風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

需給逼迫注意報

2022-06-28 01:03:39 | 日々の生活

 週末、まるで梅雨明けしたかのような暑さやなあと、暑さにまだ慣れていない身体を持て余していたら、今日、本当に梅雨明けしたので驚いた。関東甲信は平年よりも22日早く、最も早い梅雨明けとなったようだ。この暑さで、東京電力管内で電力需給が厳しくなる見通しとなったのを受けて、経済産業省は昨日、初の需給逼迫注意報を発令していた。

 我慢強い日本人のことである。「古くて効率が悪くなっていた火力発電の休止や廃止が相次ぎ」(今日の日経新聞・電子版)、「東日本大震災の後、原子力発電所の稼働も減っているという構造的な問題がある」(同)上、「3月に福島県沖で起きた地震の影響で、いくつかの火力発電所が損傷して供給力が低下していた」(同)ところに、「想定以上の暑さが追い打ちをかけることになった」(同)ということだが、その経緯はともかくとして、如何にも場当たり的な「節電」が呼びかけられた。

 我慢強いのは美徳には違いないが、何事も程度の問題であって、過ぎたるは及ばないのが世の常だ。コロナ禍の前に日本だけがデフレだったのも、価格競争が厳しくなったり不況になったりした事業で、なかなか撤退する英断を下せず、構造改革と言う名の身を削る努力をし、給与レベルを上げなくても頑張る・・・というような日本人の我慢強さが影響しているに違いない(もとより、それが全てとは言わないが)。

 このあたりを匂わせる記事が、昨日の日経新聞・電子版に出ていた(*)。

 「政権発足からもうじき9カ月。特になにかをやったわけではない。もちろん大きな失敗があったわけでもない」(同)のに、「なぜ岸田文雄内閣の支持率は高いのかという素朴な疑問」(同)に答えるべく、安倍内閣と比較して、二つの顕著な違いを挙げる;

  • 安倍内閣が一貫して男性の支持率が高い「男高女低」だったのに対し、岸田政権では「男女同等」であること
  • 安倍内閣の支持は若手がシニア層より圧倒的に高い「青高老低」だったのに対し、岸田内閣では正反対の「青低老高」であること

 さらに、内閣支持の理由にカラーが出るとして、「人柄が信頼できる」が岸田内閣ではいつも上位にランクすることを挙げながら(勿論、この点は安倍内閣と対照的である)、岸田政権を次のように活写する。

(引用はじめ)

 まじめで一生懸命。変幻自在・臨機応変なのか、朝令暮改なのかは見方によるがこだわりなく変える。寡黙だった前任者、国会答弁で反論した前々任者。前の2人が強烈なリーダーシップを発揮したのに対して無色透明感。

 政策運営も積極的に打って出るのではなく、コロナ、ウクライナと起こったことに反応していくタイプだ。ゆるくて、ふわふわとして、そして、なんとなくの支持である。

(引用おわり)

 安倍内閣は、第三の矢として規制緩和などの成長戦略を掲げ、若者を中心に大いに期待させて支持を広げた(が、実際には政策に見るべきものがなかった)。岸田内閣は、他人の話を聞いて「検討する」と言うだけで行動に移さないところが、変化を求める若者の支持率の低さと、安定を求める年配者の支持率の高さに繋がっているような気がする。

 日本の社会は、危機や問題に真正面から立ち向かって痛みを伴う改革を断行するリーダーシップより、誰もが少しずつ不満を分かちあいながら変化を避けて丸くおさめるムラの長者のような存在感に人気があるようだ。そうである以上、電力不足に対しても、根本問題としてのエネルギーミックス、とりわけ原発再稼働のように不人気で角の立つ問題に真正面から取り組むのではなく、節電という忍耐に訴えて急場を凌いでよしとするのだろうか。暑さにストレスも加わるような夏は勘弁して欲しいのだが。

(*)https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK192QP0Z10C22A6000000/

 

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ロシアの被害者意識

2022-06-13 21:42:40 | 時事放談

 前ウクライナ大使(2019年1月~2021年10月)の倉井高志氏が、数日前、ロシアの国柄やプーチン氏の特性についてプレジデント・オンラインに寄稿されたのを興味深く読んだ(*)。本ブログのタイトルは、倉井氏のコラムからキーワードとして拾ったものだが、私自身は「被害者意識」というようなお行儀の良い形容ではなく、端的に「被害妄想」だと思っている。それはともかくとして・・・

