風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

キッシンジャー発言の波紋

2022-05-28 20:11:12 | 時事放談

 ダボス会議にオンライン参加されたキッシンジャー博士が、ウクライナ情勢について、「今後二ヶ月以内に和平交渉を進めるべきだ」「理想的には、分割する線を戦争前の状態に戻すべきだ」と述べたこと(時事 *)が波紋を呼んでいる。ゼレンスキー大統領は、クリミア返還を諦めるなどの「宥和策」を提案したものと受け止めて反発し、「『偉大な地政学者』は普通の人々の姿を見ようとしない」「彼らが和平という幻想との交換を提案する領土には、普通のウクライナ人が実際に住んでいる」と訴えた(同じく時事)。

 キッシンジャー氏の発言は、「ロシアが中国との恒久的な同盟関係に追い込まれないようにすることが重要だ」と強調された(同じく時事)ことからも分かるように、権力政治の文脈、すなわち世界政治を相手にするアメリカの論理に外ならず、分からなくはないが、ロシア・ウクライナ戦争の当事者であるゼレンスキー氏にとっては、たまったものではない。さすがのキッシンジャー氏も、昨日、めでたく99歳の誕生日を迎えられて、ちょっと耄碌されたのか、かつての米中和解の成功体験に溺れて、本来、このような場(ダボス会議)で発言することではなかったように思う。

 以下は余談である。

 これに関連して、キッシンジャー氏が言われるように「三方一両損」を引きどころにプーチン氏にも立場を与える調停が必要ではないかと、ある知人が言う。これも分からなくはない。

 しかし、「三方一両損」は、ここでは適切な譬えとは思えない。あの話は、金を落とした男も、拾った男も、無欲だったからこそ、町奉行(大岡越前)は意気に感じて、自ら懐を痛めてまでも、三者が一両損となって丸くおさまる美談として成り立ち得たのだった。ところがプーチン氏の場合は、無欲どころか欲の塊である(笑)。これを認めてしまうと、「ヤリ得」の世の中になって、プーチン氏がNATOに加盟するバルト三国やポーランドに攻め込むかどうかは甚だ疑問だが、中国や北朝鮮が図に乗るのは目に見えている。プーチン氏には「名誉ある撤退」を用意してあげられるとよいのだが・・・

 さらに、西側は戦争を煽るばかりで火消しをしようとしないと、その知人は憤懣遣るかたない。これも分からなくはない。

 しかし、戦後の国際秩序、所謂「ルール・ベースのインターナショナル・リベラル・オーダー」を守るためには、プーチン氏のような「ゴネ得」を許すべきではない。さもないと、19世紀的な権力政治、力による現状変更が闊歩する時代に舞い戻ってしまう。そうなったら、19世紀の帝国主義時代に受けた屈辱を雪ぐことを目標にする習近平氏にとっては願ってもない展開で、台湾や南・東シナ海を迷うことなくわが物とするだろうし、北朝鮮は半島支配の夢を捨てないことだろう。実のところ、2008年のジョージアや、2014年のウクライナでは、西側はコトを荒立てず、目をつぶったので、プーチン氏は勘違いして、図に乗ったのだった。しかし三度目はない、ということだと思う。

 ウクライナでの戦争を長引かせて、双方の被害が大きくなるばかりなのは、見るに忍びない。プーチン氏を追い詰め過ぎると、窮鼠猫を噛む、で、大量破壊兵器に手を出さないとも限らない。だが、此度は、余りにもプーチン氏に大義がない、露骨に不合理な戦争なので(プーチン氏は、国連憲章に言う、国際紛争を解決する手段としての武力行使ではなく、ドンバスの両州を独立させて、集団的自衛権の発動として武力介入するという、一応の屁理屈はこねたが、信じる者はいない)、西側としては落としどころを探しあぐねている、というのが正直なところだろう。西側は、決して煽っているわけではない。

 さらに、知人は、このどさくさに紛れた自民党の防衛費2%議論にも批判的だ。これも分からなくはない。

 しかし、フィンランドやスウェーデンですらも、ヨーロッパの安全保障環境の悪化に対応しようと、NATO加盟を申し入れる形で「反応」したのと同根で、それが東アジアにも波及しないようにと身構える日本の「反応」も、まっとうだと思う。日本の安全保障は、戦後、長らくアメリカに頼りっ放しだった。これを日本人が不甲斐なくも何とも思わないのを、外国人は訝しがるようだ(笑)。一説によると、日本が自主防衛するためには、GDP比4%以上が必要だという。それは今の少子高齢化の日本に現実的とは思えないが、だからと言って、いつまでもアメリカに頼っていてよいとも思えない。アメリカは、民主党のバイデン政権でも、トランプ氏と同様、America Firstなのは明らかだからだ。オフショア・コントロール、すなわち、地域のことはその地域の同盟国・パートナー国が一義的に対応するのに任せる、というスタンスであって、それは決してトランプ氏由来ではなく、アメリカの、特にベトナムやアフガニスタンの長い戦争の後に、厭戦気分が横溢する中での伝統だと思う。GDP比2%はNATO基準だが、アメリカが頼りにならなくなりそうな今後は、日米同盟だけでなく、日・米・欧で足並みを揃える意味でも、NATO基準に合わせるべきだと思う。その意味ではただの数合わせに過ぎない。中身のない2%を唱えても仕方ないという意見はよく分かる。また、未来永劫でもないだろう。中国が今のまま持続可能だとは思えないから、せいぜいここ10~20年の話である。

