歯牙にもかけなかったわけだ。
 しかしこの通告以上に驚かされたのは、その後の北朝鮮の反応である。金桂寛第一外務次官は、この通告を「極めて遺憾」と表明し、「我々はいつでも、如何なる方法でも対座して問題を解決する用意がある」と再考を促す談話を発表したらしい(朝鮮中央通信による・・・とは産経新聞電子版)。金桂寛氏自身や崔善姫外務次官の米政府高官に対する暴言は「一方的な核廃棄を迫る米側の度を超した言動」への反発に過ぎないと釈明し、米朝会談を決めたトランプ氏の「勇断」を「ずっと内心で高く評価してきた」し、米政府が非核化の解決策として言及した「トランプ方式」にも期待感を表明しているという。そして金正恩委員長は「トランプ大統領と会えば、素晴らしい始まりを踏み出せる」と話し、会談準備に「全ての努力を傾けてきた」と強調し、米朝敵対関係の現実は重大で「関係改善のため、首脳会談がどれほど切実に必要か」を示していると言うのである(このあたりも産経電子版)。思わず本音が漏れてしまった感じだが、金正恩委員長の会談実現に向けた強い意向と言うよりも、金委員長は二人に対して相当怒っているのだろう。そんな舞台裏が透けて見える。崔善姫外務次官あたりは処刑されなければいいと思うが・・・
 それでは二人はどんな暴言を吐いたかというと、金桂寛第一外務次官は16日の談話で「一方的核放棄」を迫るとしてボルトン大統領補佐官を「えせ憂国の志士」と罵倒し、崔善姫外務次官はペンス副大統領を「愚鈍な間抜け」とくさし、会談の再考を主張したという(産経電子版)。そして米政府高官の話として、トランプ氏は23日夜、崔善姫外務次官が談話で、米国が会談に応じないのであれば「核戦争」も辞さないと警告してきたと聞かされて、いったん寝床に入ったが、翌朝にはペンス副大統領、ボルトン大統領補佐官、ポンペオ国務長官らを集めて協議した上で、金正恩委員長に会談中止を伝える手紙を作成したことになっている(このあたりも産経電子版)。
 もっとも、会談中止の通告は、これら暴言がその一部をなすものの恐らくキッカケに過ぎなくて、北朝鮮が非核化をめぐる「約束」を次々と反故にしてきたことに不信を募らせているのが真相のようだ。最初の「約束破り」は、「北朝鮮が3月に首脳会談を要請してきた際、米韓合同演習に理解を示したにもかかわらず、5月16日に予定されていた南北閣僚級会談を米韓空軍演習に反発する形で当日になって一方的に中止した」ことだという。また、「ポンペオ国務長官が9日に訪朝した際、北朝鮮との間で首脳会談の設営に向けた準備協議で合意したのを受け、ヘイギン大統領首席補佐官代理ら政権チームを先週、シンガポールに派遣したものの、北朝鮮当局者は最後まで現場に現れなかった」という。そして「米政権はこの1週間、北朝鮮の真意を確かめようと何度も連絡を試みたが、反応は皆無だった」という。さらに、「北朝鮮の金正恩委員長は4月の南北首脳会談で、北東部豊渓里の核実験場閉鎖に関し、検証作業ができる専門家を招待すると表明したにもかかわらず、24日の閉鎖式典に呼ばれたのは報道陣だけだった」(このあたりも産経電子版)というわけだ。
 誠意を疑わせるに足る事象ではある。昨年末、安倍首相が習近平国家主席に会ったとき、金正恩委員長とはどんな男かと尋ねたところ、「計算高い男だ」と答えたというが、金委員長はどうも策に溺れているような気がする。中国とヨリを戻し、後ろ盾を得た安心感と、中国の入れ知恵を指摘する声もあり、確かにそうした背景はあるだろうが、それ以上に、誰もがこの会談を望んでいるとの観測を(それは事実だが)過信したのではないかと思う。トランプ大統領が、秋の中間選挙を控えて何等かの成果を求めているとは、かねてより報じられて来たところで、非核化(米国に到達するミサイルの開発阻止)を達成できれば一石二鳥だ。韓国の文在寅大統領も、朝鮮戦争を終結させ、仮に統一そのものが直ちに叶わなくても、南北合わせて7600万人の市場が出現し、うまく日本にカネをださせて北の経済を離陸させれば、低迷して不満が渦巻く韓国経済を打開する突破口になり得る。38度線を日本海まで下げて、反日の統一戦線を画策しているかも知れない(苦笑)。中国の習近平国家主席は、朝鮮半島の非核化に乗じて、在韓米軍の最新鋭迎撃システム・高高度防衛ミサイル(THAAD)を撤収させるだけでなく、在韓米軍そのものを撤収できるとすれば勿怪の幸いだ。そして日本も・・・!?。
 早速、トランプ大統領はツイッターで「北朝鮮から温かく生産的な声明を受け取った」と評価し、記者団に、「6月12日の開催もあり得る」との見通しを示したというが、ええ加減にしいやぁ~と言いたいところだ。トランプ劇場の面目である。しばし冷静に(突き放して?)見守るしかない。
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追悼・西城秀樹

2018-05-20 13:27:40 | 日々の生活
 西城秀樹さんが、16日に急性心不全のため亡くなった。63歳という若さだった。自分が子供の頃のアイドル(当時はスターと呼ばれた)とは、そんなに年が離れているわけではないのに鬼籍に入るとは、もうそんな年なのかと我ながらショックだ。「ちびまる子ちゃん」のお姉ちゃんが「ヒデキ」の大ファンで、アジア域内のアニメ・ファンの間にも衝撃が広がったらしい(以下、敬称略)。
