風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

歴史に対する報復

2022-04-27 10:08:29 | 時事放談
 ロシアが当初、数日で片付けると高を括ったとされるウクライナ侵略は二ヶ月が過ぎた。昨日付のロイターによると、ラブロフ外相は国営テレビのインタビューで、核戦争が起きる「かなりのリスク」があり、「このようなリスクを人為的に高めることは望まない。高めたいと考える国は多い。深刻で現実の危険があり、それを過小評価してはならない」と脅したらしい。一昨日付のロイターによると、プーチン大統領は、西側諸国がロシアとの戦争でウクライナの勝利は不可能と悟り、「ロシアの社会を分裂させ、内部から崩壊させるという別の計画が明らかとなった」と非難しつつも、「機能していない」と強がって見せたらしい。ひねくれ者の私には、戦況が捗々しくなく、苛立っているようにしか見えないのだが、実際はどうだろう。
 他方、ウクライナのゼレンスキー大統領は、さらにその前日、アメリカの国務・国防両長官を首都キーウに迎えて、追加支援の確約を得て、安堵した表情を見せ、二ヶ月前に「私はキーウの大統領府にいる。ここから逃げない」と悲壮な覚悟で語ったときとは随分違うと伝える報道があった(昨日付FNNプライムオンライン)。ウクライナの人たちが果敢にも立ち上がったからこそ、西側は(ロシアからすれば想定外にも)結束して、(ロシアから見れば想定以上に)支援の手を差し伸べたのであり、今のところ良い循環が続いているように見える。因みにこの日、オースティン国防長官は、「ロシアが当分の間、今回のような軍事侵攻ができないくらいに弱体化させたい」と発言したとされ、毎度のアメリカのキリスト教(十字軍)的な善悪二元論の怖さを感じて、一瞬背筋が凍る思いだったが、余談である。
 恐らく、そんな想定外が続いているからだろうが、ロシアがそこまで残酷になれるものかと俄かに信じ難い(もとより情報戦争でもあるので、どこまで信じられるか心許ない)。あるいは、日ソ中立条約を破って侵攻した当時と変わらないのかも知れない。もっと言うと、タタールの軛以来800年の伝統なのかも知れない。首都攻略は諦めて、モルドバの沿ドニエストル地方まで、黒海沿いにウクライナ東・南部をぐるりと制圧しようとしているとの報道があるが、19世紀ならいざ知らず、21世紀の現代にあっては盗人猛々しいにもほどがあり、「現状維持」の人類の叡智を踏みにじるものだ。中国や旧・ソ連圏諸国(中央アジア諸国など)だけでなく北朝鮮にまで武器供与を要請したとの噂があり、全て断られたそうだが、まさか極貧の北朝鮮まで!?というところにロシアの苦境を示す、よく出来た話だ(どこまで本当か分からない)。
 前々回、「歴史に対する復讐」と言ったことに対して補足したい。
 週末、TBSが、ウクライナの前大統領ポロシェンコ氏のインタビューを伝えた。彼は、「プーチンがウクライナを攻撃した理由を説明できる人はいません。彼はクレイジーな行動を取ります。私は5年もプーチンと交渉し、重大な結論に至ったので忠告します。1つ目はプーチンを信用してはいけません。プーチンとは停戦、人質の解放軍の撤退など多くの約束をしましたが、プーチンが約束を守ることはありません」と語っており、その職責ゆえの重みがある。21世紀を生きる私たちには、ロシアのウクライナ侵攻は理不尽としか言いようがなく、その理由はプーチン氏の頭の中を覗いてみないと分からない。彼を駆り立てる情念について、勝手ながら推し量ったのが、「歴史に対する報復」だ。
 歴史的な事象は、単独のものとして存在するのではなく、何らかの形で連鎖する。それは(歴史的)記憶がそうさせるのであって、往々にして、プーチン氏のような独裁者が、自らの統治を正当化するために、あるいは個人的願望(ときに妄想)を具現化するために、寝た子を起こすように、民族の(歴史的)記憶を利用することがある。
 卑近な例では、韓国・文在寅大統領は、韓国の立場が弱かった時に締結された1965年の日韓基本条約を不当なものとして、ひっくり返そうとゴネた。中国・習近平国家主席も、中国の立場が弱かった帝国主義の時代に、アヘン戦争や日清戦争に負けて奪われた香港や台湾の地位回復を至上命題としている。ドイツ・ヒットラーは、第一次大戦後のベルサイユ体制に対するドイツ国民の不満をうまく吸い上げて、台頭した。だからこそ、そんな(歴史的)記憶の悪用を断ち切るべく、第二次大戦後、「国際紛争を解決する手段としての(侵略)戦争」を違法化することが国連憲章や日本国憲法で謳われたのだったが・・・
 プーチン氏は、ソ連崩壊を「20世紀最悪の地政学的惨事」と呼んだのは有名な話だが、恐らくそれがトラウマになっているのだろう。ロシア帝国(=旧・ソ連圏)復活が彼の政治の原点になっていると言われる。そして恐らく習近平氏が盛んに喧伝する「中華民族の偉大なる復興」に大いに触発されたことだろう。
 そのプーチン氏は、多極化された世界を理想とし、その中でロシアが重要な一極を占めることを目指して来たとされる。しかし、韓国並みの経済力しかなく、さしたる産業が育たず、資源依存では将来が見えない。それでいて、あれだけの面積の国土を守るのは並大抵ではない。クリミア侵攻以来の経済制裁(特にハイテク製品輸出規制)で、最新兵器の製造もままならないようで、電子機器の調達にせよ、資源の輸出にせよ、今後益々中国への傾斜は避けられないが、恐らくロシアの望むところではない。そんな彼も69歳で、将来はない。「ない・ない」尽くしの彼は、パーキンソン病などの病が噂されるが、それは措いておこう(最近も、ショイグ国防相がマリウポリ「解放」を伝えたときのプーチン氏の映像公開が、却って疑念を呼んだ)。そんな追い詰められたプーチン氏が独裁者(本人は皇帝と思っているかも)として20年を超える君臨の末、何等かの政治的レガシーを求めたい気持ちは分からないではない。トランプ氏は予測不能だったので取り扱いが難しかっただろうが、バイデン氏はリベラルで「腰抜け」と見られたフシがある。「後」がない彼は「今」というタイミングを見計らったのかも知れない。
 ロシアが専門の名越健郎教授によれば、プーチン氏は就任翌年の2001年、国民テレビ対話で、今どんな本を読んでいるかと聞かれ、「エカテリーナ女帝の統治に関する歴史書だ」と答えたことがあるそうだ。ペスコフ報道官によれば、プーチン氏はコロナ禍の隔離生活で、帝政ロシア時代の歴史書を読み漁っていたらしい。2月の開戦演説で、「ウクライナは手違いで独立国になった」「ウクライナはロシアの歴史、文化、精神空間に不可欠の一部だ」と述べて、「ロシア固有の領土」の属国化を一気に狙ったようだと、名越教授は解説される。歴史への一種の妄想である・・・というのが私の妄想である(笑)。
 だからと言って、プーチン氏のウクライナ侵略が、とりわけその手法が正当化されるわけでは毛頭ない。ただ、それを抑止することに西側(とりわけアメリカ)が失敗したことは認めざるを得ない。ミアシャイマー教授のポイントはそこにあったように思う。
 プーチン氏の場合は、冷戦崩壊という歴史に対する報復と言ってよいのだろう。昨今の米・中の対立は冷戦「的」であり「第二次冷戦」とも言われて来たが、プーチン氏の仕出かした暴挙こそ、また、権威主義と民主主義で分断される今後の世界の難しいありようこそ、「第二次冷戦」と呼ぶべき惨状ではないかと思う。習近平氏の場合は、もっと時間軸が長くて、冷戦そのものを対象とするのではなく、近代の歴史、すなわち中国にとって、アヘン戦争に始まる欧・米・日の帝国主義諸国による簒奪と、その後の、自らの立場が弱かったときに決まった戦後秩序に対する報復と呼ぶべきではないだろうか。ヒットラーが第一次・第二次大戦で連鎖したように、プーチン氏は冷戦・第二次冷戦と連鎖し、習近平氏はプーチン氏と共鳴しているように見えるが、韻を踏んでいるだけで、秘めたるものは同じではなさそうだ。
 問題は、冷戦の正面がヨーロッパにあって、今まさにヨーロッパが苦労しているように、中国が近代に受けた屈辱は、東アジアの秩序に関わることで、日本が苦労するのは間違いない、ということだ。
 民族の記憶はそれなりに風化するものだが、独裁者(や過激な活動家)はそこに火をつけることが出来る。そしてそれが自らの統治の正統性に紐づけられれば、「絶対」となる。こうした事態に対する処方箋は思い浮かばない(少なくとも日本が、歴史認識に対して無策だったことは責められるべきだろうが)。人間の業の深さを思うばかりで、無力感に苛まれ、恐ろしい近未来に立ちすくんでしまう。
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サンデー朗希・続

