風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

巨人・ソフトバンク戦の呪縛

2021-05-31 08:06:51 | スポーツ・芸能好き
 我らが巨人は、昨日のソフトバンクとの交流戦で久しぶりに勝利した。2019年6月22日の交流戦を最後に、日本シリーズ2年連続4連敗やオープン戦を含めて通算14連敗中だった。巨人ファンではなければどうでもいい話だが、実に708日ぶりの白星だった。張本さんは「とにかく見下ろされている感じ。ゲーム前からソフトバンクは『対巨人だ、あぁ勝った』という雰囲気」と指摘されていた。巨人ファンも、言い知れぬ屈辱に、めろめろに打ちのめされて来た(笑)。
 この試合で投手7人の執念リレーを見せた原辰徳監督は、「まあまあしっかり守ったね、みんなね」と語ったが、私は4番・岡本に注目したい。
 2-2の同点で迎えた5回1死、「岡本が和田の直球を完璧に捉えた打球は中堅フェンスのギリギリで跳ね返ってきた」(日刊スポーツ)。審判団はリプレー検証の末に、本塁打と認定。リーグ・トップ・タイとなる14号本塁打で、逆転した。
 振返れば、今年3月の、敵地でのオープン戦で、岡本は打撃練習後に、「この球場にくると、なんか体が重たく感じるんですよ…」と漏らしていたらしい。実際、14連敗中の15試合で、打率2割3分6厘、3本塁打、7打点にとどまり、「巨人の4番を張る男として、重い空気を1日でも早く振り払う必要性と責任を、肌で痛感してきた」(日刊スポーツ)のだった。
 そんな岡本について、ラミレス氏の分析が面白い(Sportiva、2021.05.25)。
「僕がDeNAの監督だった頃から、岡本のポテンシャルやパワーはすばらしいと思っていました。これは去年のことですけど、2020年の途中から打席での立ち位置がピッチャー寄りになっていました。でも、それ以前はギリギリまでキャッチャー寄りに立っていました。その理由はわかりません。ただ、ピッチャー寄りに立つことによって、アウトコースに逃げる変化球を、完全に曲がり切る前にさばける利点があるんです」
「昨年と同じことをせず、今年は違う意識を持っていたのかもしれません。若いうちはいろいろなことを試したくなるもの。ひょっとしたら、パ・リーグと対戦する交流戦対策、いや、昨年も一昨年も日本シリーズでソフトバンクに徹底的にやられた悔しさから、"インコースをしっかりと打ちたい"という思いが過剰にあったのかもしれません」
 今シーズン序盤の不振は、そんな岡本の悪戦苦闘の結果で、昨日の本塁打は、ソフトバンク対策をある程度克服したものと言えるのかも知れない。ラミレス氏は最後にこう付け加えている。
「彼に関してはまったく心配はない。シーズンが終わって気づいてみれば、いつものようにいい数字を並べてシーズンを終えていますよ。30本塁打以上、90〜100打点は確実ですから。今年だけじゃなく、今後も数年は、それぐらいの成績を残せますよ」
 ただの惰性で巨人ファンを続ける私ではあるが、やはり岡本に期待したい。

「岡本和真の昨年と今年の違いをラミレスが指摘。何ができていないのか?」(Sportiva、2021.05.25)
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2021/05/25/post_109/
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大谷翔平は違う生き物(a different animal)

