「それがわかれば苦労しない。」
「頑張っても出来ないこともある。」
そのような諦念が
意識波表層には渦巻いている。
それを
敢えて一歩踏み込むのが
『観察洞察』であり
『洗心』である。
このことが腹(肝)に落ちるには
ギリギリの経験を踏み堪えて
個々自身が
個々自身の意識層パルスを
精鋭化することである。
『観察洞察』も『洗心』も
どれほど深めても極めても
生体に危険はない。
寧ろ
察知能力が深まる。
諦念や懐疑念を
受発信している暇があるなら
『観察洞察』&『洗心』に徹する方が
遥かに実生活でも
有益なのである。