ロシアが当初、数日で片付けると高を括ったとされるウクライナ侵略は二ヶ月が過ぎた。昨日付のロイターによると、ラブロフ外相は国営テレビのインタビューで、核戦争が起きる「かなりのリスク」があり、「このようなリスクを人為的に高めることは望まない。高めたいと考える国は多い。深刻で現実の危険があり、それを過小評価してはならない」と脅したらしい。一昨日付のロイターによると、プーチン大統領は、西側諸国がロシアとの戦争でウクライナの勝利は不可能と悟り、「ロシアの社会を分裂させ、内部から崩壊させるという別の計画が明らかとなった」と非難しつつも、「機能していない」と強がって見せたらしい。ひねくれ者の私には、戦況が捗々しくなく、苛立っているようにしか見えないのだが、実際はどうだろう。
他方、ウクライナのゼレンスキー大統領は、さらにその前日、アメリカの国務・国防両長官を首都キーウに迎えて、追加支援の確約を得て、安堵した表情を見せ、二ヶ月前に「私はキーウの大統領府にいる。ここから逃げない」と悲壮な覚悟で語ったときとは随分違うと伝える報道があった(昨日付FNNプライムオンライン)。ウクライナの人たちが果敢にも立ち上がったからこそ、西側は(ロシアからすれば想定外にも)結束して、(ロシアから見れば想定以上に)支援の手を差し伸べたのであり、今のところ良い循環が続いているように見える。因みにこの日、オースティン国防長官は、「ロシアが当分の間、今回のような軍事侵攻ができないくらいに弱体化させたい」と発言したとされ、毎度のアメリカのキリスト教(十字軍)的な善悪二元論の怖さを感じて、一瞬背筋が凍る思いだったが、余談である。
恐らく、そんな想定外が続いているからだろうが、ロシアがそこまで残酷になれるものかと俄かに信じ難い(もとより情報戦争でもあるので、どこまで信じられるか心許ない)。あるいは、日ソ中立条約を破って侵攻した当時と変わらないのかも知れない。もっと言うと、タタールの軛以来800年の伝統なのかも知れない。首都攻略は諦めて、モルドバの沿ドニエストル地方まで、黒海沿いにウクライナ東・南部をぐるりと制圧しようとしているとの報道があるが、19世紀ならいざ知らず、21世紀の現代にあっては盗人猛々しいにもほどがあり、「現状維持」の人類の叡智を踏みにじるものだ。中国や旧・ソ連圏諸国(中央アジア諸国など)だけでなく北朝鮮にまで武器供与を要請したとの噂があり、全て断られたそうだが、まさか極貧の北朝鮮まで!?というところにロシアの苦境を示す、よく出来た話だ(どこまで本当か分からない)。
前々回、「歴史に対する復讐」と言ったことに対して補足したい。
週末、TBSが、ウクライナの前大統領ポロシェンコ氏のインタビューを伝えた。彼は、「プーチンがウクライナを攻撃した理由を説明できる人はいません。彼はクレイジーな行動を取ります。私は5年もプーチンと交渉し、重大な結論に至ったので忠告します。1つ目はプーチンを信用してはいけません。プーチンとは停戦、人質の解放軍の撤退など多くの約束をしましたが、プーチンが約束を守ることはありません」と語っており、その職責ゆえの重みがある。21世紀を生きる私たちには、ロシアのウクライナ侵攻は理不尽としか言いようがなく、その理由はプーチン氏の頭の中を覗いてみないと分からない。彼を駆り立てる情念について、勝手ながら推し量ったのが、「歴史に対する報復」だ。
歴史的な事象は、単独のものとして存在するのではなく、何らかの形で連鎖する。それは(歴史的)記憶がそうさせるのであって、往々にして、プーチン氏のような独裁者が、自らの統治を正当化するために、あるいは個人的願望(ときに妄想)を具現化するために、寝た子を起こすように、民族の(歴史的)記憶を利用することがある。
