■■■河崎眞澄著(文春文庫)■■■
◎ 河崎眞澄さんという産経新聞記者が書いた『還ってきた台湾人日本兵』は、実に面白い本だった。横井庄一さんと中村輝夫さんは帰還後、文明社会に蹂躙されるような形で、長生きすることができなかった。しかし、小野田さんはブラジルでの生活と日本を往復した生活を続け、日本ではぼくが生まれ育った町で「サバイバルの体験教室」を続けている。また、本書183ページの慰霊碑の前で、偶然、ぼくは写真を撮ったことがある。みなさんに、この本を強くお勧めしたい。
ところで、昨年の12月末、たばこメーカーに勤務していた友人の一周忌のお食事会には、多方面からの人たちが来られていた。Rさんご夫妻とは、10年ほど前に台北市内で、パーティでお会いしたことがあり、一緒にゴルフもしたことがあった。そのパーティとは、台湾大学時代の友人たちが日頃お世話になっている奥さん方に感謝する目的で、毎年の年末に行われているものだ。ぼくが一番おどろいたのは、輪になってプレゼント交換をするときの歌が、日本童謡の「桃太郎」であったことだ。
◎ そんな思い出話をしながら、亡き友人を偲んだのであるが、Rさんご夫妻は現在、日本に半年、台湾に半年の田舎暮らしをしているそうだ。改めて名刺交換をさせていただき、これからご懇意にさせてもらうことになった。Rさんのご年齢は大正14年生まれ(ぼくの父の4歳年下)の79歳で、ゴルフも現役で続けているそうである。ぜひ、来年の温かい日にでも、千葉あたりで一緒にラウンドしたいと思ったのである。
Rさんは日本人として生まれ、台湾大学在籍中(20歳のとき)に終戦を迎え、本人の意思には関わりなく、蒋介石率いる一団がなだれ込んできて、中華民国の国民になったそうである。だから、「心は今でも日本人です」とおっしゃり、ぼくのような未熟者とも真摯にお話をしてくれた。日頃、ぼくたちは国際化などと口にするけれど、歴史的な事実や歴史を生きた人々のことを忘れがちである。お食事会に同席していた友人のSくんの父は、日本軍兵士として台湾で終戦を迎えたことが話題になり、Rさんがたいへん興味を示し、ぼくも交えて盛り上がったのである。そんな光景を亡き友人は、きっと天界からニコニコしながら眺めていたに違いないと思いたい。(2004 05/03)
◎ 河崎眞澄さんという産経新聞記者が書いた『還ってきた台湾人日本兵』は、実に面白い本だった。横井庄一さんと中村輝夫さんは帰還後、文明社会に蹂躙されるような形で、長生きすることができなかった。しかし、小野田さんはブラジルでの生活と日本を往復した生活を続け、日本ではぼくが生まれ育った町で「サバイバルの体験教室」を続けている。また、本書183ページの慰霊碑の前で、偶然、ぼくは写真を撮ったことがある。みなさんに、この本を強くお勧めしたい。
ところで、昨年の12月末、たばこメーカーに勤務していた友人の一周忌のお食事会には、多方面からの人たちが来られていた。Rさんご夫妻とは、10年ほど前に台北市内で、パーティでお会いしたことがあり、一緒にゴルフもしたことがあった。そのパーティとは、台湾大学時代の友人たちが日頃お世話になっている奥さん方に感謝する目的で、毎年の年末に行われているものだ。ぼくが一番おどろいたのは、輪になってプレゼント交換をするときの歌が、日本童謡の「桃太郎」であったことだ。
◎ そんな思い出話をしながら、亡き友人を偲んだのであるが、Rさんご夫妻は現在、日本に半年、台湾に半年の田舎暮らしをしているそうだ。改めて名刺交換をさせていただき、これからご懇意にさせてもらうことになった。Rさんのご年齢は大正14年生まれ(ぼくの父の4歳年下)の79歳で、ゴルフも現役で続けているそうである。ぜひ、来年の温かい日にでも、千葉あたりで一緒にラウンドしたいと思ったのである。
Rさんは日本人として生まれ、台湾大学在籍中(20歳のとき)に終戦を迎え、本人の意思には関わりなく、蒋介石率いる一団がなだれ込んできて、中華民国の国民になったそうである。だから、「心は今でも日本人です」とおっしゃり、ぼくのような未熟者とも真摯にお話をしてくれた。日頃、ぼくたちは国際化などと口にするけれど、歴史的な事実や歴史を生きた人々のことを忘れがちである。お食事会に同席していた友人のSくんの父は、日本軍兵士として台湾で終戦を迎えたことが話題になり、Rさんがたいへん興味を示し、ぼくも交えて盛り上がったのである。そんな光景を亡き友人は、きっと天界からニコニコしながら眺めていたに違いないと思いたい。(2004 05/03)