風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ロンドン五輪・開幕

2012-07-31 23:21:47 | スポーツ・芸能好き
 オリンピックが開幕しました。8時間の時差があるので、見どころは深夜を過ぎた頃にやって来て、悩ましい日々が続きます。今回は、男女平等という、些か大時代なもののいいに関して、象徴的な大会と言えそうで、一つには参加国・地域に関して、これまで男子選手のみの参加だったサウジアラビア、カタール、ブルネイの三ヶ国が、今回、初めて女子選手を派遣し、史上初めて全参加国・地域から女性選手が参加することになったそうですし、もう一つには競技に関しても、前回大会から野球とソフトボールが外れた代わりに、女子ボクシングが新種目に加わって、初めて全競技で男女種目が行われることになったそうです。
 さて、遅ればせながら、土曜日の開会式の印象を述べたいと思います。
 四年に一度とは言え、さすがに朝5時に起きてLiveで見ようと思うほどの元気はありませんでしたので、午前中の再放送を見るとはなしに見ておりました。先ず、見ていてあらためて感心したのは、世界にはいろいろな民族がいる、独自性が生きているということでした。多彩な国や地域から、伝統的な民族衣装に身を包んで誇らしく行進するチームが、実に多い。素晴らしいことです。それに引き換え、我が日本は、日の丸の赤が鮮やかでしたが、スーツ姿はやや個性に乏しいと言わざるを得ません。全員がとは言いません、せめて旗手は、着物でとは言いません、羽織袴も合わないかも知れません、しかしもう少し日本らしさがあってもいいのではないかと思いました。政治的に微妙なところでは、香港は中国とは独立したチームとして入場していて、一国二制度はなお健在です。イギリスはGreat Britainの名前で出場しました。通称イギリスは、ご存じの通りイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つの国(イギリスのカントリー)から成り、Wikipediaによると正式名称はUnited Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)であり、Great Britainで止めてしまうと、その本来の意に含まれない北アイルランドのユニオニストから批判されることがあるそうで、それでも連合王国政府は連合王国全体を指す語としてなおGreat Britainを使うことがあるのだそうです。Independent Olynpic Atheletesという、国籍のない三人のグループが行進していました。一人は独立して間もない南スーダン出身で、国内のオリンピック委員会が承認されていないためだそうです。一人だけのチームもあれば、アメリカのように進駐軍よろしく大挙して押し掛けているチームもあります。
 式典では、英国を代表する映画監督ダニー・ボイル氏が芸術監督を務め、「驚きの島」をテーマに、中世から産業革命を経て現代に至る歴史絵巻が繰り広げられた(産経新聞)そうですが、産業革命とそれに続く植民地経営と資本主義の勃興を、私たちはつい支配・被支配の関係、もっと言うと強者(資本家または帝国)による弱者(労働者または植民地)に対する一方的な搾取と捉えがちですが、イギリスが、歴史に対するその貢献を自慢するのは、あながち偏った見方ではないのかも知れない・・・と思いました。悪名高きグローバリゼーションによって、204もの国や地域が一堂に会して、まがりなりにも同じ土俵で金メダルを競うことが出来るようになったのです。先進国と発展途上国の相互作用によって、先進国が潤うのは当然のことですが、発展途上国だって、陰の部分だけでなく、確かに時間がかかりましたが、文明の度合いを確実に上げて来たと言えるでしょう。そのあたりは、ちょっと見方が一方的で評価が低過ぎるのではないかと思われますので、ちょっとぐらいプラスの評価を与えても罰は当たらないのではないか。もっとも意に反してということかも知れませんが。
