代々木ゼミナールが全国27校の7割超に当たる20校を、来春にも閉鎖する方針を明らかにしたという報道には驚かされました。少子化による受験生減少などが背景にあると報道されています。確かに、少子化の傾向ほどには大学の淘汰が進まず、定員割れの私立大学が、今朝のウェークアッププラスによると50%近くにも達するほどだそうですし、過去20年は失われた20年でもあり、経済上の理由から現役志向が強まり、少子化とも相俟って、浪人生が三分の一ほどにまで減っているそうです。
私が受験生の頃・・・などと比べても仕方ないのですが、かれこれ30年以上前に遡ると、私の周囲では半分くらいの友人が浪人していました。私のように、クラブ活動にうつつをぬかし、勉強が足りなかったと自覚する生徒は、仕方なくもう一年鍛え直して、自分なりに満足のいく大学を目指すのが、ごく当たり前の光景であり、実際に私が進んだ大学でも、現役・浪人はほぼ半々でした。長閑な時代です。ところが今では(かつ東京においては)、公立の学校でも中・高一貫があるくらいで、中・高一貫校から冒険しないで推薦入学を選ぶ子供が多くなったと、子供の高校の進路指導の先生はぼやいていました。また、もう何年か前の話になりますが、お年頃の子供のために、受験事情をいろいろ調べていて、AO入試なる耳慣れない言葉に出くわして戸惑ったものでした。塾や予備校にとっては、少子化に加えて、こうした制度の多様化をもたらす有識者の意識の変化やそれに伴う受験生の意識の変化は、好ましからざる傾向だったことでしょう。さらに、こうした環境の変化の中で、予備校間の競争が厳しくなっている現実もあります。子供の予備校選びに首を突っ込んでいて、東進ハイスクールのように、Web視聴のスタイルが広がっていることもある種の衝撃であり、私の頃には当たり前だったマンモス予備校は、もはや流行らないのかもしれないとも思ったものでした。
私自身、若気の至りもあり、意思に反して押し付けられる受験勉強が厭でしょうがなく、学歴主義にも大いに反発しましたが、負け犬の遠吠えになってはいけないと、日本の教育制度に対する不満はいったん封印して、受験に没頭したものでした。ところが、受験が終わった途端、呑気なもので、のど元を過ぎれば熱さを忘れる良い例で、受験なんてどうてもよくなってしまい、自ら家庭教師という受験産業の末端で稼がせて頂いては、文句の言えようはずもありません。私の中で再び教育問題への関心が高まるのは、マレーシア(ペナン)やシドニーで子供たちの学校を選ぶとき、そして何よりも日本に戻ってから半年で臨んだ高校(への帰国子女)受験や、その後の予備校選びなどの大学受験への備えのときまで待たなければなりませんでした。さすがに選抜の手段としての受験制度を全否定するほど若くはありませんし、今となっては学歴はさほど関係がない(受験で測られない素養も大事だし、その後のありようによって克服し得る)と自信をもって言えますが、それでも、一生の友達を選ぶ母集団をどこに置くかという選択の問題のことを考えると、努力するに越したことはなく、子供たちが過ごした海外の学校の伸び伸びとした教育環境と日本の環境とでは、彼我の差が余りにも大きく、苦労する子供たちには本当に同情を禁じ得ませんでしたが、尻を叩かないわけには行きませんでした。
私自身は大阪にいて、代々木ゼミナールとの接点は、せいぜい発表された共通一次試験の全国平均点を参考にしたぐらいかもしれませんが、自分と子供の二世代の間で、受験戦争という言葉こそ使われなくなっても、それほど変化したとは思えない競争環境の中で、しかし確実に少子化と意識の変化が進み、三大予備校の一角がリストラに追い込まれたのは、時代の流れとして、感慨深いものがあります。長らく変わらないと思われていた(しかし変わるべきとも思われていた)社会制度が揺らぐ・・・これも日本らしさかもしれませんが、案外、人々の意識が先行して、その後から組織や体制の変化は続くのかも知れないと思います。そういう意味では、ただの感傷にしか過ぎない。ただ、世の中が緩くなるのではなく、緊張感をもって、別の競争環境へと変化するものであって欲しいとは思います。