2022-04-25 18:20:52 | スポーツ・芸能好き
 ミーハーながら、恒例なので続ける。
 昨日のオリックス戦に先発し、5回90球、被安打6、失点2で今季3勝目をあげた。直球は自己最速タイの164キロを記録し、球威は十分だったが、制球力に欠け、与四死球5で奪三振は僅かに4だった。3回以外は全ての回で得点圏に走者を背負う苦しいピッチングで、それでも先発投手としての責任投球回数は全うしたから良しとすべきなのだろうが、彼に対する期待値は気の毒なほど大き過ぎる。
 記録については、初回、オリックス先頭打者の福田周平外野手に初球の159キロ直球を右前に運ばれて、完全投球は17イニング連続で、連続打者凡退記録は52人連続で、あっさり止まった。3回には再び先頭の福田外野手に死球を与えて、連続イニング無四死球が25で止まった。5回には安打と連続四球で無死満塁のピンチを招いて2点を失い、連続イニング無失点が22で止まった。
 オリックスとは完全試合から二週間ぶり二度目の対戦となり、月並みだが、研究されただろうし、オリックスには当然プロとしての意地があっただろう。四球が多かったのは審判のせいかもしれないが(2回に佐々木が判定に不服そうな態度を示したと見た球審がマウンドに歩みよる場面があった)、三振が少なかったのは「とにかくバットに当ててやろう」という意地があったと見る人がいる。槙原寛己氏によると、「全員が直球狙い。5回90球のうち、直球で空振りが取れたのは2球だけ。前回対戦で5回まで13三振を奪ったオリックス打線からわずかに4奪三振。軸となる直球で押し切れないからフォークも見逃される」と手厳しい。谷繁元信氏は、「先発投手が好調を維持できるのは2~3試合ぐらい。状態が悪い時に、どう対応できるかに真価が現れる」と言い、悪いなりにも、「要所では配球パターンを変えて抑えるすべを持っている」と辛うじて評価された。
 ロッテは今日、佐々木朗希投手を登録抹消した。私は先週、二試合連続完全試合を見たいなどと欲張ったが、甘かった。吉井理人ピッチングコーディネーターが言われたように、「佐々木は1年間フルに戦ったことのない見習い投手」ということなのだろう。先の谷繁元信氏は、次のようにも語っている。「前回登板でも直球がシュート回転することが多く、今回に向けて準備してきたが修正は図れなかった。これが1年間ローテを守る難しさだ。今後、成長する中では、とてもいい経験を積んでいる。まだまだ学ぶことも多い」と。そして最後に一言、「佐々木朗希も人間だ。」
 再起を期待したい。
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ボブ・ジェームス

