風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

久しぶりのNY

2011-04-29 17:19:59 | 永遠の旅人
 もう先週木曜日のことになってしまいますが、出張の場所をダラスからプリンストンに移しました。アメリカの地理的な大きさを感じるのは、こうして移動するときで、ダラスはタイム・ゾーンでCentralの南の端にあり、片やプリンストンは東海岸のニューヨーク近郊、時差は1時間でしかありませんが、飛行時間は3時間、東京から台湾に行くくらいの感覚です。
 更にこの日は、朝4時に起きて、2時間前に空港カウンターでチェックインを済ませて、早々とゲートの待合室に到着して、朝食にスタバのコーヒーとマフィンをつまみながら、のんびり本を読んでいたところ、周囲の妙な動きが気になって、ゴミ箱に近づきがてら、発着情報のモニター画面を見ると、フライトが突然キャンセルになっていることに気がついて、仕方なく、シカゴ経由に変更したため、ニューアーク空港には予定より3時間以上も遅れて到着し、朝4時に目覚めてから実に10時間をかけた移動になりました。こうなったら、身も心もくたびれて、仕事に気合いが入りません。レンタカーで1時間運転してオフィスに到着したのは、夕方の4時で、そこから小1時間打合せをして、そそくさとホテルに引き揚げました。
 かつては(私が入社した頃)新入社員でもビジネス・クラスで出張したものですが、今となっては昔の話。最近は事業部長クラスですら、チケットはキャンセルも変更もきかないPEXというケチな出張で、今回のような突然のキャンセルにどう対応できるかと思ったら、さすがに航空会社の都合なので、あっさり変更できました。それにしても、アナウンスもなく、いくら早朝とは言えゲートのカウンターには職員一人だけで、システム画面を見ながら何やら操作しているように見えて、進捗がなく、カウンターの列は一向に動く気配がありません。だからと言って乗客もさして文句を言うことなく、むしろあきらめ顔・・・。さして珍しくもないフライト・キャンセルですから、さっさと対応できそうなものだと、日本人なら思ってしまいますが、アメリカではどうにも場当たり的でリカバリーは遅く、強いようで実は脆弱なインフラの一面を垣間見て、いかにもアメリカらしく感じました。
 日本は、全国津々浦々、高品質なのです。勿論、田舎に行けば時計の針の進み具合は多少遅くなるでしょうが、それでも許容範囲の内に、物事はそれなりに満足いくレベルで進みます。そしてそれは地理的な横の広がりだけではなく、縦の広がりにおいても妥当します。しかし、アメリカでは、大統領のリーダーシップに求めるレベルは極端に(自分のことはさしおいて)高いくせに、空港のカウンター職員や、場末のレストランのウェイトレスに期待する機転とか手際のレベルは決して高くない。まさに、いろいろな人がいる移民大国の故、なのでしょうか。
 プリンストンと言えば、プリンストン大学や、かつてはAT&Tのベル研(今はアルカテル・ルーセント傘下になってしまいましたが)もあった、緑が多く静かな学究都市です。更に車で一時間ほど南に下ったフィラデルフィアには、これまた名門の通称ペン大やドレクセル大学があって、全米でも有数の学生人口を擁します。聞くところによると、プリンストンはニューヨークで働く人たちのベッドタウンにもなっているようです。確かに車で1時間といえば通勤圏で、夕方、ニューヨークに戻る道すがら、ハイウェイの反対車線は車が多く、ところによっては渋滞していました。この地域のメジャーリーグ・ファンは、そのせいでニューヨーク(ヤンキース/メッツ)とフィラデルフィア(フィリーズ)に分かれるそうです。
 東海岸に来たな・・・と思えるのは、ダラス同様、空はあくまで広く、しかし、ダラスが砂漠とは言いませんがダラス以上に多くの緑に囲まれ、移民大国でありながら、西海岸のように多くの移民でざわつきがあるのとは違う、落ち着いた街の佇まいにあります。ショッピング・センターには、食品雑貨スーパーのStop & Shopとか、ドラッグストアのCVSとか、庶民派デパートのMacy‘sなど、東海岸ならではの馴染みの名前が並び、懐かしさが増します。