 件のコラムで、倉井氏は、かつてソ連の軍事問題の大家と言われたジョーン・エリクソン教授の下でソ連軍研究に携わったときに、「ソ連を理解するためには世界からソ連がどう見えるかではなく、ソ連から見て世界がどう見えるかを考えなければならない」と言われたとか、少なくとも9-11同時多発テロのときには、プーチン氏はアメリカに真っ先に協力を申し出たのに、アメリカのABM条約からの脱退(2002年)、ジョージアのバラ革命(2003年)、ウクライナのオレンジ革命(2004年)などを通して、「『米国に裏切られた』とするプーチン大統領の強い思いが、KGB要員としてさまざまな秘密工作活動に携わってきた経験とあいまって、うかうかしているとロシアは米国、NATOに支配されてしまう、ロシアは自らを守るため軍事力を一層強化し、自国の安全を確保するための戦略環境を構築していかなければならない、との意識を強く抱かせることとなったと思われる」とか、「ソ連時代に『パラノイア』とも言われた過剰なまでの防衛意識、常に自分たちは外部から攻撃を受けるリスクに晒されていて、軍事力を強化しなければこちらがやられてしまう、という被害者意識は、一定程度現実の歴史に裏打ちされている面もあり、仮に今後、プーチン大統領以外の指導者が出てきたとしても、この認識が大きく変わるとは考えにくい」とも語っておられる。

 以前、本ブログで、中国が日本の南京事件(事実として、被害者数の桁が違うようだし、ゲリラ=便衣兵も多い中で、少なくとも「大虐殺」と呼ぶのは不適切だろう)を非難するのは、城塞内の敵を虐殺するのが当たり前の歴史的経験が前提としてあるからで、ところが日本にはそんな歴史的経験も、そもそも中国などの大陸国に特有の城塞構造の街すらもない島国であることを、中国は知らないのだろう(だから事実として大虐殺があったとは考え難い)と書いた。カラー革命はCIAなどの西側の策謀があったとする陰謀論をよく聞くが、東ドイツ駐在時と帰任時に、東ドイツとソ連という国家が崩壊する悲劇的局面に遭遇したKGB工作員のプーチン氏だからこそ、相手(敵)も同じように行動すると読む(すなわち陰謀があったと見做す)のだろう。そもそも広大な領土を誇るロシアには、タタールの軛の歴史以来、包囲されている感覚、攻め込まれる恐怖があるというお国柄の上に、プーチン氏に特有のメンタリティが重なる、というわけだ。もっとも完全な陰謀論だと言うつもりはない。オレンジ革命やマイダン革命において、西側の何等かの関与があったことは事実のようだが、それが結果としてどの程度の影響があったのかはよく分からない。

 閑話休題。外交官は(倉井氏のような)「事情通」でなければならないと思う。私がいた会社にも、地域や製品事業についての「事情通」が多く、そのためにやや事業が停滞したようなところがあった(笑)。企業では「事情通」がえてして抵抗勢力として弊害をもたらすことがあるが、外交・安全保障の世界ではむしろ保守的である方が望ましいように思う。そして、倉井氏の思いは、半世紀以上前に外交官だったジョージ・ケナンに通じるものがあるように思う。だからこそ、ケナンはNATOの東方拡大に反対したのだった。それは政治技術的には全く正しい、と思う。

 だからと言って、ロシアによるウクライナ侵攻はアメリカが撒いた種だと、今、ミアシャイマー教授が唱えるのは、(文藝春秋6月号のインタビュー記事にもあるように)容易いことではあるが、大国政治をそのまま認めて、現実主義どころか余りに現実追随主義で、庶民感情としてはなかなか納得できるものではない。

 このあたりの葛藤は、私の中でなかなか解消されることはないのだが、このウクライナ戦争は私だけでなく日本人全般にとってロシア研究にうってつけの題材となっていることは間違いないところだろう(ウクライナの不幸を前にして、甚だ不謹慎ではあるが)。