卑近な例では、韓国・文在寅大統領は、韓国の立場が弱かった時に締結された1965年の日韓基本条約を不当なものとして、ひっくり返そうとゴネた。中国・習近平国家主席も、中国の立場が弱かった帝国主義の時代に、アヘン戦争や日清戦争に負けて奪われた香港や台湾の地位回復を至上命題としている。ドイツ・ヒットラーは、第一次大戦後のベルサイユ体制に対するドイツ国民の不満をうまく吸い上げて、台頭した。だからこそ、そんな(歴史的)記憶の悪用を断ち切るべく、第二次大戦後、「国際紛争を解決する手段としての(侵略)戦争」を違法化することが国連憲章や日本国憲法で謳われたのだったが・・・
プーチン氏は、ソ連崩壊を「20世紀最悪の地政学的惨事」と呼んだのは有名な話だが、恐らくそれがトラウマになっているのだろう。ロシア帝国(=旧・ソ連圏)復活が彼の政治の原点になっていると言われる。そして恐らく習近平氏が盛んに喧伝する「中華民族の偉大なる復興」に大いに触発されたことだろう。
そのプーチン氏は、多極化された世界を理想とし、その中でロシアが重要な一極を占めることを目指して来たとされる。しかし、韓国並みの経済力しかなく、さしたる産業が育たず、資源依存では将来が見えない。それでいて、あれだけの面積の国土を守るのは並大抵ではない。クリミア侵攻以来の経済制裁(特にハイテク製品輸出規制)で、最新兵器の製造もままならないようで、電子機器の調達にせよ、資源の輸出にせよ、今後益々中国への傾斜は避けられないが、恐らくロシアの望むところではない。そんな彼も69歳で、将来はない。「ない・ない」尽くしの彼は、パーキンソン病などの病が噂されるが、それは措いておこう(最近も、ショイグ国防相がマリウポリ「解放」を伝えたときのプーチン氏の映像公開が、却って疑念を呼んだ)。そんな追い詰められたプーチン氏が独裁者(本人は皇帝と思っているかも)として20年を超える君臨の末、何等かの政治的レガシーを求めたい気持ちは分からないではない。トランプ氏は予測不能だったので取り扱いが難しかっただろうが、バイデン氏はリベラルで「腰抜け」と見られたフシがある。「後」がない彼は「今」というタイミングを見計らったのかも知れない。
ロシアが専門の名越健郎教授によれば、プーチン氏は就任翌年の2001年、国民テレビ対話で、今どんな本を読んでいるかと聞かれ、「エカテリーナ女帝の統治に関する歴史書だ」と答えたことがあるそうだ。ペスコフ報道官によれば、プーチン氏はコロナ禍の隔離生活で、帝政ロシア時代の歴史書を読み漁っていたらしい。2月の開戦演説で、「ウクライナは手違いで独立国になった」「ウクライナはロシアの歴史、文化、精神空間に不可欠の一部だ」と述べて、「ロシア固有の領土」の属国化を一気に狙ったようだと、名越教授は解説される。歴史への一種の妄想である・・・というのが私の妄想である(笑)。
だからと言って、プーチン氏のウクライナ侵略が、とりわけその手法が正当化されるわけでは毛頭ない。ただ、それを抑止することに西側(とりわけアメリカ)が失敗したことは認めざるを得ない。ミアシャイマー教授のポイントはそこにあったように思う。
プーチン氏の場合は、冷戦崩壊という歴史に対する報復と言ってよいのだろう。昨今の米・中の対立は冷戦「的」であり「第二次冷戦」とも言われて来たが、プーチン氏の仕出かした暴挙こそ、また、権威主義と民主主義で分断される今後の世界の難しいありようこそ、「第二次冷戦」と呼ぶべき惨状ではないかと思う。習近平氏の場合は、もっと時間軸が長くて、冷戦そのものを対象とするのではなく、近代の歴史、すなわち中国にとって、アヘン戦争に始まる欧・米・日の帝国主義諸国による簒奪と、その後の、自らの立場が弱かったときに決まった戦後秩序に対する報復と呼ぶべきではないだろうか。ヒットラーが第一次・第二次大戦で連鎖したように、プーチン氏は冷戦・第二次冷戦と連鎖し、習近平氏はプーチン氏と共鳴しているように見えるが、韻を踏んでいるだけで、秘めたるものは同じではなさそうだ。
問題は、冷戦の正面がヨーロッパにあって、今まさにヨーロッパが苦労しているように、中国が近代に受けた屈辱は、東アジアの秩序に関わることで、日本が苦労するのは間違いない、ということだ。