 前置きが長くなりました。今日のブログ・タイトルにNYの地名を入れたのは誇大広告で、マンハッタン島は42nd Streetを通って横切っただけで、車でさらに15分ほど走ったところにあるFlushingという街に宿を求めました。この街のことは、これまで知らなかったのですが、10年前の9・11の後、マンハッタンのチャイナ・タウンから客足が遠のいた時に、マンハッタンを離れてこのFlushingの街に移り住んだ人たちがいたそうで、今ではNew China Townと呼ばれるほど、漢字が氾濫する街になり、ところどころに韓国料理や和食レストランも見られます。ホテルで教えてもらったレストランは、徒歩一分の、若者が集まる食堂のような風情でしたが、味は良かった。逞しく海外で生きていく人たちがいます。
 上の写真は、ホテルへ向かう道すがら、9・11以後、再びニューヨークで一番高くなったエンパイアステートビルを望む。
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久しぶりのダラス

2011-04-24 12:25:38 | 永遠の旅人
 先週の日曜日から昨日までアメリカに出張していました。ちょうど一年前に初めてダラスの地を踏み、今回もまたダラスを久しぶりに訪れました。もっとも、現地オフィスは空港に近いため、自らレンタカーを運転することなく、ホテル・リムジンとタクシーを使った不自由な生活で・・・。
 そう、アメリカと日本(と言っても大都市圏のことになりますが)で違うことは勿論いろいろありますが、その内の一つは、自ら車を運転して移動するアメリカと、公共交通機関に頼って生活する日本との違い、これは単に交通手段の違いに留まらず、その心性にまで及ぶのではないかと思います。それは3・11の震災で帰宅難民を生むかどうかにまで影響します。こうした非常時に、自らの足を駆って自分の棲家に辿り着くことができるのか、それとも帰宅して家族とともにあることを諦めざるを得ないのか、の違いは大きい(何時間もかけて歩いて帰宅された方も勿論多いのですが)。日本における個人と国の、自ら公共の福祉に貢献する意識が薄い割りに、公に頼り公に依存する関係は、こうした行動特性にもよるのではないかと思うのです。
 さて、今回はオフィスとホテルを往復する退屈な日々だけでなく、20日の夜、レンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリントンまで、地元レンジャーズとエンゼルスのホーム・ゲーム第三戦ナイターを見に行きました。なんて偉そうに言っちゃあいけません、足がないので、現地の人に連れて行ってもらいました。夜8時を回って、席についた時にはゆうに1時間が過ぎ、試合は5回裏の攻防にまで進んでいました。
 前日にエンゼルス・高橋尚成が救援で活躍していたので、日本人選手の登場に妙に期待したりすることなく、心置きなくその場の雰囲気を楽しむことが出来ました。選手が天然芝で伸び伸びとプレーしやすい環境を整え、最高の選手による最高のプレーを見せて楽しませるだけでなく、その合間も楽しませる余興も仕込んでいます。代表的なのは、7回表が終わって、セブンス・イニング・ストレッチと呼ばれる、観客全員が席を立っての「私を野球に連れてって」("Take Me out to the Ball Game")の大合唱(これは100年前に観戦していた大統領がたまたまやった仕草を真似て始まったものと言われます)ですが、今回、初めて気がついたのは、“ホーム・スチール”と称して、子供が外野側からファール・グランドを走ってホーム・ベースを盗り、無事、ある時間内に戻って来ることを競うゲーム(まさに胸に抱えて走る様はホーム・スチール!)でした。回の合間に観客の映像をバックスクリーンに映し出すと、皆さん大喜びでガッツ・ポーズをするのが、どうやらテキサスの流儀のようですが、ある回が終わった時だけ“Kiss Cam”というタイトルとともに映し出されると、キスをしなければならない、なんていうイタズラ企画もありました。当然のことながらカップルは年齢を問いません。若者はもとより、倦怠期に入っていそうなオジサン・オバサン、そしてお爺ちゃん・お婆ちゃんに至るまで、自分たちの姿を認めると慌ててキスをして応えてくれます。時にさらっと、そして時に熱烈に。中にはたまたま隣り合わせただけの男女が年齢が近いというだけで勘違いされて映し出されることもあって、首を振って頑なにキスを拒むところが、観客の笑いを誘います。こうして、野球を楽しませ、野球場という場にいることを楽しませる仕組みは、アメリカ的なコマーシャリズムに毒されているというイジワルな見方も出来ないわけではありませんが、それが茶目っ気に溢れる限りは、微笑ましくそれを受け止めようという、アメリカ的な大らかさが表れているように思いました。