 私はどちらかと言うと野口五郎の歌を子守唄に(!?)育ったので、当時は「新・御三家」の一人として見ていただけだったが、カラオケでは(演歌出身で歌唱力勝負のせいかちょっと暗い歌が多い)野口五郎より(明るくてノリが良い)郷ひろみや(激しくてノリが良い)西城秀樹を歌うことが多くて、後年になってからお世話になった。それでも、TVゲームや携帯やスマホもない1970年代前半のエンターテイメントとしての歌謡界の黄金時代を支えた一人であり、その印象は鮮烈だ。1972年3月に歌手デビューした当時を調べてみると、前年の71年には4月に小柳ルミ子、5月に野口五郎、6月に南沙織、10月に天地真理が歌手デビューし、同年には6月に麻丘めぐみ、7月に森昌子、8月に郷ひろみ、11月にアグネス・チャンが、翌73年には2月に桜田淳子、4月に浅田美代子、5月に山口百恵・・・と、挙げて行けばキリがないが、私の世代には懐かしい錚々たる「昭和の大スター」である。高度経済成長が1973年の石油ショックを機に曲がり角を迎える直前、商品経済が成熟期を迎えた時代が生んだ(商品としての)ヒーロー・ヒロインたちである。因みに「新・御三家」の西城秀樹、郷ひろみ、野口五郎は同級生(1955~56年生まれ)だし、「花の中三トリオ」の森昌子、桜田淳子、山口百恵も同級生(1958~59年生まれ)だが、その年代が秀でていたのではなく、飽くまで時代が生んだ風景なのだろう。
 Wikipediaを覗いてみると、ジャズ・ギターが趣味だった父親の影響で幼少期から洋楽に親しみ、ジャズ・スクールに通ってドラムを勉強し、小学3年の時、最初にファンになったのはジェフ・ベックであり、小学5年生の時、兄とエレキバンドを結成して小学生ドラマーとして活動するというマセ・ガキだったようだ。彼の独特のシャウト唱法は後のJ-ROCKアーティストたちにも影響を与えたと言われるのはそのためだろう。日本人のソロ歌手として野球場や日本武道館で公演を行ったのも、スタンド・マイクを使ったパフォーマンスやコンサートでペンライトを定着させたのも、西城秀樹が最初で、今の「アイドル」が親しみやすいばかりか安っぽくなってしまったのとは対照的に、当時の「スター」という手の届かない存在に相応しい派手な演出だった(今では当たり前になってしまったが)。伝説の歌番組「ザ・ベストテン」で、計算上の週間得点の最高9999点を叩き出したのは、後にも先にも「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」だけ(1979年4月5日および12日)で、彼を取り巻く世の中の高揚を感じさせるエピソードである。
 つとに好青年ぶりは知られていたが、2003年と2011年に脳梗塞を発症し、右半身に麻痺が残る状態でも、強い意志をもってリハビリを続けながら最近までステージに立ち続けて、気がついたのは「普通の暮らしの素晴らしさ」だったといい、「水が冷たくて気持ちいい、食べるものがおいしいと思えることが嬉しいんですよ」という素朴な言葉を聞くと、胸が詰まる。私も鹿児島のど田舎で元気一杯だったのに3歳のときに公害が酷い大阪に引っ越すと体調を崩して寝込むことが多くなって戸外で遊べないときに子供心に感じていたことと重なって、今の自堕落な暮らしをふと顧みるだに、つい厳粛な気持ちになる。
 昭和の大スターが流れ星となって堕ちた・・・ご冥福をお祈りし、合掌。
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たかがタテカン、されど…

2018-05-16 23:53:10 | 日々の生活
 京都大学の吉田キャンパスを飾る、学生たちの立て看板(所謂タテカン)が、京都市の景観を守る条例に違反するとして、行政指導を受けたらしい。これらタテカンは、常時あるいは一定期間継続して屋外で公衆に表示される「屋外広告物」に該当すると判断され、市の屋外広告物等に関する条例が設置を禁じている擁壁への立てかけや公道の不法占用に当たり、市長の許可も得ていないと指摘されたのだという。そのため大学側は、設置場所を大学構内を中心にし、設置できるのは公認団体に限定し、大きさや設置期間の基準をつくるといった内容の対策案を策定したという(このあたり朝日新聞デジタルによる)。朝日新聞は、記事の中で、花村萬月さんのコメントを紹介している。「昔の京大の立て看板には様式美やセンスがあって、とてもいい感じだった。今は時代の流れなのかチープになっている気がするが、景観を壊しているとは思わない。雑然としたものや、はみだしたものを排除していくのはいかがなものか。京大が本当にそんなことをしてしまうのか、という思いがある」。
 タテカンは、1960年代の学生時代はなやかなりし頃から、半世紀以上にわたって連綿と続いている。私が学生時代を送った1980年代でも、京大のタテカンは、カクカクした独特の字体で、「革命」だの「日帝(日本帝国主義の意か)」だの「米帝(同じく米国の帝国主義を批判)」だのといった、やや大時代なおどろおどろしい言葉が躍って、京都は時間が止まってるなあと、ネガティブではなくポジティブな意味で感心したものだった。建物に貼りちらかしたビラはお世辞にもキレイとは言えなかったが、古き良き(?)大学らしさを醸しだして、味があった。
 そんなノスタルジーはともかく、京都市が言うような「公衆に表示される屋外広告物」かと言われると、ちょっと違和感がある。サークルの勧誘や演奏会・講演会の案内などもあるにはあるが、大学関係者という限られた対象に向けた意見表明や政治的な自己主張が主流で、広告とは言い過ぎだろう。京都市内ではあのマクドナルドでさえ、外装に使用する赤色は原色のそれではなく茶系統の落ち着いた色合いに抑えられているが、タテカンが清水寺境内や河原町の商店街に置かれているわけでなし、街はずれの大学構内とその周囲であって、公道とは言え大学テリトリーとも言えるところでの話だ。市民からは「危険だ」「邪魔だ」との苦情が寄せられているらしいが、「京大らしくていい」と賛同する意見も同じように寄せられているはず・・・などと強弁したところで、京都市の言い分は分からないではない。
 因みに同志社大学では、2年前からタテカン設置は学内のみに限定し、大学への申請が必要らしい。立命館大学にいたっては、今年からは高さ2メートルほどの学内のデジタル看板に移行し、タテカン廃止を目指しているという。「京大だけが法令違反の状態が続くのは社会的責任の観点から不適切」という京大関係者の言い分はよく分かる。それでもしぶとく、タテカンが駄目ならと“寝”看板やTシャツを使った意見表明が登場し、撤去を求める通告書が張られ、撤去されたものが盗み出されて再度設置され・・・など“攻防”が続いて、なかなか壮観で、無邪気に応援したくなる。この程度の「自由さ」「猥雑さ」はもはや長年の間に染みついた京大の個性であって、許容範囲と言ってあげられないものかと、つい思ってしまう。