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ロンドン五輪・初めての金

2012-07-31 01:40:27 | スポーツ・芸能好き
 ようやく柔道女子57キロ級・松本薫さんによって、日本に初めての金メダルがもたらされました。実は開会式の印象を伝えるつもりでしたが、前後してしまいます。
 ここ数日、柔道の試合を見ていて、なかなか日本の美しい柔道をやらせてもらえない欲求不満を感じていたところでした。職人技ではなく、とにかく勝ちにこだわる飽くなき執念に、日本の「柔の道」は後塵を拝して来ました。詰まるところ、世界競技になって、格闘技の一つとして、カタチはどうであれ、とにかく勝つことが全ての世界になってしまうのもやむを得ないのでしょう。およそ日本の柔道らしからぬ、階級制やポイント制もいまひとつ馴染めません。硬い柔道着が採用されて、日本人には不利になるとも言われたものでした。
 そんな中、日本人にもこんな闘争心の塊のような柔道家がいたとは思いもよりませんでした。松本薫さん。Wikipediaで人となりをチェックしたところ、彼女らしさを伝えるエピソードがいくつか散見されました。曰く、かつて東福岡柔道教室において谷亮子を指導した、帝京大学女子柔道部監督の稲田明をして、「松本は、野性味のあるオオカミ。獲物を狙うような目にほれた。(谷を含めて)そんな目をした子は初めて見た」と言わしめたというもの。曰く、その野性味あふれる顔つきや柔道スタイルから、一部のマスメディアによって野獣というニックネームを付けられたことに反発して、もののけ姫と呼んでほしいと主張したというもの。ちょっと笑ってしまいます。
 ある意味では、日本の柔道家らしくないのかも知れません。決勝は、延長の末での反則勝ちであっけないものでしたが、反則勝ちを呼び込んだのも、彼女の野獣のような闘争心と鬼気迫る表情と野生児のようにしぶとく手足を繰り出すガムシャラさにあったのではないでしょうか。確かに日本人らしい潔さは美徳ですが、世界を相手にするときは、国際政治の現実と同様、「柔の道」に殉ずることなく、松本薫さんのように勝ちに行く“しぶとさ“も見せて欲しい。格闘技としての「JUDO」を超える「柔道」であって欲しい。松本薫さんに”天晴れ“ですね。
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リアル・エール

2012-07-29 11:22:45 | グルメとして
 欧州紀行の落穂拾いとして、余りエピソードがなかった中で、一つだけ言っておきたいのが、イギリスのビール、リアル・エールのことです。最近は、デフレの世の中で節約のために晩酌を第三のビールに切り変えたり、健康のためにビールをワインに切り変えたりする人が多いと思いますが、外で飲む、きりりと冷えたビールの喉ごしの爽やかさは、夏の風物詩であるだけでなく、一年を通して、飲み始めの一杯の定番であり、大いなる楽しみ(贅沢!)の一つでもあります。ところがイギリスのパブで昔から親しまれてきたビールは、このラガー・ビールとは一味違う、リアル・エールなのだそうです。
 ロンドンに到着した夕方、レストランに行くのに地下鉄に乗らなければならないほど街はずれのホテルにチェックインして、目と鼻の先にパブだけは一軒あるので、どうせ時差ボケで身体は多くを受け付けないだろうと、パブに入りました。機内で、現地駐在・日本人向けにお土産として買い込んだ雑誌の一つに、ニューズウィークがあって、裏ロンドンという特集でリアル・エールに注目とあったので、秘かに期待していたのでした。
