それぞれの季(とき) 2013-09-25 07:28:00 | ノンジャンル 既成の言葉や概念波に 依存し続ければ 所詮 その概念波長しか及ばない 固く狭く暗い次元に 自己意識を縛りつけることになる 永い間の その誤謬の構造そのものを 幾重にも客観し あらゆる自他を含めた根源波を 立体透過することだよ それを洵の『洗心』という そうすれば 強く正しく明るい 万物の包括宇宙が観えてくる 既成の言葉や概念波長に囚われることが 如何に本源効率を貶める意識の在り方であったか 豁然と判る…それぞれの季(とき)が 訪れるだろう