2021-05-30 16:50:48 | スポーツ・芸能好き
 この週末に最も気に入った記事は、スポーツ報知。
 ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手の躍動が止まらない。「投手で4番」は高校野球での話であって、まさかプロの世界で「リアル二刀流」が通用するとは、張本勲さんでなくても想像し辛かったし、それが野球の本場で・・・いや、「野球」と「ベースボール」は違うと主張する人もいるので、「ベースボール」のアメリカで、体力で劣るはずの日本人が「リアル二刀流」で活躍できることには驚きを禁じ得ない。さらに投手を降板してそのまま外野の守備につく「リアル三刀流」となると、もはや信じられない。さすがに疲れが出たのか、このところ球威の衰えが心配されたが、昨日の登板では今季初黒星がついたが、最後の一球も158キロを記録して、見事に復調した。
 そして昨日の今日で、「2番・指名打者」でスタメン出場し、4打数2安打2打点で1盗塁を記録した。
 AP電によると、エンゼルスのマドン監督は「昨日、何球なげた? 100球近く? それをあの球速で投げ、スプリットも投げた翌日も彼は気分がいいと言うんだから驚異的、だよ(苦笑)。きみたちも彼の打席や盗塁を見ただろうが、我々とは異なる生き物だね。見ていて楽しいよ」(“To pitch whatever he did, how many pitches he threw yesterday, almost 100, and with the velocity he has and the split that he had. To say that he felt really good today is kind of phenomenal. You see the way he swung the bat, you see the stolen base, just a different animal, man, it’s fun to work with him.”)と呆れかえったそうだ。イチローなきあと、イチロー並みの話題性があって、しかもアメリカ人をも圧倒するようなパワーを備えて、日本人には痛快で(とは余りに卑下し過ぎか)、また日々、MLBを追いかけるようになった。
 これだけの偉業(異形!?)をいつまでも続けられるとはとても思えないが、いつまで続くのか、しばらくは楽しみたい。

 「大谷翔平、初黒星明けで2安打2打点1盗塁 マドン監督『彼は我々と違う生き物』とあきれ顔」(スポーツ報知、2021年5月30日 10時40分)
 https://hochi.news/articles/20210530-OHT1T51041.html

  “Ohtani hits 2-run single as Cobb, Angels blank A’s 4-0” (AP, May 29, 2021)
 https://apnews.com/article/oakland-athletics-los-angeles-angels-baseball-mlb-sports-e33a5b9cef0661745e2ef07884c69983