 まあ、多少の領土は、クリミアにせよドンバスにせよ台湾にせよ尖閣・沖縄にせよ、ケチらずに権威主義者にくれてしまえ、というのであれば、話は別なのだが・・・。

(*)https://www.jiji.com/jc/article?k=2022052600977&g=int

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Star Dust

2022-05-25 00:58:19 | グルメとして

 昨日の産経新聞・電子版エンタメ・コーナーに、横浜の老舗バー「Star Dust」が紹介されていた(*)。

 一度行ったことがあるだけのご縁である。しかも30数年前のことだ。東横線の日吉にある独身寮に住み始めて、渋谷と横浜が遊び場だった当時、物珍しさに駆られて、ガイドブックで予習しては面白そうなレストランやバーを片っ端から食べ飲み歩く中で、「Star Dust」は一度きりなのに何故か記憶に残っている。あらためて今、振り返ると、店名とロケーションと佇まいのコンビネーションが絶妙だったせいだと思う。ジャズのスタンダード・ナンバーから取った店名なのだろうが、非日常に相応しい幻想を誘うシンプルで洒落たネーミングには痺れるし、東神奈川駅から海に向かって徒歩15分もかかる不便な、すぐ隣に米軍施設・横浜ノース・ドックという瑞穂埠頭の入り口付近にあって、およそ色気のない倉庫群の一角にネオンサインが煌々とぽつねんと輝く孤高のロケーションは印象的だし、ロケーションのままにニッポンから隔絶されたかのようなアメリカンな内装やジュークボックスや決済の仕組み(キャッシュ・オン・デリバリー)を備えた独特の空間もまた粋で印象的だった。

 もう一軒、渋谷・道玄坂にあったアメリカン・バー「Roxy」も記憶に残るのだが、調べてみると、随分前に閉店したようだ。30数年の年月はそんなものだろうと諦めるしかないが、「Star Dust」はあれから何も変わっていないようで驚かされる。いや、あれからどころではない、昭和29年にマスター(81歳)のお父上が始めてから70年近くの間、その雰囲気を守り続けているようだ。その独特の風貌から、多くのテレビドラマや映画のロケに使われたそうだが、さもありなん。

 以下は余談。

 懐かしくて再訪したいと思うのは、コロナ禍でオーセンティック・バーなるものから遠ざかって久しく恋しいせいだが、ただの気紛れではなく、実は行ったことがないのに行ってみたいオーセンティック・バーがこのところずっと念頭にあるせいでもある。大学を出るまでの20年間住んでいた大阪府高槻市(どうでもいいが、辻本清美さんの地元)にある、「福田バー」という。何とも直截的な素っ気ない店名だが、地元では知る人ぞ知る有名店らしい。どうやら小学生時代に最も親しかった友人が開いているもののようで、食べログなどを見る限り、彼なりのこだわりを随所に・・・そう、旧友としてのニオイを感じている(笑)。いつになるか知れない半世紀ぶりの再会をどのように演出しようかと、今からそわそわしている(笑)。

(*)https://www.sankei.com/article/20220523-DLHE4H6I7RKNBEPNCGWPQBXUPY/

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユーミンも50年

2022-05-20 20:23:50 | スポーツ・芸能好き

 先般、アリスがデビュー50年だと本ブログに書いたが(https://blog.goo.ne.jp/mitakawind/e/cbdbaeaf4ab0c5c3347608abc918a636)、ユーミンもまた、この7月にデビュー50周年を迎えるそうだ。それを記念したベストアルバムに収録されるリクエスト楽曲やエピソードの募集が、9日から特設サイトで開始された(*1)。

 ご本人はかつて「天才」を公言して憚らなかったのは有名な話。密かに思っていても、なかなか公言出来ないものだ。確かに、多くのTVドラマや映画の主題歌・挿入歌に使われ、CMでも引っ張りだこで、多くの歌手にカバーされるといった活躍の「量」だけでなく、今、聴いても「懐かしい」という過去の記憶との結びつきもさることながら斬新さすら感じさせる(という意味では永遠性・普遍性を持つ)曲作りの完成度の高さという「質」の面からも、「天才」発言には文句のつけようがないように思う。むしろ、それを公言した当時の荒井由実という一個の天才の(その凡人の及ばぬ奇矯さの)一頁を彩る微笑ましいエピソードと言うべきかも知れない。

 私の音楽のキャパシティは狭くて、とは以前にも書いたことで、ユーミンとサザンで半分位は埋まってしまう。学生時代に、京都で遊んだ帰りに(いや、一応、大学に学びに行った「ついで」のことだが)、深夜の国道171号線で眠気覚ましにガンガン鳴らしたのも、また、社会人になって、ちゃらちゃら湘南に出掛けて、海を横目に国道134号線を走りながらBGMで流したのも、ユーミンやサザンだった。

 つい一週間ほど前のプレジデント・オンラインに、「日本でガラパゴス進化した音楽『シティポップ』が、全米1位の楽曲に引用されて大ブームになった背景」なるコラムが掲載された(*2)。「シティポップ」とは、「70年代から80年代にかけて生まれ発展していった日本のポップスで、大人っぽいロックやソウルミュージックなどの洋楽に影響受けて洗練された音楽の総称」(同コラムより)だそうで、例えば、として、山下達郎、松任谷由実、南佳孝、吉田美奈子、角松敏生、稲垣潤一などが代表的なアーティストとして挙げられている。

 実は最近、私もたまたまYouTubeで腐るほどに出て来る「日本の‘80年代シティポップ」を好んで聴くようになって、ユーミンをはじめとするメジャーな「ニューミュージック」とは違う、当時のマイナーな楽曲をイメージしていたのだが、ひっくるめて「シティ・ポップ」と総称されるようだ。Wikipediaによると、他に大瀧詠一、竹内まりや、大貫妙子、山本達彦、杉山清貴の名前が挙げられ、「1981年には年間アルバムチャートで、寺尾聡の『Reflections』と大瀧詠一の『A LONG VACATION』というシティ・ポップの名盤が1位と2位につけ、1980年代前半にシティ・ポップは全盛期を迎えた」とある。なるほど、そういうことか。さらに、アルバム・ジャケットのイラストレーターとして、永井博、鈴木英人、わたせせいぞうが挙げられている。う~ん、これもよく分かる。