 ただ新聞記事の写真に見るタテカンの文字は、上手くない。上手くなくても味のある字体であればよいのだが、花村萬月さんのコメントにあったように「様式美」や「センス」がなくて「チープ」。応援するけど、この点は猛省してもらいたい(笑)。
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6・12@シンガポール

2018-05-13 11:32:35 | 時事放談
 注目の米朝首脳会談は、一ヶ月後にシンガポールで開催されることになった。選定理由として、安全が確保でき、中立性も備えているからと、ホワイトハウスの報道官は説明している。シンガポールは大陸・中国と台湾の双方ともに密接な関係を持つこともあって、分断後“初”となる2015年11月の中台首脳会談の際には仲介国として会場となった。そして今回は“初”の米朝首脳会談の会場となる。
 日本の公安筋によれば、金正恩委員長の異母兄・正男氏暗殺事件について、シンガポールであったら未然に防がれていただろうと言う(このあたりは産経電子版による)。当時、金正男氏はシンガポールにも出入りしていたとされるが、国内に張り巡らされた監視カメラも駆使し、シンガポール治安当局が入国時点から24時間体制で行動を監視し、泳がせていたらしい。他国の工作員も監視下にあるので、不穏な動きがあれば事前に察知され、そのため「米国も安心してシンガポールに北朝鮮対策を任せ、情報提供も受けている」(同筋)という。
 かつて、ある日系・現地法人社長は、電話は全て当局に盗聴されているよと、ケロッと何事もないように語ったように、数年前までWikipediaはシンガポールのことを「明るい北朝鮮」の異名があると書いていた(が、今はどうやら消えている)。前回ブログでマレーシアが独立以来“初”の政権交代を経験したことを書いたが、シンガポールでは独立以来このかた人民行動党の一党独裁が続いているからこそ、そして東京23区並みの国土の狭さ故に、高度の監視社会が可能なのだろう。
 日本にいると気付かないが、マレーシアに住んでいると、シンガポールとマレーシアは元は一つの国だったという生い立ちもあって、いまなお陰に陽に比較の対象になり、お互いに牽制し合うところがあるのを面白く思ったものだった(エスニック・ジョーク的に)。ともにリー・クアンユー首相(1959~90年、2004年まで上級相)とマハティール首相(1981~2003年)というカリスマをトップに戴き、ASEANの開発独裁として成功したが、今となってはちょっと差がついてしまったし、ある意味で双方が対照的な性格のせいでもあろう。シンガポールには、私も何度か訪問したが、どちらも多民族ながら華人が74%で活気があり(片やマレーシアではマレー系が65%でおっとりしている)、公職の給与体系を高くしているお陰で汚職の少なさでは世界トップクラスでクリーンなのはよいが(マレーシアは前回ブログに書いた通りややダーク)、世界文化遺産(シンガポール植物園)がひとつあるだけで、街は人工的な近代都市で面白みに欠け(マレーシアには2つの文化遺産に加え、ジャングルが多く、ボルネオ島のキナバル自然公園とグヌン・ムル国立公園の2つの自然遺産がある)、屋台のバクテー(肉骨茶と書く、骨付きばら肉等をニンニクや漢方系ハーブで煮込んだスープ)もどちらも美味いが塩・胡椒のクリアスープは万人受けして特色に乏しい(マレーシアでは醤油などのダークスープで独特の味)。シンガポールは水道水の大部分をマレーシアからの輸入に頼っているので、何か衝突すると「水の供給を停止する」だの「価格を100倍に引き上げる」だの脅しを受け、水問題がシンガポールのアキレス腱となっているのは余談だ。
 あの中国も、経済的には自由で高度に発達しつつ政治は一党独裁を維持している(外に開かれてクリーンだが内にはどこか窮屈な、という意味で「明るい北朝鮮」とは言い得て妙な)シンガポールのバランスのとり方に関心があるようだが、いかんせん規模が違い過ぎる。僅か560万人の都市国家であれば産業のある部分で突出すれば何とかなるかも知れないが(それでも中での格差は議論になる)、14億の民を食わせて行くのは並大抵ではない(中国製造2025では、先端分野のほぼ全てを極めようと野心的であり、あちらこちらで摩擦を呼んでいるのは周知の通り)。
 本題の米朝首脳会談に向けて、事前の調整が進んでいる。9日の金正恩委員長とポンぺオ国務長官との会談の結果を、翌10日、北朝鮮国営メディアは「満足のいく合意を見た」と報じた。ポンペオ氏がトランプ大統領のメッセージを伝えたのに対し、金正恩委員長は「大統領が対話を通じた問題解決に深い関心を持っている」と高く評価して謝意を表し、「首脳会談は、朝鮮半島の肯定的な情勢発展を後押しし、素晴らしい未来を建設するための第一歩を踏み出す歴史的な出会いとなるだろう」と述べたという(産経電子版)。北朝鮮メディアが米朝首脳会談に関する金正恩氏の発言を伝えたのは初めてのことだそうで、型破りなトランプ政権とは言えそれなりに地ならしを進めていることが窺える。
 それでもまだ疑念は消えない。北朝鮮は過去にも「非核化」にコミットしていたので、時間を限った具体的なロードマップに合意できるかどうか、それを検証しながら確実に実行できるかどうか・・・ビジネスの世界でもゴールや戦略を語るのはある意味で簡単なことで、実行(execution)こそが問われるのと同じことだ。昨日の「ウェークアップ!ぷらす」では、北朝鮮が既に核実験施設の解体を始めていると報道されたが、証拠隠滅するようでは困る。検証を担当するIAEAの事務局長・天野之弥さんの講演を聴いたのは半年以上前のことで、既に北朝鮮チームを編成していると言われていたのは、これからの活躍を見通していたかのようだ。さて、金正恩委員長は、金王朝存続のために、結局、中国の後ろ盾を得て、東アジアの、と言わず世界のパワーバランスを映す形で、極めてsensitiveな朝鮮半島の秩序再構築に向けた取り組みが始まる・・・のかどうか。