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不機嫌な時代

2021-05-27 00:12:49 | 日々の生活
 このコロナ禍を他人事のようにちょっと離れて眺めてみると、いろいろな感慨が湧く。
 これは戦争に準じる一種の有事(危機管理)であることは広く認識されるところだが、実のところ、こうした有事への対応はそう簡単ではなさそうで、過去の戦争にしても、人はいろいろ想定外のことに躓きながら、なんとか遂行して来たのであろうことが想像される。そして、一時的に成功したとしても、それで足元を掬われかねないのは、ビジネスでもよく経験されるところであるし、今回のコロナ禍でも、封じ込めに概ね成功している国がワクチン接種に出遅れていることからも、よく分かる。逆に、封じ込めにお世辞にも成功したとは言えない英・米が、ワクチン接種では戦略的に対応して逆転勝利したかのように今のところは見えるものだから、日本のようにまがりなりにも堪えて来た国は、その後のワクチン接種が進まない体たらくには、余計、苛立つ(笑)。クラウゼヴィッツが論じたように、戦場には霧(作戦・戦闘における指揮官から見た不確定要素)があり、摩擦(計画・命令を実際に実行する上で直面する障害)があって、今は平和な時代だから、理念として完璧に遂行されることを前提に、私たちはつい不平・不満をぶちまけるが、実際には想定通りにスムーズに進捗することの方が珍しいのだろう。このあたりは、 私たちはもう少し冷静になってもよい。
 他方、この新型コロナ禍は変化を加速していると言われる。最近、とみに目立つ中国の台頭にしても、DXにしても、コロナ禍以前から既に変化の兆しがあったというわけだ。有事は事態を極端に推し進めるものかも知れない。その伝で行けば、先に触れた通り有事ではただでさえ上手くいくものではないだけに、有事にあっては平時のまともな精神状態を維持するのは難しい。このコロナ禍で人々の不機嫌は間違いなく倍化している(笑)。大東亜戦争では軍部が独走したと、GHQ史観は教えるが、当時の世相、すなわち激昂する国民感情を無視して論じるのはフェアではなくて、世論をバックに世論に阿るマスコミも政治を動かした。今回のコロナ禍で言えば、もともと体制に不満をもつ人は、益々、体制批判的になり、信頼を寄せて来なかった人は、益々、不信感を増す。実例は、一つや二つではない。
 宝島社が二週間ほど前に朝日・読売・日経に出した広告はその類いだろう。長刀を突き立てる女の子の写真のド真ん中にコロナ・ウィルス(模型)を配して、「ワクチンもない。クスリもない。タケヤリで戦えというのか。このままじゃ、政治に殺される。」と語る、見開きの全面広告である。ちょっと過激だ(笑)。戦争でリーダーシップは重要で、ビジネスで盛んに論じられるリーダーシップ論も戦略論も軍事に由来する。コロナ禍のような有事では政治のリーダーシップが重要だが、先ほど述べたように、実戦では必ずしも上手く行くわけではない(前回のSARSの教訓が活かされていないのは、別の問題)。それだけに、この見開き広告の気持ちはよく分かるが、やや被害妄想に過ぎるのではないだろうか。
 また、自衛隊が巻き込まれた大規模接種センターの予約システムで不備が発覚し、朝日系と毎日の記者が架空の番号で予約できることを確認した上で報道したことを巡るいざこざも、その類いの一つと言えるかも知れない。本来、メディアは体制批判的であって然るべきだが、この報道はどうも後味が悪い。留飲を下げた方々が多いかもしれないが、健全な批判以上のある種の歪みを感じて気分が良くない。この有事にあって完璧なシステムを求めるのは土台、無理な話で、しかも朝日は天下の公器を自任するのであれば、そして有事だからこそ、報道の前にやるべきことがあったはずだが、それを抜きに報道の大義を主張するとは、些か片腹痛い。結果として、体制批判が昂じた揚げ足取りに堕してしまった印象だけが残ってしまう。
 政府の参与だった高橋洋一さんの辞任に至る盛り上がりも、過剰反応だったように思う。9日に自身のツイッターに「日本はこの程度の「さざ波」。これで五輪中止とかいうと笑笑」と投稿して物議を醸し、21日に「日本の緊急事態宣言といっても、欧米から見れば、戒厳令でもなく『屁みたいな』ものでないのかな」と投稿して、収まりがつかなくなった。このコロナ禍で身近な人を亡くした人もいるし、営業自粛で困窮している人もいるというのに・・・という感情的な反応はよく分かるが、高橋洋一さんが意図していたのはそこではない。百田尚樹さんが、「あんな発言で辞めさせるって、今の内閣は屁みたいなもんやで!」と投稿されたのは正論で、座布団一枚さしあげたい。が、このご時世でKYと疑われかねない状況だし、本来、東京オリパラ開催の是非を問うときに問題となるのは、感染レベルや死亡レベルそのものではなく、医療逼迫の度合いであろう。三浦瑠麗さんが、「高橋さんはマクロ経済の人。ミクロのアクターがどんなに苦しんでも、2年間で飲食店がほぼ全部つぶれても、雨後のタケノコのようにまた出てくるだろうと見ているんじゃないかな。少し共感が足りないのは、そこの問題ですよね」と解説されたのは、まあその通りだろうし、「数学脳」(高橋洋一さんは東大理学部数学科卒)と揶揄されたのも、分からなくはない。やや軽率だったと思う。が、そこまで騒ぐ問題かという気もする。
 不機嫌な時代である。
 それだけに、日経ビジネスに「東京都・小金井市のワクチン接種現場に聞く」特集として、「ワクチン接種、全力で攻めてこそ医者も市民も救われる」、「町のお医者さんフル稼働、ワクチン接種『小金井メソッド』」と連日、報じられたのは、一服の清涼剤だった。本ブログでも「コロナ敗戦」と書きたてたが、国家レベルではなく、現場レベルでは、まだまだその力を信じられることを再認識させられた次第だ。
 そういう意味で、今回のコロナ禍では、結局、頼りになるのは(WHOなどの)国際組織や(EUのような)地域組織ではなく、国家であること、更に実際の感染の抑え込みなどのオペレーションは、国家レベルではなく地方が主体であることを痛感させられている。国家と地方の間の責任と権限のあり方は、長年、日本の課題だったが、現場力の強い日本だけに、いい加減、見直されるべきだと思う。
 なお、添付グラフは毎度のものだが、過去2回の緊急事態宣言と比べると、三回目の今回は、明らかに感染者数と重症者数の推移が違う動きをしている。
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追悼:田村正和さん