2022-04-23 01:07:04 | スポーツ・芸能好き
 知人がfacebookでBob JamesのYouTube動画を紹介していた。比較的最近の演奏と思われるもので、名曲「Angela」だった。1970~80年代に活躍したBob Jamesも、今や(1939年生まれの)82歳である。鍵盤を叩く手は節くれだって、頭髪は薄く、無精髭は白く、背は丸まっている。それでも、学生時代によく聴いた私は、即座に反応して聴き入ってしまった。あの頃と変わらない軽快なリズム感は、彼の身体に沁みついたものだろう。
 今月3日にラスベガスで行われた第64回グラミー賞の授賞式にサプライズ登場したウクライナのゼレンスキー大統領は、「わが国は、爆撃で恐ろしい静寂をもたらしたロシアと戦っている。沈黙が訪れた。この静寂をあなた方の音楽で満たしてほしい。きょう、私たちの物語を伝えるために」と訴えかけた。主要国の議会で世論戦として行われて来た彼の演説の中では、最も気が利いたものだったように思う。知人がこの話を意識していたかどうかは知らないが、私はそんな思いで、聴き入った。
 プーチンは、冷戦崩壊後の束の間の平和を(もっと言うと戦後の冷戦=「長い平和」さえも)、そして習近平ともども、その間のグローバリゼーションの繁栄を、ぶち壊してしまった。その責任は重い。グローバリゼーションそのものに問題がないとは言わないし、所詮はアメリカをはじめとする西側諸国の強者の論理でしかないのだが、「エレファント・カーブ」に見られるように、新興国に恩恵をもたらしたのは事実だろうし、14億もの人口を抱える国家資本主義の中国(の補助金政策や技術移転の強要や技術窃盗など)によって歪められ、本来の道から外れてしまったと言っても、あながち間違いではないだろう。
 YouTubeでは、「Angela」に続いて、同じ時の収録と思われる、彼のアレンジによる「Feel Like Making Love」と、「Night Crawler」が流れて来た。単にあの頃を、失われた平和を懐かしむのではなく、あの平和を失ってはならない、この自由・民主主義の世界をプーチンや習近平の野心(=屈辱の歴史!?に対する復讐?)によって権威主義が優位な世界へと塗り替えさせてはならないとの思いで、聴き入った。メロウな調べは、言葉以上に人の心を揺さぶる。

Bob James - Angela (theme from 'Taxi') : https://www.youtube.com/watch?v=kqw3UNXUdbU
Bob James - Feel Like Making Love / Night Crawler: https://www.youtube.com/watch?v=UoFZD-rtWNk
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ウクライナにおける闘争

2022-04-21 23:14:26 | 時事放談
 ロシアは、戦場では意外にヘタレだが(そのためロシアの装備品に頼る中国や北朝鮮は当惑していると言われる)、経済制裁を受けても意外にしぶといと評価されているようだ(確かに制裁には抜け道が多い)。戦闘の中心は東・南部に移って、自衛隊の元幹部の方々を中心にロシア軍を軽く見る声が多いが、プーチン大統領は「マリウポリの戦闘任務完了」との認識を早々に示したのは、情報戦の一種なのか、予断を許さない。
 ちょうど今頃の季節のことだった。大学に入学して間もない麗かな春の日に、英語の講義が同級生の友人に乗っ取られたことがある(とは、過去にも本ブログで話題にしたことがある)。彼は北海道の出身で、大学の古ぼけた寮に住み、彼ら寮生たちは、老朽化した寮を取り壊そうと躍起になる大学当局との間で「闘争」を繰り広げていた。黒ヘルメットが彼らの目印だ(因みに、革マルは赤ヘルで、中核派は白ヘルだったと記憶する)。彼が教室の壇上で演説を始めると、担当教授は、諦めて何も言わずに教室を出て行かれた。私は申し訳ないことに彼の話の大半は聞き流したが、唯一、「自由は勝ち取るものである」と言い残したことが記憶に残る。当時の私には、ざらついた違和感しかなかったが、今となっては欧米の歴史ではごく当たり前の事実だと思う。
 ロシア・ウクライナ戦争を見ていて、ふとそんな記憶が蘇った。ウクライナは、まさに自由と自主独立のために戦っている。そこには、旧・ソ連をはじめとして、ウクライナ民族の独立が蹂躙された歴史的な記憶が大いに作用しているように思う。自由も独立も、地続きのユーラシア大陸にあっては(島国として周囲から隔絶される幸運に恵まれた日本人が思うような)所与のものではない。アメリカは、ウクライナの行く末など気にしない、軍産複合体を抱えて老朽化した装備品を一掃できて却ってハッピー、などと揶揄する声があがるが、それは言い過ぎで、アメリカはやはり理念の国だと思う。民主主義を破壊したトランプ氏の後を継いだ民主党のバイデン氏のことだから、なおのこと。
 先日、東京大学の入学式で、映画監督・河瀬直美さんの祝辞が物議を醸した。切り取られ発言だと援護する声があり、確かに分からなくはないが、それにしては無造作で隙があり過ぎる。祝辞の全体からすれば本丸ではないにしても、その限りでは本心と言わざるを得ない。曰く、「例えば『ロシア』という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか? 誤解を恐れずに言うと『悪』を存在させることで、私は安心していないだろうか?」などと切り取ってしまったが(苦笑)、さすがに喩えとしては筋が良くなくて、国際政治学者の細谷雄一さんや池内恵さんや篠田英朗さんといった私が贔屓にする教授たちから批判が相次いだ。さらに祝辞の引用を続けると、「人間は弱い生き物です。だからこそ、つながりあって、とある国家に属してその中で生かされているともいえます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います。」・・・う~ん、本丸は分かるが、その主張の裏にチラつく本心にはやはり違和感がある。「自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性」に触れるのは、某野党幹部と同じである。こんなに平和ボケして骨抜きの国民になってしまったというのに(と、自戒をこめて・・・)。
 彼女が、とは言わない。あくまで一般論だが、リベラルな方は論理に溺れるところがあって、現実的な思慮に乏しく、奇を衒うことにも吝かでなく、危なっかしいように思う。
 学生時代、私が尊敬する、ロシア政治思想を専門とする教授は、一人のドストエフスキーをも輩出しなかった共産主義の旧・ソ連をボロクソに貶し、価値相対主義(今風に言えば「どっちもどっち」)なるものをこっぴどく批判された。甘ちゃんだった私は大いに戸惑ったものだが、今となってはよく分かる。世の中には、論理で割り切れなくても重要なことがある。
 政治学の文脈で、かつて第一次世界大戦以前、ナポレオン戦争後に、クラウゼヴィッツが言ったように、戦争は政治の延長であり、アナーキカルな世界にあっては、国家間の闘争は正義と正義の争いだった。日露戦争などはまさにその渦中にあった。今もなお、オフェンシブ・リアリズムで鳴らすシカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授は、かつてのジョージ・ケナン氏同様、ロシア・ウクライナ戦争のそもそもの責任をアメリカに帰しておられる。私はかねて氏の理論には敬意を払って来たが、だからと言ってオフェンシブ・リアリズムだけでこの世界を割り切るとすれば、覇権学としての帝国主義時代の地政学に舞い戻るかのようで、第一次世界大戦以降、価値の体系にも重きを置いて来た国際政治の理想主義的な側面との間でバランスがとれず、居心地がよいものではない。
 具体的に言えば、プーチン大統領が主張するNATOの東方拡大やウクライナとの民族的同一性は、彼一人の独善でしかなく、21世紀を生きる私には19世紀的なノスタルジーにしか見えない。その証拠に、まがりなりにも形式的には「中立」を維持して来た(実質的には1994年にNATOの「平和のためのパートナーシップ」に加わっていた)フィンランドとスウェーデンすら、今、NATOに追いやろうとしているではないか。これはロシアの行動が撒いた種(=結果)であって、NATO東方拡大が先にあった(=原因)わけではない。小泉悠氏の著書でも、旧・ソ連圏を「勢力圏」と見做すロシアの地政学について語られていて、なるほど現状が説明できてよく分かるのだが、だからと言って、ソフトパワーの魅力によって東欧圏を引き留めることが出来ず、ハードパワーとしての武力によって現状変更し、「勢力圏」を回復しようとする試みは、21世紀の現代にあっては19世紀的であって独善でしかない(と思うのは、プーチンにしてみれば西欧の独善なのだろうが)。
 二度の世界大戦を経て、その戦禍が余りに悲惨だったことから、人類は(侵略)戦争を違法化する新たな段階に踏み込んだ(かつての日本とドイツは、周回遅れの帝国主義で、世界の潮流から外れて悲劇を招いた)。その精神は、その後、国連憲章だけでなく日本国憲法にも埋め込まれている。こうして積み上げられて来た人類の(と言うより正確には西欧の・・・なのだが)歴史の叡智は、第二次世界大戦後に独立したアジア・アフリカ諸国を迎え入れた「世界」が西欧を超えて地球規模に広がってなお、まがりなりにも受け継がれていると思いたい。その重みを私たちは忘れるべきではないと思う。何よりロシアは、国際連合の常任理事国だったソ連の後継国家なのだから。
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サンデー朗希

