前福井県議会議員 さとう正雄 福井県政に喝!

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森浩一と清張

2009年06月16日 | Weblog
先日のオフの日は、立命館大学で開催された第20回松本清張研究会に参加してきました。講師に惹かれたからです。
京都駅からバスにゆられて30分ぐらい。大学内はいろんな研究会が開催され、また、学生もいっぱいでした。
  余裕をもって到着。数百人ははいろうかという大きな教室。1時間ぐらい前にもかかわらず、すでに60人ぐらいが座っています。

    ★

     研究会代表理事の山田有策・東京学芸大名誉教授のあいさつ。「清張と同じ年の生まれには、中島、太宰、埴谷、大岡がいるが、清張と太宰が人気だ。今日も420人ほどの盛況です」。

      最初の講演は、同志社大学名誉教授の森浩一先生。

      この先生には勝手に個人的な思い出がある。高校時代、当時発行されていた「科学朝日」という雑誌に森先生の論文が載った。読んだが、どうも納得がいかない。そこで「批判」を書いて投稿したら、掲載されてしまった・・・・・。確か、原稿料は2000円もらった。・・・という思い出があるのです。

       さて、先生の講演は面白かった。
      「清張が亡くなった日、NHKから明晩追悼番組をやるから出演を、と電話。数年たって、司馬が亡くなり、またNHKから追悼番組の出演依頼。清張と司馬は戦後文学の二大巨頭。当時のNHKはしっかりしていた。その後、江上波夫が亡くなった時は、そんな番組はつくられなかった」。

      「はじめて読んだのは≪風雪断碑≫。実に歯切れがいい。考古学で無名にちかい人、森本六爾を取り上げた。森本の論文は読みにくいが、それをこなして小説に引用している。これは≪火の回路≫にいかされている。」「弥生時代は稲作文化、というのは森本が定着させた。当時は、新幹線も飛行機も無いが、実に素朴でいい時代。僕は≪原始時代≫という言葉を使わない」。

      「ある日、会いたいと電話があり、フランス料理店で会った。清張さんは1つ質問するとばくばく食べる。僕は説明しなくてはいけない。そのうちに皿が下げられて、ウラメシイ・・・・」「東大の五月祭で高松塚の壁画について清張さんと討論した。謝礼は3000円だった。この後、飲みにいかないか、と誘われた。一流の作家はこういうゆとりがある。2,3流の作家ほど≪締め切りがあるので・・・≫などと慌てて引き上げる」。

     ・・・・・・まあ、ほんのさわりを紹介しました。森先生。透析も受けられ体も弱っているようですが、長生きしていただきたい先生です。

        本日はこのへんで。つづきはまた。