2021-05-22 23:16:30 | スポーツ・芸能好き
 俳優の田村正和さんが4月3日に亡くなられていたことが判明した。享年77。私は別にファンではないし、むしろ余り接した記憶がないから殆ど気にかけていなかったが、いざ亡くなったと知ると無償に恋しくなる、そんな存在感のある役者さんだった。
 彼が出演するドラマをまともに見たのは、マレーシア・ペナン島に滞在していた頃のことだから、もう10数年も前のことになる。日本恋しさの余り、midlanmdという場末のいかがわしいショッピング・モールで、違法コピーのDVDについ手を出したからだった。『古畑任三郎』のドラマで、イチローが出演していた。クセのある語り口だが、嫌味はない。むしろ、その世界観に嵌ってしまうほど、ちょっと妙だけれども完成度が高くて、印象に残った。
 この『古畑任三郎』は、倒叙型と呼ばれる推理ドラマ形式で、視聴者の私たちには、有名俳優やイチローのような有名人が演じる犯人が最初から分っていて、それを田村正和さんがちょっと偏執的なほどにコミカルに時にシリアスに演じる一見冴えない刑事が、のらりくらりと、しかし執拗に着実に犯人を追い詰めて行く、そのプロセスが見どころになる。かつて人気を博したピーター・フォーク主演『刑事コロンボ』の日本版とも言えるものだが、二番煎じと思わせないほど個性的で魅せてくれた。
 日経は追悼記事で、「手を伸ばしても届かない神秘的なオーラをまとい続けたスターだった。足を組み、ほおに手を添え、悩んでいるように小首をかしげて記者の質問に答える。そんなダンディーな姿は舞台裏でも変わらず、あるテレビプロデューサーは『控室でも画面で見る田村正和さんのままで驚いた』と話していた」と書いた。
 伊東四朗さんは、「田村さんって人は本当に、昔風の映画スターだよね。プライベートは全くわからない」と語ったらしい。
 黒沢年雄さんはブログで、「全てにおいて…スターを演じ切った美しい俳優だった…。歩く姿…所作…話し方! 何事にも慌てず騒がず…常にマイペース…常に物静かな佇まい…キザが嫌味なく身に付いた稀な方だった…芝居で長い立ち回りの後…僕を介護する場面も…荒い息ひとつ見せない!」 「ある時…新幹線でご一緒した…3時間同じポーズには驚いた!ある意味…スターを演じ切った稀に見るスターだった!」と書かれtらしい。
 まさにキザであることに嫌味がない稀有なお人柄が偲ばれる。24時間365日77年間、「田村正和」を演じきったのだろう。最近は見かけることがない、ちょっと変だが(笑)、プロフェッショナルで、ストイックな姿勢に惹かれていたのだろうと、今にして思う。時代が違えば銀幕の大スターだったのだろうが、茶の間のドラマで、深みのある演技を堪能させてくれた。心よりご冥福をお祈りし、合唱。
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中国の人口動態

2021-05-18 00:38:50 | 時事放談
 一週間ほど前、中国・国家統計局が、2020年に行った国勢調査の結果、中国の人口が14億1178万人だったと発表した。前年の14億5万人から1173万人の増加である。増加にはなったものの、前回調査の2010年からの年平均増加率は0.53%と、その前の10年の0.57%と比べて鈍化し、1953年以来の低水準にとどまったということだ。中でも、65歳以上の人口比率は高齢化率と呼ばれ、中国は今年にも「高齢社会」(高齢化率14%超)になる可能性があり、「高齢化社会」(同7%超)から「高齢社会」になるまでの期間は21年間で、欧米の40~50年間、日本の25年間より短いことになるらしい。また昨年の新生児は1200万人で、前年の1465万人から2割弱の落ち込みとなった。コロナ禍を克服したとされる中国ではあるが、1949年の建国以来、最大の落ち込み幅だそうだ。一人っ子政策は2016年に廃止され、全ての夫婦が子供2人まで持つことが認められたにもかかわらず、出生数は増えていない。
 もっとも、中国が公式発表する統計数値を信用する人はいない。青山瑠妙・早稲田大学教授によると、実際の総人口は調査結果より1億ないし2億人少ないとする見方もあるそうだ(逆に、一人っ子政策のせいで、届出されていない人が1億や2億の単位で存在すると聞いたことがある)。香港紙・明報(電子版)などは、統計局がこれまでに公表した2006~20年の出生数の総計が約2億3900万人にしかならず、国勢調査が示した14歳以下の人口と比べて1400万人余りの差が生じて辻褄が合わないと、水増し疑惑を報じた。他方、米ブルームバーグ紙は大人の対応で、「中国の総人口は伸びが鈍化した」 「高齢化とともに都市化も進み、世界2位の経済大国で人口動態が変わりつつある」 と抑制的に報じた。
 もともと4月初旬に公表される予定だったのに、その後に一段の時間が必要になったと説明されたものだから、英フィナンシャル・タイムズ紙などは関係筋の話として、中国の人口が数十年ぶりのマイナスになると報道するなど、期待は否が応にも高まったのだった(笑)。そのため、統計局は4月末に、人口は昨年増えたが、国勢調査で詳細を明らかにすると、簡単な声明を発表して釘を刺した。しかし、環球時報(英語版)は4月末に、中国の人口が2022年にもピークに達し、減少に転じるという専門家の分析を報じた。政府系シンクタンクの中国社会科学院は2019年1月に「早くて2027年」と試算していたので、5年ほど前倒しになる可能性が出て来た。
 米ニューヨーク・タイムズ紙は「これは世界第2位の経済大国の成長を妨げる可能性がある」と指摘し、「中国は先進国並みの高齢化の難題に直面しているのに、平均所得は米国などと比べると遥かに低い」として、「中国は豊かになることなく老いている(未富先老)」と結論づける。まあ、他人の不幸は蜜の味・・・なのは分かるが、英フィナンシャル・タイムズ紙は、「人口が高齢化しても中国の台頭は止まらない」と題する記事で、「ナポレオンの欧州征服に先んじて、フランスでは18世紀に人口が急増した。20世紀に入る頃には、フランスの人口はドイツや英国に抜かれ、フランスのエリート層にとって正当な不安の源泉になった」といった歴史的事実に触れながら、「規模が縮小し、高齢化する人口は、21世紀には同じ暗澹たる意味合いを持たないかもしれない」と、冷静な見方を示す。その理由は、「未来の大国間の紛争が大規模な陸上戦で決まる公算は小さい」 「ロボット工学や人工知能(AI)といった分野で最先端の能力を持つ。14億人の人口――今世紀半ばまでは緩やかにしか減少しない――を抱える中国は、マンパワーも不足しない」からだという。本当の課題となるのは、「中国の人口の規模ではなく、その構造だ。2040年までに、中国国民の30%前後が60歳以上になる。少なくなる生産年齢人口がより多くの高齢者を支えなければならず、経済成長が鈍る」と指摘する。これだけの人口を抱えるから、「中国経済は全体的な規模で簡単に米国を追い抜く」だろうが、「中国は永遠に、米国の人口1人当たりの富のレベルに到達しないかもしれない」と予想する。社会保障制度や医療体制で問題を抱える中国には重い課題だ。
 いずれにしても、自由であることより安定した社会であることを選び、小康社会で年々豊かになることを実感させるという、これまで中国共産党の統治の正当性を担保してきた条件が揺るぎかねない、由々しき事態である。2015年に、中所得国の罠に陥るのを避けるためであろう中国は、産業の高度化のため重要技術の国産化を目指す「中国製造2025」を立ち上げた。「魚を与えれば一日の飢えをしのげるが、魚の釣り方を教えれば一生の食を満たせる」という中国古典の教えがあるが(田中角栄元首相の演説より)、時間をかけて技術を育てる悠長なことが苦手な中国人は欲しい技術を、あるいは会社ごと、カネで買い、買えない技術はなりふり構わず窃取して来た。グレアム・アリソン教授も、『米中戦争前夜』の中で、「ある中国人の同僚によると、アメリカではR&Dと呼ばれるものが、中国ではRD&T(TはTheftの意)と理解されている」と言われていた。傍迷惑な隣人であることは、これからも変わりそうにないのだろうか。
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コロナ敗戦