2022-04-19 22:07:08 | スポーツ・芸能好き
 ロッテの佐々木朗希投手が、この日曜日にまたしても快投を演じた。8回を投げて14奪三振、102球に達して、一人の走者も許さないまま降板したのは、前回よりもコントロール、球質ともに良くなくて、疲れも見えていたから、ということのようだが、野球ファンとしては素直に、史上初となる2試合連続完全試合を見たかった。
 井口監督によれば、「いろいろなことを加味しながら、今日は100球弱だと思っていた。できれば我々も最後まで見たかったし、ファンの方も見たかったと思いますけど、いろいろと先々のことを考えると、ちょっとあそこが限界だったのかなと。7回が終わった時点で朗希がちょっとへばりつつあったので、何とか8回までと思っていました」とのことであり、たとえロッテがリードしていても「8回で代わっていました」ということだ。吉井理人ピッチングコーディネーターもブログで、「佐々木は1年間フルに戦ったことのない見習い投手です。(もはや見習いとは言えない実力だが)壊れてからでは、遅いのです」「若者が早い時期に故障するのは、見ていて辛いです。野球に故障はつきものですが、なるべく故障しないよう、我々指導者がしっかり管理していきたいと思っています」と記されたらしい。試合後には佐々木自身もテレビカメラが入ったインタビューに、「途中疲れている部分もありました。首脳陣の判断なので、納得する形で降りました」と語ったということで、本人の素直さと言うより、この年齢にして目先のことに拘らないスケールの大きさには驚くばかりだし、球団としても慎重過ぎると思えるほど、まだ成長途上の佐々木朗希投手を今後ともじっくり育てて行く方針のようで、外野の私は何とも言いようがない。もはやロッテという球団を超えた球界の至宝であり、分からなくはないのだが、ミーハーな私は、やっぱり史上初となる2試合連続完全試合を見たかった。
 世に記録は残さないが記憶に残る選手がいると言われる。私が大好きな清原や江川がそうだろう。しかし、リアルタイムで見た私が忘れることはないにしても、そうじゃない世代には忘れ去られる。今回、完全試合達成を目前に控えて投手交代を告げられた先例として、2007年の日本ハムとの日本シリーズで中日が3勝1敗でリードして迎えた第5戦で、8回まで完全投球を続けていた山井大介を、完投ペースの86球で交代させ、その後を引き継いだ守護神・岩瀬仁紀も日本ハム打線を三者凡退に抑えて1-0で逃げ切った落合博満監督の采配が物議を醸したことが、再び話題になった。しかし、確かにそういうことがあったなあと朧気な記憶を辿るが、所詮、記録にないものは記憶からは薄れてしまうのだ。
 そんな「記録」ということでは、2回までに4三振を奪い、山本由伸(オリックス)に並ぶ日本人最長タイの25イニング連続三振をマークした。17イニング連続の無安打(完全投球)は実に1948年真田重蔵(大陽)がマークした16回を74年振りに更新するプロ野球新記録で、記録を継続している。4月3日の西武戦8回2死でから岸潤一郎から空振り三振を奪って以来、メジャー記録46を超える52打者連続アウトも、記録を継続している。
 佐々木朗希投手のどこが凄いのか、専門家によると、「ボールに角度があり、回転数が違う。大谷翔平と比較してもボールの質が違っていて、実際は伸びているのではなく落ちていないだけなのだが、打者の感覚としてはコンタクトしようと考えているポイントからボールが浮き上がっているように感じるのではないか。打者はストレートを狙っていても空振りになりボールが前に飛ばない。そこで同じ腕の振りで147kmのフォークを落とされては誰も対応できない。しかも、そのフォークはコントロール、落差も含めて抜けたボールがほとんどなく精度が高いのだ。打者は追い込まれたくないので早めに仕掛けてくるので、そこでカウントを稼ぎ、ストライクが先行することになり、ますます佐々木が有利のカウントで打者を支配することができるので、ほとんど打たれる感じはしない」という。球威があり、本来は落ちて行く球筋が落ちなくて、却って球がホップしているように見えるのは、かつて江川や小松にも言われたことだった。いつの時代にも「怪物」は出現するものらしい。
 もはや終わったことに拘るのはやめよう。何と言っても弱冠20歳で、将来性十二分な佐々木朗希投手のことだ。次の日曜日にはまた登板する。17イニングまで続けている完全投球回数と、52打者まで続けている連続アウトがどこまで伸びるのか、楽しみにしたい。
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ウクライナの『ひまわり』