 上の写真は、当日のレンジャーズ対エンゼルス戦6回裏、マイケル・ヤングがチーム唯一の打点を叩き出した二塁打です。42ドルのチケットは、アメリカでは高い部類に入ると思いますが、迫力のあるプレーを間近で見ることが出来ました。
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共感疲労

2011-04-16 21:56:08 | 時事放談
 3月11日以来、海外の知人から安否確認のメールを貰ったり、海外勤務時代の同窓会名簿と化しているFacebookにも多くの書き込みがあり、中にはわざわざシドニーから電話をくれた元同僚もいました。東北地方や福島という地名に馴染みがないために、日本というだけで気にかけてくれていたようで、勿論、東京に住まう私に問題があろうはずはなく、被災者を気遣いつつ、日本は頑張ると、気丈に答えて来ました。
 初めのうちは、大震災と津波と放射線漏れ一色(三色?)の新聞報道に隈なく目を通し、こうした総合日刊紙には書けないウラ事情を覗くために複数の週刊誌を読み比べ、更にやや距離を置いた冷静な分析の月刊誌まで追いかけて、俄か震災ウォッチャーを気取るまでになっていたのは、16年前の阪神大震災の時に地球の裏側のボストンにいて、日本の新聞やテレビ報道から隔絶され、インターネットもそれほどまだ普及していない中で、危機的状況における人々の営み、大いなる挫折から力強く立ち上がる人々の勇気ある立ち居振る舞いに、同時代人として接することが出来なかった無念さを忘れられなかったためだろうと思います。ところが一週間、十日と経つ内に、知らず知らずに精神力に翳りが出て来ました。ブログを書くペースが鈍ったところにその変調ぶりが典型的に表れます。ちょっとした被災者の苦労話や、現場で復旧を助ける職員や若いボランティアの頑張りに涙もろくなり、同じような膨大な情報のシャワーを浴び続けて、却って情緒不安定になって、いわば思考が停止してしまったのかと思ったのですが、そうではなく、むしろ一種の無気力状態に襲われているような感じです。
 最近、香山リカさんのエッセイを読んで、臨床心理学の世界に「共感疲労」と呼ばれるものがあるのを知りました。災害時に被災地に入る医療関係者やボランティアにもよく見られる現象で、相手の境遇に心を寄せて考え過ぎるあまり、自分のエネルギーがすり減ってしまう状態だそうです。普通の災害では、被害に遭った人は大変だけれども、自分には無縁であり、自分の身には起こり得ないことを確認し、高みの見物として、自らの心の安寧を守ることが出来るのに対し、今回の震災は被害の規模が余りに大きく、余震や放射線汚染に関しては首都圏と言えども決して無縁でいられるわけではなく、他人事とは考えられない期間がこれからも暫く続くため、共感疲労を起こす人がますます増えてくるだろうと言います。未曾有の災害に、私たちの許容範囲を超えてしまっているのだと説明されます。
 私自身が「共感疲労」なのかどうかは分かりません。しかし、もともと「相手の立場に立って」「その人の身になって」考えることを子供の頃から習慣づけられる、共感性の高い国民であり、しかもムードに流されやすく、今回のような大規模な災害に遭遇すれば、「日本の力を信じて」「自分にできることをやろう」と、誰もが雷同するのは悪くありませんが、反対の行動をとる人を不謹慎と決め付けるかのような空気や、人と違うことを徒に恐れ、出る杭にはなりたがらない国民性です。節電を励行するならまだしも、消費や行楽を自粛し、ごく普通の日常生活にまである種の罪悪感を覚えるのだとすれば、行き過ぎでしょう。
 人は心の平衡を保つために、敢えてある事象を他人事として切り離す「分離」のメカニズムを働かせるのだそうです。これは被災者ではない私たちが、心の不安定な状態に陥るのを防ぐ防衛反応であり、他方、被災者も、全てを失って、むしろ迷いがなく淡々としているように見えるのは、他人事のように振舞うことによって、心が崩壊するのを防ぐ防衛反応だというわけです。今、必要なことは、自分のことを自分で支えること、社会としてある行動を強制せずに、それぞれの人が無理なく過ごせるような情況が大切だと言われます。大惨事があったからと言って、社会全体で同じ対応を取る必要はない、ということは、肝に銘ずるべきでしょう。
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大震災(9)サクラ咲く