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マレーシアの政権交代

2018-05-11 02:10:35 | 時事放談
 アメリカがイラン核合意(JCPOA)から離脱し制裁を復活するのは、言わずもがな、トランプ大統領が引鉄を引いたもので、大事件だったが、ある程度予想されていた。初の米朝首脳会談が6月12日にシンガポールで開催されることに決定したのも、それなりに予想されていた。それよりも今回はマレーシア連邦議会下院選挙の結果を取り上げたい。こちらも予想はされていたものの、まさか!?の度合いは、私にとってイランや北朝鮮の比ではなかった。
 1957年の独立以来、与党連合の支配が続いたマレーシアで初めて政権交代が起きる見通し、と日経新聞は報じた。しかもその野党連合を率いて首相に就任する見込みなのが、あのマハティール氏(92歳)だというから、驚き倍増である。ロイター通信は、選挙で選ばれた指導者としては世界最高齢と報じた。世界の国家元首として最高齢を更新中とされる英国のエリザベス女王(92歳)は1926年4月21日生まれで、マハティール氏は女王陛下より4ヶ月早い1925年12月20日生まれだそうだ。
 私は2005年夏から丸3年、マレーシアのペナン島に駐在し現地子会社に勤務した(ペナン島だからと言って遊んでいたわけではない…)。マハティール氏は既にその2年前に引退されていたが、当時の上司だったCFOは親しみを込めてDr. Mahathirと呼んで敬愛していた。当時、実施されたマレーシアの総選挙では、与党はそれなりに盤石だった(当時から問題は指摘されていたが)。今回は、現ナジブ政権が政府系ファンドからの巨額の資金流用疑惑を抱えて、汚職体質が嫌気されている上、2015年の消費税導入が物価上昇に繋がって甚だ評判が良くなかったようだ。中国への過度な依存に対しても、心ある人は懸念している。そのため、ナジブ氏は、「選挙法の改正から始まって、選挙区割り改正、賄賂攻勢、野党の登録差し止めなど極めて汚い選挙戦術を展開させた」(マハティール氏インタビュー)という。そもそもシンガポールがマレーシアから独立したのも、シンガポールが進んで出て行ったのではなく、華人の人口が多いシンガポールが、選挙で与党(マレー系)に不利にならないようにと、追い出されたのだった(そのときリー・クワンユーの、涙を流して口惜しがる演説は後に有名になった)。また、汚職と言えば、休暇前になると警察官は小遣い銭稼ぎのために、スピード違反の取り締まりなどに精を出すのが常だった。駐在員仲間のある奥様は、運悪くネズミ取りに引っ掛かり、呼び止められた警察官に向かって「How much?」と白昼堂々、財布から札を取り出して渡そうとして、その警察官を慌てさせたという、大胆極まりないエピソードをもつ。こうした(まだカワイイと言えるレベルの)汚職を防止しようと、警察官の給与水準を上げる議論がよく報道されていた。そして中国との関係については、マハティール氏本人がインタビューで次のように述べている。「マレーシアは、ナジブが完全に中国の支配下に成り下がった。私が首相に返り咲いたら、中国主導の東海岸鉄道計画などを凍結する。中国とは、フレンドリーで中立な立場で、属国になってはいけない。日本を含めアジアの指導者は、卓越した指導力と交渉力で、自国の統治を図るべきだ」と。
 マハティール氏は、かつての長期政権(1981~2003年)で、日本の勤勉さに学ぶ「ルックイースト政策」を掲げ、東南アジアでいち早く経済発展を成し遂げる一方、米国と距離を置く政策を取った・・・とは産経電子版の寸評である。最近でこそ、一人あたりGDP1万ドル界隈で足踏みする中所得層の罠に嵌っていたが、所謂「開発独裁」のアジアにおける優等生だった。もっとも、全てが上手く行ったわけではない。産業政策として裾野が広い日本の自動車産業に倣って(という着眼点は悪くない)、三菱自動車やフォルクス・ワーゲンのエンジン技術を導入してアジアでは珍しい国産車Protonを立ち上げた上、輸入する外国車に多額の税金をかけて国産車の普及を図ったが、生産技術への見立てが甘かったのだろう、品質が悪く、長年の赤字から脱却できずに同国の負の遺産になっている(因みに、貧しい若者はバイクに乗り、ちょっと稼ぎが良くなるとマレーシア国産車に乗り、さらに出世するとKIAなどの韓国車に乗り、高給取りはドイツ車や日本車に乗る、と言われていた)。
 早速、私のマレーシア時代の同僚たちがfacebookに歓迎のメッセージを続々と投稿していた。私の同僚(すなわちビジネス界)と言えば華人(中国からの移民で土着した人たちのことであり、現地国籍がない華僑とは異なる)がほとんどだから、歓迎するのは当然なのだろう。「I Love(実際にはハート・マーク) PM(=Prime Ministerの意か)」、「Good Morning Malaysia!」、「Well Done Malaysia」、「Congratulations Malaysia, we DID it!!!!!」、「Done .. new world」、「Woke up to a new dawn…Unbelievable!!! Thank you Lord.」、「Finally can sleep」、「明天会更好!」、「好听,一流,我相信!!」・・・皆の熱狂ぶりが目に浮かぶようだ。