(*) https://president.jp/articles/-/58281

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はやぶさ2の快挙

2022-06-11 22:22:25 | ビジネスパーソンとして

 小惑星探査機「はやぶさ2」が持ち帰った小惑星「りゅうぐう」の砂などの分析結果が10日公開され、日経は、佐々木朗希の完全試合に擬えて、「はやぶさ2『完全試合』達成 宇宙ビジネス、先行の好機」と報じた(*)。前回ブログの「科学技術立国」に関わるニュースで、喜ばしい(笑)。

 記事によると、はやぶさ2は「技術面でりゅうぐうの表面や地下の物質を採取して地球に持ち帰るなど5項目」、「科学面では小惑星の構造や形成過程、地球や生命のもとになる物質についての成果をあげるなど6項目の目標」を設定し、今回、科学面でサンプル分析から新たな知見を得たことで、全ての目標を見事にクリアした(=完全試合)という。

 さらに記事は、次のようにも述べる。「はやぶさ2が技術・科学の両面ですべての目標を達成したことは技術の成熟度や科学研究の水準の高さを証明、宇宙開発で日本の存在感を示した。」 全く異論はない。

 近隣には、意味もなく「国格」を気にする国があって、むやみやたらに絡んで欲しくない(笑)ものだし、本来、宇宙は新たなフロンティアで、ロマンに充ち満ちているものなのに、露骨に軍事利用を進める国があって、しかも他人の科学・技術を盗んでまでも自らの威信にこだわる様子は、清少納言も草葉の陰で「いと、あさまし」などと呆れているに違いない(笑)。日本は、粛々と自らのアジェンダをこなしていくのみ、である。

(*) https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD08AL9008062022000000/

 

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世界スパコン・ランキング

2022-06-09 07:27:32 | ビジネスパーソンとして

 世界のスパコン・ランキングで、アメリカが首位を奪還し、国産スパコン「富岳」が2位に陥落したことが小さな話題になった(*)。このリベラルでポリコレ全盛の優しい時代に、あけすけに首位にこだわりを見せるのは昭和の男の性(サガ)かもしれないが(こういうのも今ではセクハラ発言になるのだろう・・・自分を卑下した独り言に過ぎないのだが)、続けたい。

 トップ10の内、アメリカが5件を占めたのは流石としか言いようがない。日本は「富嶽」が孤軍奮闘しているだけなのがちょっと寂しい。せめてアメリカの半分あるいは欧州並みの存在感、というのが昭和の感覚で、もう1件は欲しかった(トップ500まで拡げると、3分の2近くを米国と中国が占め、日本は34台と随分差があるものの、この2ヶ国に次ぐらしいが)。その欧州勢から、初登場の2件がトップ10に食い込んだのは快挙だ。いつまでもアメリカに頼っていられない(あるいは経済が地盤沈下するばかりなのを食い止めたい)という気概だろうか。中でも、今、話題のフィンランドが3位というのが特筆される。人口は僅か550万人、世界幸福度ランキング首位の国だ。中国は、「富嶽」を越える性能を既に実現しながら、アメリカを刺激するのを避けて発表を控えているとする噂があり、気掛かりだ。欧米中心のお祭り騒ぎから一線を画す、これも一つのデカップリングだろうか(それとも秋の党大会までは波風立てずにおとなしくしているだけだろうか)。

 この手の話には、どうしても「二位じゃダメなんですか」という議論がついて回る(笑)。記事でも、「富岳のような大規模スパコンの開発には1000億円規模の投資が必要」「財政事情の厳しい日本が米中などと世界最速の座を競い続けるのは難しい」「開発だけではなく、活用の発想も欠かせない」とネガティブな表現が続き、東大の鈴木一人教授も、「(計算速度の)ランキングの首位を取ることが経済安保で目指す姿ではない」と指摘される。但し、鈴木教授は、「より重要なのは他国に依存せずにスパコンを活用できる体制を築くことだ」と、経済安全保障を意識したご発言が主旨だった。