2022-04-16 20:12:22 | スポーツ・芸能好き
 今日の日経・夕刊によると、1970年公開の映画『ひまわり』の再上映が全国に広がっているそうだ。上映を決めた映画館などは今日までで100会場を超えたそうで、チケット代の一部は人道支援で寄付されるという。
 私が洋画に目覚めたのは、よりによって中学三年になるかならないかの頃で、なけなしの小遣いで『スクリーン』という月刊誌を買い求め、受験生でありながら最低週一でTVの●●ロードショーで洋画を見た。よくもまあ両親は反対しなかったものだと、今にして思う。
 なお、私が海外に関心を持ったキッカケは、1970年の大阪万博が最初だった。当時、大阪に住んでいた私は、都合4度、会場に足を運んで、月の石などを見て、世界、否、宇宙への夢を膨らませた。象牙海岸など、世界にはいろいろな国があるものだと、幼な心に関心を寄せた。その後、「この~木、なんの木、気になる木~」という日立グループのテーマ・ソングで知られる『素晴らしい世界旅行』という30分番組で、ブッシュマンなど発展途上の世界への目を見開かされた。極めつけは『ルパン三世』で、世界を股にかける大泥棒・・・と言うよりも、世界そのものに憧れた。そして洋画である。
 当時、最初に知った女優がソフィア・ローレンさんだった。正直なところ美しいと言うよりも何だか異質な存在で、個性的な方だと思った。因みに、本当に「美しい!」と感動した女優さんは、後年、大学生のときに見た『夢千代日記』の吉永小百合さんで、血は争えないものだと思う(苦笑)。大学三年が終わった春休みに、友人らとレンタカーを借りて、春まだ浅い山陰の旅に出かけて、大雪の中、チェーンを巻きながら、舞台となった湯村温泉を訪ねた。番組では、まるで海岸沿いの温泉街の風情だったが、実は内陸にあった。蟹三昧で、食した後の蟹の甲羅に日本酒を注いで火で炙って飲んだのが、滅法、美味くて、今も忘れられない。番組で何度も紹介された餘部鉄橋にも足を止めた(但し、今は当時の風情はない)。
 閑話休題。「ひまわり」では、ソフィア・ローレンさんが、第二次世界大戦によって夫婦仲を引き裂かれた「未亡人」を好演した。エンディングで評判となった「地平線にまで及ぶ画面一面のひまわり畑」は、ウクライナで撮影されたもので、地元の人が「この下にはイタリア兵とロシア人捕虜が埋まっています」と説明する場面があるそうだ(Wikipediaによる)。イタリア・フランス・ソビエト連邦・アメリカ合衆国の合作映画だそうで、今となっては俄かに想像し辛い。
 当時の洋画は、mellowな主題歌も話題になった。私がまだ見たことがない映画で、主題歌によって強く惹かれるのが『パピヨン』と、この『ひまわり』だ。ヘンリー・マンシーニが担当したメロディは、今のウクライナに重なるように、甘く切ない。
 この機会に、『ひまわり』を見てみたいと思うし、現実の世界において、国際人道法違反だけは止めて欲しいと思わずにはいられない(と言うより、ロシアへの憎悪が増すのを抑えられない)。
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佐々木朗希投手の完全試合