 マハティール氏は、今後1~2年で、あとは王様に特赦を仰ぎ、獄中のアンワル元副首相が就任できるよう準備すると言われており、一応、老害をわきまえておられるように見受けられる。大の親日家でも知られ、私も当時の上司のCFOから、「お前の世代に太平洋戦争の責任はない、気にせず自信を持って、グローバルにリーダーシップを発揮しろ」と言われたものだったが、マハティール氏はもっと直截に日本の外交政策について次のように述べているのは示唆的である。「日本は、いつまでアメリカの言いなりになり続けるのか。なぜ欧米の価値観に振り回され、古きよき心と習慣を捨ててしまうのか。一体、いつまで謝罪外交を続けるのか。そして、若者は何を目指せばいいのか。日本人には、先人の勤勉な血が流れている。自信を取り戻し、アジアのため世界のためにリーダーシップを発揮してほしい」(Wikipedia)などと痛いところを衝いている。背後にアメリカがいて、安全保障上、自主・独立の気構えがないのを、露・プーチン大統領から呆れられた現実を、思い起こすべきだろう。
 なにはともあれ、政治の変化を待望された政権交代で、新たな展望が開けるよう、私にとっては第三の故郷と言えるマレーシアにエールを送りたい。ゆめゆめ日本の政権交代の轍を踏むことがないように・・・(笑)
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中印の距離感

2018-05-08 00:00:04 | 時事放談
 先月末、南北朝鮮の首脳会談で、両首脳の一挙手一投足を日本中のメディアが追いかけていた、その日に、インド・モディ首相と中国・習近平国家主席との首脳会談が行われていたことに、以前、このブログでちらっと触れたことがあった(翌日の日経朝刊は南北首脳会談一色で、中印の記事が見当たらないと不平を述べた)。連休中、ヒマに飽かせて産経電子版を検索していたら、中印の間で国境紛争回避に向けて、また経済面で、今後、連携を強化することで一致した、とあった。
 インドのモディ首相と言えば、人たらしの安倍首相とは結構ウマが合うようで、昨年9月に安倍さんがインドを訪問し日印首脳会談を行ったとき(航空会社が路線を自由に設定できる航空自由化などで合意し、また日本の新幹線方式を導入したインド初の高速鉄道事業が始動した)、熱烈歓迎を受けたことが記憶に新しい。モディ首相は安倍さんの背中にぐるりと腕を回して抱きつくようなハグで迫って、安倍さんが困惑して苦笑いするほどだった。因みにモディ首相はハグ魔で、安倍さんに限らず、米国のトランプ大統領やオバマ大統領とも、またロシアのプーチン大統領や、英国のキャメロン首相や、フランスのマクロン大統領や、豪州のアボット首相や、イスラエルのリブリン大統領とも、熱烈ハグを交わしている(ネットで検索すれば次々にモディ首相の愛らしい写真が出てくる)。それはともかく、この9月の訪印の際、中国・人民日報系の環球時報は、社説で日印をこてんぱんに貶したものだった。曰く、「中国の国家安全に挑戦できるアジアの国は一つもなく、2、3カ国が集まっても不可能だ」、また周辺国が中国に対抗しようとしても、ロシアが参加しない限りアジアの地政学構造は変化しないと分析して、インドを「経済が立ち遅れた国」、日本を「政治的なチビ」と見下し、その両国が接近しても決定的な影響はないと言い放ったのだった。なんと大人げないことだろう。本当に大したことがなければ無視すればよいので、中国としては日印の蜜月が余程気に食わなかったのだろう。
 その後、日印首脳は11月にも、ASEAN関連首脳会議に出席するためにマニラを訪問したときにも会談しており、両首脳間で実に11回目である(プーチンとの20回には及ばないが)。
 随分、前置きが長くなったが、本題のモディ首相と習近平国家主席との首脳会談ではどうだったか・・・私がブログに書くくらいだから容易に想像がつくことで、インドのメディアはわざわざ「ハグがなかった」ことをニュースに付言したという。これまで中印国境紛争のほか、インドが国境紛争を抱えるパキスタンを中国が支援し、昨年は中国とインドとブータンの国境が三つ巴に接するドクラム高地で中印両軍が対峙し、中国の一帯一路に対してインドは支持せず、この1月にインドは射程5千キロ超のICBM「アグニV」の発射実験に成功して中国全土が核攻撃の射程内に入ったと主張し・・・それぞれ腹に一物をもつ両首脳なのだが、貿易戦争を仕掛けるトランプ大統領を牽制するべく(ややぎこちなく)にこやかに近づいた習近平国家主席に対する仕打ちとして、なんとも象徴的な一幕であった。
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憲法記念日

2018-05-06 13:38:07 | 時事放談
 野球にかまけていて遅くなってしまったが・・・5月3日の憲法記念日は、政局がかかる次第で、昨年とはうって変って、安倍政権(敢えて自民党とは言わない)による改憲の勢いが削がれてしまったようだ。しかし因果は恐らく逆で、昨年のこの日の安倍演説は、9条3項に代表されるように、改憲への心理的障壁を低くするために歩み寄った妥協の産物として、護憲派のお尻に火を点け、左派系メディアと(期せずして?)足並み揃えた安倍独裁キャンペーンを通して世論を惑わせ(所謂印象操作を狙ったものだが、ヒトラーに擬したポスターもあったのは安倍憎しと言えども酷過ぎる)、モリ・カケ、ニッポー、セクハラの諸問題で国会審議をも空転させ、何が何でも安倍政権の改憲を阻止するという一点に向かって突き進んでいるようだ。政治日程上、来年の改元や2020オリパラを考慮に入れると、そろそろ時間切れになりそうで、護憲派の執念は成就するかも知れない。
 この日の護憲派集会を産経電子版が珍しく詳報している。日本のメディアの中で産経は言わずと知れた保守派で、政権寄りとまでは言わないまでも、詳報と言ってもその切り取り方には偏りがあるであろうことは覚悟しつつ、連休の戯れに読んで見た。まず弁士が凄い。落合恵子(作家)、竹信三恵子(元・朝日新聞記者)、清末愛砂(室蘭工業大准教授)、山内敏弘(一橋大名誉教授)、枝野幸男(立憲民主党代表)、大塚耕平(民進党代表)、志位和夫(共産党委員長)、又市征治(社民党党首)の8氏で、いずれもこってり濃い方ばかり、しかし弁舌は実に滑らかである。