 日本にとって、最大の防衛戦略(ひいては国のあらまほしきカタチ)は、国の規模が多少縮んでも、科学技術立国を措いて他にはないと、私はかねがね信じて来た。小学生の頃、資源小国の貿易立国だと教わって、だから全方位外交(=八方美人)は正しい戦略だと久しく信じて来た。xxx立国など、昭和のノスタルジーでしかないかも知れない。しかし、ガチガチにハリネズミのように防衛装備して周辺国を刺激するよりも、科学技術という、生々しい防衛の最前線から一歩引いたところで強かに武装する方が、戦後に謙虚に出直した日本人には受け入れやすいだろうし、実際に平和主義の日本によく似合う。冷戦時代のイメージで言えば、原爆は敢えて持たないけれども、いつでも作れるぞ、という潜在力だ。最大の同盟国・アメリカは、そんな日本を中国(やロシア)側に追いやるわけには行かないから、日本をしっかり守ってくれるだろう・・・などとムシのよいことを考える(笑)。

 ビジネス界で、強迫観念のように「成果主義」がもてはやされ、つい目に見える結果ばかりに関心が向きがちだが、科学技術立国という文脈で言うと、成果もさることながら、科学と技術の両面で切磋琢磨しながら、その頂点を当たり前のように目指す雰囲気を醸成することが重要だと思う。世界スパコン・ランキング首位ではしゃぐのはその一例だ。そうして、多くの若者が当たり前のように理科系の学部に進学し(だからと言って文科系を軽視するつもりはないが)、最先端のアカデミアやビジネス界で研究・開発に身を投じ、当たり前のように成果を出し、それを見た若者が「自分も」と当たり前のように後を追う、好循環のエコシステムを生むことを期待したい。科学技術基盤は、国力(ハードパワー)の基礎としての経済力を下支えするとともに、防衛装備技術が今やAIや量子などますますデュアル・ユース化する(むしろ民から軍への流れが強まっている)時代に、もう一つの国力(ハードパワー)の軍事力、その防衛装備基盤をも結果的に強くすることに繋がる。経済安全保障戦略では、「戦略的自律性」と「戦略的不可欠性」という言葉で抽象化された。

 ところが、平成の30年の間に、そんな雰囲気は当たり前ではなくなってしまった。少子高齢化で財政的に厳しいし、日本学術会議を中心とするアカデミアが軍事研究を忌避し続けるマインドセットは旧態依然のままだ。ところが、パンデミックとウクライナ戦争で食糧難とエネルギー危機が叫ばれる今であれば、「資源の乏しい」というのがかつて日本の枕詞だったことは、実感として思い出されるだろう。そんな日本の最大の資源は人材(人財)だということを思い出すべきだ・・・と思っていたら、岸田政権の「骨太の方針」では人への投資を強化するという。もはや久しく議論すらされなくなったような長年の課題だ。支持率だけは高い岸田政権だが、手遅れにならない内に、是非、実行力を見せて欲しいものだと思う。

(*) https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC283LV0Y2A520C2000000/

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まだ青春真っただ中

2022-06-07 23:32:33 | 時事放談

 この表題は、今月4日未明、世界最高齢となる単独無寄港の太平洋横断を果たされた海洋冒険家の堀江謙一さん(1938~)の言葉だ。子供の頃に見かけた(読んだわけではない)著書『太平洋ひとりぼっち』(初版1962年)のことが浮かんで、今なおご活躍されていることに驚いた。

 今からちょうど60年前、日本人として初めて小型ヨットによる太平洋単独無寄港横断(西宮~サンフランシスコ)に乗り出されたとき、Wikipediaによると、「当時はヨットによる出国が認められなかったため、『密出国』という形」になり、「家族から捜索願が出されたことを受け、大阪海上保安監部は“自殺行為”とみて全国の海上保安本部へ“消息不明船手配”を打電し、不法出国問題より、救助を先決にしていた」そうだ。そして、当時のサンフランシスコ市長が「『コロンブスもパスポートは省略した』と、尊敬の念をもって名誉市民として受け入れ」、「1か月間の米国滞在を認めるというニュースが日本国内に報じられると、日本国内のマスコミ及び国民の論調も手のひらを返すように、堀江の“偉業”を称えるものに変化した」そうだ。「その後、帰国した堀江は密出国について当局の事情聴取を受けたが、結果、起訴猶予となった」という。

 今回は、当時とは逆のコースで太平洋横断を果たされたわけだが、未曾有のコロナ禍で、「出発地点へヨットを運ぶ運賃が『10倍に』」なり、「ワクチン接種や陰性証明がないと出国できない」「いつストップがかかるか、薄氷を踏む思い」だったという(神戸新聞)。