 YouTubeで竹内まりやの「プラスティック・ラブ」を検索すると、Official Music Videoの再生回数は841万なのに、英文記載の「Mariya Takeuchi Plastic Love」は5千万回を超え、日本の国境を越えて世界的な広がりを見せていることが分かる(コメント欄は当然ながら英語だらけ)。松原みきの「真夜中のドア/Stay with Me」に至っては7800万回を超えており、リリース当時はマイナーだったことからすれば尋常ではない。道理で、YouTubeでこれら「シティポップ」の英文表記が増えているわけだ。先のコラムによれば、最近の欧米のビッグ・ネームが、当時のマニアックな、と言ってもよいような楽曲をサンプリングして、ビルボード・チャートで上位にランク・インされることもあるようだ。インドネシア人のRainychさんがカバーする「Plastic Love」などの「シティポップ」は、先ずイスラーム女性としてヒジャブをまとって歌う姿に、時代は変わったものだと驚かされるし、日本語を知らないにしては日本語の曲としてごく自然に歌いこなしていることに二度驚かされる。K-POPが初めから世界を視野に(国内市場は限られているので)、ウケを狙いに行った(ある意味で媚びた)のとは対照的に、日本のアニメ同様、世界など歯牙にもかけない日本のガラパゴスな楽曲が、YouTubeというメディアを通して、じわじわっと世界で認められるようになったというのは、如何にも日本らしい現象と言えるのではないだろうか。

 ちょっとどころか大いに寄り道してしまった。ユーミンの、それ以前のフォークの反戦・平和のメッセージ性や四畳半的な湿っぽさと比べて、都会的でカラっと乾いて洗練されたフュージョンなところは、時代背景を異にして、まさに「シティポップ」の中心的存在と言ってもよいのだろう。この「天才」と同時代を生き、つまり、ともに齢を重ね、その音楽に存分に浸れたことは実に幸せなことだと思うのは優等生的なコメントだが、実は成熟した松任谷由実より夢見る天才少女・荒井由実の方が私は好きなのだった(笑)

 

(*1) https://www.weloveradio2022.jp/

(*2) https://president.jp/articles/-/57441

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山岡鉄舟

2022-05-18 22:28:58 | たまに文学・歴史・芸術も

 連休前のことになるが、新選組局長・近藤勇(1834~68年)が着用した可能性のある甲冑が、富山県高岡市の古刹・国泰寺で見つかった。注目すべきは、寄進したのが幕臣・山岡鉄舟(1836~88年)だったことで、高岡という地との取り合わせが気になった。鎌倉時代の創建とされる国泰寺は、なんと京都の妙心寺や天龍寺などと同格の禅寺なのだそうで、江戸時代には歴代将軍の位牌が安置されるほどの徳川家ゆかりの寺だそうだ。明治天皇の北陸への巡幸に随行した鉄舟は、廃仏毀釈の影響で荒れ果てた国泰寺を見かねて、1万枚以上の書を揮毫して資金を集め、再興を支援したという。彼は、新選組の前身「浪士組」設立に関わったことでも知られる。彼は幸いにも維新政府でも取り立てられたが、薩長史観によれば近藤勇は逆賊だから、頃合いを見計らって、地方(高岡)の由緒ある寺でひっそりと弔ったのではないか・・・というわけだ。

 平穏無事のときには、とりたてて何かするでもなく時は流れる。しかし、歴史の動乱期には人物が炙り出される。困難を乗り切るために、時代が人物を欲するのだ(逆に言うと、人物は、平穏無事の時代には目立たないまま一生を終えるのかも知れない)。その意味で、戦国時代と幕末は、日本における二大動乱期として、それらの時代の歴史小説がことのほか日本人には好まれる。私も、かつては生まれ故郷の英雄・西郷隆盛を慕い、その後、司馬遼太郎の影響で坂本龍馬や新撰組の若者たちの清々しさに感銘を受けたが、最近のマイ・ブームは「幕末三舟」の一人、山岡鉄舟だったのだ。あの坂本龍馬をして、「西郷という奴はわからぬ奴だ。小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。もし、馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう」と言わしめた西郷隆盛をして山岡鉄舟のことを、「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と言わしめた。これを聞くだけで私は心の臓をぐっと掴まれた気分になる(笑)。

 ここで言う天下の偉業とは、江戸無血開城のことだろう。一般には、西郷隆盛が旧・薩摩藩邸(今の港区芝5丁目)で勝海舟と直談判したことが知られ、その会見の記念碑が残るが、実のところ、西郷隆盛は、勝海舟と会う前に山岡鉄舟との談判で殆ど腹を決めていたとされる。その会見の記念碑が静岡駅前、上伝馬町の松崎屋源兵衛宅跡に残る。

 以下、Wikipediaから抜粋する。「慶喜は恭順の意を征討大総督府へ伝えるため、高橋精三(泥舟)を使者にしようとしたが、彼は慶喜警護から離れることが出来ない、と述べ義弟である鉄舟を推薦」した。「山岡は西郷を知らなかったこともあり、まず陸軍総裁勝海舟の邸を訪問」し、「勝は山岡とは初対面だったが、山岡の人物を認め」、「西郷隆盛宛の書を授ける」。山岡は、「駿府の大総督府へ急行し」、大胆にも「官軍が警備する中を『朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る』と大音声で堂々と歩行し」、「下参謀西郷隆盛の宿泊する旅館に乗り込み、西郷との面談を求め」、「西郷は山岡の真摯な態度に感じ入り、交渉に応じ」て、「江戸城開城の基本条件について合意を取り付けることに成功した」のであった。

