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『ガクモンの壁』

2008年01月18日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
※ 無私の心に満ち、家族や人のために生きた亡き母が、私のために塗ってくれた綿入れ半てんです。


◎ 今朝、養老孟司さんの『ガクモンの壁』(日経サイエンスブック)を読み終えた。
ぼくが強い印象を受けたことは、次の5点だった(「→」以下の書き込みは、私のコメントです)。

(1) 自らを殺す遺伝子が組み込まれている細胞があること
  → おたまじゃくしの尻尾や人の胎児の指と指の間にある肉と皮など
  → 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり

(2) トラウマとは、うまく付き合っていけばいいこと
  → 思い出したくないのに、いつまでも忘れなれないという逆説
  → 失敗体験よりも、成功体験(イメージ・トレーニング)が大事
  → ぼくの自信のなさや思い切りの悪さへの再認識

(3) 心身の遺伝的要素は無理に変える必要はない
  → 自分の人生を運命論的に考えると、気が楽になる
  → 子どもへの過度な期待がうすれる

(4) 誰ひとり、自分と同じ人間はいなし、いなかった
  → だからこそ、堂々と胸を張って生きていこう
  → 個人差が当たり前、悩むより好きなことをやれ

(5) ときには、解剖学的な視点で自分を見るとおもしろい
  → ゴルフと詩吟は、自分の身体との対話である

◎ 養老孟司さんは、たばこに関して、すこぶる寛容であることを公言してはばからない。愛煙家である自分が、養老さんの著作や発言に注目しているのも、たばこに対する認識の共通性があるからだと思う。(2004/05/20)(2007/08/10)
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病院で女医さんから禁煙を勧められた…

2008年01月17日 | ここで一服・水元正介
◎ 暑い土曜日(2007年8月11日)だったね。昼間、庭に出てゴルフの練習や草取りをしたが、3か所ほど蚊に刺された。熱波がきたような暑さだった。糖尿病になりかけているので、4月から体質改善を続けている。そろそろ、専門医に診断してもらおうと、近くの病院へ出かけた。診察時間がくるまで、飲料自販機のルートマンがお金の集金、空き缶等の回収、病院の人たちとのあいさつや会話をしている様子を観察させていただいた。

◎ 診察してくれたのは、若い女医さんだった。彼女は糖尿病に関する一般的な解説、今後の治療方針の考え方を述べたあと、「たばこはお止めになった方がいいですよ!」と言ってきたので、「そればかりは、どうも」と前置きし、「おっしゃることは当然でしょうが、たばこを止める気はございません」と答えておいたのである。(2007 08/11)
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糖尿病患者用の手帳をいただいた…

2008年01月16日 | ここで一服・水元正介
◎ 昨日(2007年8月13日)、お休みをいただいて、近くの病院へでかけてきた。案の定、私は「3月末の健康診断での数値を見させていただきましたが、明らかに、実質的な糖尿病ですね」と、医者はきっぱり言った。この数ヶ月に及んだ自分なりの努力を述べたのだけれど、「長い年月をかけて悪くなったものですから、そう簡単には治癒する病気じゃないことを認識して下さい」とも言われた。

◎ 「たしかに、おやせになりましたね。実に良いことですが、標準体重(57キロ)プラス10%で計算すると、62キロになりますから、あと半年ぐらいかけて、そこまで落としましょう。具体的な治療は、そこから検討することにします」とのことである。すぐに投薬やインシュリン注射といった治療も懸念されたが、ギリギリのところで間に合ったらしい。

◎ でも、今週末には「カロリー制限のための栄養指導」を受けることになったし、月に一度は尿検査および血液検査を行い、経過を見ながら長期的に治療していく必要があるようだ。たばこについても、きついお達しがあった。こればかりは従えないし、「70歳を過ぎた頃には検討してもいいかな」と思っている。そのためにも、糖尿病の体質をしっかりと改善する覚悟なのである。(2007 08/14)

※ この病院の喫煙場所はひどすぎるのだ。歩道と玄関の境目に、スタンド灰皿ではなく、車のオイル缶が置いてあるだけである。中をのぞいたら、濁った水にたばこの吸い殻が数本沈んでいた。

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玄関と廊下の壁にペンキを塗りました…

2008年01月15日 | たばこの気持ち
◎ いやー、昨日とは違って今日も暑い一日でしたね。明日からはだいぶ気温も下がるようですが、猛暑ではないものの、残暑であることに変わりないようです。夏バテには気をつけたいですね。この暑い最中、わが家では玄関と廊下の壁や天井にペンキを塗りました。段取りするにも一苦労で、汗びっしょりになりました。明日も夏休み期間なので、リビングの壁と天井にペンキを塗る予定です。素人でも案外きれいに仕上がりました。

◎ 隅々にテープを貼るなどの下準備は終わりましたが、「この際、部屋の大幅な模様替えもしたい」と、カミさんは大張り切りで、そのお手伝いもする予定なのです。というわけで、15年以上もニコチン・タールで汚れに汚れたリビングが、明日すっかりきれいになります。(2007 08/19)

※ 2008年1月15日現在、ペンキ塗りの疲労困憊という教訓を踏まえ、わが家の喫煙コーナーは台所の換気扇の下で維持されています。おかげで、玄関・廊下・リビングはきれいなままになっています。
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「監査役『野崎修平』」

2008年01月14日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
■■■作:周 良貨、画:能田 茂(集英社)■■■

◎ 小山近郊にあるマンガ喫茶へ出かけた。カミさんと子どものお気に入りお店なのだが、ぼくはときどき付き合いことにしている。ドリンクも2杯まで無料、これが案外ありがたいし、1階はオール喫煙席なのだ。ゴールデンウィークの合間、ダラダラするのにはもってこいの空間である。ぼくは、マンガ喫茶で三国志などの歴史物や「本田宗一郎物語」などのビジネス物を読んできた。
 今回は、集英社の「監査役『野崎修平』」に目をつけ、第一巻から第六巻まで読むことができた。実に面白く、ついつい持参したシステム手帳に抜き書きをしてしまったほどである。今日は、その中からいくつかを紹介しておきたい。まず、企業倫理と人事に関するテーマである。

(第1巻98ページ)
信用や正義は理想ではありません。銀行がまともな経済活動をしていく上での「コスト」です。世間の信用を失ったために、どれだけの損失を被ったかは誰よりも武田専務!あなたが一番ご存知ではありませんか。
(第1巻155ページ)
平等な人事というのは人が人を評価する事です。好き嫌いや個人の価値観・ヒイキが入るのは当然の事です。あなたもそうして人を評価してきたのでしょう?それが己に返ってきただけなんです。

◎ 次に、バブル経済とは何であったのか、銀行が果たした負の役割はいかにして増幅したのか、さらにはその渦中で悩み苦しむ人間模様などが、しっかりとした構成で描かれている部分である。特段のコメントは避けておくが、サラリーマンをしていると、しみじみと身に沁みる言葉だと思うので、ただただ味わっていただきたい。

(第4巻84ページ)
5年10年経たなければ評価されない仕事もある。自分の信じている事を貫けばきっといつかわかってもらえる。
(第7巻107ページ)
騒がぬ事です。知らぬが知るに勝る事もある。
(第7巻146ページ)
組織の活力はバランスの上に成り立つものです。静と動、強と弱、善と悪、トップはその采配を気遣うだけの存在です。

◎ これを書いた当時(2004/05/24)から、すでに3年以上(2007/08/10)も経過している。あのマンガ喫茶は、2年以上も前に「改装のため一時閉店」という看板を出したまま、再開の予定もなく現在に至っている。値段が安く、たばこも自由に吸えたので、わが家にとっては重宝していたお店だったのに、残念である。その後、競合店も出店してきたので実質的な閉店なのだろう。
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『死言状』

2008年01月13日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
■■■山田風太郎著(角川文庫)■■■

◎ 本書には、愛煙家にとって心強いことが書いてある。少々、やけ気味クソ気味な論点も見受けられるが、ぼくは全面的に同意したい。「禁煙ファシズム」と題する小論が178~183ページに掲載されており、その要旨をご紹介し本書の感想に代えたい。

*** 大敗戦で大驚愕して以来、もう何事が起こっても驚かない習性を植えつけられた自分だが、近ごろになってそれでも驚倒することが続出するようになった。この日本にはあり得ない、現代には起こり得ないと思っていた事態や現象が、次から次へと現実のものとなるのを見てである。…その一つが、例の捕鯨問題だ。… そもそもペルリが日本に開国を迫ったのは捕鯨基地を求める目的のせいではなかったか。…
 アングロサクソンの言い分は、あんな知能指数の高い愛すべき動物を、銛で殺して食う日本人の野蛮性は憎むべきものである。これはわれわれだけの論理ではない、全世界の認める論理だ、というのだが、ホンネを吐かせると、およそ地球上に生存する生物で、第一のランクがアングロサクソン、第二は犬と馬で、第三はラテン、ゲルマンで、第四が鯨で、日本人はそれより下位だ、とにかく、昔は昔、今は今、今とかくわれわれがイカンといったらイカンのだ!といいたいところだろう。…
 それまで大っぴらに認められ、普通の風習として通って来たことが、突如許すべからざる悪として指弾されはじめたこと、喫煙問題がこれとそっくりである。…
 実は私も大のタバコのみだが、ずっと以前から、「酒は五害あって五利あり、タバコは九害あって一利あり」という持論の持主であった。
 一利というのは、本人のストレスの解消である。私なんかストレスの解消にとどまるが、しかしひろく歴史上の天才巨匠の話になると、もしタバコがなかったら生まれなかった大思想や大芸術が存在するはずである。
 漱石はタバコのけむりを「哲学の煙」と形容した。ゴッホの自画像もパイプをくわえている。近くは梅原龍三郎は98歳で死ぬまで恐ろしいヘビースモーカーであった。一利の効用は意外に大きい、と信じている。
 これに対し、禁煙派のふりかざすのは、タバコはみずからに害があるのみならず、他人のも有害である、という論告だ。…禁煙運動が禁捕鯨運動と相似た感じがあって相異なるのは、禁煙党の論理が、禁捕鯨党の理も非もないゴリ押しなのにくらべて、一応科学的であるという一事である。まったく筋が通っている。これには一言もない。
 が、それでも首をひねることがある。そんなに自他の健康のことをいうけれど、日本はこれまでタバコをのみまくって、世界一の長寿国になったではないか。……タバコを禁じればさらに、長生きするというが、そもそもこれ以上長寿国になって将来どうするつもりか。それこそ自他ともに、さらに苦難を招くことにならないか。百万人の肺ガン患者より、三千万人のボケ老人の始末のほうがはるかに厄介である。タバコはその苦難に対する有力な予防ではないか。
 私はこれを、冗談ではなく大まじめにいうのだが、テキはますますいきり立つだろう。それから、右のような憂国の念のない、トニモカクニモ自分だけは長生きしたい人々が、それに相呼応することいよいよ急になるだろう。…
 それを思うと、一応ゆくところまで、ひょっとするとタバコが阿片や大麻と同様の扱いを受ける日が来るかも知れない。
 が、結局のところ、日本からタバコが完全消滅することはないだろう。たしか徳川初期、肺ガンなどとは別の理由でやはりタバコ禁止令が出て、斬首に処せられたこともあったはずだが、長続きはしなかった。それから戦時中、何度かタバコの猛烈な値上げが繰り返されるたびに、「もうのめない!」「もうやめた!」と巷から悲鳴の大合唱があがったが、数日たつとまたもと通り、タバコの葉っぱをただ刻んだようなタバコを、自分で紙で巻いてプカプカふかしている光景を、私は目撃したおぼえがあるからだ。ほんとうに禁煙時代が来たら、タバコのみは松葉でも吸うだろう。
 自由は死すともタバコは死せず! ***(2003/11/07)
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『パプリカ』

2008年01月13日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
◆ 『パプリカ』における「たばこ」     水元 正介

◎  今朝(2003.5.8)の在来線車中で、筒井康隆さんの『パプリカ』(中央公論社版)を読み終えた。いつものように、「たばこ」が登場するページにドックイヤーをしてみたが、『最後の喫煙者』(新潮文庫)という作品のある筒井さんにしては、予想外に少なく10か所だけであった。さらに、村上春樹さんのような特定のたばこ銘柄にまったくこだわりがなく、たばこの表記は「煙草」で統一されていた。

◎ 本書では、実際にたばこを吸う場面が3か所しかなく、そのうちの2つも「一服」だけで終わっている。そのほかの7か所については、「煙草屋の裏」という場所に「たばこ」を用いているだけだから、喫煙シーンの極めて少ない作品だといえるだろう。しかし、次のようなとっておきの1か所(本書250ページ)があって、筒井さんの想いが込められた場面だと、ぼくは感銘を受けたのである。

*** 能勢が敦子にことわり、粉川にもすすめて珍しく煙草に火をつけた。彼らの精神に、たまの煙草が好ましく作用することを敦子は知っている。うっとりする男性的な香りが密室にこもり、とうとう敦子も能勢に1本ねだってくゆらせた。***

◎  乾副理事長たちとの壮絶なたたかいの渦中、それに立ち向かう3人の心境が見事に表現されていると感じた。なお、本書に登場するサイコセラピーの装置は、オウム真理教の「ヘッドギア」と似たところがあって、筒井さんの先見性が悪い意味で現実化されたような気がしたのである(本書は1993年発行、地下鉄サリン事件は1995年である)。さらに、小型化したDCミニについては、2003年現在、携帯電話の発展形態として、あながち荒唐無稽の代物とは言えないと思うのだ。というわけで、ますます筒井康隆ファンの度合いが深まった自分なのである。

1 P66 受付まで戻ると、よく開発室に出入りしている顔見知りの社員に辞意を告げ、記念品の紙袋を受け取って、パーティ会場の入口が見える黒革張りのソファに掛け、社長と資延を待ちながら一服した。

2 P76~77 パプリカは能勢が何かのこだわりを持っているらしい「煙草屋の裏」にもう一度戻りたかったのだが、能勢はまたしても以前の夢と同じ中学校の教室へ、すでに来てしまっていた。

3 P81 バック・スキップ。「その前は煙草屋さんよ」…
「この煙草屋の裏。小川のほとり。ここで、何かあったの」

4 P82 煙草屋の裏の空地は、それ自身が能勢龍夫の不安を激しく呼び起こすものであり、もしパプリカが彼の夢に立ち会っていなければ、能勢が眼覚めるなり抑圧し、忘れてしまった筈のシーンだった。

5 P113 「ここに煙草屋さんがあるわ。じゃ、さっき秋重君と篠原君が話していた場所はこの裏ね。つまり『煙草屋の裏』なのね」

6 P117 「…煙草屋の裏だってそうだ。あそこは秋重たちのいじめの現場だった。…それで、ぼくの、虎竹を煙草屋の裏へつれてこいって言ったんだ。…」

7 P118 「でも、あの煙草屋の裏のいじめをきっかけにして、虎竹はそれからずっと3人にいじめられ続けたんだよ」

8 P185 研究所に着き、小山内は自分の研究室で一服したのちすぐ病院へ行き、看護婦詰所で待っていた研究生や看護婦を引き連れ、担当の病室をまわった。

9 P250 能勢が敦子にことわり、粉川にもすすめて珍しく煙草に火をつけた。彼らの精神に、たまの煙草が好ましく作用することを敦子は知っている。うっとりする男性的な香りが密室にこもり、とうとう敦子も能勢に1本ねだってくゆらせた。

10 P384 夢中存在の能勢はその超現実的な能力で現実を変えた。能勢、敦子、浩作の3人は今、遠くの山なみに続く一面の畠の中、広い街道に立っていた。パプリカにはおなじみの、煙草屋の前、バス停の表示の立つ場所である。
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飲めば香る細身のペットボトル飲料…

2008年01月12日 | たばこの気持ち
◎ 体臭を消す、部屋の臭いを落とす、トイレに香りづけする、衣服の臭いを消すなど、各種の商品が氾濫しているが、そのコンセプトは外部からの「脱臭と芳香」である。体臭については、古今東西、とくに女性にとっては香水に象徴されるが、とても大事なツールなのであり、昨今では男女を問わず、わきの下の消臭剤はコンビニ等での定番商品になっている。また、ペットブームでもあることから、食べ物の中にある種の物質を混入させ、糞尿の臭いを低減させる商品も販売されている。ハムスターでさえ、湿気の多い日などには気になる臭いを発するので、わが家でもヒマワリの種に混ぜて与えている。

◎  私自身の考え方としては、古い人間なのかも知れないけれど、たばこの臭いや加齢臭を含め、「何でも嫌な臭いは消す」ということが、「果たして善なのだろうか」という疑問を持っている。獣の臭いを失った食肉、生臭さの感じられないトマト、青臭さの薄れたレタス、鼻をつくような香りの消えたニンジンなど、栄養価的にみても、決して良い傾向ではないはずだ。人間として、たとえ嫌な臭いであっても、いったんは身体の中を通し、それら種々のかすかな違いも嗅ぎ分ける能力を養う必要がある。現代は、その訓練をする以前に「シャットアウト」してしまう傾向がある。私は、その臭いゆえにトマト・ニンジン・ミョウガが大嫌だった。でもいつしか…
―― その香りゆえに、大好物なのである

◎ 人間は成長とともに、「嫌な臭い」が「大好きな香り」に変化することもが多いにあり得るのだ。というわけで、香りを外的なもので消し去ることに対して、私は違和感を抱いているけれども、先日、上野駅の売店で買った「飲めば香る」という飲料(*)については、「有っても良いかな」と思ったのである。

* 香気成分「リナロール」をレモン約25個分(市販されている代表的な果汁1%のレモン飲料のリナロール含有量と比較して約100倍に相当)含み、飲むと爽やかな柑橘系の香りが漂うフレグランス飲料「FRAGRA WATER」(JTのHP・商品情報から引用)(2007 07/18)
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【ジキル&ハイド】

2008年01月12日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
◎ NHK衛星映画で、ジュリア・ロバーツ主演の『ジキル&ハイド』をみた。幼児期に、父から虐待を受けたマリーは、ジキル博士から「父を憎んでいるか?」を問われ、彼女は悲しい表情で「父を憎んではいない。お酒のせいよ」と答えるシーンがあった。
 別にここで、お酒の悪影響について述べるつもりはないが、日本でも小原庄助さんは「朝寝・朝酒・朝湯が大好きで、それで身上(しんしょう)つぶした」という歌があるぐらいだから、過度に飲みすぎたり、それが習慣になったりすると、本人の肉体を傷めると同時に、まわりへの多大な迷惑にもなる。

◎ 私は、『ジキル&ハイド』を見ながら、最近の「たばこは害であり、人の命を奪う」というキャンペーンについて考えてみた。これが、公共施設等での禁煙はもちろん、義務教育レベルから徹底されていけば、
たとえば・・・

(1)ヤニ臭い父を憎んではいない。みんな、たばこが悪い。
(2)彼の仕事は一流なのだが、たばこが入ると駄目なのだ。
(3)早いうちにたばこを止めていれば、ひと財産残せたものを。
(4)キッチンスモーカーになってしまった母を哀れに思う。
(5)たばこが彼の人生を大きく狂わせたのであった。
(6)20世紀の人類は、たばこ癖が悪かった。

などというセリフが、将来の映画の中に数多く出てくるのではないかと想像してしまった。単なる私の「被害妄想」に過ぎなければ良いけれど。(TUE.17.JULY.2001)
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『死せる魂』(下)

2008年01月12日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
◆ 『死せる魂』(下)     水元 正介

◎ たばこ登場のシーン

p8 ――カペイキン大尉というのはですね、――と郵便局長は、だれか隣りの者に指先をつっこまれることを恐れて嗅ぎ煙草いれの口半分しか開かずに、言った。というのも彼は他人の指先はどうしても清潔なものと思えないで、いつも「ねえきみ、きには自分の指先をどこへでもつっこむようだが、嗅ぎ煙草というやつは、清潔にしておかなけりゃならんものだからね」と口癖のように言っていたからである。「そのカペイキン大尉というのはですね、――と彼はまず煙草を嗅いでからそうくり返した。

p10 (煙草以外の記述で興味ある記述)…食事は――玉菜汁(シチュー)と叩き肉…

p27 ( 同 )しかも現代人はしたり顔にあざわらいしている半面、自分らもまた後世のもの笑いになるようなあらたな混迷の数々を大っぴらに犯しはじめているのである。

p30-31 ―― … きょうは飯どきにくだらんものをやたら食わされたんで、どうも胃がガタガタしかけているんだよ。ときに煙草を一服つめてくれるように言いつけてくれないか?きみのパイプはどこだい?
――だってぼくはパイプは吸わないのですから、――とチーチコフはすげなく言ってのけた。
――なにをくだらない、きみが煙草のみだっていうのをおれ(ノジドリョフ)が知らないじゃあるまいし。

p58  たとえば、この課長が書きものをするときに使う羽根ペンのけずりかたを注意ぶかく観察して、おなじようなものを何本か用意しておき、毎回それを相手の手もとへ置いておいてやったり、卓上の砂埃や煙草の紛を吹きはらったり掃き捨ててやったり、彼のインキ壷に敷く新しいきれをもってきてやったり、どこからか帽子を、よくも世のなかにこんなひどいものがあると思われるほどおよそみっともない帽子をさがしてきて、退庁の1分前になると彼のそばに必ず置いてやったり、相手が壁ぎわで背中を白くよごしたときにはそれを払ってやったりしたものである。

p93 やがて寝台から身をおこすと、彼(チェンチェトニコフ)は顔を洗って、部屋着(ガウン)をひっかけると、お茶と、コーヒーと、ココアと、そのうえさらに搾りたての牛乳を飲むために客間へ出てゆき、どれもすこしずつすすりながら、あたりかまわずパン屑をちらかしたり、そこらじゅうをみっともないほどパイプの灰だらけにしたりする。

p95 (アンドレイ・イワーニビッチ・チェンチェトニコフの昼食後)…そのあとにはパイプとコーヒーがつづき、将棋を一人でさしたりする。

p112 これまでは隣人たちのなかでも、からだのしんまで煙草のやにの滲みとおった退役驃騎兵中尉とか、当時流行のパンフレットや新聞から知識をよせ集めてくる臆面もなない中途退学の大学生がよく立ち寄ったりしたものだった。

p124 -125 先方がもうもうと雲のようにパイプの煙をはき出せば、こちらは、パイプこそのまないが、ちゃんとそれにふさわしいような手慰みを思いついて、たとえば、いぶし銀の煙草入れをポケットから取りだして左手の二本指のあいだにはさみ、まるで地球の表面が地軸を中心に回転するように右手の指先でくるくるまわしてみたり、さもなければ口笛にあわせて指先でそれをたたいたりするのである。

p131 あるとき、食後に、例によって銀の煙草入れを軸を中心に指さきでくるくるまわしながら、彼はこんなふうに切りだした。

p132 ――相手はホッと溜息をついて、パイプの煙を吹きあげると、こう言った。

p178  どうも人をまどわすものがやたらとできましたでな。こいつは、なんですな、悪魔の野郎が世のなかをひっくり返しやがるにちがいあしませんな!やたら百姓どもをたぶらかすものばかりできるじゃござんせんか、やれ煙草だ、やれなんだと。困ったもんでがすよ、コンスタンチン・フョードロヴィッチさま。どうも人間てやつは――我慢ちゅうことができねえでがすからな。

p195 けっして現代人をなまくらにしてしまったあらゆる欲望を満たすための工場ではありません。あとになってそれを維持したり、販路を拡張したりするために、嫌悪な手段のかぎりを尽くしてみじめな大衆を堕落・頽廃へ追いやらねばならぬような工場ではありません。わたしは自分の工場では、そういう高級な欲求をそそるような生産は、たとえその効能をいくら言われても、絶対にやりませんよ。煙草にしろ、砂糖にしろ、百万の損になっても(やらないことによって損をするの意味)、そんなものは生産しません。
――フム、経済学か!―― コスタンジョーグロは相手のことばなどには耳も貸さずに、顔に憤懣やるかたない皮肉の色をたたえてしゃべりつづけるのだった。なにが経済学だ!ばかがばかにおぶさってばかを追いかけてやがる――自分のばか面の鼻のさきも見えもしないくせに!そんなとんまが臆面もなく講壇へしゃしゃり出て、眼鏡なんぞをかけやがって……あほったらしい!――そして彼は憤慨のあまりペッと唾をはいた。

p204 同様にチーチコフの場合にも、その宵のことはすべたが心に刻みこまれた――小ざっぱりと整頓された居心地のよい部屋や、利口な主人の顔にたたえられていた好人物らしい表情はもちろんのこと、壁紙の模様までも……、それからさらにプラトーノフからすすめられた琥珀の吸口つきのパイプや、彼がヤルブのまるまるとした鼻面へふっかけた煙や、ヤルブのふくれ面や、「もういいじゃないの、そんなにいじめなくたって」と言ってはにっこりする美しい主婦の笑顔や、……。

p282 ところで一方、裁判所や控訴院では事件は果てしなくひろがってしまった。書記たちのペンはさかんに走り、この道に練達の士たちは煙草を嗅ぎ、自分の金釘流の字句に画家のように身とれながらしきりに心をくだいていた。

(´ー`)y―┛~~
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