もう先週木曜日のことになってしまいますが、出張の場所をダラスからプリンストンに移しました。アメリカの地理的な大きさを感じるのは、こうして移動するときで、ダラスはタイム・ゾーンでCentralの南の端にあり、片やプリンストンは東海岸のニューヨーク近郊、時差は1時間でしかありませんが、飛行時間は3時間、東京から台湾に行くくらいの感覚です。
更にこの日は、朝4時に起きて、2時間前に空港カウンターでチェックインを済ませて、早々とゲートの待合室に到着して、朝食にスタバのコーヒーとマフィンをつまみながら、のんびり本を読んでいたところ、周囲の妙な動きが気になって、ゴミ箱に近づきがてら、発着情報のモニター画面を見ると、フライトが突然キャンセルになっていることに気がついて、仕方なく、シカゴ経由に変更したため、ニューアーク空港には予定より3時間以上も遅れて到着し、朝4時に目覚めてから実に10時間をかけた移動になりました。こうなったら、身も心もくたびれて、仕事に気合いが入りません。レンタカーで1時間運転してオフィスに到着したのは、夕方の4時で、そこから小1時間打合せをして、そそくさとホテルに引き揚げました。
かつては(私が入社した頃)新入社員でもビジネス・クラスで出張したものですが、今となっては昔の話。最近は事業部長クラスですら、チケットはキャンセルも変更もきかないPEXというケチな出張で、今回のような突然のキャンセルにどう対応できるかと思ったら、さすがに航空会社の都合なので、あっさり変更できました。それにしても、アナウンスもなく、いくら早朝とは言えゲートのカウンターには職員一人だけで、システム画面を見ながら何やら操作しているように見えて、進捗がなく、カウンターの列は一向に動く気配がありません。だからと言って乗客もさして文句を言うことなく、むしろあきらめ顔・・・。さして珍しくもないフライト・キャンセルですから、さっさと対応できそうなものだと、日本人なら思ってしまいますが、アメリカではどうにも場当たり的でリカバリーは遅く、強いようで実は脆弱なインフラの一面を垣間見て、いかにもアメリカらしく感じました。
日本は、全国津々浦々、高品質なのです。勿論、田舎に行けば時計の針の進み具合は多少遅くなるでしょうが、それでも許容範囲の内に、物事はそれなりに満足いくレベルで進みます。そしてそれは地理的な横の広がりだけではなく、縦の広がりにおいても妥当します。しかし、アメリカでは、大統領のリーダーシップに求めるレベルは極端に(自分のことはさしおいて)高いくせに、空港のカウンター職員や、場末のレストランのウェイトレスに期待する機転とか手際のレベルは決して高くない。まさに、いろいろな人がいる移民大国の故、なのでしょうか。
プリンストンと言えば、プリンストン大学や、かつてはAT&Tのベル研(今はアルカテル・ルーセント傘下になってしまいましたが)もあった、緑が多く静かな学究都市です。更に車で一時間ほど南に下ったフィラデルフィアには、これまた名門の通称ペン大やドレクセル大学があって、全米でも有数の学生人口を擁します。聞くところによると、プリンストンはニューヨークで働く人たちのベッドタウンにもなっているようです。確かに車で1時間といえば通勤圏で、夕方、ニューヨークに戻る道すがら、ハイウェイの反対車線は車が多く、ところによっては渋滞していました。この地域のメジャーリーグ・ファンは、そのせいでニューヨーク(ヤンキース/メッツ)とフィラデルフィア(フィリーズ)に分かれるそうです。
東海岸に来たな・・・と思えるのは、ダラス同様、空はあくまで広く、しかし、ダラスが砂漠とは言いませんがダラス以上に多くの緑に囲まれ、移民大国でありながら、西海岸のように多くの移民でざわつきがあるのとは違う、落ち着いた街の佇まいにあります。ショッピング・センターには、食品雑貨スーパーのStop & Shopとか、ドラッグストアのCVSとか、庶民派デパートのMacy‘sなど、東海岸ならではの馴染みの名前が並び、懐かしさが増します。
前置きが長くなりました。今日のブログ・タイトルにNYの地名を入れたのは誇大広告で、マンハッタン島は42nd Streetを通って横切っただけで、車でさらに15分ほど走ったところにあるFlushingという街に宿を求めました。この街のことは、これまで知らなかったのですが、10年前の9・11の後、マンハッタンのチャイナ・タウンから客足が遠のいた時に、マンハッタンを離れてこのFlushingの街に移り住んだ人たちがいたそうで、今ではNew China Townと呼ばれるほど、漢字が氾濫する街になり、ところどころに韓国料理や和食レストランも見られます。ホテルで教えてもらったレストランは、徒歩一分の、若者が集まる食堂のような風情でしたが、味は良かった。逞しく海外で生きていく人たちがいます。