 リアル・エールとは、サイトをいろいろ見ていると、「伝統的な原料から造られ、最終的に供される容器(Cask(樽)と言います)の中で二次発酵によりコンディショニングされ、ビールに炭酸ガスが殆ど含まれず、外部からの炭酸ガスによらずに注がれるビールのこと」を言うそうです。ラガー同様、麦芽を原料としますが、酵母を常温で短時間に発酵(一次発酵)させるので、複雑な香りと深いコク、フルーティーな味を生み出すと言われます。その際、タンクを密封しないため、余計な炭酸ガスは開放されるようです。そのため、日本人には気が抜けたと思われるかも知れませんが、その分、ビール本来の味わいがあります。その後、Caskに移される際、ろ過や加熱処理を行わないため、新鮮な香りや味が保たれます。そしてパブに引き渡された後も、Caskの中で発酵(二次発酵)が僅かながらも進むため、温度管理や適度なカーボネーションになるように調整しながら、ビールが熟成しクリアに澄むのを待つことになります。こうして良好な状態を保つには、作り手(醸造所)側とパブ側がともに手間をかけて、ビール本来の味わいを完成させていく必要があるものなのだそうです。実際に、Caskの中の温度そのままに運ばれるので、きりりと冷えた・・・といった刺激はなくて、生ぬるくてまったりとした、しかしそれだけにビール本来の旨さが味わえるのだろうと思います。私はすっかりはまってしまって、ロンドンにいる二泊と、帰りのトランジットのヒースロー空港でも、名残り惜しむようにリアル・エールを口にしました。
 最近は、イギリスのパブでも禁煙が施行されたニュースが衝撃を与えましたし、家庭回帰でパブから人の足が遠のきつつあるとも伝えられます。さらにドイツなど大陸から輸入される安価なラガー・ビールに押されて、伝統的なリアル・エールはやや元気がないとも言われます。しかし、グローバル化や景気の波にさらされようとも、伝統の味は、しぶとく生き続けて欲しいと思います(味が負けてしまうとか味覚が変わってしまうのであれば仕方ありませんが)。
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欧州紀行(下)ブダペスト

2012-07-27 00:02:17 | 永遠の旅人
 欧州紀行は、イスタンブールから更にハンガリーの首都ブダペストに場所を移します。
 トルコから時差一時間分、西欧寄りの緩衝地帯とも言うべき、私にとっては初めての東欧です。欧州で最も美しい街の一つと言われながら、戦災等で、修復を重ねた不運な街。私たち日本人にはなかなか馴染みがありませんが、そこはかとなく遠い異国情緒を感じさせる街。
 Wikipediaによると、こんな具合いです。ハンガリーでは、かれこれ1000年前に王国が成立しました。300年の後に断絶し、選挙王制によって王位が継承されたのち、1526年にオスマン帝国の攻撃によって領土を失い、ほぼ時を同じくしてハプスブルク君主国の一部となりました。明治維新の頃、オーストリア=ハンガリー帝国の一翼を担う王国に位置づけられますが、1919年に再び崩壊し、1920年に新たな独立国として王国が成立した後、再び1946年に廃止されてしまいました。
 王宮は、1241年にモンゴル軍の攻撃で破壊されました。後に石造で再建され、更に14世紀にはゴシック様式の王宮に改造されましたが、17世紀にオスマン帝国軍の攻撃で破壊されました。18世紀にかけてハプスブルク家の支配下で再建され、バロック様式への改造が行われた後、19世紀半ばに発生した火災とその後の両大戦で大規模な被害を受けました。それでも修復を重ね、ついに1987年、「ブダペスト、ドナウ河岸とブダ城」として世界文化遺産に登録されました。現在は、ハンガリー国立美術館、プダペスト歴史博物館、軍事歴史博物館などが置かれてるそうです。
 先週金曜日の夕方、仕事を終えて夏時間でまだ明るい内に、市街に足を運び、そんな歴史の波に晒された王宮や、108年前に完成したゴシック・リヴァイヴァル建築の国会議事堂の界隈を散策しました。どんよりと濁って決して綺麗とは言えないドナウ川に沿って、趣のある街並みが続き、確かに美しい街であることを実感するとともに、東京は関東大震災や大東亜戦争で焼き尽くされて、街の歴史を失い、個性のない街になってしまっていることを残念に思いました。