 中でも、西郷隆盛から提示された5条件の内の一つ、「将軍慶喜を備前藩に預けること」に抵抗し、「もし島津侯が(慶喜と)同じ立場であったなら、この条件を受け入れないはず」だと反論し、慶喜の身の安全を保証させた。そのため、後に慶喜は「『(慶喜の救済、徳川家の家名存続、江戸無血開城)官軍に対し第一番に行ったのはそなただ。一番槍は鉄舟である。』と、慶喜自ら『来国俊』の短刀を鉄舟に与えた」そうだし、徳川家達は「明治15年(1882年)に徳川家存続は山岡鉄舟のお陰として、徳川家家宝である『武藤正宗』の名刀を鉄舟に与えた」そうだ。因みに、「勝海舟は名刀を与えられていない」(いずれもWikipediaより)。

 この連休中に、『命もいらず名もいらず』(山本兼一著、集英社)を読んだ。小説とは言え、若かりし頃の山岡鉄舟の剛直な性格とひたむきさがなんとも微笑ましく、羨ましくもある。「最後のサムライ」と言えば、今なら河合継之助だろうし、西南戦役の史実を振返って西郷隆盛と主張する人もいるだろうが、剣、禅、書のいずれをもよくし(母方の先祖に塚原卜伝がいる)、身長六尺二寸(188センチ)、体重二十八貫(105キロ)と、当時としては並外れた巨漢で、北辰一刀流の剣術を学び、一刀流小野宗家第9代・小野業雄から道統を受け、自ら一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖となり、ソロバン勘定は苦手ながら、高潔な人格で知られ、明治天皇の侍従として教育係を仰せつかるなど、明治新政府でも重用された山岡鉄舟もまた、古き良きサムライの精髄を体現し、「最後のサムライ」に相応しいように思う。

 この小説を読んで、当時の世相に思いを致さないわけには行かなかった。一部のサムライとは言え、自己鍛錬の厳しさと憂国の志の真摯さを見せつけられると、当時、帝国主義が荒れ狂った激動の時代を、アジア諸国の中で唯一、日本が乗り切った理由が分からないではない。逆に、今の私たちにそこまでの真摯さがあるかと問われると、なんだか堕落したように思えて恥ずかしくなる。当時の日本は、人の一生に譬えればまだ青年のように若々しく、世間知らずで、何事にもひたむきで、溢れるばかりの鋭敏な感覚を持っていた。翻って現代の私たちはどうだろう。バブル期にはアメリカを脅かすほどの経済的成功をおさめたが、安全保障は他国(アメリカ)に委ねたまま、ちょうど(第一次と第二次の)戦間期のように、一等国の幻想から抜け切らず、慢心して、ウクライナ危機に直面しても、ドイツに啓発されたのだろう自民党は、防衛予算を対GDP比で2%に引き上げることを提案するまでは良かったが、5年もかかるという緊迫感のなさはちょっと絶望的だ。野党に至っては、護憲(とりわけ憲法9条の死守)の前提として、日本の周辺にたむろするゴロツキのような権威主義国に脅威を感じるのではなく、今なお日本自身の暴走こそが脅威と見做し、その歯止めとする発想が横溢しているのは、もはや救いようのない現実感覚のなさと言うべきであり、自ら政権を担う気がないのだと諦めざるを得ない。

 いざとなったら、政治家はアテにならなくても、私たち庶民は団結するのだろうと信じたい(し、中国は今なおそれを恐れているように見える)。そのために、幕末・維新の志士の緊張感を訪ねるのも悪くないはずだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チャップリンとゼレンスキー