上の写真は、ホテルへ向かう道すがら、9・11以後、再びニューヨークで一番高くなったエンパイアステートビルを望む。
更にこの日は、朝4時に起きて、2時間前に空港カウンターでチェックインを済ませて、早々とゲートの待合室に到着して、朝食にスタバのコーヒーとマフィンをつまみながら、のんびり本を読んでいたところ、周囲の妙な動きが気になって、ゴミ箱に近づきがてら、発着情報のモニター画面を見ると、フライトが突然キャンセルになっていることに気がついて、仕方なく、シカゴ経由に変更したため、ニューアーク空港には予定より3時間以上も遅れて到着し、朝4時に目覚めてから実に10時間をかけた移動になりました。こうなったら、身も心もくたびれて、仕事に気合いが入りません。レンタカーで1時間運転してオフィスに到着したのは、夕方の4時で、そこから小1時間打合せをして、そそくさとホテルに引き揚げました。
かつては(私が入社した頃)新入社員でもビジネス・クラスで出張したものですが、今となっては昔の話。最近は事業部長クラスですら、チケットはキャンセルも変更もきかないPEXというケチな出張で、今回のような突然のキャンセルにどう対応できるかと思ったら、さすがに航空会社の都合なので、あっさり変更できました。それにしても、アナウンスもなく、いくら早朝とは言えゲートのカウンターには職員一人だけで、システム画面を見ながら何やら操作しているように見えて、進捗がなく、カウンターの列は一向に動く気配がありません。だからと言って乗客もさして文句を言うことなく、むしろあきらめ顔・・・。さして珍しくもないフライト・キャンセルですから、さっさと対応できそうなものだと、日本人なら思ってしまいますが、アメリカではどうにも場当たり的でリカバリーは遅く、強いようで実は脆弱なインフラの一面を垣間見て、いかにもアメリカらしく感じました。
日本は、全国津々浦々、高品質なのです。勿論、田舎に行けば時計の針の進み具合は多少遅くなるでしょうが、それでも許容範囲の内に、物事はそれなりに満足いくレベルで進みます。そしてそれは地理的な横の広がりだけではなく、縦の広がりにおいても妥当します。しかし、アメリカでは、大統領のリーダーシップに求めるレベルは極端に(自分のことはさしおいて)高いくせに、空港のカウンター職員や、場末のレストランのウェイトレスに期待する機転とか手際のレベルは決して高くない。まさに、いろいろな人がいる移民大国の故、なのでしょうか。
プリンストンと言えば、プリンストン大学や、かつてはAT&Tのベル研(今はアルカテル・ルーセント傘下になってしまいましたが)もあった、緑が多く静かな学究都市です。更に車で一時間ほど南に下ったフィラデルフィアには、これまた名門の通称ペン大やドレクセル大学があって、全米でも有数の学生人口を擁します。聞くところによると、プリンストンはニューヨークで働く人たちのベッドタウンにもなっているようです。確かに車で1時間といえば通勤圏で、夕方、ニューヨークに戻る道すがら、ハイウェイの反対車線は車が多く、ところによっては渋滞していました。この地域のメジャーリーグ・ファンは、そのせいでニューヨーク(ヤンキース/メッツ)とフィラデルフィア(フィリーズ)に分かれるそうです。
東海岸に来たな・・・と思えるのは、ダラス同様、空はあくまで広く、しかし、ダラスが砂漠とは言いませんがダラス以上に多くの緑に囲まれ、移民大国でありながら、西海岸のように多くの移民でざわつきがあるのとは違う、落ち着いた街の佇まいにあります。ショッピング・センターには、食品雑貨スーパーのStop & Shopとか、ドラッグストアのCVSとか、庶民派デパートのMacy‘sなど、東海岸ならではの馴染みの名前が並び、懐かしさが増します。
前置きが長くなりました。今日のブログ・タイトルにNYの地名を入れたのは誇大広告で、マンハッタン島は42nd Streetを通って横切っただけで、車でさらに15分ほど走ったところにあるFlushingという街に宿を求めました。この街のことは、これまで知らなかったのですが、10年前の9・11の後、マンハッタンのチャイナ・タウンから客足が遠のいた時に、マンハッタンを離れてこのFlushingの街に移り住んだ人たちがいたそうで、今ではNew China Townと呼ばれるほど、漢字が氾濫する街になり、ところどころに韓国料理や和食レストランも見られます。ホテルで教えてもらったレストランは、徒歩一分の、若者が集まる食堂のような風情でしたが、味は良かった。逞しく海外で生きていく人たちがいます。
上の写真は、ホテルへ向かう道すがら、9・11以後、再びニューヨークで一番高くなったエンパイアステートビルを望む。