 上の写真は、日本人がその名前から受ける印象とは程遠い、どんよりとしたドナウ川に、1873年にブダとペシュトの二つの町が合併して出来た“ブダペスト”の町の象徴として、かつての二つの町を繋ぐ鎖橋と、その先に実に荘厳な佇まいを見せる国会議事堂です。
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欧州紀行(中)イスタンブール

2012-07-25 23:27:08 | 永遠の旅人
 欧州紀行の続きです。
 ロンドンの後、トルコのイスタンブールに行きました。時差2時間、移動時間は4時間弱、欧州出張と言いながら、ここはもはや欧州ではなく、外務省は中東に区分しています。その外務省は、過去一年間、トルコでテロ事件が発生したことに伴い三回、地震発生で一回、性犯罪で一回の注意喚起を外務省ホームページにアップしており、今もなお、イラクとの国境付近は「渡航の是非を検討」するように促し、イスタンブールその他の地域でも「十分に注意」するように呼びかけている、そんな現実を抱えた国です。
 勿論、私にとっては初めての中東ですが、マレーシアで身近にムスリムに接し、日に五度、コーランを読む低い声を聞くとはなしに聞いていた私には、それほど違和感はありませんでした。むしろ、街並みも人々も、これが中東なのかと言われるとどうも典型的な中東ではなさそうであり、ではアジアかと言うと私の知っているアジアとは言い切れない、欧州のようでいて欧州でもない、そんな三つの地域の境界上の、どの地域とも言えるようでそのどれでもない不思議な無国籍な雰囲気を醸し出していることを、やや意外に感じました。
 実は、子供の頃、「飛んでイスタ~ンブ~ル~」と歌われのをよく聞いて、その(庄野真代さんだったと思いますが)歌声が耳に残る私は、その異国情緒を秘かに期待していたのです。古代のビザンティオンであり、コンスタンティノープルであって、かつてのローマ帝国や東ローマ帝国さらにはオスマン帝国の首都が置かれ、世界遺産に指定されている街です。実際に、図鑑でしか見たことがない赤いトルコの国旗がはためく姿を認めると、さすがにここまで来たのかという感動を覚えました。ところがどうしたことか(却ってその歴史的に世界性があったせいか)、確かにイスタンブールにいるはずなのに、一体、今、自分はどこにいるのか、時々、喪失感に見舞われ、戸惑いました。
 ただ、それはタクシーで街を通り抜けて遠目に眺めた軽い印象に過ぎず、ロンドンでもそうでしたが、いまどきの出張は、空港とホテルとオフィスをタクシーで移動するだけで、その土地の空気を存分に吸えるわけではありませんので、殆ど印象に残るような出来事も関心事もなかったと白状すべきかも知れません。
 唯一、街を歩いたのは、現地の人と一緒に昼食にケバブを食べに行った時でした(上の写真)。折しもラマダン(断食月)の前日で、お天道様がある内に食事が出来る最後の日だったのですが、彼らにとっては淡々と過ごす重要な恒例行事の一つに過ぎず、とりたてて感慨深いわけではなさそうでした。ケバブそのものは、くどいくらいに濃い味付けですが、レタスと玉ねぎの千切りが添えられて、ナンに似たパンに一緒に包んで食べると、まろやかになって美味くなるのは、なんとなくアジア的です。食後に飲んだ紅茶は、チャーイと呼ばれ、普通なら渋みが出る前に茶葉を取り出すものですが、ここではお構いなく、濃く煮出していて、砂糖を入れて多少は渋みをまろやかにして飲むものだそうです(話によると、好みに応じてお湯で薄めることもあるらしい)。もう少し滞在して、世界三大料理と呼ばれるトルコ料理を味わってみたいと思いました。
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イチロー電撃トレード

2012-07-24 23:18:58 | スポーツ・芸能好き