2022-05-14 09:11:45 | 時事放談

 チャップリンとウクライナのゼレンスキー大統領は、喜劇役者だったこと、そしていずれも独裁者に挑戦しているところが共通する。
 日本チャップリン協会会長の大野裕之氏が面白いことを言われていた(*)。「今回の戦争は情報戦を組み合わせた“ハイブリッド戦争”で、21世紀の新しい戦争のかたちだという指摘もありますが、僕はそうは思いません。映像メディアを駆使した戦争の原型はヒトラーが作り、プーチンもゼレンスキーも、そのフォーマットで戦っているように見えます」と。確かにハイブリッド戦争自体は多かれ少なかれ伝統的に行われて来ており、とりわけ大衆社会の総力戦となった第一次大戦以降は宣伝戦の要素が強く、さらにネットワーク化社会の現代は情報戦の比重が格段に高まっている。そして、こうも付け加えておられる。かつて戦争を知らない若者たちの中に、「ヒトラーは悪くない」「ヒトラーはカッコいい」といったブームが起きたときに、コメントを求められたチャップリンは、「映像には毒が入っている」と喝破したというエピソードをひきながら、「独裁者ヒトラーという毒を、より強い『笑い』という毒で制したチャップリンは、あらゆる映像に何らかの“意図”が含まれる危険性に自覚的でした」と。
 喜劇役者チャップリンは、「新しいリーダーとして人気を博したヒトラーの危うさに、いち早く気づいて」(同氏)、「笑いものにしなくてはならない」と言って、『独裁者』(1940年)によってヒトラーを揶揄した。その後、大衆に向けたヒトラーの演説回数は激減したそうだ。そして今、喜劇役者出身のゼレンスキー大統領は、独裁者プーチンに対して、伝統的な戦闘だけでなく、SNSという新たなメディアを通した情報戦を挑んでいるという符合は、大野氏が指摘される通りになかなか興味深い。ウクライナ侵略後にプーチン氏のイメージは一変したが、大野氏は「これは正義が悪に勝ったのではなく、イメージがイメージに勝ったということ」だと、鋭く指摘される。
 振返れば、湾岸戦争は、現実の戦争なのに、私たちは無事で、お茶の間で晩飯でも食いながら、まるでテレビゲームを見ているかのような錯覚(現実感覚のなさ)に陥り、「劇場型の戦争」とでも呼ぶべき驚きがあった。今、「プーチンのウクライナ戦争」もまた、現実の戦争なのに、私たちは無事で、お茶の間で晩飯でも食いながら、SNSによってふんだんに提供される映像や、情報機関によって惜しげもなく提供される機密情報を、映像と解説付きの後世の歴史書でも読んでいるかのような錯覚(超現実の感覚)に陥りながら、似たような「劇場型の戦争」に戸惑っている。
 私は天邪鬼でへそ曲がりなので、プーチン氏の非道は言うまでもないが、さりとてゼレンスキー氏の演説を褒めちぎることもせず、プーチン氏の不条理な戦争の何故?背景?を巡って、私なりに本質に迫ろうとしてきた(が、ウロウロするばかりで核心に迫れていなかった)のは、この戦いが「イメージとイメージの戦い」だったからに他ならず、本能的に警戒していたせいだろうと得心した。
 例えば、連休前にキーウを訪問したアメリカのオースチン国防長官が「ロシアがウクライナ侵攻でやってきたようなことを繰り返す力を失うほどに弱体化する」ことを期待するようなことを述べ(CNNより。その後、サキ大統領報道官は、ウクライナがロシアに破壊されるのを阻止するという米政権の目標に沿った発言だと補足(言い訳)した)、ゼレンスキー大統領が国際社会に対して(際限なく)武器供与等を求めるのは、キリスト教的な善悪二元論の立場からすれば正しいが、やや危険なニオイを感じる。窮鼠猫を噛むではないが、プーチン氏を追い詰め過ぎないこともまた配慮すべきだろう。古代ローマのコロッセオでナマ観戦するわけでもない現代の私たちは、飽くまで映像(イメージ)として見る「劇場型の戦争」に潜む「毒」に自覚的であるべきなのだろう。
 プーチン氏の非道はあらためて言うまでもないことなのだが。

(*)前編: https://www.news-postseven.com/archives/20220511_1751767.html?DETAIL
   後編: https://www.news-postseven.com/archives/20220511_1751768.html?DETAIL

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

追悼

2022-05-12 20:08:52 | 日々の生活
 最近、相次いで亡くなられた方に衝撃を受けている。
 一人は、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さん。享年61。これまでも本ブログに書いて来たように、普段は何ら気に留めていないのに、いざ亡くなると無性に恋しくなる方がいる。上島竜兵さんも、バタな演技は決して憎めないのだが、またやってるなあ・・・程度の反応でしかなかった。しかし、これまでの彼のキャラクターと彼の死との間に余りにもギャップがあって、悲しい。
 NEWESポストセブン(*1)は次のように回想する。「大の酒好きで知られる上島さんは、売れない若手芸人を誘って、頻繁に飲み会を開催していた。ブレイク前に面倒を見てもらった有吉弘行(47)や土田晃之(49)は、上島さんを恩人として慕い、“竜兵会”は芸能界の一大グループとなった」「メンバーが多忙になったため、近年は『竜兵会』を開催する回数もめっきり減っていたようですが、今から10年ほど前はほぼ毎日が飲み会でした。1日に4軒まわることも多く、朝帰りが日常だったようです。基本的には上島さんのおごりで、若手の芸人さんを10人以上引き連れてお店で飲むこともあったので、金銭的な負担も少なくなかったはず」と。器用には見えないけれども一所懸命な彼の人柄が偲ばれて微笑ましい。
 上島さん自身も、一昨年、コロナ禍で亡くなった志村けんを師匠と仰ぎ、よく飲んだそうだ。志村さんは生前、「ダチョウ倶楽部との飲み食いで1億(円)は使った」と豪語されていたらしい(東スポ)。同じくNEWESポストセブンは次のように回想する。「上島さんは仕事が終わると、すぐに電話をかけて、麻布十番で飲んでいる志村さんと合流。”おネエちゃん”の話から、お笑いに関する話まで。多い時は週に4回も飲んでいたとか。奥さんからは“志村さんと結婚したらよかったじゃない”と言われることもあったそうです」「志村さんが亡くなってからというもの、上島さんは“寂しい”とよく呟くようになりました。コロナ禍により、昔のように気軽に飲み会を開くことも難しくなりました。仕事などへの不安を口にするようにもなってきて、ひとり飲む夜もあったようです」と。
 ガダルカナル・タカさんが振り返る。「本当にさみしがりなんでね。本当いつも家にいて奥さんと仲良くしてればいいのに、いろんな先輩に連絡して、後輩集めて飲みに行ったり、とにかく人と接していて上島竜兵がここにいるんだよっていうのをみんなに分かってもらわないと不安な人だった。とにかく飲みに行くのが好きでした」。なんだか切ない。
 もう一人、慶応義塾大学教授の中山俊宏さんが、今月1日に亡くなっていたことが分かった。享年55。クモ膜下出血だったそうで、余りにも突然だった。もとより面識はないし、著書を読んだこともない不逞な輩(=私)で、テレビやネットで拝見するだけだったが、現実的なアメリカ政治外交の専門家として注目していた。
 学者には珍しく(と言ってしまえば他の学者の方々に失礼にあたるが)上品(そう)なスーツをさりげなく着こなすダンディーな方で、でもご本人はそう呼ばれることを嫌がっておられた。「ダンディーなどと言われたら、絶対嫌ですね。目立ちたい気持ちはゼロとは言いませんが、見てもらいたいように見える、それは恥ずかしい。そもそもですけど、私にとってファッションは隠れることだったんですよ」「際立つ、のではなく、あえて何も気づかせない、ということが大切なのではないでしょうか。『すれ違った時に振り返られたらだめ。それは何かスタイルで失敗している』という話がありますよね。さりげなさに執拗なまでにこだわること。社会的な地位が高くなればなるほど、過剰な装飾などせずに際立たない。ただ、すっと、スタイルや体形に合ったものを着る、ということが非常に重要になってくる気がします」(Nikkei Style *2)と。ご本人もこのインタビューで言われるように、身の丈に合った、といのは、自らに合わせるのではなく逆に服装に合わせるように努力することでもあり、それはそのまま生き方の美学に繋がっているような気がする。ここで「服装」は自らの「発言」や「主張」「思想」と言い換えてもいい。
 たまたま連休初日(4/29)の夜、実家でFNNプライムニュースでお見かけしたはず・・・と思って確認したら、確かにその通りで、次の日(4/30)にツイートされたのが最後だったようだ(下記)。現実的なご意見に賛同。

