風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

バンクーバー・オリンピック(後編)

2010-02-27 03:25:23 | スポーツ・芸能好き
 まだオリンピックは終わっていませんが、もはやこれで打ち止めで後編と銘打つほどに(まだゲームが残っている選手の方々にはごめんなさい)、今日の女子フィギュアスケートは、後半戦のクライマックスとして、今回のオリンピックの中で全国民が首を長くして待ちに待った一日でした。そして予想と期待に違わぬ展開を見せてくれました。全ての有力選手が、四年に一度のこの日のために全てを賭ける、オリンピック・ゲームの醍醐味を感じます。
 浅田真央選手はよく健闘したと思います。シーズン序盤の不調から、このオリンピックに照準を合わせて見事に立ち直り、ベストに近い演技を披露し、女子で史上初めてとなる三度のトリプルアクセルを成功させたところは圧巻でした。対するキムヨナ選手は憎らしいほどに完璧な演技で、敵ながら天晴れ、脱帽するしかありません。対照的な二人ですが、何が金メダルと銀メダルを分けたのか、私には得点ほどの差があったとは思えません。強いて素人の勝手な感想を言うならば、服装のセンスと選曲の重さが明暗を分けたと言えましょうか。浅田真央選手は、技術的には十分に優れていたと思いますが、芸術的高みに達するほどの技術力を見せようとする余り、最後まで、選曲通りの何とも言えない重苦しい雰囲気が拭えませんでした。時に悲壮感が漂うほど、それが見る者をハラハラさせるほどで、以前にもこのブログで触れた通り(http://blog.goo.ne.jp/mitakawind/d/20091028)、満面の笑顔はついぞ見えませんでした。対するキムヨナ選手は、もともと情感溢れる表現力が持ち味ですが、今日の演技でも、伸び伸びと全身で、それこそ手の指先から足のつま先まで神経が行き届くほどに、スケートを滑る喜びを実に見事に表現していました。艶やかですらあり、その余裕が見る者に安心感を与えていました。もともとフィギュアスケートは、リンク上に図形(フィギュア)を描くように滑ることから始まったスポーツですが、技術力以上に表現力豊かな演技力のスポーツであることを実感します。
 それにしても浅田真央とキムヨナという、同じ1990年9月に生まれ(僅かに20日違い)、同じ5歳からスケートを初めて、ジュニア時代から好敵手、前回のトリノ・オリンピックではともに3ヶ月の差で年齢制限に引っ掛かって出場出来なかった二人が(幸運だったのは二人の欠場と一・二位の転倒により金メダルが転がり込んだ荒川選手でした)、隣国同士の日本と韓国にいるという幸運と不運を思います。勿論、お互いがお互いの存在を認め、相手あってこそ今の自分があると、お互いに言う通りだと思いますが、そのことがまさに幸運でもありその裏返しの不運でもあると思います。
 ある研究によると、オリンピックでは銀メダルより銅メダルの方が幸せなのだと言います。多分に心理的なものですが、銀メダリストは「もしかしたらXXXだったかもしれない」と後ろ向きに考える「反事実的思考」がある一方、銅メダリストは「何はともあれメダルを手にすることができた」と前向きに思考して、銀メダリストよりも素直に喜びを感じるためで、結果として、競技の出来栄えと満足度は必ずしも一致しないと言います。その真偽はともかく、今日の浅田真央選手はまさに悔し涙に暮れ、次のソチ・オリンピックでのリベンジを誓いました。とりあえずオリンピックで銀メダルを獲得したわけですから、明日からは、あらためて滑ることが出来る喜びを全身で伸びやかに表現し、体形そのままに軽やかに、見る者にその幸せを満面の笑みとともに伝えられるような、ひと皮剥けた姿を見せて欲しいと思います。
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破綻

2010-02-23 00:09:01 | 時事放談