 欧州紀行の続きを書こうと思っていましたが、ショッキングなニュースが飛び込んで来たので、号外です。ご存じの通り、イチローがヤンキースに(実際には二週間前には決まっていたようですが、少なくとも我々には)電撃トレードされました。アメリカでの出来事ですから、ビジネス同様、移籍に関してネガティブなイメージはないでしょう。若い人を中心にチームの立て直しに取り組むマリナーズは、かつてイチローの憧れだったケン・グリフィー・Jrを手放したように、ドライに、イチローの実績は買うけれども今の実力からすればチームの戦力としてもはやペイ出来ないと判断したであろうことは想像に難くありませんし、3年ぶり28回目のワールドシリーズ制覇を目指すヤンキースは、何と言っても全米随一の金満球団ですから、制約なくトレードできる7月31日の期限を前に、俊足外野手ガードナーが戦列を離れてなおスピードを使った攻撃を担えるイチローは十分に迎え入れられると判断したのもまた間違いないことでしょう。所謂Win-Winの関係です。
 ただ、イチローの気持ちは複雑だったろうと思います。記者会見の後、僅か三時間で、ヤンキースのユニフォームに着替え、セーフコ・フィールドでのマリナーズ戦に8番右翼で先発出場したことには、アメリカのこととは言えさすがに驚かされましたが、3回の第一打席に入る前に、スタンディング・オベーションで出迎える観衆の声援にヘルメットを脱いで応えたのは、古巣ファンへの感謝の気持ちが強かったことと思います。
 こうして見ると、イチローにとって、二つの意味があると思います。
 一つは、10月には39歳になる彼自身が語ったように、環境を変えて刺激を求めたいという強い思いが芽生えた、それなら自分自身にとってもチームにとっても早い方が良い、というところです。昨年、200本安打の連続記録が途絶え、打率2割7分2厘に終わり、今年は更に打率2割6分1厘と一段と低迷し、打順も定位置だった1番ではなく3番でスタートし更に1番、2番と点々として、マリナーズとの5年契約の最終年で、いよいよ偉大なベテランとして持て余されつつあったであろうことが感じられて痛々しく思われる状況を、彼自身が一番、不本意に思っていたことでしょう。
 もう一つは、アメリカン・リーグ西地区で一番勝てないチームから同東地区で一番勝っているチームに移籍することのもつ意味合いです。弱小マリナーズでは、イチローがマークされていたであろうことは間違いありません。常勝・巨人で名球会入りの200勝を達成した堀内氏が、歴史にifは無いにしても阪神などの弱小球団に入っていたら、果たして名球会に入れたかどうか。
 これに関して思い出すのは、チームとして勝つということだけを求めて巨人に移籍した村田修一のことです。彼は、強い巨人で4番を任せられて戦えて、野球ってやっぱり面白いと、再認識させられたと言います。20年以上野球をやっていて、未知との遭遇だったとまで形容し、練習に取り組む姿勢も変わったし、後ろに阿部が控えているから、際どい攻めや死球が減って、(かつては自分のところで右に代えられたケースでも)左の中継ぎとの対戦も増えて、意識的には楽に打席に立てると語っています。
 さて、多くを語らないイチローには、いろいろな思いがあることでしょう。オリックスで日本一を経験し、WBCではまがりなりにも世界一を達成し、ワールド・シリーズに勝てるような状況になれば、あるいは痛々しいイチローを脱することが出来るのではないか。一ファンとして、秘かに期待しています。
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欧州紀行(上)ロンドン

2012-07-23 22:19:58 | 永遠の旅人
 先週の欧州出張で、最初にロンドンに入ったので、その印象を述べます。
 先ずは、27日から始まるオリンピックでさぞ湧いているかと思いきや、空港ロビーにこそ上の写真の通り五輪のマークがでかでかと掲げられていましたが(ダウンタウンも装飾は増えているようですが、よく分かりません)、同僚にも、タクシーの運ちゃんにも、excitedでしょ?と聞いても、道路が混むからね・・・なんて、表情が冴えず、余り熱意が感じられませんでした。