 しかし、サラリーマンをやっていると、彼ら彼女らのレトリック巧みな、つまりは空理空論だけで腹一杯になることには空しさを覚える。サラリーマンは(一応、これでも)現実と戦っているので、先ずは現状認識(今でしょ、の“今” 笑)がなければ話にならないのだが、彼らの現実認識は73年前で止まっているのではないか(正確に言うと東京裁判による裁定後、あるいはGHQ占領支配後のあたりだろうか)と思う。実は戦後間もなくの頃は、社会党代議士ですら、非武装中立で日本は大丈夫か?と問うまっとうな現実認識があったものだが、ときの吉田・元総理が軽武装・経済重視の所謂吉田ドクトリンという大きな政治判断で押し通したのだった。このときの吉田・元総理の苦渋の決断を慮るべきだと思うが、その後の日本は、豊かになればなるほど、そして冷戦という極めて特異な国際情勢の中で、実態として身動きが取れない緊張状態(熱戦に至らないから冷戦と呼ぶのだが、それを護憲派の人たちは我が国が戦争に巻き込まれなかったから平和と定義する)に晒されている内に、国防というものから遠ざかってしまった。国際政治の教科書を読めば、先ず、現実主義と理想主義の葛藤が出てくるように、世の中はその葛藤の中に解を見出してこそ意味があるものだが、護憲派の主張を聞いていると、どちらかに偏り過ぎるのはよろしくないなあ・・・と溜息混じりに実感するのである。そして、現行憲法にどうしてここまで拘るのだろうかと不思議に思う。これはもう情緒的な反応、端的に(改憲派あるいは戦前の帝国ニッポン?に対する)怨念でしかないのではないだろうか(苦笑)。
 それでは現行憲法の何が問題なのだろうか。
 現行憲法は、学生時代で言えば一夜漬けで作られたような即席のシロモノだが、当時の時代背景、言わば空気を一杯吸って(という意味では安直とも言える)、よく出来ており、理念としては大変素晴らしい。ここで“理念として”と断ったのは、“現実として”憲法が依って立つ前提、足元が、今なお実現していないところが悩ましいからである。このブログでも何度か書いてきたように、前文に言う「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」のは“理念として”結構なことだが、“現実として”諸国民(とりわけ日本を取り巻く東アジアの国々)はそれほど平和的ではない(いや、護憲派はこれには反論するかも知れないが)。そして何よりその理念と現実の辻褄合わせのために、とりわけ9条について「憲法解釈」なるものが跋扈し、左右の硬直的で不毛な議論の中で、国としての身動き(選択肢)が制約されるような窮屈な状況に陥っていることこそが問題なのである。もし「憲法解釈」を、憲法の枠内で(この枠内であることが大事)の「時の政府の政策論」に過ぎないとしてゼロ・クリア(あるいは適宜修正)できるなら、そして虚心坦懐に(そのときには、最近、篠田英朗さんが主張されているように国際法に沿って)読み直すことが認められるなら、敢えて憲法改正に及ぶ必要はないのではないかとさえ思う。しかし世の中、とりわけ政治状況はここまで来てしまった以上、やり直すことは難しい。
 9条だけでなく、また最近、自民党が発表した改憲4項目(自衛隊、緊急事態、参院選「合区」解消、教育の充実)だけでもなく、憲法の全体をもう一度よく読んで勉強しようと呼びかける人がいるが、憲法を読むだけでは恐らく足りない。憲法は、国家の統治体制の基礎、言わば(護憲派の方が嫌うかもしれないが他に適切な言葉がないので使用すると)“国体”を定める、国家の根本法だ。良くも悪くも現行憲法ができた当時の情緒にまみれ、一種、古色蒼然とした趣のある現行憲法を見直すとすれば、当時の改憲のきっかけとなった先の大戦を総括することを含めて、日本の来し方、行く末を洞察することが不可欠だと思うが、そんな悠長な、過去73年の間に出来なかったことを言っていたら、今後、73年間も改憲には手をつけられないかも知れない。どちらが大事かと言って、改憲よりも歴史を総括することの方が余程大事だと思うが、先の護憲派集会は、(産経電子版の皮肉交じりの言い方によると)聴衆の「大半は高齢者が占めていた」状況から察すれば、それぞれ個別の経験や思い入れに囚われて、73年経ってなお歴史として冷静かつ客観的に見詰めるまでには至っていないのかと嘆息してしまう。
 何はともあれ71歳を迎えてなおカクシャクとした現行憲法の偉丈夫ぶり(これは男性を形容する言葉か?)とたおやかさ(これは女性を形容する・・・などと区別するようなご時勢ではないのかも)を寿ぎたい。私のような偏屈ジジイには、護憲派の主張が、余りにナイーブで中国や南北朝鮮を利するばかりなのが、どうにも釈然としない(笑、そのために、国際社会やアジアの地域秩序における日本の地位を貶めんとする中国の三戦を疑っている まあ日本だけじゃないけどね 苦笑)。憲法記念日には、トランプ大統領のようにAmerica Firstと露骨に叫ぶのは日本人にはハシタナイと思われるにしても、歴史認識をはじめとして、もう少し我が国を第一に、そのありようを考えたいものだと思うのだが、それでも護憲派はそれが日本のためだと主張するのだろう。いやはや、欧米社会も分断しているが、日本の分断もなかなか深刻だ。
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イチロー的な終わらせ方

2018-05-05 00:48:03 | スポーツ・芸能好き
 まだ終わったわけではないから、「終わり方」ではなく「終わらせ方」とタイトルした(しかし限りなく引退に近いニュアンスである)。
 今朝、イチローがマリナーズの会長付特別補佐に就任し(ESPNはfront-office role as a special assistant to the chairmanにシフトする、と報じ、日本のメディアは球団の特別アドバイザーと翻訳した)、選手としては今季の残り試合に出場しないことが明らかとなった。ベンチ入り25人枠から外れ、練習しながら選手らをサポートするが、試合ではベンチには入らず、クラブハウスやビデオルームなどで状況を眺めることが多くなる見込みで、「選手が求めてきたことに、彼なりのアドバイスをしてほしい」と技術面だけでなく精神面での支えを期待されているようだ。