民族の記憶はそれなりに風化するものだが、独裁者(や過激な活動家)はそこに火をつけることが出来る。そしてそれが自らの統治の正統性に紐づけられれば、「絶対」となる。こうした事態に対する処方箋は思い浮かばない(少なくとも日本が、歴史認識に対して無策だったことは責められるべきだろうが)。人間の業の深さを思うばかりで、無力感に苛まれ、恐ろしい近未来に立ちすくんでしまう。
他方、ウクライナのゼレンスキー大統領は、さらにその前日、アメリカの国務・国防両長官を首都キーウに迎えて、追加支援の確約を得て、安堵した表情を見せ、二ヶ月前に「私はキーウの大統領府にいる。ここから逃げない」と悲壮な覚悟で語ったときとは随分違うと伝える報道があった(昨日付FNNプライムオンライン)。ウクライナの人たちが果敢にも立ち上がったからこそ、西側は(ロシアからすれば想定外にも)結束して、(ロシアから見れば想定以上に)支援の手を差し伸べたのであり、今のところ良い循環が続いているように見える。因みにこの日、オースティン国防長官は、「ロシアが当分の間、今回のような軍事侵攻ができないくらいに弱体化させたい」と発言したとされ、毎度のアメリカのキリスト教(十字軍)的な善悪二元論の怖さを感じて、一瞬背筋が凍る思いだったが、余談である。
恐らく、そんな想定外が続いているからだろうが、ロシアがそこまで残酷になれるものかと俄かに信じ難い(もとより情報戦争でもあるので、どこまで信じられるか心許ない)。あるいは、日ソ中立条約を破って侵攻した当時と変わらないのかも知れない。もっと言うと、タタールの軛以来800年の伝統なのかも知れない。首都攻略は諦めて、モルドバの沿ドニエストル地方まで、黒海沿いにウクライナ東・南部をぐるりと制圧しようとしているとの報道があるが、19世紀ならいざ知らず、21世紀の現代にあっては盗人猛々しいにもほどがあり、「現状維持」の人類の叡智を踏みにじるものだ。中国や旧・ソ連圏諸国(中央アジア諸国など)だけでなく北朝鮮にまで武器供与を要請したとの噂があり、全て断られたそうだが、まさか極貧の北朝鮮まで!?というところにロシアの苦境を示す、よく出来た話だ(どこまで本当か分からない)。
前々回、「歴史に対する復讐」と言ったことに対して補足したい。
週末、TBSが、ウクライナの前大統領ポロシェンコ氏のインタビューを伝えた。彼は、「プーチンがウクライナを攻撃した理由を説明できる人はいません。彼はクレイジーな行動を取ります。私は5年もプーチンと交渉し、重大な結論に至ったので忠告します。1つ目はプーチンを信用してはいけません。プーチンとは停戦、人質の解放軍の撤退など多くの約束をしましたが、プーチンが約束を守ることはありません」と語っており、その職責ゆえの重みがある。21世紀を生きる私たちには、ロシアのウクライナ侵攻は理不尽としか言いようがなく、その理由はプーチン氏の頭の中を覗いてみないと分からない。彼を駆り立てる情念について、勝手ながら推し量ったのが、「歴史に対する報復」だ。
歴史的な事象は、単独のものとして存在するのではなく、何らかの形で連鎖する。それは(歴史的)記憶がそうさせるのであって、往々にして、プーチン氏のような独裁者が、自らの統治を正当化するために、あるいは個人的願望(ときに妄想)を具現化するために、寝た子を起こすように、民族の(歴史的)記憶を利用することがある。
卑近な例では、韓国・文在寅大統領は、韓国の立場が弱かった時に締結された1965年の日韓基本条約を不当なものとして、ひっくり返そうとゴネた。中国・習近平国家主席も、中国の立場が弱かった帝国主義の時代に、アヘン戦争や日清戦争に負けて奪われた香港や台湾の地位回復を至上命題としている。ドイツ・ヒットラーは、第一次大戦後のベルサイユ体制に対するドイツ国民の不満をうまく吸い上げて、台頭した。だからこそ、そんな(歴史的)記憶の悪用を断ち切るべく、第二次大戦後、「国際紛争を解決する手段としての(侵略)戦争」を違法化することが国連憲章や日本国憲法で謳われたのだったが・・・