 表題にある「青春」については、サミュエル・ウルマン(1840~1924)が70代で書いた詩「Youth(邦訳:青春の詩)」の冒頭の一節、"Youth is not a time of life; it is a state of mind"(青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ)が有名だ。この詩を気に入ったダグラス・マッカーサーが、「マニラで、のちには東京でも、執務室の壁に詩のコピーを額に入れて掛け、また講演でもたびたび引用した」(Wikipedia)ために、日本でも流布するようになったと言われる。

 しかし所詮「青春」なる言葉は老人(のための)用語だ、とは言い過ぎだろうか。我が身を振り返っても、「青春」まっ盛りの頃に「青春」を意識することなどなかった。せいぜい「人生の或る期間」をゆうに過ぎ去った後に、(年甲斐もなく)青春してるねえなどと茶化す程度だろう。他方で、自分や周囲を眺めると、老いるほどに狭量になり頑固になり依怙地になりがちで、これじゃあ扱い難くてしょうがないから(苦笑)、なるべく精神の柔軟性を失わないように、「心の様相」を保つ努力を続けたいものだと老人は思う。

 件の詩の数行後には次のような一節もある。「年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。」 ウルマンやマッカーサー元帥はこうして自らを鼓舞されたことだろう。堀江さんや、80歳でエベレスト最高齢登頂者となった三浦雄一郎さんにこそ相応しい「心の様相」だ。足元にも及ばないが、心の片隅にその種火を絶やさずに灯していたいものだと思う。

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巨人 対 佐々木朗希

2022-06-05 08:33:43 | スポーツ・芸能好き

 ON時代以来、巨人ファンから抜けられない私としては、金曜のナイターは願ってもないカードだった。

 さすがのミスター(長嶋さん)は、東京ドームで試合前に、敵チームの先発なのに佐々木朗希投手とわざわざ対面して、往年の名投手・杉下茂、金田正一、佐々木主浩と並べて、「私が見てきた約80年の中で、今は佐々木朗希くんがNo.1」とデレデレだった(笑)。かつて巨人軍監督時代に、試合などそっちのけ(!?)で惚れた4番バッターばかり集めたチーム作りをして超越した存在感を示された、根っからの野球好きで奔放な長島さんらしい(微笑)。

 しかしこの日の巨人は、周到に準備していたようだ。増田陸は試合前にバントマシンで3メートル以上前に立って剛速球を想定した練習をしていたというし、試合でも各打者はバットを短く持って、「初回から徹底して直球に狙い球を絞」って強振し、「高めに浮いたボールを逆らわずに逆方向」へ、さらに「塁上から足を使って揺さぶる対策を徹底した」(いずれも東スポ)。片や佐々木朗希投手は、「直球がシュート回転し、フォークも高めに浮いていたし、調子は悪そう」だったと、かつて同じ岩手で対戦した専大北上高の監督・中尾孝義氏は解説された(日刊ゲンダイ)ように、ピリッとしなかった。

 そのため、初回こそ、最速161キロを記録し、吉川・岡本の3・4番コンビをフォークで空振り三振に仕留めたが、2回に増田陸にタイムリー二塁打されて先制を許すと、3回には岡本和真に、打者233人目にして今季初被弾となる2ランを浴びた。3月18日のオープン戦(東京ドーム)では満塁本塁打されていたので、そのリベンジを期待する向きもあったが、返り討ちにあった形だ。岡本和真は佐々木朗希と余程相性が良いのか(5月はバットが湿りがちだったから)、それにしても彼の強運(それこそがスター性の重要な要素でもある)を思う。その後、5回に降板するまで毎回得点を許し、89球で被安打8、盗塁3、プロ入りワーストの5失点で、今季初黒星がついた。

 巨人ファンには嬉しくも、佐々木朗希ウォッチャーには想定外で残念な展開だった。投球が単調だったという意味では、前日のヤンキース戦で、スライダーが曲がり切らず、ボールが高めに浮いて、自己最悪の3被弾を浴びて4敗目を喫したエンゼルス・大谷翔平投手を思い出した。いくら傑出した投手でも、5試合も6試合も良い状態が続くわけではないのだ(そういう意味では、アメリカに渡る前年に、開幕24連勝(その前年からだと28連勝)したマー君は余程凄かったということか)。それでも5回に、この試合6個目の三振を奪い、2リーグ制になってから史上最速タイとなる10試合目で100奪三振に到達したのは素晴らしい。