 引退はしないが、今季はプレーしない、来季以降は現役でプレー復帰するかもしれないという、分かりにくい内容の、異例の生涯契約である(ESPNもIt's a unique circumstance for a unique player.と言い、This was the most creative way to keep him within the organization and still give him an opportunity to play if that's what happens in 2019.とも言う)。そのため日本球界復帰の芽はなくなったとも報じられた。マリナーズにとってイチローは一時代を築いた最大の功労者であり、地元シアトルでの人気は高く、マイナー落ちや他球団への放出には踏み切らない武士の情けで、(最低でも!50歳までと言って)現役続行を希望するイチローに最大限、応えてあげたと言うべきだろう。イチローにとってもメジャー最初の球団で都合11年半在籍したマリナーズには愛着があるだろうし、球場から車で20分の湖畔に自宅を構えるシアトルからは去り難かったことだろう。このあたりを世界の王さんは、さすがに一言で本質を衝いて、この契約を歓迎された。「イチローにとってもマリナーズにとっても一番いい選択をしたということじゃないかな」。
 イチローも会見で次のように語って球団に感謝した。「マリナーズと契約してから今日まで毎日が僕にとってギフトを贈られたというかハッピーでした。今日もそうですがとにかくハッピー。毎日セーフコフィールドに来る。家からの道のり、帰り道。ユニホームを着ている時間。毎日、噛み締めていました。それが終わってしまうのかと考えた時に提案を頂いた。こんな形を取ってくれた。信じられないことですよ」。そして「僕の近くにいる人なら分かると思いますが、野球の研究者でいたい。44歳でアスリートとしてどうなっていくのか見てみたい。プレーしなくても毎日鍛錬していくとどうなっていくのか見てみたい。チームと一緒に練習できる。例えこれで終わりだたっとしても(練習を)続けると思う。喪失感みたいなものはまったくありません」とも語った。「野球の研究者」とは、まことにイチローらしいが、私たちは喪失感を禁じ得ない。
 実際、イチローと言えども、過去3年を振り返ると、衰えは隠せなかった。が、それ以上に出場機会が限られてしまった。イチロー自身の、と言うより、メジャーという球界の、年齢の壁が厳然としてある。
 2014年に(三年半在籍した)ヤンキースからFAとなったイチローは、翌2015年にマーリンズと契約して三年間在籍し、1年目こそ打率.229(438打席)と低迷したが(91安打)、2年目は出場機会が減ったものの打率.291(365打席)まで持ち上げて、まずまずの成績を残した(95安打)。しかし3年目は自身最少の215打席しか打撃の機会が与えられず(往時の三分の一以下)、それでも代打安打数ではメジャー記録にあと1本と迫る27安打を放ってそれなりに存在感を示したが、シーズンを終わってみれば打率.255、自己最少の50安打とほぼ半減してしまった。今季は30試合の半分に出場して、打率.205、安打9にとどまっている。
 昨年11月、マーリンズからFAとなったときには、ヤンキース時代の同僚だったデレク・ジーターCEOからイチローに対して直々に(ということは敬意を表して)来季構想外であることが伝えられたものだった。古巣オリックスが指導者含みで誘いを掛けているとか、他にも噂にあがった球団があったと報道されたが、なかなか去就が決まらずに気を揉ませ、ようやくマリナーズ入りが決まったのはつい3月に入ってからのことだった。近年、急速に若返りが進むメジャーリーグで(否、そもそも新陳代謝が激しいアメリカ社会で)、44歳でのメジャー契約は異例、と報じられたものだ。
 その間、年末に故郷の愛知県豊山町で行われたイチロー杯争奪学童軟式野球大会では、子供たちから「日本球界復帰の可能性はありますか?」と直球の質問が投げかけられ、さすがのイチローものけぞりながら「メディアがいますから。ややこしいこと聞くね~」とうろたえたが、「言葉は難しいし、便利で…可能性という言葉を使えば、両方あります。これは僕の逃げの言葉。可能性っていろんなことに使えるから、ゼロじゃない限りは可能性はあります…ややこしいなあ」と言葉を濁し、完全否定することはなかった。そのときの心境を、犬好きらしく「ペットショップに売れ残った大きな犬みたいな感じ」と自虐的に表現し、「アメリカっていう国は、44歳っていうのが何かひっかかるらしいのね。44歳のオジサンはどーなのっていう」などと、メジャーでプレーする自信を持ちながらも、年齢の壁が立ちはだかっていることへの不満を漏らしたものだった。それでも野球大好き少年のイチローには現役へのこだわりがあった。以前、「40歳を超えて現役でいることは大事なこと。現役でないと分からないことがたくさんある」と語ったこともある。
 それだけ難産の挙句のマリナーズへの復帰だっただけに、会見では「今、マリナーズが必要としていること、僕がそこに力になれるのであれば何でもやりたい」と語り、球団への恩返しを誓った。
 イチローは言うまでもなく屈指のメジャーリーガーで、メジャーの中にも称賛する声は多いが、ここでは直近、昨年9月19日、メッツ戦9回にイチローが同点タイムリーを放って、延長10回サヨナラ勝ちを呼び込んだ試合の後の記者会見で、マーリンズのマッティングリー監督が語ったことを取り上げたい。「イチはアンビリーバブルだよ。いつも同じ。変わらないんだ。見ていて楽しかったよ」「色々なプランもあるし、選手もそれぞれだが、みんなにはイチの域に達してもらいたい。どんな打席でも変わらない。スプリングトレーニングだろうが、開幕戦だろうが、10点差でリードしていても、されていても、ギリギリの状況でもだ。シンプルさを保つことは難しいんだ。そういうメンタリティでいれば、どんな打席でも変わらないメンタルでいられる。それがイチローを偉大たらしめるものなんだよ。殿堂入りする選手はいつでもいい打席を見せてくれる。状況は関係ないんだ」・・・アメリカ人的なリップサービスもあるだろうが、これほど正確に理解して貰えていたのは、偉大であるが故とは言え幸せな男だ。