2011-04-09 01:28:37 | 時事放談
 昨晩23時32分、3・11以来で最大の余震が宮城県沖で発生しました。天災を忘れていたはずはなく、ただ余震が減って落ち着きを取り戻しつつあると、ふっと気を抜いた矢先で、今なお余震や津波や原発の放射線漏れリスクから逃れられないことをあらためて思い知らされました。
 そんな中でも季節は巡り、昨日から今日にかけて、首都圏で桜が満開となりました。淡い桜の花の色の可憐さ、咲き誇る華麗さ、散り際の潔さ、それぞれが日本人の心を揺さぶります。死地に赴くべく日本を出発した戦艦大和の搭乗員が、これで見納めとなる本土の桜を競って望遠鏡で見やる様子が伝えられますが、彼らの心をとらえたのは、桜の花そのものというよりも、可憐さであり華麗さであり潔さであったことでしょう。日本人がこれほど恋焦がれる花見を、石原都知事は今年は自粛すべきであると言い放ち、相変わらず(慎太郎というその名前に似ず)慎みのなさを露わにしましたが、実際に都内の夜桜見物の名所に明かりは灯っていないそうです。しかしさすがに震災後一ヶ月近くを経て、自粛を問題視する声が高まって来ました。
 昨日の日経新聞紙上で、野球評論家の豊田泰光さんが「昔はこうだった」は老人の繰り言として嫌われるもとになる、と断りながら、「たとえ粗末な球場であれ、夜行列車で移動しながらであれ、昔もちゃんと野球をしていたものだ」と言い、今回のプロ野球開幕戦を巡る騒動に関して、「昔はみんなデーゲームだった、あの頃を思い出そう、お天道様のもとでやる野球も悪くないよ、と訴えるべきだった」と述懐されていました。「今年はみんな(デーゲームで)真っ黒になって野球をやればいい」と。確かに、電力不足には配慮しつつ、被災地でも野球を楽しみにしている人は多いはずですし、被災地以外はなおのこと、いつものように消費を刺激こそすれ、ことさらに自粛する必要はありません。野球だけではなく、ユニクロを展開するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長も、決算発表の席上で、「関東や東北で節電は必要だが、自粛の程度がひどすぎる。日本人の悪い癖だ」と嘆いたようです。八つ当たりのところがありますが、気持ちは分からなくはありません。
 人は、危機的な状況に追い込まれてこそ良くも悪くも人間性が表れるものです。日本という国家についても、今の危機的な状況においてこそ日本らしさ、日本人らしさが表れていると思う人が多いのではないでしょうか。心ある中国人は、日本の経済力に、中国は追いつき追い越したけれども、これほど悲惨な状況に置かれてなお暴動らしい暴動や略奪が起こらず(全く無いとは言いませんが)、お互いに譲り合うことができる日本人の高い精神力には、中国人は50年後でも追いつけないだろう、これこそが文明国たる所以だと、感嘆したそうです。日本を脱出した外国人も少なくありませんでしたが、あるフランス人は、何故日本を脱出したのかと聞かれて、実際の災害よりも、災害後に起きる停電や生活必需品不足に伴う犯罪などの二次災害を恐れたからだと答えたそうです。こうしたレベルの災害がフランスで発生していたら、直接の犠牲者の数よりその後の食べ物や水を巡る略奪や混乱で命を落とす人の数の方が多くなると言われます。こうした日本人の辛抱強さ、他人を思い遣る気持ちは、しかし、自粛ムードに包まれて度を越すことにもなりかねません。
 ここ四週間で震災を巡る様々な新聞報道・雑誌記事に触れて、いくつか心に残る話がありました。一つは東北地方のある自動車部品メーカーで、大手自動車メーカーに部品を納めていたその零細企業は、津波被害に遭い、やむなく廃業に追い込まれたことを、その自動車メーカーに伝えると同時に、企業秘密であるその部品のレシピを惜しげもなくその自動車メーカーに献上したそうです。もう一つは、ある食堂が震災に遭って、お店で食事中だったお客さんを、お代は後でいいからと避難させたところ、数日後、誰一人として食い逃げはなく戻ってきてお代を支払ったそうです。些か手前味噌の美談ですが、こうして、未曾有の災害に見舞われてなお整然と秩序を保つ日本人を表現する言葉として、私が思い浮かべたのは、桜の花の可憐さ華麗さ潔さに繋がる「高潔」という言葉でした。
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大震災(8)産業復興

2011-04-02 14:24:09 | 時事放談