2022-04-13 21:15:41 | スポーツ・芸能好き
 夜に灯りがない生活は、なかなか神秘的だ。十数年前、オーストラリアのウルル(エアーズロック)を訪れたとき、満点の星空を見上げながら、昔の人は月と星と太陽を頼りに生活していたことを思うと、現代人には想像もつかないほど自然の恵みに感謝し、またその脅威に立ち向かって、人間の存在の小さいことを、骨身に沁みて感じていたことだろうと、漠然と思ったものだった。何を唐突に、と思われるかも知れないが、実は、日曜の夜、突然、部屋の照明がつかなくなって、この三晩は、真っ暗闇の中でパソコンの明かりを頼りに過ごすのも癪で、とっとと不貞寝したのだった。今日、修理に来てもらったところ、案の定、ブレーカーの故障のせいだった。ブレーカーも家電製品と同じで劣化する。
 前置きが長くなったが、日曜の夜と言えば、佐々木朗希投手がプロ野球史上16人目の完全試合を達成した日だ。遅まきながら、その感動を書き留めておきたい。
 野球ファンにとって、贔屓の選手であろうがなかろうが、斯様な偉業は胸躍る瞬間である。それが「令和の怪物」と話題の選手となればなおさらだ。9回27人の打者に対して105球、19奪三振、圧巻は、1回2アウト後の吉田正尚外野手から、5回3アウト目の西村凌外野手まで、13者連続で三振を奪ったところだ。完全試合は28年振り、20歳5ヶ月での達成は62年振りの史上最年少、13者連続奪三振は64年ぶりの日本記録、19奪三振は27年振りの日本タイ記録と、記録づくめだった。
 数字も凄いが、中身も凄い。ほぼ、自己最速タイとなる164キロの直球と140キロ台後半の高速フォークとのコンビネーションだけで、昨年の優勝チームをきりきり舞いさせたのである。藤川球児氏は、「普通は打者が苦手なコースを攻めるが、彼には必要ない。スピンの利いた160キロ超の浮き上がる直球とフォークで打者を圧倒できている」「三振を奪うための方程式も構築されており、カウント球と勝負球の球種が違う。同じフォークの場合は腕の振りによる緩急で決め球との差をつけている」と解説された。データスタジアム社のアナリスト・佐々木浩哉氏は、「最速164キロをマークした直球が脚光を浴びることが多い佐々木投手ですが、主役はフォークボール」と分析される。19奪三振中、15個をフォークボールで奪い、カウント球としても有効で、36球を投じたフォークのストライク率は実に83.3%、とりわけフォークは球界屈指の空振り率を誇るそうだ。
 本人曰く、「正直あまり意識していなくて、打たれたら、それでいいかなと思って、最後まで松川を信じて投げました」。怖いもの知らずなのか、大物なのか(否、その両方だろう)。そこまで言わしめる高卒ルーキーの松川虎生捕手も褒めてあげたい。それから、佐々木朗希投手の入団以来、一軍に帯同させ、大リーグの経験豊富な吉井理人・一軍コーチの指導のもとでじっくり育てた千葉ロッテも褒めてあげたい。こうして眺めてみれば、高校野球の地区予選決勝に投げさせなかったのは、良かったのか悪かったのか今もって判断は難しいが、いずれにしても報われたと言うべきだろう。
 もう一つ三振を奪っていれば・・・と惜しむ声があるが、焦る必要はない。現在、34イニング連続奪三振を続けており、次の試合で日本記録の43イニングに挑むことになる。オールスターで江夏が達成した9者連続奪三振(あるいは江川の8者連続奪三振)のような息詰まる対戦が待ちきれない。
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ウクライナ戦争の裏で、中国の暗躍

2022-04-09 18:54:15 | 時事放談
 ウクライナ戦争は、ロシアがキーウ攻略を断念し、当初の狙いだった東部・南部に戦力集中するという、新たな局面を迎えている。その地球の裏側で、中国が南太平洋のソロモン諸島と安全保障協定を結ぼうとしている話は、かねて漏れ伝わっていた。米国に拠点を置くジャーナリスト(本人は軍事社会学者を自称)の北村淳氏が3/31付で、主にアメリカの視点からコラムを寄せておられた(*1)のに続き、中国ウォッチャーのジャーナリスト・福島香織氏が一昨日、AUKUSやQUADなどの中国包囲網を分断する工作として、包括的に論じられた(*2)。私は存じ上げないが、読売新聞でもここ一週間で二度、記事が出たらしい。
 アフガニスタンやミャンマーでの挫折からも、民主主義は、極めて特異な歴史的土壌の上に咲く、極めて稀に見る可憐な花であることが認識されていた。昨年12/9~10にかけて、バイデン大統領が主催した民主主義サミットには、世界から109の国家と2の地域が招待されたが、民主主義の実践度という点では、強固なものから弱々しく怪しげなものまで、多様だった。民主主義の成熟度として眺めれば、むしろ未成熟な国や地域の方が多く、中国としては、そこが付け込む狙い目になるということなのだろう。
 それこそロシアが、ロシア人を守るために、集団的自衛権行使を名目に、ウクライナ東部にロシア軍を出動したように、中国は、未成熟な国の中華街で暴動が起こるなどしたのを契機に、中国人救済を名目に、中国軍や警察による治安維持の支援を押し付け強要している構図に見える。実はチャイナ・マネーがその国の社会的不安を招くなどの原因になっているという意味では、マッチ・ポンプのような側面があるし、そもそも中華街での暴動すら、誰が火を点けたのか分かったものではない。
 いずれにしても、ロシアがヨーロッパひいては世界の安全保障秩序を自らに都合が好いように書き換えようと武力に訴えているのに対し、その裏で中国は、チャイナマネーによって静かに、自らに都合が好い安全保障秩序の構築、直截的には、西側の秩序の分断という伝統的な手法を強化していることに留意する必要があるように思う。
 この南太平洋の秩序に多大な関心を寄せるオーストラリアは、中国の動きを苦々しい思いで見ていることだろう。北村淳氏が指摘されるように、ソロモン諸島は「アメリカ(引用者注:端的にハワイ)とオーストラリアやニュージーランドを結ぶ補給線を側面から攻撃できる位置にある戦略上の要衝」に見えるからだ。これはオーストラリアだけの問題にとどまらない。南シナ海とソロモン諸島を結ぶ線は、日本のシーレーンとも交差する。ロシアが主張するような、大陸における勢力圏構想を、正しいか正しくないかはともかくとして、海に当て嵌めれば、制海権構想に行き着く。その縦深性を確保するべく南方進出した大日本帝国が当時のアメリカと死闘を繰り広げた餓島(ガダルカナル島)はこのソロモン諸島にある。大日本帝国の歴史に学び、その戦略をなぞるように、今、中国が南太平洋に進出していると見るのは、穿ち過ぎだろうか。
 最近、北岡伸一教授が提唱される「西太平洋連合」(*3)の原型は、故・梅棹忠夫氏の「西太平洋同経度国家連合」にあり、さらにこれらの島嶼国連合は大日本帝国の大東亜共栄圏から示唆を受けているとすれば、あらためて地政学の論理の強さを感ないわけには行かない。
 実は南方ばかりに目を向けていられない。プーチン氏は以前、「アイヌ民族をロシアの先住民族に認定する」という考えを示したことがあるそうだ(2018年12月、モスクワでの人権評議会、*4)。実際に、当時の北海道新聞もそれを報じている(が、「続きを読む」をクリックすると「ページが見つかりません」が表示されてしまう)。ロシアの先住民族(=アイヌ民族)を救済すると言ってロシアが北海道に侵攻する名目が既に存在するのは、なんとも不気味だ(苦笑)。
 上の写真: 桜の季節は終わろうとしているが、洋の東西でどんなに物騒なことが起ころうと、季節は巡り、自然の恵みをもたらしてくれるのが有難い。3/31撮影。