 ボヤキは止めようと誓って来ましたが、たまにはガス抜きしないとやっていられません。今朝の日経・朝刊によると、国と地方を合わせた政府部門の(資産から負債を差し引いた)正味資産は、2009年度末に初めてマイナスに転落する模様です。これは、日本国を、今、解散したとしても、債権者に対して100%返済出来ないことを意味します。ここまで落ちぶれているのかと、今更ながら、愕然としてしまいます。日本国は既に破綻しています。
 こうして見ると、亀井氏をはじめとする鳩山政権が郵政民営化に反対した理由が分かりますね。何が何でも国債を国民が郵貯を通して買い支える、ということです。戦略も戦術もありません。今更ながら小泉政権が如何に潔かったかが分かろうというものです。
 こうした危機的な状況に直面しても、鳩山政権は、消費税を4年間は導入しないと明言し、今後三年間の財政健全化計画を立案すると言い放ちます。消費税は今すぐにでも、段階的にせよ、導入すべきシロモノであるにも関わらず、また、財政は3年どころではなく、10年とか15年のスパンでも健全化出来るかどうかも分からないシロモノであるにも関わらず、4年とか3年と言って恥じないことが意味するところは、今の民主党には日本国を救う意図も能力もさらさらなく、単に衆議院の任期を全うしようと汲々としているに過ぎません。民主党に国益の観念がないことは、普天間基地移設問題や、中国に媚びへつらう姿勢からも明らかでしたが、これほどの国難を前にして、選挙対策以外に行動規範がないという事実には、もはや開いた口が塞がりません。
 先々週末になりますが、ニュース解説番組に出演した田中秀征氏は、民主党のことを「仮設住宅」と呼び、他方、自民党のことを「老朽住宅」と呼び、これじゃあ誰もどちらにも住みたがらないと批判しました。なかなかお上手ですね。
 自民党を離党し、民主党からの入党要請を正式に受諾した田村耕太郎参院議員は、自民党がダメになった状況を問われて、自民党は、最後は泥水みたいになって、選挙を経て泥水の泥が抜けるかと思ったら、水が抜けてヘドロになっちゃった、と形容しました。こちらもなかなかお上手ですが、それでは民主党は大丈夫でしょうか?
 参議院選挙の前哨戦として注目を集めた長崎県知事選では、結果的に自民・公明が支持する前副知事が当選しましたが、これは自民・公明が勝利したわけでも、民主・社民・国民新が敗北したわけでもありません。ひとえに大仁田氏が浮動票9万票をかき集めたからに外ならず、勝利なき知事選挙だったと言うべきです。
 今の政界で期待すべきは、のほほんと「いのちを守る」と言い放つだけの民主党政権でもなければ、民主党の政治資金規制法違反を問うしか能がない旧態依然とした自民党でもありません。将来の日本を託すべきは、ビジネス的に言うならば、時間を決めて、日本国をリストラする専門家集団、強いて言うならば、舛添さんと、みんなの党の渡辺さんに、なんとか望みを託すしかないのではないかと思うのですが、如何でしょうか。日本国は、いよいよ追い詰められました・・・
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バンクーバー・オリンピック(前編)

2010-02-20 03:38:33 | スポーツ・芸能好き
 事前にはいまひとつ盛り上がりに欠けたオリンピックでしたが、いざ始まってみると、いつもの高揚感があり、それぞれの背後に隠れたドラマを含めて食い入るように見入ってしまいます。オリンピックは四年に一度、しかも一瞬の芸事だけに、結末に至る経緯、それぞれの物語を知りたいと思うのは人情なのでしょう。
 前半戦を振返ると、さすがにメダルを獲得したスピード・スケート男子500メートルとフィギュア・スケート男子は見応えがありました。長島・加藤両選手の走りには感動しましたが、両選手が属するスケート部を守り続けた日本電産サンキョーという会社の存在も有難く、二人三脚の勝利となったところが、他人事ながら嬉しく思いました。フィギュアの高橋選手は、一年前の今頃は、練習中に転倒して右膝の前十字靭帯を断裂した後のリハビリ中で、リンクに戻ったのは4月のことでした。その後の驚くべき回復があったればこそと思えるような、失敗を恐れず果敢に4回転に挑戦した姿勢は清々しく、見ていて気持ちが良かったですね。期待されながらメダルに届かなかったフリースタイルスキー女子モーグルも印象に残ります。得意のエアだけでなく、ターンの技術を必死に磨いてスピードを身につけ世界選手権を制した上村選手は、一年前であれば確実に優勝できたであろうに、その後の一年で後続のキャッチアップを許してしまった、この世界の競争の激しさ、勝負の非情さを思い知らされます。かつての金メダリストでありながら、なお里谷選手の捨て身のスピードもなかなか迫力がありました。全般的に、もはや日の丸を背負う悲壮感はなく、ゲームを楽しんでいるとインタビューに応える若い選手が多かったのが、時代が変わったことを感じさせます。
 そういう意味で、だらしない服装だと世間の非難を浴びたスノーボード男子ハーフパイプの国母選手には、ちょっと同情します。特別に変っているわけでもなく、ごくありきたりの、いまどきの若者に見えるからです。しかし、着こなしはTPOが重要です。世間の多くは、今なおオリンピックが他の競技会とは明確に異なり、四年に一度の国別対抗のお祭りだと多かれ少なかれ思っているわけで、そういう晴れの舞台に相応しい身なりを期待する国民感情、最近の言葉で言うと空気を、しっかり読むべきでした。
 いずれにしても、長い物語の末に結実する、この一瞬に賭けるそれぞれの思いが伝わって来て、水野晴郎さんではないですが、いやあ、オリンピックって本当にいいもんですね~!(ちょっと古い)
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禁煙のおもいで

2010-02-19 01:17:18 | 時事放談
 厚生労働省は、ようやく重い腰をあげ、飲食店や学校・病院などの公共施設を全面禁煙とするよう求める通知を自治体に出すことを決めたと報じられました。これには駅、空港、ターミナルのほか、宿泊施設、遊技場、劇場、百貨店、鉄道・バス・タクシーも含まれるそうです。日本も加盟しているWHOのタバコ規制枠組み条約で、2010年2月までに全ての公共の建物内を完全禁煙とするガイドラインに従ったものと思われます。自民党政府はガイドラインに拘束力はないと開き直っていましたが、これも政権交代の効果と言えましょうか。もっとも健康増進法は罰則を設けていないため、今回の通知違反にも罰則はないそうです。そうした姿勢を示すことが重要だと厚労省は主張しているようですが、罰則がなくてどこまで実効性があるものやら。
 私が会社に入った四半世紀以上前には、机の上に灰皿があって、オフィス内は煙っていました。末席に座らされた新入社員の私は、女性の先輩社員に囲まれて、禁煙を迫られてイジメられたことを懐かしく思い出します。実際に私は間もなく禁煙しましたが、いつの間にかオフィスでも分煙が進んだように、時代の流れだったのでしょう。その分煙も、ドアの開閉で煙が禁煙区域に流れるのを防ぎきれないため、喫煙をしない周囲の人が煙を吸わされる「受動喫煙」対策として十分ではなく、全面禁煙の実施こそ、受動喫煙の被害から人々を守る唯一の効果的な方法だと、WHOは報告しています。
 当時から、アメリカではオフィスの建物自体が禁煙で、喫煙者は不自由しているということを、現地駐在日本人から伝え聞いていました。ヨーロッパでも既に何年も前から禁煙法を制定する国が増え、つい2~3年前、禁煙活動に積極的ではないと言われたイギリスでさえも、パブやカフェ、レストランが禁煙になったことが話題になりました。それに引き換え日本では禁煙の動きが鈍く、喫煙率は低下傾向とは言え依然20%(男性39%、女性12%)と、男性の喫煙率だけ見ると欧米の二倍の高水準を維持しています。最近、煙草の値上げについても報道されていましたが、かつては海外出張の土産として煙草は定番だったのに、今では日本の煙草の方が安く、欧米の三分の一と、いつの間にか逆転しています。欧米がやることは何でも正しいとか、グローバル・スタンダードだから従うべきなどと子供じみたことを言うつもりはありませんが、グローバルに人が行き交う世の中では、世界の常識をもっと気にして然るべきだろうと思います。
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帰国子女の悩み・2(完結編)

2010-02-18 01:16:07 | 日々の生活
 今日もまたしつこく帰国子女の高校入試・三部作・完結編です。今日は、国際学科専門の都立高校入試でしたが、辞退しました。受験する予定だったその高校は、いざ通学するとなると自宅から一時間以上かかること、都立高校は合格した際には辞退しないで欲しいと中学の担任教諭から釘を刺されていたこと、そして既に自宅から近いある私学に合格していたからです。一般生の都立高校入試は来週ですが、我が家は一足先に終結です。
 帰国子女枠入試の受験科目は、せいぜい英・数・国の三教科のみ、中には作文だけとか、書類選考と面接だけの場合もあります。概して、現地校の成績を重視しますので、真面目にコツコツ勉強する女の子に有利であることは前回触れました。そういう意味で、現地にいる間は、日本の教科書は捨て、現地の勉強に集中させるべきだったと思うのですが、ウチの子は、どこまで効果があったのか疑問ですが日本の通信教育を郵送してもらってやらせていて、自ら中途半端な道を開いてしまったと言えます。もし現地校の成績に自信がない場合は、少しでも帰国後の日本の成績や当日の試験で点数を稼ぐ必要があります。我が家の場合、6月末に帰国して半年強になりますが、もし、もう一度、6月末に戻ってやり直せるならば、帰国後すぐに塾に入れて、日本の勉強に慣れさせたことでしょう。調査書は、いきなり二学期の二度の考査だけで決まったからです。あるいは、半年早く帰国していたら、助走期間もあって、余裕をもって中学三年生を迎えることが出来たことでしょう。
 帰国子女受け入れ実績がある学校の選択については、通常、中学の担任教諭も情報を持ち合わせなくて、余りアテになりません。先ずはJOBAという帰国子女専門の進学塾を利用したり、学校案内の書籍やインターネットで調べて、片っ端から学校説明会に足を運んで、生の声を聴いて絞り込んでいく必要があります。その中で、帰国子女の割合や、入学後の英語の授業の充実度(ネイティブ・スピーカーの教師の存在、能力別クラス編成など)や、後れている他の教科で復帰を手助けして貰える能力別クラス編成になっているかどうか等を確認します。学校によっては、10~11月の間に、帰国生徒資格認定を行なうところがあり、企業から派遣されて海外滞在していた場合には、企業の人事部門から在留証明書を発行してもらう必要があります。
 この在留証明は、資格・要件の確認のためと思っていたら、どうやら帰国子女受け入れに対して国(または地方自治体)から高校に対して補助金が出るので、そのための確証になるようです。国(または地方自治体)は、僅かながらも帰国子女に対して配慮してくれていたのですね。もっとも帰国子女を受け入れるためには、英語授業の充実、その他授業での補助といった具合いに、カリキュラムに工夫が必要ですし、短期留学制度や海外姉妹校との交流など、それなりに受け入れ態勢を整える必要があり、カネがかかる話です。それが投資対効果という点でペイするのかどうか分かりません。帰国子女と言わず、英語学習環境の充実が日本の社会としての課題と言えそうです。
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帰国子女の悩み・2(続)

2010-02-16 00:20:12 | 日々の生活
 前回の続きで、帰国子女の悩みを総括しますと、一つは、海外の学校に馴染んでしまった子供を日本の学校に復帰させる時の難しさに由来します。日本の受験制度は、実にハードルが高い。国語が難しいのは仕方ないにしても、理科や社会は記憶することが多い上に、概念は英語で理解していても日本語の表現を知らないために覚え直すのが大変ですし、日本の社会にいれば自然に理解出来ることでも、海外にいたばかりに根本的に頓珍漢なことも少なくありません。場合によっては数学や英語ですらも、問題文の日本語を理解できないなんてこともあって、ずっこけさせられます。また、昔は珍しかった帰国子女も、最近は人数が増え、ただでさえ帰国子女間の競争が激しくなっている上、景気が悪い昨今はなおのこと帰国する企業派遣の家族が多く、競争は熾烈です。海外に滞在している間もさることながら、帰国してからも、しっかり対策の勉強をしなければ、希望する学校への合格は覚束ないように思います。それでも女の子の場合、そもそも帰国子女を受け入れる女子中学・高校が多い上に、海外の学校でもしっかり勉強して良い成績を修めていることが多いため、共学校での合格者の比率も7~8割と圧倒的に女の子が多いのに比べ、男の子の場合、女の子の場合と逆で分が悪い。帰国子女においても、女の子は「強い」のです。
 帰国子女の悩みの二つめは、海外で折角身につけた英語力を、帰国後も維持・向上させたいと思うのが人情ですが、日本に滞在する限りは難しいということです。私は、入社以来、海外事業に携わって来た仕事柄、周囲で多くの帰国子女を見て来ましたが、彼ら・彼女らの英語は、発音に関しては抜群に上手く、非の打ち所がありませんが、敢えて言うなら、どこか子供っぽい英語を話します。英文のビジネス文書を書かせてみるとテキメンで、表現がどこか幼い。恐らく、海外に滞在していた頃から、成長に合わせて自然に増えていくべき語彙や豊かになるべき表現力が、日本に滞在するばかりに大人にまで成長しないで止まってしまったのではないかと推察されます。そういう意味で、同時通訳のような仕事をするには、日本をベースにしていてはダメで、海外に長く滞在しながら、日本語も勉強したような人でないと務まらないのではないかと思います。それくらい、日本は英語を学ぶ環境ではありません。そのため、ネイティブの英語の先生が多かったり、英語については能力別クラス編成にしている学校の人気が高まるのは当然で、しかし金のかかる話でもあり、そうした充実した環境を整えられる学校はそうそう多くないため、そこをめぐる競争は必然的に熾烈になります。
 以上、見てきた通り、帰国子女は英語を身につける機会があって羨ましい反面、それを伸ばすには海外の学校に通い続けるという痛みを受け入れるか、はたまた日本人として最後は日本の大学を目指すために相当の努力を強いられるか、どちらにしても苦労が絶えないのが、日本の社会の実情ではないかと思います。外国人学生を受け入れるには、更に難度が高くなりますね。日本の社会の国際化は夢のまた夢というところでしょうか。
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帰国子女の悩み・2

2010-02-13 23:46:08 | 日々の生活
 上の子は高校受験の真っ最中・・・にも関わらず、帰国子女枠で受験するため、同級生とは違う学校・違う日程・違う受験科目で、しかも、偏差値や調査書で決まる(従って合否を測りやすい)一般入試と異なり、帰国子女枠の合格基準はいまひとつ明確ではない(現地校の成績と帰国後の成績と当日の試験結果とで、どれが一番評価されるのか曖昧で、統計データも少ない)ため、親としては気を揉むばかりですが、本人にはなかなか緊張感が見えません。そもそも日本の受験制度のことをよく理解していないので仕方ありませんが、学校説明会にせっせと足を運び、品定めをし、試験や合格手続きの日程を睨みながら、優先順位をつけ、最終的に受験する学校を決めて、願書を取り寄せ、願書に記入して写真を貼るところまで、全て親任せで、私自身が受験した時には何でも自分で決めた当時を思い出すと、ちょっと呆れてしまいます。もっともそれをお気楽だと思うのは親の勝手で、子供は子供なりに悩んでいるようです。
 そもそも帰国子女と十把一絡げに呼び慣わしますが(中には海外の日本人学校で日本語の勉強しかしていなくても帰国子女と呼ばれたりします)、日本語・外国語のそれぞれを操る能力や、日本の社会(学校)に復帰する難しさは、どの年齢で何年くらい海外に滞在したかで千差万別だろうと思います。ウチの子の場合は、小学校5年生からの4年間で、日本語を完成させるとともに、理科や社会など、学ぶことが急激に増える時期と重なり、今思えば(当時も悩み心が揺れましたが)、日本語と英語の両方の世界の勉強をさせるのはもはや負担が大きい年齢でした。結果として、子供は人一倍苦労することになりましたし、本人なりに頑張ったけれども、日本語と英語のいずれも中途半端になった面は否定出来ません。
 実際、親の都合で海外を引っ張りまわし、海外滞在中は折角の機会だからと日本人学校ではなくインター校や現地校に通わせ、小・中学校の勉強はたかが知れていると、塾にも入れず伸び伸びと育てた結果が、今の状況に至っているわけで、その責任は親の私にあり、小言は言えても文句を言えた筋合いではありません。そうと知りつつ、つい文句を言うと、何故、日本に戻らなければならなかったのか、行きたい学校は日本にはなく、シドニーの学校だったのに、とか、現地校に行ったばかりに中途半端になったのであって、最初から日本人学校に行っていたらもっと日本の勉強が出来たのに、などと言い返されると、返す言葉がありません。
 こうしたお年頃で受験の切羽詰った時には、親の無力さを思い知らされます。ここまで来てしまった以上、悩んで立ち止まってもいられませんし、良かれと思って選んだ道ですから、後悔したくもありません。救いは、子供が海外経験で何かを掴んであろうこと。あれは良かった、面白かったと言えるのは、5年先のことか、10年先か。私にとって、今回の海外駐在を総括するのは簡単ではなく、なかなかケリがつきそうにありません。
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茹で蛙

2010-02-11 10:24:37 | 日々の生活
 先々週くらいに日経新聞に載った記事なので、ちょっと旧聞に属しますが、欧州ビジネス協会会長トミー・クルバーグ氏、否、むしろイケア日本法人社長と言った方が通りが良いでしょう、彼の目に映る日本のことが、経済観測というコラムに掲載されていました。曰く・・・
 「主婦を対象に市場調査したところ、日々の生活についての暗い発言が多くて驚いた。住宅ローンや職場のストレス、親の介護、家庭を顧みない夫への不満などだ。人生を楽しむ感覚を忘れ、常に何かを心配したがっているようにも思えた。」「幸せな気分こそが消費の土台となる。日本経済を元気にするには、まず日本人が笑顔を取り戻さなければ。個人が社会から切り離されて孤立している印象だ。新政権の政治指導者には、失敗した過去を語るのではなく、未来志向で希望ある日本社会の姿を描いて欲しい。」
 その市場調査とやらが何たるかを知りませんが、同じ調査を欧米人に実施すれば、随分、違う結果になるであろうことは想像に難くありません。それは、現在、置かれている経済や社会環境の違い以上に、日本人の民族としての性格の違いが反映されたものだろうと思います。端的に、欧米人は、何故あれほどあっけらかんと前向きに人生を楽しめるのか羨ましくもあり疑問に感じます。そう思うこと自体が日本人である所以なのですが(笑)、それくらい日本人は、一般的に、欧米人に比べて悲観的に映ります。これは飽くまで表現上の問題、姿勢やポーズ、心の持ちようであって、謙虚でつましいと言えばそうなのでしょうが、例えばそれが実際の消費行動にストレートに影響するかと言うと、そうとも思えません。続いて・・・
 「日本列島が世界地図から消えてしまった。欧州のレーダーには日本が映っていない。中国やインド、ブラジルの姿は見えているのに、日本での事業展開をあきらめる欧州企業が多い。これでは対日投資は伸びず、競争も活発化しない。」「日本への直接投資額は米国や欧州各国、中国より少なく、トルコと同水準だ。アジアの経済ブームで投資機会は豊富にある。日本は世界第二の経済大国であり、国民の所得も大きいのに、成長する市場と見なされていない。この状況を政策の力で変える必要がある。」
 こちらに関しては、返す言葉が見つかりません。バブル以後の日本経済の20年間にわたる停滞は、素直に欧州人の心に反射しています。由々しき事態ですが、仮に鳩山政権の面々に問い質したところで、国会答弁であれば、間違いなく、今の日本の凋落は長い自民党政権のせいだと逃げを打つことでしょう。しかし、いったん政権与党として選ばれた以上、この答弁は禁じ手で、国民は誰もそんな言い訳を聞くために一票を投じたのではありません。
 韓国人は、所謂リーマン・ショック後も、それほど消費行動が衰えていないと言われます。それに引き換え、日本人は元気がない。日本人は蓄えがあるのに、なかなか消費に繋がらない理由を、鳩山政権は真面目に分析する必要があると思います。そうである以上、「コンクリートから人へ」という政策転換を評価する声が(とりわけ御用学者と思われる人々の間で)高いわけですが、ナントカ手当てと称して国民の手に直接金を掴ませても、所詮は濡れ手で粟で、それが消費に繋がるかどうかは疑問です。
 日本人は、歴史を振り返れば分かるように、自らの手で未来に投資しようという性向を余り持たない民族だと思います。気が付けば、国土は、他から孤立してそこにあった。大陸から流れ込んだ人々もいましたが、随分前に大きな流れは止まり、その後は国を閉ざしがちだったこともあって、こぢんまりと纏まりました。移民国家のように、人が増えてパイを増やすためにフロンティアを求めるようなことはありませんでしたし、将来に向かって国を造り変えようという契機もありませんでした。その領土の中で、「和を以って尊しとなす」精神で、肩を触れ合いながら仲良く暮らして来ました。例外は、秀吉の朝鮮出兵と、明治以後の帝国主義の時代でしょう。とりわけ第一次大戦のドイツの敗北に総力戦と経済封鎖の原因を認め、日本はその轍を踏むまいと大陸進出を目指しましたが、見事に欧米に叩かれてしまいました。今はまた巣ごもり状態に戻ったところです。
 政治は民度を映す鑑だと思いますが、日本においては、かかる素直な国民性のため、政治のリーダーシップに期待せざるを得ないところがあります。しかしその同じ国民性によって、余程の危機にない限りは、リーダーシップを発揮できないジレンマを抱えます。今はまさにその危機にあると思うのですが、どうにも茹で蛙状態・・・今の温度にいきなり放り込まれれば、熱さで飛び出すほどの熱湯の中にいると思うのですが、ぬるま湯に浸かったまま徐々に温度があがって来れば、それと気がつかないまま、いずれのぼせて果ててしまう運命にあるのでしょうか。
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木製シャンパン・クーラー

2010-02-07 15:26:22 | 日々の生活
 この週末のTV番組で、京都の桶職人・中川周士さんが作成した木製のシャンパン・クーラーが、ドン・ペリニヨンの公式商品と認定され、ロゴをつけて販売されることになったことが紹介されていたのが印象に残りました。
 シャンパンのボトルはお尻がぼてっと太っていて、冷蔵庫で冷やすと時間がかかるため、通常は保冷性に優れたステンレス製のクーラーが使われます。オンライン・ショッピングの解説を見ると、1万円の予算でそこそこのものが、ちょっと気合いを入れて3万円出せば申し分ないものが手に入ると書かれています。これに対して、中川さんの作品は、素材に高野槇(こうやまき)を使い、木肌が滑らかで白くて美しく、値段は破格の8万円だそうです。通常の桶の断面は円形であるところ、この作品は楕円形で、微妙なカーブが難しかったと言いますが、200丁のカンナを使い分け、鉄くぎなしに、十分の一ミリ以下の精度で木材を削って組み合わせる指物の技術で、一ヶ月に30個作るのがせいぜいと言いますから、むべなるかな。
 高野槇は、世界三大造園木の一つで、木曽五木の一つでもあり、水に強くて朽ちにくいことから、古代には棺桶の材料として、現在でも風呂の湯船や橋梁などに用いられる高級木材だそうです。秋篠宮家の悠仁さまのお印にもなったのは、常緑針葉高木で、高さ30~40メートル、直径1メートルにもなる巨木で、「大きく、まっすぐ育ってほしい」という気持ちが込められているからだとか。シャンパン・クーラーでも、その保冷能力の高さと結露しにくい機能性が生かされています。
 職人は、フランスでアルチザンと呼ばれ、ドイツではマイスターと呼ばれて、これらの国々では職人の伝統が息づいています。仕事に誇りを持ち、高いクオリティを目指す職人芸が尊ばれるフランスで、日本の伝統的な職人芸が高く評価されたのが嬉しい。ドンペリの醸造最高責任者によると「時間をかけて育つ木を使い、多くの制約があってこそ生まれる作品」には、ゆっくりと熟成させるワイン作りに通じるものがあったようです。しかもシャンパンという西洋らしさと、木製という日本らしさが合わさったところが斬新です。コンサルタント会社が両者を繋いで実現したそうですが、職人大国・日本の行く末を暗示するようです。
 なお、中川さんの工房で作られた手桶は3万円弱と、こちらもまた破格ですが、何世代も使い継げるエコ商品として、高いとみるか安いと見るか・・・と言うよりも、私にとっては値段の問題ではなく、檜風呂でもないのに高野槇の手桶というのは、なんとも不釣合いに映ります。浅田次郎さんの作品「地下鉄に乗って」には、大正から昭和初期の、ピカピカの日本が描写されていますが、ここで言うピカピカという意味は、あの頃の建築物にしろ、乗り物や洋服など身の回りの品にしろ、素材は大理石や金や絹など全て本物だったということです。今や工業用ダイヤモンドもあるくらいで、巷には合成素材が溢れており、こうした商品に誰でも手が届くようになった一方で、素材や品質は劣化しているところが、大衆化の本質でしょう。大学も、そう言われて久しい。日本古来の伝統的職人芸にとっての危機は、職人芸が生かされる環境が私たちの周囲から消え、安物のフェイクに慣らされた私たち自身が目利きではなくなっているところにありそうです。工業化社会や大衆化が行き着く先に、果たして高いクオリティを求める時代が来るのでしょうか(それが来ないと日本の将来は暗いという気がしますが)。
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立春朝搾り

2010-02-06 01:11:02 | 日々の生活
 知人から澤乃井の酒を貰いました。「立春朝搾り」のキャッチフレーズをつけた、「純米吟醸・生原酒・平成二十二年庚寅二月四日」と題した酒です。文字通り、立春を祝うめでたい酒です。
 立春というのは、ご存知の通り二十四節気の一つ、節分の次の日で、冬至と春分の中間にあたり、暦の上ではこの日が寒さの頂点で、翌日から少しずつ寒さが緩み、立夏の前日までを「春」と呼ぶわけです。また、立春は「夏も近づく八十八夜」とか、台風の「二百十日」までの起算日にもなっているそうです(以上、ネタに困った時のWikipedia)。
 さてこの酒ですが、生原酒と言うだけあって樽の香りはちっともしませんが、ちょっと甘ったるく若々しい感じが、如何にも「立春」に相応しいように感じました。
 私が日本酒に目覚めたのは、40歳が近づいた頃でしょうか。最初の一杯は今でもビールですし、最近は同僚や年配の方と飲むのは健康のために専ら焼酎ですし、学生時代こそ高級ウィスキーを水割りで、コーク・ハイで、またロックで、ただ酔うために飲み、当時の海外旅行土産と言えば高級ブランデーで、寝酒にし、独身時代はカクテルに凝ったこともありましたし、今も自宅でジンをトニック・ウォーターで割るのが大のお気に入りですが、人生の半分を過ぎて、やはり日本人には米の酒が一番だと思う私です。
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