 こうして、次の対戦に向けてまた一つ話題ができた。だから野球は止められない・・・

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デジタル安全保障

2022-06-03 01:45:12 | 時事放談

 ウクライナ戦争はローカルな戦いだが、その帰趨は戦後の国際秩序を左右するかも知れない。欧米は間違いなくそう思っていて、他方で、ロシアはプーチン氏本人の威信が掛かるから、お互いになかなか譲れない。

 かつての冷戦は「資本主義」対「共産主義」のイデオロギーの争いだったが、この第二次冷戦(と言ってもよいならば)は「欧米」対「反欧米」の秩序の争い、あるいは(よく言われるように)体制間競争になるのだろう。ウクライナ戦争では、欧米が築いてきた戦後秩序(あるいはモダンからポスト・モダンへの時間の流れ)があからさまな挑戦を受けた。彼らは、これまでブログでさんざんボヤいて来たように、「人権」や「xxの自由」の捉え方から時代認識まで明らかにズレて、文化摩擦と言ってもよいほどで、まともな会話が成り立たないのではないかと心配になる。

 そんな難しさの一端を、数日前の日経ビジネスが素描しているのが興味深い(*)。

 インターネットについて、孫正義さんは、かつて、蛇口をひねったら水が迸り出る水道管のように、ふんだんにデータが流れるインターネット(の土管)をあまねく整備したい、というようなことを言われていた。それが実現した今、せいぜい水漏れする程度の水道管と違って、インターネットは四六時中、サイバー攻撃の脅威に晒されている。そんな中、欧米のIT企業が撤退したロシアでは、IT機器やシステムへのサポートが受けられず、このままサイバー攻撃対策(セキュリティ・パッチの適用など)が行われなければ、深刻な脅威に晒されると、プーチン氏は焦っているらしい。先ほどの日経ビジネスの記事では、このあたりの事情を「デジタル安全保障」と呼んでいる。

 世界と繋がるネットワーク社会にあっては、データが漏洩するだけでなく、電力・通信などの重要インフラが無力化されかねないため、悪意ある国(例えば中国やロシア)製のネットワーク機器を使うことはリスクだと言われて久しいが、逆の立場のロシアで、安全保障観を異にする国のIT技術に依存するリスクが顕在化したのは、実に皮肉なことだ。実のところ、ロシアに対する経済制裁は余り効いていないのではないかと訝る人もいれば、いや、これから益々厳しくなると強がる人もいる。今のところ、ロシアには石油・ガスなどのエネルギー収入がある上、2014年以来、欧米社会に依存しない自給自足の経済に抜かりなく転換して来たため(それがある程度成功したのは、極貧の北朝鮮とまでは行かないまでも、欧米ほど豊かではなく、モノも潤沢ではないお陰と言える)、痛みを感じにくいかも知れないが、経済安全保障に言う「戦略的自立性」に欠けるハイテク領域は、ロシア経済の泣き所であろう。

 今や日常生活に不可欠なネットワークだが、水道管のように、せいぜいちょっとばかり(ちょっとどころか、マレーシアの老朽化した水道管は4割とか5割とも言われたものだが)漏洩する程度という安全なインフラにならないものだろうか・・・

(*) https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00132/052600022/

 

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バイデン大統領の日・韓歴訪

2022-06-01 20:07:47 | 時事放談

 もはや旧聞に属するが、バイデン大統領が日・韓を歴訪したことに触れておきたい。

 日本より先に(と画策した通りに)韓国の地を訪れたことを、韓国メディアはことのほか喜んだそうだ。中身はともかく外観やメンツ(端的に対日優位の体面)に拘る韓国らしい。数日前の日経は、「米韓の技術同盟をさらに発展させる」と言ったバイデン氏の訪韓は、「サムスン電子で始まり、現代自動車で終わった」と、象徴的に表現し(*1)、訪日にあたって日本企業を訪れることはなかったことから、「米国の経済安全保障において、日本の相対的な地位が低下していることの表れと捉えることもできる」と冷たく言い放った(同)。鋭い指摘だ(私たちが訪韓に関心がなかったのもまた事実だが)。