(*1)https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69503
(*2)https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69630
(*3)https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD0787X0X00C22A1000000/
(*4)https://www.zakzak.co.jp/article/20220226-OCWG37S3RZPJBH4V5HDN54EBYE/
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プーチン健康不安説

2022-04-05 23:48:58 | 時事放談
 プーチン大統領はパーキンソン病ではないかと噂されてきたが、ロシアの独立系メディア・プロエクトが甲状腺がんの可能性を伝えて、再び健康不安が取り沙汰されている。
 記事によると、「2016年以降、プーチン大統領のもとを、甲状腺疾患を治療する耳鼻咽喉科の医師が59回訪れたと説明。また、甲状腺がんの専門医も35回訪れた」「医師は全員、内務省に所属している機関の中央臨床病院の先生方」(*1)と、やけに具体的である。
 これに対して、慶應大学の広瀬陽子教授は、「プロエクトというのは相当、芯の通ったメディアですので、かなり信ぴょう性はあるのではないかと思います」「このプーチンの病状については、私も直接いろいろ聞いたことがあり、がんについては、2017年から18年にかけてフィンランドで研究を行っていたんですが、その際に研究仲間が“どうやらがんらしい”と言っていた」(*2)と語っている。
 これが事実だとすれば、要人(しかも情報管制がとりわけ厳しいはずのロシアの独裁者)の健康問題はトップ・シークレットであるはずなのに、誰がどういうルートで情報漏洩したのか気になるところだ(不謹慎ながらそれが内部崩壊に繋がらないかと期待してしまう)。また、プーチン氏は既にロシア男性の平均寿命を越えた年齢不安があり、健康不安もあり、ソ連崩壊の歴史に報復するという自らの野望を一刻も早く果たすべく、焦って、自暴自棄に陥らないか、憂慮される。第二次世界大戦でナチス・ドイツを破った「戦勝記念日」の5月9日には、此度のウクライナ戦争の勝利宣言を出すシナリオが想定されているとの噂もある。キーウ陥落は諦めて、東部に集中して圧倒的勝利を収める・・・ということは、首都キーウ近郊ブチャで明らかになった住民の大量虐殺や暴行や略奪が、東部でも繰り返されるのではないかと思うと、胸が痛む。撤退する腹いせなのか見せしめなのか、ブチャでの惨劇がプーチンの指示によるものか、現場の暴走によるものか、定かではないが、いずれにしても最高指揮官として現場の規律を守れない責任は免れない。実際に、戦場での野蛮な振舞いの点で、ロシア兵は、第二次大戦の頃からチェチェン紛争や南オセチア紛争に至るまで、頗る評判が悪く、恐れられてきた。
 10年前に出版された『顔のない男 ウラジーミル・プーチンの異例の昇進』(米ペンギン社)という本(多分、未邦訳)の中で、モスクワ生まれのジャーナリスト、マーシャ・ガッセン氏は「プーチンは顔のない小柄で小物の人物。シニカルで暴力的。クレムリンに冷酷なニヒリズムを持ち込み、被害妄想となった。無感情で残酷、慈悲心がなく、腐敗している」などと酷評しているらしい(名越健郎・拓大教授による *3)。まがりなりにも民主国家であれば、権力の抑制と均衡が働いて、一人の狂気(とその取り巻き)が暴走することはないであろうに、権威主義の独裁国家の悲劇である。2月24日の開戦以来、これまで何度も思って来たことだが、この狂気を早く止めて欲しい。
 なお、キーウ近郊ブチャの虐殺について、ロシア国防省は「一人の住民にも手を出していない。(民間人犠牲の)写真はウクライナ政府の挑発だ」などとシラを切るが、民間のオシント(オープンソース・インテリジェンス)専門家やNY Timesなどの欧米メディアは、衛星画像などを使ってロシアの主張に反論して、矛盾を次々に明らかにし、平気でウソをついて恥じないロシアの醜態を世界中に晒している(気の毒なのは、情報統制されて何も知らされないロシア国民だ)。これもまた現代的な情報化時代の戦争だと、感慨深い。

(*1)https://www.fnn.jp/articles/-/341914
(*2)https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/04/03/kiji/20220403s00041000438000c.html
(*3)https://president.jp/articles/-/56183
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戦争を知らない日本人