私が受験生の頃・・・などと比べても仕方ないのですが、かれこれ30年以上前に遡ると、私の周囲では半分くらいの友人が浪人していました。私のように、クラブ活動にうつつをぬかし、勉強が足りなかったと自覚する生徒は、仕方なくもう一年鍛え直して、自分なりに満足のいく大学を目指すのが、ごく当たり前の光景であり、実際に私が進んだ大学でも、現役・浪人はほぼ半々でした。長閑な時代です。ところが今では(かつ東京においては)、公立の学校でも中・高一貫があるくらいで、中・高一貫校から冒険しないで推薦入学を選ぶ子供が多くなったと、子供の高校の進路指導の先生はぼやいていました。また、もう何年か前の話になりますが、お年頃の子供のために、受験事情をいろいろ調べていて、AO入試なる耳慣れない言葉に出くわして戸惑ったものでした。塾や予備校にとっては、少子化に加えて、こうした制度の多様化をもたらす有識者の意識の変化やそれに伴う受験生の意識の変化は、好ましからざる傾向だったことでしょう。さらに、こうした環境の変化の中で、予備校間の競争が厳しくなっている現実もあります。子供の予備校選びに首を突っ込んでいて、東進ハイスクールのように、Web視聴のスタイルが広がっていることもある種の衝撃であり、私の頃には当たり前だったマンモス予備校は、もはや流行らないのかもしれないとも思ったものでした。
私自身、若気の至りもあり、意思に反して押し付けられる受験勉強が厭でしょうがなく、学歴主義にも大いに反発しましたが、負け犬の遠吠えになってはいけないと、日本の教育制度に対する不満はいったん封印して、受験に没頭したものでした。ところが、受験が終わった途端、呑気なもので、のど元を過ぎれば熱さを忘れる良い例で、受験なんてどうてもよくなってしまい、自ら家庭教師という受験産業の末端で稼がせて頂いては、文句の言えようはずもありません。私の中で再び教育問題への関心が高まるのは、マレーシア(ペナン)やシドニーで子供たちの学校を選ぶとき、そして何よりも日本に戻ってから半年で臨んだ高校(への帰国子女)受験や、その後の予備校選びなどの大学受験への備えのときまで待たなければなりませんでした。さすがに選抜の手段としての受験制度を全否定するほど若くはありませんし、今となっては学歴はさほど関係がない(受験で測られない素養も大事だし、その後のありようによって克服し得る)と自信をもって言えますが、それでも、一生の友達を選ぶ母集団をどこに置くかという選択の問題のことを考えると、努力するに越したことはなく、子供たちが過ごした海外の学校の伸び伸びとした教育環境と日本の環境とでは、彼我の差が余りにも大きく、苦労する子供たちには本当に同情を禁じ得ませんでしたが、尻を叩かないわけには行きませんでした。
私自身は大阪にいて、代々木ゼミナールとの接点は、せいぜい発表された共通一次試験の全国平均点を参考にしたぐらいかもしれませんが、自分と子供の二世代の間で、受験戦争という言葉こそ使われなくなっても、それほど変化したとは思えない競争環境の中で、しかし確実に少子化と意識の変化が進み、三大予備校の一角がリストラに追い込まれたのは、時代の流れとして、感慨深いものがあります。長らく変わらないと思われていた(しかし変わるべきとも思われていた)社会制度が揺らぐ・・・これも日本らしさかもしれませんが、案外、人々の意識が先行して、その後から組織や体制の変化は続くのかも知れないと思います。そういう意味では、ただの感傷にしか過ぎない。ただ、世の中が緩くなるのではなく、緊張感をもって、別の競争環境へと変化するものであって欲しいとは思います。