 被災者支援が続いています。
 今季のツアー賞金を全額寄付すると表明して世間を驚かせた石川遼選手はスポンサー契約で20億だか30億は稼ぐと言われているので別格だとしても、街頭で募金を呼びかける著名人は後を断ちませんし、実際に被災地を慰問する方もいて、心温まります。無観客での練習試合を続けてきたプロ野球は、この週末に慈善試合を開催し、ようやく観客を楽しませることが出来そうですし、火曜日に日本代表とJリーグ選抜とのチャリティ・マッチを行ったサッカーは、収益金をあげただけではなく、日本代表のスピーディな動きにあらためて目を見張るとか、44歳の看板を背負うカズが辛うじてJリーグ選抜の得点を挙げて、運が強いと言うよりも運を手繰り寄せる強さがあって、舌を巻くほど絵になる男だと、そういう面でも楽しませてくれました。支援の輪に入らないのは非国民だと言わんばかりの無言の圧力なり空気を感じないわけではありませんが、各人が出来ることをやる、ということで良いと思いますし、現に私は心ばかりの寄付をすることしか出来ません。
 こうして支援が集まりつつあるとは言え、直接の被災者の方々の生活はまだ厳しいことでしょう。更に、その周辺で間接的な被災者とも言える方々のご苦労も忘れてはならないと思います。近隣の茨城、栃木、群馬のホウレンソウが出荷制限になって以降、放射性物質が暫定規制値を下回っていても「関東産」というだけで市場では敬遠されているそうですし、福島県の農家の方が悲観して自殺していたという痛ましいニュースも飛び込んできました。家内によると、近所のイトーヨーカドーの生鮮食料品売場は西日本産しか見られないそうですが、それはイトーヨーカドーのせいではなく、口では被災者支援を叫びながら、安全な食品を選り好みし、ペットボトルの水をしこたま貯め込む私たち消費者の嗜好の問題です。農業や漁業だけでなく、原乳だけでなく牛肉からも暫定規制値を超える放射性セシウムが検出された牧畜業も間接的な被災者です。
 今回の震災では、東北地方の第二次産業の凄さも思い知りました。当初は、日本経済の7%を占めるに過ぎず、日本ひいては世界経済への影響は軽微だと楽観する声があがっていましたが、諸外国ではマネ出来ない部品を作る工場が集積し、一般にサプライチェーンと言われるように、その連鎖の重要なカギを担っているがために、他の部分に波及する負の効果は絶大で、国内に留まらず、GMやフォードをはじめとする世界の自動車産業の13%が生産停止に追い込まれているとまで報道されていますし、世界的企業のノキアもソニーエリクソンもアップルもサムスンも困っていることが伝わって来ます。大震災という危機的状況が、期せずして、完成品のものづくりという面では霞んでしまった日本の、しかも東北地方の部品産業が、今なお健在であることを見せつけるとともに、危機管理が弱いことをも曝け出し、今では外国企業から懐疑の目を向けられ始めていると言います。このまま復興が遅れてしまうと、かつて阪神大震災で、神戸港の荷量が減ってなかなか回復しなかったように、いくらニッポン品質が優れているとは言え、代替品に切り替えられると、将来にわたって致命的な影響を及ぼさないとも限りません。
 被災しなかった私たちは、こうした被災地や間接的な被災地の産業復興を助けてあげたいと思います。勿論、現場での復興が第一ですが、被災地に近いけれども、被災から免れた私たちだからこそ出来ることがあるはずです。被災地やその近郊農家の野菜などの放射線量を測って安全であることをその場で確認する専用売場があっていいですし、復興支援と称してそうした食品を専門に扱う居酒屋や小料理屋があってもいい。そういう意味で、天皇・皇后両陛下が、被災者が避難している東京武道館を訪問されて、床に両ひざをつきながら親しく40分も懇談されただけでなく、本当は被災地を訪問して被災者を励まし、関係者をねぎらいたいという気持ちを強く持っているけれども、捜索活動や原発事故対応のことも考えて控えているというお心遣いは、市民運動家の血が騒ぐのか「視察」と称して現場に押しかけてはありがた迷惑がられる菅総理に聞かせてあげたいですし、何より計画停電の時間帯に、計画停電がなくて良かったねとテレビを見ながら現実逃避してしまう生臭坊主の私たちと違って、停電の有無に係らずきっちり灯りを消してロウソク生活を実践される天皇・皇后両陛下のおこころざしには、頭が下がります。
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