 これで、(次回6日のマリナーズ戦にも登板が予定されていた)大谷との対決は、恐らく未来永劫、見ることが叶わなくなってしまった。イチローは大谷が生まれる2年前の1992年からオリックスでプロ野球生活を始めており、大谷にとってイチローは少年時代からの憧れで、世間一般で言うと親子ほどの年の開きがある。大谷のメジャー行きが決まったときにイチローは「まだ翔平がプレーしているところを実際に見たことがないので、まず見てみたい。でも『誰が見ても世界一の才能と言っていい』とよく聞く。そんな選手と対戦することは野球の醍醐味の一つだと思うし、必ず実現させたい。でもそれは、僕がピッチャーで」と、最後に笑いをとりつつも、最大限の賛辞を惜しまず、今回、大谷が「イチローさんと(対戦)できる選手っていうのは凄く限られている。そういう機会がもしかしたらあるというだけで凄く楽しみ」と言えば、イチローも「僕が対戦できるように頑張るしかない」とつい最近も応えていた。野球ファンとしては残念でならない。
 あと一つ、日本での凱旋プレーの可能性が残されている。マリナーズは来年3月20、21日に東京ドームでアスレチックスと対戦することが正式決定されている。ベンチ入りは25人ではなく28人に増枠されるから、7年ぶりの大リーグ公式戦日本開催には、日本のファンへのサービスとして、イチローのプレーする姿が見られることだろう(実際、マリナーズのGMはこれがイチローの引退試合となるであろうことを仄めかしている)。これも生涯契約の一つの大きな目的じゃないかと思うのだ。勿論、イチローの日本のファンへの(日本でプレーしないことのお詫びと)感謝のしるしとして。そういう男だと私は思う。
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清宮デビュー

2018-05-03 12:36:17 | スポーツ・芸能好き
 プロ野球ファンなら、日ハム・ファンでなくとも、つい気になってしまう、清宮幸太郎が実戦デビューした。
 最近はテレビを見なくても、その場面だけなら後から動画で見られるのが有難い。二回、二死走者なしの場面で、カウント1-1からの三球目、(その前の投球が内角への変化球だったのにも惑わされることなく)甘く入った外角高め145キロのストレートを、素直にセンター方向に弾き返し、フェンス直撃の二塁打とした。私のような素人目には、さすがだなあ、もっているなあと思わせる鮮やかな一打だった。
 しかしプロの目からは、ポイントはむしろ第二打席の初球にあったようだ。元・投手の川上憲伸はあるニュース解説で、良いバッターのポイントとして内角ストレートの打ち方をあげていて、まさにこの第二打席の初球、内角ストレートを、右翼線ファールになったが、左の脇を締めてきれいに打ち返してみせた。投手の岸は、第一打席に二塁打を浴びて「ものすごい打球が飛んでいったので、次からはしっかり投げようと思った」と苦笑いして答えていたが、この第二打席の初球を打ち返されて、あらためてスイッチが入ったのではないかと思う。第二・第三打席とも、チェンジアップで三振に切ってとられた。
 とりわけ第三打席は、七回、0-1で1点ビハインド、二死二塁からワイルドピッチで三進して一打同点、本塁打で逆転という試合を左右するかも知れない場面で、空振り三振に終って、本人は余程悔しかったのだろう、片膝をついたまま天を仰いだ。第二打席の初球にファールを打ってからは、球にかすらせてもくれなかった。所謂プロの洗礼である。岸とバッテリーを組んだ嶋は「懐の深さとか非常にいい雰囲気を持っていたので、普通になめてかかったらやられるなとは思った」と語っているが、岸と嶋という日本プロ野球を代表するバッテリーにここまで言わしめたのは、注目新人へのただのハナムケだけではないだろう。ベンチで「あれが日本一のチェンジアップだから」と声をかけられたというが、「一級品のボールを見ることができて良かったです」と本人も認めるように、デビュー戦でこれほどの対決が実現するのは得難いものだし(大谷のデビュー戦も岸だったらしい)、我々ファンにとっても、これこそプロ野球の醍醐味である。
 しかしここに来るまでは曲折があった。早実の和泉監督は、「だいぶ痩せて、苦労したみたい」と語っているように、新人合同自主トレで右手親指を痛め、春季キャンプ中に急性胃腸炎となり、オープン戦期間中に限局性腹膜炎と診断されて入院し、開幕一軍入りを逃した。いくら高校生離れしているとは言え、肉体面、精神面、ともにプロの水は甘くなかったということだろう。二軍戦15試合で50打数11安打、打率2割2分ながら、チームトップの4本塁打を放ち、一軍昇格を果たしたのだった。
 昨年8月の記事が目に留まった。野村克也氏の右腕としてヤクルト、阪神、楽天でヘッドコーチや二軍監督を務めた松井優典氏は、清宮について、最近、甲子園でホームランが増産されるようになったパワー(筋力アップ)とは違う次元の、技術(の結果)であり、一言でいうと、あれだけ体が前に出ないバッターはなかなかいない、インパクトが柔らかい、前の肩(右肩)が開かない、手本になるような部分が、ちょっと考えただけですぐに三つは出てくると絶賛され、このままプロになれば、強打者ではなく(かつての篠塚和典のような)巧打者になる可能性が高いのではないかと見ておられる。勿論、プロに入って筋トレして、ホームランバッターとしてどこまで成長するのか楽しみだとも言われ、「(プロ出身の)我々とすれば、(高卒で)プロに入ってほしい選手」だと待望されていた。なんと幸せな選手であろう。
 実に、次が見たくなる、どんな活躍を見せ実力を備えて行くのか、これからが楽しみな選手だ。
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