週末は台風の影響で天気悪し。土曜日はTSUTAYAへCDとDVDを借りに行った以外、外出しなかった。日曜日も朝から雨。お昼前後はかなりひどかったが、14時前くらいに止んだ。まだ降るような気配だったが、家に引きこもっていても退屈だし、思い切って街歩きに出掛ける。
地下鉄日比谷線で北千住へ。千住宿は日光街道および奥州街道の初宿。古い建物や史跡が残っている。
宿場町通り。

千住宿本陣跡。

道中「街の駅」があり、そこのガイドのおばちゃんから大量にパンフレットをもらう。
横山家住宅。江戸時代の商家。

名倉医院。1770年頃から続く骨接ぎ。

商店街を北へ抜けると荒川沿いの「虹の広場」。ここのもうちょっと先が「3年B組金八先生」のロケで使われた「荒川の土手」だ。

日光街道と水戸佐倉道の分岐点の碑。

大橋眼科。1900年代初期のドイツ風の建物。こちらの医院も現役。

南側は、「千住ほんちょう商店街」と通りの名称が変わる。

千住大橋の北詰は、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅を出発させた場所である。



千住大橋を南へ渡ると、素戔嗚(すさのお)神社がある。

南千住駅近くにある回向院(えこういん)。同じ場所にあった小塚原刑場で処刑された人々を弔うために建てられた。安政の大獄で処刑された吉田松陰や橋本佐内の墓もある。

ディープな下町情緒溢れる千住エリアだった。
地下鉄日比谷線で北千住へ。千住宿は日光街道および奥州街道の初宿。古い建物や史跡が残っている。
宿場町通り。

千住宿本陣跡。

道中「街の駅」があり、そこのガイドのおばちゃんから大量にパンフレットをもらう。
横山家住宅。江戸時代の商家。

名倉医院。1770年頃から続く骨接ぎ。

商店街を北へ抜けると荒川沿いの「虹の広場」。ここのもうちょっと先が「3年B組金八先生」のロケで使われた「荒川の土手」だ。

日光街道と水戸佐倉道の分岐点の碑。

大橋眼科。1900年代初期のドイツ風の建物。こちらの医院も現役。

南側は、「千住ほんちょう商店街」と通りの名称が変わる。

千住大橋の北詰は、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅を出発させた場所である。



千住大橋を南へ渡ると、素戔嗚(すさのお)神社がある。

南千住駅近くにある回向院(えこういん)。同じ場所にあった小塚原刑場で処刑された人々を弔うために建てられた。安政の大獄で処刑された吉田松陰や橋本佐内の墓もある。

ディープな下町情緒溢れる千住エリアだった。