この前の続き(ちょっと間が空いたが)。
「時は金なり」と意識しだしたのはいつの頃からだろうか。
中学時代から音楽&オーディオ大好きっ子だった。レコードは高いので、レンタルレコード屋で借りて、それをカセットテープに録音して聴いていた。テープは、できればノーマルタイプではなく、メタルやクローム(ハイポジ)を使いたかった。近所の電気屋では値段が高く、少しでも安く買おうと、友人たちとわざわざ自転車で20分以上かけて、日本橋の「でんでんタウン」まで走った。テープ一本につき数十円程安い。それでも中学生にはバカにならない。そんな私や友人をみながら親父は「よ~、そこまで時間かけて買いにいくなあ」と笑いながら感心していた。5本買って200円~300円のコストダウン。いっぽう、移動+買い物にかかる時間はトータル小1時間。当時は、[200円のコストダウン]>[1時間の時間価値]であった。
大学生になってアルバイトをするようになった。親父からは「あまり時給の低いバイトに時間を費やしすぎるな」と言われた。「その分、学生時代にしかできない色々なことをせよ」と。当時はバブル絶頂期で景気もよく、時給3000円くらいの家庭教師や塾講師のバイトにすぐにありつけた。そういう“割のいい”バイトで効率よく小遣いを稼ぎ、あとはやりたいことをさんざんしてきた。その頃に金と時間の価値が逆転してきたと思う。
今は給料も十分にもらえ、ある程度の金を使うことによって時間や労力を浮かすことができるのなら、「金を使う方」を選択するようになっている。買い物は、送料がかかってもネットを利用することが多い。電車で京都に行くときは普通に「特急はるか」に乗る。和歌山まで行くときも「特急サザン」を利用することが多い(こちらは時間は変わらないが快適性の問題)。愛車には申し訳ないが、洗車もガソリンスタンドにお願いすることが多い。などなど。
日常生活の中で「いくらのコストでいくらの時短が達成できるか」という判断を何度も繰り返しているように思う。Time is Money. 時間リッチな生き方をしたいと絶えず心がけている。
でも世の中ではこんな人間を“貧乏性”と呼ぶのだろう(^_^;)。
「時は金なり」と意識しだしたのはいつの頃からだろうか。
中学時代から音楽&オーディオ大好きっ子だった。レコードは高いので、レンタルレコード屋で借りて、それをカセットテープに録音して聴いていた。テープは、できればノーマルタイプではなく、メタルやクローム(ハイポジ)を使いたかった。近所の電気屋では値段が高く、少しでも安く買おうと、友人たちとわざわざ自転車で20分以上かけて、日本橋の「でんでんタウン」まで走った。テープ一本につき数十円程安い。それでも中学生にはバカにならない。そんな私や友人をみながら親父は「よ~、そこまで時間かけて買いにいくなあ」と笑いながら感心していた。5本買って200円~300円のコストダウン。いっぽう、移動+買い物にかかる時間はトータル小1時間。当時は、[200円のコストダウン]>[1時間の時間価値]であった。
大学生になってアルバイトをするようになった。親父からは「あまり時給の低いバイトに時間を費やしすぎるな」と言われた。「その分、学生時代にしかできない色々なことをせよ」と。当時はバブル絶頂期で景気もよく、時給3000円くらいの家庭教師や塾講師のバイトにすぐにありつけた。そういう“割のいい”バイトで効率よく小遣いを稼ぎ、あとはやりたいことをさんざんしてきた。その頃に金と時間の価値が逆転してきたと思う。
今は給料も十分にもらえ、ある程度の金を使うことによって時間や労力を浮かすことができるのなら、「金を使う方」を選択するようになっている。買い物は、送料がかかってもネットを利用することが多い。電車で京都に行くときは普通に「特急はるか」に乗る。和歌山まで行くときも「特急サザン」を利用することが多い(こちらは時間は変わらないが快適性の問題)。愛車には申し訳ないが、洗車もガソリンスタンドにお願いすることが多い。などなど。
日常生活の中で「いくらのコストでいくらの時短が達成できるか」という判断を何度も繰り返しているように思う。Time is Money. 時間リッチな生き方をしたいと絶えず心がけている。
でも世の中ではこんな人間を“貧乏性”と呼ぶのだろう(^_^;)。