(引用はじめ)
 国連事務総長の苛立ち。昨晩は大国間の争いの狭間で何もできないUNSGについて、@primenews_ で冷ややかなコメントをしましたが、自分は国連不要論者ではなく、その限界と実態を踏まえた上で、不可欠な役割を果たせるとの立場です。
(引用おわり)

 お二人のご冥福をお祈りします。

(*1)https://www.news-postseven.com/archives/20220511_1753149.html?DETAIL&_from=widget_ranking_pc
(*2)https://style.nikkei.com/article/DGXZQOLM234LL0T21C21A1000000?channel=ASH03000
   https://style.nikkei.com/article/DGXZQOLM24D9K0U1A121C2000000?channel=ASH03000
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本日の迷演説

2022-05-09 21:34:58 | 時事放談
 今日は二人のリーダーの演説が注目された。
 一つは言わずと知れた対ナチス・ドイツ戦勝記念式典でのプーチン氏のもので、ウクライナ危機について勝利宣言はおろか開戦宣言も出来なかったようで、辛うじて、「ロシアは新たな安全保障の枠組みについて対話を望んだが、欧米は耳を貸さなかった」「(軍事作戦は)唯一の正しい選択だった」と、国内向けに言い訳(自己正当化)するのがやっとだったようだ。最近テレビで引っ張りだこの中村逸郎教授によると、「プーチン大統領は相当早口でした。今までよりも。ですから、逆に言いますと、なぜ戦争宣言をできなかったというところに、プーチン大統領の焦りみたいなものがあると思う」と語っておられて、お説ごもっとも。「もし戦争宣言なら、(西側が)単に兵器を送るだけじゃなくて、兵士も送るんだということが言われていたし、現実味を帯びていたわけです。このメッセージが、かなり今回プーチン大統領が戦争宣言まで踏み込めなかった一つの大きな理由」とまで語っておられたのは、ほんまかいなと、NATOが兵士を送ることについては俄かに信じがたいが、「今回プーチン大統領の演説を見ると、かなり険しい表情であったし、早口になっている。戦果が何も手に入っていないという意味で、私は思った以上に弱気のプーチンという感じを持ちました」と語っておられたあたりは納得する。
 もう一つは、別に事前に注目していたわけではない(そう言えば明日、新・大統領が就任する)韓国・文在寅氏の退任演説で、お騒がせの元慰安婦や元徴用工の問題には言及がなく、成果のなかった北朝鮮問題については、融和政策で「平和と繁栄の希望を育てた」と簡単に触れるのがやっとだったようだ。しかし、「日本の不当な輸出規制による危機を全国民の団結した力で克服したことが決して忘れられない」「(日本の措置が)製造業の競争力強化につながった」と、国内向けに言い訳(自己正当化)したそうで、どうしてこの国では国のトップまでもが真実を語らなくて恥じるところがないのが不思議でならない。あれは輸出管理の運用強化であって、輸出規制ではない。不当でもなんでもなくて、韓国がアヤシイことをしたから国の評価が普通の国並みにダウン・グレードして優遇されなくなったまでで、アヤシイ取引をしない限りは多少手続きに手間と時間がかかっても規制されるわけではない。こうした胡麻化しを正さない韓国メディアのチェック機能の弱さ(イデオロギー的な偏り?)を感じないわけにはいかないし、日本に対して、儒教思想のせいか「(常に韓国の)正義」が先に立って、事実関係などどうでもいいという傍若無人な振舞いには辟易する。
 お二人には共通する問題があるように思う。自画像と現実とのギャップである。プーチン氏は、あるがままの現実(もはや経済規模は韓国並みでしかない)以上の「大国」幻想に囚われて、その(軍事)行動に危うさがある。他方、文在寅氏は、あるがままの現実(もはやGDPも防衛予算も世界トップ10にランクされる)以下の「小国」意識が抜けなくて、国際社会に対する責任の自覚はないし、日本は大国なのだから大目に見るのが当然だろうといった甘えが過ぎる。いずれもロシアと韓国という国家に歴史的に培われた習性なのだろうが、幻想でしかなくて、傍迷惑でしかない。報道や言論の自由が担保されない国では、このあたりの矯正は難しいのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