2022-04-03 13:20:17 | 時事放談
 私たち日本人は(幸か不幸か)もはや殆ど「戦争を知らない子供たち」だ。その私たちに、ウクライナの戦争はどう映っているだろうか。
 因みに、「戦争を知らない子供たち」は、北山修作詞、杉田二郎作曲で、ベトナム戦争まっさかりの1970年に発表された反戦歌だ。その翌年、北山修氏は同名の著書を出版され、私は高校一年の夏休みの宿題の読書感想文を書くために、夏目漱石や森鴎外ではなく、この書を選んだ。咎められた記憶はないが、今となっては何と大胆不敵だったことかと思う(そのときの国語教師は奈良女子大学出身の才媛で、希代の毒舌家だったが、さすがに言葉を失ったのだろうか 苦笑)。最近、北山氏は日経新聞夕刊にコラムを寄せておられるので、Wikipediaで調べたら、「日本の精神科医、臨床心理学者、作詞家、ミュージシャン」と紹介されている。元日本精神分析学会会長で九州大学名誉教授でもあらせられる。多才なお方だ。
 閑話休題。日本人は、安保法制の国会論戦に見られたように、戦争と言えば今なお太平洋戦争当時のドンパチをイメージするのではないだろうか。そういう側面は勿論あって、此度のウクライナでも、首都キーウ陥落のために戦車や装甲車が攻め寄せた。他方、湾岸戦争における(特に当時のロシアや中国にとっては衝撃だっただろう)テレビゲームのような精密誘導のハイテク兵器による遠隔攻撃という相がある。さらに2014年のロシアによるクリミア併合のように、血を流さない非正規戦を交えた所謂ハイブリッド戦争という相もある。とりわけ情報戦、世論戦は、当事国のみならず、世界をも巻き込む。ウクライナのゼレンスキー大統領がG7をはじめ主要国議会で行った演説が、各国をマーケティングしてそれぞれの国民の心を掴んだとして評判なのは、まさに見事な国際世論戦である。
 ところが、島国育ちの日本人は、私自身を含めて、地続きのユーラシア大陸で繰り返される異民族間の紛争の激しさを知らないせいか、ナイーブと言わざるを得ない。10日ほど前のことになるが、「ウクライナは降伏せよ」と主張されていた橋下徹氏とバトルを繰り広げていた平和構築の専門家・篠田英朗教授は、ロシア・ウクライナ戦争の深刻さが増す中で、日本では頓珍漢な紋切り型の議論が横行しているとして、5類型を挙げて、嘆いておられた(*1)。いずれも、多少なりとも身に覚えのある議論ではないだろうか(以下に抜粋)。

(1)「侵略者が来たら降伏しよう」論。降伏さえすれば、世界の問題は全て解決するといった話は全く現実とかけ離れている。(中略)憲法学者独裁主義体制下の日本の学校教育の弊害をあらためて痛感せざるを得ない。
(2)「世界に問題があるのはアメリカが解決していないからだ」という極度のアメリカの神格化にもとづく意味不明の糾弾。(後略)
(3)「プーチンにはプーチンの正義がある」論。タレントの太田光氏のテレビの発言が話題になった。プーチンにも利害や野心がある。だがそれは正義と呼べるようなものではないだろう。(後略)
(4)「人間には誰でも欠点はある」論。鈴木宗男議員が、「ウクライナにも責任はある、喧嘩両成敗がよい」といったことを国会で発言して、話題になった。(中略)百歩譲って、日本社会の中だけであれば、「いじめられる方も悪い」と呟いて事なかれ主義を貫くこともできるかもしれない。だが、国際社会でそれをやったら、日本は孤立する。
(5)「紛争当事者の一方に肩入れしてはいけない、中立が常に一番正しい」という思想。鳥越俊太郎氏らが、ゼレンスキー大統領の国会演説に反対するために、中立こそが常に絶対善、といった議論を展開して話題になった。(中略)日本国憲法も国連憲章も「正義(justice)」を追求し、そのために日本社会/国際社会全体が標榜すべき目的や原則も明らかにしている。それを一気にひっくり返して、「どれだけ悪い奴が原則や規則を蹂躙しようとも、とにかく常に中立を心掛けることだけが絶対的な善だ」と主張してみせるのは、反憲法的・反国際法的な困った態度である。

 また、3・4・5番目の点をひっくるめて、見るに見かねた細谷雄一教授も4日前、「ロシアもウクライナも両方悪い」とする主張は不適切だとツイッターで指摘された(*2)。
 日本経済新聞社とテレビ東京が3/25~27日に実施した世論調査によれば、岸田内閣の支持率は61%、ロシアのウクライナ侵攻を巡る日本政府の取組みを「評価する」67%、「評価しない」22%との回答だったので、両教授のご懸念は飽くまで一部の意見に対して向けられたものではある。日頃から、情報戦や世論戦を仕掛けられる時代であり、ただでさえ安全保障や戦争学に無意識に拒否反応を示しがちな日本人としては、何が本質なのか、留意したいものだと思う。
 なお、戦況はウクライナに有利に傾きつつあるのか、ロシアは、第一段階の目標は概ね達成されたとして、首都キーウや北部チェルニヒウでの軍事活動を縮小し、東部ドンバスなどでの作戦に集中しつつあるとの報道がある。一刻も早い停戦合意を望むところだが、戦況の有利・不利が停戦協議のポジションに影響するため、プーチン氏は劣勢挽回を図りたいところだろう。そのため、東部・南部では却って戦闘が激化するかも知れない。
 かかる状況において、米・英政府が、プーチン大統領の側近がウクライナ侵攻の実情を大統領に伝えるのを恐れている(そのため都合のいい情報しか上がっておらず、プーチン氏は真実を知らされていない可能性がある)と主張し牽制したのに対し、ロシア大統領府は否定しているが、今の狂気じみたプーチン氏のもとでは大いにあり得る話のように思われる。その意味で、米英が、極秘を解除して情報公開するのは、プーチン政権の偽情報対策であるとともに、プーチン氏本人に(側近による情報の壁を越えて)実情を認識させ、停戦協議を誤らせないためでもあるのだろう。
 こうして、ウクライナの想定外の奮闘は、NATO諸国から対戦車ミサイル(ジャベリン)や携帯式防空ミサイル(スティンガー)やドローンといった装備品が提供されるだけでなく、米・英から情報(公開されるものだけでなく、ウクライナ政府のみに伝えられるものも含めて)が提供されるのも、強力な支援になっていることだろう(さらにゼレンスキー大統領の暗殺を阻止し、あるいはウクライナ軍に対して武器使用や狙撃や破壊工作などの訓練を施すなど、米・英の特殊部隊の暗躍も伝えらえる)。
 戦争のあり方は随分変わったものだと思う。私たちが目にする戦争は、ウクライナとロシアとの直接の対峙のほかに、価値を巡る(すなわち力による現状変更を許さず、武力侵攻するロシアに得をさせない)西側とロシアとの間接的な(西側からの経済や情報による)攻防という、二重構造になっている。そこでは既に日本は他人事ではなく、当事者の一人だ。

(*1)https://agora-web.jp/archives/2055685.html
(*2)https://www.huffingtonpost.jp/entry/ukraine-russia_jp_6243c3fae4b0e44de9bab752
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