 怪訝に思って、ネットをいろいろ覗いてみると、公式報道とは裏腹に、ロンドンっ子の本音が見え隠れします。既に中央分離帯寄りの一車線は五輪関係者向けに交通規制されるという旨の表示が出ていて、さぞ不便でしょうが、それだけではありません。会場近くのアパートの屋上に地対空ミサイルが配備されるというので話題になりましたが(実は2005年7月7日、前日からイギリスで開催されていたサミットを狙って、ロンドン同時爆破テロが起こりましたが、同じ前日に、本命パリの予想を覆しロンドンのオリンピック招致が決まったのでした)、テロ対策にしてもそこまでしなければならないほどの厳戒態勢ぶりや、ただでさえ街が外国人で溢れかえるこの時期に更に妙な盛り上がりを見せること、また、地元でも人気の高いチケットは手に入りにくいだけでなく、チケットの値段も高いこと、更にどうせ開催国枠があっても金メダルはそれほど獲れそうにないこと、そして何よりこの不景気に90億ポンドとも言われる金が注ぎ込まれるのも、どれこもこれも開催地の市民にとっては有り難みが余り感じられないのかも知れません。
 それでもなお祭り好きで田舎者の私なんぞは、大英帝国にとっては日本人が思うほどの名誉とは思わないのか、通算三度目の余裕なのか、ゲームは五輪だけじゃないとの思いがあるのか(実際に、ロンドン五輪組織委員会は、サッカー男女の入場券約50万枚の販売を中止し、回収したことを明らかにしたことが報道されていました)と、僻んでもみたくなります。
 ヒースロー空港での入国審査の厳しさは、オリンピック前の厳戒態勢と言うよりも、そもそも9・11同時多発テロ以来のことのようです。入国時、職業欄には、伝統的に「Employee」と書いてきましたが、今回は審査官に「何の仕事をしているのか」と詳しく聞かれ、わざわざ狭い審査票に記入させられました。帰りにブタペストからロンドン経由(トランジット)で帰国するときにも、何を確認したのか解せませんが、入国審査の隣にある同様の審査官の審査を経ました。
 ロンドン・オリンピックに話を戻すと、日本での熱狂(と言っても一部かも知れません)が、なんだか不思議に思えますが、出張の記憶が薄れるとともに、いざ始まってしまえば、メダルの数を指折り数え、国旗掲揚に胸を躍らせ、国歌斉唱に涙することになるのでしょう。
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花の美しさと季節の美しさ

2012-07-22 22:35:37 | 日々の生活
 先週は仕事で欧州に行っており、そうこうしている内に、梅雨が明けてしまいました。今朝9時過ぎに成田に到着した時、曇り空でも、欧州から帰った身には、さすがに湿度が高いと感じましたが、それでも凌ぎやすい一日で出迎えてくれたようで、ほっとしています。
 実は紫陽花の写真を、いつか載せようと思っている内に、梅雨が明けてしまいました。かれこれ3週間前の盛りの時に撮影していたのですが、ものの一週間もしない内に萎れていました。花の命は短くて・・・(苦しきことのみ 多かりき、と続く林芙美子の詩)、命短し恋せよ乙女・・・(「ゴンドラの唄」1915年)などと、日本では代表的な花である桜をはじめとして、花を人生、とりわけ恋多き青春時代に譬えることが多いのは事実です。
 実際に、行きのフライトの中で読んだ浅田次郎さんの「ロンシャンの女」と題するエッセイで、かつて婦人服業界に身を置いた浅田さんらしく、日本人のミセス・ファッションというものは、「いかに若く見せるか」が永遠不朽のテーマであり、その根底にあるものは、「若さは美しく、老いは醜い」とするアメリカ的な考え方があると述べています。それに引き換え、パリ郊外のロンシャン競馬場で行われる凱旋門賞に集う女性は、年齢に相応しからぬ若作りの女性がいない、若く見せようとするのではなく、それぞれの年齢を誇っている、そもそも年齢を引き合いに出すこと自体が無意味で、自分の年齢を全く意識せずに、今このときに最も美しく見える姿を演出しているのであろう、とさえ述べています。さすがに鋭い視点だと思いました。