19世紀的・ロシア

2022-05-07 14:51:41 | 時事放談
 前回ブログで無造作に書き連ねたロシアの行動特性は、小泉悠氏の著書『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版)に依っている。それをこれまで無造作に「19世紀的」と形容して来たのは、その行動特性と言うよりプーチン氏のメンタリティが、19世紀・帝国主義の時代にこそフィットしそうな、遠い歴史的な(不躾に表現するなら、時代錯誤の)感覚としか思えないからだ。20世紀は、第一次大戦後に四つの帝国が崩壊し、第二次大戦後に多くの植民地が解放されて、世界がそれまでのヨーロッパ規模から地球規模にまで広がって、量的なだけではなく質的に大きく変わった革命的な時代で、国際政治学なる学問が生まれ、外交のあり方や戦争観がすっかり変わった。ところが、ロシアでは、共産主義革命が起こってから冷戦崩壊するまでのほぼ20世紀丸々、西側世界から隔絶されたがために、その間に西側世界で進行したポスト・モダンのリベラルな時代精神を、体感として共有出来ていないせいではないかと疑ってきた。プーチン氏本人だけでなく、彼を受け入れるロシア人をも含めて、19世紀的なもの(あるいはそれ以前のもの)がそのまま生き残っている気がするのだ。それがまんざら間違いではないと思えるようなフレーズを見かけた。連休中に読んだ本の中で引用されていた、19世紀後半を代表する鉄血宰相・ビスマルクの言葉である。

(引用はじめ)
「われわれは、ヨーロッパのチェス盤の上で3国のうちの1つになることの重要性を見失ってはならない。それこそは、歴代のあらゆる内閣の不変の目標であったし、とりわけ私の内閣の目標である。誰しも少数者になることは欲しない。政治の要諦はここにある。すなわち、世界が5大国の不安定な均衡によって統御されている以上、3国のうちの1つになることである」
(引用おわり)

 プーチン氏の政治感覚そのものではないかと目を疑った。かねがね、世界で突出した超大国の出現を望まず、多極世界で一極を占めることを願うプーチン氏が仮に今、言ったとしても、違和感がない(細かい数字の異同はあるにしても)。プーチン氏が尊敬するとされるピョートル大帝(初代ロシア皇帝としての在位1721~25年)以来、200年余りにわたってヨーロッパ五大国(=英仏普墺露)の一角として台頭し、革命を経て、アメリカと二大国として番を張った冷戦時代の40年余りを含めて、都合300年にわたる大国・ロシア(旧ソ連を含む)の矜持であり、多分にメランコリックな19世紀的メンタリティーなのだろう。コロナ禍で孤立し歴史書に耽溺することで増幅されたプーチン氏の妄想と言ってもよいのだろうが、「帝国」ロシアの成れの果てをまがりなりにも20年余りにわたって率いて来たプーチン氏にとっては、切実な問題なのかもしれない(でなければ、こんな蛮行には及ばないだろう)。
 名越健郎氏によれば、プーチン氏が大統領に就任した翌2001年に国民テレビ対話で、今どんな本を読んでいるかと聞かれて、「エカテリーナ女帝の統治に関する歴史書」だと答えたことがあったと、前々回のブログに書いた。プーチン氏のウクライナ侵攻は、エカテリーナ女帝(在位1762~96年)の行動・・・かつてオスマン帝国との二度にわたる露土戦争(1768~74年、1787~91年)に勝利してクリミア半島を含むウクライナの大部分を併合し、三次にわたるポーランド分割(1772、93、95年)を主導してポーランド・リトアニアを地図上から消滅させた・・・をなぞっているとの見方がある。
 また、袴田茂樹氏は、プーチン氏が以前からアレクサンドル三世(在位1881~94年)を讃えており、5年前にクリミア半島に同皇帝の記念像を建立したことを指摘されている。同皇帝が皇太子時代に従軍した露土戦争で獲得した領土がビスマルクによって放棄させられ、「消耗したロシア軍の再編、海軍の強化を図ることが将来の不測の事態を防ぐために必要であると感じ、軍制改革の必要性を認識した」(Wikipediaより)ところに、プーチン氏が置かれた境遇を重ねているのかも知れない。因みにアレクサンドル三世は「我々は敵国や我々を憎んでいる国に包囲されている。我々ロシア人には友人はいないし、友人も同盟国も必要ない。最良の同盟国でも裏切るからだ。ロシアが信頼できる同盟者はロシアの陸軍と海軍のみである。」と言ったことでも知られ、袴田氏によれば、ラブロフ外相も6年前に似たような発言をしたそうだ。「イワン雷帝の時代以来、世界の誰も強いロシアを望んでいない。歴史上、ほんの例外を除いて、わが国のパートナーが我々に対して正直だったことはない。次のことを理解しておく必要がある。すなわち、我々にとって主たる同盟者は、陸軍、海軍さらに現代では航空・宇宙軍である」と。
 「歴史は同じようには繰り返さないが、韻を踏む(The past does not repeat itself, but it rhymes.)」とはマーク・トウェインの箴言だが、英雄熱に浮かれた指導者が意図して韻を踏むように仕掛けることも多いのではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大陸国家・ロシア