 韓国は、新たな経済連携IPEFについても韓国で発表することを画策したらしいが、さすがに叶わなかった。韓国観察者の鈴置高史氏によれば、中国を忖度する韓国は、「米国の裏をかく作戦を練って」いて、「IPEFに創業メンバーとして入ることで発言権を確保し、対中包囲網の色合いを薄める」、言わば獅子身中の虫(NATOの中のトルコのような存在)になることを狙っていると分析され(*2)、完全否定できないところが悩ましい(笑)。そこに韓国の置かれた現実、アメリカにとっての韓国と日本の位置づけの違いが表れているように思う。米・韓は、先ずは経済ベースの実利の関係、日・米は、既にQUADに見られるようにルール・メイキングを通した安全保障を含む価値観を共有できる関係にある。確かにIPEFでは、ASEANの7ヶ国を呼び込むためには、対中包囲網の色合いを消す必要があり、台湾を排除せざるを得なかったと言われる(台湾も残念がった)。その意味でも、台湾に次ぐ半導体産業を擁する韓国の存在は、サプライチェーン強靭化を目指すアメリカにとって不可欠の構成要素だったことだろう。

 今回は、アメリカでは同盟関係を軽視したトランプ氏に代わってバイデン氏が大統領職に就いてから、韓国・大統領として、国益を考えていたとは思えないような親中・従北の独善的な外交を進めた文在寅氏が退いて、保守派から尹錫悦氏という、ようやくまともな相手になり得る大統領が登場したタイミングだった。米韓同盟再建を図り(その実、対中傾斜に釘をさし)、日韓関係改善を促す、恰好のタイミングでもあったのだろう。もっとも、米・中の挟間で揺れる韓国の二股外交は地政学的に同情の余地がないわけではないし、韓国における反日は、建国神話として韓国社会に構造的に埋め込まれたもの(韓国憲法前文の通り)で、IPEFにしてもQuadにしても、アメリカは韓国に期待しつつも、そう簡単に気を許すわけには行かないだろう。いい加減、韓国には目を覚まして欲しいものだ。

 しかし以上は前座でしかない。昨年来、定例化されたQuad首脳会合が、日本で初めて開催され、オーストラリアの新首相を交えて、4人が顔を合わせて連携強化を確認した。

 また、バイデン訪日では、台湾有事が起きた場合に、アメリカが軍事的に関与するかと問われて、「それがわれわれの約束だ」と答えたことが物議を醸した。バイデン氏の舌禍は、昨年8月と10月に続いて三度目で、もはや認知症のせいではなく確信犯だろう。直後にホワイトハウスが「台湾政策に変更はない」と釈明するのも同じく三度目だ。そろそろ「曖昧戦略」を見直すべきとの(リチャード・ハース氏などの)声が高まる中で、「あいまい」の枠内ぎりぎりのところで最大限の対中抑止を図ろうと見せているように思える。

 こうして、現下のウクライナ危機に対処しつつ、アメリカがインド太平洋への関与をアピールする良い機会となった。しかし、実質が伴うにはまだまだ時間がかかりそうだ。IPEFは、関税問題がアジェンダから外され、アメリカ市場の開放など、参加するASEAN諸国にとって実利が見えないし、Quadは、もともと非同盟主義のインドを取り込んだのは快挙で、対中牽制を軸に、四ヶ国連携の体裁をぎりぎり保ってはいるが、新興国(というより明確に途上国)の立場で、地政学的にロシアに宥和的なインドという不確定要素を抱えて、とても盤石とは言えない。中国が、太平洋島嶼国10ヶ国の外相との会合で提案した貿易と安全保障に関する声明は、合意には至らなかったものの、Quadの動きを分断するかのような中国の南太平洋での暗躍は油断ならない。インド太平洋は、依然、波高し、というところだろうか。仲介者としての日本のなお一層の働きが期待される。

(*1) https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM23CU00T20C22A5000000/

(*2) https://www.dailyshincho.jp/article/2022/05311701/?all=1

 

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