2021-05-08 21:32:19 | 日々の生活
 緊急事態宣言が月末まで延長された。昨年のことを思えば、そして最近の大阪や愛知・福岡の窮状を見れば、十分に予想されたことなので驚きはない。私事になるが、昨日、実に三ヶ月振りに出社(@港区)した。毎年恒例の生活習慣病検診(@渋谷)があったためだが、宣言下でも人流は変わらないように思った。近所の公園で遊びまくっている子供たちや見守る親御さんたちを見ていても、コロナ疲れは否めない。それなのに、スガさんの木で鼻を括ったような国民向けメッセージは、なんとかならないものか。
 まあ本来は、こうしてコロナ慣れして行くのが自然な流れであって、歓迎すべきところのはずだ。問題は日本の医療体制であろう。今さらファクターXもないのだが、かつての欧米と比べて一桁以上も少ない感染状況の日本で、一人当たり病床数は世界一だと豪語していたのに、まさか医療崩壊の危機に瀕してしまうとは、誰が予想しただろう。一年前と比較すれば進歩したとは言え、民間医療が8割の日本では公衆衛生としての感染症対応がなお脆弱で、平時は「医は仁術」でやっていけることは大いに誇ってよいが、有事に所詮は「医は算術」だと言われればそれまでで、その弱点が晒されてしまったのは痛恨の極みであろう。この一年の間、政治や医師会は何をやっていたのだろう。
 池江璃花子さんのSNS上で辞退を求める投稿が相次いでいるらしい。可哀想に、お門違いもいいところだ。
 客観的に見て、欧米ではなく日本でオリパラ開催されることになっていたのは幸運だったと思う(半年前までは)。開催に向けて心配されるのは、医療従事者がオリパラ対応で駆り出されて、医療逼迫しかねないことだろう。それなら、各国にリスク負担して貰えばよいと思うし、そもそもスポーツ・イベントなどは日本以外にも世界中で開催されていて、オリパラだって分散開催すればそれほど問題はないはずだ。要はやりようなのだが、そのあたりの検討状況がよく見えない。
 いずれにしても、医療体制に問題があるとすれば、ワクチン接種によって集団免疫するまでの我慢である。諸外国に比しコロナ関連の死亡者数が極端に少なく成功例としてもよいほどで(例えば超過死亡を見れば、一目瞭然)、しかもワクチンを警戒する日本で、ワクチン接種が遅れているのは、ある程度は仕方ないことだと思う。むしろ、コロナ禍で打ちのめされた米・英が、一発逆転、ワクチン接種に賭けた事情はよく分かるし、実際に戦略的に進めて見事に克服しつつある危機対応能力はさすがだと言わざるを得ない。そこでワクチンの有効性が確認され、ワクチンの初期分捕り合いが緩和されて、ワクチン開発できなかった日本でもワクチン接種がやおら進むのは、まあ順当なところだと諦めるほかない。問題は、先の大戦でも指摘された、日本のロジスティクスの脆弱さだ。医療従事者?高齢者?その後?の先が見えない。貧すれば鈍するとは言うが、ここまで落ちぶれるとは思ってもいなかった。
 ことほど左様に最近は、先の大戦と、バブル崩壊後の回復の遅れと、このコロナ禍と、三度の敗戦に打ちひしがれている(苦笑)。正直なところ、この日本のポンコツ振りに対して、私たち大人は、戦後76年の歩みを本気で反省しなければならないだろう。これは間違いなく有事の危機対応能力が試されている事案であり、言わば安全保障意識が問われていると言ってもよい。最近、台湾海峡の有事を心配する向きがあり、台湾海峡危機は即、日本の南西諸島の有事でもあると思うが、では日本にその備えがあるのかと問われれば、とてもそうは思えない、絶望的な気持ちに陥っている。
 いや、国民一人ひとりの節度と規律を疑うものではない。問題は日本国として、国家として、力を結集できているのかどうか、というところだ。例えば、このコロナ禍で、かつてのメルケル首相のドイツのように、政府は国民を思い、国民は国家を思い、この有事にお互いに信頼感をもって一丸となって対処できているのかどうか。また、政府が代表したとは言えオリパラ開催を引き受け、私たち国民はどこまで盛り立てているのか、足を引っ張っているのではないのか。国民一人ひとりの国家意識・・・などと言えばケチをつけるリベラル派の方々がおられるから、これは「個人」の問題ではなく「公共」の問題だと問いたい。果たして日本人にその覚悟はあるか。
 そう言えば、アメリカの建国の父たち(founding fathers)は、民主主義に不信感を持ち、共和主義を唱えたものだった。問われているのは、まさに「公共」の問題意識であろう。
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