プーチン氏は、ソ連崩壊を「20世紀最悪の地政学的惨事」と呼んだのは有名な話だが、恐らくそれがトラウマになっているのだろう。ロシア帝国(=旧・ソ連圏)復活が彼の政治の原点になっていると言われる。そして恐らく習近平氏が盛んに喧伝する「中華民族の偉大なる復興」に大いに触発されたことだろう。
そのプーチン氏は、多極化された世界を理想とし、その中でロシアが重要な一極を占めることを目指して来たとされる。しかし、韓国並みの経済力しかなく、さしたる産業が育たず、資源依存では将来が見えない。それでいて、あれだけの面積の国土を守るのは並大抵ではない。クリミア侵攻以来の経済制裁(特にハイテク製品輸出規制)で、最新兵器の製造もままならないようで、電子機器の調達にせよ、資源の輸出にせよ、今後益々中国への傾斜は避けられないが、恐らくロシアの望むところではない。そんな彼も69歳で、将来はない。「ない・ない」尽くしの彼は、パーキンソン病などの病が噂されるが、それは措いておこう(最近も、ショイグ国防相がマリウポリ「解放」を伝えたときのプーチン氏の映像公開が、却って疑念を呼んだ)。そんな追い詰められたプーチン氏が独裁者(本人は皇帝と思っているかも)として20年を超える君臨の末、何等かの政治的レガシーを求めたい気持ちは分からないではない。トランプ氏は予測不能だったので取り扱いが難しかっただろうが、バイデン氏はリベラルで「腰抜け」と見られたフシがある。「後」がない彼は「今」というタイミングを見計らったのかも知れない。
ロシアが専門の名越健郎教授によれば、プーチン氏は就任翌年の2001年、国民テレビ対話で、今どんな本を読んでいるかと聞かれ、「エカテリーナ女帝の統治に関する歴史書だ」と答えたことがあるそうだ。ペスコフ報道官によれば、プーチン氏はコロナ禍の隔離生活で、帝政ロシア時代の歴史書を読み漁っていたらしい。2月の開戦演説で、「ウクライナは手違いで独立国になった」「ウクライナはロシアの歴史、文化、精神空間に不可欠の一部だ」と述べて、「ロシア固有の領土」の属国化を一気に狙ったようだと、名越教授は解説される。歴史への一種の妄想である・・・というのが私の妄想である(笑)。
だからと言って、プーチン氏のウクライナ侵略が、とりわけその手法が正当化されるわけでは毛頭ない。ただ、それを抑止することに西側(とりわけアメリカ)が失敗したことは認めざるを得ない。ミアシャイマー教授のポイントはそこにあったように思う。
プーチン氏の場合は、冷戦崩壊という歴史に対する報復と言ってよいのだろう。昨今の米・中の対立は冷戦「的」であり「第二次冷戦」とも言われて来たが、プーチン氏の仕出かした暴挙こそ、また、権威主義と民主主義で分断される今後の世界の難しいありようこそ、「第二次冷戦」と呼ぶべき惨状ではないかと思う。習近平氏の場合は、もっと時間軸が長くて、冷戦そのものを対象とするのではなく、近代の歴史、すなわち中国にとって、アヘン戦争に始まる欧・米・日の帝国主義諸国による簒奪と、その後の、自らの立場が弱かったときに決まった戦後秩序に対する報復と呼ぶべきではないだろうか。ヒットラーが第一次・第二次大戦で連鎖したように、プーチン氏は冷戦・第二次冷戦と連鎖し、習近平氏はプーチン氏と共鳴しているように見えるが、韻を踏んでいるだけで、秘めたるものは同じではなさそうだ。
問題は、冷戦の正面がヨーロッパにあって、今まさにヨーロッパが苦労しているように、中国が近代に受けた屈辱は、東アジアの秩序に関わることで、日本が苦労するのは間違いない、ということだ。
民族の記憶はそれなりに風化するものだが、独裁者(や過激な活動家)はそこに火をつけることが出来る。そしてそれが自らの統治の正統性に紐づけられれば、「絶対」となる。こうした事態に対する処方箋は思い浮かばない(少なくとも日本が、歴史認識に対して無策だったことは責められるべきだろうが)。人間の業の深さを思うばかりで、無力感に苛まれ、恐ろしい近未来に立ちすくんでしまう。