2022-05-05 12:08:27 | 時事放談
 「宣言」のないゴールデンウィークは三年振りとのことで、街は賑わっているようだ。Facebookを見ていると、明らかに遠出する知人の投稿が増えているように感じる。連休明けにはまた感染者数が多少は増えそうだが、世の中が平常に戻ることへの安心感には代えられない。しかし、地球の裏側・ウクライナでは、5月9日が近づいて、予断を許さない一進一退の状況が続いている。勝利宣言は諦めて(特別軍事作戦から格上げして)宣戦布告する(それによってあらためて総動員をかける)のではないかと警戒する声もあがっている。他方で、ロシア外務省は、日本政府が発動した対ロシア制裁への報復措置として、岸田文雄首相をはじめとする日本人63人のロシア入国禁止を発表した。多くは政治家だが、少数ながら袴田茂樹氏や神谷万丈氏や櫻田淳氏や鈴木一人氏といった、私が注目する学者が含まれており、誠に名誉なことだ。何しろロシアに日和った言論ではないことを証明してくれたようなものだから・・・。
 前回は、プーチン氏を駆り立てる情念について、勝手ながら「歴史に対する報復」だろうと推し量った。まさか彼が戦争(彼の言い方では特別軍事作戦)に打って出るとは思いもよらなかったので、彼の狙いは彼の頭の中を覗いてみないと分からないと言われたものだが、その言動をもとに専門家の話を総合すると、事前に主張していたようにNATOの東方拡大を止めること、それは決して被害妄想でも何でもなく、そのためにウクライナを中立化すること(例えばフィンランドのように)、ゼレンスキー氏を追い出してロシア寄りの傀儡政権をうち立て、防御壁の如くとすること、ということになりそうだ。伝統的に焦土作戦が得意なロシアが、当初、キーウ(キエフ)攻略に失敗したのは、緩衝地帯として温存するべく手加減したせいかも知れない。
 思えば、明治以来の日本は、南下するロシアの脅威を感じて、事大主義に陥りがちな朝鮮王朝を緩衝地帯とするべく、自主独立を促したが、どうにも頼りにならないので、結局、日清・日露の二度の戦争を経て、日本自ら半島経営に乗り出さざるを得なくなった。国境を接して臨戦態勢にある緊張状態よりも、多少なりとも距離を置く方が安心を得られるし、態勢を整えるまでの時間を稼ぐことが出来る(現代風に言えば、ミサイルが飛んで来るまでの時間を多少なりとも稼ぐことが出来る)。ロシアや中国のように統治そのものに脆弱性を抱えた国にとっては、イデオロギー(あるいはディス・インフォーメーションなど)の流入(その影響力)を多少なりとも堰き止めることが出来る。象徴的とも言えるのが、チョルノービリ(チェルノブイリ)原子力発電所の事故で最も被害を受けたのがロシアではなくベラルーシだったことだろう。国境を接する、近接するというのは、リスクなのだ。
 最近出版された『13歳からの地政学:カイゾクとの地球儀航海』(田中孝幸著、東洋経済新報社)のためのプロモーション記事(*)によると、ロシアも中国も大きな国なのに、なぜ領土にこだわるのか?という核心的な問いに言及し、「カイゾク」に、「いくら領土を広げても安心できなくなる心理」を語らせている。自分の領土を守るために、周りの国を攻め取って自分のものにする、その新たに取った部分は外に面して安全ではないから、さらに周りの土地を取っていこうと考えるようになる、あるいは自分のものにできなかったとしても、自分の言いなりになる子分にしようと思うようになる、と。本を読んでいないので何とも言えないが、誰しも能力を超えることは出来ないので、無限のループに入ることはなく、結果、緩衝地帯を設定したり、同盟戦略を検討したりするようになる。それが大陸国家の習性なのだろう。
 此度のロシアのように、19世紀的な帝国主義者としての行動を示すまで、覇権を論じる地政学が言うところの「大陸国家」なるものの性格について、正直なところ感覚的に理解出来ないでいた。島国・日本であればこそ、なのだが、根本的にその限りでのDNAが欠落しているのだろう。ところが、ロシアを見ていて、ポスト・モダンのリベラルな装いを剥ぎ取った「大陸国家」の姿はそんなものだろうと理解せざるを得ないと、今のところは感じている。
 中国の中華思想あるいは華夷秩序観も、中心(中華)を離れるほど野蛮で、中心により近い韓国ほど(遠い日本よりも)文明的だと、道徳的な自己満足として捉えられるのは、時代を経て風化した考え方に過ぎず、本来は中心(自国)に近い近隣を手なずけ、その周辺を警戒する安全保障観を表現したものだったのではないかと想像させ、ロシアの勢力圏の考え方に近いものを感じさせる。かつて矢野仁一京都帝大教授は、『近代支那論』(昭和2年)の中で、中国には国境の観念がないようなことを述べたらしく、南・東シナ海での海洋進出や、最近、話題になった「国恥地図」を見ていると、島国のように固定的な地理環境と違って、自らの支配の及ぶ範囲が変幻自在に自らの領域と見做す性癖は、中国に限らず大陸国家らしい発想なのかも知れないと思ったりもする。また、自らの運命を自ら決することが出来ないような中小国(例えば同盟に安全保障を委ねる日本やドイツなどですら)は相手にしないとか、中小国は所詮は大国に従うべきだ、などといった横柄な大国主義の意識は、ロシアにも中国にも共通する。ロシアが序盤のハイブリッド戦争、特にサイバー戦争で奏功しなかったのは、ウクライナがクリミア併合を契機に目覚めたからだし、アメリカなどの支援のお陰だろうが、結果として一点豪華主義のように大量破壊兵器(核や生物・化学兵器とその運搬手段としてのミサイル)に頼るロシア軍の通常戦力(及びその他のハイブリッド戦力)のお粗末さを見ていると、図体が大きい北朝鮮のような存在でしかないのではないか、との思いを強くする。今回のロシアの行動から、北朝鮮が核への信奉を益々強める悪影響を心配する声があるが、そもそもロシアにしても北朝鮮にしても、経済力の現実を虚心坦懐に眺めれば、本来の能力を超えた軍事力に依存し(より正確に言うと、「貧者の兵器」としての核や生物・化学兵器に頼り)、破滅への道を歩む同類にしか見えない。これも過敏・過剰な国境意識をもつ大陸国家の宿命なのだろうか。

(*)https://toyokeizai.net/articles/-/584807
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする