◆ 『自分の頭で考える倫理』について 水元 正介
◎ 引用が少し長くなるけれど、喫煙者である笹澤豊さんは『自分の頭で考える倫理/カント・ヘーゲル・ニーチェ』(ちくま新書)の中で(35~36ページ)、次のように述べている。
> ジャコバン派の恐怖政治がどういうものだったのか、詳しくは知らないが、おそらくロベスピエールは、ちょっとした理由を見つけては、政敵に反革命分子のレッテルを貼り、レッテルを貼った政敵をどしどし処刑場に送り込んだのだろう。その場合、「反革命的である」ということは、「反理性的である」ということを意味していたにちがいない。100%理性的である人間などいないから、「反理性的=反革命的」というレッテルは、どんな相手に対しても貼ることは可能なのだ。私がもしロベスピエールの政敵だったとすれば、タバコがやめられないのは「反理性的である」という理由で、真っ先に断頭台行きになっていただろう。<
◎ ちょっと難解な文書ではあるが、WHO(世界保健機構)による「たばこ規制枠組条約」や「健康日本21」など、「たばこは殺人」と同じであり、「受動喫煙の被害」も大きいことから、公的な場所や人の集まりそうなところでの喫煙を禁止する、という過剰とも思える動きに対して、哲学という専門分野からの警鐘を鳴らしているのだと思った。愛煙家である私としては、著者が暗に語っているような「喫煙者やたばこメーカーを目の敵にするような人たちや考え方こそ、平気で殺人を犯すことにつながるのではないか」という論点には賛成しかねるけれど、大筋では強い共感を覚えたのである。(WED.11.JULY.2001)
◎ 引用が少し長くなるけれど、喫煙者である笹澤豊さんは『自分の頭で考える倫理/カント・ヘーゲル・ニーチェ』(ちくま新書)の中で(35~36ページ)、次のように述べている。
> ジャコバン派の恐怖政治がどういうものだったのか、詳しくは知らないが、おそらくロベスピエールは、ちょっとした理由を見つけては、政敵に反革命分子のレッテルを貼り、レッテルを貼った政敵をどしどし処刑場に送り込んだのだろう。その場合、「反革命的である」ということは、「反理性的である」ということを意味していたにちがいない。100%理性的である人間などいないから、「反理性的=反革命的」というレッテルは、どんな相手に対しても貼ることは可能なのだ。私がもしロベスピエールの政敵だったとすれば、タバコがやめられないのは「反理性的である」という理由で、真っ先に断頭台行きになっていただろう。<
◎ ちょっと難解な文書ではあるが、WHO(世界保健機構)による「たばこ規制枠組条約」や「健康日本21」など、「たばこは殺人」と同じであり、「受動喫煙の被害」も大きいことから、公的な場所や人の集まりそうなところでの喫煙を禁止する、という過剰とも思える動きに対して、哲学という専門分野からの警鐘を鳴らしているのだと思った。愛煙家である私としては、著者が暗に語っているような「喫煙者やたばこメーカーを目の敵にするような人たちや考え方こそ、平気で殺人を犯すことにつながるのではないか」という論点には賛成しかねるけれど、大筋では強い共感を覚えたのである。(WED.11.JULY.2001)