『洗心』は難しい
そのような声を聞きます
実際取り組んでみると
言葉で理解しているほどには
『洗心』は進展しません
けれども失望しないで下さい
それは寧ろ正しい体験なのです
何故なら『洗心』は
教条矜持ではないからです
『洗心』とは
文字通り『心洗い』であり
心という実体を観極めて洗い浄めることです
記憶の条件反射で特定の道徳心を躾けることとは
本質的に異なるのです
『洗心』を進めるには
心の実体そのものを掴み切らねばなりません
心がどのように本質波動層で成立しているか
そこまでの立体透過を日々重ねて
洗心の意義が花開いて
来るようです