 人生は花ばかりではありません。蕾もあれば、実もあり、いずれは枯れて行きます。それでも、世阿弥は「時分の花」「真(まこと)の花」と呼び、その時々の美しさ、面白さを唱えました。能の世界で、年齢の若さによって現れる、芸以前の一時的な面白さ(時分の花)はいずれ失われる、その失われていくものを補いながら、鍛練と工夫の末に得た、芸の真実の面白さ(真の花)を手に入れた者の能は下がらない、というわけです。
 四季折々も人生に譬えられます。春から夏にかけて命は漲り、秋から冬にかけて、命のエネルギーは死に向かって枯れて行きます。それでも、古来、日本人は四季折々に美しさを見、愛でて来ました。「旬」を尊ぶ一方で、若さにとらわれることなく、スルメのように瑞々しさが失われたとしても、年齢相応の味を醸し出せればいいと、この歳になると思います。
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歯は大切に・続(親知らず物語)

2012-07-14 12:10:40 | 日々の生活
 親知らず(前から数えて8番目の歯で、第三大臼歯、英語でwisdom toothつまり知恵場・知歯)のことを、何故、こう呼ぶのか、ものの本によると(などと、つい口走りますが、実はサイトを見ると)、20歳前後で生えてくる歯(物事の分別がつく年頃になってから生えてくる歯という意味でwisdom toothと言うのですね)のため、平均寿命が40歳前後だった昔は、親が歯の生え始めを見ることがない、というのが由来だそうです。なるほど。親知らずは生え方によっては、一番奥にあって磨きにくかったり治療器具が届きにくかったりすることと、虫歯や歯肉炎になった場合に、手前の健康な歯(7番目の歯)を巻き添えにしてしまうこともあって、抜歯されることが多い、不憫な歯です。
 私の歯の総点検・治療も佳境に入って、いよいよ右下の親知らずを抜くことになりました。隣の奥歯との間に隙間ができて、虫歯を惹起しているためです。実は残りの3本の親知らずは、既に、斜めに生えて奥歯を圧迫している等の状態が散見されて、かれこれ四半世紀前に抜いて処置済みで、この最後の一本も、当時、抜いた方が良いと言われながら、埋没していたこともあって、ぐずぐず放ったらかしにして、今に至りました。
 手術はちょうど一週間前、先週土曜日に行われました。いざ始まると、局所麻酔とはいえ、途中で欠けたり割れたりして、手こずっているいる様子が窺われます。どうやら歯が骨に癒着しているためであることが説明され、その歯科医のところの器具では対処できないため、途中で投げ出されてしまい、別の歯科医院を紹介されました。仕方なく、止血用の脱脂綿を噛んだまま車で15分、外科用のより高精細なレントゲンで撮り直し、麻酔をやり直し、ドリルのようなもので癒着部分を切り離すのが、下顎にガンガン響いて、局所麻酔ではとても効かなくて、涙が出るほど痛くて、口を開けたままの状態が続いて顎が外れるとは言いませんが疲れて来るし、口は渇くし、久々に耐えられる限界に近づいた瞬間を味わいました。結果、一軒目で取り掛かってから二軒目で終えるまで、かれこれ2時間以上もかかる大手術(!)になりました。後から調べてみると、難度が高い場合には歯科口腔外科がある病院を紹介されることもある・・・ということです。
 そう言われてみると、最初の歯科医からは「骨折みたいなものだから」などと話しかけられた記憶が蘇りました。外科手術的に抜いたことによるダメージは小さくなくて、最初の3~4日は鈍痛が残り、今も、がっちり骨に食い込んでいた歯がすっぽり抜けてしまった空虚感なのか、骨が再生する過程なのか、顎の動きがぎくしゃくするような違和感が消えません。今日、抜糸したのですが、抜いた後は歯茎が盛り上がるまで暫く空洞になっているので、しっかりウガイするようにとアドバイスを受けました。後3ヶ月くらいは尾を曳きそうです。
 その間、抗生物質を飲む間は酒を飲むなと言われていたので、処方された丸々5日分、6晩にわたり禁酒を守り通しました。かれこれ20年、これほどの断酒は記憶になく、こちらの方が苦行となりました(苦笑)。習慣というものは、げに恐ろしい。もののサイト(もはや本とは言いません)によると、親知らずは、虫歯や歯周病になってからでは遅い、虫歯や歯周病になってからでは麻酔が効きにくくなる場合がある、若い時の方が親知らずを抜いた後の骨の回復が早い、抜く時期が遅いと親知らずが骨と引っ付いてしまって抜くのが大変になることがある、等の理由で、抜くなら生えてから出来るだけ早い方が良い(20歳前後が良い)というのが専門家の見解のようです。しかも、上顎よりも下顎の親知らずを抜く方が痛みや腫れが酷くなる傾向が見られるということで、親知らずを抜く・・・なんて、四半世紀前にサボったばかりに、この歳になって禁酒の苦行に耐えながらやることじゃないなあと、反省すること頻りですが、あとの祭り・・・。くれぐれもご注意ください。
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焼酎への目覚め

2012-07-10 23:49:32 | グルメとして
 先日、薩摩料理を食べに行きました。お目当てはキビナゴの刺身でしたが、残念ながらキビナゴは天ぷらしかなく、それに地鶏の刺身をつまみに焼酎を美味しく頂きました。
 私は鹿児島生まれですが、3歳の時に上阪して以来、20年間、大阪に暮らしたので、私の頭の中には学生の頃に訪れた時の鹿児島の記憶しかありません。しかし両親は根っからの鹿児島人で、ごく身近に鹿児島に接していました。たとえば母はキビナゴを見つけたと言ってはいそいそと買ってきて、酢味噌で食べさせてくれたものでした。ものの本によると、キビナゴは、本州中部以南の熱帯・亜熱帯域に広く分布する、ニシン目・ニシン科に分類される体長10センチくらいの小さい魚(ウルメイワシに近縁のウルメイワシ亜科との見方も)で、所謂青魚の一つ。菊花盛り風にすると、銀びかりがして壮観で、ショウガ醤油やポン酢で臭みを消すのがいいと言われます。そして酢味噌で食べるのが薩摩料理として有名とも・・・さもありなん。我が家はずっと酢味噌でした。
 地鶏は軍鶏で、刺身で食したのは初めてのことでした。口コミでは絶品・・・とのコメントもありましたが、そこまで褒めるのはどうか・・・。臭みはないので、無理なく食べられますが、難を言うならやや平板で、弾力がある不思議な食感が印象に残っています。
 それから薩摩料理で忘れてはならないのは薩摩揚げで、このお店でははんぺんのような柔らか目のものが出てきてびっくりしましたが、ものの本によると、魚肉のすり身を成型し、油で揚げた魚肉練り製品という意味では、確かにごぼう天・イカ天やはんぺんも含まれるようです。私自身、薩摩揚げという名称を知ったのは後年、就職で上京してからのことで、それまでは私の両親からはツケアゲと聞かされていました。そのため薩摩揚げと言う場合、東京の居酒屋で出て来るような、野菜を刻んで魚肉の練り製品に練り込んで揚げた天ぷらをイメージしますので、はんぺんの食感がちょっと意外だったわけです(否、期待外れと言うべきか・・・)。
 食事はともかくとして、今回、焼酎の香りの良さに目覚めてしまいました。いろいろな銘柄を何杯も重ねてよく覚えていませんが、一つだけオヤッとメニューで名前を確認したのが「月の中」、つきんなか、と読みます。香りがまろやかで、臭い芋焼酎に対するイメージが変わってしまいました。勿論、本来は臭みが持ち味というべきなのでしょうが、すっきり焼酎だと、日本酒党の私にもすんなり入って来て、ここ暫くは美味い焼酎を探すマイブームが続きそうです。
 さてこの焼酎に関して、日本国内に残存する最も古い文献は、鹿児島県伊佐市の郡山八幡神社で、永禄2年(1559年)に補修が行われた際に大工が書き残した「焼酎もおごってくれないけちな施主だ」という内容の「落書き」だそうです。まさかこの大工は、Wikipediaでも紹介されるほどのエピソードになろうとは思いもよらなかったであろうに、なんとも庶民の酒らしいエピソードに微笑ましくなります。
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